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エリー・アーメリング(Elly Ameling)の「Musings on Music」シリーズ:シューベルト「ただ憧れを知る者だけがSchubert: (Nur wer die Sehnsucht kennt, D 877/4)」

●Musings on Music by Elly Ameling - Schubert - Nur wer die Sehnsucht kennt

Channel名:Elly Ameling (オリジナルのサイトはこちらのリンク先です)

エリー・アーメリングによる説明(大意)

親愛なる視聴者様、シューベルト歌曲の愛好家の皆様、
今回はシューベルトがゲーテの有名な詩「ただ憧れを知る者だけがSchubert: (Nur wer die Sehnsucht kennt)」に作曲した歌をとりあげます。

(0:43-4:11 全曲演奏:楽譜付き)

(4:16-5:26 アーメリングによる詩の朗読と英訳(行ごとに交互に))

主人公の名前を英訳すると「William Master(ウィリアム・マスター)」となり、ちょっと人名に聞こえないですね。
この小説は1796年に初版が発行されました。それはゲーテのイタリア旅行の8年後のことでした。
シューベルトは、この曲を他のミニョンの3曲と一緒に1826年に作曲しました。
この小説はゲーテ自身の人間の生活についてのアイデアと結びついています。
読者は、詩(韻文)や散文で語る多くの登場人物との出会いによってそれを体験するのです。
登場人物の一人がミニョンで、イタリアから誘拐された14歳の少女です。
彼女はヴィルヘルム・マイスターに救われます。
ヴィルヘルムは旅回りの劇団とドイツ中を旅していました。
ゲーテはミニョンに、北国の人が南国、特にイタリアに強く憧れる典型的な性格を付与しました。

ミニョンは最初の行で「ただ憧れを知る人だけが私が何に苦しんでいるのか分かるのです!(Nur wer die Sehnsucht kennt weiß, was ich leide!)」と歌います。シューベルトはこの詩句を繰り返しますが、その際フレーズの音を最初より高くして強調しています。

(7:52-8:56 曲の冒頭から"Nur wer die Sehnsucht kennt, weiß, was ich leide!"を繰り返しの終わりまで)

ミニョンは「永遠の世界(来世)」に憬れます。
つまり彼女が「私は天空のあちら側に目をやります(Seh ich an's Firmament nach jener Seite.)」と語る詩句がそれを示しています。
シューベルトは"je-ner(あちらの)"の"je"の音節にこのフレーズの最高音を置いています。和声は、服を着ていないあの世の印象を与えています。

(9:41-10:08 "Allein und abgetrennt von aller Freude"から"Seh ich an's Firmament nach jener Seite."までの演奏)

そしてミニョンの純粋で控えめな思慕は、父親像を重ねたヴィルヘルム・マイスターへの思いでもあります。

「ああ、私を愛し、知る方は遠方にいるのです。(Ach, der mich liebt und kennt, ist in der Weite.)」

(10:30-10:53 "Ach, der mich liebt und kennt, ist in der Weite."の音楽)

「私は眩暈がして、(Es schwindelt mir,)」
「内臓がちくちく痛みます。(es brennt mein Eingeweide.)」

彼女は自身の感情に圧倒されていて、シューベルトはリズムを突然細かく増やすことでそれを捉えています。繰り返した後にリズムは落ち着き、再び歌の冒頭に戻ります。

「ただ憧れを知る人だけが私が何に苦しんでいるのか分かるのです!(Nur wer die Sehnsucht kennt weiß, was ich leide!)」

シューベルトは冒頭の音楽同様にこのフレーズを繰り返しますが、"kennt"(知る)という言葉に"sf(スフォルツァンド)"を付けています(※訳注:アーメリングはsfを"striking fermata"と言っているように聞こえます)。

(11:52-13:25 "Es schwindelt mir, es brennt mein Eingeweide."から曲の最後まで)

ピアノの後奏は前奏と全く同じです。シューベルトはシンプルさによってロマンティックな来世の少女の感情の深さを作り出しているのです。

もう一度中断なしで全曲聞いてみましょう。

(13:55-17:24 全曲の演奏)

今回流した演奏はドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)のピアノ、私(Elly Ameling)の歌でした。

(※注:この後、アーメリングがサプライズで(surprisingly)次回に取り上げる曲を1曲まるまる流してくれます。今回の曲に関連した曲ですが、「サプライズで」とおっしゃっているので、ここには詳細を記載しないことにします。皆さんも直接アーメリングからのサプライズを楽しんでみてください。)

(18:05-22:36 次回に扱う曲の演奏)

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Nur wer die Sehnsucht kennt
 ただ憧れを知る人だけが

Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiß, was ich leide!
Allein und abgetrennt
Von aller Freude
Seh ich an's Firmament
Nach jener Seite.
Ach, der mich liebt und kennt,
Ist in der Weite.
Es schwindelt mir, es brennt
Mein Eingeweide.
Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiß, was ich leide!
 ただ憧れを知る人だけが
 私が何に苦しんでいるのか分かるのです!
 ひとり
 あらゆる喜びから引き離されて
 私は天空の
 あちら側に目をやります。
 ああ、私を愛し、知る方は
 遠方にいるのです。
 私は眩暈がして、
 内臓がちくちく痛みます。
 ただ憧れを知る人だけが
 私が何に苦しんでいるのか分かるのです!

詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), "Mignon", written 1785, appears in Wilhelm Meisters Lehrjahre, first published 1795
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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(参考)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 (Wikipedia)

Wilhelm Meisters Lehrjahre (Wikipedia: 独語)

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コメント

フランツさん、こんばんは。

この歌曲、詩も曲も切ないですよね。
元の話も、もしかしたら実話に近いものが当時あったのかもしれませんね。

少女ミニョンの淡い恋心と、まだ見ぬ生まれ故郷への思慕。
シューベルトは、前奏のピアノパートから、そんなミニョンの心情をえがいて、初めて聞いた時から引き寄せられました。

私が初めてこの歌曲を聞いたのも、たしかアメリングだったと思います。
清澄で可憐なアメリングの声が、ミニョンの切々とした気持ちを歌い出していて、繰り返し聞いたものです。

投稿: 真子 | 2024年11月14日 (木曜日) 23時53分

真子さん、こんにちは。

おっしゃる通り切ない作品ですよね。

> 少女ミニョンの淡い恋心と、まだ見ぬ生まれ故郷への思慕。
シューベルトは、前奏のピアノパートから、そんなミニョンの心情をえがいて、初めて聞いた時から引き寄せられました。

まさにこのテキストで描いている内容ですね。前奏の右手のメロディは上行と下行の動きで憧れては沈みの心の動揺を素晴らしく描いていますよね。シューベルトの天才さが感じられます。

> 清澄で可憐なアメリングの声が、ミニョンの切々とした気持ちを歌い出していて、繰り返し聞いたものです。

普段美声で明るく歌うイメージのアーメリングだからこそのギャップが一層胸に迫ってくるのだと思います。

この動画でのアーメリングの朗読を聞くと歌手は同時に俳優の一面も持っていることを実感させられます。

投稿: フランツ | 2024年11月16日 (土曜日) 11時09分

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