ハンプソン&アルゲリッチ(Hampson & Argerich)の「詩人の恋(Dichterliebe)」(1840年初稿版)
デビュー以来常にクラシックファンを惹きつけ続けてきたマルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich)の2018年のハンブルク・ライヴの録音がリリースされました。
その収録曲の中にバリトンのトマス・ハンプソン(Thomas Hampson)とのシューマン「詩人の恋」が含まれていたのが驚きでした。
彼女はキャリアの後半、アンサンブルやコンチェルトに専念して、ほとんどソロ演奏をしてこなかったのですが、楽器奏者との共演は頻繁だったのに対して、歌手との共演は聞いたことがなかったので、おそらく歌曲の演奏にはあまり乗り気ではなかったのではないかと思っていたのです。
だから、この情報を知って、すぐに配信で聞いてみました。
私はAmazon musicの配信で聞いたので、パッケージの現物は見ていないのですが、写真満載のブックレットが付いているようなので、彼女のファンの方は配信だけでなくCDもチェックした方がいいかもしれません。
私は彼女の実演を2度聞いたことがあり、最初は大昔藤沢で開かれたラビノヴィッチとの2台ピアノのコンサート、そして2回目は5年前のラ・フォル・ジュルネで、大勢の仲間たちと共に「動物の謝肉祭」や2台ピアノ版「春の祭典」が演奏されました。
とにかく指がよく回り、奔放で鋭いタッチだけれど詩情豊かで繊細さも持っていて、聞く者を惹きつけずにおかないものを確かに持っていました。
大分ではアルゲリッチの名前を冠した音楽祭が定期的に催されているのですが、確か彼女の弟子の伊藤京子さんが立ち上げた音楽祭で、伊藤さんはヘルマン・プライの伴奏などで知られたレナード・ホカンソンの弟子でもあるのです。
アルゲリッチはホカンソン門下の伊藤さんと身近に接しているのですから、よく考えれば歌曲と無縁でいるはずはなかったと思います。
この7枚組CDの5枚目にハンプソンとの「詩人の恋」が収録されているのですが、注目すべきなのは、一般に歌われる版ではなく、シューマンが最初に構想した20曲版での演奏だということです。
出版される際に省かれた4曲のハイネ歌曲が最初に計画された曲順で聴けるだけでなく、省かれなかった16曲も歌、ピアノ共に最終版とかなり違いがある点は興味深いです。
ハンプソンはこの版で以前にサヴァリシュ(Wolfgang Sawallisch)とEMIに録音しているのですが、1994年の録音なので、アルゲリッチとの共演の24年前ということになります。
当時全盛期の美声と知性的な歌唱で魅了したハンプソンも2018年の録音時は63歳ということになり、さすがに以前のような声の艶は若干後退していますが、全身で情熱的に歌う姿勢と血肉となった熟した表現は今だからこその素晴らしさです。
そして、アルゲリッチのピアノですが、結論から言うと素晴らしかったです。
いわゆるピアノの大家たちが伴奏する時のような我が道を行くタイプではなく、歌手としっかり一体となりながら、ピアノが前面に出るべき所では彼女ならではの鋭い切れ味を聞かせています。
例えば第10曲(通常版では第8曲)「Und wüßten's die Blumen, die kleinen」の後奏における急速なテンポでの燃え上がる炎のような演奏は、アルゲリッチの面目躍如と言えるでしょう。
しかし、情熱的な個所以上に注目すべきなのは、「詩人の恋」の多くの曲で聞けるロマンの香り豊かな情緒的個所でしょう。
第1曲「Im wunderschönen Monat Mai」から、彼女の繊細なルバートの揺らし、音色の美しさなど、なんともいえないシューマネスクな情緒が豊かに香ってきます。
第2曲「Aus meinen Tränen sprießen」ではハンプソンの歌と見事なハーモニーを奏でます。
そして、曲集中際立って美しい第7曲(通常版では第5曲)「Ich will meine Seele tauchen」ではしっとりとした落ち着いたテンポでハンプソンを支え、後奏ではバスと高音を明瞭に響かせ、美しくピアノで歌っています。
最終曲「Die alten, bösen Lieder」は重みのある激しいタッチの前奏で始まり、リズムを雄弁に刻み、後奏の回想ではすっきりしたテンポながら絶妙に歌い、静かに締めくくっています。
レーベル:AVANTI
録音:2018年6月25日-7月1日、ライスハレ
トマス・ハンプソン(Thomas Hampson)(BR)
マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich)(P)
シューマン(Schumann):『詩人の恋(Dichterliebe)』Op.48 (1840年初稿20曲版)
1 Im wunderschönen Monat Mai (素晴らしく美しい月、五月に)
2. Aus meinen Tränen sprießen (ぼくの涙から)
3. Der Rose, die Lilie, die Taube, die Sonne (薔薇、百合、鳩、太陽)
4. Wenn ich in deine Augen seh' (ぼくがきみの瞳を見つめると)
5. Dein Angesicht (きみの顔)
6. Lehn' deine Wang' an meine Wang' (きみの頬をぼくの頬に寄せておくれ)
7. Ich will meine Seele tauchen (ぼくの魂を潜らせたい)
8. Im Rhein, im heiligen Strome (ライン川、聖なる川の)
9. Ich grolle nicht (ぼくは恨まない)
10. Und wüßten's die Blumen, die kleinen (そして花々が、小さな花々が)
11. Das ist ein Flöten und Geigen (これはフルートにヴァイオリン)
12. Hör' ich das Liedchen klingen (ぼくはその歌の響きを)
13. Ein Jüngling liebt ein Mädchen (ある若者が娘に恋をしたが)
14. Am leuchtenden Sommermorgen (輝く夏の朝に)
15. Es leuchtet meine Liebe (ぼくの恋は輝いている)
16. Mein Wagen rollet langsam (ぼくの馬車はゆっくりと進む)
17. Ich hab' im Traum geweinet (ぼくは夢の中で泣いた)
18. Allnächtlich im Traume (毎晩夢の中できみに会い)
19. Aus alten Märchen winkt es (昔のおはなしから)
20. Die alten, bösen Lieder (昔の嫌な歌)
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