ブラームス/「私はあたりを忍び歩く(Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3)」を聞く
Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3
私はあたりを忍び歩く
Ich schleich umher,
Betrübt und stumm,
Du fragst, o frage
Mich nicht, warum?
Das Herz erschüttert
So manche Pein!
Und könnt' ich je
Zu düster sein?
私はあたりを忍び歩く、
悲しく押し黙って、
きみは尋ねる、おお、
どうしてなどと尋ねないでくれ。
胸が揺さぶられたのだ、
数多の苦痛ゆえに!
かつてこれほど気分が沈んだことは
あっただろうか。
Der Baum verdorrt,
Der Duft vergeht,
Die Blätter liegen
So gelb im Beet,
Es stürmt ein Schauer
Mit Macht herein,
Und könnt ich je
Zu düster sein?
木は枯れ果て
香りは消え
葉は黄色く
苗床に落ちている。
にわか雨が
荒れ狂ったように降り注ぐ。
かつてこれほど気分が沈んだことは
あっただろうか。
詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), no title, written 1820, appears in Gedichte, in Romanzen und Jugendlieder, no. 16
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Ich schleich' umher", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 3 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann
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ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の3曲目はプラーテンのテキストによる「私はあたりを忍び歩く(Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3)」です。
この歌曲集は比較的通作形式が多いのですが、この曲はリピード記号で繰り返される完全な有節歌曲です。ただ、個人的にはあまり2つの節を繰り返しているという感覚がなく、暗澹たる気分に沈んだり爆発したりという波が続いているという印象を受けます。
詩の主人公はふらふらと歩き回ります。誰かが心配になり理由を尋ねますが、「どうしたの」などと聞かないでくれと言います。しかしすぐに「これほど多くの苦痛(Pein)が私の心を揺さぶった」と告白します。多くの苦痛に襲われ、こんなにつらいことはかつてなかったと言いますが、その苦痛の内容は明かされません(おそらく失恋と想像されますが)。
第2節では木や香り、枯れて落ちた葉っぱ、驟雨など、自然に目を向けて、主人公にとって気持ちの沈むことばかりが目につきます。ここでは主人公は内面の辛さゆえに、目に映るものすべて気が沈むことばかりに意識が向いてしまっているのでしょうか。
ブラームスの音楽は、ピアノの左手が下降音型を繰り返し、主人公の気分の下がり具合を否が応でも強調しています。歌声も二分音符と四分音符の組み合わせで上がろうとしては下がってのジグザグの音型で茫然自失の主人公の絞り出すかのようなつぶやきを演出します。5行目になると三連符で上行するピアノにのって、歌も上行し、心の内を激しく吐き出そうとしますが、最後にはまた下降して終わります。
救いなのがピアノパートで、右手の最高音はほぼ全体にわたり歌声と同じ音をなぞり、絶望に打ちひしがれている主人公の気持ちにそっと寄り添っているような印象を受けます。
短い作品ながら強烈な印象を受けます。よく出来た小品だと思います。演奏者によっても様々な解釈が聞けるのではないでしょうか。
3/4拍子
ニ短調(d-moll)
Mäßig (中庸の速度で)
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)
ゆったりめのテンポで、ディースカウにしてはかなり思いを強く込めた歌唱でした。ムーアはデクレッシェンドでpにいたる最後の和音をブラームスの指示より強めに響かせていたのが印象的でした。
●ローベルト・モルヴァイ(T), アンドレアス・ルチェヴィツ(P)
Róbert Morvai(T), Andreas Lucewicz(P)
優しく柔らかい感触の声をもったモルヴァイというテノール歌手は誠実ゆえに深く傷ついた主人公の歌に感じられました。
●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)
ゲルネの深々とした表現は、辛い主人公の心情を慰撫するかのようでした。
●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)
円熟期のプレガルディエンは巧みに主人公の苦しみを語って聞かせてくれます。どちらかというと第三者的にも感じられました。
●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)
クヴァストホフは終始丁寧な語り口で、各節中間部の激しい箇所も感情的にならず、冷静な表情で歌っていました。
●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)
次世代を担うリート歌手クリンメルが、ベテランピアニスト、グリモーのコンセプトアルバムの中でOp.32の全曲を歌っています。若さあふれる美声で、それほど深刻にならないのが聞いていて救いに感じられます。グリモーも最近歌曲演奏に積極的に取り組んでいるようです。
●ヘニー・ヴォルフ(S), ピアニスト名不詳
Henny Wolff(S), unidentified pianist
1958年の録音とのこと。このソプラノ歌手ははじめて聞きましたが、録音当時62歳だそうで、なんとも味わいのある表現に聞きほれました。
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(参考)
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コメント
この様な書込大変失礼ながら、日本も当事国となる台湾有事を前に 日本の国防を妨げる国内の反日の危険性が共有される事願います
今や報道は無法国の代弁者となり、日本の国益は悪に印象操作し妨害、反日帰化の多い野党や中韓の悪事は報じない自由で日本人の知る権利を阻む異常な状態です。
世論誘導が生んだ民主党政権、中韓の為の超円高誘導で日本企業や経済は衰退する中、技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝し予算削減、3万もの機密漏洩など韓国への利益誘導の為に働きました。
メディアに踊らされあの反日政権を生み、当時の売国法や"身を切る改革"に未だ後遺症を残している事、今も隣国上げや文化破壊等、
日本弱体と侵略に励む勢力に二度と国を売らぬ様、各党の方向性を見極め、改憲始め国の成長と強化が重要で、しかし必要なのは、
日本人として誇りを取り戻し、世界一長く続く自国を守る意識だと多くの方に伝わる事を願います。
投稿: aki | 2023年10月21日 (土曜日) 21時04分
akiさん、こんばんは。
コメント有難うございます。拝読いたしました。
このブログはクラシック音楽の中でも特殊なジャンルである歌曲を扱っていますので、かなり限られた愛好家の方が訪問下さり、多くの方の目にとまるサイトではないと思います。その為共有の効果はあまり望めないものと推察いたします。
音楽のような諸芸術を楽しむ為には確かに国が安全を保っていてこそということは承知しておりますし、私も今の日本に危機感を感じております。
ただ、こちらのサイトは純粋に音楽に特化した内容に限定しておりますので、私からはaki様の記載された内容に対しての具体的なご返信は差し控えさせていただきたく存じます(おっしゃる内容は共感しています)。
コメントいただきましたことに感謝いたします。
ちなみに私はYouTubeのおみそちゃんねるという動画を時間のある時に見るのですが、こちらも愛国心あふれる配信者がYouTubeの不可思議なNGワードに引っかからないように隠語を駆使しながら様々な日本の状況に問題提起する内容になっていて、私も常に同意見とは限らないのですがとても勉強になり、いろいろ考えさせられます。ご参考までに。
投稿: フランツ | 2023年10月22日 (日曜日) 19時02分
フランツさん、こんにちは。
続くこちらの曲も鬱々とした気持ちから抜け出せなくて、彷徨う主人公の姿が浮かびます。
数多の苦痛、、。
一体あれからまた何があったのでしょうか。
主人公も、もしこの恋から抜け出すことができたら、空は晴れ、木に緑が戻るだろうに、、。
一度好きになってしまった気持ちは、容易にはコントロールできないんですよね。
それがたくさんの芸術を生みもしたのですが。
ブラームスは、もしかしたら、クララへの気持ちをこの作品32番に込めたのでしょうか。
そんな気にさえなる歌曲です。
ソプラノのヘニーヴォルフさんは、私も初めて聞きましたが、62歳にしてこの声は素晴らしいですね。
日頃の訓練の賜物だと感じました。
その上で、重ねた年齢からくる深みも感じる演奏でした。
テノールのモルヴァイの演奏は、主人公がのり移ったようで、心打たれました。
投稿: 真子 | 2023年10月25日 (水曜日) 14時19分
真子さん、こんばんは。
前曲に負けないほど陰鬱な歌ですよね。
>主人公も、もしこの恋から抜け出すことができたら、空は晴れ、木に緑が戻るだろうに、、。
素敵な言葉ですね。報われない恋のさなか、すべてがくすんで見えてしまうのでしょう。この歌曲に長調の箇所があったら救いがあったのでしょうけれど、絶望の底に沈んでいる主人公をあらわすにはそういう救いは無用だとブラームスは思ったのでしょう。
>ブラームスは、もしかしたら、クララへの気持ちをこの作品32番に込めたのでしょうか。
上で引用した音源にもあるのですが、ピアニストのエレーヌ・グリモーが「クラーラのために(For Clara)」と題したアルバムを作り、シューマンやブラームスのピアノ独奏曲と一緒に、このブラームスの歌曲集Op. 32も全曲録音しているのです。ライナーノートを読んだわけではないのでグリモーがどういう意図でこの選曲にしたのかは正確には分からないですが、クラーラへの思いをこめた作品としてこの歌曲集をとりあげたのであろうことは確かだと思います。
ヘニー・ヴォルフ、素敵ですよね。響きがとてもいいと思いました。リートは高齢になっても若い頃にはない味わいが聞けるんですよね。そこがオペラと違う点だと思います。
モルヴァイ、気に入っていただけたようですね。きれいで繊細な声のテノールですね。
投稿: フランツ | 2023年10月25日 (水曜日) 21時41分