ヴェンベルイ&パーソンズ/グリーグ、ラングストレム、シベリウス歌曲集
今年はノルウェー出身のグリーグ(Edvard Hagerup Grieg, 1843.6.15, Bergen - 1907.9.4, Bergen)の没後100年、そしてフィンランド出身のシベリウス(Jean Sibelius, 1865.12.8, Hämeenlinna - 1957.9.20, Ainola)の没後50年にあたるので、この両者の歌曲を含むCDを引っ張り出して聴いてみた。
「グリーク/歌曲集“山の娘”」
東芝EMI: EMI: CE30-5495
録音:1973年6月26,28日&7月1日, Abbey Road Studios, London
シーヴ・ヴェンベルイ(Siv Wennberg)(S)
ジョフリー・パーソンズ(Geoffrey Parsons)(P)
グリーク/歌曲集“山の娘”作品67(歌い;ヴェスレモェイ;青い実の斜面;逢引き;愛;子山羊のダンス;悪い日;小川で)[ガルボルグ]
ラングストレム/セメレ[ストリンドベルイ];新月の下の少女[ベルイマン];パン(牧羊神)[ベルイマン];ヴィッレモ[ストリンドベルイ];アマゾン(女の戦士)[ボイエ]
シベリウス/はじめての口づけ作品37の1[ルネベルイ];“牧歌と警句”より作品13の7[ルネベルイ];逢引きから帰った乙女作品37の5[ルネベルイ];黒いバラ作品36の1[ヨセフソン]
(以上の演奏者名と曲名表記は解説書表記に従った。)
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グリーグの歌曲集「山の娘」は全8曲からなり、菅野浩和氏の解説によれば「田園(むしろ丘といったほうがよい)に育った乙女の身の上に起ったできごと」が歌われている。
1曲目では何者か(娘の心の声なのか、超自然的な存在によるものなのか)による娘に対する山への誘いが歌われる。声の高低の差の大きい印象的な曲。
2曲目で娘ヴェスレモイの外見や所作が描写される。曲は静かな中に熱さをもっている感じ。
3曲目はこの娘がブルーベリーの斜面にきて、熊や狐が近づいてきた時のことを想像し、最後にすてきな男性が来たらと空想して終わる。明るく軽快な曲。
4曲目は娘と恋人との幸せな逢引の一時を歌ったもの。各節とも静かな響きから徐々に盛り上がり、気持ちの高揚感を表現する。
5曲目は娘の恋人への熱い思いを歌ったもの。
6曲目は一転して子山羊のダンスが描写される。ちょっとした気分転換の曲という感じだ。
7曲目は恋人に裏切られた娘の傷つきもだえる様が描写される。
最終曲は小川を前にした娘がここで私を眠らせておくれと歌う。シューベルトの「美しい水車屋の娘」の女性バージョンと言えるだろうか。5節からなるが、完全な有節形式ではなく、内容に応じて微妙な変化を見せている。
ラングストレムの5曲はいずれも個性的な作品で、とりわけ「セメレ」は歌、ピアノ共にインパクトが強かった。
シベリウスの4曲はいずれも有名な作品だろう。
「はじめての口づけ」は、「恋人にはじめて口づけするときに何を考えるの」と少女が星に尋ねるという内容。
「“牧歌と警句”より」は、人生を四季にたとえ、人生の春や夏は急いで逃げてしまうが、去るものはそのままにして愛せよという内容。
「逢引きから帰った乙女」は、母親との対話の形で、恋人との逢引きのすえ、最後は恋人の裏切りにあい青ざめて帰ってきたという内容。
「黒いバラ」は、悲しみというのは漆黒のバラをもっているので私はそれに苦しめられて死にそうだという内容。前半の静かな箇所から徐々に切迫し最後に盛り上がる構成が素晴らしい。
スウェーデン北部に生まれたシーヴ・ヴェンベルイ(1944-)は実に清冽な美声をもっている。「山の娘」の羊飼い娘にはうってつけの爽快な声と強靭な表現力で素晴らしかった。その声の魅力とパワーを兼ね備えた彼女らしさが特によくあらわれていたのがラングストレムの「セメレ」や「アマゾン」であった。シベリウスの深い内部から湧き出るような爆発力も見事に表現し尽くしていて見事であった。ヴァーグナー歌手として知られていたようだが、北欧歌曲歌いとしても知られざる逸材だったのではないだろうか。
パーソンズは相変わらず極上の美しいタッチでグリーグの清冽な空気を表現するかと思えば、「セメレ」では雄弁に歌手と拮抗する。そしてシベリウス特有の暗い情熱にも対応して、その変幻自在ぶりにあらためて驚嘆させられた。
古い国内CDなのでおそらく現在では入手不可能だろうが、「山の娘」のみは輸入盤で入手可能である(F=ディースカウ&ヘルのグリーグ歌曲集などとのカップリング)。
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