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ブラームス/「もう君のもとに行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen, Op. 32, No. 2)」を聞く

Nicht mehr zu dir zu gehen, Op. 32, No. 2
 もう君のもとに行くまいと
 
Nicht mehr zu dir zu gehen
Beschloß ich und beschwor ich,
Und gehe jeden Abend,
Denn jede Kraft und jeden Halt verlor ich.
 もう君のもとに行くまいと
 私は決心し誓ったが
 毎晩通ってしまう、
 というのも揺るがない心も力も失ってしまったから。

Ich möchte nicht mehr leben,
Möcht' augenblicks verderben,
Und möchte doch auch leben
Für dich, mit dir, und nimmer, nimmer sterben.
 私はもう生きていたくない、
 すぐにでも死んでしまいたい、
 だがやはり生きてもいたい、
 君の為に、君と共に、そして決して決して死にたくない。

Ach, rede, sprich ein Wort nur,
Ein einziges, ein klares;
Gib Leben oder Tod mir,
Nur dein Gefühl enthülle mir, dein wahres!
 ああ、語って、ただ一語だけ言っておくれ、
 ただ一言、はっきりとした言葉を。
 私に生もしくは死を与えておくれ、
 ただ君の気持ちを見せてくれ、君の本当の気持ちを!

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Poetische Zugaben aus verschiedenen Ländern und Völkern, in Aus der Moldau, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Nicht mehr zu dir zu gehen", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 2 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の9曲は、決してテキストの明確なつながりがあるわけではないのですが、全体を通して演奏された時に醸し出される雰囲気が違和感がなく、そのためか古くはディースカウから最近の演奏家まで、この9曲をまとめて録音する人も少なくありません。沈痛な曲が最初から続き、後半数曲穏やかな愛の歌に変わり、その流れで最終曲の著名な「なんとあなたは、我が女王よ(Wie bist du, meine Königin)」で穏やかに締めくくられると思いきや、この最終曲も「喜びにあふれて(wonnevoll)」を繰り返しながらも最後はあなたの腕の中で死なせて下さいと歌い、死への近親性に回帰しているようにも思えます。

第1曲「なんと私は夜中に飛び起きた(Wie rafft' ich mich auf in der Nacht, Op. 32-1)」はとりわけ私のお気に入りのブラームス歌曲の1つで、過去にこちらで記事にしていますので興味のある方はご覧いただければと思います。

今日は2曲目の「もう君のもとに行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen)」です。

恋人のもとに行くまいと決心した主人公が、それでも毎晩しげしげと通ってしまう、その千々に乱れた心情が描かれています。最後にはあなたの一言が私の生死を握っているのだと恋人に迫ります(実際に相手の目の前で伝えているのか、心の中の妄想なのかは読む人によって解釈が分かれると思いますが)。

このテキストの抑揚は弱強格(Jambus)で統一されていて、ブラームスもほぼ詩の抑揚と一致した旋律を付けています。
3節からなる詩の1節と3節の音楽はほぼ同じで、2節のみespress. animatoで表情豊かに動きを付けて、両端の節とのコントラストを強調しています。いわゆるA-B-Aの構成ですね。Aの歌声部が基本的に上行なのに対して、Bは下行とジグザグ進行で、死にたいぐらい辛いけれど、やはり恋人と一緒に生きたいという揺れ動く感情が歌とピアノ右手のリズムのずれも相まって強調されているように思います。Aの箇所は歌の合間に休符を入れて、訥々と語るような効果を出す一方、感情が高ぶっているBは思いのたけを打ち明けるようにメロディーが途切れずに流れていきます。

Aの部分で興味深いのが、歌がほぼ順次進行で上行していく箇所は歌に付随して同じ動きをするピアノパートが、それ以外の箇所はゆるやかに下行していることです。気持ちをあげようとしても結局沈み込んでしまう主人公の内面を表しているのでしょうか。

・Aの部分(第1節)
A

・Bの部分(第2節)
B

この曲のクライマックスは私の個人的な意見ではピアノ後奏にあるように思います。Bにも「f」は出てきますが、それはちょっと気持ちが高ぶったぐらいで、真に主人公の気持ちが爆発するのが後奏の「f」だと思います。相手の真意を測りかねている主人公が絶望しているかのようです。その後、バス音が下行進行して、「pp」で消え入るように終わります。

・歌の最後の部分とピアノ後奏
Photo_20231014170501

3/2拍子
ニ短調(d-moll)
Langsam(ゆっくりと)

●ブリギッテ・ファスベンダー(MS), エリック・ヴェルバ(P)
Brigitte Fassbaender(MS), Erik Werba(P)

ファスベンダーは最初の抑制した歌いぶりから徐々に感情を露わにしていく、その心理描写の凄みを感じました。ヴェルバの迫真の演奏は、彼の数多い録音の中でもベストの一つと言えそうなほどの雄弁な名演でした。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ヘルタ・クルスト(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hertha Klust(P)

ディースカウの歌唱は、思わず主人公の顔の表情が目に浮かぶかのように逡巡する気持ちのうつろいを表現していました。クルストがまた深く雄弁な音で感情を描いていました。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

重みのある底から響いてくるようなゲルネの歌声から、主人公が沈み込んでしまっている様子が浮かんできます。エッシェンバハの弾く後奏は、立派な構築物のように隙がなく、ドラマが感じられました。

●白井光子(MS), ハルトムート・ヘル(P)
Mitsuko Shirai(MS), Hartmut Höll(P)

白井の歌唱は声色を使い、主人公の心情を深く掘り下げていました。ヘルもはやる気持ちを巧みに描いていました。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフ&ツァイエンは丁寧に主人公の気持ちの揺れ動きを表現していたと思います。

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(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

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コメント

フランツさん、こんにちは。

二期目の工事でバタバタしており、さらに阪神がCSを突破したため、浮かれておりました。
週末から日本シリーズが始まりますが、関西ダービーと言うことで、こちらでは盛り上がっております。

さて、この曲ですが、主人公の憂鬱な重苦しい気持ちがひしひしと伝わって来ますね。
恋人と言っても、相手の気持ちをはかりかねているわけですね。
止めようと思いつつ会いに行ってしまう。そして、会っても思うような手応えがなく、気持ちが沈んでいるそんな主人公が浮かんできます。
恋をしたら、人はおかしくなる。
何が普通かわからなくなる。
思考がおサルさんと同じくらいになるそうです。

>その後、バス音が下行進行して、「pp」で消え入るように終わります。
主人公の命が息も絶え絶えになっていることを表しているようですね。

この曲を聞いていると、四つの厳粛な歌 を思い出します。
ビアノ伴奏部に似た響きがありますね。

投稿: 真子 | 2023年10月25日 (水曜日) 13時50分

途中で送ってしまいました。

どの演奏も素晴らしいですが、白井光子さんの歌に特に惹きつけられました。

詩からすると、生か死を与える一言がほしいのですね。
つまり、『恋人』はどっちつかずの態度を取っているのでしょうか。
諦めようとすると希望をもたせる等の。

こういう歌曲を聞くと、主人公の心情を思うと共に、相手がどんな人物なのかも、あれこれ想像してしまいます。

投稿: 真子 | 2023年10月25日 (水曜日) 14時00分

真子さん、こんばんは。

工事が続いていたのですね。早く落ち着くといいですね。
阪神も絶好調のようで、真子さんにとって楽しい毎日を過ごされていることと思います。

そんな盛り上がっておられる真子さんとは対照的なブラームスの陰鬱な歌曲を今回取り上げてみました(でも傑作だと思います)。

テキストの解釈、有難うございます!なぜ「行くまい」と決めたのに「毎晩行く」のか。お相手は来られてどう思っているのか、詳細は明かされていませんが、だからこそ読み手の自由な解釈の余地があるのですね。

> 恋をしたら、人はおかしくなる。

まさにこの主人公はその状態なのでしょうね。毎晩通ったらしつこ過ぎて相手に嫌われてしまうかも、でも行かずにはいられないといったところでしょうか。
「思考がおサルさんと同じくらいになる」って面白いですね!もう理性で止められないどころか、理性をどこかに忘れてしまったのでしょう。
主人公は生か死か決めてくれと言っていますが、平たく言えばyesかnoかはっきりしてくれということなのでしょうね。

「四つの厳粛な歌」を思い出すとのご感想、この曲がオクターブのユニゾンで上がって行くのと反対に下がって行くという点では第2曲「わたしはすべてのしいたげを見た」が似ていますね。

白井さん、いいですよね。彼女の歌は語りと歌のバランスが素晴らしいと思います。こういう重い曲も見事に表現していてさすがです。

> こういう歌曲を聞くと、主人公の心情を思うと共に、相手がどんな人物なのかも、あれこれ想像してしまいます。

本当にいろんな想像を掻き立てられますよね。そこが歌曲や詩の面白いところだと思います。

投稿: フランツ | 2023年10月25日 (水曜日) 21時18分

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