ドーナト夫妻、ローレンツ&ガルベン/ヴォルフ「イタリア歌曲集」映像(1988年シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭)

フーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf)/「イタリア歌曲集(Italienisches Liederbuch)」全46曲(79分25秒)

録画:1988年、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭(Schleswig Holstein Musikfestival)

ヘレン・ドーナト(Helen Donath)(S)
ジークフリート・ローレンツ(Siegfried Lorenz)(Br)
クラウス・ドーナト(Klaus Donath)(P)
コルト・ガルベン(Cord Garben)(P)

珍しい動画を見つけたのでご紹介します。
ヴォルフの全46曲からなる「イタリア歌曲集」のライヴ映像です。
歌手はソプラノのヘレン・ドーナトとバリトンのジークフリート・ローレンツ。
ピアノはそれぞれクラウス・ドーナト(ヘレンの夫)、コルト・ガルベンです。
この4人いずれも歌曲を演奏している動画は珍しいのではないかと思います。
特にジークフリート・ローレンツはF=ディースカウ、プライ後のドイツを担うリート歌手として取り上げられていた時期もあり、歌曲演奏の実績もしっかりある名歌手なので、こうして歌唱姿を見ることが出来るのはとても貴重です。
ドーナト夫妻は数多くの歌曲の録音を残していて、歌曲演奏者としての実力は広く知られていますので、彼らの演奏動画もまた嬉しいです。
そしてDGのプロデューサーとして、ディースカウやミケランジェリと組みながら、歌曲ピアニストとしても第一線で活躍していたガルベンの演奏もまた、注目されます。
ガルベンは若かりしボニーやオッター、シュミットらを世に出すきっかけとなった録音を企画したり、レーヴェの全歌曲を録音したりと、歌曲演奏史において決して忘れることの出来ない存在です。

ここで演奏されているヴォルフの「イタリア歌曲集」はイタリア起源の詩にドイツ人のパウル・ハイゼが独訳した歌詞によるもので、男女の恋愛の駆け引きが絶妙な音楽で描かれています。
ここでの演奏のように男女の歌手がそれぞれ異なるピアニストと演奏することで、よりドラマティックな効果が期待できそうです。

ヘレン・ドーナトのオペラで培った表現力は映像で見るとより楽しみを増します。
持ち前の美声による巧みな語りかけは、これらのささやかな歌曲を歌ううえでとても魅力的です。
ご主人のピアノは、例えば普段大音量で盛り上げるような曲の最後の和音をあえて軽めに弾くことによって、これらが庶民のささやかなドラマであることを思い出させてくれます。

ローレンツは見た目もいかにも真面目なドイツ人という感じですが、その歌声の柔らかさと伸縮自在な表現の幅で、歌曲歌手としての非凡さをあらためて認識させてくれます。
そして、同じくドイツ人的なガルベンの堅実なピアノもテキストの機微を見事に描いています。

ぜひお楽しみ下さい!

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ローマン・トレーケル&松原友&多田羅迪夫&新日本フィル/ツィンマーマン作曲「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た」ほか(2014年7月19日 すみだトリフォニーホール)

新日本フィルハーモニー交響楽団
トリフォニー・シリーズ
第529回定期演奏会

2014年7月19日(土)14:00 すみだトリフォニーホール

ローマン・トレーケル(Roman Trekel)(バス)*
松原 友(Tomo Matsubara)(語り:第1の話者)*
多田羅迪夫(Michio Tatara)(語り:第2の話者)*
新日本フィルハーモニー交響楽団(New Japan Philharmonic)
インゴ・メッツマッハー(Ingo Metzmacher)(指揮)

ベートーヴェン(Beethoven: 1770-1827)/バレエ音楽『プロメテウスの創造物』op.43 序曲

ツィンマーマン(Bernd Alois Zimmermann: 1918-70)/わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た(Ich wandte mich und sah an alles Unrecht, das geschah unter der Sonne)(1970)(日本初演)*

~休憩~

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調『運命』op.67

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ローマン・トレーケルの歌唱を聴きに新日本フィルの定期演奏会に出かけた。
演目はオペラ「軍人たち」で知られるツィンマーマン作曲の「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た」という40分ほどの作品。
語り手2人とバス歌手を伴ったオーケストラ曲で、作曲者のツィンマーマンはこの作品を書き上げてほどなくピストル自殺をしたという。
テキストは旧約聖書の「伝道者の書」とドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「荒野の誘惑」や「大審問官」の章からとられているという。
第1の話者とバス歌手が伝道者ソロモンを、第2の話者がドストエフスキーからの抜粋を担当する。
二人の話者はテノールの松原 友とバスバリトンの多田羅迪夫が担当した。
2人の話者は2階のオルガン台の上に距離を置いて立ち(左が松原、右が多田羅)、途中で大の字になって飛び跳ねたり、手を床についてかがんだり、座ったり、足踏みをしたりもする。
視覚的には単純に面白いけれど、大の字になってどういう効果があるのかは私には分からなかった。
二人はドイツ語で単独に、もしくは他の語り手や歌手と同時に語るのだが、その言葉は明瞭で朗読のイントネーションも見事で、素晴らしかった。
最後に話者2人と指揮者がしゃがみこむ場面があるのだが、そこでの語りは日本語訳だった。
その日本語の語りとトレーケルのドイツ語がうまい具合にミックスされて、これは効果的だったと感じた。

そして肝心のトレーケルはまさに脂の乗り切った歌唱。
長身の体から発せられるオーラもあるが、その語り口のうまさやダイナミクスの自在さなど、旬の歌手を目の当たりにしているという感動があった。
「任意の母音および子音で。強弱、リズム、造形は自由」などという作曲家の指示にも全くの違和感なく演じきっていた。

エレキギターまで加わったオーケストラもドラマティックな迫力をもって演奏していて素晴らしかった。

「運命」交響曲は久しぶりに聴いたが、メッツマッハーはかなり早いテンポでめりはりをつけて快適に進める。
その片足を浮かしたりした踊るような指揮ぶりも印象的だが、胸のすくようなスピーディーな運命に気持ちが高揚させられた。
素晴らしい指揮者とオケの演奏であった。

冒頭に演奏された『プロメテウスの創造物』は5分ぐらいの愛らしい作品。

なお、この日はテレビマンユニオンの撮影が入っていて、一部ネット配信される予定とのことなので、楽しみにしたい。

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大沼徹&朴令鈴/おと と おと と vol.5「美しき水車小屋の娘」(2014年7月13日 sonorium)

おと と おと と vol.5
シューベルト歌曲集シリーズ 第2回
美しき水車小屋の娘

2014年7月13日(日)14:00 sonorium(自由席)

大沼 徹(おおぬま・とおる)(BR)
朴 令鈴(ぱく・りんりん)(P)

シューベルト/「美しき水車小屋の娘(Die schöne Müllerin)」
 1.遍歴の旅
 2.どこへ?
 3.止まれ!
 4.小川への感謝の言葉
 5.仕事じまいに
 6.知りたがり
 7.焦燥
 8.朝の挨拶
 9.粉屋の花
 10.涙の雨
 11.僕のもの!
 12.中断
 13.リュートの緑のリボンで
 14.猟師
 15.嫉妬とプライド
 16.好きな色
 17.嫌いな色
 18.萎れた花
 19.粉ひき職人と小川
 20.小川の子守歌

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「美しい水車小屋の娘」を聴きに、京王井の頭線の永福町から徒歩7分のところにあるsonoriumにはじめて出かけた。
私の家からは東京メトロ丸ノ内線の方南町からの方が行きやすいので、そちらから向かったのだが、進むべき道を間違え徒歩10分で行くはずのところを30分以上さまよってぎりぎり間に合った。
方南町の西改札を出て1番出口から地上に出たら、右の信号をマツモトキヨシ&ジョナサンのある道(方南通り)へ渡り、右折してずっと進み、大宮八幡の標識の交差点で左折し、商店街を進むと右側にある。
分かりにくい場所だったので、はじめて行く方は時間に余裕をもって行かれた方がいいと思う。

以前二期会の「ホフマン物語」で悪役4役を聴いたことのある大沼 徹が「水車屋」を歌うというので興味をもった。
どちらかというとオペラの人という印象が強いが、それゆえにどんなリートを聴かせてくれるのか楽しみだった。
ピアノの朴 令鈴さんは「おと と おと と」という歌曲シリーズを続けてこられたことは知っていたのだが、今回はじめて聴いた。

最初、朴 令鈴さんが登場して、挨拶と簡単な解説をしてから大沼 徹さんが登場して演奏が始まった。

大沼 徹は男性的な低い声の持ち主。
ドイツ語の発音は明晰で、さすがオペラで経験を積んだだけあって、顔の表情からちょっとした仕草まで若者になりきった歌唱だった。
ヴィブラートが思ったよりも薄く、時々声が生々しく聞こえる箇所もあったが、純朴で繊細な青年像が明確に伝わってきた。
声のボリュームはさすがで、小さなサロン風なこのホールを豊麗な声がいっぱいに満たした。
希望に満ちた前半から不安、落胆、怒りなどが交錯する後半まで、シューベルトの音楽を丁寧に生き生きと活気に満ちて再現しながら、そこに真実味があった。

朴 令鈴のピアノは楽曲を完全に自身のものにした安定した演奏。
有節歌曲における内容に応じた描き分けも見事だった。
ふたは全開で、響きは絶妙にコントロールされていた。
美しいタッチで共感をこめて演奏されていた。

それにしても「美しい水車小屋の娘」はあらためて魅力あふれる作品だと実感した。
朴さんはこの主人公を「中二病的」と表現したが、その繊細さゆえに、シューベルトが共感して、このような名作が生まれたのだから、この詩を書いたミュラーに感謝したい気持ちである。

このコンビでいずれ「白鳥の歌」も披露される予定とのこと。
そちらも楽しみにしたい。

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石崎秀和&石川裕司/石崎秀和バリトンリサイタル(2014年6月29日 JTアートホール アフィニス)

石崎秀和バリトンリサイタル
後期ロマン派のドイツ歌曲を中心として

2014年6月29日(日)14:00 JTアートホール アフィニス

石崎秀和(Hidekazu Ishizaki)(バリトン)
石川裕司(Yuji Ishikawa)(ピアノ)

マーラー(G.Mahler)作曲
いたずらっ子をおとなしくさせるために(Um schlimme Kinder artig zu machen)
自己感情(Selbstgefühl)
ラインの伝説(Rheinlegendchen)
追憶(Erinnerung)
高度な知性を讃えて(Lob des hohen Verstands)

プフィッツナー(H.Pfitzner)作曲
彼らは今晩パーティーを催している(Sie haben heut' Abend Gesellschaft)
春の空がそんなにも青いのは(Ist der Himmel darum im Lenz so blau?)
人里離れた深い森の中(In tiefen Wald)
君は漁師の子供たちの昔話を聞いたことがあるか(Hast du von den Fischerkindern das alte Märchen vernommen)
不実さと慰め(Untreu und Trost)

~休憩~

シュトラウス(R.Strauss)作曲
僕の思いの全ては(All mein' Gedanken)
何も(Nichts)
密やかな誘い(Heimliche Aufforderung)
ああ、俺はなんて不幸な男なんだ(Ach weh, mir unglückhaftem Mann)
君を愛す(Ich liebe dich)

コルンゴルト(E.W.Korngold)作曲
夏(Sommer)
5つの歌曲集(Fünf Lieder) 作品38
 Ⅰ 祝いの言葉(Glückwunsch)
 Ⅱ 病人(Kranke)
 Ⅲ 古いスペインの歌(Alt spanisch)
 Ⅳ 古いイギリスの歌(Alt englisch)
 Ⅴ 太陽のような輝きはないが(Kein Sonnenglanz)

~アンコール~
コルンゴルト/ドゥシュニッツ家のフォアグラ~結婚40周年を祝って~(Die Gansleber im Hause Duschnitz - Eine festliche Würdigung anlässlich des vierzigsten Hochzeitstages)

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歌曲のリサイタルを聴きにJTアートホール アフィニスへ出かけた。
このホールははじめて。
地下鉄溜池山王駅(私は南北線を利用した)から徒歩5分前後のJTのビルの中にある。
バリトンの石崎秀和とピアノの石川裕司を聴くのもはじめてだった。

プログラムはマーラー、プフィッツナー、シュトラウス、コルンゴルトといった後期ロマン派の歌曲が並んだ。
特にプフィッツナーやコルンゴルトの歌曲は実演ではなかなか聴くことが出来ないので、貴重な機会を楽しんだ。
コルンゴルトの歌曲はシュトラウスを素直にしたような感じで、とろとろな甘美さと親しみやすさが同居している。
いずれシュトラウスの歌曲と同様の人気を得るといいのだが。

石崎秀和はコミカルな持ち味をもったバリトンであった。
そういう意味で、マーラーの「いたずらっ子をおとなしくさせるために」「自己感情」「高度な知性を讃えて」、シュトラウスの「ああ、俺はなんて不幸な男なんだ」はその自然な身振りも含めてユーモラスな表情が楽しめた歌唱だった。
一方でマーラーの「追憶」などでは特に弱声につやや豊かさがあればさらに良かったと思われた。
しかし声を張った時の豊かな響きは素晴らしかった。
珍しい歌曲も含め、工夫されたプログラミングと真摯な歌唱は充分楽しめるものだった。

ピアノの石川裕司は安定したテクニックとさりげない表情づけのうまさがあり、好感をもって聴いた。

アンコールのコルンゴルトの歌曲はとても珍しい作品と思われるが、終演後のロビーに歌詞対訳が掲示されるという心遣いが有難かった。
詩の内容は、結婚40周年の祝辞を述べる中で、「またフォアグラが見たい」とユーモラスに催促するというもの。
こういう作品を掘り起こしてきた石崎氏の熱意が伝わる楽しい歌唱だった。
Ishizaki_ishikawa_20140629

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髙橋節子&田代和久&平島誠也/ドイツ歌曲の夕べ ~シューマンとブラームス~(2014年03月13日 日暮里サニーホール コンサートサロン)

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ドイツ歌曲の夕べ ~シューマンとブラームス~
Liederabend “Werke von Schumann und Brahms”

2014年03月13日(木)19:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全自由席)

髙橋節子(Setsuko TAKAHASHI)(ソプラノ)
田代和久(Kazuhisa TASHIRO)(パリトン)
平島誠也(Seiya HIRASHIMA)(ピアノ)

ブラームス(J.Brahms)/ドイツ民謡集より(Deutsche Volkslieder)
谷の底では(Da unten im Tale) WoO33-6(髙橋&田代)
どうしたら戸を開けて入れるのだ?(Wie komm ich denn zur Tür herein?) WoO33-34(髙橋&田代)
月が明るく照らなければ(Soll sich der Mond nicht heller scheinen) WoO33-35(1,3,4,5節)(髙橋&田代)
あるヴァイオリン弾き(Es wohnet ein Fiedler) WoO33-36(髙橋&田代)

ブラームス/ダウマーの詩による歌曲(Lieder nach Texten von Daumer)
便り(Botschaft)(田代)
私の女王様、あなたは何と(Wie bist du, meine Königin)(田代)
僕らはさまよい歩いた(Wir wandelten)(田代)
なまあたたかく大気は淀み(Unbewegte laue Luft)(田代)

シューマン(R.Schumann)/レーナウの6つの詩とレクイエム 作品90より(Sechs Gedichte von Nikolaus Lenau und Requiem Op.90)
私の薔薇(Meine Rose)(髙橋)
羊飼いの娘(Die Sennin)(髙橋)
孤独(Einsamkeit)(髙橋)
陰鬱な夕暮れ(Der schwere Abend)(髙橋)
レクイエム(Requiem)(髙橋)

~休憩~

シューマン/ゲーテのヴィルヘルムマイスターにもとづくリートと歌 作品98a(Lieder und Gesange aus "Wilhelm Meister" von Johann Wolfgang von Goethe Op.98a)
1.ご存知ですか、レモンの花が咲くあの国を(Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn)(髙橋)
2.竪琴弾きのバラード(Ballade des Harfners)(田代)
3.ただ憧れを知る人だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt)(髙橋)
4.涙と共にパンを食べたことのない者(Wie nie sein Brot mit Tränen aß)(田代)
5.語れと言わないで(Heiß mich nicht reden)(髙橋)
6.孤独に身を浸す者は(Wer sich der Einsamkeit ergibt)(田代)
7.悲しい調子で歌うのはやめて(Singet nicht in Trauertönen)(髙橋)
8.戸口にそっと歩み寄り(An die Türen will ich schleichen)(田代)
9.このままの姿でいさせてください(So laßt mich scheinen)(髙橋)

~アンコール~
シューマン/私はあなたを思う(Ich denke dein) Op.78-3(髙橋&田代)
ブラームス/静かな夜に(In stiller Nacht) WoO33-42(髙橋&田代)

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ソプラノの髙橋節子とバリトンの田代和久、そしてピアノの平島誠也による歌曲の夕べを聴くのは今回で2度目である。
いずれも安定した実力の持ち主だけあって、この日暮里の小さな空間がドイツロマン派の空気に染まったのだった。
男女の歌手が揃ってはじめて可能な選曲がここではなされていて、ブラームスの「ドイツ民謡集」の恋人同士のやりとりはまさにうってつけ。
一方でそれぞれの歌手の持ち味が生かされたソロ曲も披露され、田代さんはブラームスを、髙橋さんはシューマンを歌った。
ブラームスの4曲はいずれも有名な作品で、田代氏の充実した美声が遺憾なく発揮された。
一方のシューマンは名作との誉れ高い「レーナウの6つの詩とレクイエム」からの抜粋で、とりわけ「陰鬱な夕暮れ」は歌、ピアノともに極めて充実した演奏だった。

後半が意欲的な選曲で、シューマンがゲーテの「ヴィルヘルムマイスター」から選んで作曲した歌曲を出版した通りの順序で演奏するというものである。
これこそ名歌手2人が揃わないと実現できない企画であり、この選曲にブラヴォーである。
これまで竪琴弾きやミニョンのテキストによる歌曲で私が最初に思い浮かべるのはシューベルトやヴォルフによるもので、シューマンによるものではなかった。
だがこれらのシューマンの作品をじっくり聴いてみると、シューマンの心の闇が深く反映されているように感じられ、テキストに対するシューマンの感受性の豊かさを改めて思わずにはいられない。
この歌曲集、頭でっかちで、最初の2曲が長めで、その後はミニアチュールが続く。
だが、「このままの姿でいさせてください」で控えめに歌曲集を締めくくるなど、なんとも粋ではないか。
最後にクライマックスをもってくるだけがいいわけではないのである。
竪琴弾きの歌の中では「涙と共にパンを食べたことのない者」が非常にドラマティックで驚かされるが、他の2曲も感動的で、もっと演奏されてよいだろう。
シューベルトやヴォルフの「歌びと」と同じ歌詞の「竪琴弾きのバラード」をはじめ、他のどの作曲家にも増してピアノパートに「竪琴」の響きが頻出するのが興味深かった。

髙橋さんは声量が徐々に豊かさをもち、後半でその良さが最大に開花した。
ドイツ語の響きの美しさと、テキストの主人公になりきる歌唱は胸を打たれるものがあった。
田代さんはダンディでノーブルな声をもつ。
なんとも耳に心地よい声の質と表現力で聴き手を魅了した。
平島さんのピアノは、端正な中に歌手への深い気配りが感じられ、歌の呼吸に合わせて絶妙に伸縮するピアノは歌手にとって得難いものだろう。
後半のシューマンの演奏ではとりわけ魂がこもっていて、端正かつ美しく絡み合う響きで、シューマネスクな世界を形成していた。

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トム・クラウセ逝去(2013年12月6日没)

ヘルシンキ生まれのフィンランドのバスバリトン歌手、トム・クラウセ(Tom Krause)が亡くなった。
ソースはこちら

1934年7月5日生まれだから79歳である。
残念ながら私はクラウセの実演に接する機会はなかった。
そもそもクラウセは来日をしたことがあるのだろうか(東京文化会館のアーカイブではヒットしなかった)。
彼はオペラ歌手として世界中で活躍したが、私にとってクラウセはまずリート歌手である。

シベリウス歌曲全集をソプラノのセーダーストレームと分担してアーウィン・ゲイジのピアノで録音したのは大きな仕事だったが、私にとって印象に残っているのはヴォルフの「イタリア歌曲集」全曲の録音である(彼は多言語を操る才能に恵まれていたようだ)。
女声用歌曲はアーメリングが担当し、クラウセは男声用歌曲をゲイジと共に録音した(CBS/NONESUCH/Globe)。
クラウセの歌う「イタリア歌曲集」は、人のよい、ちょっと頼りないが嘘の付けない憎めない人物像である。
彼の声の質がそうであり、同じ曲をF=ディースカウやプライが歌った時とは異なるクラウセの描く性格描写がそこには刻まれていた。
托鉢僧の振りをして家の奥で大事に育てられている若い女の子をくどこうという曲"Geselle, woll'n wir uns in Kutten hüllen(相棒よ、おれたちゃ修道服でもまとって)"では、クラウセは決して世慣れたドン・ジョヴァンニではなく、優しい声音で警戒心を解いてしまうような人物像を表現していた。
その一見頼りなげなおっとりとした声にまんまとだまされる女性が続出しそうな、そんなクラウセの名演であった。

ご冥福をお祈りいたします。

シューマン「こよなく麗しい五月に」

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アドリアン・エレート&ユストゥス・ツァイエン/東京春祭 歌曲シリーズ vol.10(2013年3月28日 東京文化会館 小ホール)

東京春祭 歌曲シリーズ vol.10
アドリアン・エレート(バリトン)

2013年3月28日(木)19:00 東京文化会館 小ホール(B列20番)

アドリアン・エレート(Adrian Eröd)(Baritone)
ユストゥス・ツァイエン(Justus Zeyen)(Piano)

シューマン(Schumann)/《リーダークライス(Liederkreis)》op.24
 1. 私が朝起きると(Morgens steh' ich auf)
 2. 私はやるせない思いで(Es treibt mich hin)
 3. 私は木陰をさまよい(Ich wandelte unter den Bäumen)
 4. いとしい恋人、君の手を(Lieb Liebchen leg's Händchen)
 5. 私の悲しみの美しいゆりかご(Schöne Wiege meiner Leiden)
 6. 待て、たくましい船乗りよ(Warte, warte, wilder Schiffmann)
 7. 山々と城が見下している(Berg' und Burgen schaun herunter)
 8. 初めから、私はほとんど生きる気をなくして(Anfangs wollt' ich fast verzagen)
 9. ミルテとばらの花を持って(Mit Myrten und Rosen)

ブリテン(Britten)/《ヘルダーリンの6つの断章(6 Hölderlin-Fragmente)》op.61
 1. 人類の賛同(Menschenbeifall)
 2. 故郷(Die Heimat)
 3. ソクラテスとアルキビアデス(Sokrates und Alcibiades)
 4. 若者(Die Jugend)
 5. 人生のなかば(Hälfte des Lebens)
 6. 人生の輪郭(Die Linien des Lebens)

~休憩~

シューマン/2人の擲弾兵(Die beiden Grenadiere) op.49-1
シューマン/浜辺の夕暮れに(Abends am Strand) op.45-3

ワーグナー(Wagner)/夢(Träume)(《ヴェーゼンドンク歌曲集(Wesendonck-Lieder)》より)

デュティユー(Dutilleux: 1916-)/月の光のなかの妖精(Féerie au clair de lune)
デュティユー/檻(La geôle)

ワーグナー/すべてはつかの間の幻(Tout n'est qu'images fugitives)
ワーグナー/2人の擲弾兵(Les deux grenadiers)

~アンコール~
ブリテン/春が過ぎていく
シューマン/君は花のように
ワーグナー/夕星の歌(歌劇「タンホイザー」より」)

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バリトンのアドリアン・エレートのリサイタルを聴いた。
実は彼を聴くのは二度目。
2年前に新国立劇場の「コシ・ファン・トゥッテ」のグリエルモ役を天井桟敷で聴いていたのである。
その際着ているものを脱いで海パン一丁で池に入るシーンがあったのを覚えている。
オペラ歌手は歌以外にもいろいろさせられて大変なのである。

さて、今回のリサイタル、ピアノのユストゥス・ツァイエンを生で聴けるのも大きな楽しみであった。
ツァイエンといえばバリトンのクヴァストホフの名パートナーとしていい録音を残しているが、クヴァストホフが引退してしまった今、こうして別の歌手と共に来日してくれるのはうれしい。

上野のホールでのリサイタルはシューマンのハイネによる「リーダークライス」とブリテンの「ヘルダーリンによる断章」、そしてヴァーグナーやディティユーの歌曲など、通好みの渋い選曲である。

エレートの声はハイバリトンといってよいだろう。
爽やかで耳に馴染みやすい。
またドイツ語の発音も明晰で、必要以上にジェスチャーにたよらないのも好感がもてる。
つまり、オペラ歌手の余技などではなく、一人のリサイタリストによる立派な歌唱の数々だったのである。

ハイネのほろ苦く、時に辛辣な恋物語をシューマンのセンティメンタルな甘美さで彩った「リーダークライス」では、その律儀で真摯な姿勢が若々しさを感じさせてなかなかよい。
それでいて、言葉にこめる表情にちょっとした巧みさもあり、まさに今の彼にぴったりな選曲だったと感じた。

ブリテンの歌曲集はヘルダーリンのテキストの渋みゆえの難解さが緩和されていたのは、ブリテンの功績と同時に、演奏者二人の演奏によるところも大きいだろう。

休憩後はハイネの詩による「2人の擲弾兵」のシューマン、ヴァーグナーそれぞれの曲を最初と最後に置き、その間に珍しいディティユーの歌曲などを織り交ぜ、かなりこだわりの選曲である。
現代曲も珍しい作品もとっつきにくさのない爽快さで貫かれていたのは、エレートの歌曲歌手としてのセンスの良さゆえなのではないだろうか。

ピアノのユストゥス・ツァイエンは大柄な人だったが、その演奏はドイツ人らしいかちっとした響きがあり、それでいて細部への目配りも抜群である。
歌曲ピアニストの優れた中堅として、今後様々な歌手から重宝される存在になるのではないだろうか。
彼の演奏を今後もっと聴いてみたいと思った。

なお、この日の演奏もいずれBSで放映されるようで、楽しみに待ちたい。

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髙橋節子&田代和久&平島誠也/ヴォルフ「イタリア歌曲集」(2013年3月6日 日暮里サニーホール コンサートサロン)

ヴォルフ(Hugo Wolf)/イタリア歌曲集(Italienisches Liederbuch)

2013年3月6日(水)19:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全席自由)
髙橋 節子(Setsuko TAKAHASHI)(ソプラノ)
田代 和久(Kazuhisa TASHIRO)(バリトン)
平島 誠也(Seiya HIRASHIMA)(ピアノ)

第一巻
 1. 小さくてもうっとりさせるものがあるわ(S)
 2. 遠くへ旅立つと聞かされたの(S)
 3. 君は世にも稀なる美しさだ(Br)
 4. 祝福あらんことを、この世を創造された方に(Br)
 5. 目の見えないものは幸せである(Br)
 6. 一体誰があなたを呼んだの?(S)
 7. 月はやるせなき悲嘆にくれ(Br)
 8. もう、講和条約を結ぼう、最愛の人よ(Br)
 9. 君の魅力すべてが絵に描かれて(Br)
 10. あなたはたった一本の細い糸で私を捕まえて(S)
 11. どれほど長い間待ち望んでいたことでしょう(S)
 12. 駄目よ、お若い方、そんなことをしては本当に(S)
 13. 高慢ちきだな、別嬪さんよ(Br)
 14. 相棒よ、修道服にでもくるまってみるか(Br)
 15. 私の恋人はこんなに小さくてかわいいの(S)
 16. 戦場に向かわれるお若い方々(S)
 17. 君の恋人が身罷るのを見たいのならば(Br)
 18. ブロンドの頭を上げなさい、眠ってはいけないよ(Br)
 19. 私たちは二人とも長いこと押し黙っていた(S)
 20. 私の恋人が月明かりの注ぐ家の前で歌っているわ(S)
 21. あなたのお母さんが望んでいないらしいわね(S)
 22. 皆様方へセレナーデを持参いたしました(Br)

~休憩~

第二巻
 23. 君にどんな歌を歌ってあげたらいいのか(Br)
 24. もう固くなったパンを食べることはありません(S)
 25. 恋人が私を食事に招いてくれたの(S)
 26. 私が聞かされた噂によると(S)
 27. 疲れ切ってベッドに横たわったのに(Br)
 28. 公爵夫人じゃないだろうって、私に言うけど(S)
 29. 賤しからぬあなたの御身分はよく存じ上げております(S)
 30. 好きにさせておけ、お高くとまった女なんて(Br)
 31. 陽気になんてしていられるものですか(S)
 32. 一体何をそんなに怒っているの?大切な人(S)
 33. 僕が死んだら花で体を覆ってほしい(Br)
 34. 君が朝早くベッドから起きて(Br)
 35. 幸せなる母君に祝福を(Br)
 36. 愛する人、あなたが天に召されるとき(S)
 37. 君を愛しすぎて多くの時間を失ってしまった(Br)
 38. 君は僕をちらりと見てほほえむ(Br)
 39. 緑と緑色をまとう人に幸がありますように!(S)
 40. ああ、あなたの家がガラスのように透きとおっていたらいいのに(S)
 41. 昨夜僕は真夜中に起き上った(Br)
 42. 僕はもうこれ以上歌えない、だって風が(Br)
 43. ちょっと黙りなさい、そこの不愉快なお喋り男!(S)
 44. ああ、君はわかっているのか、君のためにどれほど(Br)
 45. 深淵が恋人の小屋を飲み込んでしまうがいい(S)
 46. 私、ペンナに住んでる恋人がいるの(S)

~アンコール~
ヴォルフ/「イタリア歌曲集」より~幸せなる母君に祝福を(S & Br)

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ヴォルフの「イタリア歌曲集」はイタリアの男女の恋唄をパウル・ハイゼが独訳したものをテキストにしている。
従って、「イタリア」と銘打っていても「ドイツ」の香りの漂う作品群である。
各曲は1~2分のものがほとんどで、全46曲演奏しても80分弱ほど。
男女の恋をテーマにしているだけあって、惚れたはれただけで済むはずはなく、恋の駆け引きや、激しい痴話げんか、修羅場も登場する。
それらが短い各曲にぎゅっと濃縮されているだけあって、各曲のインパクトは強い。
それらをドイツものに定評のある演奏者たちが演奏するのだから、これは楽しい一夜となった。
とはいえバリトンの田代和久氏を聴くのは私の記憶ではこれが初めて。
ソプラノの髙橋さんと同じ古楽集団に属しているそうだが、実際に聴いてみて、むらのないスタイリッシュな歌唱は確かに古楽で力を発揮していると思わせるものがあった。
だが、それ以上に田代さんの強みは声そのものの美しさだろう。
なんともノーブルで甘美な美声が聴く者を酔わす。
「イタリア歌曲集」にはまさにうってつけの声と歌であった。
ステージ上では歌手たちのための椅子が右端に置かれ、歌う方は中央に立ち、もう一人は椅子に座る。
従って、オペラのような二人の駆け引きがステージ上で見られるわけではないのだが、音楽だけですでに立派な駆け引きになっているのだから、無理して演技することもないだろう。
田代さんの歌唱では「ブロンドの頭を上げなさい、眠ってはいけないよ」や33~35曲目のゆるやかなタイプの曲が出色の出来だった。
一方の髙橋さんはドイツリートの優れた歌手として、すでに何度もその名演に接してきたが、今回はかなり曲に合わせて感情の起伏を大きくとった歌唱が見事だった。
「私の恋人が月明かりの注ぐ家の前で歌っているわ」での会いたいけれど会えない複雑な心境の表現など素晴らしいものだった。
そして、女版ドン・ジョヴァンニともいえる終曲「私、ペンナに住んでる恋人がいるの」では高々と歌いあげ、締めには高笑いまで響かせて、人物になりきった素晴らしい歌唱だった。
そして、この46もの難曲を一人で演奏したピアノの平島誠也氏はいつにも増して張り切っていた(ように感じた)。
大変な思いをしつつもご本人も楽しんで弾いているようにすら感じられたのである。
下手っぴなヴァイオリニストを描写する「どれほど長い間待ち望んでいたことでしょう」では、カチカチに固まったトリルを聴かせる前に、充分な「間」をとって、聴き手をさらにじらす。
そこに平島さんのほくそ笑みが感じられたのである。
どの曲でも安定した技術の裏付けがあるからこそ、ヴォルフの万華鏡のような各曲の感情をこまやかに描き出すことが可能なのだろう。

今回はヴォルフの出版したとおりの順序で演奏され、それももちろん自然な流れになるようになっているので、何の問題もないが、次には、さらに順序を入れ替えた版でもこの3人の演奏を聴いてみたい気がする。
その際にはどのような流れにするかで、演奏者の恋愛観までうかがえるかもしれないのである。

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大塚恵美子&坂下忠弘Joint Concert~Dalton Baldwin氏を迎えて~(2012年11月15日 ルーテル市ヶ谷センターホール)

大塚恵美子&坂下忠弘Joint Concert~Dalton Baldwin氏を迎えて~
2012年11月15日(木)18:30 ルーテル市ヶ谷センターホール(全自由席)

大塚恵美子(Emiko Otsuka)(ソプラノ)
坂下忠弘(Tadahiro Sakashita)(バリトン)
ダルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)(ピアノ)

~フォーレとシューマンの夕べ~

シューマン(R.Schumann)作曲(大塚&ボールドウィン)
献呈(Widmung)作品25-1
くるみの木(Der Nußbaum)作品25-3
わたしのばら(Meine Rose)作品90-2
レクイエム(Requiem)作品90-7

フォーレ(G.Fauré)作曲(坂下&ボールドウィン)
夜明け(Aurore)
ひめごと(Le secret)
流れのほとりにて(Au bord l'eau)
漁夫の歌(La chanson de pêcheur)

シューマン(R.Schumann)作曲(大塚&ボールドウィン)
夕暮れの歌(Abendlied)作品107-6
月の夜(Mondnacht)作品39-5
羊飼いの別れ(Des Sennen Abschied)作品79-23
もう春だ(Er ist's)作品79-24

フォーレ(G.Fauré)作曲(坂下&ボールドウィン)
月の光(Clair de lune)
ひそやかに(En sourdine)
憂うつ(Spleen)
マンドリン(Mandoline)

シューマン(R.Schumann)作曲(大塚&ボールドウィン)
ミニョンの歌(4 Mignon Lieder)
語らずともよい(Heiss mich nicht reden)作品98a-5
ただ憧れを知る者だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt)作品98a-3
もうしばらくこのままの姿でいさせてください(So lasst mich scheinen)作品98a-9
ご存知ですか、レモンの花の咲く国を(Kennst du das Land)作品98a-1(作品79-29)

シューマン(R.Schumann)作曲(大塚&坂下&ボールドウィン)
夜に(In der Nacht)作品74-4

フォーレ(G.Fauré)作曲(坂下&ボールドウィン)
夕暮れ(Soir)
アルペジオ(Arpège)
ゆりかご(Les berceaux)
いつの日も(Toujours)

フォーレ(G.Fauré)作曲(大塚&坂下&ボールドウィン)
金の涙(Pleurs d'or)

~アンコール~
フォーレ/金の涙(Pleurs d'or)(大塚&坂下&ボールドウィン)

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歌曲ピアニストの名手として著名なダルトン・ボールドウィンが今年も秋に来日して、数人の日本人歌手たちと演奏会を開いた。
現在80歳のピアニストのここ数年の演奏を聴いた者としては、今年はパスした方がいいのだろうかなどと迷いもしたが、結局聴いてよかったと思うことが出来た。

数年ぶりに出掛けたルーテル市ヶ谷センターホールは、東京メトロ「市ヶ谷」駅5番出口から1、2分という便利な場所にある。

ソプラノの大塚恵美子がシューマンの独唱曲、バリトンの坂下忠弘がフォーレの独唱曲、そして各作曲家の二重唱曲を1曲ずつ2人で歌うという構成であった。
ソプラノとバリトンが数曲ずつ交互に歌っては袖に下がり、ボールドウィンは交替の間もピアノの前に座って次の歌手を待つという形で進められた。

楽譜を見ながらピアノの蓋を開けて演奏したボールドウィンは、今宵も確かにミスは散見された。
ペダルで響かせた和音が濁っていることも少なくない。
ただ、興味深いのが、どれほど行方不明になりそうになりながらも、演奏が決して止まらないのである。
年齢からくる記憶力の衰えはあるにしても、止まってもう一度やり直すということには全くならなかった。
それは長年舞台で積み重ねてきた様々な対処法が今も役立っているということではないだろうか。

「危なっかしい演奏は受け付けない」という人には現在のボールドウィンの実演はお勧めできないが、それを脇に置いて、彼の音楽そのものを聴いていると、ますます自在にピアノで歌って、今だからこそ聴ける豊かな音楽が確実にここにはあった。
歌とピアノが対決しているわけでもないのだが、いい意味で歌に遠慮がないのである。
もちろん配慮はいたるところに感じられるが、「控え目」という言葉は今のボールドウィンには当てはまらない。
歌とピアノが対等に二重唱を奏でているのである。
今宵のボールドウィンの演奏が聴けてこれほどうれしく感じたのはきっと私だけではないだろう。
技に頼れなくなった時に、音楽性でどれだけ聴衆を魅了できるかというのは多くの演奏家にとって切実な問題ではないだろうか。
そうした時にボールドウィンの演奏は、一つのヒントを与えてくれるのではないだろうか。

なお、若手歌手のお2人は、この日はじめて聴いたが、どちらも豊かな才能をもった人たちであった。

ソプラノの大塚恵美子はとても澄んだ美しい声をしていた。
最初のうちこそ若干固さも感じられたが、徐々にシューマンの世界を素直にのびのびと表現して、気持ちよい歌を聴かせてくれた。

バリトンの坂下忠弘は、ノーブルでどこまでも安定した豊かな響きをもち、時折スゼーを思わせるほどであった。
スゼーのよきパートナーであったボールドウィンが「フォーレを歌うための声を持って生まれてきた」と坂下氏を称賛したというのもうなずけるほど素晴らしい逸材と感じた。
フランス語の響きもとても美しく、今後の歌曲における活躍を大いに期待したい。

若い歌手の発掘という意味でもボールドウィンの毎年秋の来日はやはり意義深いことだと感じた。

なお全プログラムが休憩なしで演奏され、1時間半ぐらいのコンサートであった。

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ローマン・トレーケル&原田英代/リートの夕べ(2012年10月23日 浜離宮朝日ホール)

原田英代連続演奏会シリーズ<作曲家の絆>vol.2
ローマン・トレーケル&原田英代 リートの夕べ

2012年10月23日(火)19:00 浜離宮朝日ホール(1階4列7番)

ローマン・トレーケル(Roman Trekel)(Baritone)
原田英代(Hideyo Harada)(Piano)
シューベルト(Schubert)作曲
音楽に寄す D547
夜曲 D672
タルタロスからの群れ D583
私からの挨拶を D741
さすらい人が月に寄せて D870
ミューズの息子 D764

ブラームス(Brahms)作曲
五月の夜 op.43-2
愛の歌 op.71-5
永遠の愛について op.43-1
眠りの精(砂の小人)
そよがぬなま暖かい空気 op.57-8
昔の恋 op.72-1
わが女王よ、なんと君は op.32-9
セレナード<月は山の上に> op.106-1

~休憩~

シューマン(Schumann)作曲
「詩人の恋」op.48

~アンコール~
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/歌の翼に
シューベルト(Schubert)/セレナーデ

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(感想を書かないまま放置してあったので、ここまででアップすることにします。
歌、ピアノともにとても生き生きとして雰囲気のある素晴らしい演奏でした!)

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