アンネ・ソフィー・フォン・オッター&カミラ・ティリング&ジュリアス・ドレイク/リサイタル(2015年9月25日 東京オペラシティ コンサートホール)

アンネ・ソフィー・フォン・オッター and カミラ・ティリング in リサイタル

2015年9月25日(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール

アンネ・ソフィー・フォン・オッター(Anne Sofie von Otter)(メゾソプラノ)
カミラ・ティリング(Camilla Tilling)(ソプラノ)
ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)(ピアノ)

メンデルスゾーン(Mendelssohn)
挨拶Op. 63-3 (デュエット)

リンドブラード(Lindblad: 1801-1878)
夏の日(ティリング)
警告(フォン・オッター)
少女の朝の瞑想(デュエット)

グリーク(Grieg)
「6つの歌」Op.48 (ティリング)
 挨拶
 いつの日か、わが想いよ
 世のならい
 秘密を守るナイチンゲール
 薔薇の季節に
 夢

シューベルト(Schubert)
ますD550(フォン・オッター)
夕映えの中でD799(フォン・オッター)
シルヴィアにD891(フォン・オッター)
若き修道女D828(フォン・オッター)

メンデルスゾーン
渡り鳥の別れの歌Op.63-2 (デュエット)
すずらんと花々Op.63-6 (デュエット) 

~休憩~

マイアベーア(Meyerbeer)
シシリエンヌ(ティリング)
来たれ、愛する人よ(フォン・オッター)
美しい漁師の娘(フォン・オッター)

マスネ(Massenet)
喜び!(デュエット)

フォーレ(Fauré)
黄金の涙Op.72(デュエット)

シュトラウス(Richard Strauss)
憩え、わが魂よOp.27-1(フォン・ オッター)
たそがれの夢Op.29-1(ティリング)
どうして秘密にしておけようかOp.19-4(フォン・オッター)
ひそやかな誘いOp.27-3(ティリング)
明日!Op.27-4(フォン・オッター)
ツェツィーリエOp.27-2(ティリング)

~アンコール~
オッフェンバック/「ホフマン物語」より「舟歌」
ブラームス/姉妹
フンパーディンク/「ヘンゼルとグレーテル」より「夜には、私は眠りに行きたい」
ベニー・アンダーソン&ビョルン・ウルヴァース/ミュージカル「クリスティーナ」より「The Wonders」

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アンネ・ソフィー・フォン・オッターを初台で聴いた。
オッターは9年ぶりの来日とのこと。
私は今回はじめて彼女の実演に接して、リート歌手としての言葉さばきの細やかさが強く印象に残った。
そしてメゾとはいえ、重い声というわけではなく、ソプラノのような軽やかさが持ち味の彼女の美声はまだまだ魅力的に感じられた。

私の席はステージ真横の2階、ピアニストの背中が真正面に来る位置なので、二人の女声歌手は右後方から見る形となる。
ドレイクの鍵盤の指さばきははっきり見られて面白かったし、二人の歌手の横顔の表情の変化なども楽しめたが、やはり音のバランス的には最良とはいかない席だった。
しかし、これだけ視覚的に楽しませてもらえれば贅沢だろう。
従って、彼女たちの声量については確かなことは言えないのだが、60歳を迎えたオッターのヴォリュームはおそらく圧倒するほどではなかったのではないか。
彼女の声質はもともと北欧的な要素の薄い、すっきりしたものなので、かえって国際的な活動にはそれが効を奏したという面もあるだろう。
今回のプログラミングも北欧の曲を取り入れつつも、ドイツ語、フランス語の歌曲が中心に選ばれていた。

ティリングはまだ40代半ばの若いソプラノ。
ちょっとボニーを思わせるリリカルな声の持ち主で、ショートカットなところも似ている。
だが、彼女には北欧歌手らしい細かいヴィブラートと押し出しの強さがあり、北欧の伝統の中から生まれた歌手という印象である。
オッターと比較するのは酷だが、まだ色合いの持ち駒は豊富とは言えないようで、これからさらに進化していくのだろう。
ただ、声の美しさと言葉さばきの巧みさなど、なかなか良いものをもった歌手という印象は感じられ、今後活躍していくのではないだろうか。

オッターはもう貫禄の歌唱。
決して声で圧するタイプではないようだが、伸ばすところではホールに美声が響き渡る。
すっきりした声で知的に描かれるそれぞれの歌は、オッターの顔の表情やちょっとしたお茶目な仕草なども加わって、一つの情景が浮かぶようだった。

また、デュエットの数々では、オッターが頻繁にティリングに顔を向けて、アイコンタクトをとろうとしていたのに対して、ティリングは真正面を向き、オッターに比べると若干硬い感もなきにしもあらずだった。
しかし、二人の声は、声種の違いがほとんど感じられず、絶妙に溶け合って、美しいハーモニーが会場を包み込んだ。
この2人のデュエットはちょっと類のないぐらいの緊密な響きで、ソロも良かったけれど、それ以上にデュエットが楽しかったというのが正直なところだ。

ドレイクのピアノはまさに歌に寄り添ったものだった。
恵まれた大きな手はしかし、必要以上に派手に動かすことはなく、鍵盤上をすっきりと這い回っていた。
手首をやや上げ気味にして、レガートの箇所はまさに歌っているかのように指を這わせていて、主に高音部を強調し、バス音は重要な場面のみ響かせ、後は歌手に配慮した音量だった。
「夕映えの中で」など、広い音域をアルペッジョにせずに弾けるのは恵まれた手をしている証だろう。
「明日!」でののめりこむことなく旋律を美しく歌わせるところなど、さすが一流の伴奏ピアニストだと思わされた。

ドレイクのような超一流のピアニストとの共演を聴けたのはもちろん嬉しいことだが、せっかくオッターの来日公演なのだから、彼女のいつものパートナーのベンクト・フォシュベリも聴いてみたかった気がする。
都合が合わなかったのだろうか。

なお、ステージにカメラが設置されていたので、おそらくそのうちBSで放映されるのではないか。
そちらも楽しみに待ちたい。

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ジュリアス・ドレイクのインタビュー

今年の4月にテノールのイアン・ボストリッジと共に来日公演を行ったピアニスト、ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)。
王子ホールのWebサイトでドレイクへのインタビュー記事が掲載されています。
 こちら

一般にソロピアニストへのインタビューならば頻繁に行われていますが、室内楽や歌曲を中心に演奏するピアニストがフィーチャーされることはまれです。
それでもこの王子ホールのサイトでは以前にもグレアム・ジョンソンのインタビューが掲載され、ホール関係者の歌曲愛が感じられたものでした。

ジュリアス・ドレイクは今や押しも押されもせぬ共演ピアニストとして世界中で活躍していますし、その技量は歌曲を弾かせたら絶品で失望されられることはまずありません。
そんなドレイクがどのように共演ピアニストになったのか、また最初から共演ピアニストを志していたのか否かなど、興味深い話が掲載されています。

「十代のうちにベートーヴェンのソナタをひと通り学ぶことができ」たという意外な告白もあり、興味深いです。
また「私は歌曲を専門にやっているわけではないんです」という言葉も重みがあります。
一度レッテルが貼られてしまうと、楽器奏者との共演がしたくても、歌曲のオファーばかりくるのだとか。
逆に普段レーピンなど弦楽器奏者と共演することの多いイタマル・ゴランは以前なにかの記事で「歌曲も弾きたいが楽器奏者からのオファーしかない」というようなことを言っていました。
枠を決めつけているのは案外周りだったりするのかもしれません。
ドレイクは無言歌的な趣をもった作品を集めたソロピアノの録音をリリースしていますが、そちらはいかにも歌心にあふれた名伴奏者による渋みあふれる演奏でした。
機会がありましたらぜひ聴いてみてください。

なお、4月の来日公演の模様は7月30日(水)午前6時00分~6時55分のクラシック倶楽部で放映予定とのことです。楽しみです。

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ソフィー・ダヌマン&イアン・ボストリッジ&ジュリアス・ドレイク/東京春祭 歌曲シリーズ vol.14(2014年4月12日 東京文化会館 小ホール)

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2014-
東京春祭 歌曲シリーズ vol.14
ソフィー・ダヌマン(ソプラノ)&イアン・ボストリッジ(テノール)

2014年4月12日(土)18:00 東京文化会館 小ホール

ソフィー・ダヌマン(Sophie Daneman)(Soprano)
イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)(Tenor)
ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)(Piano)

シューマン(Robert Schumann)作曲

4つの二重唱曲(Vier Duette) op.78(ダヌマン&ボストリッジ)
 舞踏歌(Tanzlied)
 彼と彼女(Er und Sie)
 あなたを想う(Ich denke dein)
 子守歌-病気で寝ている子供のために-(Wiegenlied am Lager eines kranken Kindes)

5つのリート(Fünf Lieder) op.40(ボストリッジ)
 においすみれ(Märzveilchen)
 母親の夢(Muttertraum)
 兵士(Der Soldat)
 楽師(Der Spielmann)
 露見した恋(Verratene Liebe)

「子供のための歌のアルバム」op.79より(from Liederalbum für die Jugend)(ダヌマン)
 もう春だ(Er ist's)
 てんとう虫(Marienwürmchen)
 眠りの精(Der Sandmann)
 ゆきのはな(Schneeglöckchen)
 牛飼いの別れ(Des Sennen Abschied)
 ミニョン(Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn)

「ロマンスとバラード 第4集(Romanzen und Balladen)」op.64
 兵士の花嫁(Die Soldatenbraut)(ダヌマン)
 捨てられた女中(Das verlassene Mägdlein)(ダヌマン)
 悲劇(Tragödie)
  Ⅰ. ぼくと駆け落ちして(Entflieh mit mir)(ボストリッジ)
  Ⅱ. 春の夜に霜がおり(Es fiel ein Reif in der Frühlingsnacht)(ボストリッジ)
  Ⅲ. 2人の墓の上には(Auf ihrem Grab)(ダヌマン&ボストリッジ)

〜休憩〜

歌曲集「ミルテの花」op.25より(from Myrthen)
 献呈(Widmung)(ダヌマン)
 自由な心(Freisinn)(ボストリッジ)
 くるみの木(Der Nussbaum)(ダヌマン)
 『西東詩集』-"酌童の巻"よりⅠ(Aus den Schenkenbuch des "Westöstlichen Divan" I)(ボストリッジ)
 『西東詩集』-"酌童の巻"よりⅡ(Aus den Schenkenbuch des "Westöstlichen Divan" II)(ボストリッジ)
 まだ見ぬ人(Jemand)(ダヌマン)
 2つのヴェネツィアの歌Ⅰ(Zwei venezianisches Lieder I)(ボストリッジ)
 2つのヴェネツィアの歌Ⅱ(Zwei venezianisches Lieder II)(ボストリッジ)
 はすの花(Die Lotosblume)(ダヌマン)
 ぼくの心はくらい(Mein Herz ist schwer)(ボストリッジ)
 ズライカの歌(Lied der Suleika)(ダヌマン)
 きみは花のよう(Du bist wie eine Blume)(ボストリッジ)
 東方のばらより(Aus den östliche Rosen)(ダヌマン)
 終りに(Zum Schluss)(ボストリッジ)

4つの二重唱曲(Vier Duette) op.34(ダヌマン&ボストリッジ)
 愛の苑生(Liebesgarten)
 求愛のセレナーデ(Liebhabers Ständchen)
 窓の下で(Unterm Fenster)
 家族の肖像(Familien-Gemälde)

~アンコール~
シューベルト(Schubert)/光と愛(Licht und Liebe) D352(ダヌマン&ボストリッジ)

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本来メゾソプラノのアンゲリカ・キルヒシュラーガーとボストリッジ&ドレイクによって、ヴォルフの「スペイン歌曲集」抜粋が演奏される予定だったのだが、キルヒシュラーガーが体調不良とのことで来日できず、代役にソフィー・ダヌマンを迎えて、オール・シューマン・プログラムに変更になった。
キルヒシュラーガーの「スペイン歌曲集」が聴けなくなったのは楽しみにしていただけあって本当に残念だが、迅速な対応で別プログラムを開催してくれただけでも有難いことである。

よく考えてみたら、このようにシューマンの独唱曲、重唱曲だけで一夜のプログラムを組むのは珍しいことではないだろうか。
かなり昔にエディット・マティスと小松英典がコルト・ガルベンのピアノでシューマン・プログラムを組んだのを聴いたことがあったが、それ以来だろうか。

代役を引き受けてくれたソプラノのソフィー・ダヌマン(発音は「デーンマン」ではないのだろうか?)は生で聴くのは初めてだが、CDではメンデルスゾーンやヴォルフの歌曲集にその名前があり、聴いていたことになる。
実際に聴いた彼女は古楽で活躍しているということもあるのだろう、癖のない清澄な声で丁寧に歌を紡いでいくリリック・ソプラノという印象である。
声量は必ずしも豊かというほどではないが、届かないわけではない。
だが、コンサートの最初のころはまだ硬さが感じられ、声が届ききっていない感じだった。
彼女の素晴らしいところは、その歌の丁寧さもそうだが、まずはその笑顔である。
ボストリッジがいつも難しい顔をしているから余計に目立つのかもしれないが、ダヌマンはステージへの出入りも含め、拍手に応じる時など、本当に気持ちのいい笑顔をしているのである。
芸の内容さえ良ければよいという考え方もあるだろうが、パフォーマーである以上、笑顔で微笑みかけてくれたら、悪い気は誰もしないだろう。
きっと素敵な人に違いないと思わせてくれる自然な笑顔の持ち主は、聴き手を視覚的にも心地よくさせてくれたのである。

今回のプログラムは、前半最初と後半最後に二重唱曲を置き、その間に独唱曲をはさむ形をとっていた(その他には前半最後の「悲劇Ⅲ」も二重唱曲)。

その二重唱曲は楽譜立てに楽譜を置いて歌われたが、そこで面白いことを発見した。
普段ソロだと気まぐれに歩き回るボストリッジだが、楽譜立ての前だと、多少動きはつけるものの、その場から移動しなかったのである。
楽譜を見なければならないという事情はあるだろうが、まっすぐ立って歌うボストリッジは新鮮だった(というか、それが普通のような気もするが)。
だが、独唱曲になると、やはり移動したり、上半身を反ったり折り曲げたりと、忙しい。
そうすることで彼の素晴らしい歌が生まれてくるのなら、その動きも許容しなければならないだろう。
だが、テキストの内容にもよるが、たまに意味もなくポケットに手をつっこんで歌うのは直した方がいい気もするが。

とはいえ歌に関してはやはりボストリッジ、素晴らしい。
シューマンのテキストを完全に自分のものとして、ドラマティックに表現する。
彼特有の声のユニークな美しさも相まって、シューマンの歌曲の様々な表情が分かりやすく表現される。
文化会館小ホールの親密な空間に彼の豊かな響きが満ちあふれるのは素晴らしい瞬間だ。
それから時々声色を変えて言葉の重みを加えるのも印象的だった。
例えば「母親の夢」では、眠る赤ちゃんに母親がうっとりと喜びをかみしめる一方で、外のカラスがいずれ自分たちの餌になるのさと歌う箇所があるが、そこでの苦み走ったような歌い方は、ボストリッジのテキスト解釈を分かりやすい形で表現したのだろう。

最初に歌われた「4つの二重唱曲」op.78の最初の2曲はムーアの引退コンサートでシュヴァルツコプフとF=ディースカウが披露したので知っていたが、男女二人だからこそのレパートリーもこうした優れた作品があるのだから、こういう二重唱の機会はもっとあってもいいのかもしれない。
この曲集の最後に置かれた「子守歌-病気で寝ている子供のために-」はピアノの響きがいかにもシューマネスクで、一度聴いただけで印象に残ったものだった。
久しぶりに今回聴いて、やはり個性的で優れた作品だなと思った。

「ロマンスとバラード 第4集」op.64は最後に3曲からなる「悲劇」という歌曲群があるのだが、なぜか3曲目のみ二重唱なので、こういう機会でもないとなかなか取り上げられない。
そういう意味でも今回の選曲はうれしい。
「悲劇」の2曲目「春の夜に霜がおり」はF=ディースカウがよく歌っていたので、懐かしく聴いた。
ボストリッジでさえF=ディースカウと比べると、まだダイナミクスの変化も大人しい方だった(どちらがいいということではないが)。

「ミルテの花」では有名曲ももれなく網羅して、短縮版としてよい選曲だった。
今回は歌わない方は上手のいすに座り、ほぼ1曲ごとに入れ替わるのだが、座っている時のボストリッジも体を左右に大きく曲げたりと自由さ全開だった。
だが、こうしてあらためてまとめて聴いてみると「ミルテの花」はやはりシューマンのういういしさが感じられて素敵な歌曲集だと感じた。

最後の「4つの二重唱曲」op.34は2曲目と3曲目が男を女の家に入れる入れないの駆け引きで面白い。
こういう機会でもないと聴けないので大いに楽しんだ。
4曲目の「家族の肖像」は2つの異なる世代のカップルの心温まる交流を歌っている。こういうテーマの歌曲は珍しいのではないか。

アンコールのシューベルト「光と愛」も美しい作品である。

ドレイクの安定した、かつ立体的なピアノがどれほどこのコンサートの成功に大きく寄与したことか。
今回もピアノの蓋はわずかに開けられただけだったが、繊細に歌を支える時でも音が薄くなってしまわず、絶妙のバランスを保っていたのである。

なお、このコンサートは、いずれ東京春祭のサイトで期間限定の映像配信がされる予定だそうだ。

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イアン・ボストリッジ&ジュリアス・ドレイク/ヴォルフ&ブリテン(2014年4月10日 王子ホール)

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イアン・ボストリッジ&ジュリアス・ドレイク
2014年4月10日(木)19:00 王子ホール

イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)(テノール)
ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)(ピアノ)

ヴォルフ(Hugo Wolf)/「ゲーテ歌曲集(Goethe Lieder)」
 51. 人間性の限界(Grenzen der Menschheit)
 50. ガニュメート(Ganymed)
 16. ぶしつけで楽しくⅠ(Frech und froh I)
 17. ぶしつけで楽しくⅡ(Frech und froh II)
 13. 良い夫と良い妻(Gutmann und Gutweib)
 11. ねずみをとる男(Der Rattenfänger)

ブリテン(Benjamin Britten)/「ミケランジェロの7つのソネット(7 Sonnets of Michelangelo)」Op. 22
 1.ソネット第16番:ペンとインクの中には(Sonnet XVI: Sì come nella penna e nell'inchiostro)
 2.ソネット第31番:一体なぜ私はこの激しい欲求を(Sonnet XXXI: A che più debb'io mai)
 3.ソネット第30番:あなたの美しい目を借りて私は見る(Sonnet XXX: Veggio co' bei vostri occhi un dolce lume)
 4.ソネット第55番:君は知っているね(Sonnet LV: Tu sa, ch'io so)
 5.ソネット第38番:泉よ 川よ 僕の目に返しておくれ(Sonnet XXXVIII: Rendete agli occhi miei, o fonte o fiume)
 6.ソネット第32番:もし清らかな愛が(Sonnet XXXII: S'un casto amor)
 7.ソネット第24番:優れた精神よ(Sonnet XXIV: Spirto ben nato)

~休憩~

ブリテン/「6つのヘルダーリン断章(6 Hölderlin-Fragmente)」Op. 61
 1.世に認められ(Menschenbeifall)
 2.故郷(Die Heimat)
 3.ソクラテスとアルキビアデス(Sokrates und Alcibiades)
 4.若さ(Die Jugend)
 5.人生のなかば(Hälfte des Lebens)
 6.人生の行路(Die Linien des Lebens)

ヴォルフ/「メーリケ歌曲集(Mörike Lieder)」
 1. 病の癒える希望(Der Genesene an die Hoffnung)
 2. 子供と蜜蜂(Der Knabe und das Immlein)
 9. 飽くことなき恋(Nimmersatte Liebe)
 13. 春に(Im Frühling)
 33. ペレグリーナⅠ(Peregrina I)
 34. ペレグリーナⅡ(Peregrina II)
 53. 別れ(Abschied)

~アンコール~
ブリテン/民謡編曲第3集 《イギリスの歌》より「流れは広く(おお悲しい)」(The water is wide (O Waly, Waly))
ブリテン/民謡編曲第1集 《イギリスの歌》より「オリヴァー・クロムウェル」(Oliver Cromwell)

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ボストリッジとドレイクによる歌曲のコンサートを王子ホールで聴いた。
今回のプログラムはヴォルフの「ゲーテ歌曲集」「メーリケ歌曲集」からの抜粋と、ブリテンの2つの歌曲集。
しかもブリテンの歌曲集は英語ではなく、イタリア語とドイツ語による作品が選ばれている。
中でもヴォルフのゲーテ歌曲集はなかなか実演で接する機会がなく、ボストリッジもまだ「良い夫と良い妻」「ガニュメート」以外は録音していなかったはずなので、これはどうしても聴きたかった。
しかも、現役最高のリート伴奏者の一人ドレイクのピアノで聴けるのだから期待もふくらむ。

最初のヴォルフ「ゲーテ歌曲集」では冒頭の「人間性の限界」の選曲に驚かされる。
この曲は低音歌手のために書かれ、おそろしく低い音も歌わなければならない。
だが実際ボストリッジが歌うのを聴くと、この曲を低音歌手だけに限定することもないとあらためて感じさせられた。
確かにボストリッジは低音を出すのに余裕があったわけではなかったが、メロディの流れの中でうまく処理していたように感じた。
「ガニュメート」の官能的な響きを描き出すドレイクの表現力にもあらためて脱帽。
ボストリッジは言葉を鋭く発する。
そして強弱の変化を大きく付ける。
そのやり方はF=ディースカウの歌い方をある部分で引き継いでいると言えるのかもしれない。
「良い夫と良い妻」ではメーリケの物語をドラマティックに描いてみせた。
ピアノ後奏が充実して長い時、ボストリッジはピアノの蓋に体重をかけてドレイクの弾く姿を覗き込む。
以前ほど激しくはないものの相変わらずあちこち歩き回り、ポケットに手をつっこみ、足を交差させたりと自由な人である。

ブリテンの「ミケランジェロの7つのソネット」はブリテン特有の世界が築かれていて、イタリア語が使われていても、そこにあるのは英国歌曲のたたずまいだ。
詩の中身はミケランジェロらしく芸術を織り交ぜたものもあるが、結局のところ愛の歌である。
堂々たる曲もあれば、諧謔味のある曲もあり、静かな曲もあるという具合だが、どれもどこか不思議なハーモニーに彩られた感情の機微が感じられる。
歌とピアノは完全に対等で、あたかも二重奏である。
ボストリッジは朗々と豊かに声を響かせ、ドレイクは雄弁に磨き抜かれた音を響かせる。

後半に移り、今度はブリテンのドイツ語歌曲集「6つのヘルダーリン断章」である。
こちらはヘルダーリンの渋みあふれるテキストにブリテンの多彩な音楽が付けられている。
「世に認められ」はリズムに特徴があり、「故郷」はピアノが歌を遅れてなぞっていくのが印象的。
「ソクラテスとアルキビアデス」は偉人の問答を少ない音で表現している。
「若さ」はテキストに応じて柔軟に曲調が変化し、例えばヘリオス、ルナといった名前が登場するとピアノパートは竪琴の響きになる。
「人生のなかば」はアンニュイな歌とピアノの緊密な絡み合いが聴きもの。
そして終曲の「人生の行路」はコラール風の和音を進めるピアノが人生の"線(Linien)"を描いていき、最後には壮大なクライマックスを築く。
ボストリッジは自在に気ままに歌っているように見えて、実は細やかな設計がされているのではないか。
その設計が前面に出てこないところがボストリッジの非凡なところと思った。

最後のブロックはヴォルフの「メーリケ歌曲集」。
こちらは私にとって馴染みの作品ということもあって気楽に楽しめた。
「病の癒える希望」もまた低音歌手のレパートリーという印象があり、特に歌い収めの下降するフレーズはテノールには厳しいと思われるが、そこもあえてチャレンジしていたのだろう。
ここでも、単独では弱くなる低音も、歌の流れの中でうまく処理していたように思う。
「飽くことなき恋」のかなり直截的な恋のありようをボストリッジも誇張して表現していたように感じたが、それによってヴォルフの意図も生きたように思える。
「ペレグリーナ」も情熱的な名唱である。
最後の「別れ」は批評家をおちょくった内容で、ヴォルフも大いにおふざけをしているが、ボストリッジは心から楽しんでそのおふざけに乗っかっていたし、ドレイクが見事なまでにヴォルフの皮肉を表現していた。

アンコールは2曲のブリテンによる民謡編曲だが、どちらも有名な作品で、特に「オリヴァー・クロムウェル」はその早口であっという間に終わってしまうのが惜しいぐらいの楽しさだった。

ピアノのジュリアス・ドレイクはいまどき珍しくピアノの蓋をわずかに開けただけの状態で演奏したが、それでもあれほど雄弁でずっしりとした立体的な表現が出来るのは素晴らしかった。
タッチは磨き抜かれ、音楽づくりは考え抜かれ、時に迫力をもって、時に繊細にと自在に表現し、ステージマナーも素晴らしく、伴奏者の鏡を見ているようだった。
こういう人にピアノを弾いてもらえるボストリッジも幸せだと思う(レコード会社はもっと専門の伴奏者の素晴らしさを理解すべきだ)。

なおNHKのカメラが入っており、7月ごろにクラシック倶楽部で放映予定とのこと。
楽しみにしたい。

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Bostridge_drake_autographs←二人のサイン

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イギリスの名手ヴィニョールズとドレイク

昨夜NHK教育テレビで藤村実穂子&ヴィニョールズ、ボストリッジ&ドレイクの来日公演の録画を続けて放送していた。
藤村たちのリサイタルは私も会場で聴いたので以前このブログでも触れたが、ボストリッジたちの方は別プログラムを聴いたので、この王子ホールでのリサイタルは今回はじめて聴いたことになる。

藤村の歌唱も会場で聴くのとはまた違った良さを感じ、あらためてこの歌手の声の鍛錬の見事さと作品に向き合った真摯な姿勢に感銘を受けた。
リサイタル放映の前に10分ほど彼女のインタビューが放送されたが、もともとリートを歌いたかったが、名もない日本人の歌手がリーダーアーベントを開いても誰も聞きに来ないという助言を素直に受け入れて、まずはオペラの世界で名を挙げようとしたことなど興味深い話が聞けて良かった。

ボストリッジはブリテンの歌曲からクルト・ヴァイル、さらにコール・ポーターまで披露していたが、特にブリテンの歌曲が素晴らしかった。
ドイツリートでの名声が強調されがちなボストリッジだが、どちらかというとイギリス歌曲の方がより本領を発揮しているように感じたのは、単にネイティヴだからというだけではないような気がする。

ところでこの2つの公演、図らずも(あるいは意図的に?)イギリスを代表する名手2人のピアノを立て続けに聴ける絶好の機会にもなった。

ロジャー・ヴィニョールズ(Roger Vignoles)は1945年英Cheltenham生まれ。
ジェラルド・ムーアの演奏に触発されて歌曲ピアニストを志し、パウル・ハンブルガーに師事した。
エリサベト・セデルストレムやキリ・テ・カナワ、トマス・アレンなどとの共演で知られるようになり、その他のベテランや若手の多くの歌手たちと共演してきた。
Brilliant ClassicsのGrieg EDITIONのボックスCDを歌曲全集目当てに購入したら、グリーグのチェロ・ソナタOp.36をRobert Cohenというチェリストと共にヴィニョールズが演奏しているものが収録されており、器楽曲も演奏していることを知った(1980年録音)。
意外なところでは、ドラティがDECCAに録音したハイドンのオラトリオ「四季」のチェンバロ奏者としても参加している(1977年録音)。
初期の頃に彼の演奏する歌曲を録音で聴いた限りでは、とても誠実だが、音の魅力やドラマティックな要素に若干不足するような印象をもっていた(前述のグリーグのチェロ・ソナタはかなり雄弁な演奏だったが)。
その後、シュテファン・ゲンツの来日公演で初めて彼の実演に接し、Hyperionレーベルへのヴォルフ「メーリケ歌曲集」全曲や「アイヒェンドルフ歌曲集」全曲といった快挙ともいえる録音を聴き、さらにパリ・シャトレ座でボストリッジと共演したDVD(シューベルトとヴォルフ)を見るにいたって、彼の持ち味である作品への謙虚な姿勢はそのままで、さらに音に魅力を増した演奏になったと感じるようになった。
そして昨日放映された藤村との来日公演。
実演でも音自体の魅力と、作品への目の行き届いた解釈が感じられたが、テレビで聴いてあらためてこの名手の精進ぶりが伝わってきて感銘を受けたのだった。

ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)は1959年ロンドン生まれ。
日本ではもっぱらボストリッジの共演者として知られているようだが、Amazonのサイトなどを検索するといかに多くの演奏家(楽器奏者も含めて)と共演しているかに驚かされる。
来日公演でもボストリッジのある意味自由な歌いぶりにぴったり合わせるだけでなく、ピアノの音を充分に鳴らす一方、繊細なタッチで微細な表情まで表現して、まさに完成されたピアニストとの印象を強く受けた。
実演でもマーラーの「死んだ鼓手(起床合図)」の雄弁な演奏(リズムとテクニックの安定感に裏付けられた)やシューマンのハイネ歌曲での繊細な演奏が印象に残っているが、昨夜の放送でもクルト・ヴァイルの歌曲集など、彼の全力を投じた演奏にすっかり魅了された。
ムーアの客観性と温かみ、パーソンズの高度なテクニックと音の美しさのどちらも備えたピアニストとして、偉大な先達たちの後継者の道を突き進んでいるように感じる。
今後、ボストリッジ以外の演奏家との共演も日本で聴いてみたいものである。

Julius Drake共演者リスト (リンク先はExcelで表示されます)

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ボストリッジ&ドレイク/マーラー&ベルリオーズ歌曲集(2008年11月26日(水) 東京オペラシティコンサートホール)

イアン・ボストリッジ・テノール・リサイタル
Bostridge_drake_200811262008年11月26日(水)19:00 東京オペラシティコンサートホール(B席:3階L1列53番)

イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)(T)
ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)(P)

マーラー(Mahler)作曲

「若き日の歌(Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit)」より

1.春の朝(Frühlingsmorgen)
2.思い出(Erinnerung)

「子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)」より

3.この世の生活(Das irdische Leben)
4.死んだ鼓手(Revelge)
5.美しいトランペットが鳴り響く所(Wo die schönen Trompeten blasen)

「さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)」 (全曲)

6.第1曲 恋人の婚礼の時(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
7.第2曲 今朝、野辺を歩けば(Ging heut' morgen übers Feld)
8.第3曲 私の胸の中には燃える剣が(Ich hab' ein glühend Messer in meiner Brust)
9.第4曲 恋人の青い眼(Die zwei blauen Augen von meinem Schatz)

~休憩~

ベルリオーズ(Berlioz)作曲

歌曲集《夏の夜(Les nuits d'été)》(全曲)

10.第1曲 ヴィラネル(Villanelle)
11.第2曲 ばらの精(Le spectre de la rose)
12.第3曲 入り江のほとり(Sur les lagunes)
13.第4曲 君なくて(Absence)
14.第5曲 墓地にて(Au cimetiére)
15.第6曲 知られざる島(L'île inconnue)

~アンコール~

16.ブラームス(Brahms)/荒野を越えて(Über die Heide)Op. 86-4
17.ブラームス/秘密(Geheimnis)Op. 71-3
18.シューマン(Schumann)/月夜(Mondnacht)Op. 39-5
19.ブラームス/家もなく、故郷もなく(Kein Haus, keine Heimat)Op. 94-5

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当初行く予定ではなかったこのコンサートだが、トッパンホールでの彼らのコンサートが素晴らしかったのでこちらも聴きたくなり、急遽会場に出かけ当日券で聴くことが出来た。
すっかりクリスマス仕様のイルミネーションで彩られたオペラシティは、今年も残りわずかになったことを思い起こさせる。
S席~B席まで残っていたが、最近様々なコンサートに出かけて散財しているので、今回はB席を購入した(3階左側)。

マーラー自作の詩による「さすらう若人の歌」や、テオフィール・ゴティエの詩によるベルリオーズの「夏の夜」は有名な歌曲集であり、人気も高いが、普段オーケストラ版で歌われることが多く、ピアノ版もオケの発想でつくられた音楽をピアノにそのまま移し変えたような印象がある(ピアノ版が先に作られたようだが、最初からオケに編曲することを想定していたのではないだろうか)。
従ってピアニストにとっては、オケの響きをピアノで再現するという点、さらに「夏の夜」の場合あまりピアニスティックでない書法をいかに音楽的に聞かせるかという点において、かなりの難題を突きつけられているように思う。
その点、この夜のジュリアス・ドレイクはパーフェクトに近い充実した演奏を聴かせてくれた。
ホールの大きさに考慮したのであろう、トッパンホールの時よりもピアノの蓋を広く開け(それでも全開ではなかったが)、彩り豊かなタッチで雄弁な音楽をつくりあげていた。
特に「死んだ鼓手」での演奏はピアノ1台でオケに匹敵する音楽を再現して素晴らしかった。
「この世の生活」は飢えた子供と母親の対話を描いているが、最後にドレイクが響かせた不気味な低音はこの詩の悲劇を暗示しているように感じられた。

ボストリッジは長身だが、横幅も奥行きも薄く、F=ディースカウが「あんなに痩せていて歌が歌えるのだろうか」と訝ったというのが頷けるほどの痩身である。
だが、天上桟敷の私の席まで彼の声は充分届き、声量は問題ない(大ホールでリートを歌うことの多い現代は、繊細さだけでなく声のボリュームも求められるので、歌手にとって要求されるものが多くなり、ちょっと気の毒な気もする)。
また、3階から見るとボストリッジがいかによく動き回っているかがはっきり分かる。
歌を習ったことのない私のような素人の見方だと、普通歌う時には足を適度に開き、重心を体で支えて声を出すような印象があるのだが、ボストリッジは強声を響かせる時でも片足を軽くあげたり、膝を曲げたり、あちらこちら歩いてみたり、こんな姿勢でよく安定した声が出るものだと不思議な気がするが、逆に動きを止めてしまうと彼にとっては歌いにくいのかもしれない。
マイルドでしなやかな声の彼は一見なんでもないかのようにさらりと歌う。
あたかもちょっと鼻歌を歌う時の延長のような感じだが、それでもよく聴くとしっかりと言葉は発音され、詩の内容に反応して表情を変化させているのが感じられる。
苦心の跡をほとんど感じさせないのが彼のすごさだろう。
「美しいトランペットが鳴り響く所」の弱声は特に美しかった。
また「さすらう若人の歌」をテノールで聴くのは珍しく、新鮮な印象を受けた。

トッパンホールの時もそうだったが、今回も曲間をほとんど中断せず、続けて演奏したのは、集中力を妨げられたくなかったのかもしれない。
聴衆もドレイクの仕草からそのことを察していて、前半のマーラーの様々な曲集からのアンソロジーも一連の歌曲集のように聴いていた。

後半が「夏の夜」全6曲だけというのは一見短いように感じられるが、長めの曲がいくつかあるため、物足りなさは感じなかった。
ベルリオーズの曲の性格なのか、あまりフランス歌曲特有の匂いたつような香気は感じられないが、性格の異なる構成曲は歌手とピアニストに様々な能力を要求しており、特に1人の歌手で歌い通すのはそれほど容易なことではないのだろう。
その点、ボストリッジの歌唱は出来不出来がなく、どの曲にも息を吹き込んでいたと思う。
ただ、3曲目「入り江のほとり」にたびたび現れる高音ではじまる箇所では、そんな彼でさえ意気込んで高音にアタックしているのが感じられ、ボストリッジにとっても挑戦だったのではないか。
大ホールで聴く限界なのかもしれないが、フランス語特有の響きは彼の歌唱からはあまり感じられなかったが、それでも発音が悪いということではなく、よく歌っていたと思う。オケ版の時には感じられないようなピアノ版特有の親密感があったのが良かった。

アンコールではブラームスやシューマンが歌われ、個人的にはうれしい選曲だった。
特に美しい分散和音に乗った繊細な「秘密」はボストリッジの声によく合っていたと感じた。
アンコールの最後はブラームスの「家もなく、故郷もなく」。
30秒あるかないかというぐらいにあっという間に終わり、声の負担も少なく、最後は盛り上がって終わるので、案外知られざるアンコール向きの作品かもしれない。
今回、トッパンホールも含めて多くのブラームス歌曲を披露したボストリッジ。
いずれブラームス歌曲集の録音が聴ける日がくるのではないだろうか。

なお、今回ボストリッジのパンフレットは1000円で販売され、よく売れていたようだ。
ここのところ、無料で配布されるパンフレットに慣れていたので、久しぶりにお金を出して手に入れたが、若干高いとは感じたものの、美しい装丁で、歌詞対訳も含め中身も充実していたので、記念になると思う。
今後のボストリッジとドレイクの活動に期待したい。

Bostridge_drake_20081126_chirashi ←11月26日公演のちらし

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ボストリッジ&ドレイク/シューマン&ブラームス歌曲集(2008年11月24日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第2篇
イアン・ボストリッジ

2008年11月24日(月)17:00 トッパンホール(D列6番)

イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)(T)
ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)(P)

詩:ハインリヒ・ハイネ(Heinrich Heine: 1-17)+プラーテン&ダウマー(Platen & Daumer: 18-26)

シューマン(Schumann)作曲

1.きみの顔(Dein Angesicht) Op.127-2
2.きみの頬を寄せたまえ(Lehn deine Wang) Op.142-2
3.ぼくの愛はかがやき渡る(Es leuchtet meine Liebe) Op.127-3
4.ぼくの馬車はゆっくりと行く(Mein Wagen rollet langsam) Op.142-4

歌曲集《リーダークライス(Liederkreis)》 Op.24
5.第1曲 朝、目が覚めるとまず思う(Morgens steh' ich auf und frage)
6.第2曲 なんだってそんなにうろうろ、そわそわするんだ!(Es treibt mich hin)
7.第3曲 ぼくは樹々の下をさまよう(Ich wandelte unter den Bäumen)
8.第4曲 恋人ちゃん、ぼくの胸にお手々を当ててごらん(Lieb' Liebchen, leg's Händchen)
9.第5曲 ぼくの苦悩の美しいゆりかご(Schöne Wiege meiner Leiden)
10.第6曲 おーい、待ってくれ、舟乗りさんよ(Warte, warte, wilder Schiffsmann)
11.第7曲 山々や城が見おろしている(Berg' und Burgen schaun herunter)
12.第8曲 はじめはほんとうに生きる気をなくして(Anfangs wollt' ich fast verzagen)
13.第9曲 愛らしく、やさしいばらやミルテで(Mit Myrten und Rosen, lieblich und hold)

~休憩~

ブラームス(Brahms)作曲

14.夏の夕べ(Sommerabend) Op.85-1
15.月の光(Mondenschein) Op.85-2
16.海をゆく(Meerfahrt) Op.96-4
17.死、それは冷たい夜(Der Tod, das ist die kühle Nacht) Op.96-1

歌曲集《プラーテンとダウマーの詩による9つのリートと歌(Lieder und Gesänge)》 Op.32
18.第1曲 私は夜中に不意にとび起き(Wie rafft' ich mich auf in der Nacht)(プラーテン詩)
19.第2曲 もう二度とあなたのもとへ行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen)(ダウマー詩)
20.第3曲 わたしはそっと歩きまわる(Ich schleich' umher betrübt und stumm)(プラーテン詩)
21.第4曲 わたしのそばでざわめいていた流れは今はどこ(Der Strom, der neben mir verrauschte)(プラーテン詩)
22.第5曲 いまいましい、おまえはぼくをまた(Wehe, so willst du mich wieder)(プラーテン詩)
23.第6曲 わたしは思いちがいしているときみは言う(Du spricht, daß ich mich täuschte)(プラーテン詩)
24.第7曲 あなたはきびしいことを言おうとしている(Bitteres mir zu sagen)(ダウマー詩)
25.第8曲 わたしと愛しいあなたは立っている(So steh'n wir)(ダウマー詩)
26.第9曲 わたしの女王さま(Wie bist du, meine Königin)(ダウマー詩)

~アンコール~

すべてブラームス作曲

27.恋人のもとへ向かって(Der Gang zum Liebchen) Op.48-1(ボヘミアの詩のヴェンツィヒ訳)
28.教会の墓地にて(Auf dem Kirchhofe) Op.105-4(リーリエンクローン詩)
29.私は夢を見た(Ich träumte mir) Op.57-3(スペインの詩のダウマー訳)

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祝日の月曜日の夕方、雨の降りしきる中、飯田橋まで出かけてきた。
トッパンホールでの〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~シリーズ、10月9日のパドモア&クーパーの「冬の旅」に続き、第2篇にあたるこの日はボストリッジ&ドレイクによるシューマン&ブラームス歌曲集が演奏された。
今回はシューマンの全曲とブラームスの最初の4曲がハインリヒ・ハイネの詩によるもの、そしてブラームスの後半はプラーテンとダウマーによるOp. 32の9曲がまとめて演奏された。
実はブラームスのOp.32は大好きな歌曲集なので、こうして初めて実演でまとめて聴けるというので、楽しみにしていた。
最近の不況の中、小さなホールとはいえ全席完売というのは根強い人気の高さを物語っているように思う。
席がすべて埋まっている中で聴くのは久しぶりだ。

ボストリッジは依然美しい高音は健在で、その独自の声の魅力は全盛期の輝きを放っていた。
低音もかなり充実してきたようで、これまでにない重心のしっかりした響きになっていた印象を受けた。
相変わらず細長い体で舞台上をよく歩き回り、足を交差させたり、後奏ではピアノの方に体を向けるなど、以前聴いた時と基本的には変わらない自由さだった。

彼らは前半のシューマンのすべての曲を間隔を空けずに一つの流れで演奏していた(「ぼくの馬車は」と「リーダークライス」1曲目の間さえ続けて演奏された)。
彼らにとってはハイネの詩の流れを停滞せずに一気に伝えようという意図だったのだろう。
緊張感が途切れることもなく、ハイネの世界にひたることが出来てよかったと思うし、そのような意図を汲み取って聴いていた聴衆も素晴らしかったと思う。

ボストリッジの繊細で神経質な歌い方はシューマンの歌ととても相性がいいように感じる。
この日の最初は、もともと歌曲集「詩人の恋」に含まれるはずだったが、結局そうならなかった4曲(つまりシューマン「歌の年」に作られた作品)で始まったが、ハイネの毒はボストリッジの表情の中に確かに表現されていた。
特に「きみの顔」の一見穏やかな表情から間髪を入れずに激しく歌われる「きみの頬を寄せたまえ」で、恋するあまりに死を予感する心情が一つの流れを形成していた。

ハイネの詩による歌曲集「リーダークライス」は歌の年の中でも比較的早く作曲され、ハイネの詩と懸命に向き合っているシューマンのういういしい若さがかえってすがすがしく感じられる。
「青春」というともう古臭い言葉かもしれないが、まさにこの歌曲集はシューマンの「青春」のうぶな心情を綴ったモノローグになっていると思う。
それはハイネの毒すら、シューマンのナイーヴさで包み込んでしまったかのようだ。
そうしたういういしく繊細な作品にボストリッジの声質と語るような歌は絶妙のはまり具合であった。
ドレイクもそうしたボストリッジの歌と真っ向から対峙した演奏を聴かせていた。

ボストリッジはまだブラームス歌曲集の録音を出していない。
ブラームスの太く流れる旋律線は、ボストリッジの自在で繊細な歌の語りかけと一見相容れないような印象をもっていた。
だが、実際聴いてみると、彼の歌うブラームスはまた新たな可能性を感じさせるものだった。
ブラームスの旋律を彼なりにかなり意識して歌っていたように感じたし、様式の違いはしっかり現れていたように思う。
しかし、ボストリッジのこと、従来のブラームス歌唱の伝統と比べると、やはり自在に語る。
弱声と強声をかなり大きな幅で使い分け、語りへの比重が高まったことで、ブラームス特有の重厚さはより軽さを増していた。
時々ノンビブラートの音を混ぜていたが、それが成功しているように感じる箇所と、必然性を感じない箇所とに分かれた印象を受けた。

ドレイクは先日のボールドウィンよりは長い棒で蓋を開けていたが、全開ではなかった。
相変わらずまろやかでよく磨かれた音は健在だった。
しかし、この日のドレイク、かなり雄弁な熱演で、前奏や間奏部分はもちろんのこと、ボストリッジとのアンサンブルでもかなり互角に対峙した演奏を聴かせていた。
時に勢い余って音を外したりすることも。
しかし長いコンビでも惰性に陥ることなく、積極的な関係を築いているのが感じられて素晴らしかったと思う。
シューマンではかなりロマンティックな要素を加えつつも停滞感は全くなく、常に推進力が感じられたのが良かった。
ブラームスでは「いまいましい、おまえはぼくをまた」のドラマティックで細かい連打を全身で雄弁に表現していたのが印象的だった。

二人ともシューマンでは何の戸惑いもなく自在に表現していたが、ブラームスでは若干手探りのような印象を受けた箇所があったのは気のせいだろうか。
しかし、ブラームス「わたしは思いちがいしているときみは言う」は後半のベストだったと感じた。
「私の女王さま」の各節最後の"wonnevoll"を歌うボストリッジの旋律は私が聴きなれたものと違う音を歌っていたように思うが、そのようなバージョンがあるのかもしれない。

アンコールはオール・ブラームス3曲。
比較的知られている「恋人のもとへ向かって」はショパンのワルツ風のピアノパートがなんとも美しい。
こうして実演で聴けて得した気分である。
「教会の墓地にて」ではドレイクが堂々たるアルペッジョを響かせる。
そうした中、ボストリッジは曲のもつ表情の幅の広さを存分に表現していた。

シューマンはもちろんだが、ブラームスのめったに演奏されない名曲がまとめて彼らの演奏で聴くことが出来たという喜びは何物にもかえがたい素晴らしい体験だった。
水曜日の初台公演、チケットはとっていないが、なんだか気になってきた。

Bostridge_drake_200811 ←24日公演のちらし

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(2009年1月24日追記)

たまたま見つけたのですが、ボストリッジとドレイクが似たプログラム(「リーダークライス」の代わりに「詩人の恋」)を演奏した録音を以下のサイトで聴くことが出来ます(オランダのRadio4)。
最初の2~3分はニュースとCMで、その後に番組が始まります。
http://player.omroep.nl/?aflID=8268570

ブラームス/歌曲集《プラーテンとダウマーの詩による9つのリートと歌》 Op.32

ブラームス/夏の夕べOp.85-1
ブラームス/月の光Op.85-2
ブラームス/海をゆくOp.96-4
ブラームス/死、それは冷たい夜Op.96-1

シューマン/歌曲集《詩人の恋》 Op.48

(2008年5月25日シュヴェッツィンゲン音楽祭)

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ボストリッジ&ドレイク/リサイタル(2006年11月24日 トッパンホール)

イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)・テノール・リサイタル
ピアノ:ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)

2006年11月24日(金)19:00開演 トッパンホール(東京)

シューベルト/春にD882(シュルツェ);ヴィルデマンの丘でD884(シュルツェ);愛らしい星D861(シュルツェ);深い悩みD876(シュルツェ);ブルックでD853(シュルツェ);ヘリオポリスよりⅠD753(マイアホーファー);ヘリオポリスよりⅡD754(マイアホーファー);夕暮れの情景D650(ジルベルト);静かな国へD403(ザーリス=ゼーヴィス);墓掘人の郷愁D842(クライガー・デ・ヤッヘルタ)
-休憩-
シューベルト/リーゼンコッペ山頂でD611(T.ケルナー);挨拶を贈ろうD741(リュッケルト);あのひとはここにいたのだD775(リュッケルト);ますD550(シューバルト);漁師の愛の幸せD933(ライトナー);漁師の歌D881(シュレヒタ);アテュスD585(マイアホーファー);スイートロケットD752(マイアホーファー);秘密D491(マイアホーファー);森のなかでD708(F.v.シュレーゲル)

[アンコール]シューベルト/別れD475(マイアホーファー)

※曲目表記はプログラム冊子に従った。

ボストリッジとドレイクによる歌曲コンサートに出かけてきた。トッパンホールは飯田橋、後楽園、江戸川橋のどこからもそこそこ歩かないと行けない。行きは後楽園から、帰りは飯田橋に向かったが、徒歩8分と書かれていた後楽園からホールまで15分以上かかってしまった。以前に来た時には無料シャトルバスが出ていて、帰りは飯田橋まで利用したのだが、現在はそのようなサービスはないらしい。

ボストリッジとドレイクは何年か前に一度聴いていて、今回は2回目である。今回はオール・シューベルト・プログラム。通好みの選曲と言えるかもしれないが、「ヴィルデマンの丘で」「ヘリオポリスよりⅡ」「墓掘人の郷愁」のようなF=ディースカウが好んで歌ったレパートリーと共に、「愛らしい星」「アテュス」「森のなかで」など、なかなか実演で聴けないような曲も含まれており、とても惹きつけられる選曲だった。前半はのどかな春の丘に座って失った恋を追憶する「春に」ではじまり、「冬の旅」のように雪の森を進みながら好きな人の心を開けない苦悩を歌う「ヴィルデマンの丘で」などの恋の悩みが続き、「ブルックで」「ヘリオポリスⅠ、Ⅱ」で猛々しい気概をもって前進しようと歌い、「夕暮れの情景」から「墓掘人の郷愁」で死の安らぎへの憧れがにじみ出てくる。後半はケルナーの詩による「リーゼンコッペ山頂で」で始まり、山頂の感動を胸に故郷や仲間への感謝の挨拶が歌われ、"Sei mir gegrüßt!"(わたしの挨拶を贈ろう!)で締めくくるその言葉が次のリュッケルト歌曲のタイトルとなる。リュッケルト歌曲2曲の後は「ます」をはじめ、水に因んだ曲が3曲続き、その後、ギリシャ神話による「アテュス」、可憐な「スイートロケット」(一般には「はなだいこん」として知られる曲)、シューベルトへの讃歌「秘密」といったマイアホーファー歌曲3曲の後、最後は比較的規模の大きな「森のなかで」で自然の霊気に触れよと結ばれる。

私はホール後ろから2列目のど真ん中の席だったが、こんな後ろの席までボストリッジの声はよく通る。とはいっても大音量の圧倒するような感じではなく、何を歌っているのかがはっきり聴きとれる声の通り方である。耳に直接入ってくるというよりも、前の方で演奏されている音楽が後ろでも聞き取れるという感じである。以前聴いたときが前の方の席だったので、余計にそう感じるのかもしれないが、彼が横を向こうが、下を向こうが、正面を向いて歌う時と殆ど声のボリュームに違いが感じられなかった。

後ろの席なので舞台の全体が視界に収まるのだが、それにしてもボストリッジはよく動く。向かって左下を向いて歌うことが特に多かったように感じたが、歌いながら歩き回ったり(時には瞬間移動のような早業も)、上体も前後左右によく揺らし、左手をポケットに突っ込んだり、ピアノに寄りかかったり、足を交差させたり、とにかくじっとしていない。これが演奏に支障を来たすのならば問題だろうが、動きながらも歌唱はしっかりしているので、歌唱と動きが連動しているのかもしれない。彼の歌は、歌の旋律を朗々と響かせるというタイプではないが、知的という形容も少し違う気がする。哲学者のようなユニークな視点をもって、突き詰めたものを表現しているという印象だ。一見取っ付きにくい雰囲気を全身から発散しているが、その歌は不思議な説得力があり、聴き手を感嘆させる。いつしか彼の提示する世界に引き込まれているという感じだ。

今回の演奏が始まる前に「前半と後半をそれぞれツィクルスとして演奏したいと演奏者が希望しています」という内容のアナウンスが流れ、実際に各曲はほとんど間を置かず、連続して演奏された。拍手も前半、後半それぞれの最後のみだったが、どちらもフライング拍手があったのに、他の客が同調しなかった為に一度拍手が収まり、ドレイクが手を下ろしてから再度拍手となったのが面白かった。

ドレイクの演奏はますます磨きがかかり、音楽の輪郭を明確に響かせ、美しいタッチでピアノを歌わせ、テンポは安定していて、見事に熟した演奏ぶりだった。ふたを全開にした楽器のコントロールも完璧だった。ただ、パワフルさが持ち味の「ヘリオポリスよりⅡ」では、ボストリッジの声に気遣ったのか、ペダルを控えめにして、音量も常に制御して、もうひとつ曲の性格を前面に出して欲しかった気もするが、総じて、これ以上ないほど魅力的なピアノだった。

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