ブラームス/「なんとあなたは、僕の女王よ(Wie bist du, meine Königin, Op. 32, No. 9)」を聞く
Wie bist du, meine Königin, Op. 32, No. 9
なんとあなたは、僕の女王よ
Wie bist du, meine Königin,
Durch sanfte Güte wonnevoll!
Du lächle nur, Lenzdüfte wehn
Durch mein Gemüte, wonnevoll!
なんとあなたは、僕の女王よ、
穏やかで親切な気質によって喜びに満ちていることか!
あなたが微笑むだけで、春の香りが
僕の心を吹き抜けて、喜びに溢れるのだ!
Frisch aufgeblühter Rosen Glanz,
Vergleich ich ihn dem deinigen?
Ach, über alles, was da blüht,
Ist deine Blüte wonnevoll!
咲いたばかりのバラの輝き、
それを私はあなたの輝きと比べようか。
ああ、ここに咲いているすべてにまさって
あなたという花は喜びにあふれている!
Durch tote Wüsten wandle hin,
Und grüne Schatten breiten sich,
Ob fürchterliche Schwüle dort
Ohn Ende brüte, wonnevoll!
荒涼とした砂漠を歩いて行くと、
緑の陰が広がっている、
そこではひどい蒸し暑さに
果てしなく襲われているのに、喜びに満ちている!
Laß mich vergehn in deinem Arm!
Es ist in ihm ja selbst der Tod,
Ob auch die herbste Todesqual
Die Brust durchwüte, wonnevoll!
僕をあなたの腕の中で死なせてください!
その腕の中では、死さえも、
最もつらい死の苦痛が
胸を荒れ狂っていたとしても、喜びいっぱいなのだ!
詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Hafis, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Wie bist du, meine Königin", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 9, published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann
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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の9曲目(最終曲)はハーフィズの詩のダウマー独訳による「なんとあなたは、僕の女王よ(Wie bist du, meine Königin, Op. 32, No. 9)」です。ブラームスの全歌曲の中で最もよく歌われる人気の高い作品です。
テキストは、主人公の愛する「わが女王様」(恋人をたてた呼び方とも実際に高貴な身分の女性とも解釈できると思います)がいかに喜びに満ちているかを描いています。まず穏やかな気質を褒め、次に微笑みを称え、さらに彼女の輝きはどんなバラにもまさっていて、猛烈に蒸し暑く生き物もいないような荒地でも喜びにあふれていて、あなたの腕の中では死ぬ時でさえ喜びいっぱいだと言います。Op.32の直前の2曲と異なり、分かりやすいラブソングですね。
ブラームスは、歌冒頭の3音を展開した美しい5小節のピアノ前奏で曲を始め、同じ音楽を間奏でも用います。
歌はA-A'-B-A''の変形有節形式で、死んだような荒地を歩く時の様子を描いた第3連のみ暗い影がさしますが、全体的に甘い(dolceが2回指示されます)雰囲気で進んでいきます。ピアノは歌と同音(厳密には1オクターブ上)をなぞったり、デュエットを奏でたり、歌を先取りしたりして、付いたり離れたりの塩梅がなかなか素敵です。
この曲のピアノパートの中に、1つの音の上にクレッシェンドとデクレッシェンドが付いている箇所がいくつかあります。デクレッシェンドは何もしなくても打鍵した後は減衰していくので問題ないとして、クレッシェンドはどう解釈したらよいのでしょう。一つの可能性としてはアルペッジョにしたり、左手を右手より少し先に弾くことで音数が増えることによるクレッシェンドの効果が多少出るのではないかと思われます。
ブラームスは言葉に対する音楽のつけ方が無頓着と言われがちで、実際そういう面もあるのですが、この曲の1,2,4連の各2行目冒頭を見てみましょう。
1,2連は冒頭の言葉(durch, vergleich)の前に十六分休符があり、3連(es)は休符なしでいきなり八分音符で歌うようになっています。
1連のdurchは前置詞、2連のvergleichのver-は弱音節であるのに対して、3連のesは主語(意味のない形式的な主語ですが)なので、3連は後続の音節と同じ音価(長さ)を与えているのだと思われます。ちょっとしたところにブラームスのこだわりが見えて興味深いです。
第3節のピアノパートにも興味深いところがあります。
詩行「Durch tote Wüsten wandle hin(荒涼とした砂漠を歩いて行くと)」のピアノパートは右手と左手がユニゾン(同じ音。厳密には1オクターブの関係)で進み、和音の飾りのない丸裸な音を用いることで、死んだように何もない砂漠をとぼとぼ歩く様子が浮かんでくるのではないでしょうか。
さらに「Ob fürchterliche Schwüle dort(そこではひどい蒸し暑さに)」という箇所の各小節冒頭の左手の2音が9度音程という不協和音で、そのうえsf(スフォルツァンド)で強調され、右手はシンコペーションを刻み、否が応でも蒸し暑さの不快感が増幅される仕組みになっています。
こういうブラームスの仕掛けを知るとさらに曲を聴くのが楽しくなるのではないでしょうか。
この曲は古今東西の名歌手、名伴奏者たちが多く録音していますので、下に挙げたものはあくまで一例に過ぎません。他にも優れた録音があると思いますので、動画サイトや音楽アプリ、CDなどで聞いてみるのもいいかもしれません。
3/8拍子
変ホ長調(Es-Dur)
Adagio
●ズィークフリート・ローレンツ(BR), ヘルベルト・カリガ(P)
Siegfried Lorenz(BR), Herbert Kaliga(P)
なんと柔らかい声!!ローレンツが1970年にブダペストのコンクールに出場した時の録音らしいです。彼は後にシェトラーと素晴らしいブラームス歌曲集の録音をリリースし、そこでの演奏も素晴らしいですが、初期のこの若々しい声はこの作品の"wonnevoll(喜びに満ちた)"を見事に表現していると思います。
●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
プライのこの温かい美声で聞いてしまうと、彼のために書かれた曲のように思えてきます。最終節の"wonnevoll"のソットヴォーチェをお聞き逃しなく!ホカンソンが実に美しく歌っているのも聞きものです。
●ハンス・ホッター(BSBR), ジェラルド・ムーア(P)
Hans Hotter(BSBR), Gerald Moore(P)
ホッターの歌は本当に「喜び」があふれ出している名唱です!!ムーアは滴がしたたり落ちるような美しい音で、聞きほれます。このコンビのブラームス歌曲集(EMI)は以前から高く評価されてきましたので、おすすめです。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ヘルタ・クルスト(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hertha Klust(P)
ディースカウ初期の甘美な歌が聞けます。
●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)
グリモーが思い入れ強めにテンポを揺らし、両手のタイミングの意図的なずらし(歌曲ピアニストがよく用いる手法)で彩る中、クリンメルは若いつやのある声で爽やかに歌っていて、両者の持ち味の違いがいい方向にいっていたと思います。
●ミヒャエル・フォレ(BR), カール=ペーター・カンマーランダー(P)
Michael Volle(BR), Karl-Peter Kammerlander(P)
フォレは深みと爽快さの両方を併せ持った声をしていて、惹きつけられました。
●テオ・アーダム(BS), ルドルフ・ドゥンケル(P)
Theo Adam(BR), Rudolf Dunckel(P)
アーダムは気品ある実直な歌いぶりが真に感動的で、リート歌手として再評価されてほしい歌手の一人です。ドゥンケルとも長年の共演で見事なアンサンブルを聞かせてくれます。
●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)
クヴァストホフの律儀な歌いぶりがツァイエンの丁寧なサポートと共にこの主人公によく合っているように感じました。
●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)
抑制した表現を聞かせるゲルネは静かな情熱を秘めた歌唱と感じました。エッシェンバハも響きが美しかったです。
●ラファエル・フィンガーロス(BR), サーシャ・エル・ムイスィ(P)
Rafael Fingerlos(BR), Sascha El Mouissi(P)
2023年5月21日Gmundenでのライヴ映像とのことです。演奏する姿を見ながら聞くと、この詩と音楽が訴えかけてくる力の強さをさらにまざまざと感じます。両者ともいい演奏でした。
●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)
ヒュッシュは真摯な歌ですね。ドイツ語のディクションの格調の高さも素晴らしいです。
●ハインリヒ・シュルスヌス(BR), ゼバスティアン・ペシュコ(P)
Heinrich Schlusnus(BR), Sebastian Peschko(P)
シュルスヌスの流麗な歌は、魔術的です。
●ロッテ・レーマン(S), ポール・ウラノウスキー(P)
Lotte Lehmann(S), Paul Ulanowsky(P)
感情豊かなレーマンの歌は"wonnevoll"のポルタメントに彼女らしさがよくあらわれていました。
●フランツ・シュタイナー(BR), ピアニスト名不詳
Franz Steiner(BR), unidentified pianist
1911年録音。ピアニストの名前が記載されない時代の録音。この時代の演奏様式を知る意味でも貴重な録音だと思います。伸縮自在でのめり込むような歌ですね。
●ピアノパートのみ(piano: Mariya Broytman)
Johannes Brahms, Wie bist du, meine Königin, E flat major, Piano Accompaniment, no voice (piano: Mariya Broytman)
Channel名:accompaniment piano(元のサイトはこちら:リンク先は音が出ますので注意!)
ピアノパートにテキストの内容をいかに反映させているかが分かります。
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(参考)
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コメント
Franzさん、こんにちは。
マイパソコンをかいました。設定してもらいたてのほやほやです。
書き込みするには画面が大きい方が楽ですね。
年々目がショボショボします。
さて、とても甘い曲ですよね。
ローレンツの声もいいですね。
プライさんんはコクのある甘い声でこのような曲を聴くとうっとりします。しかし、声にパワーもあるので表現の幅が広いなといつも感じます。
久しぶりのパソコンキー打ちでちょっと緊張しています。
一度送信しますね。
投稿: 真子 | 2023年12月 5日 (火曜日) 15時44分
真子さん、こんばんは!
パソコン買われたんですね。画面が大きいと同じ動画を見ても細かいところまで見られていいですよね。
私は指が太いので、スマホよりパソコンの方が入力は楽なんです。真子さんもすぐに慣れるといいですね。
曲のご感想有難うございます。
本当にとろけるように甘い曲ですよね。途中で死の影が顔を覗かせますが、最後には甘美な音楽で死でさえ喜びいっぱいと歌われます。
ローレンツすごくいいですよね!一時期ディースカウ、プライ世代の後継者として名前が挙がり、多くの録音も残したのですが、日本ではあまり知られないままでした。先輩たちの個性があまりにも強すぎて、ローレンツの爽やかな美質も霞んでしまったのでしょうか。今改めて聴くととても良いなぁと思いいろいろ聞いているところです。
プライは確かに持ち前の甘い美声と豊かにほとばしる声の厚みで他の誰とも異なる魅力を発していますね。豊かな声を持っているからこそプライの弱声はぐっと引き寄せられるのだと思います。
新しいパソコン楽しんで下さいね!
投稿: フランツ | 2023年12月 5日 (火曜日) 19時45分
フランツさん、こんにちは。
ローレンツの声本当にいいですね。
爽やかで、ずっと聞いていたくなります。
>ディースカウ、プライ世代の後継者として名前が挙がり、多くの録音も残したのですが、
それは知らなかったです。
日本でももっと知られて欲しかった歌手ですね。
それでもこうして聴くことができるのは幸せです。
スマホは打ち間違いが独特になりますよね。スマホあるあるみたいな(笑)
動画はやはり大きい方がいいですし、うまく使い分けられればと思います。
スマホのSDカードから、パソコンに写真を取り込む作業をしてみたのですが、参考書通りの表示がパソコン画面に出てこず苦戦しております。
ぼちぼちやってみます。
投稿: 真子 | 2023年12月 6日 (水曜日) 15時24分
真子さん、こんばんは。
真子さんにもローレンツを気に入っていただけて良かったです。
彼はシューベルトの歌曲を詩人ごとに録音する等知的な印象がありますが、歌声は爽やかで、すっと聞き手のふところに入ってくる気がします。
私の知る限りでは日本で歌曲のリサイタルを開いたことはなかったように思います。オペラではベックメッサーを歌っているのをTVで見た記憶があります(プライもベックメッサー歌っていましたね)。
> スマホのSDカードから、パソコンに写真を取り込む作業をしてみたのですが、参考書通りの表示がパソコン画面に出てこず苦戦しております。
真子さん、新しいPCを活用しておられますね。PCは機種やOS(Windowsなど)によって画面が異なるので、説明書通りに進まないことありますよね。もし分からないことが出てきたらサポートセンターに電話するのでもいいのですが、ネットで検索すると一般の人が分かりやすく説明してくれていたりするのでお勧めです。
投稿: フランツ | 2023年12月 6日 (水曜日) 22時55分