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ブラームス/「辛辣なことを言ってやろうときみは思っている(Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7)」を聞く

Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7
 辛辣なことを言ってやろうときみは思っている

Bitteres zu sagen denkst du;
Aber nun und nimmer kränkst du,
Ob du noch so böse bist.
Deine herben Redetaten
Scheitern an korall'ner Klippe,
Werden all zu reinen Gnaden,
Denn sie müssen, um zu schaden,
Schiffen über eine Lippe,
Die die Süße selber ist.
 辛辣なことを言ってやろうときみは思っている、
 でもきみが傷つけることなど今後絶対に出来ない、
 きみがまだ腹を立てていたとしても。
 きみの容赦ない言葉攻めは
 サンゴの岩礁で座礁してしまうだろう、
 みな清らかな好意に変わってしまうのだ、
 なぜなら、傷つけようとするには
 甘美さそのものである唇を通って
 言葉が渡航しなければならないのだから。

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Hafis, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Bitteres zu sagen denkst du", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 7 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の7曲目はハーフィズの詩のダウマー独訳による「辛辣なことを言ってやろうときみは思っている(Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7)」です。これまでOp.32の最初の6曲はどれも重々しく深刻な作品ばかりでしたので、第7曲で突然雲が晴れたかのように穏やかなラブソングになり、聞き手もほっと一息つけるのではないかと思います。

ダウマーのテキストは、君が私に腹を立てて辛辣な言葉を発しようとしているけれど、それで私を傷つけることなど出来ない、なぜなら君の唇は甘美さそのものなので、言葉が唇を通ると好意に変わってしまうから、という何とも微笑ましい内容になっています。相手に何を言われてもすべて愛の言葉に変換してしまえる超プラス思考な主人公なのか、それとも罵詈雑言を言われれば言われるほど嬉しくなるマゾヒスティックな性向の持ち主なのか、ひどいことを言われても相手と一緒にいるだけで嬉しくなってしまうとびきり大きな寛容さをもっているのか、それともお相手が文句を言おうとしても唇を通って発する時に本当に優しい言葉になってしまうのか、いずれにせよ、この主人公が相手の唇を「甘美さそのもの(die Süße selber)」と言ってしまえるほどにべた惚れなのかもしれませんね。もう一つ、このテキストを相手の前で言って、怒っている相手のご機嫌をとろうとしている可能性もありますが、ブラームスの音楽を聞く限り、ブラームスはこの主人公と相手の関係は極めて良好だと解釈したように思われます。ピアノパートにも「dolce(甘く)」という指示が3回も出てくるくらいですから、恋人同士ののろけ話とブラームスはとらえたのかもしれませんね。

ピアノパートの右手高音はほぼ歌声部の旋律をなぞり、左手の八分音符のリズムと高低の動きも前奏1小節目の形をほぼ全体にわたって使っています。

Bitteres-zu-sagen

C (4/4拍子)
ヘ長調(F-Dur)
Con moto, espressivo ma grazioso (動きをつけて、表情豊かに、だが優美に)

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

クリンメルの甘い美声は、この主人公のイメージによく合っているように感じました。

●ヤンニク・デーブス(BR), ヤン・シュルツ(Fortepiano)
Yannick Debus(BR), Jan Schultsz(Fortepiano)

デーブスの歌は優しさと強さの両面を感じさせます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは声の色合いが魅力的で、こういう穏やかな作品に向いているように思います。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネの包容力のある声で、相手をしっかり包み込んであげたかのようです。

●レネケ・ライテン(S), ハンス・アドルフセン(P)
Lenneke Ruiten(S), Hans Adolfsen(P)

アーメリング門下のオランダのソプラノ、ライテンはオペラ、リートともに活躍しています。その清楚な歌声はクリスティーネ・シェーファーを思い起こさせます。このテキストは代名詞で性が特定されていないので、男女どちらでも歌えます。相手の機嫌をとるのに慣れている風な穏やかな歌いぶりでした。

●エリーザベト・シューマン(S), レオ・ローゼネク(P)
Elisabeth Schumann(S), Leo Rosenek(P)

しっとりと味わい深く歌うシューマンの歌唱からは、相手とじっくり向き合っていつのまにか相手の機嫌が直ってしまったような印象を受けました。

●ロッテ・レーマン(S), パウル・ウラノフスキー(P)
Lotte Lehmann(S), Paul Ulanowsky(P)

ポルタメントを使ったロッテ・レーマンの歌は、年下の彼氏に向けて大人の余裕で機嫌を直してしまったかのようです。

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(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

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コメント

フランツさん、こんにちは。

なんとも面白い(と言っていいかわかりませんが)詩ですね。
強い恋心で、花も嵐も踏み越えているのでしょうか。
私なら、きつい言葉をかけられるくらいなら、もう近くには寄れません(笑)

メロディはしっとりと甘いですね。訳を見なければ、まさかこんな歌詞だとは思えないです。

ライテンはアメリングのお弟子さんなんですね。爽やかな美声ですね。
いい意味でクセがないから、ずっと聞いていられます。

レーマンの演奏は、確かにあんたが何を言ってもこたえないわよ、かわいい坊や。とでも言っているかのようですね。

シューマンの演奏とでは、詩の解釈すら変わってしまいそうです。

投稿: 真子 | 2023年11月28日 (火曜日) 15時06分

真子さん、こんばんは。
コメント有難うございます。
野球の余韻から落ち着かれた頃でしょうか。

> なんとも面白い(と言っていいかわかりませんが)詩ですね。

そうですよね。ダウマーというドイツの詩人がハーフィズというペルシャの詩人に因んだ詩集を編み、Op.32のいくつかのテキストはそこに由来しているのですが、この詩もハーフィズの詩に触発された内容なのだと思います。

> 私なら、きつい言葉をかけられるくらいなら、もう近くには寄れません(笑)

全く同感です(笑)言霊というものがあると思うので、私もきつい言葉にはなるべく接したくないです。

ブラームスはこの詩から甘い音楽を作りましたが、クラーラとの関係もこんな感じだったのかなとつい思ってしまいます。

ライテンは綺麗な声ですよね。芯もありますし。アーメリングも彼女を高く評価しているようです。

レーマンは包容力をもって怒っている恋人を上手に宥めている感じがしますね。

レーマンと同世代のシューマンが見事にレーマンとは異なる解釈で聞かせてくれるのが興味深いですね。お互いを意識せざるを得ない関係だったのかもしれません。

投稿: フランツ | 2023年11月28日 (火曜日) 23時31分

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