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シューベルト/「湖畔で」(Schubert: Auf dem See, D746)を聞く

Am See, D746
 湖畔で

In des Sees Wogenspiele
Fallen durch den Sonnenschein
Sterne, ach, gar viele, viele,
Flammend leuchtend stets hinein.
 湖の波の戯れの中へ
 陽光を通って
 星々が落ちて行く、ああ、とても多く、多く、
 きらきら輝きながら、絶えることなく。

Wenn der Mensch zum See geworden,
In der Seele Wogenspiele
Fallen aus des Himmels Pforten
Sterne, ach, gar viele, viele.
 人が湖になったら
 魂の波の戯れの中へ
 天国の門から
 星々が落ちて行く、ああ、とても多く、多く。

詩:Franz Seraph Ritter von Bruchmann (1798-1867)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828), "Am See", D 746 (1817?/1822?), published 1831

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シューベルトを囲む音楽やパーティーの会シューベルティアーデは数年フランツ・フォン・ブルッフマンの家で催されました。ブルッフマンは裕福な家庭に生まれ、シューベルトのパトロンでもありました。そのブルッフマンのテキストにシューベルトは5曲の独唱歌曲を作曲しましたが、そのうちの1つが「湖畔で(Am See, D746)」です(個人的に大好きな作品の一つです)。

テキストは、第1連で太陽の光を通って、空の星々が湖の中へ落ちていくと歌われ、第2連では人が湖になったならば魂の湖の中へ天空の星々が落ちていくと歌われます。水鏡に映る星を描写しただけでなく、人間の魂を湖になぞらえているのでしょう。人が亡くなってお星さまになっても湖の水鏡に映れば身近に感じられるということなのでしょうか。星々が落ちるのが月明かりによるのではなく太陽の光というところも詩の解釈を難しく感じさせます。

シューベルトは「水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen, D774)」や「ゴンドラの船頭(Gondelfahrer, D808)」など水を扱った多くの作品同様、6/8拍子を採用し、細やかな十六分音符の分散和音で水の流れや波の戯れを描いています。ちなみにこの分散和音は、歌声部の旋律とは基本的に独立していますが、第1連の後のピアノ間奏冒頭は、直前の歌の旋律をエコーのように右手の最高音で繰り返します。

【ピアノ前奏】
Ex1 
【第1連~ピアノ間奏】
Ex2 

第2連が始まると、ピアノパートの左手バス音が変ホ音(Es)から順に下行していきます(変ホ長調のドシラソファミレドシと下行します)。歌は1小節遅れて変ホ音(Es)つまりドからファまで下行していきます。ここで第1連の音楽とは異なる何かが生じているということが聞き手に伝わりますね(「人が湖になったら」と歌われる個所です)。

【第2連】
Ex31_20240212160001 
Ex32 

第2連の歌詞が終わっても音楽は続き、第2連第2行から詩を繰り返します。第4行(Sterne, ach, gar viele, viele)の繰り返しは1回目の歌声部を変奏しています。特に"viele, viele"は2回目では間に四分休符+八分休符が入り、1小節から2小節に伸びています。それによってリタルダンドをしているような効果があり、終結に向かっていることを予感させます。

【第2連第4行(1回目)】
Ex41 
【第2連第4行(2回目)】
Ex42 

最後にもう1度第4行を繰り返しますが、"Sterne, ach, gar"のメリスマがすべて十六分音符で、ピアノの分散和音も十六分音符なので、歌手のテクニックの聞かせどころでありながら、歌とピアノで息を合わせる必要もあり、演奏者たちにとって気を使うところなのではないかと想像されます。

【第2連第4行(3回目)】
Ex5 

ちなみにシューベルトは、ゲーテの詩による「湖上にて(Auf dem See)」という歌曲を以前に作曲していますが、拍子、調、作品冒頭に記載した標示のすべてがブルッフマンによる「湖畔にて」と同じだったという事実に驚かされます。それが無意識的なものなのかどうかは分かりませんが、シューベルトの湖を表現する時の手法を知るうえで一つのヒントになるかもしれません。

【ゲーテの詩による「湖上にて(Auf dem See, D543)」冒頭】
Auf-dem-see 

6/8拍子
変ホ長調(Es-dur)
Mäßig

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

流麗に美しく歌うディースカウとムーアの演奏に聞きほれます。

●マティアス・ゲルネ(BR), アンドレアス・ヘフリガー(P)
Matthias Goerne(BR), Andreas Haefliger(P)

聞き手を優しく慰撫するようなゲルネの歌に引き付けられました。第2連2行目の"Wogenspiele"の"-spiele"に付けられる前打音が聞き慣れた音数より少なかったのは新全集がそうなっているのか、いつか確認してみたいと思います(装飾音の解釈の違いなのかもしれませんが)。名テノール、ヘフリガーの息子アンドレアスのピアノは1連から2連に移る間奏でいったん流れを止めていたのが興味深かったです。

●藤村実穂子(MS), ヴォルフラム・リーガー(P)
Mihoko Fujimura(MS), Wolfram Rieger(P)

藤村実穂子の磨かれた声の質感が速めのテンポ設定にもかかわらずしっとりと伝わってきます。ベテラン、リーガーもぴったり合わせていました。

●アンナ・プロハスカ(S), エリック・シュナイダー(P)
Anna Prohaska(S), Eric Schneider(P)

若手から中堅にさしかかったプロハスカは世界中の歌劇場から引く手あまたのソプラノです。声質に独自の色があって華がありますね。

●アニヤ・ハルテロス(S), ヴォルフラム・リーガー(P)
Anja Harteros(S), Wolfram Rieger(P)

ハルテロスの歌唱は円熟した彫りの深い解釈でとても魅力的でした。

●イアン・ボストリッジ(T), ジュリアス・ドレイク(P)
Ian Bostridge(T), Julius Drake(P)

若かりし頃のボストリッジの甘い美声を味わえる歌唱でした。"viele(多くの)"を繰り返す時の抑えた響きが美しかったです。

●ハインリヒ・シュルスヌス(BR), フランツ・ルップ(P)
Heinrich Schlusnus(BR), Franz Rupp(P)

1931年録音。シュルスヌスは所々音価を伸ばして甘美に歌っていました。

ちなみにエリー・アーメリング&ドルトン・ボールドウィン(Elly Ameling(S), Dalton Baldwin(P))も1983年にEtceteraレーベルにこの曲を録音しています。こちらのリンク先の11番目の矢印マークをクリックすると少しだけですが試聴できます。彼女らしい温かみのある歌唱です。

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(参考)

The LiederNet Archive

IMSLP (楽譜)

Franz von Bruchmann (Wikipedia)

Graham JohnsonによるAm See, D746の解説 (Hyperion Records)

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コメント

フランツさん、こんにちは。

シューベルトらしい繊細な美しい曲ですよね。

ゲルネの心を包みこんでくれる演奏に惹かれました。ビアノは、往年の名テノール歌手の息子さんなんですね。

プロハスは、引く手あまたの歌手なんですね。音楽雑誌を読まなくなって久しいもので、すっかり世界の歌手に疎くなってしまいました。そう思って聞くせいかリートの小宇宙におさまらないものを感じました。

ハルテロスの情感があって、シューベルトのメロディに寄り添うような歌唱、素敵でした。

シュルスヌは、プライさんのお母様が大ファンでいつもレコードを聞いていたと、プライ自伝にありました。
前記事コメントに、「プライは、シュルスヌスに似ていますね」と、書いてくださっていましたが、伸びやかにメロディを歌うところ、甘美なところ、にていますよね。
1980年代、1990年代の音楽雑誌にも、
ヒッシュ、ディースカウの系列と、シュルスス、プライの系列と、対比させた記事をよく見かけました。
ピアニストで指揮者のヴォルフガング氏が、どちらが好きかは灘の酒が好きか、秋田の酒が好きかと同じだ、と言われたとか。
何かにつけて比べられるのは、御本人たちには嬉しくなかったはでしょうが、こんなにスタイルの違う歌手が同時代に活躍してくれたのは、我々には幸せな事でしたね。

投稿: 真子 | 2024年2月22日 (木曜日) 14時40分

真子さん、こんにちは。
コメント、有難うございます!

本当に繊細で美しいですよね。あまり知られていないのですが、大好きな曲なのです(^^)

ゲルネ、いいですよね。彼の包み込むような歌唱はちょっと他に思い当たらないほどゲルネ独自の魅力ですね。

私もレコ芸が休刊になってからはあまり音楽雑誌を読まなくなったので、主にネットから情報を仕入れています。プロハスカは主にオペラで活躍されているので、私もあまり馴染みはなかったのですが、今回のこの曲も豊かな声をコントロールして歌っているように感じました。

ハルテロスはおっしゃるように情感をしっとり表現していて、特に弱声に惹きつけられました。

プライはお母さまがお好きだったシュルスヌスを小さい頃から聞いて馴染んでいたのでしょうね。持って生まれたものと環境が融合して、シュルスヌスの方向性に近い歌唱になったのかもしれません。シュルスヌスは時代もあったのでしょうが、かなり自在に歌っていますね。それを否定するのではなく、こういう時代にこういう歌唱が主流だったという記録が残っているのはとても有難いです。

サヴァリッシュがプライとディースカウをお酒にたとえたことは私もレコードの解説で読んだのを覚えています。いろんなタイプの歌唱があってこそ音楽の楽しみが広がりますから、両者と数多く共演したサヴァリッシュならではの言葉だと思いました。音楽ジャーナリズムが両者をやたらとライバル扱いしていたことへの牽制だったのかもしれませんね。

投稿: フランツ | 2024年2月23日 (金曜日) 12時11分

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