マーク・パドモア&ポール・ルイス/シューベルト三大歌曲集全曲演奏会より(2014年12月4日&7日 王子ホール)

マーク・パドモア&ポール・ルイス
~シューベルト三大歌曲集全曲演奏会~

マーク・パドモア(Mark Padmore)(テノール)
ポール・ルイス(Paul Lewis)(ピアノ)

2014年12月4日(木)19:00 王子ホール
<第1日>美しき水車屋の娘

シューベルト/歌曲集「美しき水車屋の娘」Op.25, D795
 さすらい
 どこへ?
 とどまれ
 小川への感謝
 店じまい
 知りたがり
 焦り
 朝の挨拶
 粉挽きの花
 涙雨
 ぼくのもの
 憩い
 リュートの緑のリボンで
 狩人
 妬みと誇り
 すきな色
 きらいな色
 しぼめる花
 粉挽きと小川
 小川の子守歌

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2014年12月7日(日)15:00 王子ホール
<第3日>白鳥の歌

ベートーヴェン/
「8つの歌」より 五月の歌 Op.52-4
「6つの歌」より 新しき恋 新しき生 Op.75-2
星空のもと 夕べの歌 WoO150

連作歌曲 「遥かなる恋人に寄す」 Op.98
 丘の上に座り
 山の連なりが蒼く
 空高く 軽やかな雲
 空高く 浮かぶ雲
 五月が戻り 緑野は花ざかり
 受け取ってほしい この歌を

~休憩~

シューベルト/歌曲集「白鳥の歌」 D957
 愛の遣い
 戦士の予感
 せつなき春
 セレナード
 居場所
 遥かなる国で
 別れ
 アトラス
 あの娘(こ)の姿
 漁師の娘
 あの街
 海辺にて
 影法師
 鳩の便り

(曲名は配布プログラムの広瀬大介氏の訳による)

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イギリス出身のテノール、マーク・パドモアと、ピアニスト、ポール・ルイスがシューベルトの三大歌曲集のシリーズを3日にわたって披露した。
そのうちの「美しき水車屋の娘」と「白鳥の歌」のコンサートを王子ホールで聴いた。

マーク・パドモアの歌はエヴァンゲリストの歌だ。
あたかも上質の芝居を見ているかのような語りの魅力が際立っている。
ドイツ語が完璧に自分のものになっているうえに、それを目に浮かぶようなイメージの喚起力で描いていく。
高音のつきぬけたような響きが実に心地よく美しいが、他の音域も様々な音色、ニュアンスを巧みに使い分けて、情景も心理も微細に語り尽くす。
一方で低い音域でも時に驚くほどがっしりした響きを聞かせる。
その表現力の一貫した見事さはネイティブの一流リート歌手たちと比べても全く遜色ない。

「美しき水車屋の娘」では主人公になりきりながらも、どこか冷静な語り手の要素も感じさせるものだった。
だが、彼の立場が明確になったのは最終曲でのことだった。
最後から2番目の「粉挽きと小川」が終わった時、パドモアはゆっくりと下手の方に移動し、ポール・ルイスよりも左側に立って最終曲「小川の子守歌」を歌った。
つまり、これまでの主人公だった若者は最終曲ではすでに川の底で眠っており、パドモアが場所を移動することによって、歌の当事者が小川であることを示したのだろう。
パドモアの歌唱は時に第三者的(語り手的)な印象をも受けるものだったが、彼自身はやはり若者になりきって歌っていたということだろう。
いずれにせよ、パドモアの歌唱はこの歌曲集の魅力を最高に引き出したものだった。

そして「白鳥の歌」の前に歌われたベートーヴェンの歌曲では、パドモアがこれらの軽快な歌でも出色な表現を聞かせることを示した。
珍しい「星空のもと 夕べの歌」という歌曲が、荘厳だが、中間で盛り上がり、最後はまた静謐な響きに戻る作品で、後奏はシューベルトの「窓辺で」を思わせる美しいものだった。
無名の作品がパドモアとルイスの素晴らしい演奏で、コンサートで取り上げられるのは意義深い。
「遥かなる恋人に寄す」は憧れの気持ちを6編の歌曲にまとめて歌い上げた連作歌曲集の先駆けであるが、パドモアの声の美しさがここではあらためて感じさせられた。

シューベルトの「白鳥の歌」は難しい歌曲集である。
連作歌曲集ではなく、独立した作品の寄せ集めである。
それでもハイネ歌曲集は連続して歌ってもあまり違和感はないだろう。
ところが、レルシュタープ歌曲集では最初の「愛の遣い」と2曲目の「戦士の予感」からしてすでに全く異なる。
そして「戦士の予感」と、それに続く「せつなき春」もまた全くタイプの異なる作品である。
従来、ハイネ歌曲の「影法師」とザイドル歌曲の「鳩の便り」の間の違和感については論じられることが多かったが、すでにレルシュタープ歌曲集の中においても、抒情詩人シューベルトと革新的シューベルト、孤高のシューベルトが併置されているのである。
今回のパドモアの歌唱は、ハスリンガーの出版の順序通りに歌われた。
しかも、ルイスは曲間にあまり時間を置かず、あえて異なるタイプの作品たちを連続して演奏したかのようだった。
それによって、連作歌曲集ではない側面が強調され、シューベルトの個々の詩に対する対応力の多彩さ、幅広さがあらためて浮き彫りにされたように感じられた。
パドモアの各曲への対応力の素晴らしさは言葉にならないほどである。
ぴったりと作品の核心を突いた表現をしていて、しかも「美しき水車屋の娘」の日よりも声の伸びがよく、ホールいっぱいにドラマティックな声が響き渡ったのであった。
「居場所」がこれほどドラマティックな歌曲であると実感できたのは、パドモアの全力の歌唱があってこそだろう。

ポール・ルイスのピアノはただもう凄いの一言に尽きる。
一流のソリストが必ずしも一流の伴奏者とは限らないが、ルイスの場合は、ソロも伴奏も同様に超一流であった。
「美しき水車屋の娘」の第1曲「さすらい」からすでにそのニュアンスの多彩さは息を飲むほどだった。
単純な繰り返しは皆無で、ペダルの加減やタッチの細やかな描き分け、さらにダイナミクスの幅の広さ(しかも強音が決して耳障りにならない重量感をもっている)などで、シューベルトのピアノ曲を知り尽くした強みを最大限に発揮した素晴らしい演奏だった。

そして、ベートーヴェンの歌曲では軽やかさと適切な控えめさをも聴かせ、「遥かなる恋人に寄す」はピアノの音画的表現を細やかに聴かせつつ、歌にも配慮を見せる。
パドモアがいかに素晴らしくとも生演奏では時に歌詞が飛ぶこともあったが、そんな時のルイスの自然なサポートぶりは熟練した伴奏ピアニストそのものだった。
「白鳥の歌」では全く異なる個性をもった曲たちを続けて演奏して、それぞれの世界観を雄弁に描き出すその手腕にただただ脱帽だった。
「愛の遣い」での細やかなせせらぎの音、「せつなき春」での軽快でリズミカルな雄弁さ、「遥かなる国で」でのダイナミクスの見事な設計、そして「あの街」での後奏の最後の一音を分散和音の濁りの中から最後に浮かび上がらせた解釈など、その魅力を挙げたらきりがない。
「アトラス」は歌手の声を消さないように、実演では控えめに演奏されがちだが、ルイスは歌手に配慮しつつも、どっしりとした重厚感と激しさを見事に実現していた。
パドモアの音楽設計を知り尽くし、彼の表現に徹底して従いながらも、繊細かつ雄弁な演奏を聴かせてくれた。
これは最高の「白鳥の歌」の演奏のひとつとして、私の中でいつまでも記憶に残るだろう。

両日ともアンコールはなかったが、これ以上は聴き手も望まない。
完全燃焼した二人の名演奏家に心から拍手を送りたい。
今年最も感銘を受けたコンサートの一つとなった。

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マーク・パドモア&ティル・フェルナー/シューベルト《白鳥の歌》ほか(2011年12月6日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第8篇
〈シューベルト三大歌曲 3〉
マーク・パドモア(テノール)&ティル・フェルナー(ピアノ)

2011年12月6日(火)19:00 トッパンホール(Toppan Hall)(C列5番)
マーク・パドモア(Mark Padmore)(tenor)
ティル・フェルナー(Till Fellner)(piano)

シューマン(Schumann)/子どもの情景(Kinderszenen) Op.15[ピアノ・ソロ]
 見知らぬ国から(Von fremden Ländern und Menschen)
 珍しいお話(Curiose Geschichte)
 鬼ごっこ(Hasche-Mann)
 おねだり(Bittendes Kind)
 幸せいっぱい(Glückes genug)
 重大なでき事(Wichtige Begebenheit)
 トロイメライ(Träumerei)
 炉ばたにて(Am Camin)
 木馬の騎士(Ritter vom Steckenpferd)
 むきになって(Fast zu ernst)
 怖がらせ(Fürchtenmachen)
 眠りに入る子供(Kind im Einschlummern)
 詩人は語る(Der Dichter spricht)

シューベルト(Schubert)/《白鳥の歌(Schwanengesang)》D957
 愛の言づて(Liebesbotschaft)
 兵士の予感(Kriegers Ahnung)
 春のあこがれ(Frühlingssehnsucht)
 セレナーデ(Ständchen)
 居場所(Aufenthalt)
 遠い地で(In der Ferne)
 別れ(Abschied)
 アトラス(Der Atlas)
 あの娘(こ)の絵姿(Ihr Bild)
 魚とりの娘(こ)(Das Fischermädchen)
 町(Die Stadt)
 海辺で(Am Meer)
 もう一人の俺(Der Doppelgänger)
 鳩の使い(Die Taubenpost)

~アンコール~
シューベルト(Schubert)/《白鳥の歌》D957~セレナーデ(Ständchen)

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休憩なしでフェルナーのソロによる「子どもの情景」とパドモアを加えた「白鳥の歌」が演奏された。
ピアノ曲と歌曲の組み合わせというのは意外と珍しい。
フェルナーはソリストなので聴こうと思えばソロ演奏も聴くことが出来るわけだが、普段伴奏を専門にしているピアニストがこういう機会にソロを披露するというのも面白いのではないか。
トッパンホールさんには是非企画してもらえたらと願いたいところである。

さて、最初に演奏されたフェルナーの「子どもの情景」。
前回「水車屋」で聴いた印象と基本的には変わらない。
丁寧でストレートな表現。
ちょっとしたフレーズの歌わせ方などなかなか素敵だし、テクニックもしっかり安定していたが、基本的には淡白であまり濃密な方向には向かわない。
大人が子供時代を懐かしく回想しているというよりは、子供が素直な心のまま無邪気に表現しているという印象。
これはこれで一つの解釈であろう。

続いてパドモアを加えたシューベルトの「白鳥の歌」が従来通りの曲順で演奏された。
レルシュタープの詩による前半7曲とハイネの詩によるその後の6曲、そして最後に置かれたザイドルによる「鳩の使い」がシューベルト晩年の様々な心境を反映させながら見事に紡がれていく。
従来はハイネの歌曲においてシューベルトは未来を予感させる新しい世界に足を踏み入れたというような見方がされてきたが、ここでパドモアとフェルナーの演奏を聴きながら、なかなかどうしてレルシュタープのいくつかの作品の中にもすでに新しい境地に達したシューベルトがいるではないかと思ったりもした。
「兵士の予感」における緊張感と焦燥感が続く手に汗握るようなドラマ、「居場所」におけるゴツゴツとした岩山の荒々しい描写(情景と心理状態をリンクさせた)、そして「遠い地で」での執拗なまでのテキストの脚韻を際立たせた朗誦とメロディーの使い分け等々、穏やかで美しい響きのシューベルトとは明らかに一線を画している。
こうしたドラマティックな作品におけるパドモアとフェルナーの表現は実に見事だ。
シューベルトが望んだであろうドラマを一瞬の隙もなく聴き手に突きつけてくる。
パドモアは奥に秘めているものを一気に吐き出すように劇的に歌うし、フェルナーは普段の穏やかな音を越えた歌と拮抗するような主張を聞かせる。

さらにハイネ歌曲における彼らは一層深い世界を表出してみせた。
「魚とりの娘(こ)」は下手をすると単なる舟歌になってしまいがちだが、ここでパドモアはこのテキストの主人公がプレイボーイであって、うぶな女性を落とそうと甘い言葉で誘惑するように歌う。
その下心を隠しもったダンディぶりを見事に歌で表現していたのには脱帽した。
シューベルトが"Wir kosen Hand in Hand(手つないで、いいことしようよ)"の最後の"Hand"で減7度上行させることによって、このプレイボーイの本音がちらっと響きに表れたような印象を受け、このさりげなさにシューベルトの才能をあらためて感じてしまう。

「白鳥の歌」は様々な作品が入り混じっている為、一つの声域で歌うのはおそらくかなり難しいと思われる。
パドモアにしても、低音が続く箇所(「あの娘(こ)の絵姿」など)はどうしても響きが薄くなるが、それは仕方のないこと。
むしろ、それをいかにうまく処理して、自分の声にひきつけるかが重要な気がする。
その意味でパドモアは彼の声に合ったものも合わないものも同様に、彼なりののめりこみ過ぎないドラマティックな表現で聴衆にシューベルトの音楽の良さを伝えてくれた。
その困難を見事に消化して、聴き手にツィクルスとしてのまとまりを感じさせる演奏を行っていたということに対して、パドモアとフェルナーの表現を大いに賞賛したいと思う。

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マーク・パドモア&ティル・フェルナー/シューベルト《水車屋の美しい娘》(2011年12月2日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第6篇
〈シューベルト三大歌曲 1〉
マーク・パドモア(テノール)&ティル・フェルナー(ピアノ)

2011年12月2日(金)19:00 トッパンホール(Toppan Hall)(C列5番)

マーク・パドモア(Mark Padmore)(tenor)
ティル・フェルナー(Till Fellner)(piano)

シューベルト(Schubert)/《水車屋の美しい娘(Die schöne Müllerin)》 D795
 さすらい(Das Wandern)
 どこへ?(Wohin?)
 止まれ!(Halt!)
 小川への感謝の言葉(Danksagung an den Bach)
 仕事じまいの集いで(Am Feierabend)
 知りたがり屋(Der Neugierige)
 いらだち(Ungeduld)
 朝のあいさつ(Morgengruß)
 粉ひきの花(Des Müllers Blumen)
 涙の雨(Tränenregen)
 僕のもの!(Mein!)
 休み(Pause)
 リュートの緑のリボン(Mit dem grünen Lautenbande)
 狩人(Der Jäger)
 嫉妬と誇り(Eifersucht und Stolz)
 好きな色(Die liebe Farbe)
 いやな色(Die böse Farbe)
 しぼめる花(Trockne Blumen)
 粉ひきと小川(Der Müller und der Bach)
 小川の子守歌(Des Baches Wiegenlied)

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最近モーツァルトやヴァーグナーのオペラや、ベートーヴェンのピアノソナタなど、様々なジャンルの演奏を聴く機会が増え、久しぶりに「水車屋の美しい娘」の実演を聴いたのだが、あたかも旅先から我が家に戻ってきたような安堵感を覚え、やはり私はシューベルトのリートが心底好きなのだと再認識した。
それと同時に、シューベルトのリートばかり聴いていた時にはそれほど意識していなかったシューベルトの良さ、メロディーの美しさ、裏にひそむ悲劇性など、あらためて気付かされたことも多く、他のジャンルや作曲家の作品を聴くことがいかに大切なことか実感させられた一夜となった。

マーク・パドモアは他の歌手同様最初のうちは固さが感じられたが、彼ほどの世界的な存在でも最初は固くなるのだと知ると、生身の体が楽器の歌手という仕事の大変さと同時に、人間らしい親しみも感じられた。
古楽を得意とするだけあって、彼の歌い方は端正かつドラマティックである。
細身の声を絞り出すように歌い、その真摯な表現が胸を打つ。
イギリス人にもかかわらずドイツ語の歯切れの良さも素晴らしい。
高音域は年齢と共に若干余裕がなくなりつつあるのかもしれないが、彼特有の魅力的な高音の響きは健在であった。
パドモアの「水車屋」の歌唱はエヴァンゲリストのような語り部ではなく、あくまでも主人公そのものに入りきったものと感じられた。
しかし、劇的な作品でも大仰にならず、彼特有の品格のようなものが維持されていたのが素晴らしい。
テノールで聴く「水車屋」はやはり素敵だなぁと聞き惚れた1時間だった。

なお、版によって異同のある歌詞については、第2曲「どこへ?」の第3節は"und immer frischer rauschte"ではなく"und immer heller rauschte"と歌い、第5曲の"und der Meister spricht zu allen"は"spricht"ではなく"sagt"と歌っていた。
配布プログラムはいずれも歌われなかった方の歌詞が採用されていたので、歌詞を見ながら聴いていたお客さんはあれっと思ったかもしれない。

ティル・フェルナーのピアノは際立って特殊なことをするわけでもなく、歌うべきところはよく響かせながらも歌手に寄り添った清々しい演奏だった(ペータース版の楽譜を使っていたように見えた)。
第1曲「さすらい」では非常にリズミカルに演奏し、若者の希望に満ちた躍動感が伝わってきた。
第9曲「粉ひきの花」などは最近有節形式の途中の節でピアノパートを1オクターブ高く演奏して変化をつけようというピアニストが増えてきたが、フェルナーはあくまでも楽譜のまま忠実に演奏する。
第19曲の「粉ひきと小川」の前奏をかなり大きめな音量で弾きはじめたのは驚いたが、悲劇性を強調しようとしたのかもしれない。
また最終曲「小川の子守歌」では有節形式の最終節の後奏でペダルを踏みっぱなしにして音を濁らせていたが、これは主人公が深い川底に沈んでいることを表現しようとしたのだろうか。
最近では珍しくピアノの蓋を短いスティックで少し(20センチぐらい?)開けただけだったが、歌を覆いかぶさないようにという配慮とはいえ、やはり響きの点ではもっと開けて演奏してほしかったし、彼ならコントロールも可能だったのではないか。
概して誠実で真摯な演奏だったが、時にもっと踏み込んでも良かったかもしれない。
今後成熟することで化ける可能性があるピアニストではないか。

アンコールはなし。
満席ではなかったようだが、聴衆の熱烈な拍手に何度もステージに呼び戻され、それが納得できるほどの素晴らしさだった。

なお、今回示唆に富んだプログラムノートを執筆された梅津時比古氏による《水車屋の美しい娘》という新訳は「水車小屋」に「美しい」という印象を抱かせるのを避ける意味合いがあるようだ。当時のドイツでは人里離れた場所にあった水車小屋は隠れ家という危険なイメージをもたれ、それゆえに粉屋という職業は暗に差別の対象となっていたとのこと。このテーマでぜひ1冊執筆してもらいたい。

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パドモア&クーパー/「冬の旅」(2008年10月9日 トッパンホール)

シリーズ<歌曲(リート)の森>~詩と音楽 Gedichte und Musik~第1篇
2008年10月9日(木)19:00 トッパンホール(B列4番)
マーク・パドモア(Mark Padmore)(T)
イモジェン・クーパー(Imogen Cooper)(P)

シューベルト(詩:ミュラー)/歌曲集「冬の旅(Winterreise)」D911
(おやすみ/風見鶏/凍った涙/凍りつく野/菩提樹/あふれ流れる水/河の上で/振り返り/鬼火/休み/春の夢/孤独/郵便馬車/白髪/カラス/最後の希み/村で/嵐の朝/惑わし/道しるべ/宿屋/勇気/幻の太陽/辻音楽師)

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イギリスのテノール歌手マーク・パドモアと、同じくイギリスのピアニスト、イモジェン・クーパーによる「冬の旅」を聴いた。
パドモアはメンデルスゾーンやシューマンの歌曲集(Hyperion)はあるものの、まだ歌曲の録音は少なく、主に古楽の演奏で知られている人である。
近く、ブレンデルの弟子のポール・ルイスというピアニストと「冬の旅」を録音するそうだ。
一方のクーパーは、バリトンのホルツマイアと共演して数々の歌曲録音(PHILIPS)を残しているので、すでに歌曲ピアニストとしてもベテランと言えるだろう。

薄い黒の背広で登場した40台後半のパドモアは外国の歌手としては小柄で痩身だが、白髪まじりの短髪に精悍な顔つきは舞台栄えしていた。
クーパーはシャツ、ジャケット、パンツと全身黒のコーデュロイ(多分)で統一していて、おしゃれである。
聴衆の拍手に応える時には右手を体の前に添えてお辞儀し、その物腰は常にエレガントであった。

パドモアは古楽を得意とするだけあり、実に正確に楽譜を音にするタイプのようだ。
身動きは殆どせず、もっぱら声だけで表現しているのが潔く、しかもドラマティックな表現の幅があり起伏に富み、几帳面さと劇性が同居した感じといえばいいだろうか。
高音は実に豊かに余裕をもって響く一方、テノール歌手の常で低声は若干の弱さがあるが、これは仕方ないのだろう。
ドイツ語の発音は見事で美しかったように思う。
バッハでのエヴァンゲリストを得意とするパドモアだけあって、彼の「冬の旅」は歌のメロディーに寄り添うよりは、朗誦に近い印象を受ける。
声そのものの質は必ずしも恵まれているというわけではないように感じたが(少なくとも私の好みでは)、シューベルトの旋律を生かしながら詩の言葉を生き生きと語る姿勢には感銘を覚えた。

第10曲「休み(Rast)」の各節の歌いおさめの箇所は、第1版の低音からあがって再び下るアーチ型の旋律と、第2版の高低高低のジグザグ進行の違いがあり、シュライアーが第1版を歌っている以外にはほとんどの歌手が第2版を歌っていたのだが、パドモアが今回第1版で歌っていたのを聴いて新鮮な印象を受けた。

クーパーはいつもながら丁寧にシューベルトの音を再現していく。
歌と対決するタイプではなく、一心同体になるように心掛けていたように思うが、それはほぼ完璧に実現されていたと思う。
蓋を全開に開け放ちながら、絶妙のコントロールで激しい曲でも決して歌声を覆うことはない。
「あふれ流れる水」では右手の三連符と左手のリズムを合わせるか、ずらすか、演奏者によって解釈の分かれるところだが、クーパーは合わせて弾いていた(シューベルトは当時すでに廃れつつあったバロック時代の記譜法を用いていた為に、リズムを合わせるのが彼の意図であるというのが定説になっているようだが、ピアニストによっては演奏効果を求めてずらして弾く人も多い。私はずらして弾く演奏の方が涙の落ちる様をよりリアルに表現できるような気がして好きである)。
「勇気」ではピアノ間奏となる筈のところでパドモアがタイミングを間違えて歌いだしてしまった箇所があったのだが、クーパーは全くたじろがず、うまくパドモアに合わせていたところなど、熟練の歌曲ピアニストのような臨機応変な対応を見せており見事だった。
「辻音楽師」でクーパーは斬新な試みをした。
前奏2小節であらわれるライアー(手回しオルガン)のドローンを模した装飾音を曲全体にわたって追加して弾いたのである(本物に近づけようとするかのように若干濁らせて弾いていた)。
この曲のピアノパートがライアーの響きを模していることは疑う余地もないことだし、クーパーの試みも一理あるとは思う。
ただ、彼女の試みを聴いて、シューベルトが前奏2小節にしか装飾音を付けなかったことも納得できたような気がするのである。
最初の2小節で聴き手にライアーの響きを感じさせることが出来れば、あとは聴き手の想像力が充分補うことが出来る。
装飾音を全体にわたって加えると歌とのアンサンブルの面でしつこく感じられて、歌のメッセージの訴求力が弱まってしまうような印象を受けた。

盛大な拍手に応えて何度も舞台に呼び戻された2人だったが、アンコール演奏はなかった(「冬の旅」の後ではアンコールは不要だろう)。

第3曲の前奏で携帯の着信らしき音が鳴り響き、せっかくの楽興の時を妨げられ残念だった。

そういえばクーパーはこの間の土日にアンドリュー・リットン指揮のNHK交響楽団と共演してシューマンのピアノ協奏曲を演奏し、土曜日にFMで生中継されたのを聴いたが、難度の高い技術が要求されるわりに労多くして効果が少ないと指摘されるこの曲をクーパーはいつも通り気負うこともなく丁寧に繊細に演奏していた。
オーケストラの一員になったかのような一体感で音楽の中に溶けこんだ演奏を聴かせていた。
もちろん美しい音は健在だったと感じた。
シューベルトのソロリサイタル、シューマンのコンチェルト、そして今回の歌曲演奏と、彼女の多面的な実力をたっぷり味わうことが出来て、満足である。
海外ではパドモア&クーパーのコンビで「美しい水車屋の娘」も演奏予定があるらしい。
こちらもいつか来日公演で聴きたいものである。

Padmore

Photo by Marco Borggreve
(この写真はパドモアのHPにある使用フリーの画像です:Photo use is free if credited: Marco Borggreve)

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