ジャーノット&シュマルツ/リサイタル(6月6日紀尾井ホール)

コンラッド・ジャーノット バリトン・リサイタル
2008年6月6日(金)19:00 紀尾井ホール
 
バリトン:コンラッド・ジャーノット(Konrad Jarnot)
ピアノ:アレクサンダー・シュマルツ(Alexander Schmalcz)

Jarnot_schmalcz_2008_pamphletベートーヴェン/連作歌曲《遙かなる恋人に寄す》Op. 98(丘の上に腰をおろし/灰色の霧の中から/天空を行く軽い帆船よ/天空を行くあの雲も/五月は戻り、野に花咲き/愛する人よ、あなたのために)

シューベルト/白鳥の歌 D957~ハイネの詩による6つの歌曲(アトラス/彼女のおもかげ/漁夫の娘/まち/海辺にて/影法師)

 ~休憩~

シューマン/詩人の恋 Op. 48(うるわしい、妙なる五月に/ぼくの涙はあふれ出て/ばらや、百合や、鳩/ぼくがきみの瞳を見つめると/ぼくの心をひそめてみたい/ラインの聖なる流れの/ぼくは恨みはしない/花が、小さな花がわかってくれるなら/あれはフルートとヴァイオリンのひびきだ/かつて愛する人のうたってくれた/ある若ものが娘に恋をした/まばゆく明るい夏の朝に/ぼくは夢のなかで泣きぬれた/夜ごとにぼくは君を夢に見る/むかしむかしの童話の国から/むかしの、いまわしい歌草を)

アンコール
 1.シューマン/あなたは花のようだ Op. 25-24
 2.ブラームス/五月の夜 Op. 43-2
 3.R.シュトラウス/献身 Op. 10-1
 4.R.シュトラウス/ツェツィーリエ Op. 27-2
 5.シューマン/ひそかな涙 Op. 35-10
 6.シューマン/はすの花 Op. 25-7

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コンラッド・ジャーノットは1972年イギリスのBrighton生まれで現在はドイツに住んでいる。
ロンドンのギルドホール音楽演劇学校(Guildhall School of Music and Drama, London)でRudolf Piernayに師事、レナータ・スコットやブリギッテ・ファスベンダーのマスタークラスに参加し、1998年以降は定期的にF=ディースカウのレッスンも受けている。
2006年5月のラ・フォル・ジュルネでモーツァルトの「レクイエム」を歌うために初来日していたそうだが、リサイタルは今回がはじめてとのこと。
すでにいくつかのCDを通じてその歌唱に触れていたが、そのレパートリーが一風変わっていて、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」やラヴェルの「シェエラザード」、ヴァーグナーの「ヴェーゼンドンクの5つの詩」のような、これまで女声専門といってもいい曲をいずれもピアノ版で録音している。
だが、「4つの最後の歌」などは歌詞の内容からすれば男声が歌っても全くおかしくない(というより詩人が男性なので、むしろ男性が歌っていなかったのが不思議なくらいだ)ので、これを機にほかの男声歌手も進出するかもしれない(とはいえ高音での息の長いフレーズはバリトンよりはテノールの方が歌いやすそうだが)。
今やバリトンのゲルネが「女の愛と生涯」を歌う時代、男女のレパートリーの垣根は徐々に取り払われていくのだろう。
そういえばジャーノットもレッスンを受けたというメゾソプラノのファスベンダーは、「冬の旅」「詩人の恋」やシューベルトの「竪琴弾きの歌」などに果敢に取り組んでいたものだった。

紀尾井ホールで開かれたリサイタルは、最近頻繁に来日しているアレクサンダー・シュマルツとの共演で、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンの有名な作品が披露された。
比較的多くのソロ録音をすでに残しているジャーノットだが、今回のレパートリーはまだ録音がリリースされていないので、これらのスタンダードナンバーをどのように聴かせてくれるのか楽しみだった。
実際に聴いた彼の声はバリトンといってもゲルネのような重みのある声質ではなく、むしろゲアハーヘルのようなハイバリトンで、ゲアハーヘルよりさらに高い印象だった。
高音は響きがこなれていて、耳障りになることがなく充実している。
一方、低声も悪くはないのだが若干弱いところもあるようで、シューベルトの「まち」の中間部の低声は不安定さが感じられた。
それから、一聴してすぐに感じたのがドイツ語の見事なまでの美しさ。
彼の生まれがイギリスだと知らずに聴いたら、間違いなくドイツ人だと思っただろう。
イギリス人の多くから感じられる外国人の発音するドイツ語という印象が皆無であるだけでもすごいが、その発音の美しさはドイツ人が歌ってもなかなか感じられないほどではないか。
若干子音(特に語尾)を強調気味に歌っていたのが特徴的だったが、自然な舞台発音だったと思う。

彼はいい意味でF=ディースカウの影響をはっきり打ち出している歌手のように感じた。
これまで聴いた何人ものディースカウ門下の中でも解釈や声質など、最も近いものを感じた。
だが、単なるコピーというのではなく、きっちり充実した音楽として聴かせていたので、全く二番煎じといった感じはしない。
言葉を大事にしつつも、音楽の流れが途切れることもない。
「遙かなる恋人に寄す」は丁寧な表現が印象的で、「白鳥の歌」ではハイネ歌曲の深く、切り詰めた音を真正面からとらえて劇的な表現力を聴かせていた。
「詩人の恋」は言葉を大切にした歌唱で作品の魅力を素晴らしく再現していた。
「ぼくは恨みはしない」の最高音も余裕をもって響かせており、それが技術的なレベルを超えた表現力に裏付けられていた。

シュマルツはこれまでに聴いた印象と特に大きく変わることはない。
相変わらず美しいタッチで作品を完璧に手中におさめていたし、恣意的なところが一切なく、自然な流れを貫いていたのも気持ちよかった。
とりわけ「影法師」での畳み掛けるような長い和音の連続は、音の重みや色合いを曲の展開に応じて反映させていてとても素晴らしかった。
一方、いつもながら歌手の声を消さない音量上の気配りも常に感じられたが、それが「アトラス」のような激しさを特徴とする作品には物足りなさを感じさせる結果になり、そこまで控えめにならなくてもという瞬間が少なからずあったのが惜しいところだ。
「詩人の恋」もシューマン特有のアンニュイな雰囲気はあまり感じられず、健全で素直なシューマンといった感じだった。
だが、曲と曲をつなぐ間の素晴らしさは特筆すべきだろう。
プログラムの解説によると、2007年はエヴァ・メイ、ゲルネ、グレイス・バンブリーと3回も来日したのだとか。
引く手あまたの注目株のますますの精進を期待したい。

8時半ごろには正規のプログラムが終わってしまったが、その後6曲もアンコールを演奏してくれた。
どれも見事な演奏だったが、有名なわりに実演で聴く機会の少ないブラームスの「五月の夜」を歌ってくれたのが個人的にはうれしかった。
心のこもったいい演奏だった。
シューマンの「ひそかな涙」ではジャーノットの張りのあるのびやかな高音が会場内を満たした。

なお、NHKのテレビカメラが会場内の数箇所に設置されていて、プログラムにも「テレビ収録がございます」との注意書きがあったので、いずれ放映されると思う。
私はBSを入れていないので、教育テレビでも放送してくれるといいのだが。

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ゲルネ&シュマルツ/シューベルト「白鳥の歌」

祝日の9月24日(月)、マティアス・ゲルネ(BR)とアレクサンダー・シュマルツ(P)によるシューベルトの歌曲集「白鳥の歌」ほかのリサイタルを聴きに行った。

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2007年9月24日(月)16時開演
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(BR)
アレクサンダー・シュマルツ(Alexander Schmalcz)(P)

ベートーヴェン/連作歌曲「遥かなる恋人に」Op. 98

シューベルト/歌曲集「白鳥の歌」D957
 愛の便り
 戦士の予感
 春の憧れ(1、2、5番のみ)
 セレナーデ
 我が宿
 秋D945
 遠い地で
 別れ(1、2、3、6番のみ)

~休憩~

 アトラス
 彼女の絵姿
 漁師の娘
 街
 海辺にて
 影法師

(アンコール)
シューベルト/鳩の便りD965A
ベートーヴェン/希望に寄せてOp. 94
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今回はシューベルトの三大歌曲集を三夜にわたって演奏するというプログラムが組まれ、その最終日を聴くことが出来た。同じシューベルトの歌曲集でも連作歌曲集の「美しい水車屋の娘」や「冬の旅」と違い、「白鳥の歌」はシューベルト晩年の歌曲を出版業者のハスリンガーがまとめて出版したものでシューベルトの意図というわけではない。ただ、前半のレルシュタープ歌曲と後半のハイネ歌曲はそれぞれまとめて出版するつもりだったのかもしれないという説もあり、筋の連続性はないものの全くの寄せ集めと言い切ることも出来ない。

「愛の便り」では流麗に小川への言伝を響かせ、
「戦士の予感」では緊張をはらんだバラードで夜中の戦士の心の動きを静から動へ変化させ、
「春への憧れ」では高速の中で春と恋人に対する憧れを爆発させ、
著名な「セレナーデ」ではギターのつまびき風の演奏の上で甘美に愛を歌い、
続く「我が宿」ではごつごつした岩山を思わせる響きで苦悩を激しく歌い上げ、
その後にハスリンガーの出版時には含まれていない「秋」(同じレルシュタープの詩)を続け、寂しげに吹き渡る風のようなピアノのトレモロの上で秋を人生になぞらえて有節形式で歌う。
「遠い地で」は執拗な詩の脚韻を強調した歌で静と動の幅広い表現を聴かせ、
レルシュタープ歌曲最後の「別れ」では一転してリズミカルな音楽で軽快に馴染みの町や人からの別れを歌うが、明るさの中に別れの未練のような響きも滲ませるあたりがいかにもシューベルトらしい素晴らしさだ。

後半のハイネ歌曲はシューベルトの踏み込んだ新しい響きに満たされている。
世の不幸を背負ったような自分をなぞらえた「アトラス」での重厚な激情で始まり、
「彼女の絵姿」では夢にあらわれた過去の恋人への思いを必要最低限の切り詰めた音で表現し、
「漁師の娘」では一見叙情的な響きを装って、女性を軟派する男の下心を装飾音や音の跳ね上げで表現し、
「街」では印象派を先取りしたかのようと形容されるピアノの分散和音が潮風や波のきらめきを思わせ、
「海辺にて」はまたもや切り詰めた音で浜辺の描写と主人公の心理描写をリンクさせ、
ハイネ歌曲最後の「影法師」では失った恋人の家を見に行くとそこに自らのドッペルゲンガーを見るという緊張した響きの積み重ねられた、心の深淵を覗き込んだような歌で締めくくられる。

ハスリンガーの出版した「白鳥の歌」では、この後にザイドルの詩によるシューベルト最後の歌曲「鳩の便り(Die Taubenpost)」が置かれて締めくくられるのだが、あまりにハイネ歌曲と色合いが異なるため、あえて省略する演奏家もいて、ゲルネたちのプログラムでも「影法師」で終わっていたので残念に思っていたら、アンコールで歌ってくれた。私の最も好きなシューベルト歌曲の一つで、忠実なる伝書鳩にことよせて、恋人への「憧れ」を歌うが、そのたゆたうような響きで優美だがどこか切ない感じがいつ聴いても素敵なのだ。

ドイツ、ヴァイマル出身のゲルネはシュヴァルツコプフやF=ディースカウの薫陶を受けたことで知られ、現役のバリトン歌手の中でもとりわけリートに力を入れている歌手である。
私が彼の実演を聴くのは確かこれで2回目だと思うが、ますます表現は安定し、声は低音から高音までどこをとってもまろやかでふくよかに包み込むような感じだ。その音程の確かさはF=ディースカウ以上と言えるかもしれない(F=ディースカウは音程の不確かな箇所を語りの説得力で補っている場合もあったように思う)。発音は美しいし、高音でも荒くならない。そういう安定感がもっと若い頃には若干単調さを感じさせることもあったが、今回の演奏ではものの見事に聴かせる芸となっていた。
「白鳥の歌」はストーリー性がない分、各曲が完結した世界をもっている。それをつなぐのは並大抵のことではないだろう。その幅の広い歌曲の流れを全く違和感なく最後まで聴かせたのは彼の精進の証であろう。F=ディースカウのような語りの巧みさよりも、もっとシューベルトの音楽に素直に寄り添っていて、いい意味で現代風の演奏と言えるのかもしれない。彼はボストリッジほどではないが、比較的歌う時に体を動かしていた。それがそれほど視覚の妨げにならなかったので演奏に集中することができた。

「白鳥の歌」の前に演奏されたベートーヴェンの連作歌曲集「遥かなる恋人に」では、若さと安定感が共存した旬の理想的な歌唱を披露していたと思う。

アレクサンダー・シュマルツもゲルネ同様ヴァイマル出身のピアニストで、彼の実演を聴くのはシュライアーの引退公演の2夜に続き3度目である。今や多くの歌手たちから引っ張りだことなった彼の演奏はますます磨かれ、音の響きの安定感が感じられた。ピアノの蓋は全開にもかかわらず、決してうるさくならず、そのコントロールの感覚は相当非凡なものがあると思った。特に「街」の急速な分散和音など見事に制御された響きで印象に残った。だが、一方「アトラス」や「影法師」ではもっと前面に鋭く響かせることでより心に訴えてくる筈で、歌手とバランスをとりつつ、出るところではいかに主張するかが課題ではないだろうか。

今回はパンフレットに歌詞は掲載されず、舞台の左右に字幕スーパーが出ていた。1階最後列の右端で聴いていた私には若干字が小さく見にくい時もあったが、視線を舞台とパンフレットの間で忙しく動かす必要がないという意味では有難かった(資料としてパンフレットにも掲載されていればさらに良かったと思うが)。

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