ゲルハーヘル&フーバーによる「冬の旅」(16日NHK芸術劇場放映)

今年の1~2月に、6年ぶりにバリトンのクリスティアン・ゲルハーヘル(Christian Gerhaher)が来日した。
19年にもわたるパートナーというピアニストのゲロルト・フーバー(Gerold Huber)と共に、シューベルトの3大歌曲集を歌い、さらにヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)指揮のN響とは東京、名古屋、岡山を回って「さすらう若者の歌」を歌った。
私は残念ながらチケットを入手できず実演を聴けなかったのだが、16日の教育テレビで、2月1日(金)王子ホールでの「冬の旅」の演奏が放映されたので見てみた。

ゲルハーヘルはとても明晰で高めのよく響く声をもっており、いわゆるハイ・バリトンといってよいだろう。
そのため、軽い曲から深刻な曲まで幅広く対応可能な声質に恵まれているということが言えると思う。
低めのバリトンだとどうしても重くなりやすいところがあるが、ゲルハーヘルの明るい声は個人的には好みのタイプの声であり、言葉もはっきりと美しく響くのが魅力的である。

さて、テレビで放映された「冬の旅」だが、視覚的に見て、彼は師匠のF=ディースカウとは異なり、ほとんど動かない。
直立不動に近いといってもいいのではないか。
顔の表情もディースカウのように芝居がかったところがなく、必要最低限の表情の変化が見られるぐらいである。
歌の再現以外の諸要素を極力排除したところに彼の演奏のポリシーがあるようだ。
だが、声のきめは細かく、発音も明晰、強弱も詩に応じて的確に変化をつける等、30台後半のまさに脂の乗り切った彼の歌唱は見事である。
唯一低声は若干響きが弱くなることがあるが、これは時間が解決してくれるのではないだろうか。
「冬の旅」はどんな大歌手にとっても一筋縄でいかない難曲だろうが、ゲルハーヘルは現時点で彼が出来る最高の歌を聴かせてくれたように思う。
「道しるべ」の同音を繰り返して「誰も戻ってきた者のない道を行かなければならない」と歌うところの声の表情など絶品であった。
最終曲の「ライアー弾き」でゲルハーヘルは若干早めのテンポで、ボリュームを適度に抑えたまま最後まで貫いた。
彼の表現した「冬の旅」は立ち止まるよりは前へ前へと突き進む推進力が感じられて、これはこれで魅力的な1つの解釈のあり方だと思った。
決して明るいわけではない、しかし絶望した主人公になりきるのでもなく、もっと冷静な語り部として自制心の働いた歌唱であった。
インターネットで見た彼のインタビューによると「センチメンタル」であることを好まないとのこと。
つまりやりすぎのコントロールされていない表現を戒めた態度で歌唱に臨んでいるらしい。
独りよがりにならずに、作品に敬意をもつこと、この彼の信条がそのまま、この「冬の旅」の彼の表現を言い尽くしていたように思う。

ゲロルト・フーバーは相変わらず美しいタッチを繊細にコントロールして、柔らかめの音で歌を包み込んでいた(「からす」でのおそろしいほどの美しさ!)。
いくつかの曲ではフーバーの思い入れのあるテンポの緩みがゲルハーヘルの推進力とは若干異質に感じた箇所もあったものの、概して解釈はぴったり一致していたと思う。
特に「かじかみ」や「勇気」のような劇的な曲でもいたずらに音を荒げないまま詩の内容を表現し尽くしていたのは見事だった。

インターネットの情報を総合すると、今年の来日スケジュールは以下のようだったようだ。
ゲルハーヘルにとって連続して三大歌曲集を歌ったのははじめての経験とのこと。
3回とも聴けた人はその貴重な場に居合わせたことになるだろう。

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2008年公演

1月23日(水)19:00 東京・サントリーホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月24日(木)19:00 東京・サントリーホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月26日(土)18:45 名古屋・愛知県芸術劇場コンサートホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月27日(日)15:00 岡山・岡山シンフォニーホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月30日(水)19:30 東京・王子ホール:シューベルト「美しい水車屋の娘」D795(ゲロルト・フーバー(P))

2月1日(金)19:30 東京・王子ホール:シューベルト「冬の旅」D911(ゲロルト・フーバー(P))

2月3日(日)15:00 東京・王子ホール:シューベルト「白鳥の歌」D957より第1曲~第7曲、遠くへの憧れD770、冬の夕暮れD938、漁夫の愛の幸せD933/「白鳥の歌」D957より第8曲~第14曲(ゲロルト・フーバー(P))

2月5日(火)18:45 名古屋・しらかわホール:シューベルト「白鳥の歌」D957より第1曲~第7曲、遠くへの憧れD770、冬の夕暮れD938、漁夫の愛の幸せD933/「白鳥の歌」D957より第8曲~第14曲(ゲロルト・フーバー(P))

2月7日(木)19:00 大阪・いずみホール:シューベルト「冬の旅」D911(ゲロルト・フーバー(P))

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最近のシューベルト歌曲集を聴いて(ゲアハーヘル&フーバー/ヘンシェル&ドイチュ)

ここのところ以前のように新しい演奏家を熱心にチェックするということをしなくなり、知らない名前も随分増えてきたが、それでも何人かの若手演奏家の録音に感動することもある。最近聴いた新録音の中で特に素晴らしかった2枚のシューベルト歌曲集のCDをご紹介したいと思う。

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Gerhaher__huber__schubert●Abendbilder: Lieder von Franz Schubert(夕べの情景:フランツ・シューベルト歌曲集)
Christian Gerhaher(BR) Gerold Huber(P)
RCA RED SEAL: 82876777162
録音:2005年9月18~21日、Großer Konzertsaal, Hochschule für Musik und Theater München

シューベルト/きみと二人きりでいるとD866-2(ザイドル);夕べの情景D650(ジルベルト);天の火花D651(ジルベルト);ここにあることD775(リュッケルト);遠方への衝動D770(ライトナー);窓辺でD878(ザイドル);ブルックでD853(シュルツェ);漁師の恋の幸せD933(ライトナー);冬の夕べD938(ライトナー);弔いの鐘D871(ザイドル);アリンデD904(ロホリツ);漁師の歌D881(シュレヒタ);夕映えの中でD799(ラッペ);ムーサの息子D764(ゲーテ);あなたは憩いD776(リュッケルト);老人の歌D778(リュッケルト);歓迎と別れD767 (ゲーテ)

まず、クリスティアン・ゲアハーヘル("Gerhaher"の発音は、実際にはどういう表記が近いのだろうか?)(BR)とゲロルト・フーバー(P)によるシューベルトの歌曲集である(タイトルには2曲目の「夕べの情景」が掲げられている)。この2人はどちらも1969年にドイツのStraubingという所で生まれており、緊密なデュオ関係を長く続けているようだ。以前一度だけ(2002年11月2日)トッパンホールで彼らの演奏を聴いたことがあるが、その時のゲアハーヘルは生硬さが目立ち、あまりよい印象を受けなかった記憶がある(ピアノのフーバーは絶妙だったが)。

すでにこのコンビはシューベルトの3大歌曲集の録音をリリースしているが、個々の曲のアンソロジーははじめてである。そして今回のこの録音では驚くほどの成熟した演奏を聴かせてくれたのである。この録音でのゲアハーヘルは声の若さ、みずみずしさ、言葉の美しさは以前の録音のとおりだが、何よりもすごいのは曲への同化の仕方が本当にぴったりなのである。未消化な箇所や違和感がなく、自然な表情で一貫している。そしてどの曲もゲアハーヘルの歌唱によって実に魅力を増しているのである。彼の声はバリトンだが、重すぎず爽快で軽やかな響きがある。これがなんとも耳に心地よいのだ。「きみと二人きりでいると」での生き生きとした躍動感、「夕映えの中で」での真摯な表現、「歓迎と別れ」の言葉さばきの素晴らしさなど聴きどころは沢山ある。ピアノのフーバーはまだ若いのに、ベテランピアニストのような安定感は一体どこからくるのだろうか。安心してそのクッションのような優しい響きに身を委ねられる。

ありきたりなシューベルト歌曲のレパートリーに飽きた方には、例えば歌とピアノ右手が絶妙な二重唱を響かせる「遠方への衝動」、哀愁に満ちた「漁師の恋の幸せ」、よい意味でビーダーマイアー的なささやかな喜びにあふれた「冬の夕べ」などをお勧めしたい。

◎遠方への衝動D770: 「父よ、ぼくが雲を見たり、川辺に佇むときに、心に語りかけてくるものがあることなどあなたには思いもよらない。故郷の岩の谷はぼくにはあまりに狭すぎる。荒々しい衝動がぼくを森の内外へと駆り立てるのだ。」

◎漁師の恋の幸せD933: 「あの柳から光がちらちら漏れてきて、いとしい人の部屋の青白い光がぼくに合図を送る。ぼくたちがキスを交わすと、波がざわめき、浮き沈む。聞き耳を立てている人たちに聞こえないように。」

◎冬の夕べD938: 「私の周囲はこんなに静かでひっそりしている。私は人里離れた暗い中で一人きりで座る。ただ月の光だけが私の部屋にそっとさしこんでくる。遠く美しかった消え去った時を振り返り、愛のしあわせを想い、静かにため息をついてはひたすら想いにふける。」

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Henschel_deutsch_schubert●An den Mond: Chants nocturnes / Schubert(月に寄せて:夜の歌/シューベルト)
Dietrich Henschel(BR) Helmut Deutsch(P)
harmonia mundi: HMC 901822
録音:2003年5月、2004年1月、Teldex Studio Berlin

シューベルト/さすらい人が月に寄せてD870(ザイドル);憧れD879(ザイドル);戸外でD880(ザイドル);ユーリアの姿を垣間見たりんごの木に寄せてD197(ヘルティ);恋の陶酔D179(T.ケルナー);生きる勇気D883(シュルツェ);舟人D536(マイアホーファー);双子座に寄せる舟人の歌D360(マイアホーファー);水の上で歌うD774(シュトルベルク);海の静けさD216(ゲーテ);小人D771(コリーン);墓堀人の歌D869(ザイドル);夜曲D672(マイアホーファー);弔いの鐘D871(ザイドル);墓堀人の郷愁D842(クライガー);秋の夜に月に寄せてD614(シュライバー);さすらい人D649(F.v.シュレーゲル);ヴィルデマンの丘でD884(シュルツェ);悲しみD772(コリーン);ブルックでD853(シュルツェ)

ディートリヒ・ヘンシェル(BR)とヘルムート・ドイチュ(P)のシューベルト歌曲集はゲアハーヘル盤にも増して渋い選曲が目につく。これらのいくつかは先輩ディートリヒ(F=ディースカウ)も好んでリサイタルで歌っていたものだが、私がはじめてF=ディースカウの実演に出かけたときにも歌われた「さすらい人が月に寄せて」、「夜曲」、「弔いの鐘」、「墓堀人の郷愁」、「さすらい人」(シュレーゲルの詩による方)、「ヴィルデマンの丘で」などは今でも私の大のお気に入りの曲である。ほかに、絶えず流れる三連音に乗って切迫した気持ちを歌う「憧れ」、元気な「舟人」、身分違いの恋が引き起こすドラマが展開する「小人」や、深刻な「悲しみ」なども素晴らしく、「ブルックにて」はリサイタルの最後を締めるにふさわしいリズミカルな名作である。アルバムタイトルに「月に寄せて(An den Mond)」と掲げられているが、例えばゲーテの詩による「月に寄せて」が歌われているわけではなく、シュライバーの詩による「秋の夜に月に寄せて」に由来しているのだろう。

ヘンシェルの声は低い声から高い声までむらなく良く響き、語り口は説得力に富み、起伏に富んだ劇的な表現力で各曲のドラマを雄弁に描き出している。このあたりは師匠F=ディースカウ譲りといってもいいだろう。声はまろやか、かつ強靭でどのようなタイプの曲にも対応できる柔軟性がある。ゲアハーヘルよりは重厚さが強い。シューベルトの歌曲は演奏に作為が感じられると良さが失われてしまう。そういう意味でヘンシェルのどこまでも自然な性格を維持したまま聴かせる技術と音楽性は本当に非凡なものだと思う。唯一「水の上で歌う」だけは曲のもつ透明で繊細な響きと彼の声の相性が合わなかった感じがしたが、これは好みの問題であろう(高水準の歌唱であることに変わりはない)。他のどの曲においても作品自体のもつ魅力を見事なまでに引き出していた。いまやベテランの域に達したドイチュの演奏は良質なシューベルトのピアノ曲演奏を聴いているかのように歌心がすみずみまで行き届いている。極上のタッチで紡ぎ出される音のなんという美しさ!

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