ブラームス/「なんとあなたは、僕の女王よ(Wie bist du, meine Königin, Op. 32, No. 9)」を聞く

Wie bist du, meine Königin, Op. 32, No. 9
 なんとあなたは、僕の女王よ

Wie bist du, meine Königin,
Durch sanfte Güte wonnevoll!
Du lächle nur, Lenzdüfte wehn
Durch mein Gemüte, wonnevoll!
 なんとあなたは、僕の女王よ、
 穏やかで親切な気質によって喜びに満ちていることか!
 あなたが微笑むだけで、春の香りが
 僕の心を吹き抜けて、喜びに溢れるのだ!

Frisch aufgeblühter Rosen Glanz,
Vergleich ich ihn dem deinigen?
Ach, über alles, was da blüht,
Ist deine Blüte wonnevoll!
 咲いたばかりのバラの輝き、
 それを私はあなたの輝きと比べようか。
 ああ、ここに咲いているすべてにまさって
 あなたという花は喜びにあふれている!

Durch tote Wüsten wandle hin,
Und grüne Schatten breiten sich,
Ob fürchterliche Schwüle dort
Ohn Ende brüte, wonnevoll!
 荒涼とした砂漠を歩いて行くと、
 緑の陰が広がっている、
 そこではひどい蒸し暑さに
 果てしなく襲われているのに、喜びに満ちている!

Laß mich vergehn in deinem Arm!
Es ist in ihm ja selbst der Tod,
Ob auch die herbste Todesqual
Die Brust durchwüte, wonnevoll!
 僕をあなたの腕の中で死なせてください!
 その腕の中では、死さえも、
 最もつらい死の苦痛が
 胸を荒れ狂っていたとしても、喜びいっぱいなのだ!

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Hafis, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Wie bist du, meine Königin", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 9, published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の9曲目(最終曲)はハーフィズの詩のダウマー独訳による「なんとあなたは、僕の女王よ(Wie bist du, meine Königin, Op. 32, No. 9)」です。ブラームスの全歌曲の中で最もよく歌われる人気の高い作品です。

テキストは、主人公の愛する「わが女王様」(恋人をたてた呼び方とも実際に高貴な身分の女性とも解釈できると思います)がいかに喜びに満ちているかを描いています。まず穏やかな気質を褒め、次に微笑みを称え、さらに彼女の輝きはどんなバラにもまさっていて、猛烈に蒸し暑く生き物もいないような荒地でも喜びにあふれていて、あなたの腕の中では死ぬ時でさえ喜びいっぱいだと言います。Op.32の直前の2曲と異なり、分かりやすいラブソングですね。

ブラームスは、歌冒頭の3音を展開した美しい5小節のピアノ前奏で曲を始め、同じ音楽を間奏でも用います。
歌はA-A'-B-A''の変形有節形式で、死んだような荒地を歩く時の様子を描いた第3連のみ暗い影がさしますが、全体的に甘い(dolceが2回指示されます)雰囲気で進んでいきます。ピアノは歌と同音(厳密には1オクターブ上)をなぞったり、デュエットを奏でたり、歌を先取りしたりして、付いたり離れたりの塩梅がなかなか素敵です。

1_20231202181301 

この曲のピアノパートの中に、1つの音の上にクレッシェンドとデクレッシェンドが付いている箇所がいくつかあります。デクレッシェンドは何もしなくても打鍵した後は減衰していくので問題ないとして、クレッシェンドはどう解釈したらよいのでしょう。一つの可能性としてはアルペッジョにしたり、左手を右手より少し先に弾くことで音数が増えることによるクレッシェンドの効果が多少出るのではないかと思われます。

2_20231202181401 

ブラームスは言葉に対する音楽のつけ方が無頓着と言われがちで、実際そういう面もあるのですが、この曲の1,2,4連の各2行目冒頭を見てみましょう。

1連
3_20231202181401 

2連
4_20231202181501 

3連
5a 
5b 

1,2連は冒頭の言葉(durch, vergleich)の前に十六分休符があり、3連(es)は休符なしでいきなり八分音符で歌うようになっています。
1連のdurchは前置詞、2連のvergleichのver-は弱音節であるのに対して、3連のesは主語(意味のない形式的な主語ですが)なので、3連は後続の音節と同じ音価(長さ)を与えているのだと思われます。ちょっとしたところにブラームスのこだわりが見えて興味深いです。

第3節のピアノパートにも興味深いところがあります。
詩行「Durch tote Wüsten wandle hin(荒涼とした砂漠を歩いて行くと)」のピアノパートは右手と左手がユニゾン(同じ音。厳密には1オクターブの関係)で進み、和音の飾りのない丸裸な音を用いることで、死んだように何もない砂漠をとぼとぼ歩く様子が浮かんでくるのではないでしょうか。
さらに「Ob fürchterliche Schwüle dort(そこではひどい蒸し暑さに)」という箇所の各小節冒頭の左手の2音が9度音程という不協和音で、そのうえsf(スフォルツァンド)で強調され、右手はシンコペーションを刻み、否が応でも蒸し暑さの不快感が増幅される仕組みになっています。
こういうブラームスの仕掛けを知るとさらに曲を聴くのが楽しくなるのではないでしょうか。

6_20231202181501 

この曲は古今東西の名歌手、名伴奏者たちが多く録音していますので、下に挙げたものはあくまで一例に過ぎません。他にも優れた録音があると思いますので、動画サイトや音楽アプリ、CDなどで聞いてみるのもいいかもしれません。

3/8拍子
変ホ長調(Es-Dur)
Adagio

●ズィークフリート・ローレンツ(BR), ヘルベルト・カリガ(P)
Siegfried Lorenz(BR), Herbert Kaliga(P)

なんと柔らかい声!!ローレンツが1970年にブダペストのコンクールに出場した時の録音らしいです。彼は後にシェトラーと素晴らしいブラームス歌曲集の録音をリリースし、そこでの演奏も素晴らしいですが、初期のこの若々しい声はこの作品の"wonnevoll(喜びに満ちた)"を見事に表現していると思います。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

プライのこの温かい美声で聞いてしまうと、彼のために書かれた曲のように思えてきます。最終節の"wonnevoll"のソットヴォーチェをお聞き逃しなく!ホカンソンが実に美しく歌っているのも聞きものです。

●ハンス・ホッター(BSBR), ジェラルド・ムーア(P)
Hans Hotter(BSBR), Gerald Moore(P)

ホッターの歌は本当に「喜び」があふれ出している名唱です!!ムーアは滴がしたたり落ちるような美しい音で、聞きほれます。このコンビのブラームス歌曲集(EMI)は以前から高く評価されてきましたので、おすすめです。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ヘルタ・クルスト(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hertha Klust(P)

ディースカウ初期の甘美な歌が聞けます。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

グリモーが思い入れ強めにテンポを揺らし、両手のタイミングの意図的なずらし(歌曲ピアニストがよく用いる手法)で彩る中、クリンメルは若いつやのある声で爽やかに歌っていて、両者の持ち味の違いがいい方向にいっていたと思います。

●ミヒャエル・フォレ(BR), カール=ペーター・カンマーランダー(P)
Michael Volle(BR), Karl-Peter Kammerlander(P)

フォレは深みと爽快さの両方を併せ持った声をしていて、惹きつけられました。

●テオ・アーダム(BS), ルドルフ・ドゥンケル(P)
Theo Adam(BR), Rudolf Dunckel(P)

アーダムは気品ある実直な歌いぶりが真に感動的で、リート歌手として再評価されてほしい歌手の一人です。ドゥンケルとも長年の共演で見事なアンサンブルを聞かせてくれます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフの律儀な歌いぶりがツァイエンの丁寧なサポートと共にこの主人公によく合っているように感じました。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

抑制した表現を聞かせるゲルネは静かな情熱を秘めた歌唱と感じました。エッシェンバハも響きが美しかったです。

●ラファエル・フィンガーロス(BR), サーシャ・エル・ムイスィ(P)
Rafael Fingerlos(BR), Sascha El Mouissi(P)

2023年5月21日Gmundenでのライヴ映像とのことです。演奏する姿を見ながら聞くと、この詩と音楽が訴えかけてくる力の強さをさらにまざまざと感じます。両者ともいい演奏でした。

●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)

ヒュッシュは真摯な歌ですね。ドイツ語のディクションの格調の高さも素晴らしいです。

●ハインリヒ・シュルスヌス(BR), ゼバスティアン・ペシュコ(P)
Heinrich Schlusnus(BR), Sebastian Peschko(P)

シュルスヌスの流麗な歌は、魔術的です。

●ロッテ・レーマン(S), ポール・ウラノウスキー(P)
Lotte Lehmann(S), Paul Ulanowsky(P)

感情豊かなレーマンの歌は"wonnevoll"のポルタメントに彼女らしさがよくあらわれていました。

●フランツ・シュタイナー(BR), ピアニスト名不詳
Franz Steiner(BR), unidentified pianist

1911年録音。ピアニストの名前が記載されない時代の録音。この時代の演奏様式を知る意味でも貴重な録音だと思います。伸縮自在でのめり込むような歌ですね。

●ピアノパートのみ(piano: Mariya Broytman)
Johannes Brahms, Wie bist du, meine Königin, E flat major, Piano Accompaniment, no voice (piano: Mariya Broytman)

Channel名:accompaniment piano(元のサイトはこちら:リンク先は音が出ますので注意!)
ピアノパートにテキストの内容をいかに反映させているかが分かります。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

| | | コメント (0)

ブラームス/「こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は(So stehn wir, ich und meine Weide, Op. 32, No. 8)」を聞く

So stehn wir, ich und meine Weide, Op. 32, No. 8
 こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は

So stehn wir, ich und meine Weide,
So leider miteinander beide.
 こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は、
 残念なことに二人一緒に。

Nie kann ich ihr was tun zu Liebe,
Nie kann sie mir was tun zu Leide.
 僕は彼女を愛してあげることが出来ず、
 彼女は僕を苦しめることが出来ない。

Sie kränket es, wenn ich die Stirn ihr
Mit einem Diadem bekleide;
 彼女は気分を害するんだ、僕が彼女の額に
 ダイアデム冠をかぶせると。

Ich danke selbst, wie für ein Lächeln
Der Huld, für ihre Zornbescheide.
 僕は、好意の微笑みを向けられた時と同じように、
 彼女が怒りをあらわしてくれることにすら感謝している。

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Hafis, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "So stehn wir, ich und meine Weide", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 8 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の8曲目はハーフィズの詩のダウマー独訳による「こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は(So stehn wir, ich und meine Weide, Op. 32, No. 8)」です。この曲も第7曲と同じ系統で、テキストは気まずい瞬間の恋人同士のようですが、音楽は穏やかな愛の歌です。慎ましやかに始まり、消え入るように終わるこの曲はリートを聞く醍醐味を味わわせてくれると思います。

この詩の主人公は「僕の喜び(meine Weide)」である彼女と一緒に立っています。それならば一緒にいられて嬉しいはずなのに「残念なことに(leider)」という副詞が添えられています。何が残念なのかというと、主人公は彼女を怒らせてしまったようなのです。僕は彼女に愛を示してあげたいのにそう受け取ってもらえず、一方で彼女は僕を苦しめてやりたいと思っているのに、僕にとってはちっとも苦しみではないという状況です。彼女が怒った原因は主人公が彼女にダイアデムと呼ばれるヘッドバンド(冠)をかぶせようとしたことにあるようです。本当に怒っているのか、単なる恋人同士の戯れなのかは詩を読む人に任されているのでしょうが、少なくともブラームスは後者と判断したと思います。そうでなければ、こんなに甘い恋の歌になるはずがないからです。主人公は「好意の微笑み」と同様に「怒りの通知」にも感謝すると述べています。怒っているということをはっきり示してくれるのは主人公にとっては有難いのですね。締めに冒頭の「二人一緒に(miteinander beide)」が繰り返されるのですが、"dolce poc a poco(少しずつ甘く)"という指示があり、ブラームスはここからピアノ後奏までで二人が仲直りをしたことを暗示しているかのようです。

ピアノパート右手の休符で始まる三連符は常に上行の動きで、心臓の鼓動のようにも聞こえます。特に第4連で「彼女が怒りをあらわしてくれる(ihre Zornbescheide)」と歌った後に休符後の2つの音がオクターブにまで広がり、鼓動が激しくなっている様が反映されているような気がしました。

Ex-1 
Ex-2

一方ピアノの左手は、歌の冒頭2小節の下降音型に由来してたびたび現れますが、特に曲の締めくくり箇所から後奏にかけては一貫して使われています。

曲の冒頭
Ex-3 

曲の最後
Ex-4 

アッラ・ブレーヴェ (2/2拍子)
変イ長調(As-Dur)
In gehender Bewegung (歩く動きで)

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

クリンメルの穏やかな歌はこの主人公が実は悩んでいるわけではないことを示しているかのようです。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネの包み込むような歌できっとお相手の機嫌も直ってしまったことでしょう。

●インゲボルク・ダンツ(MS), ヘルムート・ドイチュ(P)
Ingeborg Danz(MS), Helmut Deutsch(P)

ダンツの温かみのある歌唱とドイチュの細やかなピアノが心地よい雰囲気を醸し出していました。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

感情表現のきめ細やかさがさすがディースカウと言うほかないです。

●アンドレアス・シュミット(BR), ヘルムート・ドイチュ(P)
Andreas Schmidt(BR), Helmut Deutsch(P)

シュミットのまっすぐな歌いぶりは、こういう曲にとても合っていました。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

Wikipedia (ダイアデム (冠)) (日本語)

Wikipedia (Diadem) (独語)

| | | コメント (0)

ブラームス/「辛辣なことを言ってやろうときみは思っている(Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7)」を聞く

Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7
 辛辣なことを言ってやろうときみは思っている

Bitteres zu sagen denkst du;
Aber nun und nimmer kränkst du,
Ob du noch so böse bist.
Deine herben Redetaten
Scheitern an korall'ner Klippe,
Werden all zu reinen Gnaden,
Denn sie müssen, um zu schaden,
Schiffen über eine Lippe,
Die die Süße selber ist.
 辛辣なことを言ってやろうときみは思っている、
 でもきみが傷つけることなど今後絶対に出来ない、
 きみがまだ腹を立てていたとしても。
 きみの容赦ない言葉攻めは
 サンゴの岩礁で座礁してしまうだろう、
 みな清らかな好意に変わってしまうのだ、
 なぜなら、傷つけようとするには
 甘美さそのものである唇を通って
 言葉が渡航しなければならないのだから。

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Hafis, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Bitteres zu sagen denkst du", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 7 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の7曲目はハーフィズの詩のダウマー独訳による「辛辣なことを言ってやろうときみは思っている(Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7)」です。これまでOp.32の最初の6曲はどれも重々しく深刻な作品ばかりでしたので、第7曲で突然雲が晴れたかのように穏やかなラブソングになり、聞き手もほっと一息つけるのではないかと思います。

ダウマーのテキストは、君が私に腹を立てて辛辣な言葉を発しようとしているけれど、それで私を傷つけることなど出来ない、なぜなら君の唇は甘美さそのものなので、言葉が唇を通ると好意に変わってしまうから、という何とも微笑ましい内容になっています。相手に何を言われてもすべて愛の言葉に変換してしまえる超プラス思考な主人公なのか、それとも罵詈雑言を言われれば言われるほど嬉しくなるマゾヒスティックな性向の持ち主なのか、ひどいことを言われても相手と一緒にいるだけで嬉しくなってしまうとびきり大きな寛容さをもっているのか、それともお相手が文句を言おうとしても唇を通って発する時に本当に優しい言葉になってしまうのか、いずれにせよ、この主人公が相手の唇を「甘美さそのもの(die Süße selber)」と言ってしまえるほどにべた惚れなのかもしれませんね。もう一つ、このテキストを相手の前で言って、怒っている相手のご機嫌をとろうとしている可能性もありますが、ブラームスの音楽を聞く限り、ブラームスはこの主人公と相手の関係は極めて良好だと解釈したように思われます。ピアノパートにも「dolce(甘く)」という指示が3回も出てくるくらいですから、恋人同士ののろけ話とブラームスはとらえたのかもしれませんね。

ピアノパートの右手高音はほぼ歌声部の旋律をなぞり、左手の八分音符のリズムと高低の動きも前奏1小節目の形をほぼ全体にわたって使っています。

Bitteres-zu-sagen

C (4/4拍子)
ヘ長調(F-Dur)
Con moto, espressivo ma grazioso (動きをつけて、表情豊かに、だが優美に)

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

クリンメルの甘い美声は、この主人公のイメージによく合っているように感じました。

●ヤンニク・デーブス(BR), ヤン・シュルツ(Fortepiano)
Yannick Debus(BR), Jan Schultsz(Fortepiano)

デーブスの歌は優しさと強さの両面を感じさせます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは声の色合いが魅力的で、こういう穏やかな作品に向いているように思います。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネの包容力のある声で、相手をしっかり包み込んであげたかのようです。

●レネケ・ライテン(S), ハンス・アドルフセン(P)
Lenneke Ruiten(S), Hans Adolfsen(P)

アーメリング門下のオランダのソプラノ、ライテンはオペラ、リートともに活躍しています。その清楚な歌声はクリスティーネ・シェーファーを思い起こさせます。このテキストは代名詞で性が特定されていないので、男女どちらでも歌えます。相手の機嫌をとるのに慣れている風な穏やかな歌いぶりでした。

●エリーザベト・シューマン(S), レオ・ローゼネク(P)
Elisabeth Schumann(S), Leo Rosenek(P)

しっとりと味わい深く歌うシューマンの歌唱からは、相手とじっくり向き合っていつのまにか相手の機嫌が直ってしまったような印象を受けました。

●ロッテ・レーマン(S), パウル・ウラノフスキー(P)
Lotte Lehmann(S), Paul Ulanowsky(P)

ポルタメントを使ったロッテ・レーマンの歌は、年下の彼氏に向けて大人の余裕で機嫌を直してしまったかのようです。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

| | | コメント (2)

ブラームス/「きみは言う、僕が思い違いをしていたと(Du sprichst, daß ich mich täuschte, Op. 32, No. 6)」を聞く

Du sprichst, daß ich mich täuschte, Op. 32, No. 6
 きみは言う、僕が思い違いをしていたと

Du sprichst, daß ich mich täuschte,
Beschworst es hoch und hehr,
Ich weiß ja doch, du liebtest,
Allein du liebst nicht mehr!
 きみは言う、僕が思い違いをしていたと
 きみは神かけてそう誓った、
 きみが僕を愛していたことは僕も知っている、
 だが、今はもうきみは愛していないのだ!

Dein schönes Auge brannte,
Die Küsse brannten sehr,
Du liebtest mich, bekenn es,
Allein du liebst nicht mehr!
 きみの美しい瞳は輝いていて、
 キスはとても燃え盛っていた、
 きみが僕を愛していたことは認めるよ、
 だが、今はもうきみは愛していないのだ!

Ich zähle nicht auf neue,
Getreue Wiederkehr;
Gesteh nur, daß du liebtest,
Und liebe mich nicht mehr!
 私は当てにしていない、あらためて
 誠実に戻って来るなどということを、
 白状しておくれ、きみはかつては愛していたが、
 今はもう僕を愛していないと!

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), no title, appears in Lieder und Romanzen, first published 1819
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Du sprichst, daß ich mich täuschte", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 6 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の6曲目はプラーテンのテキストによる「きみは言う、僕が思い違いをしていたと(Du sprichst, daß ich mich täuschte, Op. 32, No. 6)」です。

詩のリズムは弱強格(Jambus)で統一されています。ブラームスも詩のリズムに則った旋律を付けています。

主人公の恋人が昔は確かに私のことを愛していて瞳は輝き、キスも情熱的だったが、今はもう愛していないことを知っている、白状してほしいと相手に詰め寄ります。

「愛する」の過去形(du liebtest)と現在形(du liebst)の違いによって、以前は愛してくれていたのに、今はもう愛していないよね、知っているよ、と言っているわけです。
おそらくそれは事実なのでしょう。相手は否定しているのか、もしくは答えを曖昧に濁している様子です。一方で主人公は相手が今でも本当に愛していると言ってくれることを期待しているという一面も否定できないのではないでしょうか。

ブラームスの曲は変形有節形式と言ってもよさそうです。基本的に第1連の音楽が他の連でも核になっていますが、それぞれ展開していきます。第2連の最初の2行で過去の甘い思い出を語りますが、ここでは長調の響きになります。その後、すぐに短調に戻り、主人公の深刻な心情が描かれます。第3連は最終行の詩行(きみはもう愛していない)を繰り返し、歌は解決しないまま終わり、ピアノが短い後奏でクライマックスを築き「f(フォルテ)」のまま終わります。最後の右手は単音を「f」で弾くことになり、和音で飾り立てないむき出しの感情がここで表現されているように思います。最後はハ短調の主和音で終わると思いきや4小節ほど前から「ド」の音にナチュラルが付けられていて(変ホ→ホ:Es→E)、長和音で終わることになります。最後の和音だけというわけではなく、数小節にわたってドがナチュラルで半音上がっているのですが、明るい希望は一切見えず、鬱屈した感情のまま終了します。最後の小節の2番目の音はハ音(C)とニ音(D)の短2度がぶつかり、緊張感を印象づけます。
この短い後奏でどれほどのドラマを表現するかはピアニストにかかっていると思います。

ピアノパートは少なくない箇所で拍を休符で始めているのが印象的です(下の譜例赤枠)。かつて愛し合った恋人を前にして多少の躊躇を感じながら気持ちを伝えようとしているのかもしれません。前奏から歌の箇所を経て、間奏、後奏に至るまで執拗にピアノパートに現れる三連符は、主人公の心の中から消えない執着心のようなものを私はイメージしました。

Du-sprichst 

前奏や間奏の左手バス音はハ短調の根音のCの音を保続しています。相手が自分を愛していないという確信が揺るぎないものである様を表現しているのでしょうか。

前奏
Photo_20231105164201 

第1連
1_20231105164201 

第2連
2_20231105164301 

第3連
3_20231105164301 

後奏
Photo_20231105164301 

C (4/4拍子)
ハ短調(c-moll)
Andante con moto

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

若かりし頃のディースカウの甘い声で歌われる恨み節も素晴らしいです。

●クリスティアン・エルスナー(T), ブルクハルト・ケーリング(P)
Christian Elsner(T), Burkhard Kehring(P)

深みを増したテノールのエルスナーの低声部まで充実した響きに魅せられました。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

クリンメルのつややかで若さあふれる美声が主人公の一途な様を彷彿とさせ、グリモーの熟したピアノが内面の激情を強く表現しています。

●ヤニナ・ベヒレ(MS), マルクス・ハドゥラ(P)
Janina Baechle(MS), Markus Hadulla(P)

ベヒレは細やかな情感表現を素晴らしく聞かせてくれて感動的でした。

●ジュリー・カウフマン(S), ドナルド・サルゼン(P)
Julie Kaufmann(S), Donald Sulzen(P)

原調による演奏。普段低く移調した演奏で聞き慣れている為、とても新鮮でした。女声が歌っても内容的に全く問題ないと思います。

●サイモン・ウォルフィッシュ(BR), エドワード・ラッシュトン(P)
Simon Wallfisch(BR), Edward Rushton(P)

ウォルフィッシュは高音で痛々しいほど生の感情をむき出しにして聞き手を主人公の内面に引きずりこみます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは例えば第2連のクライマックスの"liebst"をあえて柔らかく歌うことで、主人公の意固地になっていた気持ちの中の迷いを表現していたように感じました。ツァイエンは雄弁な演奏でした。

●ローマン・トレーケル(BR), オリヴァー・ポール(P)
Roman Trekel(BR), Oliver Pohl(P)

リートの名手トレーケルは、各連のクライマックスでテンポを速め、全体の設計を違和感なく構築していました。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

プレガルディアンはさすがにスタイリッシュな魅力がありますね。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネは思いつめたように引きずって歌っています。エッシェンバハは後奏の最後の1音までフォルテを貫いていて効果的でした。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

| | | コメント (4)

ブラームス/「つらいことに、こうしてあなたは私を再び(Wehe, so willst du mich wieder, Op. 32, No. 5)」を聞く

Wehe, so willst du mich wieder, Op. 32, No. 5
 つらいことに、こうしてあなたは私を再び

Wehe, so willst du mich wieder,
Hemmende Fessel, umfangen?
Auf, und hinaus in die Luft!
Ströme der Seele Verlangen,
Ström' es in brausende Lieder,
Saugend ätherischen Duft!
 つらいことに、こうしてあなたは私を再び、
 自由を奪う枷(かせ)よ、包み込もうというのか。
 上がれ、空中へ行け!
 魂の憧れよ、流れよ、
 ざわめく歌の中に流れ込め、
 芳香を吸い込みながら!

Strebe dem Wind nur entgegen
Daß er die Wange dir kühle,
Grüße den Himmel mit Lust!
Werden sich bange Gefühle
Im Unermeßlichen regen?
Athme den Feind aus der Brust!
 ただ風に向かって行け、
 あなたの頬を冷ますために、
 天空に喜んで挨拶せよ!
 不安な気持ちが
 広大な中で沸き起こるだろうか。
 それならば胸から敵を吐き出してしまえ!

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), no title, appears in Gedichte, in Romanzen und Jugendlieder, no. 18, first published 1820
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Wehe, so willst du mich wieder", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 5 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の5曲目はプラーテンのテキストによる「つらいことに、こうしてあなたは私を再び(Wehe, so willst du mich wieder, Op. 32, No. 5)」です。

Op.32のこれまでの曲と違って、このテキストは抽象的でやや難解です。「自由を奪う枷(かせ)(Hemmende Fessel)」に対して主人公は問いかけています。これは抽象的な概念を歌っているのでしょうか、それとも束縛する恋人をもった者の恋愛訓なのでしょうか。後者だとすると、テキスト全体がそれにしては壮大過ぎる気もします。魂の中にある憧れの気持ちを歌にせよ、あなたの頬を冷ますために風に立ち向かえ!(逆風に負けるなという比喩?)、広い天空で不安になったら心の中の敵を吐き出してしまえ!など、生きていると必ず遭遇する壁、束縛といったものへの処し方、人生訓のような印象も受けます。

プラーテンのテキストは2節からなり、荒々しいピアノにのって急速に進む為、一見通作形式に思えますが、楽譜を見ると、リピート記号で繰り返される純粋な有節形式です。ところが、5行目のみ1節と2節で異なる旋律を歌わせるよう指示されています。

1_20231101171301 

このテキストは各行が「強弱弱 強弱弱 強弱」で統一されていて、第5行目も

Ström' es in brau-sen-de Lie-der,
Im Un-er-meß-li-chen re-gen?
(※強音節を赤色にしました。)

とこのリズムに則って作られています。
ブラームスは第2節の冒頭のImという前置詞に強拍が付くのを避けようとしたのでしょう。ブラームスは有節歌曲の時、テキストの強弱関係を無視して音楽を優先させる場面がたまにあるのですが、ここでは、テキストにこだわったという一例だと思います。

ピアノ前奏は歌声部の歌い出しに由来しています。

2_20231101172701 

また、間奏も同様に直前の歌声部の終わりを繰り返しています。

3_20231101172801 

今の部分のピアノ左手に"col 8va ad lib."という指示がありますが、これは1オクターブ下の音を付与してもいいですよ。ご自由にという感じだと思います。技術的により優しい案を提案してくれたブラームスの思いやりなのでしょうか。それともこのあたりはまだ単音にしておいて、後のオクターブの登場をより効果的なものにしようといったん考えたが、まあここからオクターブでもいいかもと思ったのかもしれません。

4_20231101173801 

このように楽譜を見ていると、聞いているだけでは気付きにくい作曲家の技法の一端を知ることが出来て楽しいです。

9/8拍子
ロ短調(h-moll)
Allegro

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

バレンボイムの痒い所に手が届くような立体的なピアノにのって、ディースカウも劇的に歌い上げています。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネはこうしたドラマティックな作品も豊かな声を響かせて素晴らしいです。

●ヘールト・スミッツ(BR), ルドルフ・ヤンセン(P)
Geert Smits(BR), Rudolf Jansen(P)

オランダのバリトン、スミッツの堂々たる歌唱とベテラン、ヤンセンのピアノは聞きごたえがありました。ちなみにヤンセンは数年前に引退してしまいましたが、スミッツは円熟期の今も現役です。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

プレガルディアンは原調で歌っているのではと思ったのですが低く移調していました。円熟の歌唱はさすがです!

●ヤニナ・ベヒレ(MS), マルクス・ハドゥラ(P)
Janina Baechle(MS), Markus Hadulla(P)

若干余裕のあるテンポで歌うベヒレの低声が胸に響きます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

あらためて聞くとクヴァストホフは子音の発音がとてもきれいですね。どんなに込み入った子音でもおろそかにしないのが凄いです。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

グリモーの雄弁な演奏に負けずにクリンメルの若々しい歌が息吹の飛翔を描いています。

●アンドレアス・シュミット(BR), ヘルムート・ドイチュ(P)
Andreas Schmidt(BR), Helmut Deutsch(P)

シュミットはいつもながらの折り目正しい歌で、ドイチュも安定感抜群の演奏でした。

●ジョゼ・ヴァン・ダム(BSBR), マチェイ・ピクルスキ(P)
José Van Dam(BSBR), Maciej Pikulski(P)

ライヴということもあってか、ヴァン・ダムの熱い表現が良かったです。ピクルスキは音色が美しいです。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

| | | コメント (0)

ブラームス/「僕のそばを流れ去った大河(Der Strom, der neben mir verrauschte, Op. 32, No. 4)」を聞く

Der Strom, der neben mir verrauschte, Op. 32, No. 4
 僕のそばを流れ去った大河

Der Strom, der neben mir verrauschte, wo ist er nun?
Der Vogel, dessen Lied ich lauschte, wo ist er nun?
Wo ist die Rose, die die Freundin am Herzen trug?
Und jener Kuß, der mich berauschte, wo ist er nun?
Und jener Mensch, der ich gewesen, und den ich längst
Mit einem andern ich vertauschte, wo ist er nun?
 僕のそばを流れ去った大河は今どこに?
 僕が歌に耳を澄ましたあの鳥は今どこに?
 女友達が胸に挿していたあの薔薇はどこに?
 そして僕をうっとりさせたあのキスは今どこに?
 そしてかつての僕、とうに別人と入れ替わった
 かつての僕は今どこに?

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), appears in Gedichte, in Ghaselen, no. 17, first published 1821
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Der Strom, der neben mir verrauschte", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 4 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の4曲目はプラーテンのテキストによる「僕のそばを流れ去った大河(Der Strom, der neben mir verrauschte, Op. 32, No. 4)」です。
各行が似たフレーズで進められて展開していく通作形式で、1分強の短い作品です。

主人公はかつてあったものが今はどこに行ってしまったのかと、その失ったものを羅列して「今どこにあるのか?(wo ist er nun?)」と連呼します。そばを流れていった大河、美しい鳴き声の鳥、女友達(とはいってもFreundinという言葉は恋人ではないが大人の関係であると学生の頃に聞いた覚えがあります)の胸に挿した薔薇、恍惚とさせられたキス-それらはもう今はないわけですね。
最後にかつての僕はどこへ行った?と言うのですが、今の僕はかつての僕と入れ替わってしまったようです。
かつての僕は好きな人と一緒に川や鳥の鳴き声や愛撫を楽しんだのでしょうか。女友達(=ガールフレンド)(Freundin)という言葉が使われているので恋人になる前に終焉をむかえてしまったのかもしれません。ブラームスは曲を短調でスタートするのですが、3、4行目の女友達との思い出に言及する箇所で長調の響きに変えて、主人公が甘い記憶に一時的に浸っている様子を描いています。

ブラームスは各行の末尾に"wo ist er nun?"があることに着目して、行ごとのフレーズを少しずつ高くしていき、気持ちが高揚していくように展開していきます。

"wo ist er nun?"の音程関係について、下記の譜例に記しました。それぞれ若干の違いがあるものの"wo ist er nun?"にあてられたフレーズはいずれも「下→上→上→上→上」で共通していますね。6行目の締めの繰り返しはメリスマをなくして各音節に1音をあてています。

Brahms-der-strom 

第6行目(最終行)の"wo ist"は、これまでと違って、ピアノパートが歌と同じ音で強調しています。ただ、歌は八分休符の後、八分音符で"wo"と歌い始めるのですが、ピアノパートは三連符の最後の音の為、厳密に言えば歌がピアノよりも少し早めに出ることになります。このへんのリズムのずれの扱いについて、ブラームス特有の記譜上の慣習がもしかしたらあるのかもしれませんが(バロック時代の記譜法や、それを引き継いだシューベルトの付点音符と三連符の扱いのように)、この部分をいろいろな演奏で聞いてみると、この箇所の歌とピアノを同時に演奏するものが結構多いことが分かります。
ただ、個人的にはブラームスが書いたままずらして演奏する方が前のめり気味に「どこだ?」と歌っているように聞こえ、焦燥感がより鮮明に浮き立ってくるのではないかと思います。
一方、歌とピアノを同時に演奏する場合、fz(フォルツァンド)の効果が出て、音量的な効果は出ると思います。速いテンポなので、同時の方が演奏しやすいという面もありそうです。
このあたりは演奏家の解釈次第なのでしょうね。

2brahms-der-strom

C (4/4拍子)
嬰ハ短調(cis-moll)
Moderato, ma agitato

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

ディースカウはOp.32の中の数曲をリサイタルで頻繁に取り上げていましたが、この曲もレパートリーに入っていて、私も彼の放送録音でこの作品をはじめて知りました。主人公の過去のよき時代を懐かしむ感じが円熟期のディースカウによって表現されていました。切り込みの鋭いバレンボイムも素晴らしいです。"wo"は歌とピアノでずらしていましたが、3回目はほぼ同じタイミングのように聞こえました。ずらした良さが感じられるいい演奏でした。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

プレガルディアンは語り部のようにすっきりと、しかし情熱をもって歌っていて良かったです。アイゼンローアもドラマティックに演奏していました。

●ヤニナ・ベヒレ(MS), マルクス・ハドゥラ(P)
Janina Baechle(MS), Markus Hadulla(P)

ベヒラの豊かで包み込むような声の響きが心地よく、この曲の魅力を引き出していたと思います。"wo ist"の歌の表情がとても印象的でした。ベテランのハドゥラも良かったです。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフはブラームスの音価をしっかり守り、激しい作品でも丁寧に表現しているのが伝わってきます。

●アンドレアス・シュミット(BR), ヘルムート・ドイチュ(P)
Andreas Schmidt(BR), Helmut Deutsch(P)

シュミットはゆっくりめのテンポでブラームスの旋律線を丁寧に歌っていました。ドイチュの細部にまで行き届いたピアノは勢い任せにならず、ブラームスの音をじっくり聞かせてくれます。上述した"wo"を歌とピアノでずらして演奏した例です。このテンポだから可能なのかもしれませんが、ずらすことによるメリットは大きいと思います。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

ここではグリモーが主導権を握り、その推進力にのって若いクリンメルを導いていたように感じます。"wo"のずれは最初は明らかにずらしていますが、2回目、3回目は自然な流れで一致して聞こえました。どちらかに統一しないこういう解釈もいいなと思いました。

●マルティン・ヘンゼル(BR), ヘダイエット・ヨナス・ジェディカー(P)
Martin Hensel(BR), Hedayet Jonas Djeddikar(P)

他の多くの演奏に比べるとゆっくりめに聞こえますが、ブラームスの指定はModerato, ma agitato(中庸のテンポで、しかし激して)なので、指示に忠実に従った演奏と言えると思います。歌、ピアノともに楽譜に真摯に向き合っている感じがして好感が持てました。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

| | | コメント (0)

ブラームス/「私はあたりを忍び歩く(Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3)」を聞く

Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3
 私はあたりを忍び歩く

Ich schleich umher,
Betrübt und stumm,
Du fragst, o frage
Mich nicht, warum?
Das Herz erschüttert
So manche Pein!
Und könnt' ich je
Zu düster sein?
 私はあたりを忍び歩く、
 悲しく押し黙って、
 きみは尋ねる、おお、
 どうしてなどと尋ねないでくれ。
 胸が揺さぶられたのだ、
 数多の苦痛ゆえに!
 かつてこれほど気分が沈んだことは
 あっただろうか。

Der Baum verdorrt,
Der Duft vergeht,
Die Blätter liegen
So gelb im Beet,
Es stürmt ein Schauer
Mit Macht herein,
Und könnt ich je
Zu düster sein?
 木は枯れ果て
 香りは消え
 葉は黄色く
 苗床に落ちている。
 にわか雨が
 荒れ狂ったように降り注ぐ。
 かつてこれほど気分が沈んだことは
 あっただろうか。

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), no title, written 1820, appears in Gedichte, in Romanzen und Jugendlieder, no. 16
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Ich schleich' umher", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 3 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の3曲目はプラーテンのテキストによる「私はあたりを忍び歩く(Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3)」です。
この歌曲集は比較的通作形式が多いのですが、この曲はリピード記号で繰り返される完全な有節歌曲です。ただ、個人的にはあまり2つの節を繰り返しているという感覚がなく、暗澹たる気分に沈んだり爆発したりという波が続いているという印象を受けます。

詩の主人公はふらふらと歩き回ります。誰かが心配になり理由を尋ねますが、「どうしたの」などと聞かないでくれと言います。しかしすぐに「これほど多くの苦痛(Pein)が私の心を揺さぶった」と告白します。多くの苦痛に襲われ、こんなにつらいことはかつてなかったと言いますが、その苦痛の内容は明かされません(おそらく失恋と想像されますが)。
第2節では木や香り、枯れて落ちた葉っぱ、驟雨など、自然に目を向けて、主人公にとって気持ちの沈むことばかりが目につきます。ここでは主人公は内面の辛さゆえに、目に映るものすべて気が沈むことばかりに意識が向いてしまっているのでしょうか。

ブラームスの音楽は、ピアノの左手が下降音型を繰り返し、主人公の気分の下がり具合を否が応でも強調しています。歌声も二分音符と四分音符の組み合わせで上がろうとしては下がってのジグザグの音型で茫然自失の主人公の絞り出すかのようなつぶやきを演出します。5行目になると三連符で上行するピアノにのって、歌も上行し、心の内を激しく吐き出そうとしますが、最後にはまた下降して終わります。

救いなのがピアノパートで、右手の最高音はほぼ全体にわたり歌声と同じ音をなぞり、絶望に打ちひしがれている主人公の気持ちにそっと寄り添っているような印象を受けます。

短い作品ながら強烈な印象を受けます。よく出来た小品だと思います。演奏者によっても様々な解釈が聞けるのではないでしょうか。

3/4拍子
ニ短調(d-moll)
Mäßig (中庸の速度で)

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

ゆったりめのテンポで、ディースカウにしてはかなり思いを強く込めた歌唱でした。ムーアはデクレッシェンドでpにいたる最後の和音をブラームスの指示より強めに響かせていたのが印象的でした。

●ローベルト・モルヴァイ(T), アンドレアス・ルチェヴィツ(P)
Róbert Morvai(T), Andreas Lucewicz(P)

優しく柔らかい感触の声をもったモルヴァイというテノール歌手は誠実ゆえに深く傷ついた主人公の歌に感じられました。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネの深々とした表現は、辛い主人公の心情を慰撫するかのようでした。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

円熟期のプレガルディエンは巧みに主人公の苦しみを語って聞かせてくれます。どちらかというと第三者的にも感じられました。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは終始丁寧な語り口で、各節中間部の激しい箇所も感情的にならず、冷静な表情で歌っていました。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

次世代を担うリート歌手クリンメルが、ベテランピアニスト、グリモーのコンセプトアルバムの中でOp.32の全曲を歌っています。若さあふれる美声で、それほど深刻にならないのが聞いていて救いに感じられます。グリモーも最近歌曲演奏に積極的に取り組んでいるようです。

●ヘニー・ヴォルフ(S), ピアニスト名不詳
Henny Wolff(S), unidentified pianist

1958年の録音とのこと。このソプラノ歌手ははじめて聞きましたが、録音当時62歳だそうで、なんとも味わいのある表現に聞きほれました。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

| | | コメント (4)

ブラームス/「もう君のもとに行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen, Op. 32, No. 2)」を聞く

Nicht mehr zu dir zu gehen, Op. 32, No. 2
 もう君のもとに行くまいと
 
Nicht mehr zu dir zu gehen
Beschloß ich und beschwor ich,
Und gehe jeden Abend,
Denn jede Kraft und jeden Halt verlor ich.
 もう君のもとに行くまいと
 私は決心し誓ったが
 毎晩通ってしまう、
 というのも揺るがない心も力も失ってしまったから。

Ich möchte nicht mehr leben,
Möcht' augenblicks verderben,
Und möchte doch auch leben
Für dich, mit dir, und nimmer, nimmer sterben.
 私はもう生きていたくない、
 すぐにでも死んでしまいたい、
 だがやはり生きてもいたい、
 君の為に、君と共に、そして決して決して死にたくない。

Ach, rede, sprich ein Wort nur,
Ein einziges, ein klares;
Gib Leben oder Tod mir,
Nur dein Gefühl enthülle mir, dein wahres!
 ああ、語って、ただ一語だけ言っておくれ、
 ただ一言、はっきりとした言葉を。
 私に生もしくは死を与えておくれ、
 ただ君の気持ちを見せてくれ、君の本当の気持ちを!

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Poetische Zugaben aus verschiedenen Ländern und Völkern, in Aus der Moldau, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Nicht mehr zu dir zu gehen", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 2 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の9曲は、決してテキストの明確なつながりがあるわけではないのですが、全体を通して演奏された時に醸し出される雰囲気が違和感がなく、そのためか古くはディースカウから最近の演奏家まで、この9曲をまとめて録音する人も少なくありません。沈痛な曲が最初から続き、後半数曲穏やかな愛の歌に変わり、その流れで最終曲の著名な「なんとあなたは、我が女王よ(Wie bist du, meine Königin)」で穏やかに締めくくられると思いきや、この最終曲も「喜びにあふれて(wonnevoll)」を繰り返しながらも最後はあなたの腕の中で死なせて下さいと歌い、死への近親性に回帰しているようにも思えます。

第1曲「なんと私は夜中に飛び起きた(Wie rafft' ich mich auf in der Nacht, Op. 32-1)」はとりわけ私のお気に入りのブラームス歌曲の1つで、過去にこちらで記事にしていますので興味のある方はご覧いただければと思います。

今日は2曲目の「もう君のもとに行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen)」です。

恋人のもとに行くまいと決心した主人公が、それでも毎晩しげしげと通ってしまう、その千々に乱れた心情が描かれています。最後にはあなたの一言が私の生死を握っているのだと恋人に迫ります(実際に相手の目の前で伝えているのか、心の中の妄想なのかは読む人によって解釈が分かれると思いますが)。

このテキストの抑揚は弱強格(Jambus)で統一されていて、ブラームスもほぼ詩の抑揚と一致した旋律を付けています。
3節からなる詩の1節と3節の音楽はほぼ同じで、2節のみespress. animatoで表情豊かに動きを付けて、両端の節とのコントラストを強調しています。いわゆるA-B-Aの構成ですね。Aの歌声部が基本的に上行なのに対して、Bは下行とジグザグ進行で、死にたいぐらい辛いけれど、やはり恋人と一緒に生きたいという揺れ動く感情が歌とピアノ右手のリズムのずれも相まって強調されているように思います。Aの箇所は歌の合間に休符を入れて、訥々と語るような効果を出す一方、感情が高ぶっているBは思いのたけを打ち明けるようにメロディーが途切れずに流れていきます。

Aの部分で興味深いのが、歌がほぼ順次進行で上行していく箇所は歌に付随して同じ動きをするピアノパートが、それ以外の箇所はゆるやかに下行していることです。気持ちをあげようとしても結局沈み込んでしまう主人公の内面を表しているのでしょうか。

・Aの部分(第1節)
A

・Bの部分(第2節)
B

この曲のクライマックスは私の個人的な意見ではピアノ後奏にあるように思います。Bにも「f」は出てきますが、それはちょっと気持ちが高ぶったぐらいで、真に主人公の気持ちが爆発するのが後奏の「f」だと思います。相手の真意を測りかねている主人公が絶望しているかのようです。その後、バス音が下行進行して、「pp」で消え入るように終わります。

・歌の最後の部分とピアノ後奏
Photo_20231014170501

3/2拍子
ニ短調(d-moll)
Langsam(ゆっくりと)

●ブリギッテ・ファスベンダー(MS), エリック・ヴェルバ(P)
Brigitte Fassbaender(MS), Erik Werba(P)

ファスベンダーは最初の抑制した歌いぶりから徐々に感情を露わにしていく、その心理描写の凄みを感じました。ヴェルバの迫真の演奏は、彼の数多い録音の中でもベストの一つと言えそうなほどの雄弁な名演でした。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ヘルタ・クルスト(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hertha Klust(P)

ディースカウの歌唱は、思わず主人公の顔の表情が目に浮かぶかのように逡巡する気持ちのうつろいを表現していました。クルストがまた深く雄弁な音で感情を描いていました。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

重みのある底から響いてくるようなゲルネの歌声から、主人公が沈み込んでしまっている様子が浮かんできます。エッシェンバハの弾く後奏は、立派な構築物のように隙がなく、ドラマが感じられました。

●白井光子(MS), ハルトムート・ヘル(P)
Mitsuko Shirai(MS), Hartmut Höll(P)

白井の歌唱は声色を使い、主人公の心情を深く掘り下げていました。ヘルもはやる気持ちを巧みに描いていました。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフ&ツァイエンは丁寧に主人公の気持ちの揺れ動きを表現していたと思います。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

| | | コメント (3)

ブラームス(Brahms)/「春の慰め(Frühlingstrost, Op. 63, No. 1)」を聴く

Frühlingstrost, Op. 63, No. 1
 春の慰め

1.
Es weht um mich Narzissenduft
Es spricht zu mir die Frühlingsluft:
Geliebter,
Erwach im roten Morgenglanz,
Dein harrt ein blütenreicher Kranz,
Betrübter!
 私のまわりにスイセンの香りが吹き渡り、
 春の風は私にこう語りかけます、
 いとしい人よ、
 赤く輝く朝の光を浴びて目を覚ましなさい、
 たくさんの花で編んだ花輪があなたを待ちこがれています、
 悲しみに沈んだ方よ!

2.
Nur mußt du kämpfen drum und tun
Und länger nicht in Träumen ruhn;
Laß schwinden!
Komm, Lieber, komm aufs Feld hinaus,
Du wirst im grünen Blätterhaus
Ihn finden.
 憂さと闘って行動を起こさないといけません、
 もう夢の中で休んでいては駄目ですよ、
 消してしまいなさい!
 いらっしゃい、いとしい人、野原に出ておいで、
 あなたは緑の葉で覆われた家で
 花輪を見つけることでしょう。

3.
Wir sind dir alle wohlgesinnt,
Du armes, liebebanges Kind,
Wir Düfte;
Warst immer treu uns Spielgesell,
Drum dienen willig dir und schnell
Die Lüfte.
 私たちはみなあなたに好意を持っています、
 かわいそうな、愛に臆病な子よ、
 私たち 香りは。
 いつも私たち遊び仲間に誠実に接してくれたから
 あなたのために喜んで迅速にお役に立ちたいと思っています、
 私たち 風は。

4.
Zur Liebsten tragen wir dein Ach
Und kränzen ihr das Schlafgemach
Mit Blüten.
Wir wollen, wenn du von ihr gehst
Und einsam dann und traurig stehst,
Sie hüten.
 私たちはあなたの嘆き声を恋する娘に届けて、
 あの娘の寝室を花輪で飾りましょう、
 花で編んで。
 あなたがあの娘から離れ去り、
 ひとり悲しく立ち止まっているときには
 私たちがあの娘を見守っていてあげましょう。

5.
Erwach im morgenroten Glanz,
Schon harret dein der Myrtenkranz,
Geliebter!
Der Frühling kündet gute Mär',
Und nun kein Ach, kein Weinen mehr,
Betrübter!
 朝焼けの光を浴びて目を覚ましなさい、
 もうあなたのことをミルテの花輪が待ちこがれていますよ、
 いとしい人よ!
 春が素敵な話をお知らせします、
 もう嘆いたり泣いたりしないでね、
 悲しみに沈んだ方よ!

詩:(Gottlob Ferdinand) Max(imilian) Gottfried von Schenkendorf (1783-1817), from Gedichte, first published 1837
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Frühlingstrost", op. 63 (Neun Lieder und Gesänge) no. 1 (1874) [voice and piano], Leipzig, Peters

-----------

歌曲をつくった作曲家たちが必ずといっていいほど扱うテーマの一つが「春」ではないかと思います。シューベルトにもシューマンにもヴォルフにもシュトラウスにも春の歌曲はありますし、特にメンデルスゾーンは「春」がタイトルに含まれている独唱曲を数えたところ7曲もありました。ブラームスにも春を扱う歌曲はいくつもあるのですが、やはりいかにもブラームスだなぁとうならされる作品ぞろいで、とりわけ今回扱う「春の慰め」はブラームスにしか書けない魅力的な作品だと思います。

この詩の主人公の男の子は彼女と喧嘩でもしたのでしょうか。悲しみに沈んでいるのですが、春の風や香りが慰めて、二人の間を取り持ちます。最終連でミルテの花輪があなたを待っているとか、素敵な話をあなたに伝えるなどの詩句があり、このカップルの結婚を示唆しているように思えます。人ではなく春の立場から歌った詩というのが面白いと思いました。

曲の形式はA-B-A-C-Aで、1、3、5連の共通の音楽の間に2、4連の異なる音楽をはさむ形になっています。

ピアノパートは片手が細かく三連符やトレモロを刻み、もう片方の手が歌の対旋律やバス音を奏でます。

ピアノ前奏の右手「ドラーソ」は、歌が始まってすぐ("um mich Nar-")の旋律に引き継がれますが、その1拍前からピアノ左手にもあらわれています(譜例1参照)。

【譜例1】
Fruhlingstrost_beispiel-1

奇数連(A)の最終行の歌のメリスマが効果的で、春の風にふわふわ身を任せているようなイメージを与えています(譜例2参照)。

【譜例2】
Fruhlingstrost_beispiel-21
Fruhlingstrost_beispiel-22

それから個人的には譜例2の赤枠で囲ったバス音の流れが大好きです。こういう畳みかけ方はブラームスの魅力の一つではないかと思っています。

調はところどころ近親調への転調をしつつも常に基本のイ長調に立ち戻ります。

偶数連で少し落ち着いた感じを醸し出しつつ、基本的に駆け抜けるような推進力で聴き手をぐっと引き込んでいくチャーミングな作品だと思います。

6/4拍子
イ長調(A-dur)
Lebhaft (生き生きと)

●レネケ・ライテン(S), ハンス・アドルフセン(P)
Lenneke Ruiten(S), Hans Adolfsen(P)

オランダのソプラノ、ライテンの透明で細やかな歌唱が春の香りや風を運んでくれます。アドルフセンのピアノはあまり明瞭に粒を響かせないことで風が静かに立っている様を想像させてくれます。

●ジュリー・カウフマン(S), ドナルド・サルゼン(P)
Julie Kaufmann(S), Donald Sulzen(P)

アメリカのソプラノ、カウフマンの抒情的な美声が心地よく、いつまでも聴いていたい気持ちにさせてくれます。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

1980年代前半の録音。フィッシャー=ディースカウは穏やかに主人公を慰撫するような歌唱を聞かせる一方、バレンボイムは切り込みの鋭いタッチで春の爆発するような喜びを見事に表現していました。

●マリア・ミュラー(S), ミヒャエル・ラウハイゼン(P)
Maria Müller(S), Michael Raucheisen(P)

1944年Berlin録音。ミュラーの豊かな声は主人公を力強く励ましているように感じられます。

上記の他にLan Rao(S) & Micaela Gelius(P) (ARTE NOVA)、Deon van der Walt(T) & Charles Spencer(P) (ARS MUSICI)、Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Wolfgang Sawallisch(P) (EMI)、Olaf Bär(BR) & Helmut Deutsch(P) (EMI)、Andreas Schmidt(BR) & Helmut Deutsch(P) (cpo)の録音もあり、いずれも良かったですが、特にベーア&ドイチュの演奏は爽やかで春の息吹が感じられて引きこまれました。

Hyperionレーベルのブラームス歌曲全集では第7巻に収録されていて、演奏はBenjamin Appl(BR) & Graham Johnson(P)です。私はこのCDをiTunesにまだ入れていない為現物を探さないと聞けないのですが、こちら(14曲目の音符マークをクリック)で最初の1分強を試聴できました。

-----------

(参考)

The LiederNet Archive

Max von Schenkendorf (Wikipedia)

Max von Schenkendorf: Frühlingstrost

| | | コメント (4)

エリー・アーメリング他(Ameling, Watkinson, Meens, Holl, Jansen, Brautigam)/ブラームス:四重唱曲、二重唱曲他 初出音源(1983年1月14日, アムステルダム・コンセルトヘバウ(live)他)

●ブラームス/四重唱曲、二重唱曲
Elly Ameling; Brahms Quartets and Duets

00:00 Der Gang zum Liebchen (op 31/3)
02:59 Sehnsucht (op 112/1)
06:08 Abendlied (op 92/3)
09:39 Warum (op 92/4)
12:20 Der Abend (op 64/2)
16:56 Es rauschet das Wasser (op 28/3)(Watkinson, Holl, Jansen)
20:43 Vor der Tür (op 28/2)(Watkinson, Holl, Jansen)
22:48 Vergebliches Ständchen (op 84/4)(Ameling, Meens, Jansen)
24:37 Die Schwestern (op 61/1)(Ameling, Watkinson, Jansen)
27:12 Zigeunerlieder 5 "Brauner Bursche führt zum Tanze" (op 103/5)
30:29 Zigeunerlieder 7 "Kommt dir manchmal in den Sinn" (op 103/7)
31:09 Zigeunerlieder 6 "Röslein dreie in der Reihe blühn so rot" (op 103/6)
32:01 Wenn so lind dein Augen * (Liebesliederwalzer, op 52/8)
34:06 Ein kleiner. Hübscher Vogel * (Liebesliederwalzer, op 52/6)

Elly Ameling - Soprano
Carolyn Watkinson - Mezzo soprano
Hein Meens - Tenor
Robert Holl - Bass
Rudolf Jansen - Piano
Rudolf Jansen & Ronald Brautigam - Piano *

Live recording Concertgebouw, 14-01-1983

エリー・アーメリング(Elly Ameling)のブラームス重唱曲の録音といえば、80歳を記念した放送録音集"80 jaar"に1曲だけ「夕暮れ(Der Abend, Op. 64/2)」が収録されていました。
今回アーメリングの公式チャンネルで、なんと同じ日のライヴ音源が初めて公開されました!!!
これはもうアーメリングからのサプライズプレゼントですね!
『ジプシーの歌』抜粋や『愛の歌』抜粋をアーメリングの歌で聴けるとは思ってもいなかったので狂喜乱舞しました(本当は全曲が良かったのですが贅沢は言わないことにします)。
共演者はメゾソプラノのキャロリン・ワトキンソン、テノールのヘイン・メーンス、バスのロベルト・ホル、ピアノはルドルフ・ヤンセン、『愛の歌』のピアノ連弾のみロナルト・ブラウティハムが参加しています。
ブラームスの重唱曲は『ジプシーの歌』『愛の歌』『新しい愛の歌』以外の単独の作品はこれまであまり馴染みがなかったのですが、こうして聞いてみるとどれもとても魅力的ですね。独唱曲として歌われることの多い「甲斐なきセレナーデ」をソプラノとテノールの掛け合いで聴くとより臨場感があって面白かったです。「憧れ(Sehnsucht)」という曲も趣があってとても魅力的な作品でした。
アーメリングはいつもながらの美声がなんとも心地よかったですが、コミカルな曲(「姉妹(Die Schwestern)」等)で会場をざわつかせるところは流石です!どんな表情で歌っていたのか想像しながら聴いてみるのも楽しいと思います。それからメゾのワトキンソンの歌声はとても温かみがあり惹きつけられました。

●ドビュッシー/『ステファヌ・マラルメの3つの詩』(ため息;ささやかな願い;扇)
Debussy Mallarme

Trois Poémes de Stéphane Mallarmé - Claude Debussy (1862-1918)

00:05 Soupir
03:02 Placet futile
05:06 Éventail

Elly Ameling - Soprano
Dalton Baldwin - Piano

もう1つアーメリング公式チャンネルからアップされていたのは、ドビュッシーの『ステファヌ・マラルメの3つの詩』です。これはおそらくEMIのドビュッシー歌曲全集からの音源と思われます。楽譜が表示されるので、歌を勉強されている方にもお勧めです。最初の2曲はラヴェルも作曲しているので、比較するのも興味深いと思います(こちらのリンク先でアーメリング&ヤンセン他によるラヴェルの演奏が聴けます)。

●サリエリ、モーツァルト・アリア集&R.シュトラウス:『4つの最後の歌』
ELLY AMELING: Mozart Concert Arias and Strauss Four Last Songs

Live broadcasts of Dutch soprano ELLY AMELING.

0:00- SALIERI: La fiera di Venezia: "Non temer che d'altri"
4:05- MOZART: "Voi avete un cor fedele" K.217

Elly Ameling(S)
Mostly Mozart Festival Orchestra
Gerard Schwarz(C)
(1985)

------

12:18- STRAUSS: Four Last Songs
1. Frühling
2. September
3. Beim Schlafengehen
4. Im Abendrot

Rotterdam Philharmonic
Edo de Waart(C)
(1986)

上の2種類のライヴのうち、最初のサリエリとモーツァルトは以前別の方がアップした音源をご紹介したこちらの記事と同一音源ではないかと推測されます。

しかし!後半(12:18~)のエド・ドゥ・ヴァールト指揮ロッテルダム・フィルハーモニックとの『4つの最後の歌』は、ネット上で聴けるのは唯一の音源と思われます。
実はかなり昔にオランダのインターネットラジオ局Radio 4でアーメリングの特集が数回に分けて放送された際に、この音源の放送が予告されていたのですが、実際に放送されたのはサヴァリッシュ指揮コンセルトヘバウ管弦楽団との音源でした。
アップしていただいたこの音源、惜しむらくはおそらくテープの回転数が速くて、実際の音より高めなのが残念ですが、そこは想像力で補いながらこの貴重な音源を満喫したいと思います。

| | | コメント (10)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

CD DVD J-Pop LP 【ライラックさんの部屋】 おすすめサイト アイヒェンドルフ アンゲーリカ・キルヒシュラーガー アンティ・シーララ アーウィン・ゲイジ アーリーン・オジェー イアン・ボストリッジ イェルク・デームス イタリア歌曲 イモジェン・クーパー イングリート・ヘブラー ウェブログ・ココログ関連 エディタ・グルベロヴァ エディト・マティス エリック・ヴェルバ エリーザベト・シュヴァルツコプフ エリー・アーメリング エルンスト・ヘフリガー オペラ オルガン オーラフ・ベーア カウンターテナー カール・エンゲル ギュンター・ヴァイセンボルン クラーラ・シューマン クリスタ・ルートヴィヒ クリスティアン・ゲアハーアー クリスティーネ・シェーファー クリストフ・プレガルディアン クリスマス グリンカ グリーグ グレアム・ジョンソン ゲアハルト・オピッツ ゲアハルト・ヒュッシュ ゲロルト・フーバー ゲーテ コルネーリウス コンサート コントラルト歌手 シェック シベリウス シュテファン・ゲンツ シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン ジェシー・ノーマン ジェフリー・パーソンズ ジェラルド・ムーア ジェラール・スゼー ジュリアス・ドレイク ジョン・ワストマン ソプラノ歌手 テノール歌手 テレサ・ベルガンサ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ディートリヒ・ヘンシェル トマス・ハンプソン トーマス・E.バウアー ドビュッシー ドルトン・ボールドウィン ナタリー・シュトゥッツマン ノーマン・シェトラー ハイドン ハイネ ハルトムート・ヘル ハンス・ホッター バス歌手 バッハ バリトン歌手 バレエ・ダンス バーバラ・ヘンドリックス バーバラ・ボニー パーセル ピアニスト ピーター・ピアーズ ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル フェリシティ・ロット フランク フランク・マルタン フランス歌曲 フリッツ・ヴンダーリヒ ブラームス ブリテン ブログ プフィッツナー ヘルマン・プライ ヘルムート・ドイチュ ベルク ベートーヴェン ペーター・シュライアー ペーター・レーゼル ボドレール マティアス・ゲルネ マルコム・マーティノー マーク・パドモア マーティン・カッツ マーラー メシアン メゾソプラノ歌手 メンデルスゾーン メーリケ モーツァルト ヤナーチェク ヨーハン・ゼン ルチア・ポップ ルドルフ・ヤンセン ルードルフ・ドゥンケル レナード・ホカンソン レルシュタープ レーナウ レーヴェ ロシア歌曲 ロジャー・ヴィニョールズ ロッテ・レーマン ロバート・ホル ローベルト・フランツ ヴァルター・オルベルツ ヴァーグナー ヴェルディ ヴォルフ ヴォルフガング・ホルツマイア ヴォーン・ウィリアムズ 作曲家 作詞家 内藤明美 北欧歌曲 合唱曲 小林道夫 岡原慎也 岡田博美 平島誠也 指揮者 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 書籍・雑誌 歌曲投稿サイト「詩と音楽」 演奏家 白井光子 目次 研究者・評論家 藤村実穂子 音楽 R.シュトラウス