カレーラス/スペイン歌曲集

ホセ・カレーラスといえばパヴァロッティ、ドミンゴと共に「三大テノール」と呼ばれて久しいが、どちらかというとオペラの貴公子的なイメージの強い彼も歌曲の録音を残してくれている。ピアニストのマーティン・カッツと共演して録音した「スペイン歌曲集」と題されたCDには、スペイン歌曲の重要な作曲家の名作がたっぷり収録されていて、スペイン歌曲初心者の入門としてもぴったりである。

「7つのスペイン民謡~スペイン歌曲集」
Carreras_katz_falla日本フォノグラム: PHILIPS: PHCP-3834
ホセ・カレーラス(José Carreras)(T)
マーティン・カッツ(Martin Katz)(P)
録音:1984年1月20~23日&7月30日, Henry Wood Hall, London

1-7)ファリャ/「7つのスペイン民謡」(ムーア人の織物;ムルシア地方のセギディーリャ;アストゥリア地方の歌;ホタ;子守歌;歌(カンシオン);ポロ)
8-10)モンポウ/歌曲集「夢のたたかい」(君の上には、ただ花ばかり;今宵おなじ風が;君の気配は海のよう)
11)ヒナステーラ/もの忘れの木の歌
12-13)グァスタビーノ/バラと柳;鳩のあやまち
14-15)オブラドルス/心よ、なぜにお前は;いちばん細い髪の毛で
16-20)トゥリーナ/「歌のかたちの詩」(献呈;けっして忘れないで;唄(カンターレス);2つの恐れ;恋に夢中)

(上記の曲名表記はCD表記に従っています。)

6人の作曲家を生年順で並べると、
ファリャ(Manuel de Falla y Matheu: 1876.11.23, Cádiz, Spain - 1946.11.14, Alta Gracia, Córdoba)
→トゥリーナ(Joaquín Turina Pérez: 1882.12.9, Sevilla, Spain - 1949.1.14, Madrid, Spain)
→モンポウ(Federico Mompou: 1893.4.16, Barcelona, Spain - 1987.6.30, Barcelona, Spain)
→オブラドルス(Fernando Jaumandreu Obradors: 1897, Barcelona, Spain - 1945, Barcelona, Spain)
→グァスタビーノ(Carlos Vicente Guastavino: 1912.4.5, Santa Fé, Argentina - 2000.10.28, Santa Fé, Argentina)
→ヒナステーラ(Alberto Evaristo Ginastera: 1916.4.11, Buenos Aires, Argentina - 1983.7.25, Genève, Switzerland)
となる。
このCDが録音された時(1984年)にはご健在だったモンポウやグァスタビーノもすでに亡くなってしまった。

ファリャの「7つのスペイン民謡」は、スペイン歌曲の中で最も良く知られた作品の一つだろう。第1曲の「ムーア人の織物(エル・パーニョ・モルーノ)」というタイトルは、解説の濱田滋郎氏によると民俗的な舞曲の形式名とのこと。上等の布地にしみがついてしまったので値打ちがなくなったと歌われ、“布地”というのが比喩であることを感じさせる。ピアノや歌の独特な節回しに民俗色を聴き取ることが出来る。第5曲の「子守歌」(不思議な響きが異空間に誘うかのようだ)が一般的な子守歌である点を除くと、曲集中のほとんどの曲の詩が“恋”にまつわる内容になっているようだ。第2曲「ムルシア地方のセギディーリャ」では、不実な恋人を人手をわたる銅貨にたとえ、第3曲「アストゥリア地方の歌」では、慰めを求めて松に寄りかかると、松は私と一緒に泣いてくれたと歌う。恋人を失った涙なのかもしれない(雨がしとしと降っているようなしっとりしたピアノパートが印象的。とめどない涙を暗示しているのだろうか)。第4曲「ホタ」では、人はおれたちが話しているところを見たことがないので好きではないのだろうと言っているが、心に聞いてくれればそうでないことが分かるのにという内容で、恋する者同士だけが分かる秘密めいた心のうちはシューベルトが作曲したゲーテの「ひめごと」にも通じるテーマだろう。第6曲の「歌」では、不実な恋人への恨みつらみをぶちまけ、最後の第7曲「ポロ」では、第1節で胸に秘めた悲しみを誰にも言うまいと嘆くが、第2節では恋の悩みであることを早くも打ち明ける。曲集の最後をしめくくるにふさわしい激しい歌である。

モンポウの「夢のたたかい」は3曲から成る歌曲集で、第1曲「君の上には、ただ花ばかり」の美しさは筆舌に尽くしがたい。亡くなった恋人の上にまかれた花の吐息になって、恋人と共に息絶えたいと歌われる(この曲をモンポウ自身のピアノでロス・アンヘレスが歌っている映像がDVDで出ているので、興味のある方はご覧ください)。第2曲「今宵おなじ風が」は、恋人同士の情熱的な愛の情景が歌われ、モンポウの曲は同じリズムが繰り返され、一風変わった不思議な響きを聞かせる。第3曲「君の気配は海のよう」は、恋人を言い表すのに風景ではたとえることが出来ず、夢とは異なり限りがない存在だと表現する。解説の濱田氏がデュパルクを思わせると表現されたのも納得できる充実した作品。

ヒナステーラの「もの忘れの木の歌」はウルグアイの曲調で作られているそうだが、タンタタタンのリズムが最後の数行を除き一貫していて心地よい。心の悩みをもった人が「もの忘れの木」の下に悩みを「忘れ」に行くが、私がそこで寝た時、「恋人を忘れる」ということを忘れてしまったという内容。最後の落ちの箇所で動きが止まりクライマックスを築き、また元の調子に戻る。

グァスタビーノの2曲はいずれも非常に美しく印象に残る歌である。「バラと柳」はシューベルトの「野ばら」やモーツァルトの「すみれ」と同種の内容。その美しい歌とピアノはきわめて演奏効果が高いと思われる。以前アーメリングがこの曲を録音して、ステージでも聴かせてくれた時、最後にピアノのメロディに合わせて美しいハミングを歌っていたが、カレーラスはこの箇所で歌っていない。楽譜を持っていないので未確認だが、あれはアーメリングの独断での追加だったのだろうか。

オブラドルスはスペイン人歌手が好んで歌う作曲家であろう。「いちばん細い髪の毛で」では、きみの髪の毛で鎖を編むのは傍につなぐため、きみの家の水がめになれたらきみが水を飲むたびにキスできるのにという単純な詩の内容で、オブラドルスの繊細な編曲が詩を凌駕してしまっている感もある。美しいアルペッジョのピアノと繊細この上ない歌は、カレーラスの優しい声とカッツの繊細なタッチで素晴らしく演奏されていた。

最後を飾るトゥリーナの「歌のかたちの詩」は全曲、あるいは抜粋で比較的よくとりあげられるレパートリーだろう。第1曲の「献呈」では、普段伴奏を専門にしているピアニストのソロ演奏が聴ける貴重な作品である。この曲のテーマは第4曲でも再びあらわれる。死ぬ前にこれまで憎んできた人は許してやるが、愛したお前だけは許さないという第2曲、お前からのがれようとするほど身近に感じてしまうという第3曲、昨晩お前は「そんなに近づくとこわい」と言ったくせに今夜は「そんなに離れたらこわい」と言うという第4曲、ヴィーナスよ、あなたを時間をかけて思慮深く愛そうと言う言葉に対し、ヴィーナスは、短くても狂ったように愛してほしいと答えるという第5曲、いずれも愛し合う男女の一場面が生き生きと描かれている。トゥリーナの音楽もスペイン情緒全開で、濃密な感情を表現している。

ホセ・カレーラス(1946-)のテノールとしてはやや重めな声は、これらの小品に細やかな陰影を加え、解放的なだけではない奥行きを与えている。作品のそこかしこに込められた悲哀を表現するのにうってつけの声と表現だと言えるのではないか。「歌のかたちの詩」の第3曲「唄」での深い情の込もった声は凄みすら感じられた。「恋に夢中」では力強い声の威力に有無を言わせぬ感動を与えてくれた(それが単なる声の誇示に留まらないのも彼の美質の一つであろう)。

マーティン・カッツ(1945-)の名前をはじめて知ったのは、80年代にキリ・テ・カナワのリサイタルがTVで放映された時だった。その時の丸刈りの頭が印象に残っている。カッツの演奏は、アメリカ人らしいスマートさ、器用さに加えて、ピアノを歌わせることへの志向を感じさせ、さりげない味わいが織り込まれる。「歌のかたちの詩」の第1曲のソロでは歌曲集の中での位置づけを感じながら情熱を盛り込み、第2曲以降の演奏と自然につないでいたのが素晴らしかった。「バラと柳」での美しい演奏も印象的。

2007年3月現在、このCDは入手が難しいようです。演奏も素晴らしく、見事な選曲なので、いつか復活するといいのですが。

(濱田滋郎氏の対訳と解説を参照させていただきました。)

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