« 2023年9月 | トップページ | 2023年11月 »

ブラームス/「僕のそばを流れ去った大河(Der Strom, der neben mir verrauschte, Op. 32, No. 4)」を聞く

Der Strom, der neben mir verrauschte, Op. 32, No. 4
 僕のそばを流れ去った大河

Der Strom, der neben mir verrauschte, wo ist er nun?
Der Vogel, dessen Lied ich lauschte, wo ist er nun?
Wo ist die Rose, die die Freundin am Herzen trug?
Und jener Kuß, der mich berauschte, wo ist er nun?
Und jener Mensch, der ich gewesen, und den ich längst
Mit einem andern ich vertauschte, wo ist er nun?
 僕のそばを流れ去った大河は今どこに?
 僕が歌に耳を澄ましたあの鳥は今どこに?
 女友達が胸に挿していたあの薔薇はどこに?
 そして僕をうっとりさせたあのキスは今どこに?
 そしてかつての僕、とうに別人と入れ替わった
 かつての僕は今どこに?

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), appears in Gedichte, in Ghaselen, no. 17, first published 1821
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Der Strom, der neben mir verrauschte", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 4 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の4曲目はプラーテンのテキストによる「僕のそばを流れ去った大河(Der Strom, der neben mir verrauschte, Op. 32, No. 4)」です。
各行が似たフレーズで進められて展開していく通作形式で、1分強の短い作品です。

主人公はかつてあったものが今はどこに行ってしまったのかと、その失ったものを羅列して「今どこにあるのか?(wo ist er nun?)」と連呼します。そばを流れていった大河、美しい鳴き声の鳥、女友達(とはいってもFreundinという言葉は恋人ではないが大人の関係であると学生の頃に聞いた覚えがあります)の胸に挿した薔薇、恍惚とさせられたキス-それらはもう今はないわけですね。
最後にかつての僕はどこへ行った?と言うのですが、今の僕はかつての僕と入れ替わってしまったようです。
かつての僕は好きな人と一緒に川や鳥の鳴き声や愛撫を楽しんだのでしょうか。女友達(=ガールフレンド)(Freundin)という言葉が使われているので恋人になる前に終焉をむかえてしまったのかもしれません。ブラームスは曲を短調でスタートするのですが、3、4行目の女友達との思い出に言及する箇所で長調の響きに変えて、主人公が甘い記憶に一時的に浸っている様子を描いています。

ブラームスは各行の末尾に"wo ist er nun?"があることに着目して、行ごとのフレーズを少しずつ高くしていき、気持ちが高揚していくように展開していきます。

"wo ist er nun?"の音程関係について、下記の譜例に記しました。それぞれ若干の違いがあるものの"wo ist er nun?"にあてられたフレーズはいずれも「下→上→上→上→上」で共通していますね。6行目の締めの繰り返しはメリスマをなくして各音節に1音をあてています。

Brahms-der-strom 

第6行目(最終行)の"wo ist"は、これまでと違って、ピアノパートが歌と同じ音で強調しています。ただ、歌は八分休符の後、八分音符で"wo"と歌い始めるのですが、ピアノパートは三連符の最後の音の為、厳密に言えば歌がピアノよりも少し早めに出ることになります。このへんのリズムのずれの扱いについて、ブラームス特有の記譜上の慣習がもしかしたらあるのかもしれませんが(バロック時代の記譜法や、それを引き継いだシューベルトの付点音符と三連符の扱いのように)、この部分をいろいろな演奏で聞いてみると、この箇所の歌とピアノを同時に演奏するものが結構多いことが分かります。
ただ、個人的にはブラームスが書いたままずらして演奏する方が前のめり気味に「どこだ?」と歌っているように聞こえ、焦燥感がより鮮明に浮き立ってくるのではないかと思います。
一方、歌とピアノを同時に演奏する場合、fz(フォルツァンド)の効果が出て、音量的な効果は出ると思います。速いテンポなので、同時の方が演奏しやすいという面もありそうです。
このあたりは演奏家の解釈次第なのでしょうね。

2brahms-der-strom

C (4/4拍子)
嬰ハ短調(cis-moll)
Moderato, ma agitato

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ダニエル・バレンボイム(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Daniel Barenboim(P)

ディースカウはOp.32の中の数曲をリサイタルで頻繁に取り上げていましたが、この曲もレパートリーに入っていて、私も彼の放送録音でこの作品をはじめて知りました。主人公の過去のよき時代を懐かしむ感じが円熟期のディースカウによって表現されていました。切り込みの鋭いバレンボイムも素晴らしいです。"wo"は歌とピアノでずらしていましたが、3回目はほぼ同じタイミングのように聞こえました。ずらした良さが感じられるいい演奏でした。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

プレガルディアンは語り部のようにすっきりと、しかし情熱をもって歌っていて良かったです。アイゼンローアもドラマティックに演奏していました。

●ヤニナ・ベヒレ(MS), マルクス・ハドゥラ(P)
Janina Baechle(MS), Markus Hadulla(P)

ベヒラの豊かで包み込むような声の響きが心地よく、この曲の魅力を引き出していたと思います。"wo ist"の歌の表情がとても印象的でした。ベテランのハドゥラも良かったです。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフはブラームスの音価をしっかり守り、激しい作品でも丁寧に表現しているのが伝わってきます。

●アンドレアス・シュミット(BR), ヘルムート・ドイチュ(P)
Andreas Schmidt(BR), Helmut Deutsch(P)

シュミットはゆっくりめのテンポでブラームスの旋律線を丁寧に歌っていました。ドイチュの細部にまで行き届いたピアノは勢い任せにならず、ブラームスの音をじっくり聞かせてくれます。上述した"wo"を歌とピアノでずらして演奏した例です。このテンポだから可能なのかもしれませんが、ずらすことによるメリットは大きいと思います。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

ここではグリモーが主導権を握り、その推進力にのって若いクリンメルを導いていたように感じます。"wo"のずれは最初は明らかにずらしていますが、2回目、3回目は自然な流れで一致して聞こえました。どちらかに統一しないこういう解釈もいいなと思いました。

●マルティン・ヘンゼル(BR), ヘダイエット・ヨナス・ジェディカー(P)
Martin Hensel(BR), Hedayet Jonas Djeddikar(P)

他の多くの演奏に比べるとゆっくりめに聞こえますが、ブラームスの指定はModerato, ma agitato(中庸のテンポで、しかし激して)なので、指示に忠実に従った演奏と言えると思います。歌、ピアノともに楽譜に真摯に向き合っている感じがして好感が持てました。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

| | | コメント (0)

ブラームス/「私はあたりを忍び歩く(Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3)」を聞く

Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3
 私はあたりを忍び歩く

Ich schleich umher,
Betrübt und stumm,
Du fragst, o frage
Mich nicht, warum?
Das Herz erschüttert
So manche Pein!
Und könnt' ich je
Zu düster sein?
 私はあたりを忍び歩く、
 悲しく押し黙って、
 きみは尋ねる、おお、
 どうしてなどと尋ねないでくれ。
 胸が揺さぶられたのだ、
 数多の苦痛ゆえに!
 かつてこれほど気分が沈んだことは
 あっただろうか。

Der Baum verdorrt,
Der Duft vergeht,
Die Blätter liegen
So gelb im Beet,
Es stürmt ein Schauer
Mit Macht herein,
Und könnt ich je
Zu düster sein?
 木は枯れ果て
 香りは消え
 葉は黄色く
 苗床に落ちている。
 にわか雨が
 荒れ狂ったように降り注ぐ。
 かつてこれほど気分が沈んだことは
 あっただろうか。

詩:August von Platen-Hallermünde (1796-1835), no title, written 1820, appears in Gedichte, in Romanzen und Jugendlieder, no. 16
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Ich schleich' umher", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 3 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の3曲目はプラーテンのテキストによる「私はあたりを忍び歩く(Ich schleich' umher, Op. 32, No. 3)」です。
この歌曲集は比較的通作形式が多いのですが、この曲はリピード記号で繰り返される完全な有節歌曲です。ただ、個人的にはあまり2つの節を繰り返しているという感覚がなく、暗澹たる気分に沈んだり爆発したりという波が続いているという印象を受けます。

詩の主人公はふらふらと歩き回ります。誰かが心配になり理由を尋ねますが、「どうしたの」などと聞かないでくれと言います。しかしすぐに「これほど多くの苦痛(Pein)が私の心を揺さぶった」と告白します。多くの苦痛に襲われ、こんなにつらいことはかつてなかったと言いますが、その苦痛の内容は明かされません(おそらく失恋と想像されますが)。
第2節では木や香り、枯れて落ちた葉っぱ、驟雨など、自然に目を向けて、主人公にとって気持ちの沈むことばかりが目につきます。ここでは主人公は内面の辛さゆえに、目に映るものすべて気が沈むことばかりに意識が向いてしまっているのでしょうか。

ブラームスの音楽は、ピアノの左手が下降音型を繰り返し、主人公の気分の下がり具合を否が応でも強調しています。歌声も二分音符と四分音符の組み合わせで上がろうとしては下がってのジグザグの音型で茫然自失の主人公の絞り出すかのようなつぶやきを演出します。5行目になると三連符で上行するピアノにのって、歌も上行し、心の内を激しく吐き出そうとしますが、最後にはまた下降して終わります。

救いなのがピアノパートで、右手の最高音はほぼ全体にわたり歌声と同じ音をなぞり、絶望に打ちひしがれている主人公の気持ちにそっと寄り添っているような印象を受けます。

短い作品ながら強烈な印象を受けます。よく出来た小品だと思います。演奏者によっても様々な解釈が聞けるのではないでしょうか。

3/4拍子
ニ短調(d-moll)
Mäßig (中庸の速度で)

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

ゆったりめのテンポで、ディースカウにしてはかなり思いを強く込めた歌唱でした。ムーアはデクレッシェンドでpにいたる最後の和音をブラームスの指示より強めに響かせていたのが印象的でした。

●ローベルト・モルヴァイ(T), アンドレアス・ルチェヴィツ(P)
Róbert Morvai(T), Andreas Lucewicz(P)

優しく柔らかい感触の声をもったモルヴァイというテノール歌手は誠実ゆえに深く傷ついた主人公の歌に感じられました。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

ゲルネの深々とした表現は、辛い主人公の心情を慰撫するかのようでした。

●クリストフ・プレガルディアン(T), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Christoph Prégardien(T), Ulrich Eisenlohr(P)

円熟期のプレガルディエンは巧みに主人公の苦しみを語って聞かせてくれます。どちらかというと第三者的にも感じられました。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフは終始丁寧な語り口で、各節中間部の激しい箇所も感情的にならず、冷静な表情で歌っていました。

●コンスタンティン・クリンメル(BR), エレーヌ・グリモー(P)
Konstantin Krimmel(BR), Hélène Grimaud(P)

次世代を担うリート歌手クリンメルが、ベテランピアニスト、グリモーのコンセプトアルバムの中でOp.32の全曲を歌っています。若さあふれる美声で、それほど深刻にならないのが聞いていて救いに感じられます。グリモーも最近歌曲演奏に積極的に取り組んでいるようです。

●ヘニー・ヴォルフ(S), ピアニスト名不詳
Henny Wolff(S), unidentified pianist

1958年の録音とのこと。このソプラノ歌手ははじめて聞きましたが、録音当時62歳だそうで、なんとも味わいのある表現に聞きほれました。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (英語)

Wikipedia (August von Platen-Hallermünde) (独語)

| | | コメント (4)

ブラームス/「もう君のもとに行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen, Op. 32, No. 2)」を聞く

Nicht mehr zu dir zu gehen, Op. 32, No. 2
 もう君のもとに行くまいと
 
Nicht mehr zu dir zu gehen
Beschloß ich und beschwor ich,
Und gehe jeden Abend,
Denn jede Kraft und jeden Halt verlor ich.
 もう君のもとに行くまいと
 私は決心し誓ったが
 毎晩通ってしまう、
 というのも揺るがない心も力も失ってしまったから。

Ich möchte nicht mehr leben,
Möcht' augenblicks verderben,
Und möchte doch auch leben
Für dich, mit dir, und nimmer, nimmer sterben.
 私はもう生きていたくない、
 すぐにでも死んでしまいたい、
 だがやはり生きてもいたい、
 君の為に、君と共に、そして決して決して死にたくない。

Ach, rede, sprich ein Wort nur,
Ein einziges, ein klares;
Gib Leben oder Tod mir,
Nur dein Gefühl enthülle mir, dein wahres!
 ああ、語って、ただ一語だけ言っておくれ、
 ただ一言、はっきりとした言葉を。
 私に生もしくは死を与えておくれ、
 ただ君の気持ちを見せてくれ、君の本当の気持ちを!

詩:Georg Friedrich Daumer (1800-1875), no title, appears in Hafis - Eine Sammlung persischer Gedichte, in Poetische Zugaben aus verschiedenen Ländern und Völkern, in Aus der Moldau, first published 1846
曲:Johannes Brahms (1833-1897), "Nicht mehr zu dir zu gehen", op. 32 (Neun Lieder und Gesänge) no. 2 (1864), published 1865 [ voice and piano ], Winterthur, Rieter-Biedermann

-------

ダウマーとプラーテンの詩によるブラームスの『リートとゲザング(Lieder und Gesänge)』Op. 32の9曲は、決してテキストの明確なつながりがあるわけではないのですが、全体を通して演奏された時に醸し出される雰囲気が違和感がなく、そのためか古くはディースカウから最近の演奏家まで、この9曲をまとめて録音する人も少なくありません。沈痛な曲が最初から続き、後半数曲穏やかな愛の歌に変わり、その流れで最終曲の著名な「なんとあなたは、我が女王よ(Wie bist du, meine Königin)」で穏やかに締めくくられると思いきや、この最終曲も「喜びにあふれて(wonnevoll)」を繰り返しながらも最後はあなたの腕の中で死なせて下さいと歌い、死への近親性に回帰しているようにも思えます。

第1曲「なんと私は夜中に飛び起きた(Wie rafft' ich mich auf in der Nacht, Op. 32-1)」はとりわけ私のお気に入りのブラームス歌曲の1つで、過去にこちらで記事にしていますので興味のある方はご覧いただければと思います。

今日は2曲目の「もう君のもとに行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen)」です。

恋人のもとに行くまいと決心した主人公が、それでも毎晩しげしげと通ってしまう、その千々に乱れた心情が描かれています。最後にはあなたの一言が私の生死を握っているのだと恋人に迫ります(実際に相手の目の前で伝えているのか、心の中の妄想なのかは読む人によって解釈が分かれると思いますが)。

このテキストの抑揚は弱強格(Jambus)で統一されていて、ブラームスもほぼ詩の抑揚と一致した旋律を付けています。
3節からなる詩の1節と3節の音楽はほぼ同じで、2節のみespress. animatoで表情豊かに動きを付けて、両端の節とのコントラストを強調しています。いわゆるA-B-Aの構成ですね。Aの歌声部が基本的に上行なのに対して、Bは下行とジグザグ進行で、死にたいぐらい辛いけれど、やはり恋人と一緒に生きたいという揺れ動く感情が歌とピアノ右手のリズムのずれも相まって強調されているように思います。Aの箇所は歌の合間に休符を入れて、訥々と語るような効果を出す一方、感情が高ぶっているBは思いのたけを打ち明けるようにメロディーが途切れずに流れていきます。

Aの部分で興味深いのが、歌がほぼ順次進行で上行していく箇所は歌に付随して同じ動きをするピアノパートが、それ以外の箇所はゆるやかに下行していることです。気持ちをあげようとしても結局沈み込んでしまう主人公の内面を表しているのでしょうか。

・Aの部分(第1節)
A

・Bの部分(第2節)
B

この曲のクライマックスは私の個人的な意見ではピアノ後奏にあるように思います。Bにも「f」は出てきますが、それはちょっと気持ちが高ぶったぐらいで、真に主人公の気持ちが爆発するのが後奏の「f」だと思います。相手の真意を測りかねている主人公が絶望しているかのようです。その後、バス音が下行進行して、「pp」で消え入るように終わります。

・歌の最後の部分とピアノ後奏
Photo_20231014170501

3/2拍子
ニ短調(d-moll)
Langsam(ゆっくりと)

●ブリギッテ・ファスベンダー(MS), エリック・ヴェルバ(P)
Brigitte Fassbaender(MS), Erik Werba(P)

ファスベンダーは最初の抑制した歌いぶりから徐々に感情を露わにしていく、その心理描写の凄みを感じました。ヴェルバの迫真の演奏は、彼の数多い録音の中でもベストの一つと言えそうなほどの雄弁な名演でした。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ヘルタ・クルスト(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hertha Klust(P)

ディースカウの歌唱は、思わず主人公の顔の表情が目に浮かぶかのように逡巡する気持ちのうつろいを表現していました。クルストがまた深く雄弁な音で感情を描いていました。

●マティアス・ゲルネ(BR), クリストフ・エッシェンバハ(P)
Matthias Goerne(BR), Christoph Eschenbach(P)

重みのある底から響いてくるようなゲルネの歌声から、主人公が沈み込んでしまっている様子が浮かんできます。エッシェンバハの弾く後奏は、立派な構築物のように隙がなく、ドラマが感じられました。

●白井光子(MS), ハルトムート・ヘル(P)
Mitsuko Shirai(MS), Hartmut Höll(P)

白井の歌唱は声色を使い、主人公の心情を深く掘り下げていました。ヘルもはやる気持ちを巧みに描いていました。

●トーマス・クヴァストホフ(BR), ユストゥス・ツァイエン(P)
Thomas Quasthoff(BR), Justus Zeyen(P)

クヴァストホフ&ツァイエンは丁寧に主人公の気持ちの揺れ動きを表現していたと思います。

-------

(参考)

The LiederNet Archive (テキスト)

IMSLP (楽譜)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (英語)

Wikipedia (Georg Friedrich Daumer) (独語)

| | | コメント (3)

エリー・アーメリング、フランク・マルタンを語る

Elly Ameling on Frank Martin - in conversation with Rien de Reede

元動画(チャンネル名:Frank Martin Composer)はこちら(クリックすると音が出ますのでご注意ください)

エリー・アーメリング(Elly Ameling)はかつてスイスの作曲家フランク・マルタン(Frank Martin)のオラトリオ『キリスト降誕の神秘劇(Le mystère de la Nativité)』の世界初演(エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet)指揮)に出演し、そのライヴ録音(1959年12月23日, Victoria Hall, Genève)がスイスのCASCAVELLEレーベルから1991年頃にリリースされました。その後、アムステルダムのコンセルトヘバウでの再演時のライヴ録音(1964年10月14日, Concertgebouw, Amsterdam)も指揮者ジャン・フルネ(Jean Fournet)の8枚組放送録音のBOX CDの一部としてリリースされています。

彼女は作曲家自身のピアノでもマルタンの歌曲集をJecklin-DiscoレーベルにLP録音しており、CD化もされています。曲目は『3つの愛の歌(Drey Minnelieder)』『3つのクリスマスの歌(Trois Chants De Noël)』で、後者はPieter Odéのフルート助奏付きです。

そんなマルタンとゆかりの深かったアーメリングに、Rien de Reedeという人がインタビューした動画があがっています。

彼女は相変わらず本当にチャーミングで、録音を聞く時は口ずさんでいて、その記憶力に驚かされます。過去の手紙も保存していて、このインタビューの為に披露してくれるなどサービス精神旺盛です。

彼女の言葉からかいつまんでメモしておきます(会話はオランダ語ですが、親切にも英訳が付いていたので、そちらから訳します)。

・オラトリオ『キリスト降誕の神秘劇(Le mystère de la Nativité)』について
アンセルメは穏やかで真に安心してリハーサルが出来た。
この作品はとーっても美しい(「とーっても」のところは手紙で子音のoを4つ並べて強調しているとのこと)。

シューベルトはあちこちでアクセントが扱いにくく、シューマンは重要ではない音節にアクセントを多く付けていました。
私の知る限り、マルタンは決してミスをしませんでした。

このオラトリオの舞台化は私は反対です。
人々は聞くより見たがりますが、不要だと思います。
かつてベートーヴェンの歌劇『フィデーリオ』を最初にTVで見て、その2週間後にラジオで聞いた時、TVの時より細かいところまで聞き取れました。TVを見た時は気付かないままでした。だから視覚は必要と感じません。

・マルタンが中世の詩をテキストに使ったことについて
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(Walter von der Vogelweide)をマルタンはヴァルター・フォン・デア・フォッゲルヴェイデと発音しました。「3つの愛の歌」の第1曲Herzeliepはヘルツェリエプ、Leitはライトではなく、オランダ語同様レイトと発音します。
例えば、第3曲のNachtigall(現在の発音はナハティガル。意味は「ナイチンゲール」)の中世ドイツ語はnahtegaal(ナハテガール)、Vögelein(フェーゲライン:意味は「小鳥」)の中世語はvogelin(フォゲリーン)。
中世ドイツ語は時にオランダ語に似ています。

・『3つの愛の歌』の第3曲「リンデの木の下で(Unter der linden)」を聞いて
この少女は男の子と横になっていたところを知られたくないのです。
でもこのテキストに作曲した他の作曲家と違って、マルタンは幸せな少女の喜びを爆発させます。(アアアアアアーのひとふしを歌う)

-------

(2023年11月25日追記)

Elly Amelingの公式チャンネルでも同じ動画がアップされています。

| | | コメント (0)

« 2023年9月 | トップページ | 2023年11月 »