モイツァ・エルトマン&マルコム・マルティノー/モイツァ・エルトマン ソプラノ・リサイタル(2016年4月20日 東京文化会館 大ホール)

都民劇場音楽サークル第636回定期公演
モイツァ・エルトマン ソプラノ・リサイタル

2016年4月20日(水)19:00 東京文化会館 大ホール

モイツァ・エルトマン(Mojca Erdmann)(ソプラノ)
マルコム・マルティノー(Malcolm Martineau)(ピアノ)

R.シュトラウス(Strauss)/もの言わぬ花(Die Verschwiegenen) Op.10-6
モーツァルト(Mozart)/すみれ(Das Veilchen) K.476
R.シュトラウス/花束を編みたかった(Ich wollt ein Sträusslein binden) Op.68-2
シューベルト(Schubert)/野ばら(Heidenröslein) D257
R.シュトラウス/イヌサフラン(Die Zeitlose) Op.10-7
シューマン(Schumann)/重苦しい夕べ(Der schwere Abend) Op.90-6

R.シュトラウス/オフィーリアの3つの歌(Drei Lieder der Ophelia) Op.67-1~3
 1.どうしたら私は本当の恋人を(Wie erkenn ich mein Treulieb)
 2.おはよう、今日は聖バレンタインの日(Guten Morgen, s'ist St. Valentinstag)
 3.むき出しのまま、棺台にのせられ(Sie trugen ihn auf der Bahre bloss)
リーム(Rihm: 1952-)/オフィーリアは歌う(Ophelia sings)
 [1. How should I your true love know]
 [2. Tomorrow is Saint Valentine's day]
 [3. They bore him bare-faced on the bier]

~休憩~

ライマン(Reimann: 1936-)/「オレア(Ollea)」より 2.ヘレナ(Helena)(無伴奏)
R.シュトラウス/夜(Die Nacht) Op.10-3
シューマン/レクイエム(Requiem) Op.90-7
R.シュトラウス/万霊節(Allerseelen) Op10-8
シューベルト/万霊節の連祷(Litanei) D343(全9節中、おそらくよく歌われる3つの節が歌われた)

R.シュトラウス/私は漂う(Ich schwebe) Op.48-2
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/歌の翼に(Auf Flügeln des Gesanges) Op.34-2
R.シュトラウス/星(Der Stern) Op.69-1
ライマン/「オレア」より 4.賢い星(Kluge Sterne)(無伴奏)

~アンコール~

モーツァルト/夕べの想い(Abendempfindung) K.523
R.シュトラウス/明日(Morgen!) Op.27-4

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ドイツの売れっ子ソプラノ、モイツァ・エルトマンと、イギリス伴奏界のベテラン、マルコム・マルティノーによる歌曲の夕べを聴きに行った。
今年に入って歌曲のコンサートはこれが最初!
本当は1月にトーマス・バウアーを聴こうと思っていたのだが、気づいた時には終わっていた!
最近コンサート通いをあまりしなくなっていたのだが、久しぶりのリーダーアーベントはやはり良いなぁと思った。

以前にエルトマンを聴いた時はゲロルト・フーバーのピアノで、彼がかなり立体的な演奏で自己主張が強かった為、今回はマーティノーに変わり、歌とピアノが寄り添って溶け合っていたように感じた。

それにしてもエルトマンはまだリートの録音は少ないものの、今回のリサイタルのプログラミングはかなり凝ったもので、歌曲マニアをもうならせるに足る内容だった。
R.シュトラウスの歌曲の間に他の作曲家の歌曲を挟むというもので、シュトラウスと他の作曲家の感性の違いがお互いの魅力を光らせることになった。
最初に花にちなんだ作品が並んだが、それらがどれもぴりっとした苦味をもったものが選ばれていて、恋の雲行きが危うくなる前触れとなっていた。
そしてシェイクスピアの「ハムレット」の詩の独訳によるシュトラウスの「オフィーリアの3つの歌」が歌われた後、現役の作曲家ヴォルフガング・リームによる同じ詩の英語原詩による3曲が歌われた。
リームの3曲中、最初の2曲は突然マーティノーがセリフを語り、エルトマンと掛け合いの芝居のような感じとなったが、これは原作のGertrude(ガートルード)やClaudius(クローディアス)の台詞の箇所をマーティノーが語っていたのだろう。
ちなみにマーティノーの語り、なかなか良い声で違和感なく演奏に溶け込んでいた。

シュトラウスのどこまでも感覚的な愉悦を目指しているかのような爛熟したフレージングは、女声歌手にとっては魅力的に違いないし、エルトマンのクールな美声にはうってつけだった。
彼女はリリカルな作品もコロラトゥーラの必要な作品も実に見事に自分のものにしてしまう。
リートのレパートリーというのは歌手の適性に応じた作品が選ばれるわけだが、エルトマンの場合、歌おうと思えば、どんな作品も歌えてしまえるのではないかと思えるほどだ。
もちろん歌えるからといってそれがふさわしくない作品もあるだろうが、彼女の技術、音楽的な感性、そしてステージ映えする容姿など、天性のものも相まって、彼女には無限の可能性があるように感じられた。

言葉さばきは完璧、現代音楽の難解な作品の音程もおそらく完璧、高音から低音までよく訓練された響きは、東京文化会館の3階左の席にいた私にも明瞭に聞こえてきた。
涼やかな美声というと一見冷たく感じられやすいかもしれないが、そうならないのが彼女の凄さで、クールな響きが心地よい風のように聴き手に爽快感を感じさせてくれた。

前半後半それぞれ途中で一回ずつ拍手に答えて舞台に引っ込み、あらたなブロックを始めるという感じだが、有名な「野ばら」「万霊節」「歌の翼に」は終わるとすぐに拍手が来たりして、聴衆の反応もストレートである。

後半は最初と最後に現役作曲家で最近オペラ2作が日生劇場で上演されたことで注目を浴びたアリベルト・ライマンの4曲からなる歌曲集「オレア」(柴田克彦氏の解説によるとギリシャ語で「美」を意味する)からの2曲が置かれた。
これらは無伴奏なので、この時だけエルトマンが舞台右側へ移り、楽譜立ての前で一人スポットライトを浴びて歌うという形になった。
ライマンのオペラでもすでに慣れていたが、これらの歌曲も超人的な高音が多い印象だ。
それを難なくこなしてしまうエルトマンはただただ凄い。
後半最初の「Helena」で超絶的な技巧を聴かせた後に続けて歌われたシュトラウスの「夜」の何と美しかったことか。
後半は死をテーマにした曲で始まり、最後は天空に飛翔して星に到達する。
シューベルトの「連祷」などは録音ではよく聴くが実際に生で聴くことはこれまで少なかったと思う。
こんなに簡素なのに心のこもった響きはさすがシューベルトの天才を感じずにはいられない。

アンコールも本プログラムの続きでシュトラウスと交互の選曲が続き、しかも、夕暮れから翌日の日の出までの時の流れがテーマになっていて、最後までエルトマンの知性に貫かれた演奏会だった。
「夕べの想い」と「明日」、作られた時代も違う2曲がどちらも鎮魂歌のように聴き手の心に染み渡った。

そして、久しぶりに聴いたマルコム・マーティノーの演奏はもはや名人芸と言ってよいだろう。
今では珍しくピアノの蓋を短いスティックで軽く開けただけだったが、緩急、強弱、自由自在という感じで、強音でも決して汚い音にならずにコントロールされていたのが心地よかった。
彼のピアノは例えば往年のジェフリー・パーソンズのようなピアノパートだけでソロのような完結した美音を貫くというタイプではなく、曲に応じ、多彩なパレットを使い分け、時には奥に引っ込み、時には前面に出て、あくまで歌との一体感に重きを置く演奏をしていた。
いまや円熟期を迎えた伴奏者の名人芸にも感銘を受けたこの日のコンサートだった。

ちなみに招聘元のジャパンアーツのツイッターに当日のお二人の写真がありました!
 こちら

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バーバラ・ボニー&マルコム・マーティノー/シューマン「詩人の恋」と、“北欧の「詩人の恋」”

TDKから「シャトレ座リサイタル」シリーズとして、8枚の歌曲リサイタルDVDが国内リリースされることになった。
ラインナップは、既に発売されているのが「ボニー&マーティノー」「オッター&フォシュベリほか」「マクネアー&ヴィニョールズ」で、これから発売されるのが「バンブリー&ドイチュ」「ロット&G.ジョンソン」「アップショー&カリッシュ」「ボストリッジ&ヴィニョールズ」「ハンプソン&リーガー」である。
実はこのうちマクネアーとアップショー以外の6枚はすでに輸入盤で入手していたのだが(国内盤が出るとは思わなかったので)、演奏だけでなく、歌手とピアニストの充実したコメントも多く収録されており、日本語字幕が欲しいので、買い換えることにした。

第1弾として発売された「ボニー&マーティノー」のDVDを早速見てみた(以下、演奏者のインタビューの内容にも触れているので、ネタバレを望まない方はDVDを視聴した後でご覧になった方がいいかもしれません)。

Bonney_martineau_2001 TDKコア:TDBA-0111
Barbara Bonney(S) Malcolm Martineau(P)
2001年1月31日、パリ、シャトレ座(Châtelet)におけるライヴ収録

●Part 1
シューマン(Schumann: 1810-1856)/歌曲集「詩人の恋」Op.48(全16曲)

●Part 2 : 北欧の「詩人の恋」(A Scandinavian Dichterliebe)
シベリウス(Sibelius: 1865-1957)/三月の雪の上のダイヤOp.36-6
ステンハンマル(Stenhammar: 1871-1927)/バラに寄すOp.8-4
グリーグ(Grieg: 1843-1907)/睡蓮をつけてOp.25-4
ステンハンマル/少女は逢引から戻ったOp.4b-1
シベリウス/迷いOp.17-4
ステンハンマル/アダージョOp.20-5
グリーグ/君を愛すOp.5-3
ステンハンマル/フィルギアOp.16-4
アルヴェーン(Alfvén: 1872-1960)/さあ私の心をあげる
シベリウス/ファースト・キスOp.37-1
ステンハンマル/森で
シューベリ(Sjöberg: 1861-1900)/楽の音
シベリウス/夢だったのかOp.37-4

●アンコール
シューマン/くるみの木Op.25-3
リスト(Liszt: 1811-1886)/僕がまどろむ時N11
アルヴェーン/森は眠っているOp.28-6

バーバラ・ボニーは1956年アメリカ、ニュージャージー州Montclair出身のリリック・ソプラノで、歌曲の録音も数多い。現在はオペラよりもリサイタルに力を入れているようだ。つやのある美声に、若々しい容姿も相まって、人気が高い。

マルコム・マーティノーは1960年イギリスのEdinburgh出身のピアニストで、いまや歌曲演奏の第一人者となった。フェリシティー・ロット、マグダレーナ・コジェナー、トマス・アレンなど膨大な歌手たちから共演を求められている。

「詩人の恋」が男声の専売特許だった時代はいまや過ぎ去った。古くはロッテ・レーマンの録音があるものの、女声がこの歌曲集に進出したのはこの20年ぐらいだろう。ファスベンダー、シェーファーなどがレパートリーにして、ボニーもDECCAにCD録音しているが、今回のマーティノーとの映像はライヴ収録であり、広い会場で客を前にして歌ったものとしてスタジオ録音とは異なるところもあるだろう。ボニーはインタビューの中で19世紀のソプラノ歌手、イェニー・リント(Jenny Lind: 1820-1887:「スウェーデンのナイティンゲール」と呼ばれた歌手)がすでに1850年(「詩人の恋」作曲の10年後)にこの歌曲集を歌っていることを指摘している。
ボニーいわく、新鮮なレパートリーが欲しくなり「詩人の恋」を歌うことにしたが、大切なのは性別ではなく、情熱と純粋な恋心とのこと。低声用に移調した版がいい場合はバリトン譜やテノール譜を使用したと述べ(テノールとソプラノは声の切れ目が違うそうだ)、オリジナルの調の流れにこだわりはないようだ(2度下げた第5曲と原調の第6曲のつながりはやや違和感を感じたが)。

ボニーのドイツ語の発音はごつごつした感じが少なく、流麗に響く。独特の粘りのある発声が時に母音の明暗の区別をぼやかしている印象を受ける箇所がある。若干舌足らずな響きに感じられる箇所もあるものの、総じて模範的な発音なのだろう。

今回ボニーのライヴ歌唱を聴いて、はじめて彼女の声で「詩人の恋」を聴いた時の抵抗感が確実に薄まっているのをはっきりと感じた。慣れというものは不思議なものである。声だけで聴くと、男声の時と異なり、浮世離れした存在、例えば天使が歌っているようなイメージを感じるが、映像で歌っている姿を見ると、彼女が主人公になりきって歌っているのが明らかになる。ヴィブラートをかける時に舌や喉が小刻みに振動するのが見て取れるのも映像ならではだろう(彼女の安定したヴィブラート技術は肉体的鍛錬の賜物なのだろう)。
普段早めのテンポで軽く歌われることの多い第3曲「ばら、ゆり、鳩」では、テンポを抑えてしっとりと歌い、7曲目「恨まないよ」の最後に「Ich grolle nicht(恨まないよ)」と繰り返す箇所は男声で聴くのとは明らかに異なる印象を受ける(言葉で形容するのは難しいが)。12曲目「明るい夏の朝」最後の「trauriger, blasser Mann(悲しみ青ざめた方)」を重く、抑えた声の色に変えたのが印象的だ。最終曲「昔の忌まわしい歌々」は低音箇所も多いが、野太い声を厭わず使って、声質とのギャップを効果的に響かせている。ボニーの歌声は濃い響きの時と薄い響きの時があるが、ハイネの自嘲的な要素を意図的に描き分けようとしているのかもしれない。

ピアニストのマーティノーは、すでに70回この歌曲集を演奏しているそうで、ハイネの詩はどれも内容が結末で暗転するが、それをピアノ後奏が表現していると語る。例えば第6曲のオルガンを模した後奏の途中で彼がテンポを落とす箇所など、不吉な未来を予感させ、マーティノーの言う「結末の暗転」を演奏に反映させていると言えるだろう。彼の演奏は鋭利さ、切れのよさはあまり感じられないが、余韻に富んだ内的な表現に優れていた。手や体を必要以上に動かさないのも、音楽に集中している様がうかがえて、視覚的にも好ましいと思った。

この歌曲集が本来男声用歌曲であることには変わりないが、女声が進出することによって新たな視点が開けてくるのは意義深いことだろう。バリトンのマティアス・ゲルネがヨーロッパ各地で「女の愛と人生」を歌っているようだが、ボストリッジならともかく、いかついゲルネが歌うとどうなるのか一度聴いてみたいものだ。

ハイネの「詩人の恋」は、繊細で傷つきやすいがゆえにあえて自嘲表現をとることによって、他人から傷つけられる前に予防線を張っているという印象を受けてしまうのだが、後半のボニーが選んだ北欧歌曲にそのような要素はないようだ(私は北欧の言葉を全く解さないので、あくまで日本語字幕を読む限りだが)。
ボニーは“北欧の「詩人の恋」”というテーマで選曲した経緯について語っている。それによると、当初はステンハンマルとシベリウスだけを歌うつもりだったが、それだと重くなってしまうので、他の作曲家の作品も組み合わせて、「詩人の恋」と対になるようにしたとのこと。連続性を狙い、調も揃え、退屈しないようにテンポも工夫したそうだ。そうして形成されたボニーによるツィクルスは、シベリウス、ステンハンマル、グリーグ、アルヴェーン、シューベリの5人による13曲になった。

ツィクルス冒頭に置かれたシベリウスの「三月の雪の上のダイヤ」は、太陽の光に映える雪をダイヤにたとえているのだろうか。
続くステンハンマルの「バラに寄す」は、このボニーによるツィクルス中でもとりわけ美しい小品で、民族色を感じさせる印象的なピアノ前奏の後、バラをあげる人は誰もいない、母も姉も弟も、そして恋人も…と歌われる。ドイツリートでも似たような内容の詩は見られるが、民謡的な素朴な詩にもの哀しい歌が印象的に響き、胸を打たれた。
次のグリーグのイプセンの詩による「睡蓮をつけて」は歌い始めを先取りした短いピアノ前奏で始まり、マリーという娘に語りかける内容である(母親の言葉なのか、彼氏の言葉なのか、よく分からないが)。「白い翼のついた花」と形容される睡蓮のうしろで水の精が寝たふりをしているという忠告めいた内容のようだ。はじめの楽節が最後に再び繰り返される。繊細で静かな「バラに寄す」の次に、この細かい動きの曲をもってきて、ボニーの言っていた「退屈しないようにテンポも工夫した」一例であろう。彼女の弱声が光っていた。
ステンハンマル「少女は逢引から戻った」はもの哀しい前奏で始まる。逢引から帰ってきた娘と母親との対話の形をとり、「どうして手が赤いの?」-「バラのとげが刺さったの」、「どうして唇が赤いの?」-「野いちごの汁が付いたから」と母親の追究を交わそうとするが、「どうして頬が青ざめているの?」と聞かれ、とうとう真実を明かすというもの。これも似たような内容の詩をほかに見出せるだろう。ボニーが後奏で見せる悲痛な顔の表現は、歌っていない時でも表現が続いていることを思い起こさせられる。
シベリウスの「迷い」は道にはぐれて2人きりになった時に相手を意識し始めて「あなたの輝くような微笑には聖人でも抗えないでしょう」と軽快にユーモラスに歌った短い作品。前の深刻な曲とよいコントラストを成している。
ステンハンマルの「アダージョ」は「水が揺れ、風が戯れる」と始まり、自然の情景が静かに描写され、「白鳥の歌」伝説も織り込みながら、「いないのはお前だけ」と歌われる。辛い人生を歩み、物乞いとなった今も恋人のもとに行くことを望むという内容。ゆりかごのようなリズムがピアノに一貫して流れている。
グリーグの「君を愛す」は今回の北欧歌曲の中でも最も有名な作品だろう。「私の真の想いは君だけ」と歌う熱烈なラヴ・ソング。ボニーはテンポをたっぷり揺らして、想いを込めて歌っている。
ステンハンマルの「フィルギア」は慰めの守り神フィルギアへの呼びかけの形をとる。昼間の苦しみを、夜に現れる「美を追い求める乙女」が忘れさせてくれると歌われる。細かく劇的なピアノに乗って激しく歌われる。
次にアルヴェーンという作曲家の作品が続く。ボニーいわく、アルヴェーンはスウェーデンの重要な作曲家で、ステンハンマルよりも人気があったとのこと。彼の歌は庶民的で流行歌のようなもので、分かりやすく美しいと語る。マーティノーも、彼の歌曲はポップスのようで、単純だが心を打つと述べる。「さあ私の心をあげる」はゆったりとしたテンポで、恋を知った女性が、私の心はもうあなたのものと歌う。
シベリウスの「ファースト・キス」は歌声部を先取りした、暗く憂鬱な前奏で始まる。宵の星に娘が語りかける形をとり、シベリウスらしい暗い曲調が感動的な曲。
ボニーが「スウェーデン最大の作曲家」と評するステンハンマルの「森で」は、ボニーによれば「北欧の最も完璧な歌曲と言う人が多い」とのこと。蘭("nattviol"はドイツ語の"Nachtviole"とは別の花らしい)やつぐみを称え、彼らに心の苦しみを訴える。森のざわめきや風のそよぎを思わせる繊細なピアノの上で美しく歌われる。
シューベリの「楽の音」はユッシ・ビョルリングがよく歌ったそうで、昼間の喧騒に苦しんだ心が音楽に癒されると歌われる。
“北欧の「詩人の恋」”を締めくくるのは、シベリウスの「夢だったのか」。過去の恋を回想し、あれは夢だったのかと自問する。ボニーは低音のドスの利いた響きから高音のクライマックスまで、シベリウスの音楽の魅力を表現し尽くした。マーティノーはこの曲について「伴奏と声が別に動く。対比による効果を狙ったのでしょう」と語る。よく考え抜かれた音で繊細、かつ重厚な響きを聴かせていた。
恋の思い出を夢の中に封じ込めて、ボニーのツィクルスは終わる。シューマン&ハイネの世界と厳密に対応したものではないが、多面的な恋の曲を組み合わせて、北欧歌曲の幅と奥行きを聴き手に印象づけることには成功しているのではないか。彼女の選曲のセンスは賞賛に値するだろう。
アンコールはシューマンのこの上なくロマンティックな「くるみの木」、このコンサート唯一のフランス語によるリストの「僕がまどろむ時(夢に来ませ)」。そして最後はアルヴェーンの「森は眠っている」という歌曲。六月の夜(「六月」を歌った歌は珍しいのではないか)に森の中で眠る彼女の傍らにいる幸せを歌っている。神秘的な美しい作品で、R.シュトラウスやマルクスを思わせる。恋する女性の笑い声を模すピアノの描写が印象的。

男声ばかりの「詩人の恋」に新風を吹き込む歌唱と、北欧のほの暗く、心を揺り動かされるような作品、演奏を堪能できる、充実したリーダーアーベントだった。

※DVDの訳詩(黒田享氏による)を参考にさせていただきました。

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