藤村実穂子&ヴォルフラム・リーガー/メゾソプラノ特別リサイタル(2014年11月3日 東京オペラシティ コンサートホール)
日本ロレックス提供 AAR創立35周年記念チャリティコンサート#3
藤村実穂子 メゾソプラノ特別リサイタル
2014年11月3日(月・祝)14:00 東京オペラシティ コンサートホール
藤村実穂子(Mihoko Fujimura)(メゾソプラノ)
ヴォルフラム・リーガー(Wolfram Rieger)(ピアノ)
グスタフ・マーラー(Mahler)/「少年の魔法の角笛」より
ラインの小伝説
無駄な努力
この世の生活
原初の光
魚に説教するパドゥアの聖アントニウス
この歌を思い付いたのは誰?
不幸の中の慰め
高い知性への賞賛
~休憩~
ヨハネス・ブラームス(Brahms)/「ジプシーの歌」Op.103より
さあ、ジプシーよ!
高く波立つリマの流れ
あの子が一番きれいな時
神様、あなたは知っている
日焼けした青年が
三つのバラが
時々思い出す
赤い夕焼け雲が
グスタフ・マーラー/「リュッケルトの詩による歌曲」
美しさゆえに愛するなら
私の歌を見ないで
私は優しい香りを吸い込んだ
真夜中に
私はこの世から姿を消した
~アンコール~
五木の子守歌(ア・カペラ)
山田耕筰/赤とんぼ
さくらさくら
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先日紫綬褒章受章というおめでたいニュースのあった藤村実穂子のリサイタルを聴いた。
共演は名手ヴォルフラム・リーガーで、なんでもこの公演のためだけに前日に来日してコンサート後の深夜には帰国するとのこと。
藤村さんのためならというところだろうか。
マーラーを中心に、途中でブラームスの「ジプシーの歌」をはさんだプログラム。
今回は難民を助ける会の主催ということで、コンサート開始前に会の方2人が登場して挨拶され、その後に演奏が始まった。
前半はマーラー「少年の魔法の角笛」より8曲が続けて歌われた。
藤村さんの声は相変わらず美しく光沢がある。
ヴィブラートもきわめて精巧にコントロールされていて、明晰な発音で歌われるので、ヴァーグナーのボリュームたっぷりの歌を歌っている人と同じとは一見思えないほどだ。
どこをとっても理想的なリート歌手の資質をもって歌われる。
今回聴いて感じたのは、以前に比べて声の表現の幅が広がったのではということだった。
例えば最後に歌われた「高い知性への賞賛」は耳が大きいという理由だけでナイチンゲールとカッコウの歌合戦の審査員をつとめることになったロバの話が皮肉まじりに歌われるのだが、最後の(本当は歌のことを分かっていない)ロバのいななきは藤村さんの芸の幅の広がりが感じられてうれしくなった。
もちろん「原初の光」などでの静かで深みのある表現はいつもながら素晴らしいし、「無駄な努力」や「不幸の中の慰め」での男女の駆け引きの歌い分けのうまさなども印象的だった。
だが、一方、その声の美しさゆえに「この世の生活」では飢えに苦しむ子供の悲痛さがさらに感じられたらより良かったようにも感じられた。
後半の最初はブラームスの「ジプシーの歌」で、私の大好きな歌曲集である。
原曲は合唱曲でそこから8曲を抜粋してブラームスが独唱用に編み直したものである。
ジプシー(という言い方は今は控える傾向にあるようだが)の野性味あふれる表情や民俗色豊かな響きがなんとも魅力的で、リーガーの血肉となった非常に練られたピアノと共に藤村さんの表現も見事なものだった。
6曲目の「三つのバラが」は2節あるはずだが、私の記憶が間違っていなければ、1節終わったところでリーガーが最後の和音を弾いて終わってしまった。
リーガーが勘違いしただけだろうが、生ならではのハプニングだった(正直第2節も聴きたかったが)。
2曲目の「高く波立つリマの流れ」では繰り返す箇所を、例えばクリスタ・ルートヴィヒが歌ったように最初を低い旋律で、2回目を高い旋律で歌っていて効果的だった。
それにしても7曲目の「時々思い出す」は簡素ながらいつ聴いても実に感動的な作品だ。
藤村さんは声の質から言えば必ずしも曲の野性味とは合致しているわけではないが、彼女なりの精密で澄んだ声を生かした表現で聴き手を引き込んだ。
最後はマーラーの「リュッケルトの詩による歌曲」で、ここでの藤村さんの歌唱も秀逸だった。
特に「真夜中に」や「私はこの世から姿を消した」での音数の厳選されたメロディーでの心に沁みる歌の素晴らしさはなかなか聴けないほどのものだった。
そしてアンコールは意外なことに日本歌曲ばかり3曲で、いずれもよく知られたものだった。
藤村さんの日本の歌はどこまでも自然体なもの。
それゆえに作品の良さがそのまま伝わってくる。
特に「赤とんぼ」では私の中で熱いものがこみ上げてきそうになるほどだった。
ピアノのヴォルフラム・リーガーは今やドイツだけでなく、世界を代表する名歌曲ピアニストと言えるだろう。
自己顕示欲が一切なく、必要なだけ音を響かせ、また必要なだけ音を抑え、それでいて絶妙な間合いとルバートをもって作品に捧げている。
歌と完全に一心同体となり、安定したテクニックで作品の機微を描き尽くした。
歌とのアンサンブルとして最も理想的なピアノの響きを聴かせてくれた。
藤村さんがあえてこの為だけにでもリーガーに共演を依頼したというのも納得のいく素晴らしさだった。
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