ヘフリガーの歌うヤナーチェク「消えた男の日記」

「ヤナーチェク/消えた男の日記(Tagebuch eines Verschollenen)」
Haefliger_janacek_original_lpユニバーサルミュージック: DG: UCCG-3410(ただし、左のジャケット写真はオリジナルLP)
エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)(T:1-9, 11-12, 14-22)
ケイ・グリフェル(Kay Griffel)(A:9-11)
女声合唱(Frauenchor)(9-10)
ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik)(P)
録音:1963年11月25-27日、Gemeindesaal, Neumünster Kirche, Zürich

ヘフリガー44歳の時に録音されたヤナーチェク(Leoš Janáček: 1854.7.3, Hukvaldy, Moravia - 1928.8.12, Ostrava)の「消えた男の日記」をあらためて聴いてみた。原語はチェコ語(原題: Zápisník zmizelého)だが、ここではカフカの作品編纂や伝記で知られる作家マックス・ブロート(Max Brod: 1884.5.27, Praha – 1968.12.20, Tel Aviv)によるドイツ語訳で歌われている。原詩はチェコの鉄道会社職員のオゼフ・カルダ(Ozef Kalda, 1871 - 1921)が匿名で新聞に発表したもので、1917~1919年に作曲された。

村に住む農夫の若者が突然現れたジプシーの娘に惚れ込み、結ばれた後、罪の意識から村を捨て駆け落ちをするという内容。なお、このCDの日本語対訳はドイツ語と対応していない箇所もあるので、おそらくチェコ語の原詩の訳だと思われる。以下のタイトルと大意はドイツ語訳から訳した(ブロートの著作権が継続中なので、大意にとどめてあります。大意は、意味が通るように言葉を付け加えてたり言い換えたりしている箇所もあります)。登場人物は若い農夫のヤン(原詩では「ヤニーチェク」のようだ)と、ジプシー娘ゼフカで、情景描写を歌う女声合唱も加わる。

1)若いジプシー娘に会った(Traf eine junge Zigeunerin):「私を深く見つめていたジプシー娘のことが頭から離れない」という内容。

2)まだいるのか、このジプシー娘は?(Ist sie noch immer da):「あのジプシー娘がさすらいをやめてこの地にとどまっている。よそへ行ってくれればいいのに」という内容。

3)蛍の戯れが茂みの端に広がり(Wie der Glühwürmchen Spiel):「蛍が戯れる茂みで待っていると、二つの目が輝いている。神様、お許しを」という内容。

4)つばめがもう巣で朝のさえずりをしている(Zwitschern im Nest schon die Schwalben):「つばめもさえずる朝がやってきたが、一晩中いばらの中にいるようだった」という内容。

5)今日は耕すのもつらい(Heut' ist's schwer zu pflügen):「眠れなかったので畑を耕すのはつらい」という内容。

6)そら!馬鹿どもよ(Heissa! ihr Öchselein):「仕事仲間よ、あのハンノキの方を振り返るなよ、そこでスカーフを見せている娘よ、塵と消えるがいい」という内容。

7)犂先の棒はどこにいった?(Wo ist das Pflöcklein hin):「犂先の棒がなくなったので、ハンノキの茂みに行って探してこよう」という内容。

8)馬鹿どもよ、心配して振り返って見るなよ(Seht nicht, ihr Öchselein):「ハンノキの端に黒いゼフカが立っている。あの邪悪な眼差しにいつでも抵抗してやる」という内容。

9)よく来たわね、ヤン(Sei willkommen, Jan):「よく来たわね、私におびえているの-そんなことはない、木を切りに来ただけだ-その前に私の歌を聴いて、“陰鬱な歌が彼の心を甘美さで満たす”」という内容。アルト、テノール、合唱による。

10)あの上方におられる神よ、言い給え(Gott dort oben, sag):「神よ、なぜジプシーをお創りになったのですか。ヤン、もっと近くで横になってよ-彼女がシャツをはだけると、彼は驚いて頭に血がのぼった」という内容。アルト、合唱による。

11)野原の端から(Von der Heidin Wangen):「ジプシーが寝るところを見たくない?-彼女は小石をどけて、枝を脇にやって、ベッドをつくった-クッションは森の地面、布団は空の装飾よ-彼女はスカート1枚だけで横になる。ぼくの純潔を失うのはなんと哀しいことか」という内容。アルト、テノールによる。

12)暗いハンノキの森(Dunkler Erlenwald):「森の娘の黒さやそのひざの白さなどを決してぼくは忘れられない」という内容。

13)(ピアノ独奏):ここで若者とジプシー娘が愛し合うさまをピアノ・ソロで表現する。

14)太陽が昇り(Sonn' ist aufgegangen):「ぼくが失ったものを誰が返してくれるのか」という内容。

15)馬鹿どもよ、突っ立っていないで俺を見るのだ(Meine grauen Ochsen):「仕事仲間よ、告げ口したら鞭打ちだぞ。だが一番困るのは、家で母親の顔を見ることが出来るかということ」という内容。

16)俺はなんということをしてしまったのだ(Was hab' ich da getan?):「なんということをしてしまったのだ。ジプシー夫妻がぼくの親になるなんて。明るく歌うひばりが飛び去り、誰も哀しみを慰めてくれない」という内容。

17)逃げろ、運命が呼んだら(Flieh, wenn das Schicksal ruft):「誰も運命から逃れられない。月明かりの中、ハンノキの方へ急ぎ、葉っぱをどかすとそこに快楽がある」という内容。

18)それ以外考えられない(Nichts mehr denk ich):「ゼフカと過ごすこと以外なにも考えられない。夜がずっと続けば永遠に愛し続けられるのに」という内容。

19)カササギが飛び去り(Wie die Elster wegfliegt):「妹のシャツを誰が盗んだか知られたら妹はもうぼくと口をきいてくれないだろう。ぼくの人生は全く変わってしまった」という内容。

20)立派な女性がいて(Hab' ein Jüngferlein):「彼女のスカートが腰あたりまでまくられた」という内容。

21)お父さん、誤ちをおかした日々をのろいます(Vater, dem Tag' fluch ich):「罪を犯した者は悔い改め、嘆きます。父よ、ぼくも運命を背負わなければなりません」という内容。

22)さようなら、故郷よ(Leb denn wohl, Heimatland):「さようなら、故郷よ、家族よ。詫びることさえ出来たなら。ゼフカが腕に息子をかかえてもうあそこに待っている」という内容。

ヘフリガーは持ち前の硬質な声で主人公になりきった表現を聴かせている。決して器用さや、芝居っけ、声の甘美さで聴かせるタイプではないが、彼のもともと持ち合わせている気品や純朴な特質が、無垢な若者の心の不安やときめき、痛みなどを小細工なしにストレートに表現するため、真実味が感じられていつのまにか共感して聴いてしまう。テクニックは完全に後ろに隠れ、歌手の音楽性や人格が前面に出た歌唱と言えるだろう。第3曲最後の神に助けを求める箇所の歌いぶりなど真に迫っていて素晴らしかった。最終曲の最後に2箇所最高音が出てくるが、ここでのヘフリガーの声が胸に突き刺さってくる。
9~11曲目だけに登場するジプシー娘役のケイ・グリフェルは包容力のある、よく練り上げられた声と表現を聴かせていて、全く違和感がない名唱である。
9、10曲目のみの女声合唱は、その団体名すらCDに表記されていないので、あるいは臨時編成なのかもしれないが、オフ気味の録音であまり巧さが前面に出ていないのが神秘的でかえって良かった。
指揮者として著名なクーベリックの珍しいピアノ演奏は、作品への深い共感が感じられ、彩り豊かに情景描写や心理描写を表現し、テクニック面でも問題なく、単なる余技を越えた演奏である。民族舞曲調の第20曲などリズミカルな名演だし、ピアノ独奏の第13曲はある意味、曲集中の一つのクライマックスを雄弁な表現力で築きあげた。

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エルンスト・ヘフリガー逝去

スイスの名テノール歌手、エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger: 1919.7.6, Davos - 2007.3.17, Davos)が3月17日(土)、スイス、ダヴォスの自宅で急性心不全の為亡くなったそうだ。2ヶ月前にNHKで1992年の来日公演が放送されたばかりだが、彼もすでに87歳、天寿を全うしたと言えるのだろう。

ヘフリガーはチューリヒ音楽院で歌とヴァイオリンを学び、ジュネーヴでフェルナンド・カプリ(Fernando Capri)、ヴィーンでユーリウス・パツァーク(Julius Patzak)に師事した。1942年にジュネーヴで「ヨハネ受難曲」を歌ってデビューし、指揮者フェレンツ・フリッチャイ(Ferenc Fricsay)の助言によりオペラも歌い始める。1943年から1952年までチューリヒ歌劇場に所属、その後1974年までベルリン・ドイツ・オペラで歌った。1971年にはミュンヒェン音楽大学の教授に就任した。

ヘフリガーについて語る時に第一に挙げるべきなのはバッハ歌いとしての側面であろう(とりわけ受難曲でのエヴァンゲリストとして)。また、世界各国で多数のオペラに出演し、1966年にはベルリン・ドイツ・オペラの一員として初来日している。1980年以降は草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバルにしばしば参加し、演奏と指導を行ってきたので、日本人にも馴染みの深い存在と言えるだろう。

私がヘフリガーの実演を聴けたのはただ1度だけ、岡田知子さんのピアノによるブラームスの「マゲローネのロマンス」の時だった。確かカザルスホールだったと思うが、この時は語りに加藤剛さんの録音が使われていた記憶がある。すでに高齢だったが、作品への真摯な姿勢には敬服したものだった。

ヘフリガーは若い頃から歌曲を積極的に歌っていたようだ。シューベルトの三大歌曲集はもちろん、シューマン「詩人の恋」やブラームス「マゲローネのロマンス」、ベートーヴェン「遥かな恋人に」のほか、ヤナーチェク「消えた男の日記」やヘフリガーと同じくスイス人のシェックの歌曲も歌っている。名手、小林道夫さんとは「美しい水車屋の娘」や「冬の旅」を録音し、ヨーロッパでの演奏も共に行っている。80年代に入ってからClavesレーベルに録音したシューベルトの三大歌曲集は、イェルク・エーヴァルト・デーラー(ヘフリガー同様、草津の常連)のハンマーフリューゲルの響きが当時まだ珍しかったことも相俟って、大きな話題になったものだった。そしてもちろんドイツ語訳による日本歌曲の演奏と録音も後年の彼を語るうえで忘れることが出来ない。日本歌曲の価値を世界に問おうとする彼の使命感は、ある意味、地域密着型の歌曲演奏の供給のあり方に一石を投じたものと言えるかもしれない。ドイツ語で歌われることによって「日本」の味わいは薄まっても、日本人が近藤朔風の訳詩で「野ばら」を歌うことによって知らないうちにドイツリートに親しむのに似た効果を期待できるのかもしれない。しかしヘフリガーはそんな大それたことをしている感じもなく、何の気負いもなく、ドイツリートのように日本歌曲を歌い、新鮮な喜びを与えてくれた。

彼の歌はその崩れのないフォルムが高く評価されてきたが、オラトリオなどで培われたであろう端正な形式感覚はリート演奏でも遺憾なく発揮されている。そのスタイリッシュで無駄のないメロディの流れは、聴き手が曲の世界にストレートに入り込むことを容易にしてくれる。彼の歌唱どれ1つをとっても、恣意的な歪みが皆無であり、ヘフリガーという代弁者を通じて作曲家の生の声を聴いているかのようである。

彼のDGに録音したリート演奏をClavesから再発売したものが手元にあったのであらためて聴いてみたが、誠実でひたすら真っ直ぐな彼の歌唱はとにかく清々しく、聴いていて本当に気持ちがいい。若き日のみずみずしい声は魅力的だが、彼は後年になってもそれほど声の鮮度が落ちなかったのはすごいことだと思う。こういうタイプの歌手はなかなか他にいないであろう。この寄せ集めのCDの選曲はなかなか良く出来ていて、ドイツリートの著名な作曲家の作品が網羅されている。この中には3曲のオットマル・シェックの歌曲も含まれているが、「追悼(Nachruf)」Op. 20-14と題されたアイヒェンドルフの詩による美しい歌曲を聴きながらヘフリガーのご冥福を祈りたいと思う。

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Haefliger_klustヘフリガーを讃えて《ヘフリガー/ドイツ・リート集》(HOMMAGE A ERNST HAEFLIGER)
キングレコード: Claves: 270E 7042 (50-8907)

エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)(T)
ヘルタ・クルスト(Hertha Klust)(P:1-15)
ジャクリーヌ・ボノー(Jacqueline Bonneau)(P:16-18)
エリック・ヴェルバ(Erik Werba)(P:19)
録音:1956年11月Berlin(1-8)、1958年8月&1959年8月München(9-18)、1962年10月Berlin(19)

1-4)シューベルト/愛の声D412;泉のほとりの若者D300;シルヴィアにD891;ミューズの子D764
5-8)ブラームス/森の静寂Op. 85-6;たよりOp. 47-1;私たちはさまよい歩きOp. 96-2;小太鼓の歌Op. 69-5
9-10)シューマン/くるみの木Op. 25-3;月夜Op. 39-5
11-13)シェック/わが母にOp. 14-1;追悼の辞Op. 20-14;ささやかな願いOp. 24a-7
14-15)ヴォルフ/旅路;庭師
16-18)シューマン/ぼくは樹々の下をさまようOp. 24-3;恋人ちゃん、ぼくの胸にお手々をあててごらんOp. 24-4;ぼくの苦悩の美しいゆりかごOp. 24-5
19)ベートーヴェン/「遙かなる恋人に寄す」Op. 98

(このCDはおそらく現在は入手困難だと思います。)

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(2007年4月1日(日)追記)

かつて聴きに行ったヘフリガーの来日公演のプログラムが出てきたので、ご紹介しておきます。

「エルンスト・ヘフリガー・リサイタル」
Haefliger_program1995_11995年9月3日(日)午後7時30分開演
東京・カザルスホール

ブラームス/歌曲連集「マゲローネのロマンス」作品33

エルンスト・ヘフリガー(T:第1~10、12、14~15曲)
蒲原史子(S:第11、13曲)
岡田知子(P)
加藤剛(語り:テープ録音による)

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ブリテン&ピアーズ、ヘフリガー&ニキーティナの来日公演

この前の日曜日のNHK「思い出の名演奏」で過去の2つの歌曲演奏が放送された。この枠で歌曲が放送されたのは初めてではないか。前半がピアーズ&ブリテンの50年以上前の演奏、後半がヘフリガー&ニキーティナのドイツ語訳による日本歌曲という興味深い内容だった。

ピアーズとブリテンの演奏会は、曲ごとに日本語のアナウンスが入るもので、当時の放送の様子がうかがえて面白かったが、これまで晩年の声を聴くことの多かったピーター・ピアーズがまだ若かった頃の美声を披露していたのがうれしかった。パーセルの歌2曲とブリテンのミケランジェロの詩による歌曲集、それにブリテンの編曲した有名な民謡3曲というプログラムは実に魅力にあふれた選曲で、ピアーズのほとんど動かないまま、表情豊かに歌う様は、曲の世界に感情移入するのをたやすくしてくれた。ブリテンの演奏は堅実だが、作曲家らしい自己主張もみられた(「サリー・ガーデン」の左手をスタッカート気味に弾いていたのが印象に残った)。

スイスのテノール、ヘフリガーはドイツ語訳による日本歌曲の録音を沢山残しているが、このコンサートではよく知られた作品を真摯な表現で聴かせてくれた。演奏前のインタビューでも誠実さが滲み出ていたが、歌もひたむきな表現が何の虚飾もなく迫ってくる。当時すでに高齢だったが、しっかりと基礎の出来ている人は芸で聴かせてくれるのだからすごいものである。これらの曲、日本人が聴けば日本歌曲であることは分かるが、何も知らせずに外国人が聴いたらどうだろうか。少なくとも「花」は日本歌曲とは思わないのではないか。ヘフリガーは日本歌曲が世界的に歌われる機会を増やすためにこれらの独訳の作品を歌っているとのことだが、それだけではなく、日本歌曲から日本語を除いたら、どれぐらい日本的な刻印が残っているのだろうかということも考えさせてくれる良い機会を与えてくれたように思う。ピアノのニキーティナは弾き方は柔和な感じだが、原曲を自分のものにしているような同化した演奏を聴かせていた。

本当は、この記事を書くために録画をもう1度見ようとしたのだが、悲しいかな、ビデオテープがデッキに巻きついてしまい、貴重な録画がおじゃんになってしまった(先週のコジェナーたちの放送も入っていたのだが)。

-ブリテン&ピアーズ来日公演-

パーセル/われ恋の傷手をのがれんとて
パーセル/男は女のためのもの
ブリテン/「ミケランジェロの7つのソネット」 Op. 22(愛と芸術/愛の支配/愛は光をもたらすもの/愛の願い/むなしき愛/愛のいさめ/美の破滅)
イギリス民謡、ブリテン編曲/ディー河の粉屋さん
アイルランド民謡、ブリテン編曲/サリーガーデンのほとりで
イギリス民謡、ブリテン編曲/オリヴァー・クロムウェル

ピーター・ピアーズ(Peter Pears)(T)
ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)(P)
収録:1956年2月9日、旧NHKホール

-ヘフリガーが歌う日本歌曲-

山田耕筰(詩:北原白秋)/この道
山田耕筰(詩:北原白秋)/待ちぼうけ
近衛秀麿(詩:北原白秋)/ちんちん千鳥
岡野貞一(詩:高野辰之)/おぼろ月夜
岡野貞一(詩:高野辰之)/ふるさと
中田喜直(詩:内村直也)/雪のふるまちを
滝廉太郎(詩:武島羽衣)/花
滝廉太郎(詩:土井晩翠)/荒城の月
(以上独訳:村上紀子、マルグリット畑中)

エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)(T)
イリナ・ニキーティナ(Irina Nikitina)(P)
収録:1992年11月8日、王子ホール

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