ヒュッシュ&ミュラーの「冬の旅」

シューベルト/歌曲集「冬の旅」
Huesch_mueller_winterreise東芝EMI: EMI CLASSICS: TOCE-55253
録音:1933年4月8,10,11日, 8月1-4,8日, 9月15日, London
ゲルハルト・ヒュッシュ(Gerhard Hüsch)(BR)
ハンス・ウド・ミュラー(Hanns Udo Müller)(P)

1.おやすみ(4'01)(9.15録音)
2.風見の旗(1'39)(8.1録音)
3.凍った涙(2'26)(8.1録音)
4.かじかみ(2'57)(8.8録音)
5.菩提樹(4'31)(8.3録音)
6.あふれる涙(4'15)(8.2録音)
7.川の上で(3'02)(8.2録音)
8.かえりみ(2'00)(8.3録音)
9.鬼火(2'08)(8.3録音)
10.休息(3'10)(4.8録音)
11.春の夢(4'12)(8.1録音)
12.孤独(2'33)(4.10録音)
13.郵便馬車(1'43)(4.10録音)
14.霜おく髪(2'57)(4.10録音)
15.からす(1'58)(4.10録音)
16.最後の希望(2'12)(4.10録音)
17.村にて(3'13)(4.11録音)
18.嵐の朝(0'44)(4.11録音)
19.まぼろし(1'07)(8.2録音)
20.道しるべ(3'58)(4.11録音)
21.宿(3'37)(4.11録音)
22.勇気(1'16)(8.4録音)
23.幻の太陽(3'05)(8.4録音)
24.辻音楽師(3'09)(8.3録音)

20世紀前半のSP盤時代に日本で好んで聴かれた名盤の1つに、バリトンのゲーアハルト・ヒュッシュ(Gerhard Heinrich Wilhelm Fritz Hüsch: 1901.2.2, Hannover - 1984.11.21, München)と、ピアニストのハンス・ウード・ミュラー(Hanns Udo Müller: 1905, Berlin - 1943.8.23)による「冬の旅」がある。
私はスゼー&ボールドウィンのPHILIPSのLPではじめてこの歌曲集を知り、その後、F=ディースカウ&ムーア盤、ホッター&ムーア盤、プライ&エンゲル盤などを聴くようになるのだが、ものの本ではよく見かけたヒュッシュ&ミュラーの録音はその後随分経ってからようやく聴くことが出来た。

ヒュッシュは日本とのつながりも強く、何度も来日してコンサートを開いたり、小林道夫やマンフレット・グルリットと歌曲録音もしており、さらに1961年から2年間日本に住んで東京芸術大学で教鞭をとっていたという。
晩年に闘病していたヒュッシュに対して日本の多くのお弟子さんが援助を惜しまなかったそうだ。
ある世代の人たちにとっては懐かしさとともに思い出されるアーティストなのだろう。
だが、現代の人にとっても彼の歌唱の魅力は新鮮で全く色あせていないと思う。
リート演奏史のほとんど出発点といってもいい彼の名唱に多くの人が触れてほしい。

この「冬の旅」の録音には有名な逸話がある。
第1曲「おやすみ」は全4節からなる変化のある有節形式だが、全節演奏すると当時の盤の片面に収録できる時間を越えてしまい、苦肉の策としてやむなく第2節を省略したそうだ。
この曲のテンポがほかの人の演奏に比べてかなり速めなのも、時間的な制約によるものらしい。
だが、その速さが聴いているうちに気にならなくなってくるのは演奏者たちの力なのだろう。

20世紀前半の歌唱は感情のおもむくままに自由奔放に歌い、作品そのものよりも歌手の個性が前面に出てくる傾向があった。
フョードル・シャリアピン、レオ・スレツァークやハインリヒ・シュルスヌスといった当時のスター達の歌唱もそのような流れの中に位置づけられよう。
当時はおそらく作品を聴くという以上に歌手の至芸を楽しむという感覚が強かったのではないか。
それに対して、新即物主義(Neue Sachlichkeit)という美術面での潮流が音楽にも波及し、ヒュッシュはその流れを汲んだ歌唱と言われるようになった。
確かにこれまでの歌手たちが感情重視で、作品を良くも悪くも自在に変形させてきた中で、ヒュッシュの厳格なまでのテンポ設定で1音1音作品を忠実に再現するというやり方は当時の人にとって新鮮だったであろうことは容易に察せられる。
それが杓子定規な堅苦しさに陥らずに聴く人を魅了したのは、持ち前のハイバリトンの美声、さらにはドイツ語の発声のこれまでにない明瞭さとそれに伴う深い精神性が挙げられるだろう。
今回あらためて彼の歌う「冬の旅」を聴いて、1930年代にこのような歌唱が存在したというのはやはり驚きだと思った。
1つ興味深かったのは、彼が予想以上にポルタメントを多用していたことである。
これはやはり彼も時代の影響と全く無縁ではなかったということだろう。
しかし、それによってテンポを恣意的に引き伸ばすということは一切せず、音同士の間をレガートにつなぐ彼なりの美学だったのではないか。
一方、「あふれる涙」や「鬼火」などでは長く伸ばす音符を早めに切り上げて、次の音を歌う箇所があり、これが彼の解釈なのか、時間的な制約を考慮したものなのかは不明だが、少なくとも「鬼火」についてはゆっくり歌っても時間的に余裕がある筈で、彼なりの解釈である可能性が高い。
「厳格」という言葉で修飾されることの多い彼の歌唱だが、その声には人間的なぬくもりがあり、「冬の旅」の厳しさを知らず知らず和らげてくれるものが彼の声にあったからこそ、多くの人の心に届いたのではないかという印象を受けた。

ピアノのハンス・ウード・ミュラーの演奏は驚くほど素晴らしい。
当時、これほどの水準で歌曲を演奏できたピアニストはどれほどいただろうか。
タッチは明晰だし、テンポ感覚は全く妥当、表情の付け方も細かいが全体の構成への目配りも怠らない。
ヒュッシュと共にピアノでよく歌っているのがはっきり聴きとれる。
安易に感情に溺れないところも二人の音楽性がぴたっと一致している。
ヒュッシュにとって無二の存在だったのではないか。
私はミュラーの演奏をヒュッシュ以外の歌手では知らないのだが、ほとんどヒュッシュの専属ピアニストのような存在だったのだろうか。
ミュラーは自宅に爆撃を受けて亡くなったそうだが、その損失はヒュッシュだけでなく音楽界にとっても大きかったのではないか。

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