ベートーヴェン「喜びに満ちては、苦しみにあふれ(Freudvoll und leidvoll, Op. 84/4)」(悲劇『エグモント』のための音楽("Egmont" Musik zu J. W. von Goethes Trauerspiel, Op. 84)より)
Freudvoll und leidvoll
喜びに満ちては、苦しみにあふれ
Freudvoll
Und leidvoll,
Gedankenvoll sein;
Langen
Und bangen
In schwebender Pein;
Himmelhoch jauchzend
Zum Tode betrübt;
Glücklich allein
Ist die Seele, die liebt.
喜びに満ちては、
苦しみにあふれ、
物思いに沈みます。
手を伸ばしては
不安になります、
苦しみが脳裏をかすめるので。
天にも昇るほど歓呼するかと思えば
死ぬほど悲しみにくれます。
もっぱら幸せは
愛する魂にあるのです。
詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), no title, appears in Egmont
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827), "Klärchens Lied I", alternate title: "Die Trommel gerühret", op. 84 no. 1, from the stage composition Egmont, no. 2
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ベートーヴェンの「悲劇『エグモント』のための音楽Op. 84」の第4曲に置かれているのがリート「喜びに満ちては、苦しみにあふれ(Freudvoll und leidvoll)」です。
ゲーテの原作では第3幕第2場、クレールヒェンの住居(Klärchens Wohnung)の場面で、エグモントに夢中なクラーラ(愛称クレールヒェン)が、ブラッケンブルクとの結婚を望む母親の前でこの歌を口ずさむという設定になっています(こちら)。
恋する心は喜びと苦しみの相反する感情が同居する。その両面をベートーヴェンは丁寧に描き分けていきますが、最後の2行にいたり幸せな感情が主人公の心を独占したかのように華やかに締めくくります。
2/4拍子
イ長調(A-dur)
Andante con moto
●イルムガルト・ゼーフリート(S), エリク・ヴェルバ(P)
Irmgard Seefried(S), Erik Werba(P)
1957年ライヴ録音。ゼーフリートの歌は相手への強い意思が感じられます。
●マリーア・ミュラー(S), ミヒャエル・ラウハイゼン(P)
Maria Müller(S), Michael Raucheisen(P)
往年のソプラノ、ミュラー(1898–1958)は深みもあるソプラノで、喜びと悲しみがごく自然に表現されていて素晴らしかったです(昔の録音なので若干濃厚な味わいもありますが、それはそれでチャーミングです)。
●エリーザベト・ブロイアー(S), ベルナデッテ・バルトス(P)
Elisabeth Breuer(S), Bernadette Bartos(P)
Hess 94, No. 4。新全集の草稿版(Entwurf)によって演奏されていますが、歌声部は完成されています。清冽で純粋なブロイアーの歌が美しく、ゲーテの原作のクレールヒェンを眼前に想起させてくれます。
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
男女の歌手を起用したベートーヴェン歌曲全集の録音であえてシュライアーにこの曲を歌わせているのが興味深いです。シュライアーの清冽でディクションの美しい歌唱がなんの違和感もなく聞き手に伝わってきます。
●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Kristin Okerlund(P)
こちらの歌曲全集でも男声歌手にこの曲を歌わせています。ゲーテの戯曲の設定を考えず、一つの詩として解釈すれば男性の歌にもなりえますね。
●第1稿
Freudvoll und leidvoll, gedankenvoll sein, Op. 84, No. 4 (1. Fassung)
コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Kristin Okerlund(P)
新全集のピアノ版第1稿によって演奏されています。歌声はピアノ右手の最高音を歌うように記譜されていて、ピアニストのオーカーランドは基本的に歌声の旋律はここで演奏していなかったです。前奏がないのが印象的ですね。
●オリジナルのオーケストラ伴奏版
グンドゥラ・ヤノヴィツ(S), ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, ヘルベルト・フォン・カラヤン(C)
Gundula Janowitz(S), Berliner Philharmoniker, Herbert von Karajan(C)
ヤノヴィツは感情の大きな振幅を実に見事に描き分けていますね。
●フランツ・リストによるピアノ独奏用編曲
Beethoven; arr. Liszt: 6 Lieder von Goethe, S. 468/R. 123: No. 3: Freudvoll und leidvoll
Yung Wook Yoo(P)
他作曲家の作品に対するリストの編曲は、オリジナルへのリスペクトが強かったのではないかと最近感じます。単なる技巧の盛り込みだけではないように、この曲の編曲からも感じられました。
●シューベルト作曲の独唱曲(愛:クレールヒェンの歌 D 210)
Schubert: Die Liebe (Klärchens Lied), D 210
アーリーン・オージェ(S), ヴァルター・オルベルツ(P)
Arleen Augér(S), Walter Olbertz(P)
シューベルトが同じテキストに作曲した作品は恋に陶酔しているような印象を受けます。オジェーの澄んだ美声が魅力的です。
●リスト作曲の独唱曲(第1稿)
Liszt: Freudvoll und leidvoll S280 [Fassung I]
マーガレット・プライス(S), シプリアン・カツァリス(P)
Margaret Price(S), Cyprien Katsaris(P)
リストは2つの稿を残していて、こちらは第1稿です。クールビューティーのプライスの歌唱はこのテキストの影の部分を特に印象付けます。
●リスト作曲の独唱曲(第2稿)
Liszt: Freudvoll und leidvoll S280 [Fassung II]
バーバラ・ボニー(S), アントニオ・パッパーノ(P)
Barbara Bonney(S), Antonio Pappano(P)
リストの2つの稿では、こちらの第2稿がより歌われる機会が多いと思います。ボニーの噛んで含めるような表情の濃厚さが素晴らしかったです。
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(参考)
『ベートーヴェン全集 第7巻』:1999年7月14日第1刷 講談社(「喜びに満ち、そして苦しみに満ちて」の解説:高橋浩子)
『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)
付曲が難しいと言われていたゲーテ作品のための音楽「舞台劇(悲劇)《エグモント》」(平野昭)
『ゲーテ全集 4 戯曲 』(潮出版社 2003年10月5日新装普及版(1979年7月10日初版))(「エグモント」の訳:内垣啓一)
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コメント
フランツさん、こんにちは。
ご無沙汰しています。春から歯の治療がややこしく、痛みが取れなかったり、放散痛で目にも痛みが走ったりで鬱々しております。
目の方は少しましになったので、久しぶりにブロクを拝見しました。
さて、この曲は歌詞に忠実に、天国と地獄を行ったり来たりする気持ちを上手く表してしますね。
恋をすれば、相手のちょっとした言葉に狂喜したり、意味のない事でどん底に落ちたり気持ちが休む暇がありません。
ミュラーの歌は最後、神よなぜ人間にこのような感情をお与えになったのですか、と問いかけているかのように思えました。
プロイヤーのはかなげな美声、いいですね。まだ少女の面影を残した歌が切々と迫ってきます。
リートというのは、ほとんどが男性目線で書かれていますから、男声での演奏も案外すんなり聴けました。
ヴァルダードルフのバリトンは、ほら恋なんてしたら大変な事になるだろう?と諭しているようにも聞こえました。
よく、恋をすれば女性は好きな男性が全てになるが、男性は仕事に優先順位が来ると言われますよね。
リートの中の男性は、恋をすればその女性で頭がいっぱいになっています。
これは、日本人とヨーロッパ人の気質の違いなのでしょうか?
うたの世界ですから、
今日は取引先とトラブルがあって、彼女のことなど思い出しもしなかった。
なんて歌う訳はないでしょうけど(笑)
シューベルトのメロディは、おっしゃるように、苦しみにすら酔っているかのような甘さですね。苦しいなら、エイっと気合いを入れて気持ちをたちきればいいのに。。それができないから苦しいのですけど。
リストは、私も第二稿に引かれました。ボニーは、単なる美声歌手ではなく、深みのある歌を歌いますよね。魅力的でした。
たくさんの演奏を多種集めて聞かせて下さってありがとうございます(*^.^*)
投稿: 真子 | 2023年6月11日 (日曜日) 16時25分
真子さん、こんばんは。
ご無沙汰しています。
歯の治療をされていたとのこと、いろいろ大変そうですね。
目まで痛みがきてお辛かったことと思います。
お大事になさってくださいね。
この曲でベートーヴェンはまさに「歌詞に忠実に」曲を付けていますね。恋している時の、天にも昇る思いと、失ったらどうしようという不安の相反する感情の間を揺れ動く心理状況を素晴らしく描いていると思います。
ミュラーは往年の歌手のスケールの大きさがあって、一途に訴えている感覚が神様への問いかけにも通じるものがありますね。
ブロイアーは少女っぽい声が聴き手を魅了してくれますね。
ボニーも説得力のある充実した歌を聞かせてくれますよね。
>リートというのは、ほとんどが男性目線で書かれていますから、男声での演奏も案外すんなり聴けました。
なるほど男性目線での女性の歌なので、男性が歌っても違和感ないという感覚ですね。そういえば最近「糸を紡ぐグレートヒェン」を今が旬のバリトン歌手(ベンヤミン・アップル)が歌っている音源を聞いたのですが、個人的にそれも違和感なく聞けました。歌い手の思いが伝われば性差は超越するのかもしれませんね。
>よく、恋をすれば女性は好きな男性が全てになるが、男性は仕事に優先順位が来ると言われますよね。
面白い視点ですね!そう言われてみると確かにワーカホリックな歌曲の登場人物はあまり思い浮かばないですね。オペラだとどこかに題材あるのかもしれませんが。
基本的に歌曲の主人公はロマンチストだと思います。
愛する男女のイメージを詩人が短い言葉で表現するので、トスカではないですが男女ともに「愛に生き」るのでしょう。
いつもながら示唆に富んだ素敵なコメントを有難うございました。早く回復されますよう祈っております。
投稿: フランツ | 2023年6月11日 (日曜日) 21時41分