ロベルト・ホル&みどり・オルトナー/ロベルト・ホル バス・バリトンリサイタル(2016年11月27日 川口リリア・音楽ホール)

ロベルト・ホル バス・バリトンリサイタル
シューベルト! ~自然を描く幻想画家

2016年11月27日(日)14:00 川口リリア・音楽ホール

ロベルト・ホル(Robert Holl)(バス・バリトン)
みどり・オルトナー(Midori Ortner)(ピアノ)

シューベルト(Schubert)作曲

戸外にて D880
花の便り D622
春に D882

愛らしい星 D861
星々 D939
夜のすみれ D752
しおれた花 D795-18(「美しき水車小屋の娘」より)

野ばら D257
羊飼いの嘆きの歌 D121
月に寄せて D296
魔王 D328

~休憩~

丘の上の少年 D702
秋 D945
夕べの画像 D650

菩提樹 D911-5(「冬の旅」より)

夕映え D690
月に寄せて D193
夜と夢 D827

冬の夕べ D938

~アンコール~

音楽に寄せて D547

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1年ぶりにロベルト・ホルとみどり・オルトナーが川口リリアに帰ってきてくれた。
彼らの川口でのリーダーアーベントを昨年聴いた時はオルトナーさんの解説が非常に分かりやすく、気さくなお人柄も感じられて、もちろん演奏も素晴らしく、このコンビのコンサートが再び聴けることを心待ちにしていたのである。

今回も客席はかなりの盛況で、熱心な歌曲ファンが集まった。
この日はオール・シューベルト・プログラムで、どうやら選曲はオルトナーさんがしたようだ。
四季の移り変わりや、夜、月、星、夢、花など、歌曲の重要なテーマを盛り込んだ選曲のようだ。

「羊飼いの嘆きの歌」はオルトナーさん自身の解説にもあったように、珍しい前奏付きの版で演奏された。

ホルは今回はトークに加わらず、オルトナーさんの解説の間は横の椅子に腰掛けていた。
オルトナーさんはご自分のことを「とても真面目なディスクジョッキー」というような言い方をしていたが、その解説は各曲に対する造詣の深さと愛着が強く感じられて、それぞれの曲を聴くうえでの大きな道しるべとなった。
いっそオルトナーさんによるシューベルト歌曲全曲の解説本を出してほしいほどだ。

ホルの声は相変わらず、地の底から響き渡るような朗々とした低音が素晴らしく、声の艶は見事に保たれていた。
各曲に対する表情の細やかさも素晴らしく、どの曲も血肉となった表現で聴かせてくれた。
歌曲に対する真摯な姿勢がどの作品からも感じられ、とても充実した音楽を聴いたという気持ちにさせてくれた。
右手を動かす癖も健在だったが、それが鑑賞を妨げるほどではない。
彼の「魔王」を聴いたのはおそらくはじめてだったが、4つの役を違和感なく聴かせる術はさすがベテランの貫禄であった。
ちなみに「魔王」についてオルトナーさんは「ピアニストにとって地獄の曲」と語って笑いを誘っていた。
オルトナーさんの「魔王」の演奏は左手を効果的に使って右手の連打を助けていたが、それが実に自然で、全く見事な「魔王」だった。

オルトナーさんのピアノは、蓋を全開にしていて、バランスはもちろん見事にコントロールされていたが、あたかもシューベルトの即興曲を聴いているかのようなコードの美しさ、内声の浮き上げ方、明瞭なタッチによる立体感、ホルを導くリズム感の見事さ、そしてよく歌うメロディなど、その美質を挙げだしたらきりがない。
オルトナーさんはホルのことを「巨匠」と呼んでいたが、オルトナーさんもすでに「巨匠」のような素晴らしい演奏を聞かせてくれた。
ホルが日本に他のピアニストを連れてこないのも納得である。

なお、事前にピアニストが立ち上がるまでは拍手をしないようにアナウンスがあったが、曲のつながりが重要な歌曲のコンサートでは、拍手のタイミングをあらかじめ指示してくれるのは有難い。

アンコールの「音楽に寄せて」は胸にしみた。

なお、このコンサートの後に、昨年同様公開レッスンが催されたが、私は都合により、そちらは聞けなかった。
きっと受講生にとっても聴衆にとってもためになるレッスンが繰り広げられたのではないだろうか。

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ロベルト・ホル&みどり・オルトナー/~心のふるさと - 春のドナウへの旅~(2015年5月16日 川口リリア・音楽ホール)

ロベルト・ホル(バス・バリトン)
~心のふるさと - 春のドナウへの旅~

2015年5月16日(土)14:00 川口リリア・音楽ホール

ロベルト・ホル(Robert Holl)(バス・バリトン)
みどり・オルトナー(Midori Ortner)(ピアノ)

シューベルト/
春の信仰D686
さすらい人D489
菩提樹D911-5

川のほとりでD539
エアラーフ湖D586
ドナウにてD553

水の上に歌うD774
湖上にてD543
船乗りD536

~休憩~

シューマン/
「ミルテの花」より
 自由な想いOp.25-2
 私はただひとりでOp.25-5(西東詩集・酌童の巻より)
 手荒くするなOp.25-6(西東詩集・酌童の巻より)

亡き友の杯にOp.35-6
旅の歌Op.35-3

ロベルト・ホル/「ヴァッハウ地方の民謡集」より
 我がドナウの谷
 孤独な道
 ヴァッハウの歌
 ヴァッハウ、夢見る娘

~アンコール~
シューベルト/楽に寄すD547
シューベルト/夕映えの中でD799

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オランダの名バスバリトン、ロベルト・ホルのリサイタルを川口リリアホールで久しぶりに聴いた。
ピアノはいつものみどり・オルトナー。
みどりさんのトークとホルへの簡単なインタビューをはさみながらのトークコンサートといった趣だった。

今回は「心のふるさと - 春のドナウへの旅」と題されたプログラミングがされていたが、みどりさん曰く「春の歌を集めて来日したら夏だった」と言って会場を沸かす。
みどりさんのトークははじめて聞くが、ユーモアも交えながらなかなか達者である。
ドナウ川というのはただ良いイメージだけではなく、水難事故も引き起こすおそろしい一面ももっているのだとか。
様々なお話を分かりやすくかみくだいて話してくれたみどりさんには、ぜひ今後もこのようなトークを交えたコンサートを続けてほしいものである。

前半はすべてシューベルト。
比較的知られた春と水の歌が並び、ホルの声は相変わらず朗々と豊かに響き渡る。
体の中から豊麗な響きが分厚く会場を満たすのを存分に堪能したが、もちろんホルの歌唱は作品への誠実で血肉となった自然な表情を伴っていた。
丁寧にじっくり歌われる歌はシューベルトの音楽の温かさを感じさせるものだった。

後半の最初はシューマンのミルテの花から3曲と、ケルナーの詩によるOp.35からの2曲。
こちらは酒の歌が中心。
特に「ミルテの花」の酌童の巻からの2曲は、酔っ払いホルの名演技も見られて楽しかった。「私はただひとりで」は確か2回繰り返して歌われた。

最後のホル自身による作曲(むしろアレンジだろう)の「ヴァッハウ地方の民謡集」のヴァッハウというのは、ドナウ河畔で最も美しい地方とされるワインの名産地だそうだ。
この土地の民謡(作曲者は分かっているらしい)にホルがピアノ伴奏を付けたものらしい。
みどりさん曰く「ホルも20世紀の作曲家だから、独特の和音が感じられる」とのこと。
歌の内容は「孤独な道」を除くと、素朴なヴァッハウ賛歌といった感じだ。
確かにホルによるピアノパートは独特の和音が置かれて、単なる民謡に芸術の香りを付与していると言えるだろう。

アンコールはシューベルトの名歌2曲。
もはや何も語ることはない。
心の底からの名歌唱で感動的だった。

ピアノのみどり・オルトナーはすべてにおいて目の行き届いた細やかな演奏を聴かせてくれた。
ホルの暗めの響きに清澄さを加えていたのはみどりさんの響きゆえだろう。
素敵なピアニストである。

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リートの巨匠ロベルト・ホルによるオープン・レッスン
シューベルトの光と影~リリアのシューベルティアーデ

2015年5月16日(土)16:45 川口リリア・音楽ホール(自由席)

ロベルト・ホル(Robert Holl)(講師)
みどり・オルトナー(Midori Ortner)(ピアノ・通訳)

シューベルト(Schubert)/若き尼D828
大江美里(ソプラノ)
みどり・オルトナー(ピアノ)

シューベルト/丘の少年D702
小野山幸夏(メゾ・ソプラノ)
山内三代子(ピアノ)

シューベルト/ますD550
今井照子(ソプラノ)
西祥子(ピアノ)

シューベルト/ガニメートD544
小島博(バリトン)
小島まさ子(ピアノ)

シューベルト;野田暉行(Teruyuki Noda)(合唱編曲)/アヴェ・マリアD839
女声合唱団リーダークライス
関根裕子(指導・指揮)
高松和子(ピアノ)

シューベルト;リディア・スモールウッド(Lydia Smallwood)(合唱編曲)/楽に寄すD547
混声合唱団アン・ディー・ムジーク
人見共(指導・指揮、ソプラノ)
みどり・オルトナー(ピアノ)

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ロベルト・ホルのレッスンが、演奏会に引き続いて行われた。
みどり・オルトナーも通訳とピアノで登場したが、実際にはレッスンもしていた(特にピアニストに対して)。
当初は18:30終演の予定が大幅にずれこみ、「ガニメード」が終わった時にすでに18:30になっていた。
私は所用の為、残念ながら合唱団のレッスンは聞かずに、「ガニメード」終了時に退出した。

レッスンは一度受講生が1曲まるまる演奏した後で、ホルの指示により、最初から再度少しづつ演奏しては止めて、指導を受けるという形だった。
ホルは簡潔に問題点を語り、それをオルトナーが通訳する。
そして、その通りに受講生が歌えた時はホルはよく出来たというサインをする。
穏やかで気さくな気持ち良い先生だった。

ホルが指導の際よく言っていたのが、「子音をもっと強調して発音する」ということだった。
日本語と異なるドイツ語での歌唱なので、発音に重きが置かれるのは当然であり、リートを歌ううえでやはり外せないところだろう。
また、テキストには重要な単語とそうでない単語があり、すべてを同等に歌うのではなく、重要性を考慮して歌うということが言われていた。
それから曲にのめりこむあまり、演奏が停滞しがちなコンビにはもっと流れるようにテンポを保って演奏するように言っていた。
メカニックに過ぎる演奏者に対しては、むしろオルトナーさんが注意していた。

「ガニメート」の最後の長いフレーズについて、ホル氏が面白いエピソードを披露していた。
彼の師でもあるハンス・ホッターは最後のフレーズを一息で歌えない人はこの歌を歌ってはいけないと言っていたそうだ。
だが、そうすると、この曲を歌える人はわずかしかいなくなってしまうので、息継ぎをしてもいいから、音楽的に演奏することが大事だとホルは言う。
確かにリートはもともと選ばれた大歌手のためだけのものではなく、サロンのこじんまりとして雰囲気の中で歌われていたものだから、高度なテクニックを持たない者にも門戸は開かれているべきだろう。

今回聴いた歌手たちの中で私は最初の大江美里さんの美声と歌唱の素晴らしさに強い印象を受けた。
今後に期待したい歌手である。

また、珍しい「丘の少年」のレッスンもなかなか聞けない貴重な機会で、この曲を選曲したのは勇気がいることだったと思う。
中身の濃いレッスンであった。

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ホル&オルトナー/シューベルト「美しき水車屋の娘」(2010年10月28日 川口リリア 音楽ホール)

Holl_ortner_20101028

ロベルト・ホル(バス・バリトン)
「美しき水車屋の娘」をうたう

2010年10月28日(木)19:00 川口リリア 音楽ホール(C列6番)

ロベルト・ホル(Robert HOLL)(バス・バリトン)
みどり・オルトナー(Midori ORTNER)(ピアノ)

シューベルト(Schubert)/歌曲集『美しき水車屋の娘』D795
 1.渡り歩き
 2.どこへ
 3.とまれ
 4.小川よ ありがとう
 5.仕事じまいの夕べ
 6.知りたい
 7.いてもたってもいられぬ気持ち
 8.おはよう
 9.粉ひきの花
 10.涙雨
 11.おれのもの

~休憩~

 12.しばしの休み
 13.リュートにつけた緑のリボン
 14.狩人
 15.ねたみと強がり
 16.好きな色
 17.いやな色
 18.枯れた花
 19.粉ひきと小川
 20.小川の子守歌

~アンコール~
シューベルト/夕映えの中で(Im Abendrot)D799

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オランダ出身の大ベテラン、バスバリトンのロベルト・ホルと、ピアニストのみどり・オルトナーのコンビによる川口でのコンサートに出かけてきた。
このコンビによる川口リリアでの公演もすっかり恒例になった。
今回の演目は意外なことに「美しき水車屋の娘」。
かつて往年の名バスバリトン歌手ハンス・ホッターは、この歌曲集を歌おうかと考えた際、声に合わせて低く移調すると小川の響きではなくなることに気付き諦めたというようなことを語っていたのを読んだ記憶がある。
そのように低声歌手のレパートリーになりにくい「水車屋」にあえてホルが取り組んだ。
どんな感じになるのか興味津津で聴いたが、結果はロベルト・ホルの円熟の表現により、声の高低やら詩の設定やらに固執するレベルを超えた歌唱となっていた。
確かに恰幅のいい体躯のホルによる朗々と泉のように響き渡る充実した低声は、修行中の職人というよりも、どうみても「親方」の歌である。
親方になった粉屋が若い頃を思い出して・・・という設定だとしたらどうだろうか。
しかし、最終曲でこの職人は小川の底で永遠の眠りにつくわけだからそういうことにはなるまい。
ホルは相変わらず右手の親指と人差し指で輪を作り、それを覗き込むようにして体を動かしながら歌う。
高音を弱声で歌うと若干響きが薄くなるが、そうなることを恐れずに、むしろ弱声を積極的に使っていたように思う。
それが一般的にはフォルテで歌うところであっても、抑制して歌われることでかえって心に訴えかけることも多かったように感じられた。
ホルの歌唱はどうみても第三者による達観した歌唱ではなく、若者に同化して歌っているようだった。
その語りの細やかさと自在な伸縮は年輪がなせる技と感じられたが、それでも最初の方は詩の設定とのギャップを感じながら聴くことになった。
「狩人」などは通常聴かれるよりも随分テンポを落として歌っていたが、こうすると早口でまくしたてる若者の怒りというよりも、年配の人がかんで含めるように説明しているようだった。
ところが、最後の3曲「枯れた花」「粉ひきと小川」「小川の子守歌」になると、詩の主人公の年齢が気にならなくなり、音楽の深みとホルの歌唱の深みが同調してきた。
このあたりになると、若者であることは重要ではなく、老若男女誰もがもつであろう普遍的な苦しみ、哀しみ、そして癒しといった要素が要求されるのだろう。
ホルの歌唱がすっと心に入ってきて、シューベルトの切なくも達観したかのような音楽にただただ惹き込まれるのみであった。
それにしても「粉ひきと小川」はなんと心が締め付けられる音楽なのだろう。
いつ聴いても心が揺さぶられる曲である。
フランツ・リストもセンチメンタルなピアノ・ソロ編曲をしているが、この作品が気に入っていた証ではないだろうか。

ピアノのみどり・オルトナーはロベルト・ホルの表現を知り尽くした完璧なパートナーだった。
彼女はおそらく「水車屋」の音楽が好きで好きでたまらないのではないか。
そのような曲への愛着がそこかしこにあらわれていたように私には感じられた。
「しばしの休み」や「リュートにつけた緑のリボン」では同時に弾かれる箇所でアルペッジョを施したりしていたが、これなどは他のピアニストもしばしば行う普通のことだろう。
しかし、そのちょっとしたところに彼女の音への慈しみのようなものが込められていたように感じたのだ。
単なるテクニック、装飾というのを超えた思いの深さのようなものといったらよいだろうか。
「涙雨」では繰り返しの際に歌唱からではなく前奏から繰り返していたのも新鮮だった。

Holl_ortner_20101028_chirashi

最終的には誰もが共感しえる感情をホルが歌い、オルトナーが弾き、それを聴いた私たちも共にその感情を体験して感銘を受けたということではないか。
アンコールの「夕映えの中で」でも、浄化されるような感銘を受けた。
自在な境地に達したロベルト・ホルが感受性豊かなオルトナーのピアノを得て、今回も素敵な時間を与えてくれたことに感謝したい。

なお、今回第11曲の後に10分の休憩が入ったが、連作歌曲集であっても途中で休むことによって、聴衆にとってもだれることなく最後まで聴けて良いのではないかと感じるようになった。
1時間継続して集中するというのはいくら好きな作品であってもなかなか難しいものである。

余談ですが、「リリア開館20周年記念事業」として、ホール1階の催し広場で「モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト資料展」が11月2日(火)まで催されています。
ウィーン楽友協会の提供による全10点の貴重な資料が展示されており、しかも入場無料です。
入場時に配布されるパンフレットには全展示物の写真と説明が印刷されており、いたれりつくせりです。
歌曲ファンにとっては「美しい水車屋の娘」の第15曲「ねたみと誇り」の年代入り草稿、モーツァルトの「喜びに胸はおどり」K579のピアノ版楽譜などが注目されます。
その他、第九のスケッチなどもあり、作曲家を身近に感じられる資料が楽しめるので、お近くの方にはおすすめです。

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ホル&オルトナー/シューベルト「白鳥の歌」(2008年10月31日 川口・リリア音楽ホール)

「~リートの巨人~ロベルト・ホル 薄幸の天才、F.シューベルトの最後の作品「白鳥の歌」を歌う」
「最後の歌曲群-1828年のシューベルト」
Holl_ortner_20082008年10月31日(金)午後7時 川口・リリア音楽ホール(B列3番)

ロベルト・ホル(Robert Holl)(BSBR)(2-18)
みどり・オルトナー(Midori Ortner)(P)(1-18)
エレン・ファン・リアー(Ellen van Lier)(S)(1)
横川晴児(Seiji Yokokawa)(CL)(1)

シューベルト(Schubert)作曲

1.岩上の羊飼い(Der Hirt auf dem Felsen)D965(ミュラー&シェジ詩)

「白鳥の歌」D957
レルシュタープの詩による歌曲
2.愛の使い(Liebesbotschaft)D957-1
3.戦士の予感(Kriegers Ahnung)D957-2
4.春の憧れ(Frühlingssehnsucht)D957-3
5.セレナーデ(Ständchen)D957-4
6.別れ(Abschied)D957-7
7.住み処(Aufenthalt)D957-5
8.遠い地で(In der Ferne)D957-6

~休憩~

ライトナーの詩による歌曲
9.冬の夕べ(Der Winterabend)D938

ザイドルの詩による歌曲
10.鳩の使い(Die Taubenpost)D965a

ハイネの詩による歌曲
11.漁師の娘(Das Fischermädchen)D957-10
12.海辺で(Am Meer)D957-12
13.都会(Die Stadt)D957-11
14.影法師(Der Doppelgänger)D957-13
15.彼女の肖像(Ihr Bild)D957-9
16.アトラス(Der Atlas)D957-8

~アンコール~
17.音楽に寄せて(An die Musik)D547(ショーバー詩)
18.夕映えの中で(Im Abendrot)D799(ラッペ詩)

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オランダのバスバリトン、ロバート・ホルとピアニストのみどり・オルトナーによるシューベルトのコンサートを聴いた。
今回はシューベルト死の年1828年に作曲された作品が集められ、「岩上の羊飼い」1曲だけをホルの夫人であるオランダのソプラノ、エレン・ファン・リアーが歌い、続いて「白鳥の歌」全14曲をハースリンガー版の曲順を入れ替え、さらにライトナーの詩による「冬の夕べ」を加えてホルが歌った。

最初にみどり・オルトナーが舞台に現れ、予定されていたクラリネット奏者のエルンスト・オッテンザーマーが事情で来日できなくなったが、病気ではなく、演奏できなくて残念がっていた旨伝えられた。
ピンチヒッターはN響の首席クラリネット奏者、横川晴児。
さらに今回のプログラムに関するコンセプトが説明された。
それによると、前半のレルシュタープ歌曲群はナポレオン戦争に敗退し、死を予感した戦士の心情を歌ったという解釈も出来るといい、一般に指摘されることの多い明るさ、気楽さよりも重々しさに比重を置いた解釈をしていた。
後半のハイネ歌曲群は恋のはじまりから、失恋、そして最後の「アトラス」は失恋の苦しみを天をかつぎ続けるアトラスの苦悩にたとえたと語る(覚えている範囲で書いているので、彼女の言葉通りではない点、ご了承ください)。
10分ほど何も見ずに各曲の内容を説明し、曲に対する彼女の深い理解がうかがえた。

最初はクラリネット助奏付きの「岩上の羊飼い」。
録音では様々な演奏家で聴き馴染んでいて、好きな曲だが、これまで実演で聴いた記憶がない。
装飾的な技術が要求される声楽パートの難しさと、規模の大きさ(約10分かかる)、クラリネット奏者が必要という事情が、演奏会で歌われる機会の少なさに影響しているのかもしれない。
ソプラノのエレン・ファン・リアーは初めて聴くが、長身な体躯からオランダ人歌手の伝統とも言えそうな清澄で温かみのある美声を響かせていた。
高音だけでなく低音もしっかりと出ており、明るさの中に陰りも加わるシューベルト最晩年の技巧的な歌曲を表情豊かに生き生きと歌っていた。
間奏中に2、3度水を飲んでいたが、乾燥していたのだろうか。
だが声の調子は全く問題なかったように思えた。
クラリネットの横川晴児は歌心にあふれた極めて魅力的な音色を聴かせ、ファン・リアーとのかけあいも素晴らしかった。

続いてロバート・ホルとオルトナーによる「白鳥の歌」全曲が演奏された。
登場したホルはさらに恰幅がよくなった印象で、前から2列目で聴くと彼の声のものすごいボリュームに驚かされる。
声を張った時、依然として高音から低音までむらのない声は健在だった。
ただ弱声で高音を歌う時に若干響きの薄さを感じさせたが61歳という彼の年齢を考えれば瑣末なことだろう。
オルトナーが冒頭に説明したように、レルシュタープ歌曲群は死を覚悟した戦士の心情の流れと解釈したような重々しい雰囲気で貫かれた。
彼は右手の親指と人差し指で輪をつくり、それを覗き込むような形で(しかし目をつむって)右向きに(観客からは左向きに)歌うことが多かった。
前回の来日時に聴いた時同様、かなりアクションは激しく、歌唱も強弱の差を大きくとり、ドラマティックに歌う。
膝を折り曲げて左右に動く様はあたかも無骨なダンスをしているかのようでもあり、激しい独白では両手を広げ、時にその手を激しく揺すり、全身全霊で持てる力をフルに発揮しようとする。
それはほとんどオペラのモノローグを見ているかのようだった。
「愛の使い」や「春の憧れ」「別れ」のような軽快な曲でもテンポをゆっくり目にとり、かみしめるようにしっとりと歌う。
一方で「戦士の予感」や「住み処」の重々しい作品は激しく感情を発露させたドラマを聞かせる。
「遠い地で」でレルシュタープ歌曲を終えるというのはあまり慣れていないので不思議な感じだったが、この曲も最後は諦念を激しい感情に乗せて吐露し、その激しさをピアノが引き継いだまま終わるので、締めくくりの曲として適しているのかもしれないと思った。

後半は「冬の夕べ」と「鳩の使い」といった穏やかで一息ほっとつける作品で始められた。
「冬の夕べ」は静かな冬の夕べに部屋に差し込む月の光に心地よさを感じながら過去の美しい恋の思い出に浸るという内容が見事に音楽に写されている。
情景が脳裏にふっと浮かぶような素敵な詩と音楽で私は大好きな作品であり、ホルもここでは激しさを一切出さず、ひたすら柔らかい響きに徹していた。
「鳩の使い」の右手のシンコペーションをオルトナーは「鳩のはばたき」と表現していた。
そのはばたきに乗って「あこがれ」という名の鳩の飛翔がたっぷりとした思い入れをこめて歌われ、弾かれていた。
天衣無縫の自然さでいつまでも続くかのような穏やかさの中にふと顔を覗かせる短調の響き、これはシューベルト自身の白鳥の歌に最もふさわしい作品といえるだろう。

ハイネ歌曲群はやはり圧巻であった。
ここには死の直前にシューベルトが到達した新しい世界が惜しげもなく提示されている。
天才は進化し続けるものなのだ。
ホルはここで曲順をかなり入れ替えて、恋のはじまりから終わりまでの一連のドラマを作り上げた。
実は過去のホルの演奏の記録などを調べてみると、彼はすでに昔からハイネ歌曲群をこの順序で歌うことが多かったようだ。
「漁師の娘」は浜辺で下心をちらつかせながら漁師の娘を軟派する男の軽薄な言葉が歌われ、続く「海辺で」では真剣な恋に発展した2人だが、愛するあまりに流した彼女の涙を飲んで、それが毒となって、彼女を思って死にそうなほどやつれてしまう。
「都会」で男は海に旅立つが、太陽の光が恋人を失ったあの場所を照らし出すのが海の上から見えてしまう。
「影法師」で男は再びモトカノの家の前に立つが、そこに苦痛のあまり手をよじった男を見る。それはほかでもないかつての自分自身、つまりドッペルゲンガーだったのだ。
「彼女の肖像」は、夢の中に彼女の肖像があらわれ、生気を帯び始めるが、それを見て男は涙する。彼女を失った現実が信じられないのだ。
最後に置かれた「アトラス」は、ギリシャ神話に登場する天空を背負う運命をになわされたアトラスに、己の失恋の苦しみが永遠に終わらないことをなぞらえる。
こういう1つの流れも確かに納得できるものであり、ハースリンガーの版がシューベルトの意思を反映したものとは言い切れない以上、このような試みはいろいろなされてもいいだろう。
ここでのホルの歌唱は終始劇的であった。
緊張の途切れない重苦しい世界が確かに1つのチクルスを形成していた。
普通ならば「影法師」でクライマックスを築くのだが、ここでは「影法師」は中間地点に過ぎなかった(それでもものすごい絶唱だったが)。
最後に「アトラス」が置かれたことで、己の苦しみを全身で存分に表現して、この恋の重く苦しいチクルスを締めくくった。
個々の歌の演奏の出来栄えといった次元を超えて、これは本当に壮絶な世界であり、シューベルトの天才をまざまざと目のあたりにさせてくれた非凡な2人の演奏家にはただ賞賛の言葉しか見つからない。

アンコールはよく知られた美しいシューベルトの曲2曲。
「音楽に寄せて」はせちがらい世の中で音楽によって救われた者の感謝の気持ちがどの音楽ファンの心情にもマッチするのではないか。
音楽への最高のオマージュである。
「夕映えの中で」での崇高な自然の力をシューベルトはこれほど雄大に表現してくれた。
目の前に情景が浮かんでくるようだ。
そんなことを感じながら、ホルとオルトナーのこれまでと一転して優しく穏やかな演奏が胸に響いてきた。

みどり・オルトナーのピアノは粒立ちのよい極めてよく歌うタッチで貫かれ、聞こえてほしい音は必ず見事なまでに浮かび上がらせる。
蓋は全開だが、ホルの声量がものすごいので、全く問題ない。
特に間奏箇所になると、彼女は実に雄弁にピアノで歌う。
その積極的なアンサンブルの妙が存分に味わえる充実した演奏を聞かせてくれた。
小柄な彼女が「アトラス」のような曲でも堂々たる響きを実現していたのは素晴らしかった。
ところで、彼女、もとは声楽家出身で、エディット・マティスなどにも師事して、オペラ出演などの経験もあるらしい。
その後はピアノに専念しているようだが、そうした経験がこのような歌曲への深い理解と積極的な表現につながっているのではないだろうか。

このブログを立ち上げたのは3年前の11月でしたが、最初に書いた音楽記事がホル&オルトナーのコンサート報告でした。
そういう意味でも再び彼らのコンサートを同じ川口のホールで聴くことが出来て、とても感慨深く感じました。
3年間もブログを継続してこられた原動力となったのは読者の方々あってこそと感謝しております。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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