ベートーヴェン「空高くかかるこれらの雲(Diese Wolken in den Höhen, Op. 98, No. 4)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第4曲)

Diese Wolken in den Höhen, Op. 98, No. 4 (aus "An die ferne Geliebte")
 空高くかかるこれらの雲(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第4曲)

1.
Diese Wolken in den Höhen,
Dieser Vöglein muntrer Zug,
Werden dich, o Huldin, sehen.
Nehmt mich mit im leichten Flug!
 空高くかかるこれらの雲や
 列になった元気な小鳥たちは
 おお優美な方よ、きみを見ることだろう。
 軽やかに飛んで僕を連れていっておくれ!

2.
Diese Weste werden spielen
Scherzend dir um Wang' und Brust,
In den seidnen Locken wühlen.
Teilt ich mit euch diese Lust!
 この西風たちは
 いたずらしながらきみの頬や胸と戯れるだろう、
 絹のような巻き毛をかき回しながら。
 この楽しみをきみたちと分かち合えたらいいのに!

3.
Hin zu dir von jenen Hügeln
Emsig dieses Bächlein eilt.
Wird ihr Bild sich in dir spiegeln,
Fließ zurück dann unverweilt!
 あの丘からきみのもとへ
 この小川がせっせと急ぎ行く。
 あの子の姿がきみの水面に映ったら
 すぐに戻ってきておくれ!

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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第4曲「空高くかかるこれらの雲」は、この歌曲集中最も短く、あっという間に過ぎ去ってしまいます。前曲の歌から途切れることなく、すぐに第4曲の歌が続きます。

前曲からの橋渡し

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テキストは短いので、あらすじを書くほどでもないのですが一応まとめておきます。

1. 鳥はきみを見かけるだろう。鳥よ、僕を彼女のところに連れて行っておくれ。
2. 西風はきみの頬や胸と戯れる。ぼくもその楽しみを共有できたらいいのになぁ。
3. きみのもとに小川が急ぐ。彼女の姿が水面に映ったらすぐに戻っておいで!

周りの存在に彼女との仲立ちをしてもらおうとしているのですね。

歌声部は3つの連からなるほぼ完全な有節形式で、最後だけ次の曲に向かうために最終行をもう一度異なるメロディーで繰り返します。調も変わらず、心地よい速度を保ちながら高低高低のパターンをしばらく繰り返します。ふわふわと空想に遊んでいるようなイメージでしょうか。
一方のピアノパートは1連でプラルトリラーで鳥のさえずりを模し、2連は右手がオクターブを交互に弾くのに対し左手は3つの音で1つのまとまりを弾きます。3連は右手が歌をなぞるかと思いきや途中から距離を保ってポリフォニックに進んでいきます。おそらく各連の鳥、西風、小川を反映させているのだと思います。

1連
41

2連
42

3連
43

最後の部分は次の曲に向けてドラマティックに展開していきます。

6/8拍子
Nicht zu geschwinde angenehm und mit viel Empfindung (速すぎずに、心地よく、たっぷり感情をこめて)
ト長調(G-dur)

●詩の朗読(Sprecher: Johannes-c-held.com)

チャンネル名:Lied Lyrics

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

まばゆいほど輝かしいヴンダーリヒの美声で熱気をこめて歌われています。本当いいですね!

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

トリッチュラーのまろやかでつやのある美声はこの歌曲集の主人公が希望に満ちていることを感じさせてくれます。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

「Wolken in den Höhen(空高く流れゆく雲)で、テッシトゥーラも高くなるが、私にとってこのことははじめての高い変ホ音を、つまり、とりわけ、ひとつだけかなり高い第五のリートへの準備を促す、高音域での発声を意味している」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。余裕をもったテンポでプライとムーアが美しいアンサンブルを聞かせてくれます。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

初期のF=ディースカウの甘さのある美声が魅力的です。

●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)

楷書風の明瞭なヒュッシュの歌は、詩の上質な朗読を聞いているように心地よいです。

●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)

ホルツマイアの柔らかい感触の声は涼風が吹き抜けるかのようです。クーパーの粒だちのよいピアノも美しいです。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

シュライアーの歌う主人公は一途で真面目な青年像が浮かびます。

●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)

ブルンスの歌唱は希望に胸ときめかせている感じがしていいですね。

●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

ボストリッジはノンビブラートを結構使いますね。第3連の"fließ(流れる)"を2回ともノンビブラートにしているのはおそらく何らかの意図があるのでしょう。

●マティアス・ゲルネ(BR), アルフレート・ブレンデル(P)
Matthias Goerne(BR), Alfred Brendel(P)

ゲルネは第3曲からブレスせずにそのままこの第4曲を歌い始めます!おそらく誰もが出来ることではないように思います。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Diese Wolken in den Höhen Op. 98 No. 4 (L. v. Beethoven) - Accompaniment

チャンネル名:insklyuh

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

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ベートーヴェン「空高く軽快に飛ぶアマツバメよ(Leichte Segler in den Höhen, Op. 98, No. 3)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第3曲)

Leichte Segler in den Höhen, Op. 98, No. 3 (aus "An die ferne Geliebte")
 空高く軽快に飛ぶアマツバメよ(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第3曲)

1.
Leichte Segler in den Höhen,
Und du, Bächlein klein und schmal,
Könnt mein Liebchen ihr erspähen,
Grüßt sie mir viel tausendmal.
 空高く軽快に飛ぶアマツバメよ、
 そして君、小さく細く流れる小川よ、
 僕の恋人を探し出して
 僕からのいく千もの挨拶を伝えておくれ。

2.
Seht ihr, Wolken, sie dann gehen
Sinnend in dem stillen Tal,
Laßt mein Bild vor ihr entstehen
In dem luft'gen Himmelssaal.
 雲よ、君たちがそれから
 静かな谷を思いにふけりながら歩く彼女を見かけたら、
 僕の姿を彼女の前に現わしておくれ、
 風の吹く空の空間に。

3.
Wird sie an den Büschen stehen,
Die nun herbstlich falb und kahl.
Klagt ihr, wie mir ist geschehen,
Klagt ihr, Vöglein, meine Qual.
 彼女は立つだろう、
 もう秋めいて淡黄色になり葉の落ちた茂みのそばに。
 僕がどうなってしまったのか彼女に嘆いておくれ、
 小鳥よ、僕の苦しみを彼女に嘆いておくれ。

4.
Stille Weste, bringt im Wehen
Hin zu meiner Herzenswahl
Meine Seufzer, die vergehen
Wie der Sonne letzter Strahl.
 静かな西風よ、
 僕の心が選んだ方角に吹いていき
 僕の溜息を運んでほしい、
 太陽が沈む前の輝きのように消え去ろうとする溜息を。

5.
Flüstr' ihr zu mein Liebesflehen,
Laß sie, Bächlein klein und schmal,
Treu in deinen Wogen sehen
Meine Tränen ohne Zahl!
 僕からの愛のお願いを彼女に囁いて、
 小さく細く流れる小川よ、
 義理堅くも君の波間に映して彼女に見せてあげてほしい、
 無数に流れる僕の涙を!

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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この第3曲の冒頭行に"Segler"という単語が出てきます。
小学館『独和大辞典 コンパクト版』(1985年初版)を見ると、1番目に「帆船、ヨット、グライダー、氷上ヨット」、2番目には「(segelnする人.例えば:)帆走者、ヨット乗り、グライダー乗り」と記されています。そして3番目に「(Turmschwalbe)ヨーロッパアマツバメ」という訳が記されています。
この歌曲の訳語をいろいろ見てみると、雲を「帆船」に見立てたという解釈が多く、「空たかく軽やかに帆をあげてゆく雲よ」(西野茂雄氏)、「空高く帆をかけてゆく雲よ」(喜多尾道冬氏)、「天空を行く軽い帆船よ」(渡辺護氏)などと訳されています。インターネットで英訳を見るとほとんど"clouds(雲)"となっていました。私は独和大辞典の3番目の「ヨーロッパアマツバメ」が最も意味が通りやすいのではないかと思うのですが、誰もこの訳を使わないところを見ると、詩人のヤイテレスの時代にはSeglerに「ヨーロッパアマツバメ」という意味がなかったのでしょうか。ただ、こちらのWikipediaでこの曲のあらすじを英語で記しているのですが、「swift(アマツバメ)」という言葉を使っているので、この執筆者は「雲」ではなく「アマツバメ」であるという考えのようです("With this thought he bids the swifts and the brook to greet her, ...")。
インターネットのDUDENというドイツ語の辞書で調べてみると、2bの項目に"segelnder Vogel(滑空する鳥)"とあり、3の項目では"sehr schnell fliegender, der Schwalbe ähnlicher Vogel von graubrauner bis schwärzlicher Färbung mit sichelförmigen, schmalen Flügeln und kurzem Schwanz(非常に速く飛ぶツバメのような鳥で、黒褐色から黒っぽい色をしていて、鎌形の細い翼と短い尾を持っている)"という説明がありました。
「帆船」と訳すのが無難なのかもしれませんが、この詩の2連にも"Wolken(雲)"という言葉が出てくるので、私はあえて「アマツバメ」を選びました。ちなみにヨーロッパアマツバメの画像はこちらのリンク先にあります。

各連のあらすじはざっと次のような感じです。

1:ツバメよ、小川よ、僕の恋人を探し出して僕からよろしくと伝えておくれ。
2:雲よ、思いにふけった僕の恋人が谷を歩いていたら、彼女の前に僕の姿を映し出しておくれ。
3:彼女は秋めいて黄色くなった茂みのそばに立つだろう。小鳥よ、僕がいかに苦しんでいるか彼女に伝えておくれ。
4:西風よ、僕の溜息を僕が選んだ方向に運んでおくれ。
5:小川よ、僕のお願いを彼女にささやいて、波間に僕の涙を映して彼女に見せておくれ。

彼女のもとに飛んでいけない主人公は、自然のもろもろの存在に彼女への言伝を頼みます。しかもメッセージだけでなく、溜息や涙も届けてほしいと伝えます。気持ちを何かに託すというのは歌曲の詩のテーマとしては頻繁に出てくると思いますが、音楽家の心を揺さぶるものがあるのかもしれませんね。

前の曲からの橋渡し部分
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これまでの2曲では歌のメロディーラインが上行して下行するアーチのような形だったと言えると思います。この第3曲では各連の冒頭が一音下がってまた一音上がってという動きになっていて、ふわふわと空中を飛んでいくような趣が感じられます。しかしすぐに上行と下行のメロディーラインが現れ、ここでも前2曲のフレーズが踏襲されていることになるのでしょう。

ただ、この第3曲では一つの単語の音節の間に休符を入れる手法がかなり多用されているところが目をひきます。これはベートーヴェンの歌曲にしばしば見られる手法で、例えば、冒頭の"Leich-te(軽やかな)"という一つの単語の音節の分かれ目に八分休符を入れています。歌手は休符を生かしながらも一つの単語であることを聴衆に伝えなければなりません。後世の作曲家たちもこの手法を使ってはいますが、ここぞという時に使うことが多いのに対して、ベートーヴェンは比較的頻繁に使っているように思います。もちろん詩の語感や意味を反映していることが多いのでしょうが、必ずしもそうでないこともあるように思います。そのへんは音楽的な面白さを優先させているのかもしれませんし、もしかしたらベートーヴェン自身が朗読する際にはねるように発音する箇所に休符を入れているのかもしれませんね。

1連
31

2連
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3連
33

4連
34

5連
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この曲も変形有節形式で、歌の旋律はほとんど同じなのですが、1,2連が変イ長調なのに対して、3,4,5連が同主調の変イ短調になります(ベートーヴェンは調号は変えずに、臨時記号をその都度付けているので、雰囲気をがらっと変えることは望んでいないように思います)。
3連の「嘆く(klagen)」、4連の「溜息(Seufzer)」、5連の「涙(Tränen)」など少し湿っぽい内容になっているのをベートーヴェンは反映させたのでしょう。

ピアノパートはこの曲でもベートーヴェンらしい工夫がされていると思います。例えば第2連で、これまで軽快に三連符で流れていたリズム(下の譜例のA)が、彼女が思いにふける"sinnend"と歌った途端に付点の引きずるようなリズム(B)に変わり、足取りが重くなったかのようです。
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C (4/4拍子)
Allegro assai
変イ長調(As-dur)

●詩の朗読(Sprecher: Johannes-c-held.com)

チャンネル名:Lied Lyrics

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

トリッチュラーは休符をうまく取り入れることによって、憧れるあまり喘ぐような効果が出ているように感じました。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

「第三節の冒頭で曲ははじめて短調に移行する。しかしそのために声を暗くするのは間違いであろう」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。とろけるような甘い美声と"Grüßt"の時のような威勢の良さとを合わせもったプライの歌は、若かりし頃の感傷が直に伝わってくるようです。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

20代半ばのみずみずしいF=ディースカウの美声が熟していない時代ならではの良さを感じさせてくれます。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

ヴンダーリヒは短調になってからの声色の変化がはっきり伝わってくるのがさすがですね。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

僕からの挨拶を伝えておくれという呼びかけが非常に伝わってきて、その語り口のうまさを改めて感じました。

●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)

ホルツマイアの柔らかい声が心地よく感じられます。イモジェン・クーパーの多彩な表現には舌を巻きます。

●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

重厚なゲルネがこれほど軽やかに推進力をもって歌い進めているのは凄いです。リシエツキの若さの感じられるピアノも新鮮でした。

●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

ボストリッジの声質はこの歌曲集によく合っていると思います。パッパーノは熟練した歌曲ピアニストのような味わいと余裕があります。

●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)

ブルンスは優しさと勇ましさが同居している声ですね。

●キンドラ・シャリク(MS), ジェフリー・ラドゥア(P)
Kindra Scharich(MS), Jeffrey LaDeur(P)

2019年2月18-20日St. Stephen's Episcopal Church, Belvedere, Tiburon, California録音。メゾの声は声変わり前の少年の声のようにも聞こえます。新鮮な趣があると思います。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Leichte Segler in den Höhen Op. 98 No. 3 (L. v. Beethoven) - Accompaniment

チャンネル名:insklyuh

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

Wikipedia: An die ferne Geliebte (英語版)

DUDEN: Segler

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ベートーヴェン「山々がかくも青く(Wo die Berge so blau, Op. 98, No. 2)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第2曲)

Wo die Berge so blau, Op. 98, No. 2 (aus "An die ferne Geliebte")
 山々がかくも青く(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第2曲)

1.
Wo die Berge so blau
Aus dem nebligen Grau
Schauen herein,
Wo die Sonne verglüht,
Wo die Wolke umzieht,
Möchte ich sein!
 山々がかくも青く
 模糊とした霧の中から
 見えるところ、
 太陽が燃え尽きるところ、
 雲が覆うところに
 僕はいたいのだ!

2.
Dort im ruhigen Tal
Schweigen Schmerzen und Qual.
Wo im Gestein
Still die Primel dort sinnt,
Weht so leise der Wind,
Möchte ich sein!
 あそこの静かな谷間では
 痛みや苦しさは口をつぐんでいる。
 岩山で
 静かにあのサクラソウが物思いにふけり、
 風がかすかに吹きわたるところに
 僕はいたいのだ!

3.
Hin zum sinnigen Wald
Drängt mich Liebesgewalt,
Innere Pein.
Ach, mich zög's nicht von hier,
Könnt ich, Traute, bei dir
Ewiglich sein!
 意味深くも森へと
 僕を急き立てるのは、愛の力と
 内なる苦しみだ。
 ああ、僕をここから連れ去らないでほしい、
 僕が、いとしい女性(ひと)よ、きみのもとに
 永遠にいられたらいいのに!

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の第2曲「山々がかくも青く」は、前曲の変ホ長調、3/4拍子から、ト長調、6/8拍子に変わり、「若干より速く(Ein wenig geschwinder)」と指定されています。

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ピアノ前奏は右手最高音で歌声部の冒頭旋律を先取りして奏で、歌につなげます。歌のメロディーも、歌とピアノ間奏の関係もエコーの効果が随所に感じられ、山に向かって物音が反響している様を思い出させてくれます。

1連
21

2連
22

3連
23

この曲の3つの連は基本的に同じ旋律を奏でる有節形式なのですが、興味深いのが、第1連でト長調で披露した歌の旋律を、下属調のハ長調に転調した第2連ではピアノ右手の最高音が奏で、歌は「g(ハ長調のソ)」の一音のみをひたすら保ちます。ここでは歌がピアノの"伴唱"に回るのですね。この連では「あそこの静かな谷間では/痛みや苦しさは口をつぐんでいる。」というテキストから黙る(schweigen)効果を表現しようとしているように思えます。
そして第3連で再びト長調に戻り、歌声部が旋律を取り戻し、焦燥感に駆られたように「かなり速く(Ziemlich geschwind)」歌います。途中「内なる苦しみ(Innere Pein)」の箇所で「ややゆるやかに(Poco adagio)」にテンポを落とし、強調しますが、すぐに元のテンポに戻ります。

彼女のところに行きたいという思いが第3連で爆発するように、同じ素材を使いながら巧みに設計されていて、短いけれど優れた曲だと思います。

余談ですが、一つの音だけしか歌わない歌曲がコルネーリウス(Peter Cornelius: 1824-1874)の作品にもあります。そのタイトルが「一つの音(Ein Ton, Op.3-3)」。そのままですね。興味がある方は聴いてみて下さい。

6/8拍子
Ein wenig geschwinder. Poco Allegretto (前よりも少し速く)
ト長調(G-dur)

●詩の朗読(Sprecher: Johannes-c-held.com)

チャンネル名:Lied Lyrics

●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)

ヒュッシュのディクションの美しさに聴き惚れます。

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

清流が流れるようなみずみずしいトリッチュラーの歌唱にただ引き込まれてしまいます。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

ヴンダーリヒの歌う1,2連最後の"Möchte ich sein!"の"sein"の切ない響きに魅了されました。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)

F=ディースカウならではの細かいところの凄さだけでなく、全体の設計が素晴らしいです。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

プライは抑えた第2連の後で第3連の爆発的な感情の吐露が効果的でした。第2連についてのプライの言葉:「あなたの描きだすこの谷間では、ほんとうに苦しみも悩みも静まります、とこの巨匠にむかって頷きたくなるほどだ」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)

●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)

ブルンスのどの音も疎かにしない丁寧な歌唱に好感が持てました。引退少し前のF=ディースカウとも共演したタイルのピアノは第3連で情熱的にリードしていく感じが印象的でした。

●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

ボストリッジとパッパーノの録音風景を見ることが出来ます。

●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)

第3連の"Innere Pein(内なる苦しみ)"のベーアのディクションの素晴らしさ!苦しみがじかに伝わってくるようです。パーソンズのピアノもスタイルを意識した素晴らしい表現でした。

●バーバラ・ヘンドリックス(S), ルーヴェ・デルヴィンゲル(P)
Barbara Hendricks(S), Love Derwinger(P)

速めのテンポで歌うヘンドリックスの歌唱は早熟な少年の声にも聞こえます。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Wo die Berge so blau Op 98 No 2 (L. v. Beethoven) - Accompaniment

チャンネル名:insklyuh

●【参考】歌声部が1つの音のみで出来ている作品
コルネーリウス作曲:一つの音(Ein Ton, Op.3-3)
Peter Cornelius: "Trauer und Trost", Op. 3: No. 3. Ein Ton
ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の第2曲の手法を引き継いだ作品と言えるのではないでしょうか。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

Primeln (Wikipedia: 詩の第2連に出てきたサクラソウの写真があります)

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ベートーヴェン「僕は丘の上に腰を下ろす(Auf dem Hügel sitz ich spähend, Op. 98, No. 1)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第1曲)

Auf dem Hügel sitz ich, spähend, Op. 98, No. 1 (aus "An die ferne Geliebte")
 僕は丘の上に腰を下ろす(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第1曲)

1.
Auf dem Hügel sitz ich, spähend
In das blaue Nebelland,
Nach den fernen Triften sehend,
Wo ich dich, Geliebte, fand.
 僕は丘の上に腰を下ろす、
 青く霧のかかった大地の中を探りながら、
 はるかな放牧地の方を見ながら、
 そこで僕はきみを、恋人よ、見つけたものだった。

2.
Weit bin ich von dir geschieden,
Trennend liegen Berg und Tal
Zwischen uns und unserm Frieden,
Unserm Glück und unsrer Qual.
 きみとはるか離れ離れになり、
 山や谷が隔てている、
 僕らと僕らの平安、
 僕らの幸福、僕らの苦しみを。

3.
Ach, den Blick kannst du nicht sehen,
Der zu dir so glühend eilt,
Und die Seufzer, sie verwehen
In dem Raume, der uns teilt.
 ああ、きみは見ることが出来ない、
 燃えるようにきみへと急ぐ視線、
 そして溜息を、それらは
 僕らを隔てている空間にかき消されてしまうのだ。

4.
Will denn nichts mehr zu dir dringen,
Nichts der Liebe Bote sein?
Singen will ich, Lieder singen,
Die dir klagen meine Pein!
 それではもうきみのもとへとおし進む
 愛の使者はいないというのか?
 僕は歌を歌いたい、
 きみに向けて僕の痛みを嘆く歌を!

5.
Denn vor [Liedesklang]1 entweichet
Jeder Raum und jede Zeit,
Und ein liebend Herz erreichet,
Was ein liebend Herz geweiht!
 なぜなら歌が響くと
 空間や時の隔たりが消え、
 一つの愛する心が
 愛する心を捧げたものに到達するのだから!

1 Different editions of Beethoven's song have a discrepancy here. Peters Edition (n.d., reissued 1949) has "Liedesklang" but G. Schirmer has "Liebesklang" (1902, 1929).

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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ドイツ歌曲の歴史において、複数の関連するテキストを一つにまとめる連作歌曲集という形式の最初の例として、ベートーヴェンの6曲からなる『遥かな恋人に寄せて(An die ferne Geliebte, Op. 98)』は極めて重要な位置にあります。
この作品以降、シューベルトが『美しい水車屋の娘』等を、シューマンが『詩人の恋』等を、ブラームスが『美しいマゲローネによるロマンス』を作曲することになるのですが、それらと『遥かな恋人に寄せて』は決定的に違うところがあります。
シューベルトたちは構成する各曲をそれぞれ完結させて、1曲が終わると一息ついて次の曲に移るように作られているのですが、ベートーヴェンの『遥かな恋人に寄せて』は全6曲を分離させず、各曲の間に橋渡しの部分を付けて、6曲を一つの流れで演奏するようにしました。

詩を書いたアロイス・イズィドア・ヤイテレスはオーストリアの医師、ジャーナリスト、作家で、ユダヤ系の家族のもとBrünn(現在のチェコの南モラヴィア地方の都市Brno)に生まれました。プラハとBrünnで哲学を学び、ヴィーンで医学を学びました。1848年から亡くなるまで「ブリュン新聞(Brünner Zeitung)」の編集も務めました。

この歌曲集は1816年初頭に作曲され、4月に完成されました。ベートーヴェンがどうやってヤイテレスの詩を知ったのかはよく分かっていないようです。当時ヤイテレスは21歳の医学生だったとのことですが、人脈は広かったようです。藤本一子氏によると「おそらくは雑誌『セレム』の出版者カステリの仲介によってベートーヴェンを個人的に知ったと想像される」とのことです(後述の参考文献による)。

作曲からわずか半年後に出版された初版のタイトル頁には"An die ferne Geliebte (遥かな恋人に寄せて)"の下の行に"Ein Liederkreis von Al. Jeitteles"-つまり、「Al.ヤイテレスの詩によるリーダークライス」と記されています。シューマンがそのタイトルとして使うよりも前にベートーヴェンは「歌曲の環」を意味する「リーダークライス」をこの歌曲集の副題としていたのです。

An-die-ferne-geliebte

この歌曲集の研究論文として、吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)をPDFで読むことが出来ます。成立、音楽的特徴など丁寧にまとめられた素晴らしい論文ですので興味のある方はダウンロードしてご覧ください。

第1曲「僕は丘の上に腰を下ろす」では、恋する女性と遠く離れた場所にいる主人公が丘に座り、彼女とはじめて会った放牧地に視線を向けます。山や谷が二人の間を隔てていることに苦しみ、歌を歌って障壁を取り除こうとします。

歌声部は各連をほぼ同じ旋律で繰り返します。

1連
1

2連
2

3連
3

4連
4

5連
5

一方ピアノパートは各連で異なるリズムやフレーズが展開され、ヘルマン・プライは「ピアノの変奏曲としても傑出した小品である」と述べています(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(1993年第一刷 メタモル出版)より)。

1連
1piano

2連
2piano

3連
3piano

4連
4piano

5連
5piano

ピアノパートはテキストを明らかに反映していると思われる箇所があります。

例えば、第3連の「溜息(Seufzer)」という言葉に反応して、すぐにピアノ右手に下降する音型を加えています。

13_seufzer

第4連で「歌を歌いたい(Lieder singen)」と歌った後のピアノ間奏が他の間奏と比べて「歌」を意識した柔らかい雰囲気になっている箇所も注目したいところです。

3_lieder-singen

楽譜を見ているとベートーヴェンの仕掛けがいろいろ凝らされていて飽きることがありません。一見普通の変形有節形式のように見えて、実は細かい工夫がいろいろされているところがやはりベートーヴェンの凄さだと思いました。

3/4拍子
Ziemlich langsam und mit Ausdruck (かなりゆっくりと、表情をつけて)
変ホ長調(Es-dur)

●詩の朗読(Sprecher: Johannes-c-held.com)

チャンネル名:Lied Lyrics (リンク先は音が出ます)

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

アイルランドのテノール、トリッチュラーの色合いが豊かでディクションの美しい歌唱は、この詩の主人公が障壁に対して前向きにとらえているように感じられました。素晴らしい歌唱です!

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

ヴンダーリヒは私の知る限りスタジオ録音ではこの歌曲集を残さなかった為、ライヴ音源がこうして残されたことに感謝するのみです。比較的落ち着いたテンポで丁寧に言葉を紡ぐヴンダーリヒはこの曲を歌うのに最もぴったりな一人だと思います。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

シュライアーはここであくまで清澄に静かに語りかけています。この後の展開に備えて抑制しているのかもしれませんね。

●エルンスト・ヘフリガー(T), エリク・ヴェルバ(P)
Ernst Haefliger(T), Erik Werba(P)

ヘフリガーの純朴で一途な歌はこの曲の主人公をはっきりと目の前に浮かばせてくれます。

●イアン・ボストリッジ(T), ホーヴァル・ギムセ(P)
Ian Bostridge(T), Håvard Gimse(P)

2012年6月26日、Risør Chamber Music Festivalでのライヴ映像。ボストリッジは持ち前の美声を響かせていました。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

F=ディースカウとムーアは1951年10月にロンドンのレコーディングスタジオではじめて共同作業をし、それ以来約20年の名コンビとなりました。初共演でいくつか録音した中にこの『遥かな恋人に寄せて』もあります。初共演ですでに熟練のコンビのような息のあった演奏を聞かせてくれています。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

「語り手の想いが遥か彼方へさまよい出るのに対して、語り手自身は腰を下ろして、いつまでもその場にとどまっている。それゆえ歌手の第一の課題は落ち着きであり、静かな雰囲気が聴き手に伝わらねばならない」(上述のプライの自伝より)。若かりしプライの甘美でありながらもデリケートな感性でテキストに反応する歌唱が素敵でした。

●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)

ベーアの歌唱は繊細で壊れやすい青年像をイメージさせてくれました。

●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)

私は個人的にこの歌曲集は柔らかい感触の声で歌われるのが好きです。そういう意味でホルツマイアの歌はまさに理想的でした。クーパーの美しいピアノもいいです。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Auf dem Hügel sitz ich spähend Op 98 No 1 (L. v. Beethoven) - Accompaniment (Piano Accompaniment, Hye-Kyung Chung)

チャンネル名:insklyuh

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

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エリー・アーメリング&ルドルフ・ヤンセン/メンデルスゾーン歌曲集

かつてCBSからLPで発売されていたエリー・アーメリング&ルドルフ・ヤンセンのメンデルスゾーン歌曲集が、アーメリングのYouTube公式チャンネルからアップされました。CD化を諦めていたので、ファンには望外の贈り物となりました!公式チャンネルさん有難うございます!!ちなみにこちらのリンク先に以前オリジナルのLPについて書いた記事があります。

Elly Ameling; Mendelssohn Lieder

録音:1979年12月4日, 30th Street Studio, New York

Elly Ameling(S)
Rudolf Jansen(P)

00:06 Auf Flügeln des Gesanges (歌の翼に), Op. 34-2
03:27 Gruss (挨拶), Op. 19-5
05:07 Neue Liebe (新しい愛), Op. 19-4
07:19 Romanze (ロマンス), Op. 8-10
09:56 Bei der Wiege (ゆりかごのそばで), Op. 47-6
13:48 Tröstung (慰さめ), Op. 71-1
16:14 Im Herbst (秋に), Op. 9-5
18:56 Frühlingslied (春の歌), Op. 47-3
21:45 Der Mond (月), Op. 86-5
23:54 Die Liebende schreibt (恋する女の手紙), Op. 86-3
27:16 Suleika (Ach, um deine feuchten Schwingen) (ズライカ "ああ、湿り気をおびてそよいでくるおまえ"), Op. 34-4
30:10 Suleika (Was bedeutet die Bewegung) (ズライカ "心をかきたてるこのそよぎは何なのでしょう"), Op. 57-3
33:44 Lieblingsplätzchen (お気に入りの場所), Op. 99-3
37:03 Das erste Veilchen (最初のすみれ), Op. 19-2
39:51 Des Mädchens Klage (乙女のなげき)
42:16 Nachtlied (夜の歌), Op. 71-6
45:33 Hexenlied (魔女の歌), Op. 8-8

※曲名の日本語は国内盤LPの表記によりました。

お勧めは全曲です(笑)
このころのアーメリングの弱声で絞りこんだ時のニュアンスの豊かさは心を鷲掴みにされます!
メンデルスゾーンの歌曲は「歌の翼に」「挨拶」「新しい愛」あたりが有名でよく演奏されます。
子守歌の「ゆりかごのそばで」は彼女の良さ全開ですし、「春の歌」と「秋に」の雰囲気の違いはメンデルスゾーンの歌曲創作の振り幅の大きさをあらためて実感でき、同時にアーメリングの多才さが感じられます。
「ズライカ」の2曲はシューベルトと雰囲気が真逆でとても興味深いです。
「乙女のなげき」もシューベルトとの違いを楽しめると思います。
「夜の歌」は真に感動的で、隠れた名曲と言えると思います。
そして「魔女の歌」をはじめてこの録音で知った時の衝撃を思い出しました。歌もピアノパートもとてもドラマティックで楽しめると思います。

個人的に大昔の思い出があって、まだ学生だった頃にラジオでドイツ語講座を聞いていた時期があったのですが、メンデルスゾーンの「お気に入りの場所」の歌詞を解説するという回があり、その時にこのアーメリングの音源が流れたのを思い出しました。よき思い出です。

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ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (ピアノ:デームス、ヘル、ブレンデル)/シューベルト&R.シュトラウス・ライヴ(1980年,1982年,1984年アムステルダム)

オランダの放送局NPO Radio4が、本日(5月28日)誕生日のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)のアムステルダム・コンセルトヘバウでのライヴを3種類、期間限定でアップしています。
おそらく数週間で消されてしまうと思いますので、もし興味のある方は早めに聴いてみて下さい。1曲ずつでも再生できるようになっているので、聞きたい曲だけ聞くことも出来ます。
シューベルトの方は1980年のライヴで、2014年にアップされた時にブログの記事にしていますので、その後アップされていなかったとしたら8年ぶりということになります。ピアノはイェルク・デームスです。

●Schubert-recital door Dietrich Fischer-Dieskau

ライヴ録音:1980年12月9日, Concertgebouw Grote Zaal Amsterdam(アムステルダム・コンセルトヘバウ大ホール)

Dietrich Fischer-Dieskau(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ) (bariton)
Jörg Demus(イェルク・デームス) (piano)

Schubert(シューベルト)作曲

1.Prometheus(プロメテウス) D.674
2.Meeresstille(海の静けさ) D.216
3.An die Leier(竪琴に寄せて) D.737
4.Memnon(メムノン) D.541
5.Freiwilliges Versinken(自ら沈み行く) D.700
6.Der Tod und das Mädchen(死と乙女) D.531
7.Gruppe aus dem Tartarus(タルタロスの群れ) D.583
8.Nachtstück(夜曲) D.672
9.Totengräbers Heimweh(墓掘人の郷愁) D.842

10.Der Wanderer an den Mond(さすらい人が月に寄せて) D.870
11.Abendstern(夕星) D.806
12.Selige Welt(幸福の世界) D.743
13.Auf der Donau(ドナウ川の上で) D.553
14.Über Wildemann(ヴィルデマンの丘を越えて) D.884
15.Wanderers Nachtlied(さすらい人の夜の歌Ⅱ) D.768
16.Des Fischers Liebesglück(漁師の恋の幸福) D.933
17.An die Laute(リュートに寄せて) D.905
18.Der Musensohn(ムーサの息子) D.764

19.Nachtviolen(はなだいこん) D.752
20.Geheimes(秘めごと) D.719
21.An Sylvia(シルヴィアに) D.891
22.Abschied(別れ) D.957 nr.7

次にR.シュトラウスのリサイタルで、こちらも2014年にアップされた時に記事にしていました。ピアノはハルトムート・ヘルです。

●Richard Strauss recital door Dietrich Fischer-Dieskau

ライヴ録音:1982年2月18日, Concertgebouw, Amsterdam(アムステルダム・コンセルトヘバウ)

Dietrich Fischer-Dieskau(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ) (bariton)
Hartmut Höll(ハルトムート・ヘル) (piano)

Richard Strauss(リヒャルト・シュトラウス)作曲

1 Schlechtes Wetter(悪天候), op.69 nr.5
2 Im Spätboot(夜更けの小舟で), op.56 nr.3
3 Stiller Gang(静かな散歩), op.31 nr.4
4 O wärst du mein(おお君が僕のものならば), op.26 nr.2
5 Ruhe, meine Seele(憩え、わが魂よ), op.27 nr.1 (04:00)
6 Herr Lenz(春さん), op.37 nr.5
7 Wozu noch, Mädchen(少女よ、それが何の役に立つのか), op.19 nr.1
8 Frühlingsgedränge(春の雑踏), op.26 nr.1
9 Heimkehr(帰郷), op.15 nr.5
10 Ach, weh mir unglückhaftem Mann(ああ辛い、不幸な俺), op.21 nr.4

11 Winternacht(冬の夜), op.15 nr.2
12 Gefunden(見つけた), op.56 nr.1
13 Einerlei(同じもの), op.69 nr.3
14 Waldesfahrt(森の走行), op.69 nr.4
15 Himmelsboten(天の使者), op.32 nr.5
16 Junggesellenschwur(若者の誓い), op.49 nr.6
17 "Krämerspiegel(「商人の鑑」)": O lieber Künstler(おお親愛なる芸術家よ), op.66 nr.6
18 "Krämerspiegel": Die Händler und die Macher(商人どもと職人どもは), op.66 nr.11
19 "Krämerspiegel": Hast du ein Tongedicht vollbracht(あなたが交響詩を書き上げたら), op.66 nr.5
20 "Krämerspiegel": Einst kam der Bock als Bote(かつて牝山羊が使者にやって来た), op.66 nr.2

21 Traum durch die Dämmerung(黄昏を通る夢), op.29 nr.1
22 Ständchen(セレナーデ), op.17 nr.2
23 Morgen(明日), op.27 nr.4
24 Zugemessene Rhythmen(整いすぎたリズム), WoO.122

1984年のアルフレート・ブレンデルとの『冬の旅』のライヴは、スタジオ録音やDVDの映像と比較してみるのも興味深いかと思います。

●Legendarisch archief: Winterreise door Dietrich Fischer-Dieskau

ライヴ録音:1984年6月29日, Concertgebouw, Amsterdam(アムステルダム・コンセルトヘバウ)

Dietrich Fischer-Dieskau(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ) (bariton)
Alfred Brendel(アルフレート・ブレンデル) (piano)

Schubert(シューベルト)作曲

Winterreise(『冬の旅』) D.911 - compleet

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シュヴァルツコプフの歌う「ライアー弾き(Der Leiermann, D911-24)」他(1969年、1972年ライヴ音源)

An Elisabeth Schwarzkopf Recital (Montréal, 1972)

kadoguyさんのYouTubeチャンネル(※リンク先は音が出ます)からエリーザベト・シュヴァルツコプフ(Elisabeth Schwarzkopf: 1915-2006)とマーティン・イセップ(Martin Isepp: 1930-2011)によるカナダ、モントリオールでの1972年ライヴ音源がアップされていました。

詳細データは下記の通りですが、注目すべきなのは、最初のシューベルト歌曲のグループに歌曲集『冬の旅』から「リンデンバウム(セイヨウボダイジュ)」と「ライアー弾き(辻音楽師)」が歌われていることです!
「リンデンバウム」についてはすでにアムステルダムで歌われた際のライヴ音源がCD化されているので商品として聴くことは出来たのですが、「ライアー弾き」はこれまで聴くことが出来ず、私も今回はじめてこの貴重な録音により聴くことが出来ました。
彼女の来日公演プログラムには両曲とも含まれていて、これらが彼女のレパートリーに入っていることは知っていたのですが、「ライアー弾き」の音源がまさか残っているとは思いませんでした。

上記の動画の5:30に目盛りを移動すると「リンデンバウム」が、10:38に目盛りを移動すると「ライアー弾き」が始まります。

彼女の「ライアー弾き」は、噛みしめるように一語一語を丁寧に抑えめに語ります。ほとんど一貫して抑制した歌いぶりですが、最後の単語"drehn"で大きなクレッシェンドをかけて強調していました。第三者的というよりは主人公になりきった歌唱のように感じました。

さまざまな作曲家のミックスプログラムであえてこの曲を選ぶというのは珍しいことではないかと思いますが、演奏活動の終焉をそろそろ予感していた時期に『冬の旅』を歌いたいという心境になっていたのでしょうか。

ピアノのマーティン・イセップは、ヴィーン生まれで、8歳の時にイギリスに移り、ここを本拠地として活動しました。特にジャネット・ベイカーとのコンビは高く評価されています。
シュヴァルツコプフは彼女の演奏活動後期に複数回イセップと共演していたようですが、録音ではおそらく契約の関係でしょうか、ほぼジェフリー・パーソンズとのみ共演していましたので、このライヴ音源はイセップとの共演の記録という意味でも貴重です。

1972年4月7日, サル・ヴィルフリド=ペルティエ、モントリオール(モンレアル)

エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)
マーティン・イセップ(P)

フランツ・シューベルト:
I. ズライカⅠ, D. 720 0:00
II. リンデンバウム, D. 911, no. 5 5:30
III. ライアー弾き, D. 911, no. 24 10:38

ローベルト・シューマン:
IV. くるみの木, op. 25, no. 3 14:56
V. トランプ占いする女, op. 31, no. 2 19:05

ヨハネス・ブラームス:
VI. あの下の谷に, WoO. 33 no. 6 22:18
VII. 甲斐なきセレナード, op. 84, no. 4 25:01

エドヴァルト・グリーグ:
VIII. 睡蓮とともに, op. 25, no. 4 26:49
IX. きみを愛す, op. 5, no. 3 29:46

フランツ・リスト:
X. 三人のジプシー, S. 320 32:34

リヒャルト・シュトラウス:
XI. 明日!, op. 27, no. 4 39:06

フーゴ・ヴォルフ:
XII. フィリーネ 43:37
XIII. あなたは私が侯爵夫人でもないくせにと言うのね 46:50
XIV. あなたは私を一本の糸で捕まえて 48:10
XV. 私ペンナに住んでいる恋人がいるの 49:16

フランツ・シューベルト:
XVI. 至福, D. 433 50:35

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April 7, 1972, Salle Wilfrid-Pelletier, Montréal

Elisabeth Schwarzkopf, soprano
Martin Isepp, piano

Franz Schubert:
I. Suleika I, D. 720 0:00
II. Der Lindenbaum, D. 911, no. 5 5:30
III. Der Leiermann, D. 911, no. 24 10:38

Robert Schumann:
IV. Der Nussbaum, op. 25, no. 3 14:56
V. Die Kartenlegerein, op. 31, no. 2 19:05

Johannes Brahms:
VI. Da unten im Tale, WoO. 33 no. 6 22:18
VII. Vergebliches Ständchen, op. 84, no. 4 25:01

Edvard Grieg:
VIII. Mit einer Wasserlilie, op. 25, no. 4 26:49
IX. Ich liebe dich, op. 5, no. 3 29:46

Franz Liszt:
X. Die drei Zigeuner, S. 320 32:34

Richard Strauss:
XI. Morgen!, op. 27, no. 4 39:06

Hugo Wolf:
XII. Philine 43:37
XIII. Du sagst mir, daß ich keine Fürstin sei 46:50
XIV. Du denkst mit einem Fädchen mich zu fangen 48:10
XV. Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen 49:16

Franz Schubert:
XVI. Seligkeit, D. 433 50:35

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Elisabeth Schwarzkopf sings Schubert & Schumann Lieder! (Montréal, 1969)

もう1つ1969年のモントリオールでのシュヴァルツコプフのライヴが同じくkadoguyさんのYouTubeチャンネルからアップされていて、こちらの共演者はジョン・ニューマーク(John Newmark: 1904-1991)です。ニューマークとは1970年2月15日にテレビ用コンサートで共演して、その時の録音がRococoというレーベルからLPで発売されたことがあるそうです。彼はドイツ生まれで後にカナダに帰化したピアニストで、独奏者として、またカナダ内外の多数の音楽家の共演者として活躍しました。特にキャスリーン・フェリアやモーリーン・フォレスターとの共演は非常に有名です。

「くるみの木」はこちらでも歌われています。後期のシュヴァルツコプフはこの曲をゆっくりめに歌う傾向があり、ここでもしっとりとした匂い立つような演奏ですね。

1969年10月19日, エクスポ劇場、モントリオール(モンレアル)

エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)
ジョン・ニューマーク(P)

I. シューベルト:音楽に寄せて, D. 547 0:00
II. シューベルト:ます, D. 550 2:37
III. シューマン:くるみの木, op. 25, no. 3 4:45
IV. シューベルト:至福, D. 433 8:32

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October 19, 1969, Expo-Théâtre, Montréal

Elisabeth Schwarzkopf, soprano
John Newmark, piano

I. "An die Musik", D. 547 (Schubert) 0:00
II. "Die Forelle", D. 550 (Schubert) 2:37
III. "Der Nußbaum", op. 25, no. 3 (Schumann) 4:45
IV. "Seligkeit", D. 433 (Schubert) 8:32

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ベートーヴェン「憧れ(Sehnsucht, WoO. 146 "Die stille Nacht umdunkelt")」

Sehnsucht, WoO. 146
 憧れ

1.
Die stille Nacht umdunkelt
Erquickend Tal und Höh',
Der Stern der Liebe funkelt
Sanft wallend in dem See.
 静かな夜は
 元気を回復させながら谷や丘を闇に包み、
 愛の星は
 穏やかに湖の中でうねりながらきらめく。

2.
Verstummt sind in den Zweigen
Die Sänger der Natur;
Geheimnisvolles Schweigen
Ruht auf der Blumenflur.
 枝々にいる
 自然界の歌い手たちは口を閉ざし、
 秘めやかな沈黙が
 花咲き乱れる野原に憩う。

3.
Ach, mir nur schließt kein Schlummer
Die müden Augen zu:
Komm, lindre meinen Kummer,
Du stiller Gott der Ruh!
 ああ、眠りは
 僕の疲れた瞳を閉じない、
 来て、僕の苦しみを和らげておくれ、
 静かな憩いの神よ!

4.
Sanft trockne mir die Tränen
Gib süßer Freude Raum,
Komm, täusche hold mein Sehnen
Mit einem Wonnetraum!
 優しく僕の涙を乾かして、
 甘き喜びにひたらせておくれ、
 おいで、僕の憧れを快く
 歓喜の夢で欺いておくれ!

5.
O zaubre meinen Blicken
Die Holde, die mich flieht,
Laß mich ans Herz sie drücken,
Daß edle Lieb' entglüht!
 おお、僕の目に魔法をかけて
 僕から逃げたいとしい人を見せておくれ、
 気高い愛が燃え上がるように
 彼女をきつく抱きしめさせておくれ!

6.
Du Holde, die ich meine,
Wie sehn' ich mich nach dir;
Erscheine, ach, erscheine
Und lächle Hoffnung mir!
 僕の好きないとしい人、
 どれほどきみが恋しいことか、
 姿を見せて、ああ、姿を見せて
 希望が僕に微笑みかけますように!

詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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今回はベートーヴェンがこれまでも好んで曲を付けてきたクリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒの詩に1815年終わりから1816年初めに作曲した「憧れ(Sehnsucht, WoO. 146)」を取り上げたいと思います。

夜の静寂の中眠れない主人公は、逃げられた恋人への思慕の念を募らせ、夢にあらわれてくれるように願うという内容です。

コラール風の穏やかな信仰告白を思わせるこの曲は、恋人への憧れの気持ちを神聖な存在への思慕に昇華したかのようにすら感じられます。聴いているうちに胸が熱くなってくるほど静かな感動を覚える作品だと思います。

音楽は詩の2連づつをひとまとまりにした変形有節形式と言ってよいでしょう。歌声部はほぼ同じ音楽を3回繰り返し、一方ピアノ・パートは後期ピアノ・ソナタの緩徐楽章にも通じる天から降って来たような音楽を変奏形式で展開していきます。この作品はベートーヴェンにしか書けない音楽だと思います。知られざる傑作と言っていいのではないでしょうか。

3/4拍子
ホ長調(E-dur)
Mit Empfindung, aber nicht zu langsam (感情をこめて、しかしゆっくり過ぎずに)

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)

F=ディースカウは詩の展開に沿って見事なまでに憧れの心情を描いていました。素晴らしかったです!デームスのピアノも感情の機微が感じられて良かったです。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

含蓄に富んだプライの豊かな表現に胸がいっぱいになりました。成熟した時期だからこその思いの深さがありました!

●アン・ソフィー・フォン・オッター(MS), メルヴィン・タン(Fortepiano)
Anne Sofie von Otter(MS), Melvyn Tan(Fortepiano)

オッターの節度をもったしっとりとした味わいの歌は思わず耳をそばだてて聞き入ってしまうほどです。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

シュライアーの誠実な歌いぶりを聴くと、主人公の憧れの対象である恋人に思いが届いてほしいと思わずにいられません。

●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)

ベーアが歌うと、繊細な青年像が思い浮かびます。この曲の主人公の心の痛みと恋人への強い思いの表現にぴったり合致していると思います。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「憧れ」——希望に呼びかける、ライシッヒの詩による歌曲(平野昭)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(「Sehnsucht, WoO 146」の解説:村田千尋)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

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エリー・アーメリング・マスタークラス(Internationaal Lied Festival Zeist) (2022/5/18, 5/20)

今月オランダ、ゼイスト(Zeist)で国際リートフェスティヴァル(Internationaal Lied Festival Zeist)が開催されていて、アーメリングのマスタークラスも催されているようです。

Internationaal Lied Festival Zeist
Masterclass Elly Ameling

woensdag 18 mei 2022
10.15 - 13.00 14.00 - 16.45

vrijdag 20 mei 2022
10.15 - 13.00 14.00 - 16.45

5/17のステファヌ・ドゥグー(Stéphane Degout)(BR)とアラン・プラネス(Alain Planès)(P)のリサイタル終演後と思われるアーメリングとの写真もあり、相変わらずお元気そうです。

マスタークラスのレポートを誰かアップしてくれたらいいなと思います。

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ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau: 1925.5.28-2012.5.18) 没後10年を記念して

ドイツ歌曲の演奏史に燦然と輝くディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau : 28. Mai 1925, Zehlendorf, Berlin - 18. Mai 2012, Berg am Starnberger See)が亡くなって早いものでもう10年が経ちました(2022年5月現在)。
中学生の頃にドイツ歌曲に惹かれて以来、彼にどれほど楽しませてもらったことでしょう。LPからCDに移り変わる時期にレコード店でLP、CD、カセットテープを夢中になって漁っていた時が懐かしく思い出されます。私にとって忘れがたい歌曲演奏家は山のようにいるのですが、その中でもF=ディースカウは別格の存在でした。
彼の声を美しくないと評する意見をよく目にするのですが、私の耳には彼の若かりし頃の声はとても心地よい美しさをもって響いてきます。ハイバリトンの軽やかな響きは自在なダイナミズムとめりはりのきいたディクションによって手に汗握るようなドラマを描いてくれます。
「完璧すぎる」「うますぎて鼻につく」というのも彼の評で頻繁に目にします。人の受け取り方はそれぞれなのでそれはその人にとってはおそらく真実なのだと思います。ただ私は畑中良輔氏がインタビューした時に彼が「自分には絶対音感がないので現代音楽は覚えるまで何度でも練習する」と言った言葉が忘れられません。彼が並外れた才能をもっていることは言うまでもないことですが、そんな彼ですら覚えるために地道に繰り返し練習するのです。その結果「完璧」とみなされるのならば私にはただただ凄いことにしか思えません。

私にとってフィッシャー=ディースカウの歌曲歌唱の中で最高だと思うのは断トツでシューベルトです。
中でもDeutsche Grammophonレーベルに1966年12月から1972年3月にかけてジェラルド・ムーアと共に録音したシューベルト歌曲大全集は一番の宝物です。463曲ものシューベルトの歌曲の録音が、今か今かと聞かれるのを待っているように盤面でひしめきあっているように感じられます。
実は私はまだ通して全曲を聞いたことがないので、先週から時間を見つけて次々と聞き進めているところです。こうしてどっぷりこの全集に集中してみると、いかにフィッシャー=ディースカウという存在が偉大であったか改めてひしひしと感じています。例えば歌曲集『美しい水車屋の娘』の第1曲のメリスマなど、F=ディースカウは必ずしもシューベルトの音程どおりではなく、勢いに任せて歌っていたりします。「完璧、お手本」といった言葉の堅苦しさと異なる自由な歌いぶりが感じられて個人的にはとても興味深いです。いつかのインタビューで「自然に」歌うことを心掛けていると言っていました。ともすれば「人工的」と評されがちなF=ディースカウのそうではない特質をこのシューベルトの1曲1曲から感じ取ることが出来て、とても楽しく聞き進めています。

この膨大な全集の曲目一覧をPDFファイルにまとめましたので興味のある方はダウンロードしてご参照ください。

ダウンロード(PDFファイル)

シューベルト歌曲大全集の一環として三大歌曲集も1971-72年に録音していますが、その他にもフィッシャー=ディースカウは折に触れ繰り返し録音しています。彼自身は「その時一番新しい録音」が最も納得のいく演奏と語っていましたが、歌曲ファンにとってはそれぞれの時期の歌唱を聞き比べる喜びがあり、これだけの録音を残してくれたF=ディースカウと関係者の方に感謝あるのみです。

●シューベルト:歌曲集『美しい水車屋の娘』D 795
Schubert: Die schöne Müllerin, D 795

1) HMV (EMI): 3-7 October 1951, Abbey Road Studios, London
Gerald Moore, piano

2) HMV (EMI): 2-4 December 1961, Gemeindehaus, Berlin-Zehlendorf
Gerald Moore, piano

3) Deutsche Grammophon: 8-10 January 1968, Ufa-Ton-Studio, Berlin
Jörg Demus, piano

4) Deutsche Grammophon: December 1971, Ufa-Ton-Studio, Berlin
Gerald Moore, piano

5) [DVD] Arthaus: 20 June 1991, Feldkirch, Austria (live)
András Schiff, piano

6) [DVD] EMI: 2 April 1992, Salle Pleyel, Paris (live)
Christoph Eschenbach, piano

7) Tobu Recordings: 24 November 1992, Concert Hall, Tokyo Metropolitan Theatre (Tokyo Geijutsu Gekijo) (live)
Wolfgang Sawallisch, piano

●シューベルト:歌曲集『冬の旅』D 911
Schubert: Winterreise, D 911

1) Moviment Musica: 19 January 1948, Berlin
Klaus Billing, piano

2) Verona: 4 October 1952, Köln (live)
Hermann Reutter, piano

3) Melodram: 6 November 1953, Berlin (live)
Hertha Klust, piano

4) HMV (EMI): 13-14 January 1955, Gemeindehaus, Berlin-Zehlendorf
Gerald Moore, piano

5) INA: 4 July 1955, Prades (live)(第5曲「リンデンバウム(Der Lindenbaum)」は演奏中に起きた停電の為録音が残されていない。CDではヘルタ・クルスト(Hertha Klust)との録音を流用)
Gerald Moore, piano

6) HMV (EMI): 10 & 17 November 1962, Gemeindehaus, Berlin-Zehlendorf
Gerald Moore, piano

7) Deutsche Grammophon: 11-15 May 1965, Ufa-Ton-Studio, Berlin
Jörg Demus, piano

8) Deutsche Grammophon: 18-20 August 1971, Ufa-Ton-Studio, Berlin
Gerald Moore, piano

9) ORFEO: 23 August 1978, Kleines Festspielhaus, Salzburg (live)
Maurizio Pollini, piano

10) [DVD] TDK: 13 January 1979, Berlin
Alfred Brendel, piano

11) Deutsche Grammophon: 19-21 January 1979, Studio Lankwitz, Berlin
Daniel Barenboim, piano

12) Philips: 17-24 July 1985, Berlin
Alfred Brendel, piano

13) SONY CLASSICAL: 15-18 July 1990, Siemens-Villa, Berlin
Murray Perahia, piano

●シューベルト:歌曲集『白鳥の歌』D 957
Schubert: Schwanengesang, D 957
1. Liebesbotschaft; 2. Kriegers Ahnung; 3. Frühlingssehnsucht; 4. Ständchen; 5. Aufenthalt; 6. In der Ferne; 7. Abschied; 8. Der Atlas; 9. Ihr Bild; 10. Das Fischermädchen; 11. Die Stadt; 12. Am Meer; 13. Der Doppelgänger; 14. Die Taubenpost, D 965A

1) Melodram: 7 January 1954, Berlin
Hertha Klust, piano
(CD表記の1948年1月録音Klaus Billing (piano)は、Monika Wolf著"Dietrich Fischer-Dieskau: Verzeichnis der Tonaufnahmen"によると間違いとのこと)

2) HMV (EMI): 6 October 1951, Abbey Road Studios, London (8-13);
2, 12, 13 May 1955, Abbey Road Studios, London (1,3,7);
20, 21 September 1957, Gemeindehaus, Berlin-Zehlendorf (2,14);
23, 24 May 1958, Gemeindehaus, Berlin-Zehlendorf (4,5,6)
Gerald Moore, piano

3) HMV (EMI): 7-8 May 1962, Berlin
Gerald Moore, piano

4) Deutsche Grammophon: 7 & 9 March 1972, Ufa-Ton-Studio, Berlin
Gerald Moore, piano

5) Philips: 24 August - 1 September 1982, Siemens-Villa, Berlin
Alfred Brendel, piano

●シューベルト歌曲大全集からの音源:臨終を告げる鐘 D 871
Schubert: Das Zügenglöcklein, D 871

Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)
録音:1969年3月, Ufa-Ton-Studio, Berlin

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(参考)

Wikipedia (ドイツ語)

Wikipedia (日本語)

Dietrich Fischer-Dieskau (Monika Wolf)

Monika Wolf: "Dietrich Fischer-Dieskau: Verzeichnis der Tonaufnahmen": Tutzing: Schneider, 2000: ISBN 3 7952 0999 4

Compiled by John Hunt: "A Notable Quartet: Janowitz, Ludwig, Gedda, Fischer-Dieskau": John Hunt, 1995: ISBN 0 9525827 1 6

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