歌劇「魔弾の射手」やピアノ曲「舞踏への勧誘」などで知られるカール・マリーア・フォン・ヴェーバー(Carl Maria Friedrich Ernst von Weber:1786.11.18?, Eutin−1826.6.5, London)に歌曲があることを知ってはいたが、これまで特に注目することもないままだった。記憶にあるのは以前ラジオで聴いたオーラフ・ベーアの歌う「道ばたのばらを見た」ぐらいであろうか。シュライアーがギター伴奏で歌ったヴェーバー歌曲集のLPが出ていたような気もするが聴いたことはない。先日ヘルマン・プライのEMIへの歌曲録音を集めた3枚組の中古CDを入手したところ20曲ものヴェーバーの歌曲が含まれていたことから、少し腰を落ち着けてヴェーバー歌曲に目を向けることになった。
(1)Hermann Prey(BR)Leonard Hokanson(P):1977年9月5〜6日、Bürgerbräu, München録音(EMI CLASSICS)
時Op.13−5/私の歌Op.15−1/嘆きOp.15−2/何がお前の魅惑の環へ引き入れるのかOp.15−4/道ばたのばらを見たOp.15−5/彼が彼女にOp.15−6/私の色Op.23−1/恋の炎Op.25−1/野に嵐は吹きOp.30−2/歌曲集「恋人を失ったときの気分」Op.46(全4曲)(快活/重苦しく/恋に狂って/平静)/捕らわれた歌手たちOp.47−1/自由な歌手たちOp.47−2/私が小鳥ならばOp.54−6/おいらの恋人はかわいらしいOp.64−1/夕べの恵みOp.64−5/あなたを思うOp.66−3/望みとあきらめOp.66−6
(2)Tuula Nienstedt(A)Heinz Kruse(T)Ian Partridge(T)Max van Egmond(BR)Uwe Wegner(Pianoforte)Jan Goudswaard(Guitar)Edward Witsenburg(Harp):1976年2、3、5月、Doopsgezinde Kerk, Haarlem録音(SONY CLASSICAL)
嘆きOp.15−2(van Egmond ; Wegner)/何がお前の魅惑の環へ引き入れるのかOp.15−4(van Egmond ; Wegner)/小さなフリッツが若い友人たちに寄せてOp.15−3(van Egmond ; Wegner)/私の色Op.23−1(van Egmond ; Wegner)/ゾネットOp.23−4(van Egmond ; Wegner)/恋の炎Op.25−1(Kruse ; Goudswaard)/嵐と共に丘を越えてOp.25−2(Kruse ; Goudswaard)/私にまどろみをOp.25−3(Kruse ; Goudswaard)/乞食の歌Op.25−4(Kruse ; Goudswaard)/「3つのカンツォネッタ」〜ああどこへ行ったのOp.29−1(Partridge ; Goudswaard)/「3つのカンツォネッタ」〜快活なニンフOp.29−2(Partridge ; Goudswaard)/Du moins alors je la voyais(ロマンツェ)(van Egmond ; Wegner)/輪舞Op.30−5(van Egmond ; Wegner)/苦しみなのか、喜びなのかOp.30−6(van Egmond ; Wegner)/捕らわれた歌手たちOp.47−1(Kruse ; Wegner)/自由な歌手たちOp.47−2(Kruse ; Wegner)/かつて捕らえられた王が座っていた(ロマンツェ)(Kruse ; Goudswaard)/バラーデOp.47−3(van Egmond ; Witsenburg)/私の憧れOp.47−5(van Egmond ; Wegner)/クオドリベットOp.54−2(Nienstedt ; van Egmond ; Wegner)/老婦たちOp.54−5(van Egmond ; Goudswaard)/私が小鳥ならばOp.54−6(van Egmond ; Wegner)/泣くなOp.54−7(van Egmond ; Wegner)/五月の歌Op.64−2(Kruse ; van Egmond ; Wegner)/ひそやかな恋の痛みOp.64−3(Nienstedt ; Goudswaard)/博識Op.64−4(van Egmond ; Goudswaard)/妖精の歌Op.80−3(van Egmond ; Wegner)/ダンツィに(Kruse ; Goudswaard)
(3)Erna Berger(S)Lea Piltti(S)Elisabeth Schwarzkopf(S)Emmi Leisner(A)Rudolf Bockelmann(BR)Hans Hotter(BR)Hanns-Heinz Nissen(BR)Karl Schmitt-Walter(BR)Michael Raucheisen(P):1942〜1943年録音(DOCUMENTS)
時Op.13−5(Berger)/私の歌Op.15−1(Hotter)/嘆きOp.15−2(Hotter)/小さなフリッツが若い友人たちに寄せてOp.15−3(Bockelmann)/道ばたのばらを見たOp.15−5(Schmitt-Walter)/「3つのカンツォネッタ」〜快活なニンフOp.29−2(Berger)/「3つのカンツォネッタ」〜とてもあなたにはかなわないOp.29−3(Berger)/無邪気Op.30−3(Berger)/苦しみなのか、喜びなのかOp.30−6(Berger)/もしも私の恋人がOp.31−1(Piltti ; Schwarzkopf)/歌曲集「恋人を失ったときの気分」Op.46(全4曲)(快活/重苦しく/恋に狂って/平静)(Nissen)/捕らわれた歌手たちOp.47−1(Berger)/ひそやかな恋の痛みOp.64−3(Leisner)/谷間のすみれOp.66−1(Berger)/あなたを思うOp.66−3(Berger)/クロティルデの歌Op.80−1(Berger)
(4)Dietrich Fischer-Dieskau(BR)Hartmut Höll(P):1991年3月27〜28日、9月11日、Berlin録音(claves)
私の歌Op.15−1/嘆きOp.15−2/小さなフリッツが若い友人たちに寄せてOp.15−3/何がお前の魅惑の環へ引き入れるのかOp.15−4/道ばたのばらを見たOp.15−5/彼が彼女にOp.15−6/私の色Op.23−1/恋の炎Op.25−1/嵐と共に丘を越えてOp.25−2/野に嵐は吹きOp.30−2/愛の歌Op.30−4/輪舞Op.30−5/苦しみなのか、喜びなのかOp.30−6/私の憧れOp.47−5/私が小鳥ならばOp.54−6/おいらの恋人はかわいらしいOp.64−1/遠くからの愛の挨拶Op.64−6/いとしい人、僕の宝物Op.64−8/谷間のすみれOp.66−1/あなたを思うOp.66−3/セレナーデ“お聴き、静かにお聴き、恋人よ”/ロマンツェ“彼女はとても優雅だった”
(5)Peter Schreier(T)Konrad Ragossnig(GT):1988年8月3〜5日、Palais Kinsky, Wien録音(Novalis)
「3つのカンツォネッタ」〜ああどこへ行ったのOp.29−1/「3つのカンツォネッタ」〜快活なニンフOp.29−2/「3つのカンツォネッタ」〜とてもあなたにはかなわないOp.29−3/かつて捕らえられた王が座っていた(ロマンツェ)/時Op.13−5/子守歌Op.13−2
ヴェーバーは40年の短い生涯に少なくない数の歌曲を書いたが、三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」の旧版には80曲ほどの独唱歌曲が掲載されている。上述の2番目のCD解説書では128曲の歌曲が作られたとあり、さらにF=ディースカウのCD解説書には300曲あまりと記されているが、重唱曲や合唱曲もカウントしているのかもしれない。詩人の名前を見てもあまり著名な人は多くない。ブラームスの「マゲローネのロマンス」の3曲目と同じティークの詩に付けられたOp.30−6や、ベートーヴェン、シューベルトが"Andenken"というタイトルで作曲したマティソンの同じ詩に作曲されたOp.66−3ぐらいだろうか。劇作家コッツェブーの詩による作品や、メンデルスゾーンの歌曲でしばしば名前を目にするJ.H.フォスという詩人による作品がいくつかある。「道ばたのばらを見た」の詩人C.ミュヒラーはヴェーバーの友人とのことだ。それから特徴的なのが非常に民謡への付曲が多いこと。数曲が1つの作品番号のもとにまとまっているが(作曲年代は離れていることも多いが)、普通の詩人による作品と民謡詩への作曲がなんのためらいもなく共存しているのが面白い。プライのCDを聴くとヨーデルを模したメロディーが出てきて(「おいらの恋人はかわいらしいOp.64−1」)、「輪舞」では民族色豊かな踊りのリズムが聴かれる。(2)のCDは歌曲のCDと室内楽のCDの2枚組だが、室内楽編には「10曲のスコットランド民謡集」が含まれている。フルート、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの組み合わせだが、これはハイドン、ベートーヴェンなどでもお馴染みの民謡編曲で、ヴェーバーの専門家ならばこの中にヴェーバーの痕跡を見出すことが出来るのかもしれないが、私は純粋なスコットランド民謡として聴くことしか出来なかった(もちろん美しく魅力的な作品たちである)。歌は概して素直で素朴で知人たちの前で歌うサロン風な作風に思える。ピアノはいわゆる「伴奏」に徹していると言えるかもしれないが、凡庸に陥らないのはさすがである。時に単純な伴奏音型が強く訴えかけてくるほどである。ヴェーバーの歌曲で最も他の作曲家のものと異なるのがギター伴奏の歌曲がきわめて多いことである。シューベルトの歌曲などもピアノパートをギターに編曲して出版した例があるが、ヴェーバーの場合はオリジナルがギター伴奏のものが多いのが特徴的である。ぽつぽつとつまびかれるギターの響きが内輪向けのこれらの歌にどれほどマッチしているかは一聴すればすぐに感じられるだろう。歌曲集「恋人を失ったときの気分」Op.46という4曲からなる歌曲集が上述の(1)(3)で聴けるが、なかなか面白い。「時」「私の歌」「嘆き」「道ばたのばらを見た」「恋の炎」「あなたを思う」などがよく歌われる曲のようだ。
●主な曲の大意(曲名の後の括弧内は詩人名)
・時Op.13−5(J. L. Stoll):白い服をまとった「時」が墓の上に座り、数千年もの間歌い、泣き、微笑みながら時を編み続けてきたのだ。
・私の歌Op.15−1(W. von Löwenstein-Wertheim):わが歌、わが詩歌は一瞬に捧げられ、響きは時とともに消え去る。感じる心が生み出す歌の音色が人の心に伝わることこそ歌の使命なのだ。死の天使が私を墓に手招きしても、歌は永遠に響き続けよ。
・嘆きOp.15−2(C. Müchler):われらの人生は絶えざる闘いである。人生の価値は感じることにある。幸せの感覚は夢の姿であり、宙に漂うものだ。目標に到達しても、われらに誠意を見せるものは苦しみ以外の何もない。
・道ばたのばらを見たOp.15−5(C. Müchler):私は道ばたに咲いたばらを見た。あたりまでかぐわしい美しいばらを折ろうとして刺されてしまった。娘たちよ、君たちはこのばらみたいだ。美しさで私たちをそそりながら、つれない態度で私たちを苦しめるのだから。だが、その美しかったばらも日が暮れる前に日の光によって色あせてしまった。この教訓は難しくないから、私はこれ以上何も言わない。
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