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ブラームス/「こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は(So stehn wir, ich und meine Weide, Op. 32, No. 8)」を聞く

So stehn wir, ich und meine Weide, Op. 32, No. 8
 こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は

So stehn wir, ich und meine Weide,
So leider miteinander beide.
 こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は、
 残念なことに二人一緒に。

Nie kann ich ihr was tun zu Liebe,
Nie kann sie mir was tun zu Leide.
 僕は彼女を愛してあげることが出来ず、
 彼女は僕を苦しめることが出来ない。

Sie kränket es, wenn ich die Stirn ihr
Mit einem Diadem bekleide;
 彼女は気分を害するんだ、僕が彼女の額に
 ダイアデム冠をかぶせると。

Ich danke selbst, wie für ein Lächeln
Der Huld, für ihre Zornbescheide.
 僕は、好意の微笑みを向けられた時と同じように、
 彼女が怒りをあらわしてくれることにすら感謝している。

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Hafis, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "So stehn wir, ich und meine Weide", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 8 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の8曲目はハーフィズの詩のダウマー独訳による「こうして僕らは立っている、僕と僕の喜びである彼女は(So stehn wir, ich und meine Weide, Op. 32, No. 8)」です。この曲も第7曲と同じ系統で、テキストは気まずい瞬間の恋人同士のようですが、音楽は穏やかな愛の歌です。慎ましやかに始まり、消え入るように終わるこの曲はリートを聞く醍醐味を味わわせてくれると思います。

この詩の主人公は「僕の喜び(meine Weide)」である彼女と一緒に立っています。それならば一緒にいられて嬉しいはずなのに「残念なことに(leider)」という副詞が添えられています。何が残念なのかというと、主人公は彼女を怒らせてしまったようなのです。僕は彼女に愛を示してあげたいのにそう受け取ってもらえず、一方で彼女は僕を苦しめてやりたいと思っているのに、僕にとってはちっとも苦しみではないという状況です。彼女が怒った原因は主人公が彼女にダイアデムと呼ばれるヘッドバンド(冠)をかぶせようとしたことにあるようです。本当に怒っているのか、単なる恋人同士の戯れなのかは詩を読む人に任されているのでしょうが、少なくともブラームスは後者と判断したと思います。そうでなければ、こんなに甘い恋の歌になるはずがないからです。主人公は「好意の微笑み」と同様に「怒りの通知」にも感謝すると述べています。怒っているということをはっきり示してくれるのは主人公にとっては有難いのですね。締めに冒頭の「二人一緒に(miteinander beide)」が繰り返されるのですが、"dolce poc a poco(少しずつ甘く)"という指示があり、ブラームスはここからピアノ後奏までで二人が仲直りをしたことを暗示しているかのようです。

ピアノパート右手の休符で始まる三連符は常に上行の動きで、心臓の鼓動のようにも聞こえます。特に第4連で「彼女が怒りをあらわしてくれる(ihre Zornbescheide)」と歌った後に休符後の2つの音がオクターブにまで広がり、鼓動が激しくなっている様が反映されているような気がしました。

Ex-1 
Ex-2

一方ピアノの左手は、歌の冒頭2小節の下降音型に由来してたびたび現れますが、特に曲の締めくくり箇所から後奏にかけては一貫して使われています。

曲の冒頭
Ex-3 

曲の最後
Ex-4 

アッラ・ブレーヴェ (2/2拍子)
変イ長調(As-Dur)
In gehender Bewegung (歩く動きで)

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

クリンメルの穏やかな歌はこの主人公が実は悩んでいるわけではないことを示しているかのようです。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネの包み込むような歌できっとお相手の機嫌も直ってしまったことでしょう。

●インゲボルク・ダンツ(MS), ヘルムート・ドイチュ(P)
Ingeborg Danz(MS), Helmut Deutsch(P)

ダンツの温かみのある歌唱とドイチュの細やかなピアノが心地よい雰囲気を醸し出していました。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

感情表現のきめ細やかさがさすがディースカウと言うほかないです。

●アンドレアス・シュミット(BR), ヘルムート・ドイチュ(P)
Andreas Schmidt(BR), Helmut Deutsch(P)

シュミットのまっすぐな歌いぶりは、こういう曲にとても合っていました。

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(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

Wikipedia (ダイアデム (冠)) (日本語)

Wikipedia (Diadem) (独語)

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ブラームス/「辛辣なことを言ってやろうときみは思っている(Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7)」を聞く

Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7
 辛辣なことを言ってやろうときみは思っている

Bitteres zu sagen denkst du;
Aber nun und nimmer kränkst du,
Ob du noch so böse bist.
Deine herben Redetaten
Scheitern an korall'ner Klippe,
Werden all zu reinen Gnaden,
Denn sie müssen, um zu schaden,
Schiffen über eine Lippe,
Die die Süße selber ist.
 辛辣なことを言ってやろうときみは思っている、
 でもきみが傷つけることなど今後絶対に出来ない、
 きみがまだ腹を立てていたとしても。
 きみの容赦ない言葉攻めは
 サンゴの岩礁で座礁してしまうだろう、
 みな清らかな好意に変わってしまうのだ、
 なぜなら、傷つけようとするには
 甘美さそのものである唇を通って
 言葉が渡航しなければならないのだから。

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Hafis, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Bitteres zu sagen denkst du", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 7 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の7曲目はハーフィズの詩のダウマー独訳による「辛辣なことを言ってやろうときみは思っている(Bitteres zu sagen denkst du, Op. 32, No. 7)」です。これまでOp.32の最初の6曲はどれも重々しく深刻な作品ばかりでしたので、第7曲で突然雲が晴れたかのように穏やかなラブソングになり、聞き手もほっと一息つけるのではないかと思います。

ダウマーのテキストは、君が私に腹を立てて辛辣な言葉を発しようとしているけれど、それで私を傷つけることなど出来ない、なぜなら君の唇は甘美さそのものなので、言葉が唇を通ると好意に変わってしまうから、という何とも微笑ましい内容になっています。相手に何を言われてもすべて愛の言葉に変換してしまえる超プラス思考な主人公なのか、それとも罵詈雑言を言われれば言われるほど嬉しくなるマゾヒスティックな性向の持ち主なのか、ひどいことを言われても相手と一緒にいるだけで嬉しくなってしまうとびきり大きな寛容さをもっているのか、それともお相手が文句を言おうとしても唇を通って発する時に本当に優しい言葉になってしまうのか、いずれにせよ、この主人公が相手の唇を「甘美さそのもの(die Süße selber)」と言ってしまえるほどにべた惚れなのかもしれませんね。もう一つ、このテキストを相手の前で言って、怒っている相手のご機嫌をとろうとしている可能性もありますが、ブラームスの音楽を聞く限り、ブラームスはこの主人公と相手の関係は極めて良好だと解釈したように思われます。ピアノパートにも「dolce(甘く)」という指示が3回も出てくるくらいですから、恋人同士ののろけ話とブラームスはとらえたのかもしれませんね。

ピアノパートの右手高音はほぼ歌声部の旋律をなぞり、左手の八分音符のリズムと高低の動きも前奏1小節目の形をほぼ全体にわたって使っています。

Bitteres-zu-sagen

C (4/4拍子)
ヘ長調(F-Dur)
Con moto, espressivo ma grazioso (動きをつけて、表情豊かに、だが優美に)

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

クリンメルの甘い美声は、この主人公のイメージによく合っているように感じました。

●ヤンニク・デーブス(BR), ヤン・シュルツ(Fortepiano)
Yannick Debus(BR), Jan Schultsz(Fortepiano)

デーブスの歌は優しさと強さの両面を感じさせます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは声の色合いが魅力的で、こういう穏やかな作品に向いているように思います。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネの包容力のある声で、相手をしっかり包み込んであげたかのようです。

●レネケ・ライテン(S), ハンス・アドルフセン(P)
Lenneke Ruiten(S), Hans Adolfsen(P)

アーメリング門下のオランダのソプラノ、ライテンはオペラ、リートともに活躍しています。その清楚な歌声はクリスティーネ・シェーファーを思い起こさせます。このテキストは代名詞で性が特定されていないので、男女どちらでも歌えます。相手の機嫌をとるのに慣れている風な穏やかな歌いぶりでした。

●エリーザベト・シューマン(S), レオ・ローゼネク(P)
Elisabeth Schumann(S), Leo Rosenek(P)

しっとりと味わい深く歌うシューマンの歌唱からは、相手とじっくり向き合っていつのまにか相手の機嫌が直ってしまったような印象を受けました。

●ロッテ・レーマン(S), パウル・ウラノフスキー(P)
Lotte Lehmann(S), Paul Ulanowsky(P)

ポルタメントを使ったロッテ・レーマンの歌は、年下の彼氏に向けて大人の余裕で機嫌を直してしまったかのようです。

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(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

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ブラームス/「きみは言う、僕が思い違いをしていたと(Du sprichst, daß ich mich täuschte, Op. 32, No. 6)」を聞く

Du sprichst, daß ich mich täuschte, Op. 32, No. 6
 きみは言う、僕が思い違いをしていたと

Du sprichst, daß ich mich täuschte,
Beschworst es hoch und hehr,
Ich weiß ja doch, du liebtest,
Allein du liebst nicht mehr!
 きみは言う、僕が思い違いをしていたと
 きみは神かけてそう誓った、
 きみが僕を愛していたことは僕も知っている、
 だが、今はもうきみは愛していないのだ!

Dein schönes Auge brannte,
Die Küsse brannten sehr,
Du liebtest mich, bekenn es,
Allein du liebst nicht mehr!
 きみの美しい瞳は輝いていて、
 キスはとても燃え盛っていた、
 きみが僕を愛していたことは認めるよ、
 だが、今はもうきみは愛していないのだ!

Ich zähle nicht auf neue,
Getreue Wiederkehr;
Gesteh nur, daß du liebtest,
Und liebe mich nicht mehr!
 私は当てにしていない、あらためて
 誠実に戻って来るなどということを、
 白状しておくれ、きみはかつては愛していたが、
 今はもう僕を愛していないと!

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), no title, appears in Lieder und Romanzen, first published 1819
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Du sprichst, daß ich mich täuschte", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 6 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の6曲目はプラーテンのテキストによる「きみは言う、僕が思い違いをしていたと(Du sprichst, daß ich mich täuschte, Op. 32, No. 6)」です。

詩のリズムは弱強格(Jambus)で統一されています。ブラームスも詩のリズムに則った旋律を付けています。

主人公の恋人が昔は確かに私のことを愛していて瞳は輝き、キスも情熱的だったが、今はもう愛していないことを知っている、白状してほしいと相手に詰め寄ります。

「愛する」の過去形(du liebtest)と現在形(du liebst)の違いによって、以前は愛してくれていたのに、今はもう愛していないよね、知っているよ、と言っているわけです。
おそらくそれは事実なのでしょう。相手は否定しているのか、もしくは答えを曖昧に濁している様子です。一方で主人公は相手が今でも本当に愛していると言ってくれることを期待しているという一面も否定できないのではないでしょうか。

ブラームスの曲は変形有節形式と言ってもよさそうです。基本的に第1連の音楽が他の連でも核になっていますが、それぞれ展開していきます。第2連の最初の2行で過去の甘い思い出を語りますが、ここでは長調の響きになります。その後、すぐに短調に戻り、主人公の深刻な心情が描かれます。第3連は最終行の詩行(きみはもう愛していない)を繰り返し、歌は解決しないまま終わり、ピアノが短い後奏でクライマックスを築き「f(フォルテ)」のまま終わります。最後の右手は単音を「f」で弾くことになり、和音で飾り立てないむき出しの感情がここで表現されているように思います。最後はハ短調の主和音で終わると思いきや4小節ほど前から「ド」の音にナチュラルが付けられていて(変ホ→ホ:Es→E)、長和音で終わることになります。最後の和音だけというわけではなく、数小節にわたってドがナチュラルで半音上がっているのですが、明るい希望は一切見えず、鬱屈した感情のまま終了します。最後の小節の2番目の音はハ音(C)とニ音(D)の短2度がぶつかり、緊張感を印象づけます。
この短い後奏でどれほどのドラマを表現するかはピアニストにかかっていると思います。

ピアノパートは少なくない箇所で拍を休符で始めているのが印象的です(下の譜例赤枠)。かつて愛し合った恋人を前にして多少の躊躇を感じながら気持ちを伝えようとしているのかもしれません。前奏から歌の箇所を経て、間奏、後奏に至るまで執拗にピアノパートに現れる三連符は、主人公の心の中から消えない執着心のようなものを私はイメージしました。

Du-sprichst 

前奏や間奏の左手バス音はハ短調の根音のCの音を保続しています。相手が自分を愛していないという確信が揺るぎないものである様を表現しているのでしょうか。

前奏
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第1連
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第2連
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第3連
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後奏
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C (4/4拍子)
ハ短調(c-moll)
Andante con moto

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

若かりし頃のディースカウの甘い声で歌われる恨み節も素晴らしいです。

●クリスティアン・エルスナー(T), ブルクハルト・ケーリング(P)
Christian Elsner(T), Burkhard Kehring(P)

深みを増したテノールのエルスナーの低声部まで充実した響きに魅せられました。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

クリンメルのつややかで若さあふれる美声が主人公の一途な様を彷彿とさせ、グリモーの熟したピアノが内面の激情を強く表現しています。

●ヤニナ・ベヒレ(MS), マルクス・ハドゥラ(P)
Janina Baechle(MS), Markus Hadulla(P)

ベヒレは細やかな情感表現を素晴らしく聞かせてくれて感動的でした。

●ジュリー・カウフマン(S), ドナルド・サルゼン(P)
Julie Kaufmann(S), Donald Sulzen(P)

原調による演奏。普段低く移調した演奏で聞き慣れている為、とても新鮮でした。女声が歌っても内容的に全く問題ないと思います。

●サイモン・ウォルフィッシュ(BR), エドワード・ラッシュトン(P)
Simon Wallfisch(BR), Edward Rushton(P)

ウォルフィッシュは高音で痛々しいほど生の感情をむき出しにして聞き手を主人公の内面に引きずりこみます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは例えば第2連のクライマックスの"liebst"をあえて柔らかく歌うことで、主人公の意固地になっていた気持ちの中の迷いを表現していたように感じました。ツァイエンは雄弁な演奏でした。

●ローマン・トレーケル(BR), オリヴァー・ポール(P)
Roman Trekel(BR), Oliver Pohl(P)

リートの名手トレーケルは、各連のクライマックスでテンポを速め、全体の設計を違和感なく構築していました。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

プレガルディアンはさすがにスタイリッシュな魅力がありますね。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネは思いつめたように引きずって歌っています。エッシェンバハは後奏の最後の1音までフォルテを貫いていて効果的でした。

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(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

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エリー・アーメリングの歌うモーツァルトのコンサートアリア2曲のライヴ音源(1968年1月23日, アムステルダム)

エリー・アーメリング(Elly Ameling)の歌うモーツァルトのコンサートアリア2曲のライヴ音源が動画サイトにアップされていました。

ELLY AMELING sings MOZART, LIVE 1968
https://www.youtube.com/watch?v=NVU47CAeyIs

Channel: opera nostalgia
https://www.youtube.com/@operanostalgia3820
Thank you, meneer Rudi van den Bulck!

ELLY AMELING, Dutch soprano
Amsterdam 23 January 1968
Cond. Zdenek MACAL
1. Voi avete un cor fedele, KV 217 (アリア「あなたの心は今は私に」)
2. Basta vincesti! KV 486 (レチタティーヴォ「もういいの、あなたの勝ちです」…アリア「ああ、捨てないでください」) 7:05-

ここで指揮をしているズデニェク・マーツァル(Zdeněk Mácal)氏はつい先日、10月25日に87歳でお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
アーメリングとは複数回コンサートで共演していたようです。
ちなみにオーケストラの名前が動画サイトの概要欄に掲載されていなかったのですが、動画の途中に出演者の説明と推測される文献が表示され、そこにはRadio Filharmonisch Orkestと記載されていたので、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の可能性があります。

1969年8月にレイモンド・レッパード指揮イギリス室内管弦楽団とPhilipsレーベルにこの2曲を含むモーツァルトの声楽曲集をスタジオ録音しているので、この動画の音源はその約1年半前のライヴということになります。35歳の誕生日を数週間後に控えた時期の録音ですから声の艶は申し分ないですね。貴重な音源に感謝です。

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ブラームス/「つらいことに、こうしてあなたは私を再び(Wehe, so willst du mich wieder, Op. 32, No. 5)」を聞く

Wehe, so willst du mich wieder, Op. 32, No. 5
 つらいことに、こうしてあなたは私を再び

Wehe, so willst du mich wieder,
Hemmende Fessel, umfangen?
Auf, und hinaus in die Luft!
Ströme der Seele Verlangen,
Ström' es in brausende Lieder,
Saugend ätherischen Duft!
 つらいことに、こうしてあなたは私を再び、
 自由を奪う枷(かせ)よ、包み込もうというのか。
 上がれ、空中へ行け!
 魂の憧れよ、流れよ、
 ざわめく歌の中に流れ込め、
 芳香を吸い込みながら!

Strebe dem Wind nur entgegen
Daß er die Wange dir kühle,
Grüße den Himmel mit Lust!
Werden sich bange Gefühle
Im Unermeßlichen regen?
Athme den Feind aus der Brust!
 ただ風に向かって行け、
 あなたの頬を冷ますために、
 天空に喜んで挨拶せよ!
 不安な気持ちが
 広大な中で沸き起こるだろうか。
 それならば胸から敵を吐き出してしまえ!

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), no title, appears in Gedichte, in Romanzen und Jugendlieder, no. 18, first published 1820
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Wehe, so willst du mich wieder", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 5 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の5曲目はプラーテンのテキストによる「つらいことに、こうしてあなたは私を再び(Wehe, so willst du mich wieder, Op. 32, No. 5)」です。

Op.32のこれまでの曲と違って、このテキストは抽象的でやや難解です。「自由を奪う枷(かせ)(Hemmende Fessel)」に対して主人公は問いかけています。これは抽象的な概念を歌っているのでしょうか、それとも束縛する恋人をもった者の恋愛訓なのでしょうか。後者だとすると、テキスト全体がそれにしては壮大過ぎる気もします。魂の中にある憧れの気持ちを歌にせよ、あなたの頬を冷ますために風に立ち向かえ!(逆風に負けるなという比喩?)、広い天空で不安になったら心の中の敵を吐き出してしまえ!など、生きていると必ず遭遇する壁、束縛といったものへの処し方、人生訓のような印象も受けます。

プラーテンのテキストは2節からなり、荒々しいピアノにのって急速に進む為、一見通作形式に思えますが、楽譜を見ると、リピート記号で繰り返される純粋な有節形式です。ところが、5行目のみ1節と2節で異なる旋律を歌わせるよう指示されています。

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このテキストは各行が「強弱弱 強弱弱 強弱」で統一されていて、第5行目も

Ström' es in brau-sen-de Lie-der,
Im Un-er-meß-li-chen re-gen?
(※強音節を赤色にしました。)

とこのリズムに則って作られています。
ブラームスは第2節の冒頭のImという前置詞に強拍が付くのを避けようとしたのでしょう。ブラームスは有節歌曲の時、テキストの強弱関係を無視して音楽を優先させる場面がたまにあるのですが、ここでは、テキストにこだわったという一例だと思います。

ピアノ前奏は歌声部の歌い出しに由来しています。

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また、間奏も同様に直前の歌声部の終わりを繰り返しています。

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今の部分のピアノ左手に"col 8va ad lib."という指示がありますが、これは1オクターブ下の音を付与してもいいですよ。ご自由にという感じだと思います。技術的により優しい案を提案してくれたブラームスの思いやりなのでしょうか。それともこのあたりはまだ単音にしておいて、後のオクターブの登場をより効果的なものにしようといったん考えたが、まあここからオクターブでもいいかもと思ったのかもしれません。

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このように楽譜を見ていると、聞いているだけでは気付きにくい作曲家の技法の一端を知ることが出来て楽しいです。

9/8拍子
ロ短調(h-moll)
Allegro

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

バレンボイムの痒い所に手が届くような立体的なピアノにのって、ディースカウも劇的に歌い上げています。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネはこうしたドラマティックな作品も豊かな声を響かせて素晴らしいです。

●ヘールト・スミッツ(BR), ルドルフ・ヤンセン(P)
Geert Smits(BR), Rudolf Jansen(P)

オランダのバリトン、スミッツの堂々たる歌唱とベテラン、ヤンセンのピアノは聞きごたえがありました。ちなみにヤンセンは数年前に引退してしまいましたが、スミッツは円熟期の今も現役です。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

プレガルディアンは原調で歌っているのではと思ったのですが低く移調していました。円熟の歌唱はさすがです!

●ヤニナ・ベヒレ(MS), マルクス・ハドゥラ(P)
Janina Baechle(MS), Markus Hadulla(P)

若干余裕のあるテンポで歌うベヒレの低声が胸に響きます。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

あらためて聞くとクヴァストホフは子音の発音がとてもきれいですね。どんなに込み入った子音でもおろそかにしないのが凄いです。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

グリモーの雄弁な演奏に負けずにクリンメルの若々しい歌が息吹の飛翔を描いています。

●アンドレアス・シュミット(BR), ヘルムート・ドイチュ(P)
Andreas Schmidt(BR), Helmut Deutsch(P)

シュミットはいつもながらの折り目正しい歌で、ドイチュも安定感抜群の演奏でした。

●ジョゼ・ヴァン・ダム(BSBR), マチェイ・ピクルスキ(P)
José Van Dam(BSBR), Maciej Pikulski(P)

ライヴということもあってか、ヴァン・ダムの熱い表現が良かったです。ピクルスキは音色が美しいです。

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(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

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