白井光子&ハルトムート・ヘル/プラチナ・シリーズ(2015年3月6日 東京文化会館 小ホール)

Music Weeks in TOKYO 2014
プラチナ・シリーズ 第5回
白井光子&ハルトムート・ヘル ~世界最高峰のリートデュオ~

2015年3月6日(金)19:00 東京文化会館 小ホール

白井光子(Shirai Mitsuko)(メゾソプラノ)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(ピアノ)

ブラームス(Brahms):
たそがれ op.49-5
メロディのように op.105-1
おお、帰り道さえわかれば(郷愁II) op.63-8
野原にひとり op.86-2
家もなく故郷もなく(あるドラマより) op.94-5
夢は去り op.58-7
春の歌 op.85-5

R.シュトラウス(R.Strauss):
森を行く op.69-4
おお、あなたが私のものなら op.26-2
帰郷 op.15-5

~休憩~

R.シュトラウス:
私は漂う op.48-2
冬の愛 op.48-5

リスト(Liszt):
ぼくの歌には毒がある S.289
花とそよ風 S.324
ざわめくのは風 S.294
それは素晴らしいことにちがいない S.314
マルリングの鐘よ S.328
御身、天から来たり S.279
3人のジプシー S.320

~アンコール~

フランツ(Franz)/こよなく美しい五月に(Im wunderschönen Monat Mai)Op.25-5
シューマン(Schumann)/くるみの木(Der Nussbaum)Op.25-3
シマノフスキ(Szymanowski)/窓からのり出して(Lean out of the window)Op.54-2
ブラームス(Brahms)/私は夢に見た(Es träumte mir)Op.57-3
ヴォルフ(Wolf)/ねずみ捕りのおまじない(Mausfallen-Sprüchlein)
ブラームス/ねこやなぎ(Maienkätzchen)Op.107-4

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白井光子とハルトムート・ヘルのデュオを久しぶりに聴いた。
前回聴いたのは日本歌曲だっただろうか。
今回は白井さんが歌いたい曲が選ばれているそうで、ブラームス、シュトラウス、それに珍しいリストの歌曲が選曲された。

舞台に登場した真っ赤なドレスに身を包んだ白井さんはお元気そうに見えた。
ブラームスの7曲は続けて歌われたが、最初ということもあり、声が出きっていない感もあり、音程が上がりきらない箇所もあったものの、今の彼女にふさわしい人生観照の深みが描き出されていて、しっとりと心に染み込んでいくような歌声だった。
白井さんは以前のようにあふれるように声を響かせるというよりは、語るように丁寧に言葉を響かせる。
そして、声の色を変化させながら、誠実に旋律を紡いでいく。
声の質は渋みを増しながら、落ち着いた美しい響きを保っていた。

R.シュトラウスの歌曲は前半の最後に3曲、そして後半のはじめに2曲演奏されたが、休憩によって中断された流れを取り戻す効果があるように感じられ、面白い配置法だと思った。
あまり有名ではない曲が選ばれているのも興味深い。
「森を行く」はシューマンの「ぼくの馬車はゆっくりと進む」と同じハイネのテキストによるものだが、シューマンよりもさらに描写的で、ピアノパートも含めて、演奏者の演じ方を楽しめる作品だった。
「おお、あなたが私のものなら」は悲しみに満ちた作品。
そして比較的知られている「帰郷」は美しい分散和音に乗せて「あなたのもとへと帰る」と歌われる。
この曲は、ブラームスの「おお、帰り道さえわかれば」と共に、回帰が歌われており、今の白井さんの心境を反映しているのかもしれない。
そして休憩後の「私は漂う」はピアノの美しい浮遊感のある演奏に乗って、シュトラウスらしいメロディーが歌われる。
最後の「冬の愛」で盛り上がって締めくくられる。
白井さんはシュトラウスのメロディーラインを生かしながら、ここでも語る要素を失わない歌唱を聴かせていた。

そして、貴重なリスト歌曲7曲が歌われた。
「ぼくの歌には毒がある」は前奏付きのバージョン。
ハイネらしい斜に構えたテキストを激しく歌い演奏する。
「花とそよ風」は繊細な美しい佳品。
「ざわめくのは風」はシューベルトの「秋」と同じレルシュタープのテキストによるが、もちろんシューベルトよりも濃厚だ。
「それは素晴らしいことにちがいない」はよく知られた曲で、他の濃いリスト歌曲の中に置かれるとちょっとした清涼感が味わえる。
「マルリングの鐘よ」はピアノパートに鐘の音を響かせながら美しい歌が静かに歌われる。
「御身、天から来たり」は有名なゲーテのテキストによるもので、リスト自身も複数のバージョンを作っている。
今回はドラマティックな第1バージョンで、同じ詩によるシューベルトの作品とのあまりの違いに驚かされる。
同じ詩で作曲家によってこれほど捕らえ方が異なるものなのかと思わされる。
リストの濃厚で官能的ですらある世界が展開されている。
そして締めの「3人のジプシー」はおそらくリスト歌曲の中で最も演奏される機会の高いもの。
今回は最後の省略可能な箇所を省いて演奏された(この方が迫力のあるまま終わるので、プログラムの最後にはふさわしいだろう)。
白井さんはリスト歌曲のブロックになって、声の伸びが格段によくなり、リスト独自の世界を丁寧に時に豊麗な響きで描いてみせた。
彼女の深みのある明晰なディクションによる歌唱は、リスト歌曲の演奏にはうってつけではないだろうか。
今回のコンサートの中で際立って充実した歌唱を聴かせてくれた。

アンコールは拍手にこたえて6曲。
彼女たちのレパートリーの広さが反映されたもので、いずれも素晴らしかった。
個人的にはヴォルフの「ねずみ捕りのおまじない」での声色を変えた茶目っ気のある歌唱を聴けたのが嬉しい!

ヘルは以前と比べて包容力が増して、白井さんの声を優しく包み込むように演奏していた。
主張すべきところは以前同様前面に出るのだが、概して白井さんの歌のボリュームと色合いに溶け込ませようという意識が感じられて、心地よいピアノだった。
ヘルの演奏の特徴のひとつは、小節線の区切りを意識させない前進のしかたにあると思うが、今回もそれは感じられた。
例えば、ブラームスの「野原にひとり」は荘重にゆったりめなテンポを守りながら演奏されるのが一般的だが、ヘルは早めのテンポで進め、重い額ぶちのようにではなく、歌に寄り添った伸縮自在な演奏を聴かせた。
白井さんとの信頼関係のうえに成り立つ演奏とも言えるだろう。
ヘルもまた円熟の時を迎えていると感じた。

ちなみに今回事前に配布されたプログラムノートには各曲への簡単な解説のみが付いていて、それを頼りに演奏を聴いたのだが、終演後にロビーでようやく全曲の歌詞対訳が配布されたのは、白井さんの「上演中はステージに集中してほしい」という気持ちのあらわれと受け取った。

久しぶりに濃密で充実した歌曲の夕べを堪能して、大満足の一夜だった。
まだまだリートデュオとしての歩みを止めないお二人のさらなるご活躍に大いに期待したいと思う。
そして、それが白井さんと同じ病と闘っておられる方々の大きな励みにもなるのではないだろうか。

ちなみに白井光子さん&ヘルさんからのメッセージは以下のサイトにあります。
 こちら

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白井光子&ハルトムート・ヘル/リート・デュオが紡ぐ、日本のこころ(2012年3月18日 東京文化会館 小ホール)

東京・春・音楽祭
-東京のオペラの森2012-
東京春祭 歌曲シリーズvol.7
白井光子 & ハルトムート・ヘル
~リート・デュオが紡ぐ、日本のこころ

2012年3月18日(日)15:00 東京文化会館 小ホール(B列22番)

白井光子(Mitsuko Shirai)(メゾ・ソプラノ)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(ピアノ)

中田喜直(三好達治作詞)/木兎
三善晃(萩原朔太郎作詞)/ほうずき
諸井三郎(三好達治作詞)/少年
平井康三郎(北原白秋作詞)/追分
中田喜直(加藤周一作詞)/さくら横ちょう
中田喜直(山村暮鳥作詞)/たあんき ぽーんき
團伊久麿(北原白秋作詞)/雪女
大中恩(佐藤春夫作詞)/しぐれに寄する抒情
岡山県民謡/山田耕筰編/中国地方の子守歌
團伊久麿(大木実作詞)/花季
平井康三郎(北原白秋作詞)/ちびつぐみ

~休憩~

中田喜直(岸田衿子作詞)/おまつりはどこ
中田喜直(野口雨情作詞)/ねむの木
石桁真礼生(冬木京介作詞)/冬の日
山田耕筰(北原白秋作詞)/曼珠沙華
平井康三郎(北原白秋作詞)/山は雪かよ
服部正(大木惇夫作詞)/野の羊
山田耕筰(北原白秋作詞)/鐘が鳴ります
三善晃(萩原朔太郎作詞)/五月
中田喜直(堀内幸枝作詞)/村祭
中田喜直(小川未明作詞)/烏
別宮貞雄(加藤周一作詞)/さくら横ちょう
山田耕作(北原白秋作詞)/からたちの花

~アンコール~
別宮貞雄(大木惇夫作詞)/蛍
畑中良輔(八木重吉作詞)/秋の空
中田喜直(鎌田忠良作詞)/霧と話した
平井康三郎(北原白秋作詞)/びいでびいで
中田喜直(中井昌子作詞)/おやすみなさい
三善晃(萩原朔太郎作詞)/五月

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白井光子&ハルトムート・ヘルの初の日本歌曲リサイタルに出かけた。
東京・春・音楽祭の一環としての公演である。
この音楽祭、昨年は震災の影響で中止公演が相次いだのだが、こうして今年、予定通りに催されるということがいかに恵まれたことなのか、あらためて思わずにはいられない。
普通の生活が出来ることのありがたみをかみしめつつコンサートを聴いた。

これまでドイツリートの多くの名演を生み出してきたコンビが、全く異なる日本歌曲をどのように聴かせてくれるのか、期待はふくらむばかりだった。
とはいえ、恥ずかしながら、ドイツリートは大好きな私でも、今回選ばれた日本歌曲、知っているのはほんの数曲で、後は初めて聴く作品ばかりである。

今回、中田喜直の作品がアンコールも含めて9曲と多く選ばれている。
私でも知っている「たあんき ぽーんき」や「おやすみなさい」の他、おそらく珍しいと思われる作品も織り交ぜて、選曲はなかなか凝っているのではないか。

それにしても日本歌曲というのは、日本語で歌う西洋歌曲なのだなぁとあらためて思う。
ヘルのような外国人の意見はまた異なるのかもしれないが、日本語のイントネーションに従っていても、ピアノパートの響きを聴くと、リートとなんら変わらないような印象を受ける。
もちろん言葉がストレートに日本人の聴き手に伝わるという点は外国語の歌曲と大きく異なるところだが。

冒頭の中田喜直の「木兎(みみずく)」はドラマチックなバラードである。
中田氏の歌曲はピアノパートが実に雄弁だ。
ヘルが弾いても全く違和感のない、ヨーロッパの響きである。
白井さんの声はほぼ復調したといってよいだろう。
もちろん加齢による変化は多少感じられたが、がっしりと重みの加わった燻し銀の歌唱は今になってようやく聴ける響きだろう。
声もコンサートが進むにつれて張りを増し、徐々にホールいっぱいに響きわたっていった。

中田喜直の「さくら横ちょう」を歌い終えた後、白井さんが「空調が入っているのですか。風が吹いてきます」と聴衆に話しかけ、その後ドイツ語でヘルにも話す。
やはり歌手にとって空調は影響があるのだろう。
しかし、そのまま演奏は続けられた。

楽しみにしていた「たあんき ぽーんき」、白井さんの愛嬌のある歌は素晴らしかったし、ヘルもリズミカルな好演だったが、1回で終わってしまったのは短く感じられた。
2回繰り返す演奏で馴染んでいたのだが、楽譜には繰り返す指示があるのかどうか、いつか調べてみたい。

團伊久麿の「雪女」は前奏からすでにホラー映画のような不気味さである。
曲のもつ描写的な表現力の押しの強さに強いインパクトを受けた。
もちろん演奏が素晴らしかったのは言うまでもない。

大中恩の「しぐれに寄する抒情」、山田耕筰編曲「中国地方の子守歌」と美しい作品が続き、前半最後の「ちびつぐみ」という曲はあっという間に終わってしまう可愛らしい曲だった。

休憩をはさみ、後半は中田喜直の「おまつりはどこ」という作品で始まった。
この曲と、「村祭」という中田の作品は私の記憶だと、どちらも祭囃子がピアノパートで描写されていたように思う(初めて聴いた曲だった)。
ヘルのピアノは実に生き生きと響きを描きだしていた。

山田耕筰の「曼珠沙華」「鐘が鳴ります」のような有名曲での白井さんの歌唱も聴き応えあった。

三善晃の「五月」という曲は、アンコールでも再度歌われたが、詩の内容が暗く、重い(いい曲だったが)。
こういう作品を選曲した白井さんの意図を聞いてみたいところだ。

先日亡くなった別宮貞雄の作曲した「さくら横ちょう」は、前半の中田喜直の作品よりも切ない雰囲気があり、聴き比べは興味深かった。
中田の同曲はより和を感じさせる。

本編の最後を締めくくったのは「からたちの花」。
ピアノパートは歌と合わせるのは難しそうだが、ヘルはぴったり合わせていてさすがである。
そして白井さんもこの名曲をさらりと、しかし思いをこめて歌ってくれた。

アンコールは6曲!
中でも中田喜直の「霧と話した」が強く印象に残った。

西洋の響きを借りて、和のテイストをいかにつくりあげるか、あるいは一切和のテイストを切り捨てるか、日本人作曲家たちのアプローチの仕方が興味深かった。

白井光子さんの歌う日本歌曲は、言葉の響きと抑揚に細心の注意が払われていた。
特に朗誦風の箇所を歌う白井さんの日本語は自然で、これまでのドイツ語の響きとははっきり区別しているのは(当然かもしれないが)すごいと思った。
早口で歌う曲でさえお手のものである。
目をつむりながら各曲の世界にひたっているように歌う彼女は、これまでのドイツリートの時には見られない新鮮な表情を見せていた。
例えば鮫島有美子さんの歌う日本歌曲には穏やかに聴く者を癒してくれるような雰囲気があったが、白井さんの歌は張りつめていた。
癒しというよりも心を揺さぶられるような感じだ。

ヘルはあたかもこれらの歌曲を何年も弾きこんでいるかのように見事に演奏した。
蓋はいつもながら全開だが、声とのバランスは、リートの時以上に緊密で非の打ちどころがない。

サイン会に並んで、シェーンベルク歌曲集のCDブックレット裏の写真を差し出したところ、「これはシュトゥットガルトの公園で撮影したの」と白井さんご自身からおっしゃった。
気さくな方だ。
失礼ながら「お体大丈夫ですか」と伺ったところ、「まだいろいろあるんですよ」とおっしゃる。
見た目には全然分からなくても体の不自由さと付き合いながら演奏活動を続けておられるようで頭が下がる思いだ。

なお、このコンサートは、4月9日、NHK BSプレミアム「クラシック倶楽部」で放映予定とのこと。
インタビューも織り交ぜての放映のようで楽しみです。

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白井光子&ハルトムート・ヘル/ウィークエンドコンサート(2011年11月5日 第一生命ホール)

<ウィークエンドコンサート2011-2012>第一生命ホール10周年の10days第3日
音楽のある週末 第8回 白井光子&ハルトムート・ヘル リートデュオ
2011年11月5日(土)14:00 第一生命ホール(Dai-ichi Seimei Hall)(1階2列13番)

白井光子(Mitsuko Shirai)(mezzo soprano)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(piano)

A.スカルラッティ/すみれ
Alessandro Scarlatti / Le Violette (anonymus)
F.シューベルト/ばら(詩:シュレーゲル)
Franz Schubert / Die Rose (Schlegel) D.745
C.レーヴェ/献身の花(詩:リュッケルト)
Carl Loewe / Die Blume der Ergebung (Rückert) op.62-6
F.リスト/花と香り(詩:ヘッベル)
Franz Liszt / Blume und Duft (Hebbel)
A.ウェーベルン/花のあいさつ(詩:ゲーテ)
Anton Webern / Blumengruß (Goethe)

R.シューマン/待雪草(詩:リュッケルト)
Robert Schumann / Schneeglöckchen (Rückert) op.79-26
R.シューマン/においすみれ(詩:シャミッソー)
Robert Schumann / Märzveilchen (Chamisso) op.40-1
R.シューマン/新緑(詩:ケルナー)
Robert Schumann / Erstes Grün (Kerner) op.35-4
R.シューマン/ジャスミンの茂み(詩:リュッケルト)
Robert Schumann / Jasminenstrauch (Rückert) op.27-4
R.シューマン/私のばら(詩:レーナウ)
Robert Schumann / Meine Rose (Lenau) op.90-2

R.シュトラウス/目ざめたばら(詩:ザレット)
Richard Strauss / Die erwachte Rose (Sallet) WoO.66
R.シュトラウス/イヌサフラン(詩:ギルム)
Richard Strauss / Die Zeitlose  (Gilm) op.10-7
R.シュトラウス/矢車菊(詩:ダーン)
Richard Strauss / Kornblumen (Dahn) op.22-1
R.シュトラウス/きづた(詩:ダーン)
Richard Strauss / Efeu (Dahn) op.22-3
R.シュトラウス/ゲオルギーネ(詩:ギルム)
Richard Strauss / Die Georgine (Gilm) op.10-4

~休憩~

M.レーガー/希望に寄す(詩:ヘルダーリン)
Max Reger / An die Hoffnung (Hölderlin) op.124

C.レーヴェ/はすの花(詩:ハイネ)
Carl Loewe / Die Lotosblume (Heine)
R.フランツ/ばらは嘆いた(詩:ミルツァ=シャッフィ)
Robert Franz / Es hat die Rose sich beklagt (Mirza-Schaffy)
A.ウェーベルン/似たものどうし(詩:ゲーテ)
Anton Webern / Gleich und gleich (Goethe)
D.ミヨー/花のカタログ(詩:ドーデ)
Darius Milhaud / Catalogue de Fleurs (Daudet)
 すみれ La Violette
 ベゴニア Le Bègonia
 フィティラリア Les Fritillaires
 ヒヤシンス Les Jacinthes
 クロッカス Les Crocus
 ブラキカム Le Brachycome
 エレムルス L'Eremurus

H.ヴォルフ/クリスマス・ローズにI:森の娘(詩:メーリケ)
Hugo Wolf / Auf eine Christblume I: Tochter des Walds (Mörike)
H.ヴォルフ/クリスマス・ローズにII:冬の大地は眠り(詩:メーリケ)
Hugo Wolf / Auf eine Christblume ll : Im Winterboden (Mörike)
H.ヴォルフ/花でわたしを覆って(詩:ガイベル)
Hugo Wolf / Bedeckt mich mit Blumen (Geibel)
H.ヴォルフ/めぐり来る春(詩:ゲーテ)
Hugo Wolf / Frühling übers Jahr (Goethe)

~アンコール~
シューマン(Schumann)/はすの花(Die Lotusblume, op.25-7)
シューマン(Schumann)/ばらよ、ばらよ(Röselein, Röselein, op.89-6)
ヴォルフ(Wolf)/癒えた者が希望に寄せて(Der Genesene an die Hoffnung)
山田耕筰(Kosaku Yamada)編/中国地方の子守歌
ウェーベルン(Webern)/似たものどうし(Gleich und gleich)
ヴォルフ(Wolf)/似たものどうし(Gleich und gleich)
ウェーベルン(Webern)/花のあいさつ(Blumengruß)

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奇しくも世界的な「ミツコ」2人(内田と白井)を2日連続で聴くこととなった。

第一生命ホールははじめて訪れたが、都営大江戸線の「勝どき」駅から徒歩数分のところにある。
「築地市場」には浜離宮朝日ホールの公演でしばしば行くのだが、その隣駅にこんな立派なホールがあるとは気付かなかった。
晴海の雰囲気も散歩にちょうど良い素敵な場所であった。

プログラムはホール十周年記念で「花」にちなんだ作品が中心に編まれたとのことだが、二転三転の後、上記のように変更された。
震災の影響で「希望」にちなんだ作品が大量に追加される予定だったのだが、そのうちレーガーの「希望に寄す」以外は最終的に省かれていた(ヴォルフの曲は結局アンコールで歌われたが)。

白井光子は大病克服後、完全に復活したばかりか、新しい彼女の世界をつくりあげたようだ。
以前の完璧なコントロールの代わりに、彼女の表現には、俗な言い方だが“人間味”がより前面に出てきた。
昔ほど苦もなくあらゆる音域の声が出るというわけではないようだが、そこは彼女のこと、年齢に応じた表現方法を模索したのだろう。
もはや病気のことを云々する必要もないほどに、張った時にはコクのある味わい深い響きがホールを満たし、弱声ではその表情の豊かさに一層の磨きがかかったように感じた。

花を刺繍したピンクの和風な衣裳をまとって登場した白井光子は気のせいか一回り小さくなったような印象を受けた。
にこやかな笑顔で聴衆の拍手にこたえるが、演奏に入ると一瞬で顔つきが作品の世界に入りこんでいく。
その集中力と瞬発力は彼女ならではのものである。

冒頭のスカルラッティの「すみれ」は古典歌曲の定番ともいえるものだが、白井のイタリア歌曲はあまり聴いたことがなかったので新鮮だった。
ここでもドイツリートの時のような細やかな言葉さばきを聴かせながら、リズミカルに歌っていた。
そしてガラスのように繊細なシューベルトの「ばら」が続き、その後に珍しいレーヴェの「献身の花」が歌われた。
同じテキストによるシューマンの作品に比べて決して知られているとはいえないレーヴェの曲だが、その哀しげな表情はむしろシューマンの作品よりもテキストの内容に合っていて、より魅力的にすら感じられた。
バラード作曲家としてだけでなく、リート作曲家としてのレーヴェももっと評価されていいのではないか。
続くリストの「花と香り」は作曲家の記念年を意識した選曲なのかもしれない。
静謐な雰囲気の作品であった。
最初のブロックの締めはヴェーベルン初期の「花のあいさつ」。
まだ前衛色はなく、リート作曲の伝統にのっとった作品であった。

ここで拍手にこたえていったん袖に戻り、次はシューマン歌曲のブロック。
こうして集められてみると、シューマンの花にちなんだ作品はかなりよく歌われ、聴かれていることを実感する。
どれもシューマンらしい繊細な歌とピアノの表情が魅力的だが、とりわけケルナーの詩による「新緑」は、「緑のおかげで苦しみから癒されるのだ」というテキストが現状とリンクして白井さんの真摯な歌が沁みてきた。

前半最後のブロックはリヒャルト・シュトラウスばかり5曲。
シュトラウスもシューマン同様多くの花の歌を書いているが、白井さんは折にふれてコンサートでもそれらを披露してきた。
自分のものとしているレパートリーゆえに、自在な表現が心地よかった。
シュトラウスの歌曲は声を魅力的に響かせるように書かれているので、聴き手以上に歌い手が気持ちいいのではないかと思う。
この頃になると白井さんの声も完全に温まり、豊かな声の響きが聴かれるようになる。

休憩をはさんで後半はレーガーの比較的長い「希望に寄す」で始まった。
ヘルダーリンの詩ということで、これも白井さんのお得意のレパートリーなのかもしれない。
もともとはオーケストラ歌曲ということで、ヘルもピアノ歌曲の時以上に細部より全体の流れを意識した演奏だったように感じた。

この長大な作品の後、いったん袖にひっこみ、次のブロックはレーヴェ、フランツ、ヴェーベルン、ミヨーの歌曲。
「はすの花」もシューマンではなくレーヴェを選んだところに白井さんの様々な作曲家への愛情が感じられる。
フランツの「ばらは嘆いた」など、なかなか実演で聴く機会がないので貴重である。
ピアノパートの装飾音が印象的で、ちょっとブラームスの「ハンガリー舞曲」内の曲を思わせる哀愁漂う曲調が素敵な作品である。
ウェーベルンの「似たものどうし」は前衛色ばりばりだが、白井さんはよく歌うので、白井さんのファンにはお馴染みの作品だろう。
続くミヨーの「花のカタログ」は短い7曲からなる曲集で、当然フランス語により、白井さん自身による録音もある。
テキストは種袋の裏に書かれている説明のようなものとのことで、最後の曲など「開花は保証、・・・価格は郵便でお知らせします」などというテキストらしい。
いかにも洒落た雰囲気の小曲たちは白井さんの愛嬌あふれる歌でちょっとした息抜きとなった。

最後のブロックは白井さんお得意のヴォルフ4曲。
これらはもはや何も言う必要がないほどに、白井さんとヘルの絶妙な演奏に身を任せて楽しませていただいた。
本当に素敵な歌の花束!
「めぐり来る春」でも、えいやっと出す高音は彼女のたゆまぬ訓練の賜物なのだろうと感無量であった。

アンコールは例によって大盤振る舞い。
最初の2曲はシューマンの花にちなんだ歌曲。
正規のプログラムで歌われたレーヴェ作曲の「はすの花」と同じテキストによるシューマンの有名な作品を今度は聴かせてくれる。
こうした心遣いがうれしい。
3曲目を歌う前に白井さんの話があり、「作曲家同士の相性というものがあって、プログラムをつくるのは難しいのですよ」と変更を繰り返した弁明を茶目っ気たっぷりに述べて会場をなごませる。
そして、本来追加される予定だったヴォルフのメーリケの詩による「癒えた者が希望に寄せて」(コンサートで予定されていた訳題は「希望の復活」)が歌われた。
この曲、希望に抱かれて苦しみから癒えたと歌われた後でピアノが堂々たるファンファーレを鳴らす。
一時は体を動かすこともままならなかったという白井さんが歌うだけに説得力絶大な選曲である。
そして、その次のアンコールがこの日一番の驚きであった。
はじめて彼女が日本語で歌うのを聴くことが出来たのである!
ヘルのしっとりしたピアノ前奏に導かれて「ねんねこしゃっしゃりまーせー」と聞こえてきた時に、かつて義理人情の世界を捨ててドイツに飛び込んでいったという彼女の言葉が脳裏に浮かんできた。
ドイツ人以上にドイツ人になりきった彼女は、とうとう故郷の音楽に戻ってきてくれたのだ。
そこには一人の立派な日本人歌手による明晰で気持ちのこもった歌があった。
来春には日本歌曲のみによるリサイタル(もちろんヘルのピアノで)も予定されているという。
彼女の音楽のさらなる広がりに期待感を抑えきれない。
その後は正規プログラムでも歌われたヴェーベルンの「似たものどうし」が再び歌われ、袖に引っ込んでから次に歌ったのは同じテキストによるヴォルフ作曲の「似たものどうし」。
ここまでくると演奏者と聴衆の根気比べの様相を呈してくる。
さらにヴェーベルンの「花のあいさつ」も再度歌われたので、次に同じテキストによるヴォルフの「花のあいさつ」が歌われるのかなと期待していたら、拍手が終わってしまい、ステージ横の扉も寂しく閉まってしまった。
本当はヴォルフの「花のあいさつ」も歌うつもりだったのかもしれない。
そうだとしたら残念!

ハルトムート・ヘルは、白井の復活後、彼女の声に配慮してしばらく封印していたのではと感じられたダイナミクスの幅の広さやテンポの自由な伸縮を今回ほぼ解禁していた。
例えば、シュトラウスの「ゲオルギーネ(ダリア)」の前奏を彼は非常にスピーディーにささっと弾き進めてしまう。
だが、それは前奏を粗雑に扱っているというのではなく、前奏の音楽を彼なりに咀嚼したうえで、音楽的に主張した結果の表現なのではないか。
一つ一つの音を均一に丁寧に響かせるというのはヘルにとってはおそらく重要なことではないのである。
そこに音楽としての説得力のある流れが生まれることをヘルは目指しているのではないか。
好きかどうかは別として、確かにヘルの演奏の方向はぶれていないと思う。
そのようなヘルの自在な表現が可能になるほど、白井の音楽もまた四つに組んで対等な歌唱が可能になっていたことをあらためて実感できて嬉しかった。

大病という試練から見事に復活した彼女は我々に身をもって「希望」をもつことの大切さを教えてくれた。
聴衆もここで彼女たちからいただいた希望を大切に育てて、花開かせなければなるまい。

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白井光子&ヘル/ブラームス&R.シュトラウス(2009年11月4日 トッパンホール)

シリーズ<R.シュトラウス 2>
白井光子&ハルトムート・ヘル
2009年11月4日(水) 19:00 トッパンホール(G列1番)

白井光子(Mitsuko Shirai)(MS)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(P)

ブラームス(Brahms)作曲
1.エオリアン・ハープに寄す Op.19-5
2.ひばりの歌 Op.70-2
3.ナイチンゲール Op.97-1
4.夕暮れの雨 Op.70-4
5.テレーゼ Op.86-1
6.たそがれる夕べ Op.49-5
7.わたしの想いはあなたに Op.95-2
8.わたしは夢を見た Op.57-3
9.やなぎの花 Op.107-4

~休憩~

R.シュトラウス(R.Strauss)作曲
10.ダリア Op.10-4
11.かわらぬもの Op.69-3
12.たそがれの夢 Op.29-1
13.おお、きみがぼくのものなら Op.26-2
14.解脱 Op.39-4
15.旅人の心の安らぎ Op.67-6
16.帰郷 Op.15-5
17.万霊節 Op.10-8
18.セレナーデ Op.17-2

~アンコール~
1.ブラームス(Brahms)/あなたの青い瞳Op.59-8
2.ヴェーベルン(Webern)/似たもの同士(ヴォルフも同じゲーテの詩に作曲している)
3.ブラームス/私の傷ついた心Op.59-7
4.アイヴス(Ives)/イルメナウ(Ilmenau: テキストは、ゲーテの有名な詩「すべての頂に憩いあり(Über allen Gipfeln ist Ruh)」による)
5.シューマン(Schumann)/出会いと別れOp.90-3
6.ベルク(Berg)/山のかなたの(上田敏の訳で有名なブッセの詩による)

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昨年のラ・フォル・ジュルネで聴いた白井光子が風邪で不調だったこともあり、正直なところ今回聴こうかどうか迷ったのだが、今後彼女を聴ける機会がどれだけあるかを思い、チケットを購入した。
会場はほぼ満席で(完売とのこと)根強い人気をうかがわせた。

プログラムは当初予告されていた曲から2曲カットされたが、「リハーサルを重ね熟考した結果」とのことで、演奏者の厳しい自己批評のすえ決められたことなのだろう。

今回はトッパンホールのR.シュトラウス・シリーズの第2回目という位置づけで彼女たちのリサイタルが催された。
しかし私個人としては前半のブラームスの素晴らしい選曲に期待して出かけてきた。

白井は今回声が温まるまで時間がかかった。
ブラームス最初の数曲では音程も安定せず、ヴィブラートは太く、声量も充分ではなかった。
年齢的に全盛期のような声の充実は求められないだろうが、それでも最初のうちはまだ実力を発揮できていなかったように感じた。
しかし歌い進めるうちに彼女の真摯で温かい歌の世界に自然に引き込まれていった。
声の質は以前とは若干変わったように感じられた。
なんでもなく難所をクリアーしていた過去とは異なることを彼女自身がしっかり受け止め、いかに歌の形を保つか彼女の新たな挑戦が感じられて、その人間味が新たな魅力となっていた。

ブラームスのブロックでは、最初に歌われたメーリケの詩による「エオリアン・ハープに寄す」がとても美しい作品で、彼女の歌で聴けたことは感動的だった。
そしてもう1曲「ひばりの歌」、これはブラームスの知られざる傑作だと思う。
歌とピアノが繊細に対話しているような小品で、清らかな陶酔感がなんともいえない感動を与えてくれる。
「わたしは夢を見た」では白井本来の豊かなフレージングが素晴らしかったし、ブラームス最後の「やなぎの花」では愛らしく表情豊かな彼女の歌に可愛らしさを感じた。

後半のR.シュトラウスのブロックでは、彼女の本来の良さが聴かれ、ボリュームのある声で多彩な作品それぞれを描き分けていた。
とはいえ、「解脱」の最後のかなり長大に持続するフレーズでは、ヘルが速めのテンポで弾くことによって彼女の声を助けているのが感じられた。
一風変わった「旅人の心の安らぎ」という珍しい作品は、詩人ゲーテの皮肉な人生訓が歌われ、白井ならではの選曲と感じた。

ハルトムート・ヘルは以前に比べると、随分騒々しさは陰をひそめ、これみよがしなスタンドプレーは減ったように感じた。
これから円熟期に入ろうという白井を支えようとするかのように包容力のある優しい響きを聞かせるようになった。
それでも「リートデュオ」という形を意識しているせいなのか、かなり大胆にテンポを揺らす点は変わらない。
二人のソリスト同士のアンサンブルという感覚で演奏しているからだろう。
それはそれで、ほかのピアニストからは聞けない面白みがあるので、場合によっては新鮮な響きを聞かせてくれたことは確かである。
とはいえシュトラウス作曲「セレナーデ」の後奏のあまりにも素っ気無く、さっさと終わらせようという演奏は共感できなかった。
シュトラウスの歌曲におけるピアノパートはオペラアリアの伴奏に近いところがあるように思うので、四角四面に楽譜通りに弾かなくてもいいのかもしれないが(シュトラウス自身もそれほどピアニストに厳密さを求めていなかったようだ)、そうはいっても曲の締めくくりがおざなりなのは興ざめである。
常に安定した演奏を約束するピアニストではないが、何が起こるかわからないスリルはほかのピアニストからは味わえない彼独自のものであろう(それが好きかというとまた別問題なのだが)。

白井さんは6曲もアンコールを歌ってくれたが、最後ベルクの曲を歌う前に聴衆に語り始めた。
大病をして体も動かなかった状態からリハビリを経てこうやってステージに立てるようになって感無量と涙を浮かべながら語り、聴衆も温かい拍手を贈っていた。
つらい病気からよくここまで回復してくれたと本当に感激もひとしおである。
同じ病気と闘っている人たちにもきっと大きな支えになるのではないか。
白井さんのさらなる歌の世界を今後も見守っていきたい。

Shirai_hoell_20091104_chirashi

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白井光子が歌うシュレーゲルの詩集「夕映え」による11の歌曲(シューベルト)

シューベルト/ツィクルス「夕映え」より;シュポーア/ドイツ歌曲
Shirai_hoell_schubert_spohr_2CAPRICCIO: 67 198
録音:1986年(シューベルト)&1993年(シュポーア), Tonstudio Teije van Geest, Heidelberg/Sandhausen
白井光子(MS)
エードゥアルト・ブルンナー(Eduard Brunner)(CL: 12-18)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(P)

シューベルト(1797-1828)作曲

フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの詩集「夕映え」から
1.夕映えD690(1823年3月作曲)
2.山D634(1819年頃作曲)
3.鳥D691(1820年3月作曲)
4.少年D692(1820年3月作曲)
5.流れD693(1820年3月作曲)
6.ばらD745(1822年初頭(5月以前)作曲)
7.蝶々D633(1819年頃作曲)
8.さすらい人D649(1819年2月作曲)
9.少女D652(1819年2月作曲)
10.星D684(1820年作曲)
11.茂みD646(1819年1月作曲)

12.歌劇「謀反人たち」D787より~ロマンツェ(私は用心深くそっとあちこち忍び歩く)

シュポーア(1784-1859)作曲

独唱、クラリネット、ピアノのためのドイツ歌曲Op. 103
13.静まれ、わが心よ(シュヴァイツァー男爵)
14.二重唱(ライニク)
15.憧れ(ガイベル)
16.子守歌(ファラースレーベン)
17.ひそやかな歌(コッホ)
18.目覚めよ(不詳)

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昨年はハルトムート・ヘルの足の負傷により白井光子の病気回復後の復帰コンサートが中止となり残念だったが、今年のラ・フォル・ジュルネには出演するようだ(チケットがすぐに売切れてしまいそうだが)。

つい最近久しぶりに彼らの録音がCAPRICCIOからリリースされたので聴いてみた。
内容はシューベルトのシュレーゲルによる歌曲11曲と、歌劇「謀反人たち」からの美しいロマンツェ、さらにルイス・シュポーア作曲のクラリネット助奏付きの6つの歌曲である。
新譜とはいえ、シューベルトは20年ほど前、シュポーアも10年以上前の録音であり、随分長いこと眠っていたものである。
レコード業界の不況の中、録音してもそう簡単にリリースできるものでもないのだろう。
このCD、輸入盤取り扱い店で3000円~4000円台の値がついていて驚いた。
結局ドイツamazonの中古で安く入手したが、送料を含めると大差なかったかもしれない。

ジャケットの彼女はすでに白髪だが、穏やかな実にいい顔をしている。
豊かな人生を経てきたのがあらわれているかのような表情である。

フリードリヒ・フォン・シュレーゲル(Friedrich von Schlegel: 1772-1829)の詩集「夕映え(Abendröte)」は22編の詩から成るが、シューベルトはそのうち11編に1819年から1823年にかけてばらばらに作曲した。
従って、シューベルトが「夕映え」による11曲の歌曲集をあらかじめ想定していたとは考えにくいが、数曲が同じ時期に作曲されており、小さな規模でまとめて出版しようとしていたとしても不思議ではない。
いずれにせよこれらの曲がまとめて演奏されることによって、1つの詩集の統一感と同時にその中の多様性を味わうことは出来るだろう。
シュレーゲルの詩集「夕映え」は次のような構成になっている。

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Abendröte(詩集「夕映え」)

Erster Teil (第一部)

[Tiefer sinket schon die Sonne] (すでに日はさらに深く沈み:無題)(=夕映え)
Die Berge(山)
Die Vögel(鳥)
Der Knabe(少年)
Der Fluß(流れ)
Der Hirt(羊飼い:作曲されていない)
Die Rose(ばら)
Der Schmetterling(蝶々)
Die Sonne(太陽:作曲されていない)
Die Lüfte(風:作曲されていない)
Der Dichter(詩人:作曲されていない)

Zweiter Teil(第二部)

[Als die Sonne nun versunken] (日が今や沈んだのに:無題:作曲されていない)
Der Wanderer(さすらい人)
Der Mond(月:作曲されていない)
Zwei Nachtigallen(二羽のナイティンゲール:作曲されていない)
Das Mädchen(少女)
Der Wasserfall(滝:作曲されていない)
Die Blumen(花:作曲されていない)
Der Sänger(歌びと:作曲されていない)
Die Sterne(星)
Die Gebüsche(茂み)
Der Dichter(詩人:作曲されていない)

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シューベルトのシュレーゲル「夕映え」歌曲群のテキスト大意は以下の通り。

1.夕映えD690:すでに日は深く沈み、すべてが憩いの呼吸をしている。鳥も人も山も川もすべてが詩人に語っているようだ。すべてが一つの合唱となり、一つの口から多くの歌を歌うことが詩人には分かったからだ。

2.山D634:われわれが高められたのを見て困難に打ち勝ったと思う。でもすぐに永遠に確固として自分自身に根ざしていることに驚いて気付かざるをえない。

3.鳥D691:飛び、歌い、地上を見下ろすのはなんて楽しいことだろう。人間は飛ぶことも出来ず、苦しみ歎いて、愚かなこと。私たちは空に羽ばたいていける。

4.少年D692:もし僕が鳥だったら、陽気に飛び回り、すべての鳥を打ち負かしたい。そしてお母さんのところに飛んで行き、もし怒られたら甘えてその真剣さを打ち負かすんだ。

5.流れD693:素晴らしい弦の響きによって歌がうねり、節が変わってもまた元に戻ってくるように、銀の流れがくねり、茂みを映しながら流れていく。

6.ばらD745:暖かさに誘われて光を求めたことを永遠に歎くしかありません。太陽が暑すぎたのです。私の短かった若い命のことを死に瀕して言いたかったのです。

7.蝶々D633:どうして踊らずにいられよう。魅力的な色が緑野の中で輝いているというのに。小さな花々は甘く香り、私は花を失敬する。花を私から守ることなんて出来ませんよ。

8.さすらい人D649:月の光がはっきり私に語り、旅に出ようと思わせる。「昔の道に従い、故郷をつくるな。永遠の苦しみが辛い日々をもたらすことになるから。苦しみを逃れて、さすらうのだ。」

9.少女D652:私のいい人がどれほど心から私に身を捧げていることでしょうと言ってみたいのです、彼が私をそれほど好きではないという歎きを和らげるために。

10.星D684:われわれがなんと神聖に輝いているかと驚いているのか、人間よ。ただ天の指示に従ってわれらが親しげに輝いていることが分かれば、俗世の苦悩などは消えてしまうだろう。すべては神の泉から湧き出たもの、それぞれが合唱の一員ではないだろうか。

11.茂みD646:涼しくかすかに暗い野を風が渡る。海のとどろきも木の葉のざわめきもただ一つの魂が動かしているのだ。霊が悲しめば波の響きが重なり、霊が生を呼吸すれば言葉が連なる。

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シューベルトは詩集の第一部から7編、第二部から4編作曲していることが分かる。
白井&ヘルはこの詩集の順序そのままに11曲を歌っていることになる。
ちなみにハイペリオン歌曲全集27巻(グレアム・ジョンソンのピアノ)ではシェーファーとゲルネが分担して歌っているが、「少年」と「流れ」を入れ替えた以外は詩集の順序に則っている。

白井は以前日本でも「夕映え」による歌曲を集めて披露していたが、一見ロマン派の詩人が好みそうな主題がちりばめられていながら実は思索的で難解な洞察がされているテキストによるこれらの作品で、時に軽やかに明るく、時に深みをもってどのタイプの曲でも自在に表現する。
声は光沢にあふれてきらきらしている。
あるフレーズを歌い終える時の余韻の素晴らしさは彼女特有の美質だろう。
特に冒頭の「夕映え」の美しさは特筆すべきだろう。
この詩はもともと無題だったものにシューベルトが詩集全体のタイトル「夕映え」を付与したのだが、詩集全体にあらわれるもろもろが登場し、全体のモットーのような役割を与えられている。
夕暮れ時の自然の輝きと人間の研ぎ澄まされた感覚が赤みをおびたイメージと共に穏やかな倦怠感を呼び起こす。
その限られた瞬間の趣がシューベルトによって見事に表現されている。

これらの歌曲群は明るく美しい作品が多いが、なかでも「流れ」は個人的に特に気に入っている。
大きな孤を描いた息の長いフレーズをもった歌声部や、オクターブで美しいメロディーを歌うピアノパートなど、イタリアオペラのアリアをピアノ伴奏で歌ったものを思い起こさせるが、どこまでも甘美に溶けるような響きにひたれる、こういうタイプの曲はシューベルトには珍しいのではないか(有名な「アヴェ・マリア」も多少似たタイプではあるが)。
ヤノヴィッツやポップ、シェーファーなど美声のソプラノ歌手の録音が印象深いが、上述の3人、いずれもアーウィン・ゲイジが共演しているのが興味深い。
ゲイジのお気に入りの曲なのではないか。
白井さんは美しい響きを余裕をもって歌うが、曲の甘美さに溺れず、歌曲としてのフォルムを保っているところがいかにも彼女らしいと思った。

最後の「茂み」は随分遅めのテンポだが、噛みしめるようにしっとりと歌うことによって、例えばアーメリングが歌った時のような清涼感よりも自然の神秘性を前面に押し出しているように感じられた。
そして、そのほとんど魔術的な響きは第1曲に置かれた「夕映え」の響きに回帰したかのようである。

ヘルは作品に素直に寄り添い、恣意的なところもなく、冒頭の「夕映え」など繊細さを貫いていて素晴らしかった。

ちなみにシューマンのピアノ曲、幻想曲ハ長調Op. 17の冒頭には、「茂み」の最後の4行がモットーのように記されているという。

Durch alle Töne tönet
Im bunten Erdentraume
Ein leiser Ton gezogen,
Für den, der heimlich lauschet.
 すべての音を通して響くのだ、
 いろいろな地上の夢の中の
 かすかな音が、
 ひそかに耳を澄ます者には。

白井&ヘルはかつてリリースした「ヨーロッパの歌の本(Europäisches Liederbuch)」(CAPRICCIO: 67 024)と題されたCDの中で、お得意のシェックやベルク、ヴェーベルンなどのほかに、ブリテン、レスピーギ、ベリオ、シマノフスキーからプランクやドビュッシー(「もう家のない子供のクリスマス」)まで演奏しており、各国の色合いの異なる世界に違和感なく同化する幅の広さを示している。
「ぶらあぼ」2007年10月号のインタビューでは「日本歌曲のピュアな部分に惹かれています」と語っており、もしかしたら日本歌曲に彼女が手を伸ばす日も遠くないのかもしれない。

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