ナタリー・シュトゥッツマン&インゲル・ゼーデルグレン/シューベルト作曲 歌曲集《冬の旅》D911(2014年11月24日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第14篇
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト) 冬の旅

2014年11月24日(月・祝)17:00 トッパンホール

ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
インゲル・ゼーデルグレン(ピアノ)

シューベルト/歌曲集《冬の旅》D911
 1.おやすみ
 2.風見鶏
 3.凍った涙
 4.凍てつく野
 5.菩提樹
 6.あふれ流れる水
 7.河の上で
 8.振り返り
 9.鬼火
 10.休み
 11.春の夢
 12.孤独
 13.郵便馬車
 14.白髪
 15.カラス
 16.最後の希み
 17.村で
 18.嵐の朝
 19.惑わし
 20.道しるべ
 21.宿屋
 22.勇気
 23.幻の太陽
 24.辻音楽師

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コントラルト歌手ナタリー・シュトゥッツマンとピアニスト、インゲル・ゼーデルグレンによる「冬の旅」をトッパンホールで聴いた。
私はこの日は若干寝不足だったようで、演奏が始まるととにかくまぶたが重くなり、目を開けていることがほとんど出来ない。
そんなわけで舞台を見ることは半ば諦め、耳から音楽を楽しむことにした。
シュトゥッツマンの歌う「冬の旅」は、主人公と一体化しない。
もちろん感情の起伏を克明に描いていくことに変わりはないのだが、「なりきる」ことを避けているかのように感じられる。
むしろ、そばにいる若者を見つめながら、その彼の代弁をしているような感じだ。
そのような姿勢によるシュトゥッツマンの血の通った温かい声の深みが、トッパンホールの隅々まで響き渡る。
声はみずみずしさをいささかも失っておらず、聴き手の心を温かく包み込む。
その心地よさは「冬の旅」の主人公にそっとエールを送っているかのようでもあった。
ピアノのセーデルグレンは時折あっけない演奏に陥る箇所もないではなかったが、概して随分と細やかな表情の機微を浮かび上がらせた好演を聴かせてくれていたと感じた。
私の席の位置の関係だろうか、以前に聞こえたほどセーデルグレンの鼻歌は目立たなかったが、それでも若干歌っていたようで、それをお客さんの鼻歌と誤解する人もいるようだ。

いずれにせよ女声による最高の「冬の旅」の演奏のひとつであることは間違いなく、今回寝不足だったことがかえすがえすも悔やまれた。
アンコールは無し。

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ナタリー・シュトゥッツマン&インゲル・ゼーデルグレン/〈歌曲(リート)の森〉第5篇(2013年2月6日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~第5篇
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)

2013年2月6日(水)19:00 トッパンホール(B列4番)

ナタリー・シュトゥッツマン(Nathalie Stutzmann)(contralto)
インゲル・ゼーデルグレン(Inger Södergren)(piano)

マーラー(Mahler)/《若き日の歌》より(Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit)
 春の朝(Frühlingsmorgen)
 思い出(Erinnerung)
 もう会えない(Nicht wiedersehen!)

マーラー/《子どもの魔法の角笛》より(Lieder aus "Des Knaben Wunderhorn")
 ラインの伝説(Rheinlegendchen)

シューマン(Schumann)/《詩人の恋(Dichterliebe)》Op.48
 うるわしい、妙なる五月に
 ぼくの涙はあふれ出て
 ばらや、百合や、鳩
 ぼくがきみの瞳を見つめると
 ぼくの心をひそめてみたい
 ラインの聖なる流れの
 ぼくは恨みはしない
 花が、小さな花がわかってくれるなら
 あれはフルートとヴァイオリンのひびきだ
 かつて愛する人のうたってくれた
 ある若ものが娘に恋をした
 まばゆく明るい夏の朝に
 ぼくは夢のなかで泣きぬれた
 夜ごとにぼくはきみを夢に見る
 むかしむかしの童話のなかから
 むかしの、いまわしい歌草を

~休憩(intermission)~

ヴォルフ(Wolf)/《メーリケ歌曲集》より(Lieder aus "Gedichte von Eduard Mörike")
 散歩(Fussreise)
 飽きることのない恋(Nimmersatte Liebe)
 出会い(Begegnung)
 捨てられた娘(Das verlassene Mägdlein)
 古画に寄せて(Auf ein altes Bild)
 隠棲(Verborgenheit)

ヴォルフ/《ゲーテ歌曲集》より(Lieder aus "Gedichte von Goethe")
 ねずみをとる男(Der Rattenfänger)

~アンコール~

マルティーニ(Martini)/愛の喜びは(Plaisir d'Amour)
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/小姓の歌(Pagenlied)
アーン(Hahn)/クロリスに(À Chloris)

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フランスのコントラルト歌手、ナタリー・シュトゥッツマンのリサイタルを久しぶりに生で聴いた。
ピアノはシュトゥッツマン長年のパートナーであるスウェーデン出身のインゲル・セーデルグレン。
数年前に同じプログラムでリサイタルが予定されていながら、シュトゥッツマンの病気で中止となっていた為、今回はその延期公演ということになろうか。

今回久しぶりに日本のホールに現れたシュトゥッツマンは、以前のような宝塚の男役スターばりの雰囲気は封印して、胸の開いたシックな黒のドレスに身を包み、髪も伸ばし、女性的な雰囲気を出していたのがまず印象的だった。
一方のセーデルグレンは失礼ながらちょっとふけたかなぁという印象。
かなり顔が痩せていて、ニコリともせず拍手にこたえる。

マーラーの歌曲4曲にシューマンの「詩人の恋」全曲という前半に対して、ヴォルフ歌曲7曲の後半というプログラミングは、若干頭でっかちな印象を受けた。
せっかくならばもう数曲ヴォルフのゲーテ歌曲でも増やして歌えばバランスがいいのになどと勝手なことを思いながら、演奏を聴く。

マーラーの第1曲を聴き始めた時、コントラルトという女声の最も低い響きにあっという間に惹きこまれた。
思い起こせば、この歌手をCDで初めて聴いた時の印象は今も忘れられない。
「詩人の恋」や「ビリティスの歌」を一体何度低く下げたのか、聴き慣れた響きや雰囲気とは全く異なる世界がそこにはあって、当初とまどい、否定的な感想を持ったことを今でも思い出すことが出来る。
だが、長年聴き続けるにつれて、彼女ほど印象ががらっと変わった演奏家は他にいない。
今はこの低音の響きに心地よく包まれている自分を感じている。
なんというユニークで素晴らしい音楽家なのだろう。
それを今回のコンサートでも終始全身で感じることが出来た。

マーラーの「春の朝」では「起きなさい(Steh' auf!)」を様々なニュアンスで表現し、
「思い出」と「もう会えない」では異なる哀しみを表現し分け、
「ラインの伝説」では素朴な物語を起伏に富んだ語り口で聴かせてくれた。

「詩人の恋」はシュトゥッツマンの主人公になりきった自在な表現が、詩人の鬱屈した心情を外に解き放っていて心に響いた。
セーデルグレンも思いのこもった演奏ぶりだが、どの曲も最後の音を伸ばし気味なのは、各曲をつなげようとしたのだろうか。
曲によっては弛緩した印象も受けてしまった。

後半のヴォルフは、シュトゥッツマンの歌で聴くのは私にとって初めてだが、これもかなり良い。
彼女の重心の低い光沢に満ちた声が、ヴォルフ歌曲の渋みとよい化学反応を起こして、とても真実味にあふれた表現となっていた。
こういう歌でヴォルフを聴けば、難しいという先入観も取っ払われるのではないだろうか。
圧巻だったのが、「ねずみをとる男」。
急速なテンポで町からねずみも女の子もみんな連れ去ってしまうという内容を臨場感豊かに歌う。
セーデルグレンもさりげなく巧さを見せた。

そのセーデルグレン(スウェーデン人なので「ゼ」ではなく「セ」だろう)のピアノ、以前聴いた時の粗雑で表面的だった印象から考えると、今回は随分味わいを増したいい音楽となっていたように感じた。
昨今ピアニストが歌ったり、唸ったりしながら弾くのは別に珍しいことではなくなったが(先日聴いたポール・ルイスでさえ唸っていた)、今回のセーデルグレンはちょっと調子はずれな鼻歌風に歌うので、シュトゥッツマンの歌と変なデュエットとなり、あまり有難くはなかった。
ゲアハーアー(ゲルハーヘル)のピアニストとして日本で演奏したゲロルト・フーバーはホラー映画ばりの低い唸り声をあげてはいたが、そこに節がついていなかったからそれほど邪魔にならなかったのだろうか。
ちなみにセーデルグレンは今回ピアノの蓋を短いスティックで少し開けていたに過ぎなかった。

アンコールではシュトゥッツマンの母国語の歌が2曲聴けたのがうれしかったが、メンデルスゾーンの「小姓の歌」といったドイツリートも選曲するあたり、相当ドイツものに入れ込んでいるのであろう。
彼女のドイツ語はネイティヴの歌手たちと遜色のないほど、よく訓練された美しい響きであり、彼女のリートを聴くということは、本物のリートを聴くということに近いのではないだろうか。

なお、このトッパンホール公演の数日前に行われたフィリアホールでの公演はNHK BSプレミアムで放映予定とのこと。
そちらも楽しみに待ちたい。

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コジェナー&コシャーレク、シュトゥッツマン&セーデルグレンによる歌曲リサイタル(2007年1月21日NHK芸術劇場)

この前の日曜日に、NHKで2つの歌曲コンサートが放送された。
コジェナー(MS)&コシャーレク(P)によるトッパンホールでのリサイタルと、シュトゥッツマン(CA)&セーデルグレン(P)による紀尾井ホールでのシューベルト・リサイタルである。コジェナーもシュトゥッツマン&セーデルグレンも、過去に1度だけ実演を聴いたことがあるが、今回放映される公演には出かけていなかったので、新鮮な気持ちで楽しめた2時間弱だった。

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(以下、曲名表記はNHKの表記に従った。)

マグダレーナ・コジェナー(Magdalena Kožená)(メゾソプラノ)
カレル・コシャーレク(Karel Košárek)(ピアノ)

2006年6月21日トッパンホール

モーツァルト/海はなぎ、ほほえんでK. 152;老婆K. 517;すみれK. 476;夕暮れの情ちょK. 523
シューマン/歌曲集「女の愛と生涯」Op. 42(全8曲)
ドヴォルザーク/歌曲集「ロマの歌」Op. 55(全7曲)
ヴォルフ/「メーリケ歌曲集」より~新年に;四月の黄色いちょう;よう精の歌;眠れるみどり子イエス;別れ

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コジェナーのリサイタルは、ほかにモーツァルト2曲(魔術師K. 472;ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたときK. 520)と、ペトル・エベンという作曲家の「小さな悲しみ」という歌曲集が当日歌われたらしいが、放送では省かれた。

チェコ出身のコジェナーは録音でも祖国の作品を多く取り上げているが、ドイツ歌曲はそれほど録音していなかったのではないか。今回はドヴォルザークがチェコ語版で歌われた以外(放送で省かれたエベンを除き)、ドイツ歌曲が歌われたのが珍しく感じた。細身の美しい容姿は聴く前から彼女の声質を予感させるが、その予感通りのリリックで美しい声が響く。声種はメゾソプラノとのことだが、バーバラ・ボニーを思わせる清澄で爽やかな声と表現はむしろソプラノ的に聞こえる。ドイツ語の発音もかなり質が高いように感じたが、語末の子音(nなど)が若干しつこく感じられることもあった。

最初のモーツァルト「海はなぎ、ほほえんで」K. 152では、コジェナーは作曲当時は普通に行われていた歌の旋律への装飾を加え、穏やかな小品に華やかさを加えていた。続く「老婆」でも後半の節に装飾がされて、有節形式に彩りを与えていたが、それにしても「老婆」でのコジェナーの細かい表情づけはさすがオペラの舞台を踏んでいるだけの演技力であった。決して声の色を極端に変えているわけではないのだが、老婆を模した語りが冴えていて、とりわけ各節最後のトリルの扱いがシニカルかつユーモラスであった。シューマンの「女の愛と生涯」は個性的な表現ではないが、ストレートに女性のはじらい、ときめき、歓喜、母性、そして絶望をあらわしていた。その慎ましさがこの古めかしい歌曲集にはふさわしいのだろう。ドヴォルザークの「ロマの歌」とNHKが表記する歌曲集は、もちろん「ジプシーの歌」のことであるが、「ジプシー」という言葉に差別的な意味合いがあると言われていることにNHKが反応して、この言葉の代わりに「ロマ」と表記しているのだろう。今回のコジェナーの歌唱はチェコ語版で歌われたが、ドヴォルザークがドイツの歌手のために独訳に曲を付けたという事情もあってドイツ語で歌われるものを聴く機会の方が個人的には多かったので、なんだか別の曲みたいである。こういう時に、歌曲における言葉の響きというものがいかに音楽と一体となっているかを感じさせられる。コジェナーの歌唱はあまり奔放さを感じさせないが、必要な程度の力強さには不足していない。だが、やはり第3、4曲(第4曲は有名な「母が教えてくれた歌」)のような静かな曲で一層魅力的だったように感じた。ヴォルフの「メーリケ歌曲集」からは穏やかなミニアチュールが多く選曲されていたが、早めのテンポで前進していった「よう精の歌」は表現の力が特に抜きん出ていた。この曲の最後のセリフ"Guckuck"はちょっと威力があり過ぎてこわかったが。プログラム最後の「別れ」はいちゃもんをつけたがる批評家を階段から突き落として喝采をあげるというまさにヴォルフならではの作品であるが、この曲といい、「老婆」や、ショスタコーヴィチの歌曲集「風刺」(録音があるらしい)といい、コジェナーのシニカルな作品への傾倒がうかがえるのが興味深い(一見、そういう感じに見えないので)。

コジェナーの共演者、カレル・コシャーレクというチェコのピアニストは名前も演奏も私にとってははじめてだったが、また一人素晴らしいピアニストを知ることが出来た喜びでいっぱいである。とても余韻を大切にする音楽的な演奏をする人で、タッチや音色のパレットは多彩、ダイナミクスも詩の内容と見事にリンクして素晴らしかった。このような特質から、やはりシューマンの演奏がとりわけ味わい深かった。ドヴォルザークの「ロマの歌」の何曲かでは若干奔放さやリズムの乗りが欲しい箇所もあったが、ヴォルフの「別れ」における批評家のぶざまな姿の描写は雄弁かつ切れがあって、なかなか聴けないほどの名演奏だった。最近はピアノの蓋を全開にして弾く歌曲ピアニストが増えているようだが、コシャーレクも全開のピアノを巧みに操っていて見事だった。

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ナタリー・シュトゥッツマン(Nathalie Stutzmann)(コントラルト)
インゲル・セーデルグレン(Inger Södergren)(ピアノ)

2006年9月8日紀尾井ホール

シューベルト/漁師の歌D. 881b;あこがれD. 879;死とおとめD. 531;さすらい人D. 489;
歌曲集「白鳥の歌」D. 957より~愛のたより;兵士の予感;セレナード;遠い国で;アトラス;彼女の絵姿;影法師

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シュトゥッツマンのこの公演も、本当は「白鳥の歌」が全曲(「鳩の便り」はアンコールで)歌われたそうだが、放送時間の都合で抜粋の形になったのは残念だった。

正直なところ、これまでシュトゥッツマン(パリジェンヌなので、ステュッツマンと表記する方がいいのでは?)の歌は苦手だった。単なる好みの問題だが、私にとって彼女の声と表現はあまりに低く、重すぎたのである。だが、今回久しぶりに彼女の演奏を聴いて驚いた。なんという深く豊かな表現なのだろう。彼女はこんなすごい歌を歌う人だったのかと、とにかく驚嘆した。声はどんな箇所でも光沢を放ち、綻びもなく、強いところから弱いところまで充実した響きでムラがない。その声の低さが気にならなくなったどころか、むしろ非常に美しく感じる。これほどまでに180度感じ方が変わったのはどういうことなのだろう。あるいはシュトゥッツマンの表現が極端に変わったというのではなく、私自身がいろいろな演奏に接して、こういう演奏を受け入れることが出来るようになっただけかもしれない。聴く時期に応じて以前好きだった演奏や曲がそれほどでもなくなったり、逆に苦手なものが大好きになったりということは、程度の差こそあれ特に珍しいことではないだろうが、今回はまさにその極端な体験だったのかもしれない。「死とおとめ」や「さすらい人」の最後の音を低声歌手は1オクターヴ下の方を選んで歌うことがあるが、予想に反してシュトゥッツマンは高い方で歌っていた(「死とおとめ」ではかつて“ソプラノ”のジェシー・ノーマンが低い音を歌って驚嘆したものである)。相変わらずドイツ語の発音は明晰で見事である。シューベルトの多彩な側面を掘り下げながら、素直に丁寧に歌われた極上の歌たちだった。

セーデルグレンはシュトゥッツマンが高く評価しているピアニストで、カトリーヌ・コラール亡き後、常に共演しているが、彼女の演奏は素っ気無かったり、若干雑に感じるところがあり、どうも私には演奏の魅力があまり伝わってこないのである。シュトゥッツマンの声に合わせてかなり低く移調しているがゆえの弾きにくさももちろん無関係ではないだろう。だが、そのことを差し引いても、例えば「愛のたより」の間奏は小川のせせらぎというよりも時化の海のように力ずくに感じられた。一方彼女の資質が生きたのは「アトラス」で、持ち前のパワーを発揮して雄弁に表現していた。

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