« エリー・アーメリングの参加したヘンデルのオラトリオ『テオドーラ(Theodora)』(抜粋)ライヴ音源(1974年9月19日, デンマーク) | トップページ | ヘイン・メーンス&トニー・エレン/ゲーテ、ヴェルレーヌ等の同じテキストに作曲した歌曲によるリサイタル(1990年) »

【エリー・アーメリング】シューマン「リーダークライス(Liederkreis, Op. 39)」の第8曲「異郷にて(In der Fremde, Op. 39, No. 8)」&第3曲「森の対話(Waldesgespräch, Op. 39, No. 3)」の考察

エリー・アーメリング(Elly Ameling)のYouTube公式チャンネルで、先日アイヒェンドルフのテキストによるシューマンの歌曲集『リーダークライス(Liederkreis, Op. 39)』から第1曲「異郷にて(In der Fremde, Op. 39, No. 1)」に関する考察がアップされましたが、続いて、第8曲「異郷にて(In der Fremde, Op. 39, No. 8)」と第3曲「森の対話(Waldesgespräch, Op. 39, No. 3)」の動画がアップされました!今回も楽しみながらアーメリングの見解を知ることが出来ます。ぜひご覧ください。

●Musings on Music by Elly Ameling - Schumann, In der Fremde (Liederkreis op. 39 no. 8)

Channel名:Elly Ameling (オリジナルのサイトはこちら。リンク先は音が出ますので注意!)

●Musings on Music by Elly Ameling - Schumann, Waldesgespräch (Liederkreis op. 39 no. 3)

Channel名:Elly Ameling (オリジナルのサイトはこちら。リンク先は音が出ますので注意!)

※以下、ネタばれ注意!!

【第8曲「異郷にて(In der Fremde, Op. 39, No. 8)」について】

※この動画の一番最後に、ここで流された演奏のピアニストについて触れられています。彼女らしく感傷とは無縁ですが、その口調にこのピアニストへの深い思いが伝わってきました。

「先日扱った第1曲と同じタイトルの第8曲「異郷にて」について扱いたいと思います。」

演奏が通して流される

アーメリングによる詩行ごとの朗読と英訳

「シューマンの曲も詩も第1曲と非常に違います。第1曲は常にゆっくりのテンポだったが、この曲は動きに満ちています」

第1曲冒頭と第8曲の冒頭の演奏を聴く

「第8曲は、小川のささやきとナイチンゲールの歌声、月光の輝きがこの速いテンポの音楽で表されています。オクターブで弾かれる両手はmfからすぐにデクレッシェンドとなり、自然界すべてが活気のある感動の中にいます」

第8曲の冒頭の演奏が流れる

「第1曲の詩では父母がずっと前に亡くなっているのに対して、この第8曲では、最愛の人が亡くなってから長く経っています」

「この詩の第2連後半では「古き麗しき時代」を思い返しています」

「興奮したテンポは2回中断されます」

該当箇所の演奏が流れる(リタルダンドされる)
"Von der alten,schönen Zeit(古き麗しき時代)"
"Und ist doch so lange tot(そして亡くなってとても長く経った)"

「"Und ist doch so lange tot"は3回繰り返され、歌手はこの悲しい詩句をそれぞれ異なる歌い方で表現しなければならないのです」

「この第8曲の音楽と詩は、ドイツロマン派の頂点とみなしうるかもしれません」

「人の愛は自然の中に飛び立つ。同じことが第1曲にも言えます。でもお互いを比較して、かなりのわくわくする効果の違いを体験してきました」

「1979年(*)に私はルドルフ・ヤンセン(Rudolf Jansen)とこの歌を録音しました。彼はこの動画を撮影する2週間前の2024年2月に旅立ちました。」

*注:アーメリングの思いのこもった言葉に水を差すようで甚だ恐縮ですが、ルドルフ・ヤンセンと録音したのはおそらく1980年5月2日の放送録音と思われます(5枚組CDボックス"80 jaar"に収録されています)。ちなみに1979年にはイェルク・デームスとPhilipsにスタジオ録音しています。

------------------

【第3曲「森の対話(Waldesgespräch, Op. 39, No. 3)」について】

「演奏者については耳と心に先入観を持たないでもらう為、動画の最後に明かします」

「前奏は森の猟師の吹く角笛の響きを表しています」

「日が落ちる頃の話で、詩は男性と美しい女性のロマンティックな出会いについてです。男性はライン川の近くを馬に乗っています。男性は一緒に来て花嫁になるように彼女を誘います。何が起こるか聞いてみましょう」

男声歌手の演奏が通して流れる

アーメリングによる詩行ごとの朗読と英訳(※アーメリングの迫真の朗読を聞いてみてください!)

「前回までに扱った第1曲、第8曲は男性の歌でしたが、今回の第3曲は男性と女性の両方が出てきます。しかしこの曲は一人の歌手(女声もしくは男声歌手)によって歌われます」

男声歌手のローレライが語る箇所の演奏が流れる

女声歌手の演奏が通して流れる

「(女声歌手の演奏を聴いて)本当にドラマですね!話者を示す引用符のないテキストを見てみてください」

「このアイヒェンドルフの詩をシューマンは小説「予感と現代(Ahnung und Gegenwart)」から採りました。」

「この女声の演奏は、さきほどの男声の演奏よりゆっくりでした。テンポは"Ziemlich rasch(かなり速く)"と書かれています。」

「美しい花嫁のあなた!私があなたを家に送ろう(Du schöne Braut! Ich führ dich heim!)」
「heimは英語のhomeで家に連れ帰ろうとしています。これは貪欲に聞こえます。」

女声歌手の演奏の冒頭が流れる

「連れ帰ろうという男の声とローレライの声はとても対照的です。彼女は男の欺瞞と狡猾(Trug und List)に傷つけられたことによって悲しんでいます。
女性が悲しんでいる時の旋律線を描くとき、声色は暗いです。
この録音の女声歌手は男性の語る箇所では暗い音色のままではありません。」

女声歌手の途中の演奏(O flieh! Du weißt nicht,wer ich bin.まで)が流れる

「"あなたは私が誰だか知らない(Du weißt nicht,wer ich bin.)"-ここでは男性に対する怒りもこれから彼にふりかかることへの警告もありません。すると男性は彼女を褒め続けます」

「"あなたが誰か今分かったぞ(Jetzt kenn ich dich)"の前でリタルダンドになります。ここで楽譜には大きな効果が出るようになっています。歌手とピアニストはF(フォルテ)で演奏します」

女声歌手の途中の演奏(Du bist die Hexe Lorelei. まで)が流れる

「この女声歌手はローレライとばれた後の最終連でも比較的ゆっくりのままでまだ友好的に思えます」

「最後の数小節にいたってようやく鋭い子音を伴って復讐の厳しい音色になります」

女声歌手の途中の演奏(ローレライと悟ってから最後まで)が流れる

「こうして角笛の信号は遠くに消えていきます」

別の女声歌手の演奏が通して流れる

「1800年頃以降クレメンス・ブレンターノは中世の物語(Saga)を用いて魔女ローレライの話を書きました。
私もこの有名な伝説の場所のそばを列車や車やボートで通りましたが、私はラッキーでした(※伝説にあるようなことは何も起こらなかったということ)。」

動画内で流された音源の種明かし(流れた順番による)

1.
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)&ジェラルド・ムーア(P)

2.
エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)&ジェフリー・パーソンズ(P)

3.
エリー・アーメリング(S)&ルドルフ・ヤンセン(P)

最後に合唱によるジルヒャーの「ローレライ」の音源が流れる

---------

(参考)

The LiederNet Archive (In der Fremde, Op. 39, No. 8)

The LiederNet Archive (Waldesgespräch, Op. 39, No. 3)

IMSLP (楽譜)

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ (Wikipedia)

Joseph von Eichendorff (Wikipedia)(独語)

アーメリング&デームスの『リーダークライスOp.39』が収録された29枚組CD

| |

« エリー・アーメリングの参加したヘンデルのオラトリオ『テオドーラ(Theodora)』(抜粋)ライヴ音源(1974年9月19日, デンマーク) | トップページ | ヘイン・メーンス&トニー・エレン/ゲーテ、ヴェルレーヌ等の同じテキストに作曲した歌曲によるリサイタル(1990年) »

音楽」カテゴリの記事

エリー・アーメリング Elly Ameling」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

シューマン Robert Schumann」カテゴリの記事

アイヒェンドルフ Joseph von Eichendorff」カテゴリの記事

コメント

フランツさん、こんにちは。

雨になりましたね。少し肌寒い今日のような日はリートを聞くのにいいような気がします。

アメリングさん、もう90歳近いのに、目力がとてもおありでびっくりしました。

第8曲の異郷にて。
詩は、これぞリートの世界といえるようなものですが、最後に最愛の人は死んでしまっていると最後半消えるように終わる。
ドイツリートを教えていただいていた先生の後に習ったソプラノの先生は、私の中高生時代の友人で、イタリア物が大好きでした。
その先生(友人)によると、リート、特にシューマンは終わったか終わってないかよくわからない終わり方をする。もっとチャンチャンて感じで終わってほしいと言っていました(笑)

いやいや、それこそがリートの良さなのよ、と私は返しました。不完全燃焼にかんじるのでしょうね。
でも、この決着のつかない思い、もどかしさこそリートの醍醐味なんですよね。
この第8曲のような曲を聴くと、私は少し狂気というものを感じるのです。

第3曲もローレライが出てくる独特の詩を持つ曲ですね。第8曲などもそうですが、ドイツ人でないと、あるいはドイツに暮らしてみないとこういう詩の持つ世界観は分からないなあと感じます。そう感じるけれどこういうリートの世界にとても惹かれもします。

フランツさんのお書きになった記事の趣旨と違う感想になってしまいましたね。すみません。。

アメリングが朗読すると歌になり、アメリングが歌うと詩になることを再確認した記事でもありました。朗読を聞いて歌を聴くと彼女の歌の表現の深さもよくわかりました。
ディースカウさんの歌唱、聞き入りました。

せっかくなので、プライさんの1962年録音の同じ曲もCDを出してきて聞きました。
言葉を前年に出しての演奏ではないけれど、滑らかに流れるメロディラインがしっかりと詩を語っていました。

最後に、第8曲の音域はやはりソプラノにとって響かせやすいからか、アメリングの声がとても美しくて。聞き惚れます。

投稿: 真子 | 2024年4月21日 (日曜日) 16時48分

真子さん、こんばんは。
コメント有難うございます!

しとしと降る雨は趣があっていいですね。
確かにリートを聴きたくなる雰囲気ですね。

アーメリングはおっしゃる通り目力ありますよね。歌は全身運動だと彼女は以前言っていましたが、体から声を出し、連動して目や顔でも語っているのだと思います。

ご友人の方のシューマン観は、イタリア音楽贔屓の人にとってはそう感じられるのかもしれませんね。白か黒かの割り切った世界がイタリアものだとすると、シューマンは模糊とした曖昧さの中に鬱屈した心情を表現するのでしょう。シューマンは実際に心を病んで亡くなりますが、歌曲でもピアノ曲でも内的な部分と外交的な部分を共存させてシューマンのメンタル面を反映しているように感じます。真子さんのおっしゃる「狂気」も確かにシューマンの中にあるものでしょうね。「詩人の恋」の「夢で私は泣いた」などもシューマンにしか出来ない表現だと思います。誰にでも分かる音楽ではないかもしれないけれど、魅了されたら抜け出せないのがシューマンの音楽だと思います。

ローレライの伝説を歌った第3曲もドイツ人なら「ああ、あれか」となるのででょうが、遠く離れた日本人にはなかなか縁遠い感覚ですよね。そうした文化の違いも音楽が付くと普遍的な魅力を帯びてくるから不思議なものです。

> アメリングが朗読すると歌になり、アメリングが歌うと詩になることを再確認した

彼女の朗読、いいですよね。表現者としての彼女の凄さがこういう朗読からも窺えて、ファンにとって宝物です!続編も楽しみです♪

私もプライとエンゲルのEMIの録音改めて聴いてみましたが、やはり良いですね。プライの描く世界はシューマンの繊細な部分に甘美さを追加してうっとりさせてくれます。

投稿: フランツ | 2024年4月22日 (月曜日) 01時40分

フランツさん、こんばんは。

春らしくない気候ですね。雨が多いせいか、庭のビオラの鉢の根本にカビが
発生し、大幅に刈り込みました。
4月も末、ドイツでは本格的な春到来
の季節ですね。

友人は竹を割ったような性格で、声を聴かせることのできるイタリアものが
とにかく好きなんです。
まさにおっしゃるとおり
>白か黒かの割り切った世界 ですね。
シューマンは特に独特な世界観があるから(私はこれをシューマン臭と呼んでいました)、好きな人はとことん好きだと思います。私も一時、かなりはまり
こんだ事があります。ちょっと麻薬的なところがありますよね。

プライ&エンゲルのEMI盤、お聴きになったのですね。33歳の若い声は何物にも変えがたく甘く美しく、この声を聴くだけで幸せな気持ちになります。
が、じっくり聴くと彼が単なる美声歌手でないことがわかります。

それはアメリングもそうですよね。
今回のこの記事で、アメリングの表現者としての奥深さをじっくり味わわせていただきました。
言葉の壁で、ご本人が語っておられる事がわからないのが、非常に残念ですが、要約して記事にしてくださり本当に感謝です。

投稿: 真子 | 2024年4月23日 (火曜日) 19時09分

真子さん、こんにちは。

雨多いですね。お庭に鉢植えがある生活、いいですね。植物に疎い私でも歩く途中に目に入る花に癒されています。
ドイツはそろそろ春でしょうね。春の歌が思い浮かびます♪

イタリア物は劇場で聴くと有無を言わさず引き込まれるのが魅力的だと思います。以前、カバレリア・ルスティカーナと道化師の2本立てを聞きに行った時、内容はドロドロなのに音楽の力が強烈で、ぐいぐい引き込まれていったのを覚えています。前者の有名な間奏曲の時、サントゥッツァが横に並べた椅子の上を静かに歩いているというシーンで泣けてきました。最近涙腺弱くなったのでイタリアオペラは劇場よりも家で見ようかなと思ったりもします。

シューマンが麻薬的というのは分かる気がします。シューマンにしか書けない音楽なんですよね。「詩人の恋」の1曲目や5曲目は10代の頃下手なピアノで延々弾いてその世界に浸っていました。

プライとエンゲルの若かりし頃の録音は宝物ですね。プライにしか出せない響きに聞き惚れます。

今回のアーメリングの動画で「リーダークライス」の素晴らしさを再実感しました。それにしても第8曲は短調であることを意識させないかのように軽快に進み、最後の和音が長和音になることで主人公の心の痛みが浄化されたかのようです。

投稿: フランツ | 2024年4月24日 (水曜日) 07時51分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« エリー・アーメリングの参加したヘンデルのオラトリオ『テオドーラ(Theodora)』(抜粋)ライヴ音源(1974年9月19日, デンマーク) | トップページ | ヘイン・メーンス&トニー・エレン/ゲーテ、ヴェルレーヌ等の同じテキストに作曲した歌曲によるリサイタル(1990年) »