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【生誕100年】ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau):ザルツブルク音楽祭出演記録(歌曲・声楽曲編④):1971年~1975年

1971年にザルツブルク音楽祭で初めてアリベルト・ライマンをピアニストに迎えました。この時のプログラムはフォルトナー以外はDeutsche Grammophonで1970年10月にスタジオ録音された「新ヴィーン楽派歌曲集」の曲目と同一であり、ディースカウが作りこんだプログラミングであることが伺えます。ちなみに1971年のライヴ音源もCD化されています(ORFEOレーベルではありませんが)。
1972年のリヒテルとのヴォルフ『メーリケ歌曲集』も、1961年7月30日にムーアと演奏した時のプログラムと全く同一であり、こちらもディースカウ十八番の選曲と言えるでしょう。
1973年にはサヴァリッシュの指揮でモーツァルトのアリアや歌曲を5曲歌っていますが、その2年後に今度はピアニストとしてサヴァリッシュを迎えることになります(アイヒェンドルフの詩による歌曲集)。
1973年の歌曲の夕べではザルツブルク音楽祭では初共演となるエッシェンバッハをピアニストに迎えますが、彼とは翌年からDeutsche Grammophonへのシューマン歌曲全集を録音することになり、この共演での印象がエッシェンバッハの起用につながったのではないかと想像してしまいます。翌年もザルツブルクでエッシェンバッハとシューマンを演奏しており、スタジオ録音とコンサートホールの両方で二人の音楽を熟成させていったのではないでしょうか。
前述した1975年のサヴァリッシュとのアイヒェンドルフ歌曲集はORFEOから単独でCD化された後、現在はORFEOへの他のスタジオ録音と一緒にボックスCDとなって再発売されています。

1971.8.10(火)20:00 Stiftung Mozarteum — Großer Saal

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
Dietrich Fischer-Dieskau, Bariton
アリベルト・ライマン(ピアノ)
Aribert Reimann, Klavier

アルノルト・シェーンベルク:
期待(Erwartung) Op.2/1
興奮せる者たち(Die Aufgeregten) Op.3/2
練習を積んだ心(Geübtes Herz) Op. 3/5
見捨てられた(Verlassen) Op.6/4
決死隊(Der verlorene Haufen) Op.12/4
わたしは感謝しながら(Ich darf nicht dankend) Op.14/1
夏に疲れて(Sommermüd) Op.48/1
死(Tot) op.43/2

アントン・ヴェーベルン:
春のきざし(Vorfrühling)
発見(Gefunden)
愛のすがた(Bild der Liebe)
渚にて(Am Ufer)
この歌は(Dies ist ein Lied) Op.3/1
小川の岸に(An Baches Ranft) Op.3/3
いまだに貞節心が(Noch zwingt mich Treue) Op.4/2
どんなに私は悲しくても(So ich traurig bin) Op.4/4
君たちは炉辺へ歩み寄った(Ihr tratet zu dem Herde) Op.4/5

ヴォルフガング・フォルトナー:
『三行詩節集』(Terzinen)(1965)
 1. 彼女の息遣いを感じることができる(Noch spür ich ihren Atem auf den Wangen)
 間奏曲(Zwischenspiel)
 2. 時よ、明るく青く光るもの(Die Stunden! wo wir auf das helle Blauen des Meeres starren)
 3. 私たちは夢のようなもので作られている(Wir sind aus solchem Zeug wie das zu Träumen)
 間奏曲(Zwischenspiel)
 4. 時には愛されない女性が来る(Zuweilen kommen niegeliebte Frauen)

アルバン・ベルク:
『4つの歌 op.2』(Vier Lieder)
 眠る、眠る(Schlafen, schlafen, nichts als schlafen)
 眠っていると(Schlafend trägt man mich in mein Heimatland)
 いま私は一番強い巨人を倒し(Nun ich der Riesen Stärksten überwand)
 風が暖かい(Warm die Lüfte)

1972.8.1(火)20:00 Felsenreitschule

エッダ・モーザー(ソプラノ)*
Edda Moser, Sopran*
イングリート・マイアー(アルト)*
Ingrid Mayr, Alt*
ヴェルナー・クレン(テノール)*
Werner Krenn, Tenor*
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)*
Dietrich Fischer-Dieskau, Bass*
ヴィーン・オーストリア放送合唱団
ORF-Chor Wien
ザルツブルク・オーストリア放送合唱団
ORF-Chor Salzburg
オーストリア放送交響楽団
ORF-Symphonieorchester
ミラン・ホルヴァート(指揮)
Milan Horvat, Dirigent

ストラヴィンスキー:詩篇交響曲:合唱と管弦楽のための

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ:新たな限りなき称賛:4人の独唱者、混声合唱、管弦楽のためのジョルダーノ・ブルーノのテキストによるカンタータ*

1972.8.4(金)20:30 Großes Festspielhaus

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
Dietrich Fischer-Dieskau, Bariton
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
Sviatoslav Richter, Klavier

ヴォルフ:歌曲集『メーリケの詩』より

苦悩から癒えて希望に寄せる
あけがたに
散歩
新しい愛
火の騎士
眠りに寄せて
真夜中に
狩人の歌
こうのとりの使い

春に
旅の途上で
恋人に
ペレグリーナI
ペレグリーナII
さようなら
出会い
狩人
ある結婚式で
いましめ
あばよ

1973.8.8(水)20:00 Großes Festspielhaus

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
Dietrich Fischer-Dieskau, Bariton
ロンドン交響楽団
London Symphony Orchestra
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)
Wolfgang Sawallisch, Dirigent

シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D200

モーツァルト:男たちはいつもつまみ食いしたがる KV433(416c):バスと管弦楽のためのアリア
モーツァルト:もしイタリア風にやるとすれば:歌劇「にせの女庭師」KV196より
モーツァルト:もし、この俺が皇帝なら(ドイツ軍歌) KV539:バスと管弦楽のための
モーツァルト:手に口づけを KV541:バスのためのアリエッタ
モーツァルト:娘よ、お前と離れるに際して KV513:バスと管弦楽のためのコンサート・アリア

クルト・ヴァイル:交響曲第1番

リヒャルト・シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯 Op.28

1973.8.26(日)20:30 Großes Festspielhaus

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
Dietrich Fischer-Dieskau, Bariton
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
Christoph Eschenbach, Klavier

シューベルト:
歌曲集『白鳥の歌』D957より
 アトラス D957/8
 彼女の絵姿 D957/9
 漁師の娘 D957/10
 都会 D957/11
 海べで D957/12
 影法師 D957/13

さすらい人 D489
ヴィルデマンの丘で D884
臨終を告げる鐘 D871
大河 D565
メムノン D541
孤独な男(独りずまい) D800
魔王 D328
月に寄せて D259
馭者クロノスに D369
海の静寂 D216
プロメテウス D674
ミューズの子 D764

1974.8.20(火)20:00 Großes Festspielhaus

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
Dietrich Fischer-Dieskau, Bariton
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
Christoph Eschenbach, Klavier

シューマン:
海辺の夕暮れ Op.45/3
春の夜に霜がおりた Op.64/3b
ぼくの馬車はゆっくりと行く Op.142/4

歌曲集『リーダークライス』Op.24(全9曲)
 私が朝起きると
 私はいらだって
 木蔭を歩くと
 いとしい恋人、君の手を
 悲しみのゆりかごよ
 待て、荒々しい舟人よ
 山と城が水に映って
 はじめは望みもなく
 ミルテとばらをもって

歌曲集『詩人の恋』Op.48(全16曲)
 美しい五月に
 わたしの涙から
 ばらに、ゆりに、はとに
 あなたのひとみを見つめる時
 わたしの心をゆりのうてなに
 神聖なラインの流れに
 わたしは嘆くまい
 花が知ったなら
 鳴るのはフルートとヴァイオリン
 恋人の歌を聞く時
 若者はおとめを愛し
 明るい夏の朝
 夢の中で私は泣いた
 夜ごとの夢に
 昔話の中から
 いまわしい思い出の歌

1975.8.4(月)19:30 Kleines Festspielhaus

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
Dietrich Fischer-Dieskau, Bariton
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(ピアノ)
Wolfgang Sawallisch, Klavier

メンデルスゾーン:森の城
メンデルスゾーン:夜の歌 Op.71/6
メンデルスゾーン:小姓の歌
シューマン:異郷にて Op.39/1
シューマン:美しき異郷 Op.39/6
シューマン:たそがれ Op.39/10
シューマン:森の中で Op.39/11
シューマン:世捨てびと Op.83/3
プフィッツナー:秋に Op.9/3
プフィッツナー:誘惑 Op.7/4
プフィッツナー:ダンツィヒにて Op.22/1
プフィッツナー:帰りおくれた放浪者 Op.41/2
プフィッツナー:夜 Op.26/2
ブルーノ・ヴァルター:兵士
ブルーノ・ヴァルター:若い夫
ラインハルト・シュヴァルツ=シリング:短い旅路
ラインハルト・シュヴァルツ=シリング:マリアの歌
ラインハルト・シュヴァルツ=シリング:時にお前の機嫌が悪いことがあっても
ヴォルフ:異郷にてI
ヴォルフ:夜の魔法
ヴォルフ:音楽師
ヴォルフ:追悼
ヴォルフ:船乗りの別れ

[アンコール](※ORFEOのライヴ音源による)
シューマン(Schumann):間奏曲 Op.39/2 (Intermezzo)
プフィッツナー(Pfitzner):娘との別れに Op.10/3 (Zum Abschied meiner Tochter)
ヴォルフ(Wolf):やけっぱちの伊達男(Der verzweifelte Liebhaber)
ヴォルフ(Wolf):語らぬ愛(Verschwiegene Liebe)

●プフィッツナー:秋に Op. 9/3
Im Herbst, Op. 9 No. 3 (Live)

4 August 1975, Kleines Festspielhaus
Dietrich Fischer-Dieskau, Bariton
Wolfgang Sawallisch, Klavier

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(参考)

Archiv: Salzburger Festspiele (上の方のメニューの右側にある「ERWEITERTE SUCHE」をクリックして「Künstler·in」欄に「Dieskau」と入力するとすぐ下に「Dietrich Fischer-Dieskau」という候補が表示されるのでそれをクリック。続いて「SUCHEN」をクリックすると、フィッシャー=ディースカウのザルツブルク音楽祭出演歴が表示されます)

amazon (1971 Salzburg live)

amazon (1973.8.8 Salzburg live)

amazon (1975 Lieder nach Gedichten von Eichendorff)

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コメント

フランツさん、こんばんは。

ディースカウさんのレパートリーすごいですね。

プフィッツナーの「秋」厳しい曲ですよね。
詩がもうドイツ!という感じで。
日本人はどこまでも抒情的にとらえると思いますが、この哲学性!
この詩の発想は、我々にはないなあとこういう詩に触れるたび思います。
ドイツでは感覚でとらえるより、言葉で語りつくそうという気持ちが強いのでしょうか。


先週は阪神大震災から30年で、こちらではいろいろ特集が組まれていました。
天皇皇后両陛下もご臨席の式典では「しあわせ運べるように」が、神戸の小学生により合唱されました。
この曲は何度聞いても泣けてきます。
30年前に、疲れた心を音楽により慰められ安らぎを得たことを思い出します。
もちろん楽器の音色も美しいのですが、人の声というのは温かいですよね。

投稿: 真子 | 2025年1月24日 (金曜日) 22時59分

真子さん、こんにちは。
コメント有難うございます。

ディースカウのレパートリーはあらためて見るとすごく幅広いですよね。ただ、プライもそうだと思うのですが、プログラミングには結構好みが反映されているのか、一度作った曲順のプログラムを何年にもわたって繰り返し演奏することが多いようです。今回のシェーンベルクなどのプログラムもLP録音(配信もされています)と全く同じ曲を歌っていました。

プフィッツナーの吹き付ける冷たい風のような分散和音と悲痛な歌は救いなくどこまでも沈み込みますね。アイヒェンドルフのテキストもやはり救いがないです。

>ドイツでは感覚でとらえるより、言葉で語りつくそうという気持ちが強いのでしょうか。

ドイツは「理詰め」なのでしょうね。フランスだともっと感覚的なので、歌曲の雰囲気も全く違いますよね。フランス歌曲の詩などは意味を理解しようと思っても難しいことが多く、感覚的に味わうように作られるのかなとよく思います。

阪神大震災からもう30年経ったのですね。真子さんも含め、現地に住んでおられた方々はどれほど大変な思いをされてきたことかとお察しいたします。能登半島地震で被災された方々も阪神の方々同様きっと復興できると信じております。ただ、海外には気前よくばらまくのに国内の復興にはあまり力を注がない国の対応はなんとかならないものだろうかとため息が出てしまいます。
「しあわせ運べるように」という合唱曲、恥ずかしながら存じ上げなかったのですが、現地出身の方が震災をきっかけに作られた作品なのですね。神戸市歌にもなったとのこと。音楽はしばしば災害の前で無力だと言われますが、音楽によってどれほど多くの方の気持ちが救われるか、直接的ではないけれど間接的に大きな力があると思います。

投稿: フランツ | 2025年1月25日 (土曜日) 15時03分

フランツさん、こんにちは。

<プログラミングには結構好みが反映されているのか、一度作った曲順のプログラムを何年にもわたって繰り返し演奏することが多いようです。
ディースカウさんもそのようなことがあるのですね。芸術家にはそれぞれのこだわりがあるのでしょうね。
確かにプライさんも、自分のこだわりを持ったプログラミングでコンサートにも何度もそれをのせていたようです。
ひとりの詩人の詩につけられた曲で、ひと夜のプログラムを組むことにもこだわっていたことが、自伝にも書かれていました。

ドイツが「理詰め」なのは、シューベルト・ラッペ「夕映えの中で」と、山田耕筰・三木露風「赤とんぼ」を聞くと一目瞭然ですよね。
同じ夕焼けの中にいて、ラッペは次第に思考が哲学的になっていき、三木露風はとこまでも抒情性の中にいる。
「夕映えの中で」はとても好きな曲で、詩も好きなのですが
「ほこりを微光で色づける時」(訳詞は2013年10月27日のフランツさんの「夕映えの中でD799を聴く」からお借りしました)の表現は、日本人にはない発想だなあと思います。
もっと抒情的にえがきますよね。
フランス人なら、イタリア人なら、どんな風に表現するでしょうか。イタリア人はどこまでも愛を語るでしょうか。

フランス歌曲の魅力の一つは、感覚的にしかとらえられないところかもしれませんね。フランス人が同感じているかは分かりませんが、日本人からするとアンニュイでミステリアスに響きますよね。
日本の明治期の歌曲はドイツ的ですが、現代歌曲の中にはフランス的な響きを持った歌曲もも見受けられます。
私が大好きな「霧と話した」(中田喜直曲・鎌田忠良詩)など、ほとんど感覚でしか捉えられない歌曲だと思います。
また、「林のなか」(三善晃曲・高田敏子詩)は、とてもフランス的だなと感じる歌曲です。

「しあわせ運べるように」は、他地域の大震災のおりにも、「神戸」のところをそれぞれの地域の市町名を入れて歌われていました。
思いは同じです。
それだけに、おっしゃるように、国内のまだまだ大変ななかにいらっしゃる被災者の方々が、置き去りにされていることに心が痛みます。
被災すれば長い闘いになります。息の長い支援が必要です。
私たちもできることはしますが、国にもしっかりと考えてほしいです。

投稿: 真子 | 2025年1月25日 (土曜日) 17時37分

真子さん、こんばんは。

ご返信有難うございます。

プライの自伝に、いくつかプログラムの組み方の例が書かれていましたね。一人の詩人にまとめたり、内容的なつながり、調のつながり、それから歌いやすい流れというのもあるのかもしれませんね。

「夕映えの中で」と「赤とんぼ」は確かに同じ夕暮れ時でも全然違って、興味深い比較ですね。ドイツリートが大好きな私でも、やはり日本語の詩の方に郷愁を感じてしまうのはDNAゆえなのかなぁと思います。ドイツの詩も素敵なのですが、過去の記憶や情景とあまり結び付かず、「作品」として情景を想像しながら鑑賞しています(それはそれで楽しいのですが)。

真子さんがしばしば例に出してくださる「霧と話した」も意味をとろうとするととても難しい詩ですよね。でも感覚で情景を浮かべることは出来そうです。私のイメージでは好きだった人が霧となって寒い日に自分の頬に文字を書く絵が浮かびます。霧がかかった中でかつての恋人の感触を感じる主人公ですが霧が晴れるとその気配が消えてしまう。視覚ではなくひんやりとした触覚でしか恋人の存在を感じられない、とても官能的な詩だと思います。

投稿: フランツ | 2025年1月25日 (土曜日) 18時52分

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