イモジェン・クーパー/ピアノリサイタル(2011年10月24日 トッパンホール)

イモージェン・クーパー ピアノリサイタル
2011年10月24日(月)19:00 トッパンホール(TOPPAN HALL)(D列6番)

イモージェン・クーパー(Imogen Cooper)(Piano)

シューベルト(Schubert)/3つの小品D946(3 Klavierstücke)
 変ホ短調
 変ホ長調
 ハ長調

ベートーヴェン(Beethoven)/ピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2《テンペスト》(Sonate für Klavier Nr.17 d-Moll Op.31-2 "Tempest")
 Largo - Allegro
 Adagio
 Allegretto

~休憩~

ブラームス(Brahms)/主題と変奏(弦楽六重奏曲第1番Op.18より第2楽章)(Thema mit Variationen d-Moll nach dem 2. Satz des Streichsextetts Op.18)

シューベルト/ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D958(Sonate für Klavier Nr.19 c-Moll D958)
 Allegro
 Adagio
 Menuetto. Allegro
 Allegro

~アンコール~
シューベルト/アレグレット ハ短調D915

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私が個人的に大のお気に入りである英国のピアニスト、イモジェン・クーパーのリサイタルを聴いてきた。

今回彼女はワインレッドのシックなジャケットとドレスで登場した。
長身の彼女がステージを出入りする様は実に優雅で、英国淑女のイメージそのもの。
以前に比べると若干ふくよかになったかなという印象は受けるが、自然と醸し出される品の良さは変わらない。

今回は最初と最後にシューベルト、その間にベートーヴェンとブラームスが挟まれるというプログラミング。
彼女が得意なシューベルトだけでなく、ベートーヴェンやブラームスをどのように聴かせてくれるかも楽しみだった。

前半の演奏はどうも疲れていたのか、音の漏れやミスが散見される。
前日も磯子でリサイタルを開いたはずなので、2日連続は体力的にも酷なのではないか(さらにこの翌日には大阪公演も予定されている)。
ツアー日程に関して主催者側の配慮を求めたいところだ。
最初の「3つの小品」もシューベルトの明暗を行き来する美しい響きにどっぷりつかる幸福感は味わえたものの、本来の彼女ならもっと凄いはずと思ってしまう。

クーパーの演奏するベートーヴェンというのも珍しいのではないか。
「テンペスト」のドラマを彼女はドイツ人のようにかっちり、どっしりとは弾かない。
ここでもシューベルトで聴かれるような歌が彼女の演奏の基本にあるようだ。
丁寧で端正なタッチで演奏されることによって、他のピアニストとは異なる彼女らしい演奏となったことは確かである。
ただ、まだ自分の体にしみこんではいない迷いが多少感じられ、さらに弾きこむことでもっと魅力的な演奏になりそうな気がする。

休憩後のブラームスで彼女は本調子を取り戻したようだ。
厳格ながらロマンティックなブラームスの音の動きがクーパーの演奏と相性がいいようだ。
弦楽六重奏曲第1番の哀しくも美しい第2楽章をブラームスはいとしいクラーラのためにピアノ独奏用に編曲した。
私は昔ブレンデルのCDでこの曲をはじめて聴いたのだが、その美しいメロディは強く印象に残ったものだった。
ブレンデルの弟子でもあるクーパーはしかし、師匠とは随分違う演奏をする。
もっと素直でもっと端正だ。
ブレンデルよりもクーパーにより魅力を感じるのは、私自身の好みのピアニスト像に近いからだろう。
好みのピアニスト像というものが何なのかと言葉であらわすのは難しいのだが。

そしてシューベルトのソナタ第19番の演奏は圧巻だった!
最初の一撃からクーパーの思い入れの強さが他の曲を明らかに上回っていた。
早めのテンポで堂々とドラマティックに始まったが、そこにはいささかの迷いもなく、彼女が長年弾きこんで体にしみついている熟成された音楽があった。
歌にあふれた第2楽章では美しいカンタービレを聞かせ、せわしない第3楽章では浮つかないしっかりとした演奏を聴かせたが、長大なタランテラの終楽章をスタミナと集中力を持続させながらじっくりと構築していく彼女には脱帽だった。
やはり彼女の本領はシューベルトなのだとはっきり再確認できた素晴らしい演奏だった。

アンコールで弾かれたのはシューベルトの「アレグレット ハ短調」。
短調と長調の間を行き来する移ろいやすい美をクーパーは実にくっきりと魅力的に表現していた。

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ホルツマイア&クーパー/ヴォルフ歌曲集

Wolf Songs(ヴォルフ歌曲集)

Holzmair_cooper_wolfWIGMORE HALL LIVE: WHLive0029
録音:2008年2月19日, Wigmore Hall, London (live)

Wolfgang Holzmair(ヴォルフガング・ホルツマイア)(バリトン)
Imogen Cooper(イモジェン・クーパー)(ピアノ)

Wolf(ヴォルフ)/Lieder to texts by Eduard Mörike(エードゥアルト・メーリケの詩による歌曲集)

1.Auf einer Wanderung(旅路で)
2.Der Tambour(鼓手)
3.Denk' es o Seele!(考えてもみよ、おお心よ!)
4.Der Gärtner(庭師)
5.Auf eine Christblume II(クリスマスローズに寄せてII)
6.Der Feuerreiter(火の騎士)
7.Peregrina I(ペレグリーナI)
8.Peregrina II(ペレグリーナII)
9.Um Mitternacht(真夜中に)
10.Jägerlied(狩人の歌)
11.Schlafendes Jesuskind(眠る幼な児イエス)
12.Frage und Antwort(問いと答え)
13.Fussreise(散歩)

(拍手の感じからして、おそらくここで休憩が入ったと思われる。)

14.In der Frühe(早朝に)
15.Im Frühling(春に)
16.Lied eines Verliebten(恋する男の歌)
17.Lebe wohl(さようなら)
18.An die Geliebte(愛する人に)
19.Nimmersatte Liebe(飽くことを知らぬ恋)
20.Elfenlied(妖精の歌)
21.Gebet(祈り)
22.An den Schlaf(眠りに寄せて)
23.Er ists(時は春)
24.Zur Warnung(戒めに)
25.Bei einer Trauung(ある婚礼にのぞんで)
26.Begegnung(出会い)

encore(アンコール)
27.Selbstgeständnis(打ち明け話)

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今年はフーゴー・ヴォルフ(1960-1902)が生まれて150年のアニバーサリーにあたる。
“シューベルト→シューマン→ブラームス→ヴォルフ”というドイツ歌曲の大きな流れは今や疑う余地もないが、最初の3人に比べて、ヴォルフの知名度は相変わらず低いままである。
それは、歌曲以外の作品がほとんど知られていないということも影響しているだろうが、肝心の歌曲についても、聴く者を瞬時に魅了するような分かりやすさはあまり無いという点は否定できない。
むしろ初めて聴く人にとっては晦渋な印象を受けるかもしれない。
しかし、ヴォルフの歌曲にひとたびとりつかれた人はどこまでもはまることが多いのではないだろうか。

ロンドンのウィグモア・ホールが自主レーベルから過去のライヴ録音を発売するようになって数年がたった。
幸いなことにこのレーベルでは歌曲のリサイタルの録音がしばしば発表される。
今回はバリトンのヴォルフガング・ホルマイアとピアニストのイモジェン・クーパーによるヴォルフ「メーリケ歌曲集」抜粋集である。

言うまでもなくホルツマイアは洗練の極みのようなスマートな歌唱をする人ではない。
むしろ無骨で不器用な印象すら受ける。
発音はオーストリア訛りをかすかに残しており、必要なテクニックはしっかりあるものの、人工的な要素を一切感じさせない。
しかし、その飾らない自然さがシューベルトの歌曲などではとても魅力的だった。

では、19世紀後半の、語りに近づいた歌声部と充実した近代的なピアノパートをもつフーゴー・ヴォルフの歌曲ではどうだろうか。
ホルツマイアはここでもいつもの朴訥な声を使って、丁寧に穏やかな歌を紡いでいく。
ヴォルフだからといって特別なことは何もしていないようにすら感じられる(実際はそんなことはないのだろうが)。
音符を真摯に再現していく彼の歌い方は、どちらかというと「語り」よりも「歌」を優先しているようである。
F=ディースカウやシュヴァルツコプフの歌う突き詰めたヴォルフとは対極にある歌唱と言えるかもしれない。
「旅路で」「庭師」「狩人の歌」「問いと答え」「散歩」などはその爽やかな自然さが心地よく、ホルツマイアに向いているように感じた。
ただ、バリトン歌手にしては低音があまり充実していないようで、例えば「さようなら」の最後の箇所はきつそうだった。

イモジェン・クーパーの演奏は細部まで徹底して丁寧で明晰。
テクニックが安定しているので、「火の騎士」のような難曲でも安心して身を委ねて聴ける。
彼女の音色はふかふかのベッドのように歌を豊かに優しく包み込む。
歌と対峙する丁々発止とした演奏ではなく、かといって、こじんまりとまとまるという演奏でもない。
一本のしっかりした歌声部という芯があって、それをピアノの響きが外側から包み込むような印象だ。

「考えてもみよ、おお心よ!」のクーパーの演奏は、私の聴いた感じだが、おそらく正しく移調されていない箇所があるように感じられた(違っていたらすみません)。

彼らの演奏、切れ味の良さや深い沈潜を求める向きには物足りなさを感じるかもしれないが、ヴォルフの歌曲のいくつかには、ホルツマイアの歌唱が生きる作品が確かにあることを感じることが出来た。

発売されたばかりですので、興味のある方はまずは以下のサイトで試聴してみてください(曲目の左端のマークをクリックすると数秒試聴できます)。

 試聴する

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最近聴いたディスクから(3種のシューベルト)

日々様々な音楽を聴き、それらの感動を文章にしたいと思っていても、ブログで公表しようとすると変にかしこまってしまい、乏しい語彙をひねくりだそうとしているうちに疲れてしまう。
もっと気楽に普段聴いているディスクを紹介する記事を書いてみたいという思いから、「最近聴いたディスクから」というシリーズを試みてみたい。

あまり踏み込んだ文章ではないと思うが、記事を読んでくださった方々がちょっと面白そうな演奏だなと思えるような内容を心掛けたい。

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イモジェン・クーパーの弾くシューベルトのピアノ・ソナタ

Cooper_schubert_2SCHUBERT / THE LAST SIX YEARS 1823-1828: VOL. 2
シューベルト/最後の6年間 1823年~1828年:第2巻

Ottavo: OTR C58714
録音:1987年5月27~29日, Henry Wood Hall, London

Imogen Cooper(イモジェン・クーパー)(P)

シューベルト作曲
1.ソナタ イ長調D959
2.11のエコセーズD781
3.ソナタ ハ長調D840「レリーク」

イギリス人ピアニスト、イモジェン・クーパーの弾く音は一音一音がとても磨きぬかれている。
そして気品があり、情感もとても自然に表現されている。
その素直さと彼女らしい構築感のセンスの良さが、シューベルトを弾くととても生かされるように思う。
D959はシューベルト最後の年の3つのソナタの1つだが、クーパーの奏でる音楽の魅力的なことといったらちょっと比類がない。
第2楽章の不気味なほど深遠な世界も正面から対峙した魅力的な演奏だ。
D840のレリークは第3、4楽章が未完のため演奏される機会があまり多くはないが、スヴャトスラフ・リヒテルは全く補完することなく、未完のまま4つの楽章を演奏していた(唐突にぶつ切れるにもかかわらず驚くほど素晴らしい)。
クーパーは完成された2つの楽章だけを弾いているが、簡素なメロディーからどれほど豊かな音楽が生み出されていることだろう。
リヒテル盤と並んで、作品の再評価を促すのではと思えるほど素敵な演奏である。
間に置かれた「エコセーズ」は4分ほどの小品だが、なんとリラックスしたシューベルティアーデの雰囲気を醸し出していることか。
このシリーズ、全部で6巻あるが、私はそのうち3枚を持っているのみである。
廃盤をライセンス販売しているArkivMusicというサイトで入手できるようなので、ほかの3枚もいずれ聴いてみたい。

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ホルツマイア&ヴィスのシューベルト、ゲーテ歌曲集

Holzmair_wyss_schubert_goethe_2_2SCHUBERT / Goethe-Lieder: VOL. 2
シューベルト/ゲーテ歌曲集

TUDOR: TUDOR 7110
録音:2001年12月19~22日, Angelika-Kauffmann-Saal, Schwarzenberg (Vorarlberg)

Wolfgang Holzmair(ヴォルフガング・ホルツマイア)(BR)
Gérard Wyss(ジェラール・ヴィス)(P)

シューベルト作曲
1.歌人D149
2.食卓の歌D234
3.夜の歌D119
4.釣り人D225
5.湖上にてD543
6.月に寄せて(第2作)D296
7.神とバヤデーレD254
8.川辺にて(第1作)D160
9.涙の中の慰めD120
10.竪琴弾き「孤独にひたりこむ者は」D325
11.竪琴弾き「涙を流してパンを食べたことのない者は」D478-2(第1版)
12.憧れD123
13.あらゆる姿をとる恋人D558
14.竪琴弾きの歌Ⅰ「孤独にひたりこむ者は」D478-1
15.竪琴弾きの歌Ⅱ「涙を流してパンを食べたことのない者は」D478-2
16.竪琴弾きの歌Ⅲ「戸口に私は忍び寄り」D478-3
17.宝掘りD256
18.誰が愛の神々を買うのかD261
19.プロメテウスD674
20.恋人のそばD162
21.スイス人の歌D559
22.恋はあらゆる道にあるD239-6
23.連帯の歌D258
24.金細工職人D560
25.歓迎と別れD767

オーストリア生まれのホルツマイアとスイス生まれのヴィスのコンビは、数多くの歌曲の録音を作っており、来日公演を聴いたこともある。
以前プランクの「仮面舞踏会」のCDでホルツマイアがフランス語のエスプリを若干生真面目だがしっかりと表現していたのに感心したことがあったが、やはり本領はシューベルトのようなドイツリートだろう。

このCDをプレーヤーにかけると、最初に「歌人」D149が演奏される。
なにげなく聴いていたら普段聴き馴染んでいるバージョンと随分違う。
解説書を見るとホルツマイア自身がこんなことを言っていた。
「このCDに録音しためったに歌われない版は、長いピアノ間奏をかなり放棄したことにより、とりわけスムーズな演奏を可能にしている」

「神とバヤデーレ」のようなF=ディースカウも録音しなかった珍しい作品を取り上げているのはうれしい。
「竪琴弾きの歌」も最も知られている3曲のD478より前に作曲したバージョンが2曲聴けるが、D478の深みがいかに際立っているか、またその境地にすぐに到ったわけではないことが分かり、興味深かった。

ホルツマイアはやはり上手い。
どんな曲を歌ってもたちまち作品の世界に同化して魅力的に聴かせてしまう。
柔らかく朴訥な声質がそのまま生きる「恋人のそば」のような作品だけでなく、厳しい「竪琴弾きの歌」もすんなり感情移入してしまう。
普段明るく幸福感を漂わせている人が深刻な事態に陥り沈み込んでいる時のようなギャップが、ホルツマイアの歌う「竪琴弾きの歌」に感じられる魅力ではないか。
現在最も安心してリートを聴けるバリトン歌手の一人であることは間違いないだろう。

ジェラール・ヴィスは以前に聴いたいくつかの録音では丁寧だが若干淡白で感情表現において物足りない感じを受けることもあったが、このディスクでは驚くほど積極的で雄弁な演奏を聴かせている。
「プロメテウス」での硬質で立体的な演奏、あるいは「歓迎と別れ」でのリズムの立った雄弁な演奏を聴くと、「これがあのヴィス?」と驚いてしまう。
実力を秘めているピアニストのようだ。

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F.プライ&R.グルダの「美しい水車屋の娘」

F_prey_r_gulda_muellerinSCHUBERT / Die schöne Müllerin, D795
シューベルト/美しい水車屋の娘D795

amphion records: amph 20240
録音:2002年7月4~6日, Schüttbau Rügheim

Florian Prey(フローリアン・プライ)(BR)
Rico Gulda(リコ・グルダ)(P)

シューベルト作曲
1.美しい水車屋の娘D795(全20曲)
2.川辺にてD766

2世コンビの共演による若々しい「水車屋」である。
父親は言わずもがな、ヘルマン・プライとフリードリヒ・グルダであり、父親同士も共演しており、2代続けての共演というのはなかなか興味深い。
フローリアン(1959-)の声は確かに父ヘルマンの声質を受け継いでいるのが感じられる(第7曲「焦燥」などで特に感じられる)。
聴いていると、つい父親の舞台が思い出され、懐かしい感慨にふけってしまう。
しかし、あまり厚みやボリューム感はなく、父ヘルマンよりももっと現代的なスマートな声である。
音程はまだ完璧ではないものの、父親のフラット気味の傾向とは異なり、訓練次第で良くなるのではないか。
ヘルマンの前のめり気味になるリズムの癖は息子にはないようで、その点流れが途切れず作品そのものに身をゆだねることが出来る。
カリスマ的な魅力を備えていた父親を超えるのは難しいかもしれないが、清流のように爽快で素直な表現は「水車屋」のような作品で生き生きと魅力を発揮している。
曲者フリードリヒの息子のリコ(1968-)はジャケット写真からは父親よりもっと真っ当な印象を受ける(母親が日本人なので、黒髪である)。
ここでの演奏もみずみずしい表現で、爽やかなピアノを聴かせているが、「焦燥」の後奏のようにかなり振幅の大きな表現も聞かせ、やはり只者ではない予感は感じさせる。

このディスク、「水車屋」の前後に30秒ほど「・・・」というトラックがあり、何かと思ったら水のせせらぎの音であった。
また、最後にアンコールのようにゲーテの詩による「川辺にて」D766が演奏されており、彼らのサービス精神を堪能した。

フローリアンは来年、父ヘルマンが日本で最後に披露した鈴木行一編曲版の「冬の旅」を歌うようである。
ヘルマンの最後の来日を聞き逃した私は、このフローリアンの歌唱を楽しみに待ちたい。

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パドモア&クーパー/「冬の旅」(2008年10月9日 トッパンホール)

シリーズ<歌曲(リート)の森>~詩と音楽 Gedichte und Musik~第1篇
2008年10月9日(木)19:00 トッパンホール(B列4番)
マーク・パドモア(Mark Padmore)(T)
イモジェン・クーパー(Imogen Cooper)(P)

シューベルト(詩:ミュラー)/歌曲集「冬の旅(Winterreise)」D911
(おやすみ/風見鶏/凍った涙/凍りつく野/菩提樹/あふれ流れる水/河の上で/振り返り/鬼火/休み/春の夢/孤独/郵便馬車/白髪/カラス/最後の希み/村で/嵐の朝/惑わし/道しるべ/宿屋/勇気/幻の太陽/辻音楽師)

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イギリスのテノール歌手マーク・パドモアと、同じくイギリスのピアニスト、イモジェン・クーパーによる「冬の旅」を聴いた。
パドモアはメンデルスゾーンやシューマンの歌曲集(Hyperion)はあるものの、まだ歌曲の録音は少なく、主に古楽の演奏で知られている人である。
近く、ブレンデルの弟子のポール・ルイスというピアニストと「冬の旅」を録音するそうだ。
一方のクーパーは、バリトンのホルツマイアと共演して数々の歌曲録音(PHILIPS)を残しているので、すでに歌曲ピアニストとしてもベテランと言えるだろう。

薄い黒の背広で登場した40台後半のパドモアは外国の歌手としては小柄で痩身だが、白髪まじりの短髪に精悍な顔つきは舞台栄えしていた。
クーパーはシャツ、ジャケット、パンツと全身黒のコーデュロイ(多分)で統一していて、おしゃれである。
聴衆の拍手に応える時には右手を体の前に添えてお辞儀し、その物腰は常にエレガントであった。

パドモアは古楽を得意とするだけあり、実に正確に楽譜を音にするタイプのようだ。
身動きは殆どせず、もっぱら声だけで表現しているのが潔く、しかもドラマティックな表現の幅があり起伏に富み、几帳面さと劇性が同居した感じといえばいいだろうか。
高音は実に豊かに余裕をもって響く一方、テノール歌手の常で低声は若干の弱さがあるが、これは仕方ないのだろう。
ドイツ語の発音は見事で美しかったように思う。
バッハでのエヴァンゲリストを得意とするパドモアだけあって、彼の「冬の旅」は歌のメロディーに寄り添うよりは、朗誦に近い印象を受ける。
声そのものの質は必ずしも恵まれているというわけではないように感じたが(少なくとも私の好みでは)、シューベルトの旋律を生かしながら詩の言葉を生き生きと語る姿勢には感銘を覚えた。

第10曲「休み(Rast)」の各節の歌いおさめの箇所は、第1版の低音からあがって再び下るアーチ型の旋律と、第2版の高低高低のジグザグ進行の違いがあり、シュライアーが第1版を歌っている以外にはほとんどの歌手が第2版を歌っていたのだが、パドモアが今回第1版で歌っていたのを聴いて新鮮な印象を受けた。

クーパーはいつもながら丁寧にシューベルトの音を再現していく。
歌と対決するタイプではなく、一心同体になるように心掛けていたように思うが、それはほぼ完璧に実現されていたと思う。
蓋を全開に開け放ちながら、絶妙のコントロールで激しい曲でも決して歌声を覆うことはない。
「あふれ流れる水」では右手の三連符と左手のリズムを合わせるか、ずらすか、演奏者によって解釈の分かれるところだが、クーパーは合わせて弾いていた(シューベルトは当時すでに廃れつつあったバロック時代の記譜法を用いていた為に、リズムを合わせるのが彼の意図であるというのが定説になっているようだが、ピアニストによっては演奏効果を求めてずらして弾く人も多い。私はずらして弾く演奏の方が涙の落ちる様をよりリアルに表現できるような気がして好きである)。
「勇気」ではピアノ間奏となる筈のところでパドモアがタイミングを間違えて歌いだしてしまった箇所があったのだが、クーパーは全くたじろがず、うまくパドモアに合わせていたところなど、熟練の歌曲ピアニストのような臨機応変な対応を見せており見事だった。
「辻音楽師」でクーパーは斬新な試みをした。
前奏2小節であらわれるライアー(手回しオルガン)のドローンを模した装飾音を曲全体にわたって追加して弾いたのである(本物に近づけようとするかのように若干濁らせて弾いていた)。
この曲のピアノパートがライアーの響きを模していることは疑う余地もないことだし、クーパーの試みも一理あるとは思う。
ただ、彼女の試みを聴いて、シューベルトが前奏2小節にしか装飾音を付けなかったことも納得できたような気がするのである。
最初の2小節で聴き手にライアーの響きを感じさせることが出来れば、あとは聴き手の想像力が充分補うことが出来る。
装飾音を全体にわたって加えると歌とのアンサンブルの面でしつこく感じられて、歌のメッセージの訴求力が弱まってしまうような印象を受けた。

盛大な拍手に応えて何度も舞台に呼び戻された2人だったが、アンコール演奏はなかった(「冬の旅」の後ではアンコールは不要だろう)。

第3曲の前奏で携帯の着信らしき音が鳴り響き、せっかくの楽興の時を妨げられ残念だった。

そういえばクーパーはこの間の土日にアンドリュー・リットン指揮のNHK交響楽団と共演してシューマンのピアノ協奏曲を演奏し、土曜日にFMで生中継されたのを聴いたが、難度の高い技術が要求されるわりに労多くして効果が少ないと指摘されるこの曲をクーパーはいつも通り気負うこともなく丁寧に繊細に演奏していた。
オーケストラの一員になったかのような一体感で音楽の中に溶けこんだ演奏を聴かせていた。
もちろん美しい音は健在だったと感じた。
シューベルトのソロリサイタル、シューマンのコンチェルト、そして今回の歌曲演奏と、彼女の多面的な実力をたっぷり味わうことが出来て、満足である。
海外ではパドモア&クーパーのコンビで「美しい水車屋の娘」も演奏予定があるらしい。
こちらもいつか来日公演で聴きたいものである。

Padmore

Photo by Marco Borggreve
(この写真はパドモアのHPにある使用フリーの画像です:Photo use is free if credited: Marco Borggreve)

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イモジェン・クーパーのシューベルト(2008年10月1日 東京文化会館小ホール)

Cooper_recital_20082008年10月1日(水)19:00開演 東京文化会館小ホール(1階H列17番)

イモジェン・クーパー(Imogen Cooper)(P)
(主催:日本アーティスト)

オール シューベルト プログラム(All Schubert programme)

3つの小品D946
 1. 第1番 変ホ短調 Allegro assai
 2. 第2番 変ホ長調 Allegretto
 3. 第3番 ハ長調 Allegro

ピアノ・ソナタ第16番イ短調 D845, Op. 42
 1. Moderato
 2. Andante, poco mosso
 3. Scherzo. Allegro vivace - Trio. Un poco più lento
 4. Rondo. Allegro vivace

~休憩~

ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 D850, Op. 53
 1. Allegro vivace
 2. Con moto
 3. Scherzo. Allegro vivace
 4. Rondo. Allegro moderato

[アンコール]
シューベルト/12のエコセーズD781より

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イギリス出身でブレンデルなどに師事したピアニスト、イモジェン・クーパーのリサイタルを聴いた。
バリトン歌手のホルツマイアとの共演でその美しく粒立ったタッチにすっかり惹かれ、いつか実演を聴いてみたいと思っていたのだが、ようやく念願かなった。
しかも彼女が最も得意とするシューベルトのみによるプログラムで期待はふくらむ。

東京文化会館は音楽資料室をよく利用するものの、小ホールは本当に久しぶりで訪れた。
若干空席があるものの、ほぼ満席という客層は年配の方が多いという印象。
ピアノのコンサートでよく見かける音大の女性らしい人はあまりいなくて、現時点でのクーパーの受容がまだ若い層には広まっていないことを示しているようだ。
シルバーのシャツに黒のパンツというシックないでたちで登場したイモジェン・クーパーはすらりとした長身の女性だった。
50代後半とはとても思えないほど若々しい。
最初のうちこそ若干音が硬いかなという印象だったが、徐々に音が滑らかになり、会場を豊かな響きで満たした。
彼女はあまり体を動かさずに弾いていて、視覚的にも音楽に集中できるタイプだったのが良かった。
演奏はもう何も文句を言うこともないほどひたすら素晴らしく、音は磨かれて極めて美しく、そして柔らかい。
シューベルトの音楽を知り尽くした人による歌にあふれた演奏だった。
fでも決して音は汚れず、pでも音はしっかりとした芯をもち、その音色の多彩さとコントロールの妙味に感動した。
テンポも恣意的な揺れは一切なく、ここぞという時に若干引き伸ばす箇所もあるが、それが全く不自然にならないのは彼女のテンポ感覚の見事さによるのだろう。

それにしても長大なプログラムであった。
「3つの小品」で30分近く、ピアノ・ソナタ第16番も30分以上で、前半だけで1時間ほど。
休憩をはさんで、ピアノ・ソナタ第17番が40分ほど。
アンコールも含めて終演は9時15分ぐらいだった。
「3つの小品」は第1曲が有名で、私もこの曲は何度か耳にしていた。
切迫した急速な部分が全体にわたって何度も繰り返され、その合間に対照的な優しい部分が挿入されるという形である。
第2曲はいかにもシューベルトらしいゆったりとした歌にあふれた曲調が繰り返され、間にはさまれるエピソードとして急速な重音のトレモロによる暗雲が立ち込めたり、メランコリックな単音の歌が奏でられたりする。
第3曲は軽快でユーモラスな曲調が全体のテーマでトレモロによる華やかさも加味されるが、すぐにシューベルトらしい穏やかな歌が挿入される。
この小品集の最後を飾るにふさわしい華麗な曲であった。

ソナタ第16番は第1楽章冒頭の装飾音をまじえた寂しげな導入のテーマが印象的だが、すぐにがっしりしたたくましいリズムに受け継がれる。
最終楽章は無窮動曲のように細かい動きが連なり、魅力的。

ソナタ第17番はかなり規模が大きい作品だが、最終楽章のハイドンのような可愛らしいテーマが印象に残る。

実のところ会社帰りの平日のコンサートは眠気との闘いでもあり、今回のコンサートも意識と無意識の争いの中で聴いていたようなものだった。
なんというもったいない聴き方なのだろうとも思うが、クーパーの素晴らしい演奏で眠れるならばそれも贅沢の極みだと自分に言い聞かせてはみるものの、やはり残念。
平日のコンサートは前日に睡眠をたっぷりとっておかないとと反省した一夜であった。

シューベルトの音楽にどっぷり浸った良い時間だったが、最後まで朦朧とした中で聴くことになったのが正直心残り。
来週のマーク・パドモアとの「冬の旅」は自分自身のコンディションを整えて聴きたいものである。

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ホルツマイア&クーパー/アイヒェンドルフ歌曲集

アイヒェンドルフ歌曲集(EICHENDORFF LIEDER)
Holzmair_cooper_eichendorffPHILIPS: 464 991-2
録音:1999年10月13-17日、Haydnsaal, Schloss Esterházy, Eisenstadt
ヴォルフガング・ホルツマイア(Wolfgang Holzmair)(BR)
イモジェン・クーパー(Imogen Cooper)(P)

メンデルスゾーン(Mendelssohn: 1809-1847)
1.森の城(Das Waldschloß)
2.小姓の歌(Pagenlied)

フランツ(Franz: 1815-1892)
3.おやすみ(Gute Nacht)Op. 5-7
4.狩の歌(Jagdlied)Op. 1-9

メンデルスゾーン
5.夜の歌(Nachtlied)Op. 71-6
6.さすらいの歌(Wanderlied)Op. 57-6

シューマン(Schumann: 1810-1856)
歌曲集「リーダークライス(Liederkreis)」Op. 39
7.異国にて(In der Fremde)
8.間奏曲(Intermezzo)
9.森の会話(Waldesgespräch)
10.静けさ(Die Stille)
11.月夜(Mondnacht)
12.美しい異国(Schöne Fremde)
13.城の上で(Auf einer Burg)
14.異国にて(In der Fremde)
15.悲しみ(Wehmut)
16.たそがれ(Zwielicht)
17.森にて(Im Walde)
18.春の夜(Frühlingsnacht)

アリベルト・ライマン(Aribert Reimann: 1936-)
歌曲集「夜曲(Nachtstück)」
19.私たちは誠実に見張っている(Wir ziehen treulich auf die Wacht)
20.とても陽気に歌っていた鳥たち(Die Vöglein, die so fröhlich sangen)
21.城の前で木々の中を(Vor dem Schloß in den Bäumen)
22.谷底が呼んでいるのが聞こえるかい(Hörst du die Gründe rufen)
23.ここで私は誠実な見張りのように立っている(Hier steh ich wie auf treuer Wacht)

ヴォルフ(Wolf: 1860-1903)
24.楽師(Der Musikant)
25.セレナーデ(Das Ständchen)
26.なによりいいのは(Lieber alles)
27.夜(Die Nacht)
28.郷愁(Heimweh)
29.愛の幸せ(Liebesglück)
30.やけっぱちの恋人(Der verzweifelte Liebhaber)
31.ひめやかな愛(Verschwiegene Liebe)
32.船乗りの別れ(Seemanns Abschied)

ツェムリンスキー(Zemlinsky: 1871-1942)
33.町の前で(Vor der Stadt)

コルンゴルト(Korngold: 1897-1957)
34.夜にさすらう人(Nachtwanderer)Op. 9-2

プフィッツナー(Pfitzner: 1869-1949)
35.秋に(Im Herbst)Op. 9-3
36.誘い(Lockung)Op. 7-4
37.わが娘との別れに(Zum Abschied meiner Tochter)

シェック(Schoeck: 1886-1957)
38.追悼(Nachruf)

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「のらくら者の日記」などで知られるヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(Joseph Karl Benedikt Freiherr von Eichendorff: 1788.3.10, Schloss Lubowitz bei Ratibor - 1857.11.26, Neisse)はドイツ・ロマン派の代表的詩人の一人であり、自然の中に身をおいた詩人の心のうちを吐露した詩は多くの作曲家の作曲意欲をかき立てた。
最も有名なのはシューマンの歌曲集「リーダークライス」Op. 39だろうが、ヴォルフは20曲(後に3曲削除)からなる「アイヒェンドルフの詩(Gedichte von Eichendorff)」を作曲し、ほかにもフランツ、ブラームス、メンデルスゾーン、プフィッツナー、シェックなども作曲している。
シューベルトがもっと長生きしていたらおそらく彼の詩に作曲していただろう。
森、山、雲、海、小川、夜、月、星、風、ナイチンゲール、バラ、等々ドイツ・ロマン派のキーワードに事欠かない彼の詩は、読み手や聴き手のイメージを充分にふくらませる。
一方、ヴォルフの「アイヒェンドルフ歌曲集」が、上述の要素に限らず、勇壮な人物像を数多くとりあげているのは、この詩人に対するありきたりのイメージを払拭するのに役立っているかもしれない。

これはアイヒェンドルフの詩による歌曲を38曲集めたCDだが、シューマンやヴォルフのみによるアイヒェンドルフ歌曲集はこれまでにも出ているが、9人の作曲家による集成というのは意外とありそうでなかった企画ではないだろうか。
思い出す限りではF=ディースカウ&サヴァリシュのザルツブルク・ライヴがあったぐらいだろうか。

ここで演奏しているのは、朴訥とした表情がなんとも魅力的なハイバリトンの美声歌手ヴォルフガング・ホルツマイアと、歌曲ピアニストとしても最高の一人と思うイモジェン・クーパーである。
ホルツマイアは今年のラ・フォル・ジュルネで久しぶりに来日する筈だったのだが、何故かキャンセルとなったのが残念である(来日していてもチケットは取れなかったので聴けなかったのだが)。

メンデルスゾーンやフランツの歌曲は確かにシューベルトやシューマンのような斬新さを歌曲史にもたらさなかったが、無視するにはあまりにも惜しい美しい小品を沢山残してくれた。
その一端をこのアルバムで聴けるのがなんともうれしい。

シューマンの「リーダークライス」はこのアルバムの目玉といっていいだろう。
メランコリックな「異国にて」(1曲目)や繊細な美しさが比類ない「月夜」など名曲の宝庫だが、なかでも9曲目の「悲しみ」という曲が個人的には気に入っている。
長調の穏やかな響きの中でひっそりと語られる心の底の悲しみがなんとも切なく、後奏の響きがまた慰撫するような優しさにあふれていて、私にとって癒しの1曲である。

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Wehmut, Op. 39-9
 悲しみ

Ich kann wohl manchmal singen,
Als ob ich fröhlich sei,
Doch heimlich Tränen dringen,
Da wird das Herz mir frei.
 私は時に歌うことができる、
 あたかも陽気であるかのように。
 だがひそかに涙があふれ出る、
 それで私の心は解き放たれるのだ。

Es lassen Nachtigallen,
Spielt draußen Frühlingsluft,
Der Sehnsucht Lied erschallen
Aus ihres Kerkers Gruft.
 ナイチンゲールは、
 外で春風が戯れると、
 憧れの歌を響かせる、
 牢獄の墓場から。

Da lauschen alle Herzen,
Und alles ist erfreut,
Doch keiner fühlt die Schmerzen,
Im Lied das tiefe Leid.
 あらゆる心が耳をそばたてて
 なにもかもが喜ぶ。
 だが、誰も苦痛を感じないのだ、
 歌にひそむ深い悲しみを。

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アリベルト・ライマンはF=ディースカウやファスベンダーのピアノ共演者としても有名な作曲家で、オペラ「リア王」などの作品がよく知られている。
この5つの歌曲は、あたかも筆跡の濃淡や、絵と余白がお互いを引き立てている水墨画のような趣を感じた。
余韻に多くを語らせるという特徴はわれわれ日本人には馴染みやすいかもしれない。

ヴォルフの「アイヒェンドルフ歌曲集」は、彼の作品としては例外的に親しみやすく楽しい。
ヘルマン・プライが得意としていたのもうなずける。
ここでホルツマイアが歌った9曲は、この歌曲集の様々な側面を満遍なくとりあげていて良い選曲だと思う。
「船乗りの別れ」の前奏の和音は当時ブルックナーを驚かせたほど斬新だったようだ。
「ひめやかな愛」はヴォルフらしくない素直に美しい旋律が紡がれる名作でしばしば歌われる。
私は「夜」という作品の神秘的な響きがとりわけ気に入っているが、あまりにも伝統にのっとっていると感じたのだろうか、ヴォルフは「アイヒェンドルフ歌曲集」の改訂版出版の際にこの曲を外してしまうのである。

ツェムリンスキーの「町の前で」は楽師の奏でる音楽がピアノパートで表現されるが、ヴォルフなどと比べるとすでに後期ロマン派の響きが感じとれる。

コルンゴルトの「夜にさすらう人」はなまめかしいピアノの響きが耳が残る(似たような日本歌曲があったような)。

プフィッツナーは「ダンツィヒにて」のような優れたアイヒェンドルフ歌曲を多く残しているが、ここでは3曲が選ばれている。
Op. 9は5曲からなる小さなアイヒェンドルフ歌曲集でいずれも大変魅力的だが、ここで歌われている「秋に」はアルペッジョの響きにのって秋のぞくっとするような寂寥感がなんとも心に迫ってくる作品である。
「わが娘との別れに」はF=ディースカウも好んで歌っていたが、後半に向けて高揚していく真に感動的な作品である。

スイス人、オットマル・シェックは20世紀の作曲家の中で最もロマンティックな歌曲に力を注いだ作曲家だろう。
アイヒェンドルフの詩による膨大な数の歌曲を作っているが、この「追悼」は素直で親しみやすい歌の旋律と、リュートを模した際立って美しいピアノの響きで、アルバムの最後をしめくくるにふさわしい素敵な作品である。

ホルツマイアはオーストリア出身の貴重なバリトン歌手として数々の歌曲を歌ってきたが、純粋で素直な彼持ち前の魅力はそのままに、さらに安定した歌唱技術と細やかな表現力が加わり、ますます熟した歌を聴かせてくれた。
彼のシューベルトを聴くといつも、ヴィーンなまりのSの響きがところどころ顔を出すのが微笑ましく、洗練された標準ドイツ語からは得られない地方特有の温もりを感じたものだが、今回の歌曲集でもそれが聴かれたのが懐かしく感じられた。

イモジェン・クーパーは、例えばメンデルスゾーンやフランツの一見素朴なピアノパートから驚くほどの奥行きと躍動感を表現し、本来の魅力を最大限に引き出していた。
バルカローレのようなリズムの「おやすみ」での寂寥感、あるいは「狩人の歌」でひたすら元気な響きの中で見せる細やかな表情の変化など、これらの作品がロマン派の歌曲史の中で確かに重要な存在意義を持っていることを実感させてくれるような素晴らしい演奏であった。
「リーダークライス」ではシューマン特有の線の絡み合いがなんとも味わい深く、一つ一つの音がしっかり呼吸していて、ただただ聴きほれていた。
最終曲「春の夜」での1箇所のミスタッチだけが惜しい。
録り直しできなかったのだろうか。
ヴォルフの「船乗りの別れ」での雄弁な表現にはブラヴォーである。

これはあまり知られていないCDだと思うが、1人の詩人からいかに多くの解釈の可能性が生まれるかを知ることの出来る貴重な録音だと思う。
おそらくまだ廃盤にはなっていないと思うので興味のある方は聴いてみてください(HMVでは扱っていないかもしれません。amazonで入手可能です)。

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