エリック・ヴェルバ没後20年

今日4月9日は、かつて歌曲の名伴奏者と謳われたオーストリアのピアニスト、エリック・ヴェルバ(Erik Werba: 1918年5月23日, Baden, Niederösterreich - 1992年4月9日, Hinterbrühl)が亡くなって丸20年の命日である。
日本人をはじめ多くの国の歌手たちを育て、伴奏をし、教育者としても知られていたうえに、ヴォルフの伝記や演奏批評など文筆活動も行っており、作曲までしていたというまさにマルチな才能をもった音楽家であったようだ。
私がクラシック音楽を聴き始めた1980年代にはまだたまに来日もしており、音楽誌のコンサートリストにヴェルバの名前が掲載されていたのも覚えているのだが、残念ながら彼の実演を一度も聴くことがなかった。
いつでも聴けると思って結局聴かないうちに亡くなってしまうというのは悔しいものである(余談だが、リヒテルも頻繁に来日していたのだから一度ぐらい生で聴いてみたかった)。

そんなヴェルバだが、彼の録音に関しては、例えばジェラルド・ムーアやジェフリー・パーソンズほどには熱心に聴いていなかったということもまた事実である。
LP時代に膨大な録音を残していた彼だが、当時私のもっていたレコードやCD、あるいはエアチェックしたカセットテープの中にヴェルバの演奏した録音が意外と少なかったということもあり、有名なわりにはあまりその演奏ぶりを味わってはいなかった。
しかし、当時LPを置いていた図書館から借りてきたレコードの中で忘れられないものがある。
ソプラノのイルムガルト・ゼーフリート、バリトンのエーバーハルト・ヴェヒターと共演したヴォルフ作曲「スペイン歌曲集」抜粋のLPである。
全曲でないのが残念なぐらいに魅力的な作品と演奏で、一気に気に入ってしまったのを覚えている。
ゼーフリートの硬質な声もヴェヒターのめりはりのある歌唱も見事ながら、歌手に完全に従うというのではなく、自分のテンポにこだわりを見せつつ、それでいて歌とずれずに共に進んでいくヴェルバのピアノ演奏がなかなか面白かったものであった。
ゼーフリートやクリスタ・ルートヴィヒ、ニコライ・ゲッダ、ヴァルター・ベリーなどはムーアとも共演したけれど、ヴェルバとの共演の機会の方が多かったのではないか。
「冬の旅」をライフワークにしているバス歌手、岡村喬生もムーアとはおそらく共演しなかったが、ヴェルバとは国内外で共演していたらしい。
岡村氏の著書の中で、ある晩眠れない岡村さんが隣の部屋の電気がまだついていることを確認してヴェルバのもとへ行ってみると、彼が机の上で「冬の旅」の移調譜を書いていたというエピソードが紹介されている。
ヴェルバほどの達人であっても、「冬の旅は難しい」と新たな移調譜を作っているというのは、伴奏者として真摯に作品に向き合っている証ではないか。

現在ヴェルバの録音はザルツブルク音楽祭のライヴ録音シリーズで沢山入手することが出来る。
それらの中の例えばシュライアーと共演したドヴォルジャークの「ジプシーの歌」に関しては、現役の一流伴奏者に「音符どおりに弾かずにグリッサンドにしてしまっている」ことを指摘されてしまっている。
確かにヴェルバのテクニックは、技巧的な作品においては危なっかしい箇所がないとはいえないだろう。
だが、歌手を導き、支え、作品の魂を知り尽くし、それを自らのものにした演奏は、単なるテクニシャンには出せない味わいを醸し出し、歌手たちの歌唱の自発性をも引き出す能力は、彼のユニークな美点であろう。
バスバリトンのハンス・ホッターと1960年代に録音した「冬の旅」は、ヴェルバの代表的な録音の一つだと思うが、そこには歌い手と共に歩む同伴者としてのヴェルバの良さがあらわれているように感じる。
彼と共演した膨大な歌手たちのリストは、このピアニストがおそらく実演でどれほど歌手たちを安心させ、助け、作品を高みに引き上げていたかを物語っているのでないだろうか。

彼の演奏がほぼ歌手との共演に限定されていて、楽器奏者との演奏があまりなかったということも、ヴェルバの演奏の特質をあらわしているのではないか。

最後に彼の演奏するヴォルフの「少年鼓手」の動画をご紹介しておきます。
歌っているのはバリトンのヴァルター・ベリーです。

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