シューベルト「夜曲」(Schubert: Nachtstück, D 672)を聴く
Nachtstück, D 672
夜曲
[Wenn]1 über Berge sich der Nebel breitet,
Und Luna mit Gewölken kämpft,
So nimmt der Alte seine [Harfe]2, und schreitet,
Und singt waldeinwärts und gedämpft:
"Du heil'ge Nacht!
Bald ist's vollbracht.
Bald schlaf' ich ihn
Den langen Schlummer,
Der mich erlöst
Von [allem]3 Kummer."
"Die grünen Bäume rauschen dann,
Schlaf süß du guter alter Mann;
Die Gräser lispeln wankend fort,
Wir decken seinen Ruheort;
Und mancher [liebe]4 Vogel ruft,
O [laßt]5 ihn ruh'n in Rasengruft!" -
Der Alte horcht, der Alte schweigt -
Der Tod hat sich zu ihm geneigt.
山々の上方に霧が広がり
月がたなびく雲と争うとき、
老いた男が竪琴を手にとり、歩み出て
森に向かって小声で歌う。
「聖なる夜よ!
じきに終わるだろう。
私はすぐに
長い眠りにつく、
その眠りは私を
あらゆる苦悩から解放してくれるのだ。」
「すると緑の木々はざわめく、
善良な老人よ、安らかに眠れ。
さらに草は揺れながらそよぐ、
私たちが彼の休息の地を覆ってあげよう。
そして多くの鳥は鳴く、
おお、芝生の墓穴に彼を休ませてあげよう!」
老人は耳を澄まし、そして老人は沈黙する。
死が彼に近寄っていった。
1 Mayrhofer: Wann
2 Mayrhofer: Harf’
3 Mayrhofer: jedem
4 Mayrhofer: traute
5 Schubert (Alte Gesamtausgabe): laß
詩:Johann Baptist Mayrhofer (1787-1836), "Nachtstück"
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828), "Nachtstück", op. 36 (Zwei Lieder) no. 2, D 672 (1819), published 1825 [voice, piano], Cappi und Comp., VN 60, Wien
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シューベルトの友人で1819年から3年間同居していたヨハン・マイアホーファー(Johann Mayrhofer)のこのテキストにシューベルトは1819年10月(第1稿)に作曲しました。この詩が出版されたのは1824年だったので(Johann Mayrhofer: Gedichte (Wien: Friedrich Volke))、おそらくマイアホーファー自身から直接詩を受け取って作曲したものと思われます。第2稿は1825年にOp. 36の第2曲としてヴィーンのCappi und Comp.社から出版されました(第1曲は「怒れるディアーナ(Die zürnende Diana, D 707)」)。
雲の群れが月にかかろうという夜分に、今際の時が近づいていることを予感した老人が竪琴を手にして「もうすぐ長い眠りにつく。あらゆる苦しみから解放されるのだ」と歌います。すると、木々や草、鳥たちが老人をいたわり声をかけます。それらの声に耳を澄ましていた老人はいつしか黙り込んでいました。いよいよ死が老人に寄りかかってきたのです。
"Es ist vollbracht(成し遂げられた)"は「ヨハネによる福音書」内の十字架にかけられたイエスの最後の言葉だそうです。これに"bald(間もなく、じきに)"を付けた詩句が老人の歌の2行目です(Bald ist's vollbracht.)。このイエスの最後の言葉についてはネット上にいろいろな解説が出ていますが、詳しい方がいらっしゃいましたらご教示いただけますと幸いです。
ちなみにこの曲(詩)のタイトル"Nachtstück"は「夜の曲」つまり「ノクターン」ですね。シューベルトはノットゥルノ(=ノクターン)(Notturno in E-flat major, D 897)と題するピアノ三重奏曲を後年作りますが、歌曲でもこんなに美しい作品を残してくれました。夜の神秘は詩人も作曲家も引き付けられるテーマなのでしょう。
ピアノの前奏の左手は半音ずつ下行する二分音符の3度間隔の音が不穏な雰囲気を醸し出します。右手は十六分音符とアクセント付きの四分音符の組み合わせが主人公の老人のおぼつかない足取りを想起させます。しかもこの短い前奏の間でppから始まりクレッシェンドしてfにいたり、歌直前にppに戻るというダイナミクスの大きな変化があります。老人はつまづきながらも歩みを止めません。
アッラブレーヴェ(2/2拍子)に変わり、老人が竪琴を取り歌おうとするところで左手のバス音は四分音符で静かに上行し、右手もこれまでの不安定さがなく、死を予感して歌おうとする老人が最後に矍鑠とした歩みを見せているかのようです。
続いて老人の歌が始まりますが、竪琴をもって歌う美しいアルペッジョの部分の冒頭に"mit gehobener Dämpfung"という指示があります。
"Dämpfung"は「減衰」という意味を持ち、ピアノの左ペダル(ソフトペダル)のことと書かれているサイトもありました。ただ、ベートーヴェンの「月光」ソナタの1楽章に「senza sordino(文字通りの意味は弱音器なしで)」という指示があり、「sordino」がソフトペダルではなく、ダンパーをあらわし、ダンパーなし=つまり右ペダルを踏んで弦からダンバーを外すことで音を保持するという意味に使っているという説が濃厚であることを考えると、シューベルトのこの指示も同様の可能性が出てきます。つまり"mit gehobener Dämpfung"の"Dämpfung"もダンパーと同義と仮定すると「ダンパーをあげて」つまり「右ペダルを踏んで(音を保持して)」という意味になるのではないかと想像します。ちなみにドイツ語でダンパーはDämpferであり、シューベルトのDämpfungも同じものを指しているという可能性があると思います。実は「夕映えの中で(Im Abendrot)」の第1稿の冒頭標示も"Sehr langsam, mit gehobener Dämpfung"であり、こちらも右ペダルが必須の曲なので、「右ペダルを踏んで」のような気がしますがどうなのでしょう。
老人の歌の最後の部分「Der mich erlöst / von allem Kummer.(その眠りは私をあらゆる苦悩から解放してくれるのだ)」で左手のバス音が半音ずつ上行して、最後に変ホ長調(Es-dur)の明るい響きに至る箇所は、個人的に聞いていて特に感動する部分です。この部分はもう一度繰り返されますが"erlöst"のメロディに変化が見られます(友人の歌手フォーグルの意見が反映されているのかもしれないと想像したりもします)。
老人の歌が終わると、緑の木々や草や鳥たちが老人を慰め、安らかに眠らせてあげようと歌います。ここでピアノパートの音型が変わり、右手のジグザグな音型は動植物たちのささやきを模しているように感じられます。最後に死が老人に寄っていくところまでこの音型は継続され、動植物たちに守られながらいつのまにか長い眠りについた様が描かれているように思います。
そして最後はハ長調(C-dur)の明るい響きで老人の安らかな眠りが暗示されて終わります(この記事で使った楽譜は初版(Erstdruck)によりました)。
私がこの曲をはじめて聞いたのは1983年10月21日(金)19:00 神奈川県民ホールでのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ&ハルトムート・ヘルによるオール・シューベルト・リサイタルでした。その時は当時ほとんど知らない曲ばかりのプログラムの中、曲の区別もつかないまま聞いていたと思いますが、後に当時いろいろリートのことを教えてくださった方から有難いことにディースカウとムーアの全集の録音でこのプログラムをそのままダビングしてくださり、そのカセットテープをそれこそテープがのびるまで繰り返し聞いたものでした。あの頃が私にとって現在まで続くリート愛の原点だったのでとても懐かしいです。その後、当時のディースカウがブレンデルとシューベルト歌曲集を録音したものがPhilipsからリリースされ、その中にこの曲も含まれていたので、その録音を聞いても当時を思い出します。回想が長くなってしまいました...。当時は珍しい曲でしたが、今はいろいろな演奏者がレパートリーに加え、この曲の素晴らしさが認識されてきたのだと思います。曲の最後で長調の響きで主人公の男性が安息を得たという結末にしたシューベルトの優しい解釈に感銘を受けます。この曲をご存じの方もそうでない方も下の録音からお好きなものを聞いてみて下さい。
・1. Fassung (第1稿)
C (4/4拍子)
cis-moll (嬰ハ短調)
Sehr langsam
・2. Fassung (第2稿)
C (4/4拍子)
c-moll (ハ短調)
Sehr langsam
●詩の発音(Susanna Proskura)
Schubert, Nachtstück, pronunciation
Channel名:A Susanna Proskura (元のサイトはこちらのリンク先です。どちらのリンク先も音が出るので要注意)
朗読というよりは、テキストの正確な発音を知りたい人に役に立つと思います。ソプラノ歌手のプロスクラが語っています。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), アルフレート・ブレンデル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Alfred Brendel(P)
当時老境に入りかかったF=ディースカウの抑えた響きでのレガートが、テキストの主人公を彷彿とさせ、素晴らしいです。ブレンデルの美しい響きをPhilipsの録音技術がよくとらえていると思います。
●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
プライのメッザ・ヴォーチェの美しさを堪能できる歌唱です。ホカンソンも美しく寄り添っています。
●マティアス・ゲルネ(BR), エリック・シュナイダー(P)
Matthias Goerne(BR), Eric Schneider(P)
深々とした包容力のあるゲルネの声は今際の時の老人を優しく慰撫しているようです。
●ズィークフリート・ローレンツ(BR), ノーマン・シェトラー(P)
Siegfried Lorenz(BR), Norman Shetler(P)
ローレンツの東独出身者らしい律儀で一点もゆるがせにしない正確な歌唱は、お手本のようです。しかも声もみずみずしく美しいです。テキストの老人像とは遠いかもしれませんが、あまり知られていないのが残念なほど素晴らしい歌唱です。ローレンツと長く共演してきたシェトラーのピアノも非常に美しいです。
●ライナー・トロースト(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Rainer Trost(T), Ulrich Eisenlohr(P)
原調で聞ける貴重な録音。トローストの美声は聞き手の胸にぐいぐい迫ってきます。他の歌手が母音化しがちな"-er"の響きを(おそらく意図的に)しっかり発音している箇所が多いのが印象的です。
●クリストフ・プレガルディアン(T), アンドレアス・シュタイアー(Fortepiano)
Christoph Prégardien(T), Andreas Staier(Fortepiano)
プレガルディアンが丁寧にメロディーラインの美しさを聞かせてくれます。シュタイアーの古雅な響きも良いです。
●ブリギッテ・ファスベンダー(MS), グレアム・ジョンソン(P)
Brigitte Fassbaender(MS), Graham Johnson(P)
濃厚な声質をもったファスベンダーが、単色になりがちなこの作品で彩り豊かな歌唱を聞かせています。ジョンソンが前奏の十六分音符を鋭く弾いているのは当時の演奏習慣がそうだったのでしょうか。
●オラフ・ベーア(BR), ヤン・ザーチェク(GT)
Olaf Bär(BR), Jan Žáček(GT)
この曲はギター編曲版で歌われることも多いらしく、いくつかの動画があがっていましたが、このベーアの演奏は、他のギター伴奏歌曲と一緒に録音されたものです。ベーアの優しい歌声がギターの味わいと溶け合い、よりインティメートな雰囲気が感じられますね。
●ピアノパートのみ+歌声部もピアノで演奏した版(Piano. 홍이루(Iru Hong))
Nachtstück/accompaniment, with Melody/반주 멜로디연주/(high voice)Schubert
Channel名:홍반주 yourpianist (元のサイトはこちらのリンク先です)
ピアノパートがいかに精巧に出来ているのを感じることが出来ます。
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(参考)
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