ハイネ(Heine)の詩「そっと私の心を通り抜ける(Leise zieht durch mein Gemüt)」による歌曲を聴く

Leise zieht durch mein Gemüt
 そっと私の心を通り抜ける

Leise zieht durch mein Gemüt
Liebliches Geläute,
Klinge, kleines Frühlingslied,
Kling hinaus ins Weite.
 そっと私の心を通り抜けるのは
 愛らしい鈴の音。
 響け、ちいさな春の歌。
 向こうの彼方まで響き渡れ。

[Kling]1 hinaus bis an das Haus,
Wo die [Blumen]2 sprießen,
Wenn du eine Rose schaust,
Sag, ich laß sie grüßen.
 あの家のそばまで響き渡れ、
 そこには花が芽吹いているよ、
 きみが1輪のバラを見たら
 伝えておくれ、彼女にぼくからの挨拶を。

詩:Heinrich Heine (1797-1856), no title, appears in Neue Gedichte, in Neuer Frühling, no. 6

1 Grieg: "Zieh"
2 Grieg, Urspruch: "Veilchen" (すみれ)

-----------

ハイネの詩「そっと私の心を通り抜ける(Leise zieht durch mein Gemüt)」は短い2連の詩ですが、人気が高く、膨大な数の作曲家が曲を付けています。ハイネには珍しくシニカルな面のない純粋な恋の歌ととらえていいように思います。
歌曲の作曲でお馴染みのレーヴェ、フランツ、グリーグなどに混ざって、交響曲の作曲家ブルックナーも曲を付けているのが珍しいです。この詩に作曲した歌曲の中で最も有名で親しまれているのはメンデルスゾーンによる「挨拶」でしょう。メンデルスゾーンの歌曲集の録音には大抵この曲が選ばれています。コンパクトで愛らしい作品です。
歌曲の歌詞を掲載したサイト"The LiederNet Archive"を見ると、この詩にいかに多くの作曲家が曲を付けているかに驚かされます。
民謡調の無駄のない凝縮された言葉の中に人々を惹きつけるものがあるのだと思います。

●ハインリヒ・ハイネの詩の朗読(フリッツ・シュターフェンハーゲン)
Rezitation: Fritz Stavenhagen

渋い声で穏やかに語られます。ドイツ語の美しさが感じられます。

●カール・レーヴェ:そっと私の心を通り抜ける
Carl Loewe (1796-1869): Leise zieht durch mein Gemüt, 1838
ユリアーネ・バンゼ(S), ヘルムート・ドイチュ(P)
Juliane Banse(S), Helmut Deutsch(P)

レーヴェは慎ましやかに始めますが、「響け」というところで力強く感情を爆発させます。ハイネの詩に忠実に表現していますね。後半「きみが1輪のバラを見たら」の詩行を4回も繰り返しています。この詩行を強調しようとしたということは言えると思いますが、彼女にぼくの挨拶を伝えてほしいという言葉が照れくさくてなかなか言えずにためらっていたという風にもとらえられるかと思います。

●フランツ・ラハナー:春の歌 Op. 96, Heft 3, No. 15
Franz Lachner (1803-1890): Frühlingslied, Op. 96 (Sängerfahrt : achtzehn Lieder), Heft 3, No. 15
ルーフス・ミュラー(T), クリストフ・ハマー(P)
Rufus Müller(T), Christoph Hammer(P)

フランツ・ラハナーはシューベルトの友人でもあり画家シュヴィントによってシューベルトたちと酒場で語り合う絵が残されています。ケルントナートーアの楽長になるなど当時の楽壇の重鎮だったようです。この曲でのピアノ高音の連打は明らかに鈴の音ですね。歌は基本的に明るく伸びやかなメロディーラインですが時々装飾的な箇所や大きな跳躍もありなかなか技巧的です。ピアノパートはかなり雄弁でした。

●フェーリクス・メンデルスゾーン:挨拶 Op. 19, No. 5
Felix Mendelssohn (1809-1847): Gruß, Op. 19, No. 5, published 1834
ブリギッテ・ファスベンダー(MS), エリク・ヴェルバ(P)
Brigitte Fassbaender(MS), Erik Werba(P)

メンデルスゾーンのこの有名な曲は、ささやかでコンパクトなのにどこまでも広がるような響きがとても魅力的で、多くの録音があるのもうなずけます。有節形式なのにそれを感じさせない感情表現の豊かさが感じられます。ファスベンダーのこの録音は歌が気持ちよく広がっていくところが気に入っています。

●ローベルト・フランツ:そっと私の心を通り抜ける Op. 41, No. 1
Robert Franz (1815-1892): Leise zieht durch mein Gemüt, Op. 41, No. 1 (1867?), published 1867
マルクス・ケーラー(BR), ホルスト・ゲーベル(P)
Markus Koehler(BR), Horst Göbel(P)

フランツのこの曲は、前奏も後奏もなく、詩と歌とピアノが完全に密着したささやかな宝石のようです。

●アントン・ブルックナー:春の歌 WAB. 68
Anton Bruckner (1824-1896): Frühlingslied, WAB. 68 (1851)
ローベルト・ホルツァー(BS), トーマス・ケルブル(P)
Robert Holzer(BS), Thomas Kerbl(P)

交響曲や宗教曲で有名なブルックナーも少数ながら歌曲を残していました。この曲では伸びやかな歌のメロディーラインが心地よいです。

●アントン・ルビンシテイン:春の歌Ⅰ Op. 32, No. 1
Anton Rubinstein (1829-1894): Frühlingslied I, Op. 32, No. 1, published 1856?
ヘレーン・リンドクヴィスト(S), フィリップ・フォーグラー(P)
Hélène Lindqvist(S), Philipp Vogler(P)

アントン・ルビンシテインは19世紀に活躍したロシアのピアニストですが、作曲家としても幅広いジャンルで作品を残しています。この曲は聴いた感じでは2節の有節形式と思われます。一見素朴に思えますが、歌声部に同音反復や半音進行を織り交ぜているのがスパイスのように効果的です。

●エドヴァルド・グリーグ:挨拶 Op. 48, No. 1
Edvard Grieg (1843-1907): Gruß, Op. 48, No. 1 (1884-8), published 1889
アン・ソフィー・フォン・オッター(MS), ベンクト・フォシュバーリ(P)
Anne Sofie von Otter(MS), Bengt Forsberg(P)

グリーグのハイネの詩による6つの歌曲Op.48はいずれも優れた作品ですが、この曲では短い中に感情の移り行きがドラマのように進行していき、グリーグの非凡さにあらためて驚かされます。ここで歌っているオッターは間然する所がありませんが、特に最後の"grüßen"で徐々に抑制していく響きがなんとも素晴らしかったです。

●アントン・ウアシュプルフ:そっと私の心を通り抜ける Op. 5, No. 1
Anton Urspruch (1850-1907): Leise zieht durch mein Gemüt, Op. 5, No. 1, published 1875, from Rosenlieder. Fünf Gesänge für 1 Singstimme mit Pianoforte, no. 1, Leipzig, Kahnt
スィビュラ・ルーベンス(S), カール=マルティン・ブットゲライト(P)
Sibylla Rubens(S), Carl-Martin Buttgereit(P)

作曲家ウアシュプルフはフランツ・リストの弟子で、ホーホ音楽院でピアノと作曲を指導したそうです(クラーラ・シューマンもここで教えていました)。この作品ではピアノの高音にずっと鈴を模した音が響いていますね。短調の物悲しい雰囲気で始まりますが、第2連で長調の響きに変わりほのかに希望が見えてきたようです。歌とピアノの繊細な味わいがなんとも魅力的です。

●アレクサンダー・ツェムリンスキー:春の歌
Alexander Zemlinsky (1871-1942): Frühlingslied, 1892, from Zwei Lieder auf Texte von Heinrich Heine, No. 1
サンドリーヌ・ピオー(S), スーザン・マノフ(P)
Sandrine Piau(S), Susan Manoff(P)

ツェムリンスキーによるこの作品は、濃厚なピアノの響きの中、まとわりつくような官能的な歌が19世紀の歌曲とは一線を画しているように感じられます。ここで歌っているピオーはドイツリートもフランス歌曲も共に素晴らしいソプラノです。

●チャールズ・アイヴズ:挨拶
Charles Ives (1874-1954): Gruß, 1895?8?
トマス・ハンプソン(BR), アーメン・グゼリミアン(P)
Thomas Hampson(BR), Armen Guzelimian(P)

アメリカの作曲家アイヴズは歌曲を沢山書いていますが、その中にはドイツ語の詩によるものも含まれています。このハイネの詩による作品では、繊細な味わいのある慎ましやかな小品という印象で、歌が細かい音で上行していく箇所が印象的でした。ピアノも歌と理想的な関係を保っている作品だと思います。ハンプソンの歌声もとてもいいですね。

-----------

(参考)

The LiederNet Archive

| | | コメント (2)

シューマン「はすの花(Die Lotosblume, Op. 25-7)」を聴く

Die Lotosblume, Op. 25-7
 はすの花

Die Lotosblume ängstigt
Sich vor der Sonne Pracht,
Und mit gesenktem Haupte
Erwartet sie träumend die Nacht.
 はすの花は怖れている、
 太陽の輝きを。
 そして、頭を垂れて
 夢見心地で夜を待ちわびる。

Der Mond, der ist ihr Buhle,
Er weckt sie mit seinem Licht,
Und ihm entschleiert sie freundlich
Ihr frommes Blumengesicht,
 月は、はすの花の彼氏、
 彼はその光で彼女を目覚めさせる、
 すると親しげに
 彼女のやさしい花の顔をあらわにする。

Sie blüht und glüht und leuchtet,
Und starret stumm in die Höh';
Sie duftet und weinet und zittert
Vor Liebe und Liebesweh.
 彼女は花咲き、身を焦がし、照り輝き、
 そして無言で天を見つめる。
 彼女は匂い立ち、泣き、震える、
 恋と恋の痛みゆえに。

詩:Heinrich Heine (1797-1856) 
曲:Robert Schumann (1810-1856)

----------

ハイネの詩集『歌の本(Buch der Lieder)』の中の「抒情的間奏曲(Lyrisches Intermezzo)」に含まれる詩にシューマンが作曲した「はすの花」は、クラーラへの贈り物でもある歌曲集『ミルテ(Myrten)』Op. 25の7曲目に置かれて出版されました。
シューマン歌の年(1840年)に作られた数多くの歌曲の中でもとりわけ親しまれている1曲です。

ハイネの詩は、はすの花が昼間は太陽の光を恐れているのですが、夜になると彼氏である月があらわれ、はすの花はその彼氏に向けて恋と恋の痛みゆえに花開き匂い立つというなんともロマンティックな内容です。

シューマンの音楽は素朴ながらとても繊細な和音をピアノパートにゆったりと刻ませます。歌の旋律は第1節では太陽を恐れてほぼ低い音域に留まりますが、第1節最終行から月が登場する第2節にかけて音がぐっと高まり、視点が月に移ります。その後、はすが花咲き、天上の月を仰ぎ見る箇所で少しづつ旋律が上行していくのが、恥じらいながら少しづつ顔をあげて高揚していくはすの花の気持ちを絶妙に表現しているようで、聞き手もここで悶えます!!詩の最後の"Liebesweh(恋の苦しみ)"という語にハイネらしい辛辣な思いが込められているのかもしれませんが、シューマンはその言葉すらもはすの花が喜んで受け入れているかのような響きに包みました。本当に奇跡的な作品だとあらためて思います。

以前こちらの記事で訳詞だけ作っていましたので、今回の記事であらためて聞き比べをしてみたいと思います。

ちなみにシューマンの歌曲集のタイトルである「ミルテ」の花は日本語では銀梅花(ギンバイカ)というようです。下記のリンク先をご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AB

はすの花を画像検索した結果は下記リンク先にあります。
https://www.google.co.jp/search?q=lotusblume&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwiuuaGlmOnuAhVLPHAKHRPTAM4Q_AUoAXoECAEQAw&biw=1366&bih=628

はすの花や葉は植物に疎い私でも見たことがあるぐらい身近ですね。
子供の頃に読んだ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をつい思い出します。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html

●ハイネの詩の朗読(ゲルト・ウード・フェラー)
Gerd Udo Feller(Rezitation)

とてもいい朗読ですね!第3節の"blüht und glüht und leuchtet"や"duftet und weinet und zittert"の"und(英語のand)"で動詞をつなげて畳みかける箇所をどう朗読しているかに注目してみるのも興味深いです。

●白井光子(MS) & ハルトムート・ヘル(P)
Mitsuko Shirai(MS) & Hartmut Höll(P)

白井さんの深みと含蓄のある歌唱はこのハイネの詩の心情をこれ以上ないほど細やかに描いていて素晴らしいです。

●バーバラ・ボニー(S) & ヴラディーミル・アシュケナージ(P)
Barbara Bonney(S) & Vladimir Ashkenazy(P)

ボニーの可憐な美声とアシュケナージの美しい音色で至福の時間が味わえます。とりわけ"zittert"の抑制した歌唱に惹き込まれました。

●マーガレット・プライス(S) & ジェイムズ・ロックハート(P)
Margaret Price(S) & James Lockhart(P)

大きな弧を描くプライスの歌唱はこの曲の旋律美を浮き彫りにします。

●マティアス・ゲルネ(BR) & マルクス・ヒンターホイザー(P)
Matthias Goerne(BR) & Markus Hinterhäuser(P)

2017年録音。ゲルネの前半の抑制した響きから後半の解放した響きまで、自然で温かみがあり素晴らしいです。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T) & フーベルト・ギーゼン(P)
Fritz Wunderlich(T) & Hubert Giesen(P)

ライヴ録音(Edinburgh, Usher Hall, 4. September 1966)。ヴンダーリヒはこの曲をスタジオ録音していないのでは?不慮の事故で亡くなる2週間前の貴重なライヴ音源が残されていたことに感謝です。ほれぼれするほど美しい歌唱ですね。

●ヘルマン・プライ(BR) & レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)

1985年録音。プライはもう血肉となった歌唱ですね。歌い上げずに抑制した魅力が滲み出ています。第2節第2行の"sie"が聞きなれた音よりも高く歌っていますが、こういう版があるのかどうか調べてみたいです。

●ピアノパートのみ
Die Lotosblume/はすの花  Schumann/シューマン【ドイツ語字幕/和訳付き/PianoKaraoke】

投稿者:PIAVO。演奏の映像と歌詞対訳が表示されます。ピアノパートだけで聴いても歌が浮かんできて、単なる和音の連なりにとどまらないハーモニーの繊細な美しさが感じられますね。

●シューマンによる無伴奏男声四部合唱の「はすの花」Op. 33 No. 3
Robert Schumann: Die Lotosblume, Op. 33 No. 3
レナー・アンサンブル & ベルント・エンゲルブレヒト(C)
Renner Ensemble & Bernd Engelbrecht(C)

独唱曲とば別の作品で、無伴奏男声四部合唱のための作品です。この曲もまた神秘的な響きが美しく、時々あらわれる半音進行が印象的ですね。詩の言葉の扱い方がOp.25の独唱曲と似ているので、シューマンはハイネの詩をこのように朗読したのだなと想像出来るのが興味深いです。

●シューマンによる二重唱の「はすの花」Op. 33 No. 3
Robert Schumann: Die Lotosblume, Op. 33 No. 3
ペーター・シュライアー(T) & ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & クリストフ・エッシェンバハ(P)
Peter Schreier(T) & Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Christoph Eschenbach(P)

無伴奏男声四部合唱曲と同じ作品番号で、確かに同じ曲のようなのですが、インターネット上にこの編成の楽譜を見つけることは出来ませんでした。二重唱+ピアノ伴奏という編成はシューマン自身によるものなのか、楽譜出版社が売上をのばす為に男声合唱曲から編曲したのかは今のところ確認できませんでした。

●カール・レーヴェ作曲の「はすの花」Op. 91 No. 1
Carl Loewe: Die Lotosblume, Op. 91 No. 1
白井光子(MS) & ハルトムート・ヘル(P)
Mitsuko Shirai(MS) & Hartmut Höll(P)

バラード(Ballade)作曲家レーヴェがリート(Lied)としてこのハイネの詩に曲を付けました。歌は素朴ですが、ピアノはドラマティックに展開します。

●ローベルト・フランツ作曲の「はすの花」Op. 25 No. 1
Robert Franz: Die Lotosblume, Op. 25 No. 1
白井光子(MS) & ハルトムート・ヘル(P)
Mitsuko Shirai(MS) & Hartmut Höll(P)

フランツの作曲した作品は、素朴ですがメランコリックな響きがなんとも美しいです。

| | | コメント (10)

F=ディースカウ&ヘル/ハイネの詩によるシューマン歌曲集

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとハルトムート・ヘルによるシューマン歌曲のコンサート映像がアップされていたので、こちらで共有したいと思います。
おそらく1980年代半ば頃ではないかと推測されるのですが、とにかくヘルはまだ初々しく、F=ディースカウの歌唱も衰え知らずです。
ハイネの詩による単独の歌曲ではじめ、その後に2大歌曲集「リーダークライス」と「詩人の恋」が歌われます。
F=ディースカウの細やかな表現と同時に表情も楽しめますし、歌手だけでなくピアニストにも焦点をあてた映像はなかなか見ごたえがあります。
ぜひ楽しんで下さい。

Dietrich Fischer Dieskau Schumann Lieder Heine online video cutter com

Recording date: unknown

Dietrich Fischer-Dieskau, baritone
Hartmut Höll, piano

Schumann:

Mein Wagen rollet langsam, Op. 142-4
Es leuchtet meine Liebe, 127-3
Abends am Strand, Op. 45-3

Liederkreis, Op. 24

-----------

DFD Dichterliebe, Op. 48

Recording date: unknown

Dietrich Fischer-Dieskau, baritone
Hartmut Höll, piano

Schumann:

Dichterliebe, Op. 48

| | | コメント (2)

プレガルディエン&ゲース/〈歌曲(リート)の森〉第3篇(2009年3月5日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第3篇
2009年3月5日(木) 19:00開演 トッパンホール(D列6番)

クリストフ・プレガルディエン(Christoph Prégardien)(T)
ミヒャエル・ゲース(Michael Gees)(P)

ハインリヒ・ハイネの詩による歌曲

シューマン作曲
1.海辺の夕暮れ Op.45-3
2.憎悪しあう兄弟 Op.49-2
3.きみの顔 Op.127-2
4.きみの頬を寄せたまえ Op.142-2
5.二人の擲弾兵 Op.49-1
6.ぼくの愛はかがやき渡る Op.127-3
7.ぼくの馬車はゆっくりと行く Op.142-4

シューベルト作曲
歌曲集《白鳥の歌》D957より
8.漁夫の娘
9.海辺で
10.都会
11.影法師
12.彼女の絵姿
13.アトラス

~休憩~

シューマン作曲
歌曲集《詩人の恋》 Op.48
14.うるわしい、妙なる5月に
15.ぼくの涙はあふれ出て
16.ばらや、百合や、鳩
17.ぼくがきみの瞳を見つめると
18.ぼくの心をひそめてみたい
19.ラインの聖なる流れの
20.ぼくは恨みはしない
21.花が、小さな花がわかってくれるなら
22.あれはフルートとヴァイオリンのひびきだ
23.かつて愛する人のうたってくれた
24.ある若ものが娘に恋をした
25.まばゆく明るい夏の朝に
26.ぼくは夢のなかで泣きぬれた
27.夜ごとにぼくはきみを夢に見る
28.むかしむかしの童話のなかから
29.むかしの、いまわしい歌草を

~アンコール~
1.シューマン/「リーダークライス」Op.24~第9曲「ミルテとばらで」
2.シューマン/「リーダークライス」Op.24~第3曲「ぼくは木々の下をさまよう」

-----------------------------------

トッパンホール主催による〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~もいよいよ最終回である。
パドモア&クーパーによる「冬の旅」、ボストリッジ&ドレイクによるシューマン&ブラームスに続いて、今回はクリストフ・プレガルディエンとミヒャエル・ゲースによるハイネの詩に焦点を絞った歌曲集である。

かつてF=ディースカウは前半にシューベルトの「白鳥の歌」の中からハイネの詩による6曲、そして後半にシューマンの同じくハイネの詩による「詩人の恋」を歌って、一夜のプログラムを組んでいた。
ザルツブルクでのムーアとのライヴ録音は現在も輸入盤で入手可能であろう。

今回のプレガルディエンとゲースによるハイネ歌曲集ではF=ディースカウのプログラムに、さらにシューマンの単独のハイネ歌曲7曲を追加するというボリュームの多いプログラムを披露した。
この7曲のうち4曲(Op.127とOp.142)はもともと「詩人の恋」に含める予定で作曲されたものである。

私にとってプレガルディエンを生で聴くのは今回が2度目である。
1度目はもう15年以上も前にオーストリアのフェルトキルヒでシューベルティアーデを聴いた時。
シューベルトの重唱曲をバンゼ、ツィーザク、ファスベンダー、ベーア、A.シュミットらと共に歌った楽しいコンサートだった(指揮者のような身振りで歌手たちを統率していた姿が今でも目に焼きついている)。
しかし、これまでプレガルディエンのソロ・リサイタルは一度も聴いたことがなく、今回がはじめてだった。

すでに白髪混じりの頭で登場したプレガルディエンは以前よりも恰幅がよくなった印象である。
若い頃の録音では端正だが単色な印象を受けることが多かったが、今回実際の歌唱を聴いて、声は多彩さを増し、語り口はもはや名人芸的な域に達し、血肉となった自在な表現を聴いて感銘を受けた。
高音は若干厳しくなりつつあるようで、飛びつくように音をとらえ、力みが感じられることもあったが、一方低音域ではテノールとは思えないほど充実した響きを出していた。
ドイツ語の発音の美しさはやはりネイティヴの強みだろう。
弛緩することなく快適なテンポで語るように歌う。
端正な良さはそのままに味わいを増した歌で、シューベルト最晩年の深みも、シューマンのロマンも魅力的に聴かせてくれた。
内面的な歌もドラマティックな歌も安心して身を委ねて聴いていられた。

ピアニストのミヒャエル・ゲースは、長髪を後ろで束ね、衣装の着こなしといい、愛嬌のあるステージマナーといい、どことなくチョコレート工場の有名俳優みたいな雰囲気である(容姿ではなく雰囲気です)。
ジャズもこなすというこのピアニストは演奏中も首を横に振ったり、スウィンギーなノリを見せ、純然たるクラシックピアニストとはどこか異なる印象だ。
積極的な音楽への姿勢は充分感じるものの、音の濁りも辞さず、アルペッジョを多用した崩し方は時にやり過ぎと感じられた。
とはいえ、「詩人の恋」の第1曲のアンニュイな演奏など美しい響きを聞かせる場面もあった。
ドラマティックな「アトラス」は実演で聴くと歌手への配慮からか控えめなピアノを聴くことが多いが、ゲースの雄弁な演奏は久しぶりに曲の立体感を見事に表現していたと感じた(中間部のアクセントが無視されていたのは残念だったが)。
概してゲースは演奏の性質上、シューベルトよりもシューマンがより合っていたようだ。

円熟して表現力を増したプレガルディエンの歌唱をたっぷり堪能した一夜だった。

Pregardien_gees_200903_chirashi

←コンサートのちらし

| | | コメント (4) | トラックバック (1)

メンデルスゾーン「歌の翼にのって」(詩:ハイネ)

ハイネ歌曲の番外編として、メンデルスゾーンの最も有名な歌曲「歌の翼にのって」を訳してみた。“ガンジス川”や“ハスの花”のようなハイネの詩でお馴染みの言葉も出てくるのが興味深い。なお、岩波文庫の井上正蔵氏の解説によると、ハイネのいくつかの詩に見られる“ガンジス川”は、ボン大学在学中にA.W.シュレーゲルの講義に触発されたインド研究の影響らしい。原詩はハイネの詩集「歌の本(Buch der Lieder)」の「抒情挿曲」(「詩人の恋」の詩もある)に含まれている。メンデルスゾーンによる歌曲は1836年に出版された「6つの歌曲(6 Lieder)」Op. 34の2曲目で、8分の6拍子、変イ長調。A-A-A’の変形有節形式である(Aは原詩の2節分、A’は1節分)。冒頭の表示はAndante tranquilloである。歌声部の最高音は2点ヘ音、最低音は1点変ホ音で約1オクターブなので音域はそれほど広くない。メロディーは言うまでもなくきわめて甘く美しいもので、一度聴けば印象に残るほどである。歌曲としてよりも楽器用の編曲作品として知られているかもしれない。
私がこの曲をはじめて聴いたのはシュライアーとオルベルツによる録音だった。シュライアーの歌は、この曲の甘さを良い意味で程よく中和して、単なるBGMに陥らない格調高い清潔なもので本当に素晴らしかった。ピアノパートは分散和音に徹しているが、歌と絶妙なハーモニーを築き、特に間奏部分はメンデルスゾーンの才気を感じさせる。

----------------------------------

Auf Flügeln des Gesanges, Op. 34-2
 歌の翼にのって

Auf Flügeln des Gesanges,
Herzliebchen, trag ich dich fort,
Fort nach den Fluren des Ganges,
Dort weiß ich den schönsten Ort;
 歌の翼にのって、
 いとしい人、きみを連れて行こう、
 ガンジス川ほとりの野まで、
 そこはとても美しいところなんだ。

Dort liegt ein rotblühender Garten
Im stillen Mondenschein,
Die Lotosblumen erwarten
Ihr trautes Schwesterlein.
 そこには赤く花咲きほこった庭があるんだ、
 静かな月あかりの中で。
 ハスの花は
 親しい妹を待ちわびているよ。

Die Veilchen kichern und kosen,
Und schaun nach den Sternen empor,
Heimlich erzählen die Rosen
Sich duftende Märchen ins Ohr.
 スミレはくすくす笑ってじゃれ合い、
 星を見上げている。
 ひそかにバラは
 匂い立つメルヒェンをささやき合う。

Es hüpfen herbei und lauschen
Die frommen, klugen Gazelln,
Und in der Ferne rauschen
Des heil'gen Stromes Well'n.
 こちらに跳ねてきて、耳を澄ますのは、
 おとなしく賢いカモシカだ、
 遠くでは、
 聖なる川の波がざわめいている。

Dort wollen wir niedersinken
Unter dem Palmenbaum,
Und Lieb' und Ruhe trinken,
Und träumen seligen Traum.
 あそこで横になろうよ、
 シュロの木の下で、
 そして愛ややすらぎを飲み込んで、
 幸せな夢を見よう。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy (1809.2.3, Hamburg - 1847.11.4, Leipzig)

| | | コメント (0) | トラックバック (1)

シューマン「悲劇」(詩:ハイネ)

昨年のシューマン&ハイネのダブルアニバーサリーに因んだ歌曲シリーズもようやく最後までこぎつけた。今回は3曲の連作になっている「悲劇」Op. 64-3である(「ロマンツェとバラーデ、第四集(Romanzen und Balladen Heft 4)」に含まれる)。シューマンの「歌の年」の翌年1841年の作曲とされている。最初の2曲は独唱曲、最後の曲はソプラノとテノールのための二重唱曲になっている為、独唱者の録音でも、最初の2曲のみをとりあげる人、3曲目を二重唱もしくは多重録音で録音する人に分かれる。なお、シューマンの楽譜では、第1曲と第2曲の最後に終止線がなく、単なる2重線なので、3曲が連続して演奏されることを望んでいたことは明白である。

第1曲:急速に、燃焼して(Rasch und mit Feuer)。4分の4拍子。ホ長調。全36小節。
音域は1点ホ音から2点イ音まで約1オクターブ半。
男が恋人に駆け落ちしようと誘うという内容で、シンコペーションのピアノに乗って切迫した調子で歌われる。第2節で調子が変わり、その後再度第1節が若干の変化をつけて繰り返される。ピアノパートは装飾音や付点音符、アゴーギクの変化など、ところどころにシューマネスクな香りを漂わせている。

第2曲:ゆっくりと(Langsam)。8分の6拍子。ホ短調。全29小節。
音域は1点ホ音から2点ハ音までの短6度という狭さである。
駆け落ちした男女の悲惨な顛末が第三者によって淡々と語られる。曲は切り詰めた音で深刻にぽつぽつ途切れながら歌われる。F=ディースカウはピアノパートにホルンの響きを感じているようだ(『シューマンの歌曲をたどって』:白水社:1997年)。

第3曲:ゆっくりと(Langsam)。4分の4拍子。ハ長調。全27小節。
音域は、ソプラノ声部が1点ニ音から2点ニ音までのちょうど1オクターブ、テノール声部が1点ハ音から2点イ音までの2オクターブ弱で、テノールの音域がソプラノの倍近い広さを求められている。
彼女の墓の上でおしゃべりを楽しんでいたカップルが理由も分からず涙するという内容。F=ディースカウの著書によると、もともとは合唱曲として意図されていたものが二重唱曲に変更され、テノール声部はピアノパートと一致しているので、二重唱曲にする必要はなかったのではと疑問を呈している。

-------------------------

Tragödie, Op. 64-3
 悲劇

Entflieh mit mir und sei mein Weib,
Und ruh an meinem Herzen aus;
In weiter Ferne sei mein Herz
Dein Vaterland und Vaterhaus.
 ぼくと一緒に逃げて、ぼくの妻になっておくれ、
 そしてぼくの胸で休むがいい。
 はるか彼方でもぼくの心が
 きみの祖国や生家でありたい。

Entfliehn wir nicht, so sterb' ich hier
Und du bist einsam und allein;
Und bleibst du auch im Vaterhaus,
Wirst doch wie in der Fremde sein.
 逃げなければ、ぼくはここで死に、
 きみは孤独で一人ぼっちになってしまう。
 そしてきみが生家にとどまっていても
 異国にいるような気分になるだろう。

-------------------------

Es fiel ein Reif in der Frühlingsnacht,   
Es fiel auf die zarten Blaublümelein:
Sie sind verwelket, verdorret.
 春の夜に霜が降り、
 やわらかい青い花々に霜が降りた。
 花々はしおれ、枯れてしまった。 

Ein Jüngling hatte ein Mädchen lieb;   
Sie flohen heimlich vom Hause fort,
Es wußt' weder Vater noch Mutter.
 若者がある娘を好きになった。
 彼らはひそかに家から逃げ、
 そのことを父も母も知らなかった。

Sie sind gewandert hin und her,
Sie haben gehabt weder Glück noch Stern,
Sie sind gestorben, verdorben.
 彼らはあちこちさまよったが、
 幸せも運もなく、
 彼らは死に絶えた。

-------------------------

Auf ihrem Grab da steht eine Linde,
Drin pfeifen die Vögel im Abendwinde,
Und drunter sitzt auf dem grünen Platz,
Der Müllersknecht mit seinem Schatz.
 彼女の墓の上に一本の菩提樹が生えている。
 夕べの風の中、鳥たちはそこでさえずっている。
 下方の緑の広場に腰を下ろしているのは
 恋人と一緒の粉屋の下男だ。

Die Winde wehen so lind und so schaurig,
Die Vögel singen so süß und so traurig:
Die schwatzenden Buhlen, sie werden stumm,
Sie weinen und wissen selbst nicht warum.
 風がかくも優しく、不気味に吹いている。
 鳥はかくも甘美に、悲しげに歌っている。
 おしゃべりしている恋人たち、彼らは口を閉ざし、
 涙を流す、何故なのかさえ分からぬままに。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Robert Alexander Schumann (1810.6.8, Zwickau - 1856.7.29, Endenich)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

シューマン「ベルシャザル」(詩:ハイネ)

ベルシャザルについては旧約聖書の「ダニエル書」第5章に記載がある。それによると、ネブカデネザルの息子であるベルシャザルはカルデアびとの王だったが、宴会を催している最中に、突然人の手があらわれて何か文字を書いて消えた。読める者が見つからない中、父ネブカデネザルの信頼の篤かったダニエルが呼ばれ、解読する。書かれているのは「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」で、神があなたの治世を終わらせ、あなたの量をはかりで量ったところ足りないことがあらわれ、あなたの国は分かたれ、メデアとペルシャの人に与えられると解読される。ベルシャザルはその夜のうちに殺された。

なお、ベルシャザルがバビロニアの王である点、ベルシャザルがネブカデネザルの息子である点は史実ではなく、旧約聖書のエピソード自体も事実とは異なるようだ。

シューマンが“歌の年”1840年にハイネの詩に作曲した「ベルシャザル」は、作品番号57として単独で出版された。

シューマンの曲は、4分の4拍子、ト短調、全99小節で、冒頭に「最初は速すぎず、徐々に速めて(Im Anfange nicht zu schnell, nach und nach rascher)」という指示がある。歌声部は最高音が2点ト音、最低音が1点ハ音なので、約1オクターブ半の音域ということになる。

うねるようなピアノの分散和音にのって、全体に暗鬱な歌が通作形式で展開するが、歌声部の基本的なテーマは最後まで維持される。王が神を罵るくだりはシューマンの音楽にもその不遜さが響き、「我こそはバビロンの王なるぞ!」で頂点に達する。白い手があらわれ文字を書くあたりでそれまでの推進力から一転して、緊張感をはらんだ語りの要素が強まる。詩の展開に応じて歌、ピアノともに機敏に反応していき、シューマンの音楽がいかに詩に従ったものであるかが感じられる。

-----------------------------

Belsatzar, Op. 57
 ベルシャザル

Die Mitternacht zog näher schon;
In stummer Ruh' lag Babylon.
 すでに真夜中が迫っていた。
 バビロンは音もなく安らぎの中にあった。

Nur oben in des Königs Schloß,
Da flackert's, da lärmt des Königs Troß.
 ただ上方の王の城内だけは
 光がちらつき、王のお付きたちが大騒ぎしている。

Dort oben, in dem Königsaal,
Belsatzar hielt sein Königsmahl.
 あの上方で、王の広間で
 ベルシャザル王は宴を催していた。

Die Knechte saßen in schimmernden Reihn,
Und leerten die Becher mit funkelndem Wein.
 家来たちはきらびやかな列をなして座っており、
 きらめくワインの杯を飲み干した。

Es klirrten die Becher, es jauchzten die Knecht;
So klang es dem störrigen Könige recht.
 杯を重ねる音が鳴り、家来たちは喝采をあげた。
 独りよがりの王にもふさわしい響きだった。

Des Königs Wangen leuchten Glut;
Im Wein erwuchs ihm kecker Mut.
 王の頬がほてり輝いた。
 ワインで彼は気が大きくなってきた。

Und blindlings reißt der Mut ihn fort;
Und er lästert die Gottheit mit sündigem Wort.
 そして理性を失い王の心を大胆さが占め、
 彼は罪な言葉で神を冒涜する。

Und er brüstet sich frech und lästert wild;
Die Knechteschar ihm Beifall brüllt.
 彼は大胆に自慢して、野蛮に罵り、
 家来の一群は王に拍手喝采を浴びせる。

Der König rief mit stolzem Blick;
Der Diener eilt und kehrt zurück.
 王は誇りに満ちた眼差しで叫んだ。
 従僕は急ぎ去り、また戻ってくる。

Er trug viel gülden Gerät auf dem Haupt;
Das war aus dem Tempel Jehovas geraubt.
 王は頭上に多くの金の道具を付けた。
 それはエホバの寺院から盗んできたものだった。

Und der König ergriff mit frevler Hand
Einen heiligen Becher, gefüllt bis am Rand.
 それから王は邪悪な手で
 なみなみと注がれた聖なる杯をつかんだ。

Und er leert ihn hastig bis auf den Grund,
Und rufet laut mit schäumendem Mund:
 彼は急いで飲み干すと
 泡だらけの口で大声で叫んだ。

Jehova! dir künd' ich auf ewig Hohn -
Ich bin der König von Babylon!
 エホバよ!わしは永遠に御身に侮辱の言葉を投げかけよう、
 我こそはバビロンの王なるぞ!

Doch kaum das grause Wort verklang,
Dem König ward's heimlich im Busen bang.
 ところが恐ろしい言葉が響き止むやいなや
 王の胸はひそかに不安になった。

Das gellende Lachen verstummte zumal;
Es wurde leichenstill im Saal.
 耳をつんざくような笑い声は同時に押し黙り、
 広間は死んだような静寂となった。

Und sieh! und sieh! an weißer Wand,
Da kam's hervor wie Menschenhand;
 ほら見よ!見よ!白い壁に
 人の手のようなものが出てきたぞ。

Und schrieb und schrieb an weißer Wand
Buchstaben von Feuer, und schrieb und schwand.
 白い壁に書き続けているのは
 火の文字だ、さらに書き続け、消え去った。

Der König stieren Blicks da saß,
Mit schlotternden Knien und totenblaß.
 王はじっと見つめながら
 膝を震わせ死人のように蒼ざめて座っていた。

Die Knechteschar saß kalt durchgraut,
Und saß gar still, gab keinen Laut.
 家来の一群は恐怖に寒々として、
 全く静かに座っており、物音一つ立てなかった。

Die Magier kamen, doch keiner verstand
Zu deuten die Flammenschrift an der Wand.
 呪術師たちがやってきたが、誰一人
 壁に書かれた炎の文字の意味が分からなかった。

Belsatzar ward aber in selbiger Nacht
Von seinen Knechten umgebracht.
 だがベルシャザルはその夜のうちに
 家来たちに殺されてしまった。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Robert Alexander Schumann (1810.6.8, Zwickau - 1856.7.29, Endenich)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

シューマン「敵対し合う兄弟」(詩:ハイネ)

シューマンが“歌の年”1840年にハイネの詩に作曲した「敵対し合う兄弟」は、作品番号49として出版された「ロマンツェとバラーデ、第二集(Romanzen und Balladen Heft 2)」の第2曲にあたる。

シューマンの曲は、4分の4拍子、ロ短調(恋する女性を歌った第3節で平行調のニ長調に一時的に転調する)、全75小節で、冒頭に「動いて(Bewegt)」という指示がある。
歌声部は最高音が2点ト音、最低音が1点嬰ヘ音なので、約1オクターブ強の音域ということになる。

冒頭のテーマ(ミーミラーラシーシドードレーレミーミシーシドー)が調を変化させることもなく何度も繰り返し現れる。このテーマを聴くたびに私はベートーヴェンのチェロソナタ第3番のスケルツォを思い出してしまうが、おそらく単なる偶然なのだろう。だが、シューマンはベートーヴェン贔屓で、自作にベートーヴェンの曲の一節を織り込んだりもしているので、作曲中にこの曲が頭に鳴っていて無意識的に影響されてしまったということはありうるかもしれない(単なる想像に過ぎないが)。通作形式だが、あまり目新しい工夫をせずに紋切り型の曲に留まっている。ただ、演奏者の技量次第では切迫感のあるドラマとなりうるだろう。

-----------------------------

Die feindlichen Brüder, op. 49 no. 2
 敵対し合う兄弟

Oben auf des Berges Spitze
Liegt das Schloß in Nacht gehüllt;
Doch im Tale leuchten Blitze,
Helle Schwerter klirren wild.
 山頂の上で
 夜に包まれて城がそびえ立っている。
 だが、稲妻の輝くあの谷では
 きらめく剣が荒々しい音を鳴らしている。

Das sind Brüder, die dort fechten
Grimmen Zweikampf, wutentbrannt.
Sprich, warum die Brüder rechten
Mit dem Schwerte in der Hand?
 それは兄弟だ、あそこで剣を交えて、
 激しく怒りに燃えて二人争っている。
 言ってくれ、なぜ兄弟が
 剣を手にして争っているのか。

Gräfin Lauras Augenfunken
Zündeten den Brüderstreit.
Beide glühen liebestrunken
Für die adlig holde Maid.
 伯爵令嬢のラウラの瞳が放つ火花が
 兄弟の争いに火をつけたのだ。
 二人は愛に酔い痴れて燃え盛る、
 この気高くいとしい娘をめぐって。

Welchem aber von den beiden
Wendet sich ihr Herze zu?
Kein Ergrübeln kann's entscheiden -
Schwert heraus, entscheide du!
 だが、二人のうちどちらに
 彼女の心は向くのだろうか?
 考えたって決められない。
 剣を抜け、それで決めるぞ!

Und sie fechten kühn verwegen,
Hieb auf Hiebe niederkracht's.
Hütet euch, ihr wilden Degen.
Grausig Blendwerk schleicht des Nachts.
 そして彼らは大胆に向こう見ずに剣を交えた、
 一突きごとに剣は音を立てて下を向く。
 気をつけろ、乱暴な勇士たちよ。
 夜にはぞっとするようなまやかしが忍び寄っているから。

Wehe! Wehe! blut'ge Brüder!
Wehe! Wehe! blut'ges Tal!
Beide Kämpfer stürzen nieder,
Einer in des andern Stahl. -
 あわれ!あわれ!血まみれの兄弟たちよ!
 あわれ!あわれ!血まみれの谷よ!
 二人の戦士たちはばったり倒れた、
 相手の刃に切られて。

Viel Jahrhunderte verwehen,
Viel Geschlechter deckt das Grab;
Traurig von des Berges Höhen
Schaut das öde Schloß herab.
 それから何世紀もの時が流れ去り、
 何世代もの人々が墓の下に眠った。
 山の高みからは悲しげに
 荒れた城が見下ろしている。

Aber nachts, im Talesgrunde,
Wandelt's heimlich, wunderbar;
Wenn da kommt die zwölfte Stunde,
Kämpfet dort das Brüderpaar.
 だが、夜になると、谷底では
 ひっそり奇妙にさまよい出るものがある。
 十二時になると
 あそこであの兄弟たちが戦うのだ。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Robert Alexander Schumann (1810.6.8, Zwickau - 1856.7.29, Endenich)

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

シューマン「二人の擲弾兵」(詩:ハイネ)

シューマンの最も有名な歌曲の一つ「二人の擲弾兵」は“歌の年”1840年にハイネの詩に作曲された。作品番号49として出版された「ロマンツェとバラーデ、第二集(Romanzen und Balladen Heft 2)」の第1曲にあたる(ちなみに第2、3曲は、同じくハイネの詩による「敵対し合う兄弟(Die feindlichen Brüder)」と、フレーリヒの詩による「尼僧(Die Nonne)」である)。

この詩は、ハイネの詩集「歌の本」の「若き悩み」に置かれている(「哀れなペーター」の2つ後)。
ロシアで捕虜になっていた二人のフランス兵が、祖国に向かう途中のドイツの宿で、フランスが敗北し、皇帝が捕らえられたことを知り絶望するという内容。死に瀕した一人の、皇帝に対する忠誠心がこの詩のテーマだろう。
ちなみに擲弾兵とは「フリードリヒ大王の時代、手榴弾を投げるエリート歩兵」(「はてなダイアリー」より)とのことである。

なお、この詩の第5節に「妻がなんだ、子供がなんだ、…奴らが飢えているならば物乞いでもさせておけ」という箇所があるが、岩波文庫の井上正蔵氏の解説によると、これはヘルダーの「エトヴァルト」(パーシーの独訳)に影響を受けているそうだ。カール・レーヴェも作曲している(Op. 1-1)ヘルダーの詩を抜き出してみると以下のようになっている。

Und was soll werden aus Weib und Kind,
Edward, Edward?
Und was soll werden aus Weib und Kind,
Wann du gehst übers Meer? O!
 それで妻子にどうしろと言うの、
 エトヴァルト、エトヴァルト?
 それで妻子にどうしろと言うの、
 いつお前は海を越えて行ってしまうんだい?おお!

Die Welt ist groß, laß sie betteln drin,
Mutter, Mutter!
Die Welt ist groß, laß sie betteln drin,
Ich seh sie nimmermehr! O!
 世界は広いんだ、そこで彼らには物乞いでもさせておけばいい、
 母よ、母よ!
 世界は広いんだ、そこで彼らには物乞いでもさせておけばいい、
 ぼくはもう妻子に会うことはない!おお!
    (以上ヘルダー(Johann Gottfried Herder: 1744-1803)の「エトヴァルト(Edward)」より)

シューマンの曲は、4分の4拍子、ロ短調、全82小節で、冒頭に「中庸に(Mäßig)」という指示がある。マーチのような勇ましいリズムにのって歌がはじまるが、最初のメロディーが何度かあらわれるものの、全体としては詩の展開に応じた通作形式をとっている。

最後の2つの節(第8~9節)で同主調のロ長調に転調して、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」の旋律を引用して、皇帝が再び指揮をとる時が来たら皇帝をお守りするために墓から出ると力強く歌って締めくくり、ピアノ後奏はAdagioにテンポを落とし、この擲弾兵に静かに死が訪れる様を暗示しているようだ。

個人的には、詩の第6節に付けられた分散和音の音楽に魅力を感じるが、全体としてはそれほど印象的な作品というわけではないように思う。しかし、ハンス・ホッターのような味のある声で深々と歌われると、曲本来の価値以上の魅力が出てくるのを感じずにはいられない。

このハイネの詩のルーヴ=ヴェイマル(François-Adolphe Loeve-Veimar)による仏訳(Les deux grenadiers)には、あのリヒャルト・ヴァーグナーも作曲している。シューマンと同じ1840年の作曲で、偶然なのか曲の最後に「ラ・マルセイエーズ」が引用されているところも共通している。かなりドラマティックな通作形式で出来ていて、シューマンとの聴き比べも興味深いだろう。

-------------------------------------

Die beiden Grenadiere, op. 49 no. 1
 二人の擲弾兵

Nach Frankreich zogen zwei Grenadier',
Die waren in Rußland gefangen.
Und als sie kamen ins deutsche Quartier,
Sie ließen die Köpfe hangen.
 フランスへ二人の擲弾兵が向かっていた、
 彼らはロシアで捕らえられていたのだ。
 そしてドイツの宿に来たとき
 彼らは沈みこんでいた。

Da hörten sie beide die traurige Mär:
Daß Frankreich verloren gegangen,
Besiegt und geschlagen das tapfere Heer -
Und der Kaiser, der Kaiser gefangen.
 そこで二人は悲しい知らせを聞いた、
 フランスが敗北したというのだ。
 勇敢な軍は負かされ、破れ、
 皇帝が、皇帝が捕まってしまった。

Da weinten zusammen die Grenadier'
Wohl ob der kläglichen Kunde.
Der eine sprach: »Wie weh wird mir,
Wie brennt meine alte Wunde!«
 その時擲弾兵たちは共に涙した、
 悲しい知らせのために。
 一人がこう話した「なんということだ、
 俺の古傷がひりひり疼く!」

Der andre sprach: »Das Lied ist aus,
Auch ich möcht' mit dir sterben,
Doch hab' ich Weib und Kind zu Haus,
Die ohne mich verderben.«
 もう一人も言った「もう終わりだ、
 俺も出来ることならお前と共に死にたい。
 だが、俺は女子供を家に残していて、
 俺がいなければ生きていけないんだ。」

»Was schert mich Weib, was schert mich Kind,
Ich trage weit besser Verlangen;
Laß sie betteln gehn, wenn sie hungrig sind -
Mein Kaiser, mein Kaiser gefangen!
 「妻がなんだ、子供がなんだ、
 俺ははるかに立派な望みを抱いている。
 奴らが飢えているならば物乞いでもさせておけ、
 わが皇帝が、皇帝が捕まったんだぞ!

Gewähr mir, Bruder, eine Bitt':
Wenn ich jetzt sterben werde,
So nimm meine Leiche nach Frankreich mit,
Begrab mich in Frankreichs Erde.
 一つ願いを聞き届けてくれないか、同胞よ、
 俺が今死んでしまったら
 亡骸をフランスに運んで
 フランスの地中に埋めてくれ。

Das Ehrenkreuz am roten Band
Sollst du aufs Herz mir legen;
Die Flinte gib mir in die Hand,
Und gürt mir um den Degen.
 赤いリボンの付いた十字勲章を
 俺の胸の上に置いておくれ。
 手には小銃を持たせて
 剣を下げさせてくれ。

So will ich liegen und horchen still,
Wie eine Schildwach', im Grabe,
Bis einst ich höre Kanonengebrüll
Und wiehernder Rosse Getrabe.
 そうして俺は横たわってじっと耳を澄ますだろう、
 歩哨のように、墓の中で、
 いつか大砲の咆哮と
 いななく馬の疾走が聞こえる時がくるまで。

Dann reitet mein Kaiser wohl über mein Grab,
Viel Schwerter klirren und blitzen;
Dann steig' ich gewaffnet hervor aus dem Grab -
Den Kaiser, den Kaiser zu schützen!«
 その時にはわが皇帝は俺の墓の上で馬を走らせ、
 多くの剣が音を立ててきらめくだろう。
 その時こそ俺は武装して墓から立ち上がるのだ、
 皇帝を、皇帝をお守りするために!」

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Robert Alexander Schumann (1810.6.8, Zwickau - 1856.7.29, Endenich)

| | | コメント (5) | トラックバック (0)

シューマン「夕べ浜辺で」(詩:ハイネ)

シューマンが“歌の年”1840年に作曲したハイネの詩による「夕べ浜辺で(Abends am Strand)」は、作品番号45として出版された「ロマンツェとバラーデ、第一集(Romanzen und Balladen Heft 1)」の第3曲にあたる(ちなみに第1、2曲は、アイヒェンドルフの詩による「宝を掘る男(Der Schatzgräber)」と「春の旅(Frühlingsfahrt)」である)。

ハイネの詩は、夕方に浜辺に腰を下ろして、漁師の男が海上での出来事や訪れた土地での面白い話を聞かせるという内容だが、最初のうちは恋人同士だと思って読み進めていくと、最終節で「娘たち(Die Mädchen)」という語があらわれ、話を聞いていた若い娘が複数いたことが分かる。さしずめ男らしい武勇伝で娘たちのうちの誰かの心を射止めようというところだろうか。

第1~2節は導入部分で、男と娘たちが座り、浜辺に霧が出てきた様子や明かりが灯され始めた海の状態が描かれる。
第3節~6節で、この男の海上にいた頃の様子、さらに訪れた異国での様々なエピソードが披露されるが、後半の2つの節ではより具体的にガンジス川流域やラップランドの人々の様子が描かれる。
最終節で男の話が終わり、あたりはすっかり暗闇になっていたと締めくくる。

ガンジス川が出てくるハイネの詩というと、有名なメンデルスゾーンの「歌の翼に」が思い出される。

なお、ラップランドという語はWikipediaで調べてみると「辺境の地」という意味で、蔑称らしい。「スカンジナビア半島北部からコラ半島に渡る地域で、伝統的にサーミ人が住んでいる地域」とのことである。ハイネの詩でのラップランド人の描写は今の感覚では失礼きわまりないものだが、当時の感覚としては未知の人種に対して、おどろおどろしいものを想像していたのかもしれない(娘たちの気を引くために面白おかしく作り話をでっちあげたという所かもしれない)。

シューマンの曲は、4分の4拍子、ト長調、全77小節で、冒頭に「ゆったりと、徐々に動いて(Ruhig, nach und nach bewegter)」という指示がある。
夕暮れ時の穏やかな残光を模しているかのようなピアノの前奏は、低音でゆったりと和音を分散させて始まる。
歌も素朴でおおらかな旋律で始まるが、第2節の「灯台には明かりが次第に灯り」のあたりで歌とピアノがシンクロしてメリスマティックに動く。
第3節に入り、男の話が始まり、海上での武勇伝が歌われる箇所で、「タン・タタ・タン・タタ」のリズムによる小節と分散和音の小節が交代で現れる。
第4節のピアノパートは分散和音が両手のユニゾンで繰り返される。
第5節のガンジス川での描写でピアノパートは和音連打になり、第6節でラップランドの人たちのもの珍しい描写はスタッカートで跳躍しながら進み、次第に分散音型の繰り返しが高まり、ラップランド人が「叫ぶ(schrein)」箇所では歌声部が長い音価で上下に揺れて、叫びを印象づけている。
その後の間奏で速度を落とし(ritard.)、テンポ・プリモ(Tempo I)で冒頭のテンポと音型に戻り最終節に進む。歌声部は冒頭の第1節に回帰するが、ピアノパートは右手と左手の和音を交互に打つという新しいリズムで最終節を貫き、終わる。歌声部が「ド」ではなく「ミ」で終わっているのは、気づいたらあたりが真っ暗になっていたという唐突感を表現しているようにも感じられる。

詩の語句に応じた音楽上の細かい対応がいろいろ聴かれるが、最初と最後の枠組みによって曲の統一感が保たれている印象を受けた。

最近、F=ディースカウが1974年に小林道夫と共演した来日公演がCDで初発売されたが、その第1曲目で「夕べ浜辺で」を聴くことが出来る(TDKコア:TDK-OC022)。F=ディースカウのシューマンは曲によっては必ずしも相性がいいものばかりではないが、この曲は得意にしているだけあって、情景を巧みに歌い分け、なかなか魅力的である(小林道夫の絶妙なテンポの揺らし方とタッチの美しさも聴きものである)。

------------------------

Abends am Strand, op. 45 no. 3
 夕べ浜辺で

Wir saßen am Fischerhause,
Und schauten nach der See;
Die Abendnebel kamen,
Und stiegen in die Höh.
 ぼくらは漁師小屋のそばに座って
 海を眺めていた。
 夕方の霧があらわれ、
 空に立ち昇っていった。

Im Leuchtturm wurden die Lichter
Allmählich angesteckt,
Und in der weiten Ferne
Ward noch ein Schiff entdeckt.
 灯台には明かりが
 次第に灯り、
 はるか彼方に
 さらに一艘の船を見つけた。

Wir sprachen von Sturm und Schiffbruch,
Vom Seemann, und wie er lebt
Und zwischen Himmel und Wasser,
Und Angst und Freude schwebt.
 ぼくらは語り合った、嵐や難破のこと、
 船乗りやその暮らしぶりのこと、
 そして空と水の間で、
 不安と喜びの間をいかに揺れ動いていたかということを。

Wir sprachen von fernen Küsten,
Vom Süden und vom Nord,
Und von den seltsamen Menschen
Und seltsamen Sitten dort.
 ぼくらは語り合った、遠くの海岸のこと、
 南のことや北のこと、
 そして奇妙な人々と
 そこの奇妙な習慣のことを。

Am Ganges duftet's und leuchtet's,
Und Riesenbäume blühn,
Und schöne, stille Menschen
Vor Lotosblumen knien.
 ガンジス川のあたりはにおいたち、光輝き、
 巨大な木々が花咲いている。
 そして美しく物静かな人々が
 はすの花の前でひざまずいている。

In Lappland sind schmutzige Leute,
Plattköpfig, breitmäulig, klein;
Sie kauern ums Feuer und backen
Sich Fische, und quäken und schrein.
 ラップランドにはうすよごれた人々がいて、
 頭は平らで、口は大きく、背が小さい。
 彼らは火のまわりにしゃがみこみ、
 魚を焼き、キーキー声を出して、叫んでいる。

Die Mädchen horchten ernsthaft,
Und endlich sprach niemand mehr;
Das Schiff war nicht mehr sichtbar,
Es dunkelte gar zu sehr.
 娘たちは真剣に聞き耳を澄ましていたが、
 ついにはもう誰も話をしなくなった。
 あの船はもはや見えず、
 あたりはあまりに暗くなり果てた。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Robert Alexander Schumann (1810.6.8, Zwickau - 1856.7.29, Endenich)

| | | コメント (0) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

CD DVD J-Pop LP 【ライラックさんの部屋】 おすすめサイト アイヒェンドルフ アンゲーリカ・キルヒシュラーガー アンティ・シーララ アーウィン・ゲイジ アーリーン・オジェー イアン・ボストリッジ イェルク・デームス イタリア歌曲 イモジェン・クーパー イングリート・ヘブラー ウェブログ・ココログ関連 エディタ・グルベロヴァ エディト・マティス エリック・ヴェルバ エリーザベト・シュヴァルツコプフ エリー・アーメリング エルンスト・ヘフリガー オペラ オルガン オーラフ・ベーア カウンターテナー カール・エンゲル ギュンター・ヴァイセンボルン クラーラ・シューマン クリスタ・ルートヴィヒ クリスティアン・ゲアハーアー クリスティーネ・シェーファー クリストフ・プレガルディアン クリスマス グリンカ グリーグ グレアム・ジョンソン ゲアハルト・オピッツ ゲアハルト・ヒュッシュ ゲロルト・フーバー ゲーテ コルネーリウス コンサート コントラルト歌手 シェック シベリウス シュテファン・ゲンツ シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン ジェシー・ノーマン ジェフリー・パーソンズ ジェラルド・ムーア ジェラール・スゼー ジュリアス・ドレイク ジョン・ワストマン ソプラノ歌手 テノール歌手 テレサ・ベルガンサ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ディートリヒ・ヘンシェル トマス・ハンプソン トーマス・E.バウアー ドビュッシー ドルトン・ボールドウィン ナタリー・シュトゥッツマン ノーマン・シェトラー ハイドン ハイネ ハルトムート・ヘル ハンス・ホッター バス歌手 バッハ バリトン歌手 バレエ・ダンス バーバラ・ヘンドリックス バーバラ・ボニー パーセル ピアニスト ピーター・ピアーズ ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル フェリシティ・ロット フランク フランス歌曲 フリッツ・ヴンダーリヒ ブラームス ブリテン ブログ プフィッツナー ヘルマン・プライ ヘルムート・ドイチュ ベルク ベートーヴェン ペーター・シュライアー ペーター・レーゼル ボドレール マティアス・ゲルネ マルコム・マーティノー マーク・パドモア マーティン・カッツ マーラー メシアン メゾソプラノ歌手 メンデルスゾーン メーリケ モーツァルト ヤナーチェク ヨーハン・ゼン ルチア・ポップ ルドルフ・ヤンセン ルードルフ・ドゥンケル レナード・ホカンソン レルシュタープ レーナウ レーヴェ ロシア歌曲 ロジャー・ヴィニョールズ ロッテ・レーマン ロバート・ホル ローベルト・フランツ ヴァルター・オルベルツ ヴァーグナー ヴェルディ ヴォルフ ヴォルフガング・ホルツマイア ヴォーン・ウィリアムズ 作曲家 作詞家 内藤明美 北欧歌曲 合唱曲 小林道夫 岡原慎也 岡田博美 平島誠也 指揮者 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 書籍・雑誌 歌曲投稿サイト「詩と音楽」 演奏家 白井光子 目次 研究者・評論家 藤村実穂子 音楽 R.シュトラウス