東京春祭 歌曲シリーズ vol.39:コンスタンティン・クリンメル(バリトン)&ダニエル・ハイデ(ピアノ)(2024年4月12日(金) ライブ配信席)
東京春祭 歌曲シリーズ vol.39
コンスタンティン・クリンメル(バリトン)&ダニエル・ハイデ(ピアノ)
2024年4月12日(金) 19:00開演(18:30開場)
東京文化会館 小ホール(※私はライブ配信で聞きました)
バリトン:コンスタンティン・クリンメル
ピアノ:ダニエル・ハイデ
シューベルト:《美しき水車屋の娘》D795
第1曲 さすらい
第2曲 どこへ?
第3曲 止まれ!
第4曲 小川への言葉
第5曲 仕事を終えた宵の集いで
第6曲 知りたがる男
第7曲 苛立ち
第8曲 朝の挨拶
第9曲 水車職人の花
第10曲 涙の雨
第11曲 僕のもの
第12曲 休み
第13曲 緑色のリュートのリボンを手に
第14曲 狩人
第15曲 嫉妬と誇り
第16曲 好きな色
第17曲 邪悪な色
第18曲 凋んだ花
第19曲 水車職人と小川
第20曲 小川の子守歌
※休憩なし
[アンコール]
シューベルト:月に寄せてD193
畑中良輔 (杉浦伊作:作詞):花林(まるめろ)
シューベルト:歓迎と別れD767
Tokyo-HARUSAI Lieder Series vol.39
Konstantin Krimmel(Baritone)& Daniel Heide(Piano)
2024/4/12 [Fri] 19:00 Start [ Streaming start from 18:30 ]
Tokyo Bunka Kaikan, Recital Hall
Baritone:Konstantin Krimmel
Piano:Daniel Heide
Schubert(1797-1828):"Die schöne Müllerin" D795
I. Das Wandern
II. Wohin?
III. Halt!
IV. Danksagung an den Bach
V. Am Feierabend
VI. Der Neugierige
VII. Ungeduld
VIII. Morgengruß
IX. Des Müllers Blumen
X. Tränenregen
XI. Mein!
XII. Pause
XIII. Mit dem grünen Lautenbande
XV. Eifersucht und Stolz
XIV. Der Jäger
XVI. Die liebe Farbe
XVII. Die böse Farbe
XVIII. Trockne Blumen
XIX. Der Müller und der Bach
XX. Des Baches Wiegenlied
※There is no intermission.
[Encore]
Schubert: An den Mond, D.296
Ryôsuke Hatanaka (Isaku Sugiura: Lyrics): Marumero
Schubert: Willkommen und Abschied, D.767
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「東京春祭 歌曲シリーズ」のライヴ配信に味を占めた私は、今売り出し中の若いバリトンと歌曲ピアニストのコンビ、コンスタンティン・クリンメル(バリトン)&ダニエル・ハイデ(ピアノ)の《美しき水車屋の娘》を自宅で味わいました。
コンスタンティン・クリンメルはルーマニア系ドイツ人で、まだ31歳とのこと。リートの録音もいくつかリリースしていて、今後の活躍が楽しみなバリトンです。ダニエル・ハイデはすでに多くの歌手たちと共演しているピアニストで、歌曲だけでなく、室内楽やソロも取り組んでいるオールラウンダーです。二人とも今回が初来日というのが意外ですが、これからますます活躍することと思います。
ところで、この二人のコンビ、すでに《美しき水車屋の娘》の録音をリリースしていて、事前に聞いてみたのですが、それを踏まえたうえで、今回のライヴ配信堪能しました。
まずクリンメルの爽やかで美しいハイバリトンの声と巧みなディクションに引きつけられました。特に高声から低声までよどみなくまろやかな美声を保っているので、とても聞いていて心地よいです。特に高音が本当に美しいです。そして、時にテンポを大胆に伸縮させて詩の世界を表現しようとする意欲も感じられました。
クリンメルの描いた人物像は、これから職人になる為の修行に出て、様々な経験を積み、新しい世界に飛び込んでいこうという若者らしい希望と不安のないまぜになった感覚が表現されていたと思います。彼自身の放つキャラクターや声質なども等身大の若者像を表現するのに今がベストなタイミングだと感じました。
《美しき水車屋の娘》の録音を聞いて分かっていたことですが、クリンメルは例えばクリストフ・プレガルディアンが多くの公演や録音で聞かせていたような装飾やメロディーの変奏を加えて歌っていました。それがその場の即興的なものというよりは、すでに彼の中で練られたメロディーとして披露していたように想像します。有節歌曲で最初にオリジナルのメロディーを歌い、繰り返す時に変更を加えるということが多かったように思いますが、そうでないケースもあったように思います。シューベルト存命中の習慣に倣ったこの一種の変奏は、すでに奇抜と思われていた時代は過ぎ、今後はオリジナル通りの歌唱を歌う人と、装飾を加える人が共存していくことになるのでしょう。興味深いのが、クリンメルは《美しき水車屋の娘》では程度の差こそあれ、ほぼすべての曲で装飾を加えていたのに対して、アンコールで歌われたシューベルトの歌曲2曲では私の記憶している限りオリジナルのまま歌っていました。歌いこんでいる曲は装飾を加え、そうでない作品はまずはオリジナルの通りで始め、徐々に装飾を加えていくということなのかなと想像しました。
第1曲「さすらい」の第4節(重い石臼でさえもっと速く踊ろうとすると歌われる)などかなり大胆なメロディーの変更がされて驚かされますが、こういう変更の意外性に出会うこともリートを聞く楽しみの一つになりつつあると思います。第3曲「止まれ!」の最後の"War es also gemeint(そういう意味だったのか)?"は何度も繰り返されるので、装飾が特に新鮮に響きます。
例えばプレガルディアンの共演者ミヒャエル・ゲースなどもそうでしたが、今回のダニエル・ハイデもかなりピアノパートに変更を加えていました。ピアニストのオリジナルの変更は私の記憶ではジェラルド・ムーアがすでに行っていて、F=ディースカウやプライなどとのライヴ録音を聞くと快活な曲の終わりの和音を威勢よく弾く時に音を加えて厚くしたり、オクターブ下げたりしていました。確か来日したムーアの「詩人の恋」を聞いた畑中良輔さんが、ある和音(終曲の冒頭だったか?)がオリジナルと違うと指摘していましたが、当時はオリジナル至上主義だったので今とはとらえ方も違ったのでしょう。私のおぼろげな記憶ではヘルムート・ドイチュだったかと思うのですが、第9曲「水車職人の花」を1オクターブあげて演奏したりしていました(すべての節ではなく、特定の節だけだったと思います)。今回のダニエル・ハイデも1オクターブあげるのは何か所かでやっていましたが、意外性が強かったのは第11曲「僕のもの」でした。中間部の分散和音をハイデは連打していました。これは新しい響きで印象に残っています。シューベルトっぽいかというとちょっと違う気もしますが、その時代に合った手法で変奏しても多分シューベルトは怒らないでしょう。
ハイデは基本的には歌手の方向性に合わせ、ここぞという所ではがっちりした立体的な響きも聞かせ、彩り豊かな音色で魅了してくれました。
クリンメルもハイデも最後の3曲ぐらいはあまりメロディーの変更を加えずに、思いつめた主人公の行きついた心情を一人称の歌唱で素直に聞かせてくれました。
この歌曲集、聞き手はどんどん年を重ね、主人公を回顧する立場で聞くことになりがちですが、歌手やピアニストが主人公になりきって演奏してくれると、聞き手も若かりし日々に戻ったかのように錯覚させてくれて、こういう感覚も音楽を聴く醍醐味だなとあらためて感じました。
アンコールは3曲。最初と最後にシューベルトを歌い(最後に歌われた「歓迎と別れ」は特に好きな曲なので聞けて良かった!)、2曲目で恥ずかしながら初めて聞く日本歌曲を驚くほど美しい日本語で歌ってくれました。これほど癖のない日本語で歌えるのは凄いと思います。クリンメルが2曲目を歌う前に、シュトゥットガルトで吉原輝氏に師事したというような話をして、「リョウスケ・ハタナカ」という名前が出た時、まさかクリンメルの口から畑中氏の名前が出るとは想像すらしておらずびっくりしました。ドイツリートばかり聞いていて、畑中氏の歌曲をほとんど知らない自分が恥ずかしく感じられました。クリンメルの口から「マルメロ」というタイトルを聞いた時、これがなんのことなのか分かりませんでしたが、後で調べると樹木の名前なのですね。果実はかりんに似ているそうです。分散和音のピアノにのったとても美しい歌曲でした。評論、指揮、作曲など多岐に渡る活動をされた畑中氏が亡くなったのは吉田秀和氏が亡くなった2日後、そしてF=ディースカウが亡くなった6日後のことでした。あの悲しかった5月から12年も経つのかと時の流れの速さに驚かされます。
このコンビ、すでに完成された素晴らしい音楽家たちでした。これからのますますの活躍を楽しみにしたいと思います。
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