ブラームス「夕闇が上方から垂れ込め(Dämmrung senkte sich von oben, Op. 59, No. 1)」を聴く
Dämmrung senkte sich von oben, Op. 59, No. 1
夕闇が上方から垂れ込め
Dämmrung senkte sich von oben,
Schon ist alle Nähe fern;
Doch zuerst emporgehoben
Holden Lichts der Abendstern!
Alles schwankt in's Ungewisse,
Nebel schleichen in die Höh';
Schwarzvertiefte Finsternisse
Widerspiegelnd ruht der See.
夕闇が上方から垂れ込め
近くにあったあらゆるものがすでに遠い。
だが最初に空に上がるのは
夕星の優しい光!
すべてが定かならぬ中にゆらめき
霧は丘へとそっとのぼる、
濃い暗闇を映して
湖は静止している。
[Nun]1 [am]2 östlichen Bereiche
Ahn' ich Mondenglanz und Gluth,
Schlanker Weiden Haargezweige
Scherzen auf der nächsten Fluth.
Durch bewegter Schatten Spiele
Zittert Luna's Zauberschein,
Und durch's Auge [schleicht]3 die Kühle
Sänftigend in's Herz hinein.
今や東方に
月の赤い輝きをほのかに感じる。
ほっそりとした柳の、毛のごとき細枝は
近くの大河の上でじゃれている。
動く影の戯れによって
月の魅惑的な明かりが震え、
目を通って冷気が
慰撫しながら心に忍び込む。
1 Diepenbrock: "Dort,"
2 some recent editions of Goethe's work have "im"
3 Grimm: "zieht"
詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), no title, appears in Chinesisch-deutsche Jahres- und Tageszeiten, no. 8
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Dämmrung senkte sich von oben", op. 59 (Acht Lieder und Gesänge) no. 1 (1871), published 1880 [ low voice and piano ], Leipzig, Rieter-Biedermann
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ゲーテは1827年にヴァイマル近郊の別荘で1ヵ月近く過ごし、その際に「中国風ドイツ歴(Chinesisch-deutsche Jahres- und Tageszeiten)」という14編からなる連詩の多くを書きます。その8番目に置かれたのが、この「夕闇が上方から垂れ込め(Dämmrung senkte sich von oben)」です。
主人公は木々の茂る湖のほとりにいて、日が落ちるにつれ、これまではっきり見えていたものが徐々にぼんやりとし始めます。夜霧も立ち込め、湖に目をやると星の光がゆらゆらと揺れます。月が姿をあらわし、柳の枝が湖面に触れて戯れている間からその月の光が差し込み、夜の冷たい空気が主人公の目に心地よい慰めをもたらし、心にしみわたるという内容です。
ブラームスは3/8拍子で作曲しました。ゲーテの詩が各行、強弱強弱...と規則的に繰り返していく為、ブラームスも詩のリズムに合わせて、基本的には強音節を4分音符、もしくは8分音符2つ分にあてて、弱音節を8分音符にしています。テキストの区切り(例えば第1節の第4行、第8行)の最後の3音節は音価を2倍にしてフレーズがいったん終わることを印象付けます。
ピアノ前奏は右手の8分音符2つ+8分休符と左手のバス音で、静かに夕闇が帳を下すさまを描いているかのようです。歌が始まってもしばらくはこの音型が続きますが、第3行で星の光が出てくるくだりで右手がシンコペーションのリズムになり、左手のリズムと交互に刻むことで静謐な中に動きが感じられます。
第1節の前半4行が終わるとピアノの右手が十六分音符の旋律的な音型を奏で、左手と交代しながら歌の対旋律のような響きとなります。ここは霧の中を手探りで歩いているようなイメージでしょうか。
その後、再び、右手と左手のリズムのずれる音型で第1節を締めます。
第2連への橋渡しとなる間奏は前奏の音楽が再び使われますが、間奏の締めくくりで短2度(ト(g)と変イ(as))の不協和な響きがあらわれ、聞き手を驚かせます。
第1節では歌声部は不安定な逡巡を感じさせる進行が多かったのですが、第2節の最初の2行、月が出るくだりでは上行していきます。
その後再び第1節のような逡巡するような上下の動きに戻りますが、5行目で調号がこれまでのフラット2つからシャープ1つになり、ト長調の響きに代わります。ここから最後まで、夜の冷気が主人公を癒すというテキストを反映するかのように穏やかさを保ったまま曲を締めくくります。
最後の"Herz hinein"は2種類の旋律があり、1回目の"Herz hinein"の進行から考慮すると、低く下がっていく方の旋律がブラームスの本来の意図に近いのかもしれません。低いト音(g)は高声歌手にはきついというブラームスの思いやりでおそらく上行して1オクターブ上のト音に向かうヴァリアントが追加されたものと想像されます。ただ、個人的な意見ですが、ここは上行していく旋律の方が聞いていて魅力的に感じられました。シューマンの楽譜などではヴァリアントは小さい音符で書かれていたりしますが、このブラームスの旧全集では音符の大きさの違いがなく、ブラームスはどちらでもいいよと言っているのかもしれません。
3/8拍子
ト短調(g-moll)
Langsam(ゆっくりと)
●詩の朗読(ユルゲン・ゴスラー)
JOHANN WOLFGANG VON GOETHE - DÄMMRUNG SENKTE SICH VON OBEN (Rezitation: Jürgen Goslar)
速めの朗読で若干追いにくいかもしれませんが、朗読者の息遣いや表現を味わうのも興味深いと思います。
●エリー・アーメリング(S), ルドルフ・ヤンセン(P)
Elly Ameling(S), Rudolf Jansen(P)
私はこの曲をアーメリング&ヤンセンの津田ホールでのリサイタルで初めて聞き、その後Hyperionに録音されたCDで繰り返し聞いて、渋さの中の魅力を教えてもらった思い出の演奏です。どの言葉も音もなおざりにすることない細やかなアーメリングの歌唱とヤンセンのどこまでも彼女の意図とぴったり一致したピアノに感銘を受けます。
●マルリス・ペーターゼン(S), シュテファン・マティアス・ラーデマン(P)
Marlis Petersen(S), Stephan Matthias Lademann(P)
ペーターゼンのアンニュイな響きが魅力的です。ラーデマンのピアノも歌と一体になって情景を描いていました。
●ロベルト・ホル(BSBR), ルドルフ・ヤンセン(P)
Robert Holl(BSBR), Rudolf Jansen(P)
ホッターの弟子でもあったホルは深々とした響きで、黄昏時の雰囲気を見事に表現していました。
●スィルヴィア・シュリューター(CA), ルドルフ・ヤンセン(P)
Sylvia Schlüter(CA), Rudolf Jansen(P)
シュリューターのコントラルトの響きが日の沈む時間帯の様子を落ち着いて表現していました。上記のアーメリングとホルの音源でもピアノを弾いているルドルフ・ヤンセンの、それぞれのオランダ人歌手に応じた優れた表現を聞き比べてみるのも一興かと思います。
●ハンス・ホッター(BSBR), ミヒャエル・ラウハイゼン(P)
Hans Hotter(BSBR), Michael Raucheisen(P)
30代のホッターはすでに深みもありますが、声の艶が美しいですね。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)
渋みを増した時期のF=ディースカウの歌唱と、バレンボイムの二重奏のようによく歌うアンサンブルは、この作品の魅力を見事に引き出していたと思います。
●ファニー・ヘンゼル・メンデルスゾーン作曲による「夕闇が上方から垂れ込め」
[Fanny Mendelssohn-Hensel]: Dammrung senkte sich von oben (Dusk Sinks from Above)
Christina Hogman(S), Roland Pöntinen(P)
メンデルスゾーンの姉ファニーは優れた歌曲を書いています。この作品も静謐な響きが美しいです。
●オットマー・シェック作曲による「夕闇が上方から垂れ込め」
Schoeck: 8 Lieder nach Gedichten von Goethe, Op. 19a - No. 2, Dämmrung senkte sich von oben
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Margrit Weber(P)
スイスの作曲家シェックによる作品です。ピアノの細かい音型は星や月がちらちら輝いているさまをあらわしているのでしょうか。
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(参考)
ゲーテ全集 2 詩集 新装普及版(1980年初版、2003年新装普及版発行 潮出版社)松本道介他9名訳(※「Dämmrung senkte sich von oben(夕やみがおりてきた)」の訳は内藤道雄)
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コメント
フランツさん、こんばんは。
ご無沙汰してしまいました。
体調を崩していました。7月半ばに手術をすることになって、検査に行ったりバタバタしていました。手術自体は大きなものでなく、入院も3日ほどで帰れる予定です。
まずはアメリングで聞いていますが、魅力的な曲ですね。
ブラームスの歌曲と関係のない話で恐縮ですが、私には夏になると読み返したくなる小説があります。
松本清張の「高校殺人事件」です。
この小説を、私は中学二年生の時に読みました。
まだ、クーラーなどない時代、本を持って学校へ行き、グラウンドの隅の木陰の下のベンチに座り読みふけりました。
この場所が、小説の世界に入っていくにはうってつけの場所でした。
夢中で読んで、ふと気づくと辺りは夕闇が迫って来て、少々怪奇的な雰囲気を持つこの小説の世界観と、今いる場所が重なり、首筋にかいた汗がひんやりしたことを思い出します。
このブラームスの歌曲は怪奇的でもないし、暗鬱としてもいませんが、「月の赤い輝き」という歌詞と、迫って来る夕闇の雰囲気が、中学二年生のあの時間を思い出させました。
奇しくも、「高校殺人事件」は、高校生向けの学習雑誌に発表された時は「赤い月」という題だったのです。
赤い月と言うと、少しゾクッとするのですが、この詩ではレッドというより、明るさを表現しているようですね。
投稿: 真子 | 2024年7月 7日 (日曜日) 19時29分
真子さん、こんばんは。
お久しぶりです。
体調を崩されていたとのこと、心配ですが、手術を無事終えられて回復されることを心から祈っております。
暑い時期で大変かとお察ししますが、真子さんならきっと大丈夫です!陰ながら応援しております!
この曲を聞いて下さり有難うございます!とっつきやすくはないのですが、聞き続けると良さがじわっと感じられる曲だと思います。
真子さんの素敵な思い出を呼び起こすきっかけにもなれたようで、良かったです。
夢中で読書をしていて気付いたら夕闇が迫っていたとは、まさにこのゲーテの描いた世界そのものですね!松本清張は私の場合ドラマ化されたものを子供の頃テレビで見た記憶がありますが、大昔のことなので、残念ながら何を見たのか覚えていません。学校のベンチというベストポジションまで自ら出かけて読書をされる真子さんと、家で漫然とテレビを見るのでは気持ちの入り具合が全然違いますね。そういえばクーラーのなかった時代もありましたよね。今となってはあの頃どうやって夏の暑さに耐えたのだろうと思います。
「赤い輝き」はゲーテの詩では「Glut」で、灼熱とか燃えるような赤さを表し、炎を連想させる言葉だと思います。松本清張の「赤い月」は伺った感じでは怪奇的な意味合いが強そうですね。200年ぐらい昔の西洋の作品と昭和の日本の作品の連想がとても興味深かったです。
投稿: フランツ | 2024年7月 7日 (日曜日) 21時08分