今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのテーマは「ショパンの宇宙」。
東京国際フォーラムでの有料コンサートは5月2日~4日まで行われた。
今年は好天に恵まれ、相変わらずのすごい人出だった。
初日に聴いたのは以下の2公演。
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2010年5月2日(日)
公演番号:125
17:30~18:30
ホールB7(ドラクロワ)(7列16番)
アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
フィリップ・ジュジアーノ(ピアノ)
イド・バル=シャイ(ピアノ)
アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)
石丸幹二(朗読)
ショパン ピアノ・ソロ作品全曲演奏
第2部 1827年-1828年「青春」
ショパン/3つのエコセーズ op.72-3(エル=バシャ)
ショパン/コントルダンス 変ト長調(エル=バシャ)
ショパン/ワルツ 変ホ長調 KK IV a-14(エル=バシャ)
ショパン/葬送行進曲 ハ短調 op.72-2(ケフェレック)
ショパン/ノクターン ホ短調 op.72-1(ケフェレック)
ショパン/ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調 op.4(ジュジアーノ)
ショパン/マズルカ イ短調 op.68-2(バル=シャイ)
ショパン/ポロネーズ 変ロ長調 op.71-2(バル=シャイ)
ショパン/ワルツ 変イ長調 KK IV a-13(エル=バシャ)
ショパン/ロンド ハ長調 op.73(エル=バシャ)
ショパンの17~18歳の頃のピアノ曲が4人のピアニストによって演奏された。
まず朗読の石丸幹二が登場し、若きショパンの歩みを朗読し、それに続いて最初のピアニスト、エル=バシャ(レバノン出身)が登場した。
最初の「3つのエコセーズ op.72-3」は短いが軽快な愛らしい作品だった。
コントルダンスは舞曲とは一見思えないほどしっとりとした美しさがあり、一種の無言歌のような印象だったが、偽作の可能性もあるらしい。
続くワルツは第17番としてワルツ集の録音などで馴染んでいたが、こんな若い頃の作品とは知らなかった。
オクターヴを優雅に上下する印象深いワルツである。
続いてケフェレック(フランス出身)が登場してop.72の2曲を演奏した。
「葬送行進曲 ハ短調」はもちろんソナタ第2番の3楽章とは別の作品だが、中間に甘美な部分があるなど、共通点も感じられる。
ショパンの「幻想曲」を聴いて、中田喜直が「雪の降るまちを」を作曲したというエピソードがあったが(真偽のほどは分からないが)、この「葬送行進曲」もどことなく中田作品を想起させるものが感じられた。
悲哀感に満ちた「ノクターン ホ短調」も単なる美しさ以上のものをもった聴きごたえのある作品と感じた。
続いてめったに聴けないピアノソナタ第1番がフランス人ジュジアーノによって演奏されたが、このソナタを全曲聴けたのは貴重な体験だった。
第2番や第3番より演奏される機会が少ないというのは納得は出来るものの、だからといって駄作とはとても言えない。
終楽章など、シューベルトの「さすらい人幻想曲」のようなリズムで始まり、華麗な音の洪水が聴き手を魅了する。
若さみなぎるエネルギーのようなものがこのソナタのあちらこちらに感じられた。
続いてイスラエルの若手バル=シャイが登場して、小品を2曲。
「マズルカ イ短調 op. 68-2」はあたかもサティを聴いているかのような不思議な響きが脳裏に残る。
「ポロネーズ 変ロ長調 op.71-2」は力強く揺ぎ無い雰囲気ではじまるが、徐々にポロネーズらしいリズムが弾み出す。
最後に再びベテラン、エル=バシャが登場して、まずワルツ第16番として知られるくるくる回るような愛らしい変イ長調を演奏した。
そして、10分近くかかる大作「ロンド ハ長調 op.73」の華麗な響きで締めくくり、予定時間を10分以上オーバーして終わった。
エル=バシャの演奏はどこまでも力みのない自然な演奏だった。
さりげなさの中のちょっとした響きの妙のようなものが素晴らしかった。
ただ、ワルツのテンポ設定は私の感覚では変ホ長調は速め、変イ長調は逆に遅めに感じた。
ケフェレックはもう私にとって大好きなタイプの演奏。
繊細で細やかな表現がいたるところに感じられ、どの音にも演奏者の愛情がこもっている感じだ。
こういう風に弾かれたらただただうっとりと聴きほれるしかない。
ジュジアーノは技術が安定しており、安心して聴けた。
まだ若いバル=シャイはかなり音色の響きにこだわった個性的な演奏だった。
特に「マズルカ」は素晴らしかったと思う。
4人の世代も個性も違う演奏家の演奏を聴き比べながら、初期の珍しいピアノ曲を堪能できた楽しい時間だった。
本当はほかの回もチケットがとれたら聴きたかったのだが、この回だけでも入手できたことに感謝しなければ。
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2010年5月2日(日)
公演番号:181
19:00~19:45
相田みつを美術館(ヴォイチェホフスキ)(2列4番)
ハンス=イェルク・マンメル(テノール)
モード・グラットン(フォルテピアノ:プレイエル 1848年製)
メンデルスゾーン/歌の翼に op.34-2
メンデルスゾーン/挨拶 op.19-5
メンデルスゾーン/朝の挨拶 op.47-2
メンデルスゾーン/旅の歌 op.34-6
メンデルスゾーン/夜ごとの夢に op.86-4
リスト/ラインの美しき流れのほとり S.272
リスト/唐檜の木はひとり立つ S.309-1
リスト/私はまさに絶望しようとした S.311
リスト/毎朝私は起き、そして問う S.290
ショパン/17のポーランドの歌 op.74より
第1番「おとめの願い」
第5番「彼女の好きな」
第6番「私の見えぬところに」
第3番「悲しみの川」
第15番「花婿」
第16番「リトアニアの歌」
第14番「指環」
第10番「闘士」
LFJを聴くようになって相田みつを美術館でのコンサートは私にとってはじめてだった。
相田みつをの含蓄のある前向きな言葉に囲まれながら異国の音楽に耳を傾けるというのもなかなかいいものであった。
メンデルスゾーンは1809年生まれ、リストは1811年生まれということで、1810年生まれのショパンとほぼ同世代の作曲家の歌曲を並べたプログラミングとなっている。
また、前半のメンデルスゾーンとリストはハイネの詩による作品ばかりでまとめて、変化と統一の両者に目を配った好選曲だと思う。
テノールのマンメルの声はリートを歌うのにまさにうってつけ。
とても軽やかでリリカルな声が美術館のこじんまりとした空間に映えた。
気品があり知的な歌唱は素敵だった。
ショパンのみ楽譜を見ながら歌っていたが、外国語の作品である以上、適切な処置だろう。
しかし、ショパンのどの曲もかなり自分のものとして、しっかり歌っていたという印象を受けた。
フォルテピアノのモード・グラットンはとても小柄な女性だった。
ショパンの時代のプレイエルピアノを使って、しっかりと楷書風の演奏をしていた。
メンデルスゾーンやショパンの素朴さはプレイエルピアノにぴったりだったが、一方リストの歌曲はその濃密さゆえに、古楽器で聴くとギャップを感じ、不思議な感覚だった。
悪いというのではないのだが、ミスマッチゆえの面白さみたいなものはあった。
配布された歌詞対訳(毎度のことながら無料で配布されるのは有難い)を見ながら、ショパン歌曲の魅力にあらためて気付かされた。
以前にも記事にしたことがあったが、「花婿」を聴くと、やはりヴォルフの「風の歌」を思い出してしまう。
ヴォルフはショパンの歌曲も聴いていたのかもしれない。
アンコールはなかったが、素敵な楽興の時だった。
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