内藤明美&平島誠也/24のシェック歌曲

ぐらばー亭さんが、なんと2007年のシェック歌曲コンサートの録音もアップしてくださいました。

 こちら

シェックの歌曲をこれだけまとめて聴ける機会はなかなかありませんよ!
あらためて聴いてみると、スイス出身のシェックはドイツリートの伝統に則った、詩と音楽の緊密な結びつきを実現していたと思います。
それに若かりし頃の作品が集められたためかもしれませんが、とても聴きやすいです。
はじめて聴く方もきっとリートを聴く喜びを満喫していただけると思います。
動画は歌詞の日本語訳も表示されていますので、シェック歌曲に親しむのに最適です。

実は私が内藤明美さんと平島誠也さんの歌曲の夕べを初めて聴いたのが、このコンサートだったので、とりわけ思い出深いコンサートでした。
内藤さんの深く温かい声と、平島さんの清涼感あふれる美しいピアノが印象的でした。

ちなみにこのコンサートを聴いた時の感想は以下の記事をご覧ください。

 こちら

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内藤明美&平島誠也/シェーンベルク作曲の歌曲集「架空庭園の書」

ぐらばー亭さんのブログで、2014年11月7日、東京オペラシティ リサイタルホールで行われた「内藤明美メゾソプラノリサイタル」(ピアノ:平島誠也)からシェーンベルク作曲の歌曲集「架空庭園の書」全15曲の音源公開のご紹介があります。

 こちら

このコンサート、私は行けなかったので、こうして録音が公開されて聴くことが出来るのは大きな喜びです!
しかも、歌詞も表示されていますので、内容を読みながら1曲ずつ聴くことが出来ます。

内藤さんも平島さんもあらためて言うまでもなくドイツリートの幅広いレパートリーを持つ方々です。
いわゆる現代音楽専門家の尖った演奏とは一味違ったリートの流れの中での演奏は、はじめて聴く方にもとっつきやすいと思います。
実際聴いてみると、それほど難解ではなく、テキストの世界をユニークな視点で描いた魅力的な音楽であるように感じられます。
内藤さんのドラマティック、かつ繊細な語り口は温かみすら帯び、平島さんの明晰なタッチも冷徹さに陥ることがなく、魅力的な演奏でした。
ぜひ1曲ずつ、その独自の音楽を味わってみてください。

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髙橋節子&田代和久&平島誠也/ヴォルフ「イタリア歌曲集」(2013年3月6日 日暮里サニーホール コンサートサロン)

ヴォルフ(Hugo Wolf)/イタリア歌曲集(Italienisches Liederbuch)

2013年3月6日(水)19:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全席自由)
髙橋 節子(Setsuko TAKAHASHI)(ソプラノ)
田代 和久(Kazuhisa TASHIRO)(バリトン)
平島 誠也(Seiya HIRASHIMA)(ピアノ)

第一巻
 1. 小さくてもうっとりさせるものがあるわ(S)
 2. 遠くへ旅立つと聞かされたの(S)
 3. 君は世にも稀なる美しさだ(Br)
 4. 祝福あらんことを、この世を創造された方に(Br)
 5. 目の見えないものは幸せである(Br)
 6. 一体誰があなたを呼んだの?(S)
 7. 月はやるせなき悲嘆にくれ(Br)
 8. もう、講和条約を結ぼう、最愛の人よ(Br)
 9. 君の魅力すべてが絵に描かれて(Br)
 10. あなたはたった一本の細い糸で私を捕まえて(S)
 11. どれほど長い間待ち望んでいたことでしょう(S)
 12. 駄目よ、お若い方、そんなことをしては本当に(S)
 13. 高慢ちきだな、別嬪さんよ(Br)
 14. 相棒よ、修道服にでもくるまってみるか(Br)
 15. 私の恋人はこんなに小さくてかわいいの(S)
 16. 戦場に向かわれるお若い方々(S)
 17. 君の恋人が身罷るのを見たいのならば(Br)
 18. ブロンドの頭を上げなさい、眠ってはいけないよ(Br)
 19. 私たちは二人とも長いこと押し黙っていた(S)
 20. 私の恋人が月明かりの注ぐ家の前で歌っているわ(S)
 21. あなたのお母さんが望んでいないらしいわね(S)
 22. 皆様方へセレナーデを持参いたしました(Br)

~休憩~

第二巻
 23. 君にどんな歌を歌ってあげたらいいのか(Br)
 24. もう固くなったパンを食べることはありません(S)
 25. 恋人が私を食事に招いてくれたの(S)
 26. 私が聞かされた噂によると(S)
 27. 疲れ切ってベッドに横たわったのに(Br)
 28. 公爵夫人じゃないだろうって、私に言うけど(S)
 29. 賤しからぬあなたの御身分はよく存じ上げております(S)
 30. 好きにさせておけ、お高くとまった女なんて(Br)
 31. 陽気になんてしていられるものですか(S)
 32. 一体何をそんなに怒っているの?大切な人(S)
 33. 僕が死んだら花で体を覆ってほしい(Br)
 34. 君が朝早くベッドから起きて(Br)
 35. 幸せなる母君に祝福を(Br)
 36. 愛する人、あなたが天に召されるとき(S)
 37. 君を愛しすぎて多くの時間を失ってしまった(Br)
 38. 君は僕をちらりと見てほほえむ(Br)
 39. 緑と緑色をまとう人に幸がありますように!(S)
 40. ああ、あなたの家がガラスのように透きとおっていたらいいのに(S)
 41. 昨夜僕は真夜中に起き上った(Br)
 42. 僕はもうこれ以上歌えない、だって風が(Br)
 43. ちょっと黙りなさい、そこの不愉快なお喋り男!(S)
 44. ああ、君はわかっているのか、君のためにどれほど(Br)
 45. 深淵が恋人の小屋を飲み込んでしまうがいい(S)
 46. 私、ペンナに住んでる恋人がいるの(S)

~アンコール~
ヴォルフ/「イタリア歌曲集」より~幸せなる母君に祝福を(S & Br)

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ヴォルフの「イタリア歌曲集」はイタリアの男女の恋唄をパウル・ハイゼが独訳したものをテキストにしている。
従って、「イタリア」と銘打っていても「ドイツ」の香りの漂う作品群である。
各曲は1~2分のものがほとんどで、全46曲演奏しても80分弱ほど。
男女の恋をテーマにしているだけあって、惚れたはれただけで済むはずはなく、恋の駆け引きや、激しい痴話げんか、修羅場も登場する。
それらが短い各曲にぎゅっと濃縮されているだけあって、各曲のインパクトは強い。
それらをドイツものに定評のある演奏者たちが演奏するのだから、これは楽しい一夜となった。
とはいえバリトンの田代和久氏を聴くのは私の記憶ではこれが初めて。
ソプラノの髙橋さんと同じ古楽集団に属しているそうだが、実際に聴いてみて、むらのないスタイリッシュな歌唱は確かに古楽で力を発揮していると思わせるものがあった。
だが、それ以上に田代さんの強みは声そのものの美しさだろう。
なんともノーブルで甘美な美声が聴く者を酔わす。
「イタリア歌曲集」にはまさにうってつけの声と歌であった。
ステージ上では歌手たちのための椅子が右端に置かれ、歌う方は中央に立ち、もう一人は椅子に座る。
従って、オペラのような二人の駆け引きがステージ上で見られるわけではないのだが、音楽だけですでに立派な駆け引きになっているのだから、無理して演技することもないだろう。
田代さんの歌唱では「ブロンドの頭を上げなさい、眠ってはいけないよ」や33~35曲目のゆるやかなタイプの曲が出色の出来だった。
一方の髙橋さんはドイツリートの優れた歌手として、すでに何度もその名演に接してきたが、今回はかなり曲に合わせて感情の起伏を大きくとった歌唱が見事だった。
「私の恋人が月明かりの注ぐ家の前で歌っているわ」での会いたいけれど会えない複雑な心境の表現など素晴らしいものだった。
そして、女版ドン・ジョヴァンニともいえる終曲「私、ペンナに住んでる恋人がいるの」では高々と歌いあげ、締めには高笑いまで響かせて、人物になりきった素晴らしい歌唱だった。
そして、この46もの難曲を一人で演奏したピアノの平島誠也氏はいつにも増して張り切っていた(ように感じた)。
大変な思いをしつつもご本人も楽しんで弾いているようにすら感じられたのである。
下手っぴなヴァイオリニストを描写する「どれほど長い間待ち望んでいたことでしょう」では、カチカチに固まったトリルを聴かせる前に、充分な「間」をとって、聴き手をさらにじらす。
そこに平島さんのほくそ笑みが感じられたのである。
どの曲でも安定した技術の裏付けがあるからこそ、ヴォルフの万華鏡のような各曲の感情をこまやかに描き出すことが可能なのだろう。

今回はヴォルフの出版したとおりの順序で演奏され、それももちろん自然な流れになるようになっているので、何の問題もないが、次には、さらに順序を入れ替えた版でもこの3人の演奏を聴いてみたい気がする。
その際にはどのような流れにするかで、演奏者の恋愛観までうかがえるかもしれないのである。

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内藤明美&平島誠也/メゾソプラノリサイタル(2012年11月9日 東京オペラシティ リサイタルホール)

内藤明美メゾソプラノリサイタル

2012年11月9日(木)19:00 東京オペラシティ リサイタルホール(全自由席)
内藤明美(Akemi Naito)(mezzo soprano)
平島誠也(Seiya Hirashima)(piano)

ゲーテの詩による歌曲(Lieder nach Gedichten von Goethe)

シューベルト(Schubert)/湖の上で(Auf dem See)
ベートーヴェン(Beethoven)/悲しみの喜び(Wonne der Wehmut)
レーヴェ(Loewe)/安らぎは失せ(Meine Ruh ist hin)
ヘンゼル(Mendelssohn-Hensel)/旅人の夜の歌(Wanderers Nachtlied)
リスト(Liszt)/空より来たりて(Der du von dem Himmel bist)

シュトラウス(Strauss)/見つけたものは(Gefunden)
クシェネク(Krenek)/新しいアマディス(Der neue Amadis)
シェック(Schoeck)/黄昏は空より降り(Dämmrung senkte sich von oben)
ベルク(Berg)/失った初恋(Erster Verlust)
レーガー(Reger)/孤独(Einsamkeit)

~休憩~

ヴォルフ(Wolf)作曲

アナクレオンの墓(Anakreons Grab)
現象(Phänomen)
ガニメード(Ganymed)

ミニョンⅠ(語れとは言わず)(Mignon I)
ミニョンⅡ(ただ憧れを知る人だけが)(Mignon II)
ミニョンⅢ(この装いのままで)(Mignon III)
ミニョンⅣ(あなたはご存知ですか)(Mignon IV)

~アンコール~
ブラームス(Brahms)/セレナーデ(Serenade)op.70-3
チャイコフスキー(Tchaikovsky)/ただ憧れを知る人だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt)
島原の子守唄

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毎年秋に催される内藤明美と平島誠也によるリサイタルを聴くようになって何回目になるであろうか。
今宵もまたテーマをもったプログラミングと充実した演奏で、歌曲ファンを満足させてくれた。
今年のテーマは「ゲーテの詩による歌曲」。
前半は10人の作曲家による10様のゲーテ作品、後半はヴォルフ作曲という軸のもとで様々なゲーテ解釈を味わうという趣向。
昨夜ルプーを聴いた東京オペラシティを再び訪れ、今回は小ホールの響きを味わった。

ゲーテの詩による歌曲はシューベルトやヴォルフをはじめ膨大な作品が存在する。
その中から歌手の声や質に合った作品を選び出し一夜の選曲をするというのはそれだけでも気が遠くなるほど大変な作業であろう。
事実プログラムノートに山崎裕視氏が記しているように「その彼女(注:内藤さんのこと)をしても長い間、ゲーテへの接近は心怯むものがあったに違いない」のである。

今回の選曲、前半は私が初めて聴く作品が圧倒的に多く、いつもながらその選曲の斬新さに敬意を覚えずにいられない。
シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」ではなく、同じ詩にレーヴェが作曲した「安らぎは失せ」、またシューベルトの「旅人の夜の歌Ⅰ」ではなく、ファニー・ヘンゼルやリストによる同じ詩による作品、さらにヴォルフではなくクシェネクによる「新しいアマディス」など、その変化球の見事さに興味は尽きない。

内藤さんの歌唱は相変わらず懐の深いもの。
声が聴き手を包み込み、そして作品の各キャラクターに変幻自在に対応して、短い時間に一つのドラマを凝縮して描き出す。
年々増してきた温かみは、通好みの作品であろうが、ポピュラーな作品であろうが、平等に聴き手の作品への近寄りやすさを感じさせる。
だが、もちろんホールいっぱいに広がる豊かで強靭さすら感じさせる響きも健在である。
こうして、日の目を見ることの少ない作品をも照らし出して、それを自分のものとして消化して提示するということを毎年続けていると、これほどまでに充実した空間を作り出せるものなのだろう。

今回楽しみだったヴォルフの「ミニョン」歌曲群は、その真摯さと充実感で、感動的であった。
とりわけ「この装いのままで」の最後の一節"Macht mich auf ewig wieder jung!(永遠の若さをまた私にお与えください!)"(山崎裕視訳)の高音から低く降りて、再度ディミヌエンドしながら高く舞い上がる際の内藤さんのメッツァヴォーチェの見事さは本当に胸に響いた。

平島誠也氏のピアノはいつもながらストレートに作品に向き合ったものだった。
実直なまでにくっきりと作品の細部まで照らし出す平島氏だが、例えばヴォルフの「あなたはご存知ですか」ではテンポの変化や強弱、音色など、いつも以上の大胆さを見せ新鮮な驚きを覚えた。
彼のその柔軟な対応が作品の壮大さを充分に描き出していたことは特筆すべきだろう。

なお、この日会場ロビーで待望のCD「ブラームス歌曲集」が販売された。
内藤さんのホームページでも買えるようだ。
秋の夜長に温かい声に包まれるのも素敵ではないだろうか。

毎年最後に同じことを書いている気もするが、来年のコンサートが今から待ち遠しい。

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内藤明美&平島誠也/テッセラの春・第10回音楽祭 第2夜(2012年5月12日 サロンテッセラ)

テッセラの春・第10回音楽祭「新しい耳」
第2夜 内藤 明美(Ms)/平島 誠也(Pf) ~大地の歌~

2012年5月12日(土)16:00 サロンテッセラ(全席自由)
内藤明美(MS)
平島誠也(P)

廻由美子(“新しい耳”企画・ナビゲーター)

ヴォルフ(Wolf)/『メーリケ歌曲集』より

 希望に寄せる心癒えた者の思い(Der Genesene an die Hoffnung)
 捨てられた娘(Das verlassene Mägdlein)
 飽くことなき恋(Nimmersatte Liebe)
 隠棲(Verborgenheit)

 祈り(Gebet)
 ヴァイラの歌(Gesang Weylas)
 さようなら(Lebe wohl)
 エーオルスの琴に寄せて(An eine Äolsharfe)

~休憩~

マーラー(Mahler)/『大地の歌(Das Lied von der Erde)』より
 第六楽章「告別(Abschied)」

~アンコール~
ヴォルフ/祈り

渋谷から田園都市線で2駅目の三軒茶屋駅近くにあるサロンテッセラに初めて出かけた。
「テッセラの春」と題された年2回催される音楽祭の一環で、今回で10回目とのこと。
その第2夜は、メゾソプラノの内藤明美とピアノの平島誠也によるリサイタル。
地道な歌曲の伝道者たちであり、優れた演奏家たちである。
70席しかない親密な空間はリートを聴くのにはまさにうってつけ。
歌曲ファンにとっては非常に贅沢なコンサートとなった。
緑のあるこじんまりとした素敵なテラスでは休憩時間にワンドリンクがふるまわれた。

ピアニストでこの音楽祭の企画をした廻(めぐり)由美子さんがナビゲーターを務めた。
個人的には、クラシックのフリー情報誌「ぶらあぼ」で長いこと幅広い観点から執筆されていたエッセーを愛読していたのだが、今回は案内役と演奏者へのインタビュアーとしても秀でたところを発揮されていた。
今回のヴォルフとマーラーというプログラムは企画者からの希望とのことで、演奏者側がそれにこたえたということになる。

内藤さんがヴォルフとマーラーを歌うのを聴くのは私にとって初めてのことである。

廻さんの紹介により登場した内藤さんと平島さんはまずフーゴ・ヴォルフの「メーリケ歌曲集」から4曲を演奏した。
今宵も内藤さんの声は絶好調で、深々としたメゾの響きと、切れ味のある美しい発音が小さなサロンのすみずみにまで届く。
最初の「希望に寄せる心癒えた者の思い」では「死を思いつつ朝を迎えた(山崎裕視氏訳)」という言葉のとおり、平島さんの半音進行の苦悩を暗示するようなピアノ前奏にのって、静かな緊張感をもって歌い始められた。
そして、「希望」が「勝利の名乗り」をあげた箇所で内藤さんは歓呼のフルヴォイスを朗々と響かせ、平島さんは堂々とファンファーレを奏でる。
そして、「ああ、ただ一度でも苦しみなく/おまえの胸に抱きしめておくれ」と締めくくる箇所では祈るように声は高まり、最後は低く沈み込む。
希望による癒しを感謝するという内容を歌う内藤さんの表現した響きそのものが、すでに聴き手にとっての「癒し」であった。
ピアノ後奏は和音をふくらませてから徐々に減衰して消えてゆく。
その和音間の響きの微妙な加減が絶妙で、決して分かりやすくダイナミクスを派手にしないままこれほど豊かな表情をつくりあげる平島氏の演奏はさすがである。

続く「捨てられた娘」では薄情な男に捨てられた辛い思いを、抑制と、抑えきれなくなった感情の吐露との対比で、伝えてくる。
一転「飽くことなき恋」では庶民だろうがお偉方だろうが恋する時にはなんの違いもないと、コミカルな表情をこめて歌われた。
こういう作品でのさりげない上手さは内藤さんにとって新鮮な一面に感じられた。
テンポを揺らし、間をとって、コミカルな表情をさりげなく表現する平島さんも素晴らしかった。

「隠棲」はヴォルフの歌曲中もっとも有名であり、かつもっともヴォルフらしくない作品の一つでもある。
だが、そのヴォルフらしくないところが、親しみやすさを増していることも事実で、内藤さんも素直に曲の魅力を伝えていた。

その後、ナビゲーターの廻さんが演奏者お二人にインタビューをした。
内藤さんは海外での生活が長く、それゆえに"u"という母音は西欧語と日本語に大きな違いがあると述べ、日本語の"u"の方が特殊であると語る。
平島さんは呼吸を意識して演奏するようにお弟子さんたちに指導し、それがソロ演奏にも役立つことと思うと述べつつ、「でも僕はソロはしないから分からないけれど」と言って笑わせる。

話の後、さらに「メーリケ歌曲集」から「祈り」「ヴァイラの歌」「さようなら」といった名作が深い思いをこめて歌われ、前半最後は美しい「エーオルスの琴に寄せて」で締められた。

休憩後はマーラー「大地の歌」の終楽章「告別」。
30分ほどかかる大規模な作品だが、内藤さんは一貫して美しいレガートの響きを聴かせ、聴き手を魅了した。
平島さんのピアノは、かなり雄弁な演奏だったが、例えば数ヶ月前に同じ曲を演奏したゲロルト・フーバーのようなとげとげしさはなく、ピアノ歌曲としてのスタイルをわきまえた中で色彩豊かな表現を聴かせてくれた。

拍手にこたえ、アンコールとしてヴォルフの「祈り」を再度歌ってくれた。

ピアノの平島氏は内藤さんが異なる歌詞を歌おうとしたり、歌い出すタイミングが違っていたりすると、少し待ってから軌道修正する。
それは長年の共演関係から得た熟練技に違いない。

そういうハプニングも楽しみつつ(失礼ながら)、理想的な空間に響き渡る名歌曲の数々を堪能させていただいた。
やはりサロンコンサートには、大ホールにはない魅力が確かにある。

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平島誠也とドイツ歌曲の担い手たち(2011年4月24日 日暮里サニーホール コンサートサロン)

Hirashima_20110424

平島誠也とドイツ歌曲の担い手たち
~四季の移り変わりを歌曲でたどる~

2011年4月24日(日)14:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全自由席)

高橋節子(たかはし せつこ)(ソプラノ)
石井真紀(いしい まき)(メゾソプラノ)
田中豊輝(たなか とよあき)(テノール)
平島誠也(ひらしま せいや)(ピアノ)

1.ヴォルフ(Wolf)/新年に(Zum neuen Jahr)(高橋)
2.R.シュトラウス(R.Strauss)/冬の捧げもの(Winterweihe) Op.48-4(石井)
3.ブラームス(Brahms)/ひばりの歌(Lerchengesang) Op.70-2(田中)
4.マーラー(Mahler)/春の朝(Frühlingsmorgen)(高橋)
5.シェック(Schoeck)/春の教会墓地(Der Kirchhof im Frühling) Op.17-3(石井)
6.プフィッツナー(Pfitzner)/だから春はこんなに空が青いの?(Ist der Himmel darum im Lenz so blau?) Op.2-2(高橋)
7.ベートーヴェン(Beethoven)/五月の歌(Mailied) Op.52-4(田中)
8.マルクス(Marx)/五月の花々(Maienblüten)(高橋)
9.ブラームス(Brahms)/五月の夜(Die Mainacht) Op.43-2(田中)
10.ヴェーベルン(Webern)/夏の宵(Sommerabend)(石井)
11.ベルク(Berg)/夏の日々(Sommertage)(高橋)
12.シューマン(Schumann)/輝く夏の朝に(Am leuchtenden Sommermorgen) O.48-12(田中)
13.シュレーカー(Schreker)/夏の遊糸(Sommerfäden) Op.2-1(高橋)
14.シューベルト(Schubert)/水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen) D774(田中)
15.メンデルスゾーン(Mendelssohn)/秋の歌(Herbstlied) Op.84-2(石井)
16.シューベルト(Schubert)/秋(Herbst) D945(田中)
17.プフィッツナー(Pfitzner)/秋に(Im Herbst) Op.9-3(石井)
18.R.シュトラウス(R.Strauss)/万霊節(Allerseelen) Op.10-8(高橋)
19.ブラームス(Brahms)/荒野を越えて(Über die Heide) O.86-4(石井)
20.レーガー(Reger)/冬の予感(Winterahnung) Op.4-3(田中)
21.ヴォルフ(Wolf)/クリスマスローズにⅠ(Auf eine Christblume I)(石井)
22.シューベルト(Schubert)/冬の夕べ(Der Winterabend) D938(全員)

~アンコール~
シューベルト(Schubert)/万霊節の連祷(Litanei auf das Fest Allerseelen) D343(全員)

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歌曲ピアニストの第一人者平島誠也氏を囲んで3人の声種の異なる歌手たちが分担して歌うというコンサートを、日暮里の小さなサロンで聴いた。
15人の作曲家の作品を22曲、四季の変遷によって並べたプログラミングは、時代も作風も飛び越えて、詩の内容で配列した構成だ。
従って、平島氏が「アイポッド的」と形容したように、次にどの曲が出てきて誰が歌うのか、プログラムを隠して流れに身を任せて聴くというのもなかなか面白いと思う。
歌手たちは常に舞台上にいて、歌わない時は腰掛けて待機する。
つまり、全22曲がノンストップで演奏されることになる(1時間20分ほど)。
時には曲同士の間に前後の作曲家に関連した作品の一部を平島氏がピアノのみで演奏して「つなぐ」こともある。
覚えている限りでつなぎの曲を順に列記してみると以下のようになる。

ヴォルフ/古画に寄せて(Auf ein altes Bild):1曲目の後
マーラー/思い出(Erinnerung):4曲目の後
ベートーヴェン/悲しみの喜び(Wonne der Wehmut):7曲目の後
シューマン/わが美しい星(Mein schöner Stern):12曲目の前
ヴォルフ/沈黙の愛(Verschwiegene Liebe):21曲目の前

ヴォルフの「沈黙の愛」はあたかも「クリスマスローズにⅠ」の前奏のようにすっきりとつながっていたし、マーラーの「思い出」はかなり長く、歌の箇所も含めてピアノで「歌って」みせてくれて聴き惚れてしまった。

次から次に歌われる作品は普通のCDやリサイタルではまず聴けないような配列の意外性が楽しく、小さなサロンの親密な雰囲気も相俟って、いつまでもずっと聴いていたいほどだった。
冬で始まり、春→夏→秋と続き、再び冬に戻って終わる。
1月から12月への流れと見ることも出来るだろう。
R.シュトラウスの後にブラームスが来たり、ベートーヴェンの後にヨーゼフ・マルクスが来ても、意外性はあっても違和感はなく、結局のところ大切なのは作品の良さなのだと気付かされた。
有名な曲はそれほど多くないが、心の琴線に触れる作品ばかりが選ばれており、全体で1つの作品と言うことも出来るだろう。
とにかく最後まで次々と歌曲の宝石を差し出されているかのようで、ひたすら楽しい時間を過ごさせてもらえた。

歌手3人の中ではソプラノの高橋節子氏のみ実演を過去に2度ほど聴いたことがあり、その実力は存じ上げていたが、今回も気合の入った堂々たる歌を聴かせてくれた。
どの作曲家の作品を歌っても安心して聴ける歌手である。

メゾソプラノの石井真紀氏は、低音以上にむしろ高音でメゾらしい深みと光沢のある響きがあり、しかも決して重くならないので、高橋さんと一緒に歌う時には相違よりも共通性を感じさせ、響きがよく溶け合っていた。

テノールの田中豊輝氏は爽やかでストレートな歌いぶりだった。
シューマンの「詩人の恋」を彼の歌で全曲聴いたらきっと素晴らしいのではないか(今回、曲集中の1曲だけ聴けたけれど)。

最後のシューベルト「冬の夕べ」のみ3人が順番に分担して(ソプラノ→テノール→メゾ)歌ったが、最後の詩行は3人でハモって美しく歌われ、ビーダーマイアー風の日常の幸福感を素敵に表現していたと思う。

それにしても平島氏のピアノの音はいつもながら非常に美しく、「ひばりの歌」の高音の響き、「五月の夜」の曲の展開に応じたルバート、「夏の日々」の後奏のデリカシー、「水の上で歌う」のきらめきなど、印象に残る箇所を挙げ出したらきりがない。
特に「水の上で歌う」では3節の有節形式ながら、行や節によって異なるペダリングをしているのがはっきり見られ、これほどの素晴らしい演奏の秘訣を垣間見た気がした。

私は会場に着いたのがぎりぎりでたまたま空いていた右端の席に座ったのだが、案外この席は響きが素晴らしく、歌もピアノも理想的に響いてきた。

アンコールの前に平島氏の挨拶があり、「沢山の亡くなられた方への祈り」としてシューベルトの「万霊節の連祷」がソプラノ→メゾ→テノールの順で演奏された。
この曲は意外と実演で聴く機会が少ないが、やはり胸に響く作品である。

歌曲においてピアニストの演奏するレパートリーは多くの場合、全声種に渡り、そのノウハウは各声種の歌手たちに大いに刺激を与えるものと思われる。
そういう意味でも平島氏には是非この演奏会のシリーズ化を期待したいところだ。
聴き手も、作曲家ではなく作品そのものの価値に気付かせてもらえる貴重な機会となることだろう。

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内藤明美&平島誠也/メゾソプラノリサイタル(2010年11月8日 東京オペラシティ リサイタルホール)

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内藤明美メゾソプラノリサイタル
アイヒェンドルフの詩による歌曲(Lieder nach Gedichten von J. v. Eichendorff)
~シューマン生誕200年に因んで~

2010年11月8日(月)19:00 東京オペラシティ リサイタルホール(全席自由)

内藤 明美(Akemi Naito)(メゾソプラノ)
平島誠也(Seiya Hirashima)(ピアノ)

R.シューマン(Schumann: 1810-1856)

リーダークライス(Liederkreis)Op.39

異郷にて(In der Fremde)
間奏曲(Intermezzo)
森の対話(Waldesgespräch)
静けさ(Die Stille)
月の夜(Mondnacht)
美しき異郷(Schöne Fremde)
古城にて(Auf einer Burg)
異郷にて(In der Fremde)
悲しみ(Wehmut)
たそがれ(Zwielicht)
森の中で(Im Walde)
春の夜(Frühlingsnacht)

~休憩~

O.シェック(Schoeck: 1886-1957)

森の孤独(Waldeinsamkeit)Op.30-1
帰依(Ergebung)Op.30-6
余韻(Nachklang)Op.30-7
夜の挨拶(Nachtgruss)Op.51-1
座右銘(Motto)Op.51-2
慰め(Trost)Op.51-3

思い出(Erinnerung)Op.10-1
別れ(Abschied)Op.20-7
夕暮れの風景(Abendlandschaft)Op.20-10
病める人(Der Kranke)Op.20-9
回心(Umkehr)Op.20-12
追悼(Nachruf)Op.20-14

~アンコール~
F.グルダ(Gulda)/夜の挨拶(Nachtgruss)
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/夜の歌(Nachtlied)
島原の子守唄

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毎年意欲的なプログラムを組む内藤明美と平島誠也による今年のコンサートはアイヒェンドルフの詩による作品集だった。
前半は生誕200年のシューマン作曲の有名な「リーダークライス」、そして後半は多くのアイヒェンドルフ歌曲を作ったオトマール・シェックによる歌曲から12曲が歌われた。

シューマンの「リーダークライス」ではアイヒェンドルフの常套句にあふれたテキストが多い。
故郷、雲、森の孤独、夜、空、風、梢、星、月、ナイチンゲール・・・。
解説の山崎裕視氏が的確に述べておられるように「さまざまな光景は詩の中では、どことも知れぬ場所、いつとも知れぬ時として現れてくる。その不分明さは、読む人にかえって自己の中に抱える原風景を思い起こさせる」。
つまり、ドイツの風景として描かれながら、ドイツに限定されない誰もが抱く自然のイメージが喚起されるのである。
それゆえに、この作品はシューマンの代表的な歌曲の一つとして普遍的な魅力を放っているのであろう。

シェックの歌曲は清冽な抒情性と濃密さを合わせもったような作風が印象的だ。
決して声高でなく、また前衛的な要素を取り入れたものでもなく、一見地味だが、過去の伝統に連なった作風は、詩に傾斜しがちだったヴォルフから再び音楽とのバランスを回復してみせたかのようだ。

内藤明美は今夜も作品のイメージを反映したかのような美しいドレスを前後半で変えて登場した。
そしてメゾソプラノの深みをもって聴く「リーダークライス」もまた格別だった。
普段ソプラノやテノールで聴き慣れたこれらの作品が、内藤の深みのある声と表現によって一層自然の神秘感や詩人の内面を際立たせていたように感じられた。
「静けさ」では愛らしく、「月の夜」では翼を羽ばたかせるかのような広がりをもって、「悲しみ」では内に秘めた悲しみをそっと滲ませて、「春の夜」では解放感を押し出して、各曲の魅力を描き出していた。
後半のシェックは内藤が力を入れている作曲家の一人。
アイヒェンドルフの詩という共通項でくくりながら、シェックの様々な時期の作品を作品番号ごとにまとめて歌った。
彼女の歌はいつもながら素直に作品の中に入って、そっと魅力を引き出すという歌唱。
最後の「追悼」では簡素だが印象的なメロディーに温かく寄り添って、シェックの慎ましやかな魅力を伝えてくれた。

平島誠也は、かなり低く移調された「リーダークライス」でも、響きの明晰さを失わないように演奏していたのはさすがだった。
テンポを揺らすこと以上に、音色やダイナミクスによってシューマンの響きを追求していたように感じられた。
シェックの歌曲でもその透徹した音色を魅力的に響かせていた。
アンコールのメンデルスゾーン「夜の歌」では、内藤さんの歌が最後に盛り上がるところで平島さんは一緒になって和音を大音量で叩くことはせず、その後に歌が落ち着いてからようやくピアノで歌ってみせ、前へ出たり引っ込んだりの的確さがいつもながら絶妙だった。

アンコールの1曲目では、ピアニストとして著名だったフリードリヒ・グルダによる珍しいアイヒェンドルフ歌曲が聴けたのが良かった。
ピアノの分散和音が印象的な、ほの暗い作品であった。

Naito_hirashima_20101108_chirashi

アンコール最後の「島原の子守唄」はもう彼女の十八番といってよいもので、ドイツリートの時とは全く別人のように濃密な情念を吐き出す。
今回もまた胸をえぐられるような絶唱だった。

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北村さおり&平島誠也/リサイタル(2010年6月5日 王子ホール)

北村さおりソプラノリサイタル「小さき花の詩 vol.2」

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2010年6月5日(土)14:00 王子ホール(全自由席)

北村さおり(Saori Kitamura)(S)
平島誠也(Seiya Hirashima)(P)

シューベルト(Schubert: 1797-1828)
花の言葉(Die Blumensprache) D519
花の便り(Der Blumenblief) D622
薔薇のリボン(Das Rosenband) D280
すみれ(Viola) D786

リスト(Liszt: 1811-1886)
喜びに満ち、悲しみにあふれ(Freudvoll und leidvoll)
僕の歌には毒がある(Vergiftet meine Lieder)
それはきっとすばらしいこと(Es muss ein Wunderbares sein)
ローレライ(Die Lorelei)

~休憩~

シューマン(Schumann: 1810-1856)
歌曲集「ミルテの花」(Myrten Op.25)より
くるみの木(Der Nussbaum)
はすの花(Die Lotosblume)
ズライカの歌(Lied der Suleika)
お前は花のようだ(Du bist wie eine Blume)
ヘブライの歌から(Aus den hebräischen Gesängen)

マルクス(Marx: 1882-1964)
愛がお前に触れたなら(Hat dich die Liebe berührt) 
捨てられた女(Der Verlassene)
ベネチアの子守唄(Venetianisches Wiegenlied)
君が届けし薔薇の花束(Und gestern hat er mir Rosen gebracht)
マリアの歌(Marienlied)
ノクターン(Nocturne)

~アンコール~
マルクス(Marx)/幸福な夜(Selige Nacht)
R.シュトラウス(R.Strauss)/薔薇のリボン(Das Rosenband)

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土曜日の午後、ドイツリートを楽しむのにうってつけのコンサートに出かけてきた。
ソプラノの北村さおりと名手平島誠也による「小さき花の詩 vol.2」というリサイタルである。
平島さんのサイトで知ったコンサートだったが、なかなかステージで聴けないヨーゼフ・マルクスの歌曲がプログラミングされていたのにまず興味を感じた。
しかし、今回のプログラムで最も楽しみだったのはシューベルトの「すみれ」(ショーバー詩)という10分以上かかる歌曲である。
シューベルトは初期にはバラーデという物語の展開を音楽で描写する作品を随分残しているが、それらはあくまでストーリー展開ゆえに長大にならざるを得ない類のものだった。
今回披露されたシューベルトの「すみれ」も詩の長さに比例して長大だが、ストーリー性はあるものの、抒情的な要素の勝った「リート」という印象が強い。
そしてその詩がまた“泣ける”のである。

マツユキソウ(Schneeglöcklein)が春の到来を告げる音を響かせる。
その音に最初に目覚めたスミレ(Viola)は、「春」という花婿との祝宴に参加しようと胸ときめかせて着飾り、その場に急ぎ向かう。
しかし、向かった先にはまだ誰ひとりいなかった。
スミレは呼ばれていないと感じ、恥ずかしさのあまり、草陰の人けのない場所を探して傷心に泣きじゃくる。
その後、マツユキソウの響きに目覚めた花々が続々と春の祝宴に集まる。
しかし、その場に最愛の子がいないのに気付いた春は、花々に探しに行かせた。
皆がスミレのもとにやってきたとき、スミレは愛と憧れの苦しみに押しつぶされていた。
マツユキソウよ、スミレが安らかに憩えるように鈴を鳴らしておくれ。

F=ディースカウはその著書の中で「植物学の講義に似て、はからずも喜劇的な感じを与える」とつれない評価を下し、アルフレッド・アインシュタインは「詩の選択を誤った」としながらも、「心を奪うような詩趣(ポエジー)のあまたの傾向が見いだされる」と限定的には評価する。
しかし、グレアム・ジョンスンによる「初期のすべてのバラードの試作の果てに実を結んだすばらしい作品のひとつ」という高評価に私は最も相槌を打つのである。
シューベルトがこの詩に心から共感して作曲したであろうと私は信じている。
ショーバーの詩が「喜劇的」かどうか私には分からないが、その詩の内容に私は切なくなり、シューベルトの音楽の共感に満ちた解釈に心の中で涙を流すのだ。

北村さおりはリリックな美声の持ち主。
どの音域もよく練れていて、会場いっぱいに満たす声のヴォリュームと強靭さも合わせもっている。
これから頭角をあらわしていくことを予感させる。
また、歌う時の顔の表情の豊かさは視覚的にも惹きつけられる。
前半の純白のドレス、後半の鮮やかな赤い衣装も目を楽しませてくれた。
彼女の歌は現在のよく伸びる美声を最大限に生かし、素直に曲の世界を表現することにその良さが感じられる。
「花の言葉」「花の便り」「薔薇のリボン」といったシューベルトのミニアチュールを伸びやかに屈託なく表現したのは、彼女の美質が生かされる選曲の良さも手伝っているだろう。
一方、「すみれ」の切なさも彼女は慈しむような共感をもって演じきり、曲の魅力を素敵に表現していた。
また、声を張ると美しいだけでない独自のコクが生まれ、それがリストの「喜びに満ち、悲しみにあふれ」で素晴らしい効果をあげていた。
リストの歌曲の独自の肌触りは録音で聴くよりもこうしてライヴで聴くと一層はっきり感じられる。
緊張と甘美が同居したような独特の世界。
その独自性に寄り添って素直に描き出した北村さんの挑戦に拍手を贈りたい。
シューマンの愛の歌の数々は今の彼女の良さがそのまま生きていたし、最後のヨーゼフ・マルクスの作品も後期ロマン派の官能的だが耳に馴染みやすい旋律の魅力を丁寧に引き出していたと感じた。

平島誠也のピアノはつい最近も聴いたばかりだが、これだけ異なるタイプの作品にそれぞれ対応する力にはあらためて驚かされる。
歌曲のピアニストはソリストのように自分の弾きたい作品を弾けるわけではない。
歌手の選ぶ膨大なレパートリーを何でも弾けるオールマイティさが求められると思われるが、言葉で言うより大変なことに違いない。
シューベルトの素朴だがデリケートな音楽、リストの時に強靭で時に甘美な主張の強い音楽、シューマンのロマンティックで自意識の強い音楽、マルクスの濃密な音楽。
それぞれの作曲家の持ち味を把握し、表現する平島さんの中には、あたかも4人の異なるピアニストがいるかのようである。
特にリストの自己主張の強さを絶妙のバランスをとりながら表現しているのを聴いて、あらためてその凄さを実感した。
しかし、その音色の美しさ、のめりこみすぎないテンポの快適さ(師匠ゲイジとは対照的?)、そして歌手と共にピアノで歌うという姿勢はいつもながら一貫して感じられた。
いい音楽を聴いたと思わせてくれる、やはり得がたいピアニストである。

なお、今回も配布パンフレットに平島氏の文章が寄せられていて、師弟関係を遡って、平島氏が過去の大作曲家たちとつながっていく様がなんとも興味深い。
中でエリック・ウェルバとアーウィン・ゲイジの師弟関係を例に出して「師弟関係と芸風がさほど密接だとは思えない」という文章は、平島さんとゲイジとの関係にもあてはまるように思えるが、きっとどこかに密接な部分もあるのだろう。
それをいつかコンサートの中で聞き取ってみようと思う。

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田中美好&平島誠也/リサイタル(2010年4月24日 津田ホール)

田中美好 ソプラノリサイタル

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2010年4月24日(土) 14:00 津田ホール(全自由席)

田中美好(Miyoshi Tanaka)(ソプラノ)
平島誠也(Seiya Hirashima)(ピアノ)

デュパルク(Duparc)/悲しき歌(希望)(Chanson triste)
デュパルク/ため息(Soupir)
デュパルク/旅への誘い(L'invitation au voyage)

メシアン(Messiaen)/ヴォカリーゼ(Vocalise-Étude)
フォーレ(Fauré)/ヴォカリーゼ(Vocalise-Étude)
ラヴェル(Ravel)/ヴォカリーゼ(Vocalise-Étude en forme de habanera)

フランク(Franck)/リード(Lied)
フランク/バラの結婚(Le Mariage des roses)
フランク/行列賛歌(La procession)
フランク/ノクターン(夜曲)(Nocturne)

~休憩~

シューマン(Schumann)/ニコラウス・レーナウによる6つの詩とレクイエム Op.90
 1.鍛冶屋の歌
 2.わがバラ
 3.訪れと別れ
 4.羊飼いの娘
 5.孤独
 6.暗うつな宵
 7.レクイエム

シュトラウス(Strauss)/いつも同じOp.69-3
シュトラウス/わが思いのすべてOp.21-1
シュトラウス/悪い天気(あらしの日)Op.69-5
シュトラウス/子守歌Op.69-5
シュトラウス/私の父は言いましたOp.36-3

~アンコール~
グノー(Gounod)/アヴェ・マリア(Ave Maria)
プーランク(Poulenc)/即興曲第12番『シューベルトを讃えて』(ピアノ・ソロ)
プーランク/即興曲第15番『エディット・ピアフを讃えて』(ピアノ・ソロ)

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ソプラノの田中美好とピアニストの平島誠也による歌曲リサイタルを千駄ヶ谷で聴いてきた。

前半がデュパルクとフランクの歌曲群、その間にメシアン、フォーレ、ラヴェルによるヴォカリーゼ(歌詞のない歌)が挟み込まれている。
後半はシューマン、R.シュトラウスといったドイツ歌曲の王道の人たちによる名作が並んだ。

デュパルクの3曲はいずれもよく知られた名作ばかり。
あらためて彼の歌曲の素晴らしさを実感させられた。
ヴォカリーゼを3人のフランスの大作曲家たちで聴き比べると、それぞれの個性が垣間見られて面白い。
メシアンのヴォカリーゼやフランクの歌曲群は私には馴染みの薄いものだったが、とりわけフランクの「リード」「バラの結婚」は素朴だが心にひっかかる魅力をもった小品で、気に入った。
フランクの「ノクターン」は知っている曲だったが、あらためて生で聴くとしみじみとした味わいにうっとりさせられる。

後半のはじめに歌われたシューマンの7曲は、後期のシューマンを代表する名作で、こうしてまとめて歌われると単なる出版上の寄せ集めではなく、1つの流れを作っているように感じられた。
中では「わがバラ」や「羊飼いの娘」がよく歌われるが、「孤独」から「レクイエム」に到る沈潜した気分から救いを求めるまでの感情の流れが強く胸に響いてくる。
また「鍛冶屋の歌」の簡潔だが要を得た民謡調の歌はシューマンのある一面を凝縮したような素敵な作品である。

最後のシュトラウスのグループはいずれもお馴染みの作品ばかり。
歌手にとって気持ち良さそうに旋律が解放され、ピアノはテクニックを思う存分発揮する。
職人技の粋を聴く思いだった。

はじめて聴く田中さんは可憐で愛らしいリリカルな声質をもっていた。
前半は黒いドレス、後半は真っ白なドレスに衣裳替えして、フランス物とドイツ物の世界観の違いを視覚的にも印象付けた。
ベテランの歌手だが、1曲1曲に込める思いの強さは強く伝わってきて、それだけに思ったように歌えない曲の後は悔しそうな表情すら浮かべていたように感じられた。
アンコールの時にご本人が話されたところでは昨今の寒暖の差の大きい気候のせいか体調が万全ではないとのこと。
確かに最初のデュパルクでは声が伸びず、苦戦していた印象を受けた。
しかしセザール・フランクの歌曲群に入ってから声が温まってきた感じで、後半のリヒャルト・シュトラウスではすっかり伸びやかな声と表現を取り戻していた。
彼女自身、前半のフランス物以上に後半のドイツ物の方により自在さが感じられ、魅力的な歌を聴かせてくれた。

田中さんは声を張ると非常に豊かな響きで聴き手を魅了する。
とりわけ高音で朗々と聴かせる場面が多々あった。
その一方で高音歌手の宿命か、低声域は若干余裕のないことがあったように感じられたが、これは仕方ないのだろう。
歌曲の歌唱では年齢を経ることによって深まる要素が大きいので、若い頃とは違った魅力を感じることも多い。
その点、確かに彼女の歌声には、表情の豊かさにおいて若手には到底及ばない味わいがあった。

平島さんのピアノはこれまで何度か聴いてきたが、フランス歌曲の演奏を聴いたのは私にとって今回がはじめてであった。
どちらかというとデュパルクもフランクも、フランス・メロディからイメージされる色彩感豊かな響きよりも、純粋でストレートな魅力が勝っている作品が多いように思われる。
そういう意味で、平島さんのピアノもいつも通り気負いもなく、一見クールに弾き進める。
しかし、歌手の対旋律を奏でる箇所では豊かな響きでデュエットのようにピアノで歌ってみせるし、開け放たれたピアノの蓋による音量の豊かさもしっかりコントロールされていた。
あらためて得がたい名手であることを実感し、その妙技を満喫した。

アンコールの最初は、バッハの有名な「プレリュード」をピアノパートに流用したグノーの「アヴェ・マリア」が演奏されたが、田中さんによると「悲しいことの多い社会がよくなるように」との思いを込めて歌いたいとのこと。
確かに彼女の歌は祈りのように清らかだった。

今日はピアニストの平島さんの誕生日とのことで、アンコールでめったに聴けない平島さんのソロが披露された。
プーランクの即興曲から2曲続けて演奏されたが、最初の『シューベルトを讃えて』ではシューベルトのワルツを思わせる曲風で軽快に奏でられる。
一方、『エディット・ピアフを讃えて』では、シャンソン風のメロウなメロディーを織り込みながらもプーランクらしい音の選択が感じられる。
平島さんはテクニックがしっかりしているうえに、歌曲演奏者に不可欠の歌うようなタッチを完全に手中にしている為、とても美しい演奏を聴かせてくれた。
いつか、このような珍しい小品ばかりを集めて、ソロ・リサイタルを開いてほしいほどである。

今回配布されたパンフレットに平島さんによる「ヴォカリーゼ」小論が掲載されて興味深かったのだが、最も有名なヴォカリーゼの例としてさだまさしの「北の国から」を挙げていたのはいかにもドラマ通の平島さんらしくて面白かった。

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内藤明美&平島誠也/メゾソプラノリサイタル(2009年11月6日 東京オペラシティ リサイタルホール)

内藤明美 メゾソプラノリサイタル
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~メンデルスゾーン生誕200年に因んで~
メンデルスゾーンとドレーゼケの歌曲

2009年11月6日(金) 19:00 東京オペラシティー リサイタルホール(自由席)

内藤明美(Akemi Naito)(MS)
平島誠也(Seiya Hirashima)(P)

メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy: 1809-1847)作曲

月op.86-5
ふたつの心が離れる時op.99-5
問いop.9-1
最初の喪失op.99-1
恋する女の手紙op.86-3
ズライカop.34-3
ズライカop.57-3

花束op.47-5
あいさつop.19-5
思い出(Erinnerung)(1841)(詩:Heine)
君のもとに飛んで行けたら(O könnt' ich zu dir fliegen)(1840)(詩:Schenkendorf)
民謡(Volkslied)(1845?)(詩:Burns)
葦の歌op.71-4
夜の歌op.71-6

~休憩~

ドレーゼケ(Felix Draeseke: 1835-1913)作曲

捨てられた娘op.2-11
夕暮れの輪舞op.17-1
アグネスop.81-2
君は翳らぬ日の光op.67-2

「風景画集」op.20(中声のための六つの歌曲)
 小舟
 おまえの息吹の香を
 私はただ人生について考えた
 夜の慰め
 ローマの夜
 ヴェネツィア

~アンコール~
1.メンデルスゾーン/歌の翼にop.34-2
2、リスト(Franz Liszt)/それは素晴らしいことにちがいない(Es muss ein Wunderbares sein)S.314
3.島原の子守唄

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内藤明美&平島誠也によるリサイタルは毎年地道に続けられ、その意欲的なプログラミングと聴き手を魅了する演奏は毎回貴重な体験をさせてくれる。
今回のリサイタルでは生誕200年ながらなかなかまとまった歌曲のレパートリーとして聴くことの出来なかったメンデルスゾーンと、彼の名前にあやかって同じくフェリックスという名前の付けられたドレーゼケという作曲家の歌曲が披露された。
私はメンデルスゾーン歌曲が大好きなのだが、実演で聴ける機会が殆どないので、今回のリサイタルはおおいに期待して出かけてきた。

内藤さんは前半は金色のシックなドレス、後半は鮮やかなブルーのドレスで、それぞれ髪型も変えて魅せてくれた。

メンデルスゾーンの歌曲というと「歌の翼に」「新しい恋」「あいさつ」あたりが定番で、そのほかに数種類ある「春の歌」や「月」「ヴェネツィアのゴンドラの歌」などが歌われることが多いが、今回の内藤さんのレパートリーはそれらの有名曲はあまりとりあげず、作品番号のついていない非常に珍しい3曲(そのうちの1曲「思い出」はシューマンの「寂しさの涙は何を望むのか」Op.25-21と同じハイネの詩による)も含めて、意欲的な選曲をしているのが目を引く。
次々披露されるメンデルスゾーンの歌曲を聴きながら、これほど魅力的な作品を彼女のような優れた歌唱で聴ける幸せを感じる一方で、なかなか彼の歌曲が普及しないのは案外聴衆を惹きつけるような演奏をするのは歌手たちにとって難しいのかもしれないと感じた。

はじめて聴くドレーゼケの歌曲の中では、最初に演奏された「捨てられた娘」がかなりドラマを感じさせる作品で印象に残った。
同じ詩によるヴォルフの歌曲以上に革新的といってもいいぐらいである。
一方で同じくヴォルフの曲がある「アグネス」では、詩の悲壮感よりも民謡の味わいを前面に出して、ヴォルフとは対照的な解釈をしていたのが興味深かった。
「風景画集」という歌曲集はウーラントら様々な詩人のテキストによる、諸国を旅しているかのような情景描写が歌われている。
そのテキストの性格上、いくらでも手の込んだ描写的な音楽にもなりそうなものだが、ドレーゼケはそのようには作曲しなかったように感じた。
カラーの美麗なパンフレットで充実した解説を執筆されている山崎裕視氏の言葉を借りれば「古典的とも言える様式性と落ち着き」ということになるだろう。

内藤さんは最初のうちこそ若干固く感じられたが、徐々に本来の響きを聞かせてくれたと思う。
内藤さんの深さと官能性を併せ持った声はどちらかというとメンデルスゾーンの清潔で軽快な歌曲とは対照的な印象を持っていたが、実際に聴いていくうちにいつのまにか彼女の世界に引き込まれていくのを感じた。
「最初の喪失」や2曲の「ズライカ」など、シューベルトの歌曲との比較も楽しい。
「ズライカ」についてはシューベルトの曲に劣らず魅力的な作品だと思うがいかがだろうか。
詩人レーナウの憂愁をそのまま音に移し変えたかのような「葦の歌」では、彼女の深みのある声が最大限に生きて、平島さんのピアノともども素晴らしい演奏だった。
アイヒェンドルフの詩による「夜の歌」ではボリューム感のある声でクライマックスを築き、ストレートに胸に迫ってくる名唱だった。
ドレーゼケのはじめて聴く歌曲の数々も決して近寄りがたいものとならず、接しやすい雰囲気で歌ってくれたのは彼女ならではといえるかもしれない。

平島さんのピアノはいつものことながら周到に細部まで目配りの行き届いた演奏。
ピアノの蓋は一番短いスティックでわずかに開けられているに過ぎないが、どの音もつぶすことなく美しく響かせる。
そして各曲の終わりの音をたっぷり伸ばして最後まで曲の雰囲気を大切にしていた。
その作品に対するデリカシーに溢れた感性は、外来のピアニストたちにも見習ってもらいたいほどである。

アンコールの最初で有名な「歌の翼に」が流麗に演奏され、温かい雰囲気に包まれたが、2曲目の作曲家のリストはドレーゼケと深い交流があったようだ。
最後は演奏者お2人の故郷、長崎の歌、辛い境遇に巻き込まれた女性たちを歌った悲しい子守歌だが、内藤さんは独特の節回しを情感豊かに表現し、平島さんは楽譜なしで深い共感をもって演奏していた。

次回はどんなプログラムを聴かせてくれるのか、今から楽しみである。

Naito_hirashima_20091106_chirashi

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