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ブラームス/「打ち勝ちがたい(Unüberwindlich, Op. 72/5)」を聞く

Unüberwindlich, Op. 72/5
 打ち勝ちがたい

Hab' ich tausendmal geschworen
Dieser Flasche nicht zu trauen,
Bin ich doch wie neugeboren,
Läßt mein Schenke fern sie schauen.
 私は千回も誓った、
 この酒瓶を信用しないと、
 だが私は生まれたばかりのようになってしまう、
 私の酌人が遠くから瓶を見せてくると。

Alles ist an ihr zu loben,
Glaskristall und Purpurwein;
Wird der Propf herausgehoben,
Sie ist leer und ich nicht mein.
 すべては酒瓶をほめたたえるためのもの、
 クリスタルガラスに深紅のワイン、
 栓が抜かれると、
 瓶は空になり、私は自分を見失ってしまう。

Hab' ich tausendmal geschworen,
Dieser Falschen nicht zu trauen,
Und doch bin ich neugeboren,
Läßt sie sich ins Auge schauen.
 私は千回も誓った、
 この不実な女を信用しないと、
 だが私は生まれたての赤子になってしまう、
 この不実な女が目に入ると。

Mag sie doch mit mir verfahren,
Wie's dem stärksten Mann geschah.
Deine Scher' in meinen Haaren,
Allerliebste Delila!
 私に振る舞うというのならそうすればいい、
 最強の男の身にふりかかったように。
 おまえのはさみを私の髪に入れればいいさ、
 最愛のデリラよ!

詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), "Unüberwindlich", first published 1860
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Unüberwindlich", op. 72 (Fünf Gesänge) no. 5 (1875), published 1877 [voice and piano], Berlin, Simrock

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ブラームスの歌曲はともすると晦渋でとっつきにくいと思われがちですが、この曲を聴けば考えが変わるかもしれません。
ゲーテのテキストによる「打ち勝ちがたい(Unüberwindlich, Op. 72/5)」は、酒と女を断とうと誓ったのに結局その誘惑に打ち勝てなかった男の告白がユーモラスに描かれています。

ゲーテは、旧約聖書の士師記13章〜16章に登場するサムソンの話に関心を持っていて、ヘンデルのオラトリオ『サムソン』も知っていたということです(HyperionレーベルのGraham Johnsonによる解説による:リンクをクリックすると解説書のPDFがダウンロードされます。この曲の解説は22~23ページです)。この詩の最後にデリラ(Delila)という女性の名前が出てきますが、彼女はサムソンの妻で、第4連2行目の最強の男(dem stärksten Mann)であるサムソンの弱点が髪にあることを本人から聞き、寝ている間に髪を剃り、ペリシテ人に売り渡すという聖書の記述に基づいています(サン=サーンスのオペラ『サムソンとデリラ(Samson et Dalila)』ではその話が描かれています)。この詩の第4連3行目「私の髪におまえのはさみを入れればいいさ(Deine Scher' in meinen Haaren)」というのは、弱点をさらして彼女の誘惑に逆らう心を自ら差し出してしまうわけですね。酒と女に打ち勝つと千回(tausendmal)も誓ったのに結局その沼から抜け出す気持ちは毛頭ないということが分かります。

ブラームスはこの歌曲を1875/6にヴィーンで作曲し、作品72の5曲目として1877年7/8月に出版されました。

ピアノの前奏の冒頭左手パートに「D.Scarlatti」と記載されていますが、ブラームスはこの箇所にドメニコ・スカルラッティのソナタ ニ長調, K. 223, L. 214(Sonata in D major, K. 223, L. 214)の冒頭を移調して引用しています。

ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ ニ長調, K. 223, L. 214(冒頭)

Scarlatti-sonata-k-223 

歌の冒頭も、スカルラッティの冒頭9音分の上下を再現しています(隣り合った音の音程は完全に同じではないですが、上下関係は一緒です)。
Unuberwindlich 

スカルラッティのソナタでは、この部分は冒頭にしかあらわれないのに対して、ブラームスはピアノ前奏、歌の冒頭と、さらに第2連、第4連の3行目でも引用し、しかも歌の冒頭箇所と違い、第2連、第4連の歌声部は隣り合った音の音程関係もスカルラッティの引用元と一致しています。何故この曲を引用したかについては分かりませんでした。ブラームスのお気に入りだったのでしょうか。
Photo_20231217151101 

曲の形式はA-B-A'-Bで、A'は前半がAの前半と異なり(後半2行はほぼ一緒です)、後半はAと一緒です。A'の直前のピアノパートに突然現れる左手バス音2つは、私の印象では裁判官が「静粛に」と言いながら打つ木槌のように感じました。

アッラ・ブレーヴェ (2/2拍子)
イ長調(A-dur)
Vivace

●ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ ニ長調, K. 223, L. 214
Domenico Scarlatti: Sonata in D major, K. 223, L. 214
スコット・ロス(Harpsichord)
Scott Ross(Harpsichord)

引用元のD.スカルラッティのソナタを聞いてみましょう。早世したスコット・ロスはD.スカルラッティの膨大な鍵盤楽器作品の全集を残しています。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

歌、ピアノともにただただ脱帽の超名演!3連2行目の"Falschen(不実な女)"のディースカウの歌いぶりに注目してほしいです。

●テオ・アーダム(BR), ルドルフ・ドゥンケル(P)
Theo Adam(BR), Rudolf Dunckel(P)

アーダムのきっちりした持ち味と詩・曲のコミカルな要素が混ざり合い、ユニークな味わいを醸し出しています。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは豊かな響きで曲のコミカルさを自然に表現していたと思います。

●アンドレアス・シュミット(BR), ヘルムート・ドイチュ(P)
Andreas Schmidt(BR), Helmut Deutsch(P)

シュミットは真面目なキャラクターでまっすぐ表現しています。ドイチュの雄弁なピアノが素晴らしいです。

●マック・ハレル(BR), ブルックス・スミス(P)
Mack Harrell(BR), Brooks Smith(P)

マック・ハレル(1909-1960)は米国の往年のバリトン歌手で、私は初めて聞きましたがなかなかいいですね。J.ハイフェッツやR.リッチなど楽器奏者との共演のイメージが強いブルックス・スミスが歌手と共演した貴重な録音です。

●ジュリア・ブライアン(CA), ノエル・リー(P)
Julia Brian(CA), Noël Lee(P)

2004年録音。この曲の女声による歌唱は珍しいと思います。故ノエル・リーはソロも器楽アンサンブルも歌曲も満遍なく演奏するオールラウンダーでした。

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(参考)

The LiederNet Archive

IMSLP (楽譜)

IMSLP:Keyboard Sonata in D major, K.223 (Scarlatti, Domenico)

Hyoerion Records: The Complete Songs, Vol. 6 - Ian Bostridge

Hyoerion Records: グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)の解説書(PDFファイル)

サムソン(Wikipedia)

デリラ(Wikipedia)

サムソン (ヘンデル)(Wikipedia)

サムソンとデリラ (オペラ)(Wikipedia):サン=サーンスのオペラ

士師記(Wikipedia)

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