クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース/〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第16篇(2015年5月13日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第16篇
クリストフ・プレガルディエン(テノール)

2015年5月13日(水)19:00 トッパンホール

クリストフ・プレガルディエン(Christoph PRÉGARDIEN)(テノール)
ミヒャエル・ゲース(Michael GEES)(ピアノ)

マーラー(Mahler)/さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)
 第1曲 いとしいひとがお嫁に行く日は(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
 第2曲 今朝ぼくは野原を歩んだ(Ging heut morgen übers Feld)
 第3曲 ぼくは燃える剣をもっている(Ich hab' ein glühend Messer)
 第4曲 いとしいあの子のつぶらな瞳が(Die zwei blauen Augen von meinem Schatz)

ヴィルヘルム・キルマイヤー(Wilhelm Killmayer: 1927-)/ヘルダーリンの詩による歌曲集 第2巻より(Lieder aus Hölderlin-Lieder II)
 やさしい青空に(In lieblicher Bläue)
 人間(Der Mensch)
 あたかも雲を(Wie Wolken)
 ギリシア(Griechenland)

~休憩~

マーラー/《子供の魔法の角笛》より(Aus "Des Knaben Wunderhorn")
 この歌をつくったのはだれ?(Wer hat das Liedlein erdacht?)
 高い知性への賛美(Lob des hohen Verstandes)
 ラインの伝説(Rheinlegendchen)
 原光(Urlicht)
 トランペットが美しく鳴りひびくところ(Wo die schönen Trompeten blasen)
 死んだ鼓手(Revelge)

~アンコール~
マーラー/《5つのリュッケルトの詩による歌》より 私はこの世に捨てられて(Ich bin der Welt abhanden gekommen)

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クリストフ・プレガルディエンとミヒャエル・ゲースによるドイツリートのコンサートがトッパンホールで2夜にわたって行われた。
その1日目を聴いた。
本当は2日目のゲーテ歌曲集も聴きたかったが、残念ながらそちらは見送り。
空席の多さに驚いたが、演奏は真に感動的だった。

1日目のプログラムはマーラー歌曲を中心に、途中に1927年ミュンヒェン生まれというキルマイアーという作曲家のヘルダーリン歌曲集(全3巻)から第2巻最後の4曲が歌われた。

キルマイヤーの歌曲は、最初の「やさしい青空に」が長大なテキストによる規模の大き目な作品である以外は、どれもコンパクトな作品だった。
現代音楽の尖鋭性はここにはほとんどなく、後期ロマン派リートの伝統に位置付けてもおかしくないような曲調だったように感じられる。
ヘルダーリンのテキストによっていることもあってか、どこか深淵なところがあったようにも感じられる。
最初の3つの曲はいずれもピアノ後奏が長めだったのが印象的だった。

プレガルディエンの声は絶好調だった。
前から5列目ぐらいで聴くと、彼の声は確かにテノールなのだなぁと感じられる。
清澄で美しい声は健在で、高音に年齢から来るのであろう若干の苦しい箇所もあったものの、それすらも表現の一部に取り込んでしまう。
もはや細かい箇所をあれこれ論じることが無意味に感じられるほど、一貫して充実した音楽が響き渡った。
その語り口の素晴らしさと、各曲の空気を一瞬にして作り上げる表現は至芸と言っていいだろう。
マーラーの「さすらう若人の歌」では彼の歌唱がまだまだ十分に若者になりきって苦悩を表現していたのが素晴らしかった。
「子供の魔法の角笛」のコミカルかつシニカルな表現をかなり大胆に表現していたのも印象的だった。

ピアノのゲースは相変わらずの濃い演奏であった。
かつて彼の演奏をはじめて聞いた時は鼻白んだものだったが、こうして繰り返し彼の演奏に接していると、ドラマを強烈に強調した彼の音楽づくりはプレガルディエンの歌唱と不思議なほど相性がよいようなのだ。
そこに演奏姿勢の違いからくる居心地の悪さがないのである。
ゲースが蓋全開のピアノから大粒の音を鳴らしても、それがプレガルディエンの表現の一部として確かに絶妙なバランスを保っている。
長年のパートナーだからこそ得られた境地なのかもしれない。

生演奏ならではのハプニングもあった。
プレガルディエンは「ラインの伝説」の確か2節目後半の箇所で突然歌詞を忘れたのか、黙ってしまったのである。
すると、すかさずゲースがかなりのボリュームで歌詞を唱え、助け舟を出したのであった。
ピアノ伴奏者のエピソードとしてよく出てくる類の話だが、実際にこのような場面に出くわしたのは珍しいことである。
ピアノが奏でられている中でそっと気づかれないように歌詞をささやくだけでは、歌手には聞きとれないだろう。
ゲースは楽譜を見ながら弾いていたのは確かだが、あの咄嗟のサポートはおそらく歌詞を暗記していなければ出来なかったのではないか。
そういう意味で私は歌曲ピアニストとしてのゲースにちょっと尊敬の念を抱いたのであった。

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フランシスコ・アライサ&ジャン・ルメール/「冬の旅」「詩人の恋」DVD発売

テノールのフランシスコ・アライサ(Francisco Araiza)とピアニストのジャン・ルメール(Jean Lemaire)が共演したシューベルトの「冬の旅」とシューマンの「詩人の恋」の映像がDVDで発売されました。
海外盤なのですが国内再生可能です。
1993年ごろの録画と思われます(正式な収録日は記載されていませんでした)。
私も先日取り寄せたのですが、まだ見ていませんので、後ほど感想を追記したいと思います。
ご興味のある方はAmazonなどで購入可能です。

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伴奏者フーベルト・ギーゼンを動画で見る

早世した名テノール、フリッツ・ヴンダーリヒが歌曲の録音を残した時、そのピアノ伴奏をつとめたのは多くの場合、フーベルト・ギーゼン(Hubert Giesen)でした。
ジェラルド・ムーアより1歳年長のこのピアニストは往年のヴァイオリニスト、メニューヒンなどとも共演していました。
ヴンダーリヒにギーゼンを勧めたのは親友プライだったそうですが、そのギーゼンの動画を見つけたのでご紹介します。

歌っているのはヴンダーリヒではなく、ヴォルフガング・ヴィントガッセン(Wolfgang Windgassen)。
歌はシュトラウスの名曲「たそがれを通る夢(Traum durch die Dämmerung)」です。

ギーゼンの話し声も聞けて、レアな動画だと思います。
ギーゼンのタッチも確認できます。
もちろんヴィントガッセンの味わい深い歌唱も素晴らしいです。
往年の演奏家たちの実際に演奏する姿が見られるのは有難いことです。

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望月哲也&河原忠之/Wanderer Vol.5~世紀末以後のウィーンに寄せて~(2014年3月6日 王子ホール)

望月哲也 Wanderer Vol.5 ~世紀末以後のウィーンに寄せて~

Mochizuki_wanderer_vol5


2014年3月6日(木)19:00 王子ホール

望月哲也(Tetsuya Mochizuki)(Tenor)
河原忠之(Tadayuki Kawahara)(Piano)

マーラー(Gustav Mahler: 1860-1911)/若き日の歌(Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit)より
 春の朝(Frühlingsmorgen)
 思い出(Erinnerung)
 セレナーデ(Serenade)
 自尊心(または《うぬぼれ》)(Selbstgefühl)

ツェムリンスキー(Alexander von Zemlinsky: 1871-1942)/歌曲集第1集Op.2より(Aus "Lieder" Heft 1, Op. 2)
 聖なる夜(Heilige Nacht)
 夜のささやき(Geflüster der Nacht)
 真夜中に(Um Mitternacht)
 街のはずれで(Vor der Stadt)

シェーンベルク(Arnold Schönberg: 1874-1951)/4つの歌曲(Vier Lieder)Op.2
 期待(Erwartung)
 あなたの金の櫛を私に(Schenk mir deinen goldenen Kamm)
 森の太陽(Waldsonne)
 高揚(Erhebung)

~休憩(Intermission)~

ヨーゼフ・マルクス(Joseph Marx: 1882-1964)/
 5月の花(Maienblüten)
 マリアの歌(Marienlied)
 愛はあなたに触れる(Hat dich die Liebe berührt)      

ベルク(Alban Berg: 1885-1935)/初期の7つの歌(Sieben Frühe Lieder)
 夜(Nacht)
 葦の歌(Schilflied)
 夜鳴きうぐいす(Die Nachtigall)
 夢にみた栄光(Traumgekrönt)
 部屋で(Im Zimmer)
 愛の讃歌(Liebesode)
 夏の日(Sommertage)

コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold: 1897-1957)/12の歌Op.5より(Aus "Zwölf Lieder" Op. 5)
 少女(Das Mädchen)
 夕べの風景(Abendlandschaft)
 山より(Vom Berge)
 森の孤独(Waldeinsamkeit)
 歌う気持ち(Sangesmut)

~アンコール~
山田耕筰(Kosaku Yamada)/からたちの花(Karatachi no hana)
山田耕筰/鐘がなります(Kane ga narimasu)
R.シュトラウス(Richard Strauss)/献呈(Zueignung)

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テノールの望月哲也が毎年王子ホールで開いているリサイタルシリーズ"Wanderer"の5回目を聴いた。
オペラの舞台で聴く機会の多い望月だが、久しぶりのドイツリートのリサイタルを楽しんできた。
ピアノはこのシリーズでお馴染みの河原忠之で、彼の演奏もまた聴きものだった。

今回は配布プログラムの歌手自身の言葉を借りるならば「世紀末という激動の時代に、お互い刺激し合って創作活動を行っていた作曲家たちの初期の歌曲作品」を取り上げたとのこと。
マーラーに始まり、ツェムリンスキー、シェーンベルク、マルクス、ベルク、コルンゴルトと様々な大家たちの名前が並ぶが、彼らの何人かに特徴的な無調音楽になる前のまだロマン派の流れを汲んでいた時期の作品なだけに聴きやすい。

望月哲也の声は相変わらず爽やかで美しい。
この爽快な声質は持って生まれたものであろうから、歌手一人だけでなく、聴き手にとっての財産でもあり、大事に育み、維持していっていただけたら嬉しい。
彼の活動の大半はおそらくオペラであろうから、リートを余技に思う方もいるかもしれないが、この日聴いた彼の歌唱は一人の立派なリート歌手による演奏であった。
もちろんマーラーの「自尊心」のように、自分がどうなってしまったか分からない主人公に対して診察する医者のセリフの歌い方やさりげない仕草などの巧みさはオペラでの経験が大きく影響しているのは間違いないだろう。
だが、これらの必ずしも馴染み深いとは言い難い作品全曲をすべて暗譜で完全に自分のものにしてしまうのは、リートを本格的に歌うという覚悟なしには難しいだろう。
舞台姿の絵になる様はさすがオペラ界のスターだけのことはあるが、テキストへの細やかな配慮や、どの音も手を抜かずしっかり歌いきる姿勢は素晴らしいと思う。
彼は奇をてらったことはせず、どの作品へもまっすぐに向かう。
ただやみくもに歌いあげるのではなく、抑制した表情や細やかな配慮も聴かせてくれた。
それが後期ロマン派の流れを汲んだやや素朴でロマンティックな作品群にはよく合っていた。
最初のマーラー「春の朝」のういういしさも「思い出」の切なさも「セレナーデ」の素朴さも「自尊心」のユーモアも、優れたリートの演奏を聴いているという実感があった。
馴染みの薄いツェムリンスキーの4曲では、最後に楽師の軽快な音楽が盛り上がる「街のはずれで」という楽曲で締めくくるのがプログラミングのうまさをも感じさせてくれた。
そしてシェーンベルクのOp.2の4つの歌曲はミステリアスで濃密な表情が望月の清澄な声で歌われるギャップも楽しめた。

後半はマルクスの3曲ではじまったが、望月氏が「カンツォーネ」に例えたように、マルクスの作品は分かりやすく、聴きやすく、それゆえ聴き手の琴線にすぐに触れる可能性を秘めていると思う。
それにもかかわらず知名度が低いのが残念ではあるが、今回取り上げられた3曲の中で私も唯一知っていた「愛はあなたに触れる」はずっしりと響く充実したピアノパートと共に歌が情熱的に歌いあげるタイプの作品で、望月の歌唱も見事に決まっていた。
アルバン・ベルクの「初期の7つの歌」は7曲まとめてでも抜粋でもよく歌われる作品ではあるが、本来ソプラノの為の作品の為、テノールで歌われるのは珍しいとのこと。
しかし、詩の内容から言えば、どの声種の人にも門戸は開かれているようにも思える。
望月氏は特に第3、4曲がお気に入りとのこと。
だが、実際の演奏はすべての曲が望月氏の端正な歌唱で感動的に表現されていた。
最後のコルンゴルトの作品は(プログラムには書かれていなかったが)すべてアイヒェンドルフの詩によるもの。
望月氏も指摘しているように「非常に耳触りのいい音楽」が並び、特に「少女」や「歌う気持ち」はもう一度聴いてみたいと思わせる魅力を感じた。

ピアノの河原忠之は多くの歌手たちから共演を求められる売れっ子ピアニストである。
そして、この日の演奏でも彼の“音を慈しむ”ような姿勢は一貫して感じられ、それは指が鍵盤を離れた後もしばしば感じられたのであった。
決してけばけばしい音は出さず、曲にふさわしい芯のある温かい音色を作り出そうとしているところに彼の美質があるのではないだろうか。
それは例えばシェーンベルクの「期待」のようなひんやりとした冷たさ(アーウィン・ゲイジはかつてマスタークラスで「オカルト映画のよう」と言っていた)が持ち味の作品であっても、どこか河原氏の温もりの余韻のようなものが残って感じられたのである。

アンコールの前にお二人からのコメントがあり、来年の"Wanderer"シリーズでは日本歌曲を取り上げるとのこと。
その早めのお披露目が2曲演奏された。
望月氏の歌う日本歌曲というのも案外貴重かもしれない。
そして大好きだというR.シュトラウスの「献呈」を歌、ピアノ共に情熱的に演奏してお開きとなった。

プログラミングといい、歌といい、ピアノといい、大変充実したいい時間を過ごすことが出来た。
望むらくは、望月氏が1年に1度と言わず、さらにリートを歌う機会を増やしてくれたらうれしいのだが、彼の多忙さがそれを許さないのだろう。

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クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース/〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~第12篇(2014年2月20日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~第12篇
クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース
別れ、そして旅立ち(Lieder von Abschied und Reise)

2014年2月20日(木)19:00 トッパンホール

クリストフ・プレガルディエン(Christoph Prégardien)(tenor)
ミヒャエル・ゲース(Michael Gees)(piano)

シューベルト(Franz Schubert)作曲

逢瀬と別れ(Willkommen und Abschied) D767
星(Die Sterne) D939
夜曲(Nachtstück) D672
弔いの鐘(Das Zügenglöcklein) D871
さすらい人(Der Wanderer) D489
さすらい人の夜の歌Ⅰ(Wandrers Nachtlied I) D224
ヴィルデマンの丘で(Über Wildemann) D884
亡霊の踊り(Der Geistertanz) D116
魔王(Erlkönig) D328
さすらい人の夜の歌Ⅱ(Wandrers Nachtlied II) D768
あこがれ(Sehnsucht) D879
ミューズの子(Der Musensohn) D764

~休憩~

ブルックの丘で(Auf der Bruck) D853
夕映えの中で(Im Abendrot) D799
憩いない愛(Rastlose Liebe) D138
囚われの狩人の歌(Lied des gefangenen Jägers) D843
竪琴弾きの歌より〈わたしは家の戸口にそっとしのび寄っては〉(Aus "Gesänge des Harfners" 'An die Türen will ich schleichen') D479
さすらい人(Der Wanderer) D649
さすらい人が月に寄せて(Der Wanderer an den Mond) D870
独り住まいの男(Der Einsame) D800
舟人(Der Schiffer) D536
御者クロノスに(An Schwager Kronos) D369
白鳥の歌 D957より〈影法師〉(Aus "Schwanengesang" D957 Nr.13 'Der Doppelgänger')
夜と夢(Nacht und Träume) D827

~アンコール~
シューベルト/白鳥の歌 D957より〈鳩の使い〉
シューベルト/冬の旅 D911より〈菩提樹〉
シューベルト/冬の旅 D911より〈春の夢〉

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テノールのクリストフ・プレガルディエン(メッセージビデオでは自分の名前をプレガルディ"ア"ンと発音していた)とピアニストのミヒャエル・ゲースによる「別れ、そして旅立ち」と題されたオール・シューベルト・プログラムをトッパンホールで聴いた。
プログラムは有名曲も無名曲もみな優れた作品が選曲されており、私の大好物ばかりである。
今回のプログラム、実はこのコンビで全く同じ順序でCD録音されている。
私も持っているが、すぐに見つけ出すことが出来ないので、出てきたら聴いてみたい。

今回は前半12曲、休憩をはさみ、後半12曲それぞれをあたかも一つのチクルスのように続けて演奏した。
お客さんもそのあたりは承知していて、「魔王」の後で若干拍手が起きた以外は最後まで拍手をおさえていた。
動と静の巧みな配置で聴き手をとらえて離さなかった。

プレガルディエンの声はますます円熟期の深みを増しているようだ。
表情の濃淡の付け方が実に自然で細やか、それにドイツ語の発音のキレのよさは母国語でない私が聞いても美しさを感じずにはいられない。
彼がエヴァンゲリストを得意としたことと、彼の語りの巧みさは無関係ではないだろう。
時に前後に動いたり、最低限の身振りを加えたりして、演劇的な効果も加わっていた。
また当時の風習に則って、時に旋律に装飾を加えたりもしていたが(「夕映えの中で」等)、それはかなり限定して使っているようだった。
端正でさわやかな美声は相変わらずで、その声でシューベルトの歌で何が起きているのか、どういう状況なのかを分かりやすく語るように歌う。
それはもはや至芸と言ってよいように思えた。
まれに声が裏返ることを除けば衰えはほとんど感じられず、むしろ彼の描き出す世界がどこまで深化するのか、その充実ぶりに胸の高まる思いで聴き入った。

真面目な印象のプレガルディエンだが、「独り住まいの男」ではゲースと共にライヴならではのユーモラスな仕掛けを披露した。
こおろぎの鳴き声の聞こえる夜中の暖炉の前で一人くつろぐ男性の至福の時を歌った作品だが、いとしい人の姿を思い浮かべてゆっくり憩おうと歌う第4節で徐々にスピードが遅くなり、その後の間奏では止まりそうになり、ついにはプレガルディエンはいびきをかき始めたのである。
こういうちょっとした仕掛けは聴衆との信頼関係が成り立っていてはじめて成功するのだろう。
そういう意味でトッパンホールの聴衆とはよい関係が築けているようだ。

ピアノのミヒャエル・ゲースは、以前は正直私の好みの演奏ではなかった。
ところが好みというのは変わるもので、今回はとても楽しむことが出来た。
ゲースは後ろに束ねた髪といい、鼻眼鏡といい、独自の風貌をもった人だ。
ひょうひょうとしていて何かマジックでも始めそうな雰囲気すら漂う。
そして、その演奏もまたユニークなのである。
彼は歌曲の専門伴奏家の伝統的な表現をとらない。
かといってソロピアニストのようにテクニックの巧みさを前面に押し出したりもしない。
たとえて言えば即興演奏をしているかのように変幻自在に揺れ動く演奏といった感じだろうか。
おそらく専門伴奏家の演奏も、ソロピアニストの演奏も踏まえたうえで、あえて独自の路線を突き進んでいるのだろう。
ピアノの蓋は全開だが、ほとんどフォルティッシモを出さない。
むしろもやがかかったように薄いヴェールをかけたまま演奏が進行していく場合が多い。
しかし、その柔らかい響きの中から突如美しい対旋律が浮かび上がってきたりする。
普段和音の響きの中に埋没してしまいがちな音を拾い上げて、あたかも新しい響きのように演奏する。
そこに彼の創造性を見ることが出来るのではないか。
リズムもペダルの使い方も均一にはしない。
その歪みの中から生まれてくる響きに新鮮なものを感じると、彼の演奏はとても面白い。
「魔王」の右手を左手の助けを借りずに弾ききる彼のこと、テクニカルな点で非常に高いものをもっていることはおそらく疑いない。
だが、「御者クロノスに」のようなリズミカルな曲でさえ、柔らかい響きで通すことで、先入観にとらわれてはいけないということをあらためて考えさせられるのである。
おそらくゲースがこの日最も芯の強い強音を響かせたのは「魔王」でも「舟人」でもなく、「影法師」だろう。
精神的なドラマを彼が重視した証ではないか。

アンコールは「白鳥の歌」から「鳩の便り」と、「冬の旅」から有名な2曲である。
ここでも端正に語るプレガルディエンと、独自の読みをするゲースの演奏は面白い化学反応を起こしていた。

リートを歌い、聴く人が減少している中で、このコンビの果たす役割は少なくないはずである。
今後も頻繁に来日して、日本の歌曲ファンを増やしてもらえたら嬉しいものである。

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プレガルディエン&シュタイアー/歌曲(リート)の森(2011年2月17日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第4篇
〈アンドレアス・シュタイアー プロジェクト 6〉
クリストフ・プレガルディエン&アンドレアス・シュタイアー

2011年2月17日(木)19:00 トッパンホール(C列6番)

クリストフ・プレガルディエン(Christoph Prégardien)(テノール)
アンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier)(ピアノ)

第1部 シューマンの歌曲を集めて

ロベルト・シューマン(Robert Schumann)

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩による歌曲
 楽しい旅人 Op.77-1
 宝捜しの男 Op.45-1
 春の旅 Op.45-2

5つのリート Op.40
 においすみれ
 母親の夢
 兵士
 楽師
 露見した恋

ハインリヒ・ハイネの詩による歌曲
 2人の擲弾兵 Op.49-1
 海辺の夕暮れ Op.45-3
 憎悪し合う兄弟 Op.49-2

N.レーナウの6つの詩による歌曲集と古いカトリックの詩によるレクイエム Op.90
 鍛冶屋の歌
 ぼくのばら
 出会いと別れ
 牛飼いの娘
 孤独
 ものうい夕暮れ
 レクイエム

~休憩~

第2部 シューベルト ゲーテの詩による歌曲集

フランツ・シューベルト(Franz Schubert)

竪琴弾きの歌 Op.12
 孤独にひたりこんでいるものは D478
 涙を流しながらパンを食べたことのないひとたち D479
 わたしは家の戸口にそっとしのび寄っては D480

5つのリート Op.5より
 トゥーレの王 D367
 恋人のそばに D162
 憩いない愛 D138
 はじめての失恋 D226

3つの歌 Op.19
 ガニュメデス D544
 ミニョンに D161
 御者クロノスに D369

~アンコール~
シューベルト/「白鳥の歌」D957より~漁師の娘
シューマン/「詩人の恋」Op.48より~第1曲〈うるわしい、妙なる5月に〉、第2曲〈ぼくの涙はあふれ出て〉、第3曲〈ばらや、百合や、鳩〉
シューマン/「詩人の恋」より~第15曲〈むかしむかしの童話のなかから〉

※使用楽器:ベーゼンドルファー Model 290 Imperial

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テノールのクリストフ・プレガルディエンと、ピアニストのアンドレアス・シュタイアーによる歌曲の夕べを聴いた。
本来はフォルテピアノが使用される予定だったのだが、この時期特有の乾燥の為、古楽器の調子が思わしくなかったようで、モダンピアノが使用されることになった。
ご丁寧に葉書でその旨連絡をいただいたが、それだけシュタイアーの古楽器演奏目当てで来場する人が多いということなのだろう。
だが、私などはむしろモダンピアノでリートを聴く方に慣れているので、シュタイアーがモダンピアノ(ベーゼンドルファーが使われた)をどのように演奏するのかという興味も含め、歓迎気分であった。

前半はシューマンの歌曲からアイヒェンドルフ、シャミッソー、ハイネ、レーナウによる詩人ごとのグループによる意欲的なプログラミング。
後半はシューベルトの歌曲をゲーテの詩という共通項のもとで集め、出版番号でグループ化した選曲がなされていた。
まさに私のような歌曲好きにとっては垂涎の選曲である。

プレガルディエンは前回来日した際にも感じたが、テノールとはいえ中低音域が充実してきており、時々バリトン歌手を聴いているような錯覚に陥るほど。
一方高音域が若干苦しくなっているのは年齢を考えれば無理もないであろう。
しかし、叙情的な作品であろうとドラマティックな作品であろうと、様式を踏まえつつも自由自在に作品の生命力を表現しているのはやはり凄いリート歌手だなと改めて感じた。
借り物ではなく彼自身ならではの表現をしながら、聴き手はいい作品を聴けたという満足感に浸れるのである。

「竪琴弾きの歌」の全3曲は竪琴弾きの老人が目前で歌い弾いているような深い悲しみが伝わってきて特に素晴らしかった。
「トゥーレの王」では歌、ピアノともに装飾をあちこちに加えてもともとの古色蒼然とした雰囲気をさらに強めていたのが印象的だった。

シュタイアーの演奏を実際に聴くのは今回が初めてだが、指を内側に折り曲げながら弾く弾き方は古楽器の奏法から来ているのだろうか。
ダイナミクスの付け方なども不自然さがなく端正ですらあるのは、プレガルディエンのもう一人の共演者であるゲースとは対照的だが、私としては今回のシュタイアーの方が好みである。
テンポの変化などは畳み掛けるところはかなり大胆に前進するが、それはテキストの進行を反映したものであり、決して作品を歪曲するものではなかった。
時にプレガルディエンの歌唱を引っ張っていく感もあった。
音色はさらさらと軽めに響き、やはり古楽器奏者ならではの端正さが印象的だった(先入観もあるかもしれないが)。
しかしシューマンの作品などではペダルを効果的に使い、シューマネスクな世界を彼なりに表現していたように感じた。
たまに普通の和音をアルペッジョにしてずらして弾いていたのは古楽の経験がそうさせていたのかもしれない。
新鮮でなかなか面白い効果を挙げていた。

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面白かったのはアンコール。
2回目に登場した際にプレガルディエン自ら「詩人の恋の最初の3曲」とアナウンスして、連続して3曲が演奏されたのだ。
3回目も「詩人の恋」の中の最後から2番目の曲が演奏されたので、次に終曲を演奏して締めるつもりかなと期待していたら、これでお開きとなってしまった。
全部聴きたければ、20日の横浜公演へどうぞということなのだろうか(遠いので残念ながら横浜公演はパスしてしまった)。

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スイスのテノール、ユーグ・キュエノー108歳で逝去

スイスのテノール、ユーグ・キュエノー(Hugues-Adhémar Cuénod)が2010年12月3日(6日説もある)にスイス、ヴヴェ(Vevey)で亡くなった。
1902年6月26日生まれというから享年108歳(!)という大往生。

キュエノーはオペラやコンサート(若かりしアーメリングも参加したフランク・マルタン「降誕の秘蹟」の1959年世界初演にも出演)で幅広く活動した名テノールだが、歌曲ではとりわけフォーレやデュパルクなどのフランス歌曲に独自の味わいを醸し出した。

以前のブログ記事でも彼のフォーレ歌曲集のCDについて書いたが、そこでの歌唱も素晴らしいものだった。

キュエノーを偲ぶにあたって、今回私が選んだのはブラームス!

ブラームスの四重唱とピアノ連弾による18曲からなる「愛の歌、ワルツ(Liebeslieder-Walzer)」Op.52。
EMIからかつて出ていたCDではドイツ系演奏者(下記の17~34トラック)とフランス系演奏者(38~55トラック)の2種類が同じ盤に収録されて聴き比べが出来るようになっていた。

内訳は以下のとおり。

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Cuenod_brahms_cd

EMI CLASSICS: 7243 5 66425 2 2

ブラームス作曲

1~16トラック
ピアノ独奏版ワルツOp.39(全16曲)
Wilhelm Backhaus(P)
(1936年1月27日, No.3 Studio, Abbey Road, London録音)

17~34トラック
「愛の歌、ワルツ」Op.52(全18曲)
Irmgard Seefried(S)
Elisabeth Höngen(A)
Hugo Meyer-Welfing(T)
Hans Hotter(BS)
Friedrich Wühler(P)
Hermann von Nordberg(P)
(1947年11月15&16日, Brahmssaal, Wien録音)

35~37トラック
ピアノ連弾版ワルツOp,39~Nos.2,15 & 6
Friedrich Wühler(P)
Hermann von Nordberg(P)
(1947年11月24日, Brahmssaal, Wien録音)

38~55トラック
「愛の歌、ワルツ」Op.52(全18曲)
Comtesse Jean de Polignac(S)
Irène Kedroff(A)
Hugues Cuénod(T)
Doda Conrad(BS)
Dinu Lipatti(P)
Nadia Boulanger(P)
(1937年3月, Paris録音)

56~62トラック
ピアノ連弾版ワルツOp,39~Nos.1,2,5,6,10,14 & 15
Dinu Lipatti(P)
Nadia Boulanger(P)
(1937年3月25日, Paris録音)

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34歳のキュエノーによる若々しい歌唱である。
ドイツ勢による演奏がゼーフリート、ヘンゲン、ホッターといった錚々たる大家たちの最盛期の記録ということもあり、まさに正統的で安定感のあるものだったが、フランス勢の演奏はその点ネイティヴではないというハンデを差し引いても珍しいものにチャレンジしてみたという感があるのは仕方ないだろう。
ドイツ語の発音も特に女声陣は若干完全でない箇所もあるが、キュエノーはなかなかまともなドイツ語で歌っていた。
しかし、このフランス勢の歌唱、単なる珍品かというと実はそうでもなくて、ドイツ勢からは望めないような軽やかで愛らしいブラームスを聴かせてくれている。
サロンで愛好家たちが集まって合わせてみたような重唱の楽しくくつろいだ印象はむしろフランス勢の演奏により強く感じられ、その場に居合わせて楽しく聴いている感覚を味わわせてくれる。
歌手だけでなく、ピアニストもディヌ・リパッティとその師匠ナディア・ブランジェという名手たち。
しかし、この録音当時リパッティはまだ無名だったらしく、解説によると、"Dinu"ではなく"Dina"と誤表記されるほどだったとのこと。
このCDジャケットの貴重な写真も、フランス勢の演奏者たちが写っているが、何故かリパッティだけいない(左からケドロフ、ブランジェ、コンラッド、ポリニャック、そしてキュエノー)。

キュエノーの独唱を聴くのならば54トラックの"Nicht wandle, mein Licht"がある。
一見折れてしまいそうな細い声ながら、何故か惹き付けられるなんともチャーミングな歌唱である。
機会があればぜひお聴きいただきたい。

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アントニー・ロルフ=ジョンソン(Anthony Rolfe-Johnson)逝去

SNSサイトの方の日記で知ったのだが、イギリスの名テノール、アントニー・ロルフ=ジョンソン(Anthony Rolfe-Johnson)が亡くなったそうだ(1940.11.5, Tackley, Oxfordshire – 2010.7.21)。
長いことアルツハイマーを患っていたそうだが、直接の原因についてはどのサイトにもはっきり記されていないようだ。

オペラや宗教曲で多くの名演を残していることはよく知られているだろうが、私にとってロルフ=ジョンソンというと、Hyperionのシューベルト歌曲全集第6巻で夜に因んだ作品を歌っていたCDが最も印象深い。
また、この全集の最終巻でも再び登場して歌曲集「白鳥の歌」の中のハイネ&ザイドル歌曲を担当していたのも思い出される。
先日のラングリッジといい、今回のロルフ=ジョンソンといい、シューベルト歌曲全集で知った歌い手が続々と去っていくのは寂しいことだ。

合掌

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シューベルト歌曲全集6(The Hyperion Schubert Edition - 6)
「夜のシューベルト(Schubert & the Nocturne I)」

ミュージック東京: Hyperion: NSC156 (CDJ33006)
録音:1989年9月29-30日, Rosslyn Hill Unitarian Chapel, Hampstead, London, United Kingdom

アントニー・ロルフ・ジョンスン(Anthony Rolfe-Johnson)(テノール)
グレアム・ジョンスン(Graham Johnson)(ピアノ)

3&16
with Alan Armstrong(T) Jason Balla(T) Mark Hammond(T) Philip Lawford(T) Arthur Linley(T) Richard Edgar-Wilson(T)
David Barnard(BR or BS) David Beezer (BR or BS) Duncan Perkins(BR or BS) James Pitman(BR or BS) Christopher Vigar(BR or BS)

シューベルト作曲
1~2.夜(Die Nacht)D534('Ossian' translated by Harold)(completed by Anton Diabelli)(8'28/4'58)
3.狩の歌(Jagdlied)D521(Werner:詩)(1'34)
4.夕星(Abendstern)D806(Mayrhofer:詩)(2'45)
5.夕暮れにぼだい樹の木の下で(Abends unter der Linde)(第1作)D235(Kosegarten:詩)(2'41)
6.夕暮れにぼだい樹の木の下で(Abends unter der Linde)(第2作)D237(Kosegarten:詩)(4'37)
7.揺りかごのなかの子供(Der Knabe in der Wiege 'Wiegenlied')(第1稿)D579(Ottenwalt:詩)(3'50)
8.はるかな恋人に寄す夕べの歌(Abendlied für die Entfernte)D856(August Wilhelm von Schlegel:詩)(8'23)
9.逢瀬と別れ(Willkommen und Abschied)(第1稿)D769(Goethe:詩)(3'31)
10.これがわたしの揺りかごだった(Vor meiner Wiege)D927(Leitner:詩)(5'31)
11.子供を抱く父(Der Vater mit dem Kind)D906(Bauernfeld:詩)(4'34)
12.漁夫の愛の幸せ(Des Fischers Liebesglück)D933(Leitner:詩)(7'19)
13.星(Die Sterne)D939(Leitner:詩)(3'30)
14.アリンデ(Alinde)D904(Rochlitz:詩)(4'44)
15.リュートに寄す(An die Laute)D905(Rochlitz:詩)(1'35)
16.お休みの挨拶(Zur guten Nacht)D903(Rochlitz:詩)(3'52)

(日本語表記はCD付属の日本語帯に従った)

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ロルフ・ジョンソンの歌は基本的に言葉の内容を丁寧なディクションで、細やかな声色、表情を加えて表現していくというものである。
絞り込んだ弱声や声の粘りの使用など、ネイティヴの人とは異なる視点から詩を表現していく。
また、聴くほどに味わいを増していく人間味あふれた歌でもあった。
イギリス歌曲も含めて、彼の遺してくれた録音にこれからも耳を傾けてみようと思う。

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望月哲也&河原忠之/望月哲也 Wanderer Vol.2(2010年5月25日 王子ホール)

望月哲也 Wanderer Vol.2

Mochizuki_wanderer_20100525

2010年5月25日(火) 19:00 王子ホール(A列4番)

望月哲也(Tetsuya Mochizuki)(テノール)
河原忠之(Tadayuki Kawahara)(ピアノ)

マーラー(Mahler)/「さすらう若人の歌」全曲
  彼女の婚礼の日は
  朝の野辺を歩けば
  私は燃えるような短剣を持って
  ふたつの青い目が

ヴォルフ(Wolf)/「メーリケ歌曲集」より
  鼓手
  愛する人に
  ペレグリーナⅠ
  ペレグリーナⅡ
  庭師
  尽きることのない愛
  狩人

~休憩~

リヒャルト・シュトラウス(R.Strauss)/
「5つの素朴な歌」より
  ああ、不幸な男だ、この僕は Op.21-4
「4つの歌」より
  ばらのリボン Op.33-1
「5つの素朴な歌」より
  全ての私の想い Op.21-1
「はすの花びらよりの6つの歌」より
  拡げたまえ、僕の頭上に君の黒髪を Op.19-2
「4つの歌」より
  ひそやかな誘い Op.27-3
「5つの歌」より
  天の使い Op.32-5
  おお、優しき5月よ! Op.32-4

マーラー(Mahler)/
「子供の魔法の角笛」より
  この歌を作ったのは誰?!
「若き日の歌」より
  夏に小鳥はかわり
「子供の魔法の角笛」より
  魚に説教するパドヴァの聖アントニウス
  高い知性を讃える
「若き日の歌」より
  別離と忌避

~アンコール~
ヴォルフ/眠りに寄せて(An den Schlaf)
マーラー/美しさゆえに愛するのなら(Liebst du um Schönheit)
R.シュトラウス/なにも(Nichts) Op.10-2

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今やオペラにコンサートに引っ張りだこのテノール、望月哲也が王子ホールで始めた"Wanderer"というリサイタルシリーズの第2回を聴いた。
第1回の「美しい水車屋の娘」は聴いていないので、彼のリートを聴くのは今回がはじめて。
ピアニストはオペラのコレペティートルとしての経験豊富な河原忠之で、彼の演奏も私にとってははじめてであった。

選ばれた作品は、今年生誕150年を迎えたマーラーとヴォルフ、それにほぼ同時代人のR.シュトラウスの歌曲である。

マーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」はバリトン歌手のお得意のレパートリーで、たまにメゾソプラノ歌手も歌ったりするが、テノール歌手はあまり歌わない。
望月氏もそのへんをふまえて「テノールの音色でこの曲がどのように響くのかという好奇心から」とりあげたとのこと。
望月氏の強みはリリカルな表現とドラマティックな表現のどちらにも長けている点だろう。
そういう意味で、この歌曲集の哀しみを胸に抱えながら抑制された箇所も、そして抑えていたたががはずれ、自暴自棄になり激しく高揚する箇所も、オペラの一場面のように明快に歌い分けていた。
テノールの張りのある美声で聴くと、この曲集の主人公が若い「遍歴職人」であることを思い出させてくれた。
中でも第3曲のドラマティックな感情表出がやはり強い印象を受けた。

続いてヴォルフの「メーリケ歌曲集」から7曲。
まだあどけない少年の妄想を歌った「鼓手」に始まり、真摯で神々しい「愛する人に」、そして恋に溺れていく濃密な2曲の「ペレグリーナ」と続き、一転して爽やかな「庭師」、そして愛の欲望を高らかに肯定する「尽きることのない愛」、最後は恋人とけんかした狩人が気晴らしの狩に出る「狩人」で締めくくられる。
「キャラクターの演じ分け」をテーマに歌ったそうだが、確かに多彩な表情が求められる作品群であった。
一筋縄ではいかないヴォルフの作品だが、望月の歌はしっかり自分のものとして消化して聴かせてくれたのがいい意味で驚きだった。
「鼓手」や「狩人」で聴かせた表情の豊かさはオペラで鍛えたものも大いにものをいっているのではないか。
きっと入念な準備をしたに違いない。
今後さらに歌いこむことでコクが出てきたら面白そうである。

休憩後、最初はR.シュトラウスの歌曲から7曲。
コミカルな「ああ、不幸な男だ、この僕は」から、シュトラウスらしい流麗な「ばらのリボン」、さらに情熱的な「ひそやかな誘い」まで、オペラ歌手としての特性が最も生かされた作品群であり、それゆえに望月の歌も伸び伸びと広がっていく。
気持ち良さそうな歌いぶりであった。
Op.32からの珍しい2曲(「天の使い」「おお、優しき5月よ!」)の選曲も、彼の意欲のあらわれだろう。

最後は再びマーラーの作品だが、今回は明るくコミカルで時にシニカルな作品5曲。
「夏に小鳥はかわり」でのカッコウの鳴き声や「高い知性を讃える」でのロバの鳴き声など、誇張することによってマーラーの意図が表現される作品では、オペラ歌手望月の表現力の豊かさが最大限に生かされた。
「この歌を作ったのは誰?!」では中間部でテンポを落としたのが主人公の必死の訴えを際立たせていて新鮮だった。
「魚に説教する~」はいつ聴いても面白い曲だが、詩の内容は相当シニカルである。
そういう意味で望月哲也にとって挑戦しがいのある作品をあえて選曲したのであろう。
そして、現時点での彼の良さが生かされた爽やかな後味のコンサートとなっていたと思う。

望月哲也の声は美しく、発音もよく訓練されていたように感じた。
若々しく生き生きとした声の愉悦と、表現に新鮮さがあり、どの曲も自分のものにしていたのは心強かった。
オペラ歌手としての演技力がリートに持ち込まれ、見て楽しめる歌だった。
低声域もテノールの範囲内でよく出していたと思う。
颯爽と歩くステージマナーなどは写真で見るよりもずっと若々しい印象だった。

Mochizuki_wanderer_20100525_chirash

河原忠之のピアノは細かく見れば若干おおざっぱに感じるところもあったが、勘所をしっかりおさえた演奏だった。
全体像を意識した演奏はコレペティートルとしての特性も影響しているのかもしれない。
ただ、ヴォルフ「鼓手」のトレモロは、はしょらずにしっかり弾くことでより効果的になるのではないだろうか。
後半のシュトラウスなどもなかなか洒脱な演奏だったが、遠慮せずにさらに歌と張り合った方が作品の良さが生きるのではないかと感じた。
彼としては最後のマーラーの歌曲グループが最も生き生きとしていて素晴らしいピアノ演奏だったと感じた(譜めくりを付けなかった為だろう、長大な「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」ではあらかじめ楽譜の全ページを大きなボードに貼り付けて楽譜立てに置いていたのが面白かった)。

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英テノール、フィリップ・ラングリッジを偲んで

イギリスの名テノール、フィリップ・ラングリッジ(Philip Gordon Langridge: 1939.12.16, Kent, UK – 2010.3.5, London)が3月5日に癌のため亡くなったそうだ。
享年70歳。
私がラングリッジの歌を初めて聴いたのはグレアム・ジョンソンの企画・ピアノでHyperionレーベルに録音されたシューベルト・エディションの第4巻だったのだが、それからすでに20年も経ってしまった。
その後一度来日して歌曲のコンサートを開いたと記憶しているが、その時に聴かなかったのが悔やまれる(結局一度も実演に接することが出来なかった)。

ほかに彼の録音を探してみると、家にはアーメリングも参加しているマリナー指揮の「メサイア」と、ショスタコーヴィチの歌曲集、クィルターの民謡編曲集があった。
オペラではモーツァルト、ブリテン、ヤナーチェクなどを得意とし、ごく最近まで活躍していたようだ。

彼を偲んで久しぶりにハイペリオンのシューベルトを引っ張り出して聴いてみた。

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シューベルト歌曲全集4「シューベルトの友人たち」

Langridge_johnson_schubert

The Hyperion Schubert Edition 4
ミュージック東京 (Hyperion): NSC154 (CDJ33004)
録音:1988年9月11-12日, Rosslyn Hill Unitarian Chapel, Hampstead, London

フィリップ・ラングリッジ(Philip Langridge)(テノール)
グレアム・ジョンスン(Graham Johnson)(ピアノ)

1.吟遊詩人(Der Liedler) D209 (ケンナー・詩) [15'20]
2.歌びとの朝の歌(第1作)(Sängers Morgenlied) D163 (ケルナー・詩) [2'23]
3.歌びとの朝の歌(第2作)(Sängers Morgenlied) D165 (ケルナー・詩) [3'38]
4.それはぼくだった(Das war ich) D174 (ケルナー・詩) [3'08]
5.恋のたわむれ(Liebeständelei) D206 (ケルナー・詩) [2'00]
6.愛の陶酔(第2作)(Liebesrausch) D179 (ケルナー・詩) [3'06]
7.愛の憧れ(Sehnsucht der Liebe) D180 (ケルナー・詩) [4'56]
8.邪魔される幸せ(Das gestörte Glück) D309 (ケルナー・詩) [2'20]
9.リーゼンコッペ山頂で(Auf der Riesenkoppe) D611 (ケルナー・詩) [4'17]
10.湖畔で(Am See) D124 (マイアーホーファー・詩) [5'03]
11.昔の愛は色褪せない(Alte Liebe rostet nie) D477 (マイアーホーファー・詩) [2'56]
12.河のほとりで(Am Strome) D539 (マイアーホーファー・詩) [2'25]
13.夜曲(Nachtstück) D672 (マイアーホーファー・詩) [5'46]
14.恋の立ち聞き(Liebeslauschen) D698 (シュレヒタ・詩) [4'52]
15.リンツの試補ヨーゼフ・フォン・シュパウン氏に寄す手紙(An Herrn Josef von Spaun, Assessor in Linz (Epistel)) D749 (コリーン・詩) [4'46]

(上記の表記は国内盤の表記に従った。ただし録音場所と演奏時間はHyperionのWebサイトに従った)

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この第4巻ではシューベルトと個人的に付き合いのあった友人たちの詩による歌曲を集めている(ちなみにシリーズ第3巻を担当していたのが、彼の奥さんであるメゾソプラノ歌手のアン・マリー)。
ケンナー、ケルナー、マイアーホーファー、シュレヒタ、コリーンといった5人の詩人たちの詩への付曲はシューベルトの彼らへの友情の証だろう。

1.吟遊詩人D209
愛する女性がほかの男と結婚式を挙げる前日に吟遊詩人は彼女に最後の別れを告げて遍歴に出る。
旅先でも彼女を忘れることが出来ない吟遊詩人は、思いを振り切るために戦地へ赴く。
だが、鎧を着て武勲をたててもやはり彼女を忘れることは出来ず、ついに女性のもとに向かう。
すでに結婚した彼女と騎士が列をなして通るところに出くわすと、突然人狼(Werwolf)が現れる。
吟遊詩人は愛する彼女のために人狼に立ち向かい、大切な竪琴を人狼に打ちつけ、最後には人狼ともども谷底へと落ちる。
竪琴の響きを模したかのような繊細なピアノ前奏で始まり、全体で15分もかかる長大な作品。
ラングリッジはレガートを基調にした丁寧な語り口と声の豊かな表情で、起伏に富んだバラードを巧みに歌っていた。

2&3.歌びとの朝の歌D163 & D165
朝の美しさを讃美し、表現した内容。
第1作が1815年2月27日作曲、第2作が1815年3月1日作曲とわずかな間隔で作られたが、改作ではなく全く別個の音楽になっており、どちらも有節形式である。
ラングリッジの歌唱は、第1作では軽快なメリスマの歌い方の素晴らしさが印象的。
一方、第2作では心情のこもった真摯な表現に胸を打たれた。

4.それはぼくだったD174
夢の中である女性と一緒にいたのはぼくだった。そして夢から覚めても・・・。
有節形式で前半の抑えた曲調と後半の焦燥感と喜びに満ちた曲調の対比が面白い。
ラングリッジの詩の言葉への密着ぶりが魅力的。

5.恋のたわむれD206
女性を落とす手管にたけた人のくどき文句。
ラングリッジはドン・ジョヴァンニのようにというよりは、誠実さすら感じさせる。

6.愛の陶酔D179
恋人に向けた熱烈な讃歌。
ラングリッジの情熱的な表現が聴ける。

7.愛の憧れD180
恋心にかき乱される苦しい心情が歌われる。
有節形式だが、各節前半の静謐さと後半の激しい表現の落差が興味深い。
ラングリッジの表現力の幅広さを見事に披露している。

8.邪魔される幸せD309
恋人にキスしたくてたまらないが、必ず邪魔されてしまうと歌う。
これも有節形式だが、ラングリッジのコミカルな芸達者ぶりが堪能できる。

9.リーゼンコッペ山頂で
山頂から見える眺めに感動し、故郷に挨拶を送るという内容。
ラングリッジの堂々たる歌いぶりは神々しさすら感じる。

10.湖畔でD124
湖のほとりで詩人は物思いに耽る。
そのうち、洪水で溺れている人を救おうとして犠牲になったレーオポルト公への思いへと移り行く。
音楽も詩の観念的な内容に対応してややとりとめのない印象を受ける。
この曲の超高音をラングリッジはぴたりと決めていたのはすごい。

11.昔の愛は色褪せないD477
「昔の愛は色褪せない」と母親から聞かされていたが、失った恋人の幻影を見てそれを実感するという内容。
ラングリッジは抑制された歌い方で詩の内容を表現していた。

12.河のほとりでD539
常に落ち着くことのない不安な心情を河にたとえた歌。
音楽はA-B-Aの形式で作られている。
ラングリッジの歌は真摯で丁寧だ。

13.夜曲D672
夜半に老人が竪琴を弾きながら己の死を予感するという内容。
私の特に好きな作品だ。
きわめて繊細で内面的なシューベルトの音楽を、ラングリッジは共感をこめて美しく歌っていた。

14.恋の立ち聞きD698
騎士は恋人を思って夜にセレナーデを奏でる。
しかし、恋人は現れないので、恋人の窓辺にのぼり花を結びつけると・・・。
シューベルトはとても優美でチャーミングな音楽をつけている。
ラングリッジの役になりきった歌には、優しさが感じられる。

15.リンツの試補ヨーゼフ・フォン・シュパウン氏に寄す手紙D749
リンツに赴任した友人シュパウンにシューベルトは手紙を書いたが、それに対する返信は来なかった。
それを知ったコリーンが冗談めかしたあてつけの詩を書き、それにシューベルトがレチタティーヴォとアリアの形で曲を付けたという真面目にふざけた曲。
シューベルト仲間の絆の深さを感じずにはいられない。
ラングリッジの歌は、まさに真面目にこの冗談音楽を表現していてとても面白かった。
超高音も現れるが、ラングリッジは余裕をもって響かせていた。

Langridge_johnson_schubert_2

細やかなピアノを聞かせたグレアム・ジョンスンの周到に考え抜かれたプログラミングによって、ラングリッジの声の特質が存分に発揮されたシューベルト・リサイタルとなっていた。
1曲1曲聴き進めるのが楽しい、魅力的なリサイタルCDだった。
ラングリッジが間違いなく超一流のリート歌手の一人であったことを今さらながら知ることが出来て良かった。

この非凡な名歌手のご冥福をお祈りします。

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(2010年8月1日追記)

ラングリッジの来日公演のパンフレットを音楽資料室で見ることが出来たので、プログラムを追記しておきます(ちらしは私の家から出てきました)。

フィリップ・ラングリッジ テノール リサイタル
1992年9月14日(月)19:00 東京文化会館小ホール

フィリップ・ラングリッジ(Philip Langridge)(テノール)
ジョン・コンスタブル(John Constable)(ピアノ)

ベートーヴェン(Beethoven)
別れWoO124(L Partenza)
愛の嘆きOp.82-2(Liebesklage)
希望Op.82-1(Hoffnung)
いらだつ恋人(アリエッタ・アッサイ・セリオーサ)Op.82-4(L'amante impaziente: Arietta assai seriosa)
いらだつ恋人(アリエッタ・ブッファ)Op.82-3(L'amante impaziente: Arietta buffa)

ドヴォルザーク(Dvořák)
歌曲集「糸杉」より4曲(4 Songs from "Cypřiše")
1.わが歌よ響け(Vy vroucí písně pějte)
5.それは何とすばらしい夢だったことか(O byl to krásný zlatý sen)
14.小川のほとりの森で(Zde ve lese u potoka)
15.私の心を暗い不安がおそう(Mou celou duší ză dumnĕ)

リスト(Liszt)
マルリングの鐘よS.328(Ihr Glocken von Marling)
祖先の墓S.281(Die Vätergruft)
三人のジプシーS.320(Die drei Zigeuner)

ブリテン(Britten)
ジョン・ダンの聖なるソネットop.35(The Holy Sonnets of John Donne)
1.おお わたしの暗い魂よ(Oh my blacke soule)
2.わたしの心をいためつけよ(Batter my heart)
3.おお あのため息と涙が(O might those sighs and teares)
4.おお いらだたすため(Oh to vex me)
5.もし現在が(What if this present)
6.愛した彼女が(Since she whom I loved)
7.まるい地球の片すみで(At the round earth's imagined corners)
8.汝がわたしを造りたもうた(Thou hast made me)
9.死よ、驕るなかれ(Death be not proud)

Langridge_constable_japan_1992

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