マティアス・ゲルネ&アレクサンダー・シュマルツ/シューベルト三大歌曲連続演奏会【第2夜&第3夜】(2014年5月14日&15日 紀尾井ホール)

マティアス・ゲルネ シューベルト三大歌曲連続演奏会

2014年5月14日(水)19:00 紀尾井ホール【第2夜】
2014年5月15日(木)19:00 紀尾井ホール【第3夜】

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(バリトン)
アレクサンダー・シュマルツ(Alexander Schmalcz)(ピアノ)

●2014年5月14日(水)

シューベルト/歌曲集「冬の旅」D.911
 おやすみ
 風見
 凍った涙
 氷結
 ぼだい樹
 雪どけの水流
 凍った河で
 かえりみ
 鬼火
 休息
 春の夢
 孤独
 郵便馬車
 霜おく頭
 からす
 最後の希望
 村で
 あらしの朝
 まぼろし
 道しるべ
 宿
 勇気
 幻の太陽
 辻音楽師

●2014年5月15日(木)

ベートーヴェン/歌曲集「遙かなる恋人に寄す」Op.98
 ぼくはこの丘辺に座って
 白くかすむ霧のはるか上に
 空高く帆をかけてゆく雲よ
 空高く流れゆく雲
 五月がまためぐってきて
 この歌を受けてほしい

シューベルト/歌曲集「白鳥の歌」D.957
 愛の使い
 戦士の予感
 春の憧れ(1,2,5番のみ)
 セレナーデ
 すみか
 秋D.945
 遠い地で
 別れ(1,2,3,6番のみ)

〜休憩〜

 アトラス
 彼女の肖像
 漁師の娘
 都会
 海辺で
 影法師

〜アンコール〜
シューベルト/歌曲集「白鳥の歌」D.957より第14曲「鳩の使い」

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バリトンのマティアス・ゲルネがピアニストのアレクサンダー・シュマルツと共にシューベルトの三大歌曲集を三日連続で演奏するという演奏会の2日目と3日目を聴いた。
本当は第1日目の「美しき水車小屋の娘」も聴ければよかったのだが、「冬の旅」と「白鳥の歌」を聴けただけでも満足すべきだろう。
途中で声を休める日を置かずに連続で歌うというのは声への負担が大きいように思ったが、ゲルネの声は2日目も3日目も崩れることなく快調であり、声のケアは万全なのだろう。

「冬の旅」ではゲルネが声、表現ともに現在絶頂期にあり、ピアノのシュマルツの音楽性が見事に開花したことを感じた。
ゲルネが最初の「おやすみ」を歌い始めて感じたのが、ドイツ語特有のこすったり、はじいたりする子音の心地よさ。
ドイツ語のネイティヴだからといって、誰もがここまで美しく発音できるというものでもないだろう。
今回「冬の旅」は1階最後列の席で聴いたのだが、中ホールだからか響きは悪くないどころか、かなり良い。
ゲルネがソットヴォーチェでささやくように語る声も充分聴きとることが出来た。
彼は「冬の旅」を24曲の連続するストーリーととらえているのだろう、第12曲の「孤独」で第一部が終わってもほぼ間を開けずに第13曲の「郵便馬車」へとつなげた。
ゲルネの声は万華鏡のようだ。
様々な色あいが混ざったような豊かな声の響きが各曲に味わいと深みを与える。
師匠のディースカウやシュヴァルツコプフほど言葉が前面に立ちすぎることがなく、むしろ流れるように歌われる。
だが、メロディーラインを大切にしながらも、必要なだけの言葉のめりはりは充分に感じられて、言葉と音楽のバランスが素晴らしい。
「冬の旅」は恋にやぶれた若者が冬のさなかに旅立つ話である。
テキストでは自己陶酔ともとられかねない失恋にやぶれた自分への憐憫と卑下は時に激しい感情の吐露へと向かう。
しかし、ゲルネは「冬の旅」の中であまりフォルティッシモを使わない。
感情の起伏は充分に描くのだが、どちらかというと声の威力を抑えて、内面を掘り下げていくスタイルをとっていた。
そのことが、この連続する(ミュラーの順序とは違うものの)ドラマの心理描写を一層印象深いものにしていたと思う。
「辻音楽師」の最後のひとふしをどのように歌うかは聴き手の大きな関心事だろう。
ゲルネは声をやわらかくふくらませながらも、弧を描くというよりも自然に減衰していくように歌った。
その自然な表情が素晴らしく感じられた。

3日目は「白鳥の歌」だが、最初にベートーヴェンの歌曲集「遙かなる恋人に寄す」が歌われた。
抒情的な風景の中にベートーヴェンの作曲上の野心がこめられている。
その心象風景をやわらかく温かみをもってゲルネとシュマルツは演奏した。
前日の「冬の旅」とはまた違った穏やかな表情であった。

そして一度袖に引っ込んでから再び登場して「白鳥の歌」のレルシュタープによる歌曲を歌い(「秋」D945が追加された)、「別れ」が終わった後に拍手を浴びて休憩となった。
後半はハイネの詩による6曲が歌われ、ザイドルの「鳩の使い」はアンコールとして演奏された。
ハイネ歌曲集と「鳩の使い」の趣の違いを考えれば、このやり方に一理あると言えるだろう。
ゲルネは前日とは異なり、ここではフォルティッシモもかなり使った。
彼の強声は体の中から尽きることなく豊かに湧き出てくるかのようで、そのあふれんばかりの豊かさはかつてプライを生で聴いた時に感じたものに近かった。
「戦士の予感」での低音は戦慄を感じさせるほどだった。
「秋」での寂寥感などもまた格別の趣だった。

ハイネ歌曲集では、シューベルトの踏み出した新境地を気負わず、しかしまっすぐに表現したものだった。
「彼女の肖像」でのソットヴォーチェの素晴らしさは強く印象に残るものだった。
「海辺で」と「影法師」はシュマルツのゆったりとしたテンポのピアノにのって、悠然と歌われたが、そのクライマックスでは全霊を傾けた凄みもあった(「影法師」では若干シャープ気味だったが)。

アンコールで演奏された「鳩の使い」のなんとくつろいだ穏やかな表情だったことだろう。
シューベルトの最後の境地がこんなに平穏で、「憧れ」の切なさも滲ませた名曲であったことに感謝したい気持ちであった。

ピアノのアレクサンダー・シュマルツはその表現力に一層磨きがかかったのではないか。
「冬の旅」で聴いた演奏はこれまでに聴いたシュマルツの実演の中で最も素晴らしいものだった。
ジェラルド・ムーアを生で聴いたら、こんなふうだったのではないかと想像させるものがところどころあった。
シュマルツは決して歌手と対峙してピアニスティックな仕掛けをしたり、鋭利なタッチで歌手と渡り合うというタイプではない。
蓋は全開だが、対決ではなく融合へと向かう。
耳を澄ませば、その音色は磨かれぬかれ、常に美しい響きで貫かれているのが感じられる。
時に思いもしない内声が遠慮がちに際立たされ、それがシューベルトの音楽のもつ奥深さを気付かせてくれる。
ゲルネとの共同作業はさすがに密接である。
あるところで弓をぎりぎりまで引いたと思うと、手を離して矢が勢いよく放たれる。
そのエネルギーの流れがゲルネとぴったり一致しているのである。
伴奏ピアニストの王道をゆったりと進んでいることを実感したシュマルツの演奏だった。

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マティアス・ゲルネ&アレクサンダー・シュマルツ/ゲルネ バリトン・リサイタル(2011年10月16日 東京オペラシティ コンサートホール)

マティアス・ゲルネ バリトン・リサイタル
2011年10月16日(日)19:00 東京オペラシティ コンサートホール(1階2列11番)

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(Baritone)
アレクサンダー・シュマルツ(Alexander Schmalcz)(Piano)


マーラー(Mahler: 1860-1911)/私はやわらかな香りをかいだ(Ich atmet' einen linden Duft)(「リュッケルトの詩による5つの歌曲」から)
シューマン(Schumann: 1810-1856)/詩人の目覚め(Dichters Genesung, op.36-5)(「6つのリート」op.36から)
シューマン/愛の使い(Liebesbotschaft, op.36-6)(「6つのリート」op.36から)
マーラー/美しいトランペットが鳴りわたるところ(Wo die schönen Trompeten blasen)(「子供の不思議な角笛」から)
シューマン/ぼくの美しい星(Mein schöner Stern, op.101-4)(「愛の相聞歌(ミンネシュピール)」op.101から)
シューマン/隠者(Der Einsiedler, op.83-3)(「3つの歌」op.83から)
マーラー/原光(Urlicht)(「子供の不思議な角笛」から


シューマン/夜の歌(Nachtlied, op.96-1)(「リートと歌」第4集op.96から)
マーラー/浮き世の暮らし(Das irdische Leben)(「子供の不思議な角笛」から)
マーラー/なぜそのような暗いまなざしで(Nun seh' ich wohl, warum so dunkle Flammen)(「亡き児をしのぶ歌」から)
マーラー/おまえのお母さんが入ってくるとき(Wenn dein Mütterlein tritt zur Tür herein)(「亡き児をしのぶ歌」から)
シューマン/ものうい夕暮れ(Der schwere Abend, op.90-6)(「レーナウの6つの詩」op.90から)
マーラー/私はこの世に忘れられ(Ich bin der Welt abhanden gekommen)(「リュッケルトの詩による5つの歌曲」から)
シューマン/終わりに(Zum Schluß, op.25-26)(「ミルテの花」op.25から)


シューマン/兵士(Der Soldat, op.40-3)(「5つのリート」op.40から)
マーラー/死んだ鼓手(Revelge)(「子供の不思議な角笛」から)
シューマン/2人のてき弾兵(Die beiden Grenadiere, op.49-1)(「ロマンスとバラード」第2集op.49から)
マーラー/少年鼓手(Der Tamboursg'sell)(「子供の不思議な角笛」から)

~アンコール~
シューマン/献呈(Widmung, op.25-1)(「ミルテの花」op.25から)

※休憩なし

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バリトンのマティアス・ゲルネを生で聴くのはこれで何度目だろうか。
彼の歌唱には期待を裏切られることがない。
今回もまたじわじわと染み込んでくるようなリートを聴く醍醐味をたっぷり味わうことが出来た。

当初予定されていたピアニストのマルクス・ヒンターホイザーは、肩の故障のため出演が不可能となり、アレクサンダー・シュマルツに変更された。
ヒンターホイザーは私が歌曲を聴き始めた頃からファスベンダーらの共演者としてよくFM放送などで名前を聞いていたのだが、これまで一度もその姿を見ることはなかった為、今回の来日を期待していたのだが残念だった。
しかし、お馴染みのシュマルツがどのように進化しているかも楽しみである。

休憩なしの三部構成はほぼ1時間半のボリュームながら、先に進むにつれて徐々に悲劇性を増してゆく見事なプログラムビルディングの力でぐいぐい惹きこまれ、あっという間であった。
今年が没後100年にあたるマーラーと、昨年が生誕200年だったシューマンの歌曲を組み合わせたプログラム。
それぞれを分けて歌うのならばごく普通のプログラムビルディングだが、今回は両者の作品をミックスするというもの。
ゲルネの言葉によれば、各ブロックは「愛、人間性」、「死、人との繋がりを失う悲しみ」、「兵士、軍隊」をテーマにしたとのこと(プログラム冊子より)。
こうやってミックスされた時代の異なる作曲家の作品を聴いて感じるのは、並べて聴いても意外と違和感がないということだった。
テーマに共通する雰囲気が時代を超えて1つの共通する土台を築いたのだろう。
今回のプログラム、東京が初披露とのことで、今後各国で演奏していくそうだ。

ゲルネは声の充実とディクションの滑らかさ、そしてヴォリュームの豊かさと自在なコントロールとでまさに脂の乗り切った名唱の数々を繰り広げた。
柔らかくコクのある声の質感は相変わらず素晴らしく、その響きは聴き手を穏やかに包み込むようだった。
いつもの熊さんダンス(無骨でひっきりなしの動き)も健在だったが、歌唱があまりにも見事だった為、その動きは殆ど妨げにはならなかった。
「私はやわらかな香りをかいだ」での絶妙な弱声、「美しいトランペットが鳴りわたるところ」での静かな緊張感、「亡き児をしのぶ歌」からの2曲の悲哀など、それぞれの世界にぐっと惹き込まれる引力をもった名唱だった。
ただ「浮き世の暮らし」の歌唱は声の質のせいか、どうしても飢えた子供の声には聞こえず、彼の歌唱をもってしてもオールマイティではないのだと逆にほっとしたところである。

「おまえのお母さんが入ってくるとき」はピアノのみの箇所をゆっくり演奏し、歌が入ると突然テンポが早くなるのは意図的なのだろうか。
この極端なテンポ設定はおそらくマーラーの指示ではないのではと思われるが(未確認ですみません)、哀しい表情が強く表現されていてなかなか感動的だった。

ヒンターホイザーの代役をつとめたシュマルツは、ピアノの蓋を全開にしながらも、いつもの美音と見事なコントロールを聞かせた。
いつになく歌唱と拮抗するような鋭利さが感じられたのは良かった。
特にシューマン「詩人の目覚め」後奏の歯切れの良さや最後の兵士のブロックの雄弁さが印象に残った。
「少年鼓手」の前奏と後奏で、譜めくりの女性にピアノの中の弦をおさえさせて、乾いた音を出していたのは面白いアイディアであり、確かに効果的だった。

プログラム冊子は今回300円で販売されたが、有料なのだから、シューマン「隠者」の歌詞における第2~3節の脱落は事前にチェックして修正の紙を挿入するなりしてほしいところではあった。

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ゲルネ&シュマルツ/ゲルネ・シューベルト・エディション第5巻「夜と夢」(harmonia mundi)

Nacht und Träume: MATTHIAS GOERNE SCHUBERT EDITION 5
(夜と夢:マティアス・ゲルネ・シューベルト・エディション第5巻)

Goerne_schmalcz_schubert

harmonia mundi: HMC 902063
録音:2008年9月, Teldex Studio Berlin

Matthias Goerne(マティアス・ゲルネ)(baritone)
Alexander Schmalcz(アレクサンダー・シュマルツ)(piano)

1. Nacht und Träume(夜と夢), D827 (Matthäus von Collin) [4:08]

2. Der blinde Knabe(盲目の少年), Op. 101, No. 2, D833 (Jakob Nikolaus Craigher de Jachelutta (nach "Colley Cibber")) [3:19]

3. Hoffnung(希望), Op. 82, No. 2, D637 (Johann Christoph Friedrich von Schiller) [3:37]

4. Totengräber-Weise(墓掘人の歌), D869 (Franz Xaver Freiherr von Schlechta) [4:24]

5. Tiefes Leid(深い苦悩), D876 (Ernst Konrad Friedrich Schulze) [3:22]

6. Greisengesang(老人の歌), Op. 60, No. 1, D778b (Friedrich Rückert) [6:11]

7. Totengräbers Heimweh(墓掘人の郷愁), D842 (Jakob Nikolaus Craigher de Jachelutta) [7:00]

8. An den Mond "Geuss, lieber Mond"(月に寄せて), D193 (Ludwig Christoph Heinrich Hölty) [3:29]

9. Die Mainacht(五月の夜), D194 (Ludwig Christoph Heinrich Hölty) [1:53]

10. An Sylvia(シルヴィアに), Op. 106, No. 4, D891 (William Shakespeare (aus "Two Gentlemen of Verona"); Deutsche Übersetzung: Eduard von Bauernfeld) [3:03]

11. Ständchen "Horch, horch! die Lerch"(セレナード“聞け、聞け!ひばりを”), D889 (Strophe 1 von William Shakespeare (aus "Cymbeline"); Deutsche Übersetzung: August Wilhelm Schlegel. Strophen 2 und 3 von Friedrich Reil) [4:47]

12. Der Schäfer und der Reiter(羊飼いと馬に乗った男), Op. 13, No. 1 D517 (Friedrich Heinrich Karl, Freiherr de la Motte-Fouqué) [3:26]

13. Die Sommernacht(夏の夜), D289 (Friedrich Gottlieb Klopstock) [3:17]

14. Erntelied(収穫の歌), D434 (Ludwig Christoph Heinrich Hölty) [1:57]

15. Herbstlied(秋の歌), D502 (Johann Gaudenz Freiherr von Salis-Seewis) [1:27]

16. Der liebliche Stern(愛らしい星), D861 (Ernst Konrad Friedrich Schulze) [3:01]

17. An die Geliebte(恋人に寄せて), D303 (Josef Ludwig Stoll) [2:10]

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ドイツのバリトン、マティアス・ゲルネによるharmonia mundiレーベルへのシューベルト歌曲シリーズも第5巻を迎えた。
今回は「夜と夢」というタイトルのもとに17曲が歌われている。
毎回変わるピアニスト、今回は頻繁に来日もしているドイツのアレクサンダー・シュマルツである。

横を向いたゲルネが影になって写っているジャケット写真が暗示しているように、今回は「夜」「死」といった重めのテーマを中心にした選曲がなされている。
例えば「夜と夢」「墓掘人の歌」「墓掘人の郷愁」といった死、眠りを暗示させるようなモノトーンな響きは、シューベルト歌曲の中でも重要な意味を占めているであろう。
それに対応するのが“希望”を歌った「希望」「深い苦悩」といった作品で、前者ではシラーらしい理想主義的発想で“内なる声が語るものを希望の心が裏切ることはない”と歌う一方、シュルツェの詩による後者では“いつわりの希望は決して退こうとはしない”と希望が恐怖や苦労を追い払ってはくれないことを悲観的に語る。
しかし、その一方で「五月の夜」「夏の夜」「秋の歌」のような季節感を盛り込んだり、「シルヴィアに」「セレナード(聞け、聞け!ひばりを)」のようなシューベルトの快活な側面を代表する曲を加えたりもしており、ただ沈潜した雰囲気だけで統一しようとはしていないようだ。
だからこそ、重みをもった作品の存在感が際立ってくるともいえるだろうが。

ゲルネのベルベットのようなまろやかな響きはますます磨きがかかり、「夜と夢」などどこまでも心地よく響くレガートのなんと素晴らしいことか。
彼にしかなしえないであろう「夜と夢」の新しい名演の誕生である!
「盲目の少年」では慰撫するような穏やかな響きで、盲目の少年のけなげなたくましさを表現する。
ゲルネの歌唱は情景をイメージさせる。
例えば彼の師匠であったF=ディースカウはその巧みな語り口によって、語り部のように情景を説明したものだが、ゲルネは声自体の中に情景や心理状況を織り込んで表現する。
決して饒舌な表現に向かうことはなく、あくまで歌声で勝負する彼の歌唱は、師の影響からの完全な決別を実感させられる。

シュマルツの演奏はゲルネの包み込むような声の特質に合った温かい音色を聴かせる。
「夏の夜」の前奏のニュアンスに富んだ演奏などは彼の良さが出ている。
「墓堀人の郷愁」の"Im Leben, da ist's ach! so schwül(人生は、ああ!なんと苦しいものなのか。)"という箇所では隣り合った低音をあえてペダルを踏みっぱなしにして濁らせるといった斬新な解釈もみせる。
また「羊飼いと馬に乗った男」の後半のようにいつになく雄弁な切れ味を聴かせる箇所もあり、彼の共演ピアニストとしての持ち味の広がりもこのディスクを聴く楽しみの一つといえるだろう。

この第5巻まででゲルネは114曲を歌ってきたことになる。
全部で10巻ほどを予定している筈だから、この倍の作品をゲルネの歌唱で楽しめることになる。
今後のリリースが今から待ち遠しい。

なお、これまでの作品リストは以下のとおり(Excel)
 こちら(Excelファイル)

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ゲルネ&エマール/リサイタル(2009年10月11日 東京オペラシティ コンサートホール)

マティアス・ゲルネ&ピエール=ロラン・エマール
Goerne_aimard_20091011_pamphlet2009年10月11日(日)16:00 東京オペラシティ コンサートホール (1階3列14番)

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(BR)
ピエール=ロラン・エマール(Pierre-Laurent Aimard)(P)

ベルク(Berg)/4つの歌曲(Vier Lieder) op.2
1.眠ること、ただ眠ること(Schlafen, schlafen)
2.眠っていると(Schlafend trägt man mich)
3.最強の巨人を倒し(Nun ich der Riesen Stärksten)
4.風のあたたかく(Warm die Lüfte)

シューマン(Schumann)/歌曲集《女の愛と生涯(Frauenliebe und -leben)》op.42
1.あの方にお会いしてから(Seit ich ihn gesehen)
2.彼、誰よりも立派な人(Er, der Herrlichste von allen)
3.私には判らない、信じられない(Ich kann's nicht fassen, nicht glauben)
4.この指にある指輪よ(Du Ring an meinem Finger)
5.手伝って、妹たち(Helft mir, ihr Schwestern)
6.優しい人、あなたは(Süßer Freund, du blickest)
7.この心、この胸に(An meinem Herzen, an meiner Brust)
8.今初めての苦痛を私に(Nun hast du mir den ersten Schmerz getan)

~休憩~

シューマン/リーダークライス(Liederkreis) op.39
1.異郷にて(In der Fremde)
2.間奏曲(Intermezzo)
3.森の対話(Waldesgespräch)
4.静寂(Die Stille)
5.月夜(Mondnacht)
6.美しい異郷(Schöne Fremde)
7.ある城にて(Auf einer Burg)
8.異郷にて(In der Fremde)
9.哀愁(Wehmut)
10.薄明り(Zwielicht)
11.森の中にて(Im Walde)
12.春の夜(Frühlingsnacht)

~アンコール~
1.シューマン/君は花のごとく(Du bist wie eine Blume) op.25-24
2.シューマン/献呈(Widmung) op.25-1

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バリトン歌手マティアス・ゲルネの来日公演を聴いてきた。
今回の共演ピアニストは現代音楽を得意にしているというフランス人のピエール=ロラン・エマール(私は今回はじめてこのピアニストを聴いた)。

今回のプログラムの目玉はなんといってもシューマンの歌曲集《女の愛と生涯》。
シューベルトやシューマンの《ミニョン》歌曲群を男声が歌うのは聴いたことがあったが、《女の愛と生涯》が男声によって歌われる日が来るとは少し前まで想像だにしていなかった。

それで実際に聴いてどうだったかというと、これがあまり違和感なく聴けたのである。
私にとってドイツ語は外国語であり、そこで何が語られているかは知っていても、言葉そのものを聞いて、これは女性の語っている言葉だと即座に反応することはない。
そこがある意味外国人がドイツリートを聴く時の限界であり、逆にネイティヴの聴き手にはない長所とも言えるだろう。
ちょっと脱線するが、日本の演歌では女心を歌った内容を男性歌手が歌うことは特に珍しいことではない。
それはそういうものだという認識があるからかもしれないが、特に違和感を感じることもなく普通に聞けてしまう。
ドイツリートの場合、男性歌曲を女声が歌うことはこれまでも珍しくなかったが、その逆はタブー視されてきた感がある。
だが、ゲルネのように安定した技術と声をもっていれば、性の差を意識せずに、1つの芸術作品として表現することが可能なのだという印象を受けた。

ゲルネ自身は《女の愛と生涯》に関してこう語っている。
「《女の愛と生涯》は、女性のためではなく、男性のための作品だと私は考えています。
・・・二人の男性、シャミッソーという男性の詩人とシューマンという男性の作曲家が、「男性の想像の中での女性の気持ちや感情を描いたものである」という点に注目してもらいたい
・・・いわば全部男の脳みそで考えたことです。」
ゲルネは上記のように、この作品が詩、音楽ともに男性の想像力の産物であることを指摘している。
また、「気持ちの高ぶりとか感情の高揚の仕方というのがものすごく極端だった」シューマンにとって、それがテキストにもあらわれていると言い、「無条件の感情、その瞬間だけの特別な感情」が表現されている。そこを見落としてはいけないと説明している。
(東京オペラシティによるインタビュー記事の詳細はこちら

さて、ステージにあらわれたゲルネはお腹周りも立派になり、貫禄たっぷり。
愛嬌のある大きな目は表情豊かだが、歌う姿はお世辞にも見栄えがいいとはいえない。
左右に体を揺すりひざを開きながら歌う様は無骨なダンスをしているかのよう。
とにかく一時もじっとしていない。
ゲルネってこんなに動いたっけと過去の記憶をたどってみるが、やはり今回は特に動きが大きかったように感じた。
歌は全身運動だとどこかで読んだような気がしたが、こうやって動くのがゲルネにとってもっとも歌いやすいということなのかもしれない。
また、ピアノのふたに寄りかかり、ステージ左側を向いて歌うことが多いのは彼の癖だろうか。

声のまろやかさ、安定感、そして言葉さばきの巧さは相変わらず素晴らしく、今がまさに「聴き頃」なのではないだろうか。
ベルクのような無調音楽からシューマンのロマンティックな音楽まで、ぶれることのない表現力でいずれも包み込むような歌を聴かせてくれた。
語りが前面に出すぎず、かといって音楽に偏っているわけでもない、「語り」と「歌」のバランスの妙があった。
どの音域でもよくコントロールされた響きを聞かせてくれたが、高音を出す時に全身を使って一生懸命その音に飛びつこうとしているように見えたのは気のせいだろうか。
低音に比べると、彼にとって高音を出すのはそれほど容易なことではないのかもしれない。
数年後にどうなっているか若干気になるが、現在は申し分ない高音を響かせていたと思う。

ピアニストのエマールは最初のアルバン・ベルクの歌で最もその力量を発揮したように感じた。
鋭敏で色彩感のあるタッチで生き生きとこれらの無調に傾斜した作品を表現していた。
一方、シューマンの両歌曲集でのエマール、悪くはないのだが、時折あやふやになる箇所もあり、ベルクほどには消化しきっていない印象を受けた。
しっとりとした情感表現や歌との一体感は良かったと思うが、ゲルネが「いわゆるリート伴奏の専門家ではほとんどの場合シューマンは物足りない」(上述のインタビュー記事による)と感じるほどエマールのシューマン演奏に特別なものがあったかというと首をかしげざるをえない。
このぐらい弾ける「伴奏の専門家」は今や珍しくないと思うのだが、ゲルネはソリストとばかり組んでいるから、良い「伴奏の専門家」がいることを知らないのではないかと意地悪な見方をしてしまう。
とはいえ、作品に対する誠実な共感がエマールの演奏から感じられたのは良かったと思う。

なお、今回は2階席に2箇所設置された電光板から日本語字幕が流れたが、訳したのはバリトンの宮本益光とのこと。
多忙な彼がこういう地味な仕事もこなしているのは心強い気がする。

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ゲルネのシューベルト・エディション

バリトンのマティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)が仏harmonia mundiに10枚以上のシューベルト歌曲シリーズを録音中であることは以前の記事でも触れた。
自身でharmonia mundiにこの企画を持ち込んだらしい。
共演のピアニストは様々な人を起用している。

第1巻はエリザベト・レオンスカヤとの15曲、
第2巻はヘルムート・ドイチュとの20曲とエリック・シュナイダーとの23曲の2枚組、
そして最近リリースされた第3巻はクリストフ・エッシェンバハとの「美しい水車屋の娘」全20曲である。

このシリーズが始まった当初は、もっぱら著名なソロピアニストたちと組ませて売り上げを伸ばそうという安易な商業主義を危惧していたのだが、第2巻でお馴染みの歌曲ピアニスト2人が登場して安心したものだった(もちろんソリストのレオンスカヤが素晴らしい演奏を聴かせてくれたのは特記しておきたい)。

そして第3巻ではいよいよ「美しい水車屋の娘」が演奏された。
ゲルネは以前にエリック・シュナイダーとDECCAにこの歌曲集を録音しており、2度目の挑戦ということになる。
今回のピアニストはF=ディースカウやマティス、シュライアーなどとも共演してきた名手エッシェンバハである。
HMVの評でも指摘されているが、とにかく今回の演奏、一部の曲を除いてゆっくりしたテンポで貫かれている。
噛んでふくめるような丁寧な歌い方を徹底したため、自然とテンポ設定が遅めになる。
もちろんゲルネのことだから弛緩とは全く無縁で、どの瞬間も美しいドイツ語と豊かな表情で音楽的な歌唱を聞かせてくれてはいる。
それに包み込むような深々とした美声は相変わらず健在である。
だが、聴き終わって、この演奏が好きかと自問した時、素直に頷けないのも正直な気持ちである。
低声歌手でも例えばF=ディースカウのように実に魅力的な歌を聴かせる例もある。
ゲルネの「水車屋」はまだこれから、より良くなる余地を残しているような気がしてならない。
一方エッシェンバハは低く移調されて重くなりそうなところ、実にめりはりの効いたタッチで軽やかに響かせてみせる。
様々な声部を浮き上がらせて、彼ならではの新鮮で気持ちのいい演奏を聴かせてくれた。

これまでのゲルネ・エディションをドイチュ番号順にまとめたリストを作ってみたので、興味のある方はご覧ください。

ゲルネ・シューベルト・エディション・リスト(Excel)

通常女声しか歌わないミニョン歌曲をすでにシュナイダーと2曲ほど録音しているのが興味深い。
シューマンの「女の愛と生涯」にまで進出している彼は、男性の視点で女声歌曲に新たな息吹を吹き込もうとしているのかもしれない。
このリストに今後どのような曲が加わるのか、さらにどのようなピアニストが登場するのか楽しみである。

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ゲルネ&レオンスカヤ/シューベルト歌曲集「憧れ」

バリトンのマティアス・ゲルネ(1967年3月31日Karl-Marx-Stadt(現Chemnitz)生まれ)がシューベルト歌曲集のCDシリーズをスタートさせた。
レコ芸のインタビューによると、ゲルネ自身が仏ハルモニア・ムンディに直接電話をかけて、200曲以上のシューベルト歌曲のシリーズを録音したいと申し出てOKが出たのだとか。
完成の暁にはシューベルトの全歌曲の3分の1を彼の歌唱で聴くことが出来ることになる。
共演するピアニストは巻によって変わるそうで、三大歌曲集ではエッシェンバッハと共演する予定とのこと(ソリスト偏重ではなく、専門の歌曲ピアニストとの共演も望みたい)。
1人の歌手によるこれだけまとまったシューベルトの録音はF=ディースカウ、プライ、S.ローレンツ以来だろうか。
現在最も安定した歌を聴かせてくれる歌手の盛期の演奏が記録に残されるのは有難いし、今後が楽しみなシリーズである。

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Goerne_leonskaja_schubert_1憧れ:マティアス・ゲルネ・シューベルト・エディション1
(Sehnsucht: MATTHIAS GOERNE SCHUBERT EDITION 1)
harmonia mundi: HMC 901988
録音:2007年2~3月、Teldex Studio Berlin

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(BR)
エリザベト・レオンスカヤ(Elisabeth Leonskaja)(P)

シューベルト作曲
1.冥府への旅(Fahrt zum Hades)D526(詩:マイアホーファー)
2.自ら沈み行く(Freiwilliges Versinken)D700(詩:マイアホーファー)
3.泣く(Das Weinen)D926(詩:ライトナー)
4.漁夫の愛の幸せ(Des Fischers Liebesglück)D933(詩:ライトナー)
5.冬の夕べ(Der Winterabend)D938(詩:ライトナー)
6.メムノン(Memnon)D541(詩:マイアホーファー)
7.双子座に寄せる舟人の歌(Lied eines Schiffers an die Dioskuren)D360(詩:マイアホーファー)
8.舟人(Der Schiffer)D536(詩:マイアホーファー)
9.憧れ(Sehnsucht)D636(詩:シラー)
10.小川のほとりの若者(Der Jüngling am Bache)D638(詩:シラー)
11.エンマに(An Emma)D113(詩:シラー)
12.巡礼者(Der Pilgrim)D794(詩:シラー)
13.タルタロスの群れ(Gruppe aus dem Tartarus)D583(詩:シラー)
14.希望(Hoffnung)D295(詩:ゲーテ)
15.人間の限界(Grenzen der Menschheit)D716(詩:ゲーテ)

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シリーズ第1巻はシラーの詩による「憧れ」をタイトルに冠し、15曲が演奏されている。
「エンマに」「希望」を除くと、中期から晩年にかけての作品が中心になっている。
詩人もゲーテ、シラー、マイアホーファーといったシューベルトの付曲数ベスト5に入る人たちによる曲が中心で、それに晩年に作曲したライトナーの曲が含まれている。
渋みあふれる選曲だが、どれも低声歌手にふさわしいレパートリーが厳選されていて、まずは声の特質に合った曲で聴き手にアピールしようという意志が伝わってきた。
聴き手は「冥府への旅」の“小舟(Nachen)”に乗ってシューベルトの世界に漕ぎ出し、人生の荒波に時に抗い(「舟人」「憧れ」)、時に絶望して(「小川のほとりの若者」)、理想を見失いそうになりながら(「巡礼者」)、泣くことで傷を癒し(「泣く」)、希望を持ち続け(「希望」)、限られた生をもった人間が幾世代にもわたって“無限の鎖(unendliche Kette)”をつないでいく「人間の限界」まで様々な局面を音楽で体験する。
神話に由来するテーマを扱ったものもいくつかあるが、「自ら沈み行く」は太陽が冷たい水に身を浸そうと沈んでいくと歌われ“俺は受け取らずに与えるだけなのだ”と太陽の宿命をマイアホーファーらしいペシミズムで織り込みつつ壮麗で堂々たる音楽になっている。

第1巻はゲルネ39歳の時の録音。
ゲルネは包み込むようなまろやかな声がどの音域でも心地よく響き、不安定なところは皆無ですでに完成された歌唱に身を委ねることが出来る。
私はどちらかというとハイバリトンが好みなので、ゲルネのような低めの声(バスバリトンといってもいいぐらい?)は熱心に聴くタイプではないのだが、このディスクでの見事な歌唱には全く脱帽である。
同じ低声でも例えばロベルト・ホルなどはその粘っこさが時に重すぎるように感じることがあるのだが、ゲルネの歌唱は声の重さに引きずられることがなく推進力が感じられ、どこまでもコントロールが行き届いているので、作品本来の魅力が損なわれることなく提示されているのがすごいと思う。
言葉の発音は美しいが決して語り重視にならず、常に旋律に素直に寄り添った歌い方は、シューベルト歌唱の1つの理想と感じられた。

シリーズ最初の共演者はグルジア(旧ソ連)の首都Tbilisi出身のエリザベト・レオンスカヤ。
彼女の歌曲演奏といえばファスベンダーとの「マゲローネのロマンス」が思い出されるが、あれから久しぶりの歌曲演奏ではないだろうか(少なくとも録音の上では)。
ますます磨かれた音と、決して押し付けがましくはないが積極的な曲へのアプローチは、どこをとっても借り物でない、作品を熟知した演奏を聴かせている。
「タルタロスの群れ」のクライマックスでのドラマティックな演奏や「人間の限界」の前奏における荘厳な表現力は特に印象深い。
前に前にという演奏ではなく、ここぞというところでどっしりした存在感を示しながら、作品の自然な流れに沿って豊かな音楽を聴かせている。
ソロピアニストが単なる企画としてではなく、愛着をもって歌曲と真摯に向き合っているのが感じられるのはそう頻繁にあるわけではない。
そういう意味で、レオンスカヤという名手を得た第1巻は大成功だといっていいだろう。

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ゲルネ&シュマルツ/シューベルト「白鳥の歌」(2007年9月24日 東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル)

祝日の9月24日(月)、マティアス・ゲルネ(BR)とアレクサンダー・シュマルツ(P)によるシューベルトの歌曲集「白鳥の歌」ほかのリサイタルを聴きに行った。

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2007年9月24日(月)16時開演
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(BR)
アレクサンダー・シュマルツ(Alexander Schmalcz)(P)

ベートーヴェン/連作歌曲「遥かなる恋人に」Op. 98

シューベルト/歌曲集「白鳥の歌」D957
 愛の便り
 戦士の予感
 春の憧れ(1、2、5番のみ)
 セレナーデ
 我が宿
 秋D945
 遠い地で
 別れ(1、2、3、6番のみ)

~休憩~

 アトラス
 彼女の絵姿
 漁師の娘
 街
 海辺にて
 影法師

(アンコール)
シューベルト/鳩の便りD965A
ベートーヴェン/希望に寄せてOp. 94
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今回はシューベルトの三大歌曲集を三夜にわたって演奏するというプログラムが組まれ、その最終日を聴くことが出来た。同じシューベルトの歌曲集でも連作歌曲集の「美しい水車屋の娘」や「冬の旅」と違い、「白鳥の歌」はシューベルト晩年の歌曲を出版業者のハスリンガーがまとめて出版したものでシューベルトの意図というわけではない。ただ、前半のレルシュタープ歌曲と後半のハイネ歌曲はそれぞれまとめて出版するつもりだったのかもしれないという説もあり、筋の連続性はないものの全くの寄せ集めと言い切ることも出来ない。

「愛の便り」では流麗に小川への言伝を響かせ、
「戦士の予感」では緊張をはらんだバラードで夜中の戦士の心の動きを静から動へ変化させ、
「春への憧れ」では高速の中で春と恋人に対する憧れを爆発させ、
著名な「セレナーデ」ではギターのつまびき風の演奏の上で甘美に愛を歌い、
続く「我が宿」ではごつごつした岩山を思わせる響きで苦悩を激しく歌い上げ、
その後にハスリンガーの出版時には含まれていない「秋」(同じレルシュタープの詩)を続け、寂しげに吹き渡る風のようなピアノのトレモロの上で秋を人生になぞらえて有節形式で歌う。
「遠い地で」は執拗な詩の脚韻を強調した歌で静と動の幅広い表現を聴かせ、
レルシュタープ歌曲最後の「別れ」では一転してリズミカルな音楽で軽快に馴染みの町や人からの別れを歌うが、明るさの中に別れの未練のような響きも滲ませるあたりがいかにもシューベルトらしい素晴らしさだ。

後半のハイネ歌曲はシューベルトの踏み込んだ新しい響きに満たされている。
世の不幸を背負ったような自分をなぞらえた「アトラス」での重厚な激情で始まり、
「彼女の絵姿」では夢にあらわれた過去の恋人への思いを必要最低限の切り詰めた音で表現し、
「漁師の娘」では一見叙情的な響きを装って、女性を軟派する男の下心を装飾音や音の跳ね上げで表現し、
「街」では印象派を先取りしたかのようと形容されるピアノの分散和音が潮風や波のきらめきを思わせ、
「海辺にて」はまたもや切り詰めた音で浜辺の描写と主人公の心理描写をリンクさせ、
ハイネ歌曲最後の「影法師」では失った恋人の家を見に行くとそこに自らのドッペルゲンガーを見るという緊張した響きの積み重ねられた、心の深淵を覗き込んだような歌で締めくくられる。

ハスリンガーの出版した「白鳥の歌」では、この後にザイドルの詩によるシューベルト最後の歌曲「鳩の便り(Die Taubenpost)」が置かれて締めくくられるのだが、あまりにハイネ歌曲と色合いが異なるため、あえて省略する演奏家もいて、ゲルネたちのプログラムでも「影法師」で終わっていたので残念に思っていたら、アンコールで歌ってくれた。私の最も好きなシューベルト歌曲の一つで、忠実なる伝書鳩にことよせて、恋人への「憧れ」を歌うが、そのたゆたうような響きで優美だがどこか切ない感じがいつ聴いても素敵なのだ。

ドイツ、ヴァイマル出身のゲルネはシュヴァルツコプフやF=ディースカウの薫陶を受けたことで知られ、現役のバリトン歌手の中でもとりわけリートに力を入れている歌手である。
私が彼の実演を聴くのは確かこれで2回目だと思うが、ますます表現は安定し、声は低音から高音までどこをとってもまろやかでふくよかに包み込むような感じだ。その音程の確かさはF=ディースカウ以上と言えるかもしれない(F=ディースカウは音程の不確かな箇所を語りの説得力で補っている場合もあったように思う)。発音は美しいし、高音でも荒くならない。そういう安定感がもっと若い頃には若干単調さを感じさせることもあったが、今回の演奏ではものの見事に聴かせる芸となっていた。
「白鳥の歌」はストーリー性がない分、各曲が完結した世界をもっている。それをつなぐのは並大抵のことではないだろう。その幅の広い歌曲の流れを全く違和感なく最後まで聴かせたのは彼の精進の証であろう。F=ディースカウのような語りの巧みさよりも、もっとシューベルトの音楽に素直に寄り添っていて、いい意味で現代風の演奏と言えるのかもしれない。彼はボストリッジほどではないが、比較的歌う時に体を動かしていた。それがそれほど視覚の妨げにならなかったので演奏に集中することができた。

「白鳥の歌」の前に演奏されたベートーヴェンの連作歌曲集「遥かなる恋人に」では、若さと安定感が共存した旬の理想的な歌唱を披露していたと思う。

アレクサンダー・シュマルツもゲルネ同様ヴァイマル出身のピアニストで、彼の実演を聴くのはシュライアーの引退公演の2夜に続き3度目である。今や多くの歌手たちから引っ張りだことなった彼の演奏はますます磨かれ、音の響きの安定感が感じられた。ピアノの蓋は全開にもかかわらず、決してうるさくならず、そのコントロールの感覚は相当非凡なものがあると思った。特に「街」の急速な分散和音など見事に制御された響きで印象に残った。だが、一方「アトラス」や「影法師」ではもっと前面に鋭く響かせることでより心に訴えてくる筈で、歌手とバランスをとりつつ、出るところではいかに主張するかが課題ではないだろうか。

今回はパンフレットに歌詞は掲載されず、舞台の左右に字幕スーパーが出ていた。1階最後列の右端で聴いていた私には若干字が小さく見にくい時もあったが、視線を舞台とパンフレットの間で忙しく動かす必要がないという意味では有難かった(資料としてパンフレットにも掲載されていればさらに良かったと思うが)。

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