アンティ・シーララ/ピアノ・リサイタル(2015年6月30日 浜離宮朝日ホール)
アンティ・シーララ ピアノ・リサイタル
アンティ・シーララ(Antti Siirala)(piano)
2015年6月30日(火)19:00 浜離宮朝日ホール
シューマン/「ダヴィッド同盟舞曲集」op.6
(R.Schumann / Davidsbündlertänze, op.6)
~休憩~
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
(L.v.Beethoven / Piano Sonata No.31 in A-Flat Major, op.110)
スクリャービン/ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 op.70
(A.Scriabin / Piano Sonata No.10 in C Major, op.70)
~アンコール~
ショパン/ノクターン第2番変ホ長調 op.9-2
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フィンランドのピアニスト、アンティ・シーララが5年ぶりに来日した。
注目していたピアニストの待ちに待った再来日公演を浜離宮で聴いてきた。
5年ぶりのシーララはステージで拍手にこたえる時、柔らかい笑顔を見せるようになっていた。
そして、シューマンの演奏が始まった時、懐かしい清冽で美しい透き通るような美音がホールを満たし、私は期待をふくらませながら聞き入った。
シーララは決して鍵盤を雑にたたくことはせず、常に歌うように奏で、そして少し内面への志向が強い解釈を聴かせた。
シューマン特有の模糊としたタメを聴かせつつも、決して自己陶酔には陥らず、常にコントロールの行き届いた解釈だった。
彼のシューマンは知性と感性のバランスが絶妙に感じられ、それがフロレスタンとオイゼビウスの対比をスムーズに行き来させていたように感じた。
シューマンの世界は、まさに音でしか描きえない心象風景の連続であるように感じられる。
そういう意味でシーララの描く「ダヴィッド同盟舞曲集」は、作品への誠実なアプローチによって、シューマンの心の内をありのままに見せてくれたようだった。
後半のベートーヴェンの第31番ソナタでも、シーララの美しく、誠実な姿勢は貫かれた。
3楽章の嘆きの歌の歌い方も美しく、フーガの扱いなども丁寧で明瞭だった。
2楽章も騒々しさとは無縁の音楽的な演奏だった。
だが、そうした美点をふまえたうえで、シーララにはさらに深い演奏が可能だったのではないかとも思った。
あるいは年輪を重ねることによって、そうしたものは加わってくるのかもしれない。
だから、ここで結論を出すのは控えたい。
スクリャービンのピアノ・ソナタ第10番は単一楽章の中で、アンニュイな響きと頻繁に現れるトリルの交錯が印象的な作品である。
ここでシーララは、作品と同化した豊かで起伏に富んだ音楽を描いてくれた。
ダイナミクスもここではかなり大きくとっていたように感じられた。
スクリャービンの楽しみ方をまだつかんでない私ではあるが、彼特有の響きを全身で浴びることが大切なのではないか。
そういう意味でシーララの演奏からスクリャービンの響きを存分に味わうことは出来たと思う。
アンコールはショパンの有名なノクターン。
彼は前回来日時もアンコールでショパンを弾いていた。
お客さんへのサービス精神からなのだろう。
ここでも誠実に丁寧に演奏されたが、シーララのレパートリーの中心にある作品ではないなという印象を受けた。
もちろん美しい演奏ではあったのだが、おおげさに言えば古典派の作品を聴いているような感じだった。
5年前に同じ会場で聴いた時は気の毒になるほど会場がすかすかだったものだが、今回は比較的客席も埋まっていて一安心である。
地味だが、作品を第一に考える本物のピアニストだと思うので、今後は頻繁に来日して、その魅力を多くの聴衆に聴かせてほしいものである。
なお、この日の公演は、BSプレミアムの「クラシック倶楽部」で8月27日に放送予定とのことで、楽しみです!
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