メンデルスゾーン/ヴェネツィアのゴンドラ歌(Mendelssohn: Venetianisches Gondellied, Op. 57 no. 5)を聞く
Venetianisches Gondellied, Op. 57 no. 5
ヴェネツィアのゴンドラ歌
Wenn durch die Piazetta
Die Abendluft weht,
[Dann]1 weißt du, Ninetta,
Wer wartend [hier]2 steht.
Du weißt, wer trotz Schleier
Und Maske dich kennt,
[Du weisst, wie die Sehnsucht
Im Herzen mir brennt.]3
広場を
夕風が吹きわたる時、
きみは知っている、ニネッタよ、
誰がここに立って待っているのかを。
きみは知っている、ベールと
仮面を付けていてもきみだと分かるのは誰なのかを。
きみは知っている、憧れが
ぼくの心で燃え上がっていることを。
Ein Schifferkleid trag' ich
Zur selbigen Zeit,
Und zitternd dir sag' ich:
„Das Boot [ist]4 bereit!
[O, komm'! jetzt, wo Lunen]5
Noch Wolken umziehn,
Laß durch die Lagunen,
[Geliebte]6 uns fliehn!“
船頭の服を、
同じころ僕は着て、
震えながらきみに言うんだ、
「ボートの準備は出来た!
おお おいで!さあ、月を
雲が覆うところに、
潟を抜けて
恋人よ、逃げよう!」
1 Sommer: "So"
2 Sommer: "dort"
3 Fischhof, Mendelssohn: "Du weisst, wie die Sehnsucht / Im Herzen mir brennt." ; Sommer: "Du weisst, wie die Sehnsucht / Im Herzen hier brennt." ; Original: "Wie Amor die Venus / Am Nachtfirmament."
4 Fischhof, Mendelssohn, Sommer: "ist" ; Original: "liegt"
5 Schumann: "O komm, wo den Mond"
6 Fischhof, Mendelssohn, Sommer: "Geliebte" ; Original: "Mein Leben,"
原詩:Thomas Moore (1779-1852), "When through the Piazzetta"
独訳:Ferdinand Freiligrath (1810-1876), "When through the Piazetta"
曲:Felix Mendelssohn (1809-1847), "Venetianisches Gondellied", op. 57 no. 5 (1842)
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メンデルスゾーンの「ヴェネツィアの舟歌」と言って多くの人が最初に思い浮かべるのは、ピアノ独奏のための『無言歌集(Lieder ohne Worte)』の中の数曲でしょう。私もはるか昔の記憶ですが、Op.30-6の「ヴェネツィアの舟歌」に非常に惹かれて、家の電子ピアノを弾いて物哀しい雰囲気に浸っていたものでした。
ダニエル・バレンボイムの演奏で聞いてみましょう。
Barenboim plays Mendelssohn Songs Without Words Op.30 no.6 in F sharp Minor - Venetian Gondellied
今でも全く色あせない魅力に聞き入ってしまいます。『無言歌集』の中の多くの表題はほとんどがメンデルスゾーン自身によるものではないそうですが、「ヴェネツィアの舟歌」と題された3曲(作品19-6, 30-6, 62-5)はメンデルスゾーン自身による表題なのだそうです(Wikipedia)。
メンデルスゾーンは裕福な家に生まれ、20歳で当時ほとんど忘れられていたというバッハの『マタイ受難曲』を蘇演して大成功をおさめますが、この年から数年間ヨーロッパ各地に旅行に出かけます。その時にヴェネツィアにも行き、お目当ての絵画を見たりして研鑽を深めていたのですが、ヴェネツィアの舟歌の原体験はこの時だったのではないでしょうか。『無言歌集』の3曲の「ヴェネツィアの舟歌」のいずれもが短調の哀愁こもった曲調であるというのも興味深いです(途中で長調になる場合もありますが)。
アイルランドの詩人トマス・ムーアの詩にフライリヒラートが独訳したテキストは、ゴンドラ漕ぎの男が恋人ニネッタと駆け落ちする為にゴンドラの準備を整え、ニネッタに向けて顔を隠して早く来ておくれと(心の中で)語りかけます。
メンデルスゾーンの歌曲「ヴェネツィアのゴンドラ歌(舟歌)」もピアノ曲同様短調のメランコリックな曲調が聞き手の心を一瞬でとらえます。
第1連はゴンドラを漕ぐさま(もしくは寄せては返す波の動き)を思わせるピアノ右手と付点四分音符のバス音が、聞き手をゴンドラ内の心地よい揺れ(とは言っても私は乗ったことはないですが)に誘います。2行目(Abendluft weht)と6行目(Maske dich kennt)だけ歌声部とピアノ右手が同じ音を奏でますが、それ以外の箇所は歌とピアノは別の動きをします(ゴンドラ漕ぎの歌声はゴンドラの進行にほぼ影響を与えないと示唆しているのでしょうか)。
第2連でこれまでのロ短調から平行調のニ長調に転調して、4行目までは明るい響きで曲調に変化をもたらします。テキストでは「ボートの準備が出来た」というところまでですね。
5行目"O, komm'! jetzt, wo Lunen / noch Wolken umziehn"から元の短調の響きに戻りますが、その後で"O, komm'! jetzt"を数回繰り返す際にピアノ左手のバス音が半音ずつ上がり、歌声部のsfやクレッシェンドも相まって、主人公の気持ちの高揚感が否応なく伝わってきます。
第2連が終わると、再び第1連の最初の4行分をほぼ同じメロディーで繰り返して、最後の"wartend(待ちながら)"をフェルマータで強調して、メランコリックな曲調のまま締めくくります。
6/8拍子
ロ短調(h-moll)→ニ長調(D-dur)→ロ短調(h-moll)
Allegretto non troppo
●パトリック・グラール(T), ダニエル・ハイデ(P)
Patrick Grahl(T), Daniel Heide(P)
繊細で柔らかい声のグラール、最初に聞いただけでその個性に引き込まれました。テキストの主人公はここでは決して強引ではなく、今で言う優男の印象です。ハイデは今後のリート界を背負って立つピアニストになるのではと思います。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ヴォルフガング・サヴァリシュ(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Wolfgang Sawallisch(P)
心理描写を見事に表現するF=ディースカウに脱帽です。いつもはクールなサヴァリシュが間奏でテンポをかなり落とすのが珍しく感じました。暗から明への転換を表現しているのでしょうか。
●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
人生が集約されているかのようなプライの味わい深い歌唱に胸を打たれます。
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
ディクションの美しいシュライアーで聞くと、情景がまざまざと浮かんできます。オルベルツも美しい響きです。
●ナタリ・ステュッツマン(CA), ドルトン・ボールドウィン(P)
Nathalie Stutzmann(CA), Dalton Baldwin(P)
ステュッツマンの温かみのある声が、舟歌の揺れるリズムも相まって心地よく感じられました。
●リセット・オロペサ(S), ヴラッド・イフティンカ(P)
Lisette Oropesa(S), Vlad Iftinca(P)
楽譜を見ながら聞くことが出来ます。オロペサは初めて聞きましたが、ヘンドリックスと系統が似ているように感じました。細身だけれど芯があるように感じました。
●ハンス=イェルク・マンメル(T), アルテュール・スホーンデルヴルト(Hammerklavier)
Hans-Jörg Mammel(T), Arthur Schoonderwoerd(Hammerklavier)
他の演奏よりもかなりゆっくりめのテンポでメランコリックなヴェネツィアの情景に浸っているかのようです。
●アントニー・ロルフ・ジョンソン(T), グレアム・ジョンソン(P)
Anthony Rolfe Johnson(T), Graham Johnson(P)
ロルフ・ジョンソンの爽やかな声が切ない音楽と美しく溶け合っていました。
●シューマンによる作品:ヴェネツィアの歌II, Op. 25, No. 18
Schumann: Venetianisches Lied II, Op. 25, No. 18
ブリン・ターフェル(BR), マルコム・マーティノー(P)
Bryn Terfel(BR), Malcolm Martineau(P)
シューマンはこのテキストによる歌曲を歌曲集『ミルテ(Myrthen, Op. 25)』の中に置き、メンデルスゾーンとは全く対照的な軽快で明るい曲にしています。野太い印象のターフェルの歌は船頭のイメージに合っていると思います。
●アドルフ・イェンゼンによる作品:広場を通って, Op. 50 No. 3
Adolf Jensen: Wenn durch die Piazzetta, Op. 50 No. 3
アントニー・ロルフ・ジョンソン(T), グレアム・ジョンソン(P)
Anthony Rolfe Johnson(T), Graham Johnson(P)
かなり凝った作品ですね。フランス音楽のような色彩感と茶目っ気が感じられました。歌の最後が高くあがるのは意外性があって興味深かったです。
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(参考)
Ferdinand Freiligrath (Wikipedia)
大井駿の「楽語にまつわるエトセトラ」その66
バルカローレ:ヴェネツィアのゴンドラで口ずさまれた歌をショパンらが芸術作品に!
※ゴンドラについて大変参考になるサイトがいくつかありましたのでご紹介します。
「記録庫 ・ イタリア・絵に描ける珠玉の町・村、 そしてもろもろ!」
ゴンドラ についてのあれこれを
「新・ イタリア・絵に描ける珠玉の町・村、 そしてもろもろ!」
ゴンドリエーリ・デ・ヴェネツィア ・ ゴンドラ漕ぎ その歴史と現在の姿
「イタリアの歴史解説 | 吉田・マリネッロ・マキ / Maki Yoshida Marinello」
ヴェネツィアのゴンドラとは何か
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コメント
フランツさん、こんにちは。
メランコリーという言葉がぴったりの曲ですよね。
この中ではプライさんを同じテンポで歌えるくらい聞きました。自然派歌手といわれた彼ですが、重ねた年数の分、深みもある演奏ですよね。
ちなみにこの音源が入っているこのCDはドイツロマン派歌曲の名作が詰め込まれています。ロマンチックであたたかい演奏が聞けます。
続けてディースカウさんを聞くと、言葉が音から飛び出してくるかのように感じます。
歌う詩人ですね。
シュライヤーは、時に言葉がたつときもありますがこの演奏はメロディと言葉とのバランスが絶妙でした。時に混じる吐息に感情が聞き取れました。
グラールの演奏は優男と表現されている言葉がぴったり来ますね。でもどんなに草食に見えても恋する気持ちは熱い。そう感じさせる演奏でした。
オロペサの声は、おっしゃるようにヘンドリックスに感じが似ていますね。細身ながら粘りがあり真の強い声。FFから引いていくときのピアニッシモが美しかったです。
こうして知らなかった歌手を知れるのもうれしく楽しいことです。
バレンボイムのピアノもとても美しくうっとりと聞きました。
投稿: 真子 | 2024年1月28日 (日曜日) 15時15分
真子さん、こんにちは。
コメント、有難うございます!
>メランコリーという言葉がぴったりの曲ですよね。
本当にメランコリックで美しい舟歌をメンデルスゾーンはピアノ曲と歌曲で残してくれました。
メンデルスゾーンがヴェネツィアで乗ったゴンドラの船頭さんは余程物悲しいメロディーを歌ったのでしょうか。それともゴンドラに乗った時の情景が彼の心理状況に何らかの影響を与えたのだろうかなどと想像がふくらみます。同じテキストでもシューマンははやる気持ちを軽快に明るく歌っていて、そのあまりの違いに驚かされます。
真子さんは円熟期のプライの録音を一緒に歌って聞きこまれたのですね。このころのプライの歌は私にはもう孤高の境地に達しているように感じられます。これまで繰り返し歌ってきた歌がもう血となり肉となっているとでもいいましょうか。例のDENONのドイツ歌曲集は、プライの深みのある歌でリートの歴史が次々に繰り広げられる名盤ですね。この時点でプライがこの選曲で録音を残してくれたことに感謝ですね。
ディースカウの演奏は70年代なのでまだ若さもあってすっきりした感じですね。「歌う詩人」という真子さんの形容、同感です!
シュライアーは時々歌声に表情をのせて、それが聞き手の感情を増幅してくれるのだと思います。
グラールの演奏、あらためて聞いてみましたが、おっしゃる通り優しいけれど情熱的ですね。
オロペサは本当に名前を隠して聞いたらヘンドリックスだと思ってしまいそうです。とても表情豊かで感情が伝わってくるので、いいなぁと思って聞きました。
バレンボイムはソロだけでなく歌の伴奏もよくやりますが、とても雄弁に「歌う」ピアニストですよね。「無言歌集」は全曲録音していて、クラシックを聴き始めた頃にいろいろ教えてくださった方に聞かせてもらった、私にとって思い出深い録音です。
投稿: フランツ | 2024年1月28日 (日曜日) 16時58分