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ベートーヴェンのフランス語の歌曲「何と時は長く(Que le temps me dure, WoO. 116)」

ベートーヴェンはフランス語のテキストによる独唱歌曲のスケッチを2曲残しています。
ルソーの詩による「何と時は長く(Que le temps me dure), WoO. 116」と、作者不詳のテキストによる「愛する喜び(Plaisir d'aimer), WoO. 128」です。今回と次回の2回でこの2曲を取り上げたいと思います。
私は残念ながらフランス語の翻訳が出来ない為、歌曲サイト「詩と音楽」の藤井宏行氏の対訳ページにリンクを貼らせていただきました。藤井さん、有難うございます。

★何と時は長く(Que le temps me dure), WoO. 116 (第1稿:Hess 129/第2稿:Hess 130)

Que le temps me dure, WoO. 116

1節:
Que le temps me dure!
Passé loin de toi,
toute la nature
n'est plus rien pour moi.

Le plus vert bocage,
quand tu n'y viens pas,
n'est qu'un lieu sauvage,
pour moi, sans appas.

2節:
Hélas! si je passe
Un jour sans te voir,
Je cherche ta trace
Dans mon désespoir...

Quand je t'ai perdue,
Je reste à pleurer,
Mon âme éperdue
Est près d'expirer.

3節:
Le coeur me palpite
Quand j'entends ta voix,
Tout mon sang s'agite
Dès que je te vois;

Ouvres-tu la bouche,
Les cieux vont s'ouvrir...
Si ta main me touche,
Je me sens frémir.

詩の対訳:何と一日が私にはゆっくりと(「詩と音楽」藤井宏行氏訳)

詩:Jean-Jacques Rousseau (1712-1778), "Romance"
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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学生時代に誰もがその名前を聞く思想家ジャン=ジャック・ルソーが書いた「Romance」という詩は、もともと"Que le jour me dure!"という詩行で始まりますが、ベートーヴェンは"jour(日)"を"temps(時)"に変更しています。ちなみに詩人ルソー自身が作曲した作品もあり、さらにロッスィーニはこの詩に2回も作曲しています("Ariette à l'ancienne"、"Ariette villageoise")。

詩の内容は恋人から離れた辛い心情を歌ったもので、このテーマはベートーヴェンのいくつもの歌曲と共通していますね(ぜひ藤井さんの対訳をご覧ください)。

ベートーヴェンはこの詩によるスケッチを1793年初頭に書きました。2稿残されています。
未完成のスケッチの為か生前には出版されず、第1稿は1902年の「Die Musik. – 1 (1901/1902), H. 12」、第2稿は1935年の「Neue Zeitschrift für Musik (新音楽時報) 1935 Heft 11」で初めて出版されました。ちなみに「新音楽時報」はシューマンが創刊した音楽雑誌で、なんと現在まで続いているそうです。

第1稿は前奏(後奏も兼ねる)付きで哀愁のこもったメロディーが魅力的です。一方の第2稿は穏やかな曲調で、途中で短調の響きもあらわれますが、再び穏やかな長調で締めくくります。いずれもスケッチの段階だからでしょうか、第1節(詩の2連分をまとめた形)のみが記載されていますので、ルソーの後続の連を繰り返して有節歌曲として演奏することが出来ます。ベートーヴェンは"rien"や"loin"のような1音節の単語をハイフンでつないて2音節の単語として扱っていて(下の譜例では"loin"にハイフンが見られませんが、初版(1902年)の「Die Musik」(Beethoven-Haus Bonnのリンク先から閲覧可能)では"lo-in"と記載されていて、そこで記事を書いているJean Chantavoine氏もそれを誤り(Fehler)と指摘しています)、それをそのまま演奏するか1音節に発音してメリスマにするかは演奏家の判断によるようです(下記の様々な演奏では両方のパターンを聞くことが出来ます)。フランス人の歌手の中でも両方のパターンに分かれて発音しているのが興味深かったです。ちなみに優れたベートーヴェン初期歌曲集のアルバムを録音した水越啓(T)&重岡麻衣(Fortepiano)は1音節で扱っていました。

・第1稿:Hess 129
スケッチ、ピアノパート未完成
拍子の表示なし(6/8拍子)
ハ短調(c-moll)
速度表示なし

・第2稿:Hess 130
スケッチ、ピアノパート未完成
2/4拍子
ハ長調(C-dur)
Andante

「新音楽時報」1935年11巻に掲載された「何と時は長く」の第1稿、第2稿の楽譜を掲載しておきます(クリックすると拡大します)。
1_20220910143501
2_20220910154501

おそらくこの楽譜を元に後に演奏できる形に補完した形で別途出版されて、それに基づいて録音がされているのでしょう。未完のスケッチとはいえ歌声部は完成していると言えるでしょうから、ピアノパートを補えばいいことになります。

●第1稿&第2稿
マリオ・アカール(BR), クロード・コレ(P)
Mario Hacquard(BR), Claude Collet(P)

第1稿(1,2,3節)、第2稿(1節)。第1稿の第3節の後、最後の和音を弾かずに第2稿を続けて演奏し、最後に第1稿のピアノ後奏を弾いて終わります。2つの稿をまとめて演奏するうえで一つの可能性を提示していて興味深いですね。フランス人と思われるアカールの歌唱はやはりディクションが素晴らしいです。

●第1稿&第2稿
ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

第1稿(1,2,3節)、第2稿(1節)を続けて演奏しています。プライのフランス語歌唱は珍しいのではないでしょうか。第1稿で抑制した味わいを聞かせ、第2稿で感情を開放した感じがしました。

●第1稿:Hess 129
ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

第1稿(1,3節)。シュライアーのフランス語の発音は若干ドイツ語なまりというか、"s"を濁って発音しがち(例えば"sauvage")で、ご愛敬ですね。歌自体はいつもの真摯な感じで好印象です。

●第1稿:Hess 129
ダニア・エル・ゼイン(S), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Dania El Zein(S), Jean-Pierre Armengaud(P)

第1稿(1,2,3節)。清楚な声で繊細に歌っていて聞いていて心地よい印象を受けました。エル・ゼインはフランス人らしいのですが、例の単語を2音節で歌っていますね。

●第2稿:Hess 130
ダニア・エル・ゼイン(S), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Dania El Zein(S), Jean-Pierre Armengaud(P)

第2稿(1,1節)。エル・ゼインはここで第1節を繰り返して歌っています。ベートーヴェンが楽譜に記載したのが第1節のみであることを考慮すると、これも一つの解釈として受け入れられると思います。涼風が吹き抜けるような爽やかさでした。

●第2稿:Hess 130
ウルリケ・ヘルツェル(CA), ハンス・ヒルスドルフ(P)
Ulrike Helzel(CA), Hans Hilsdorf(P)

第2稿(1,1節)。ヘルツェルもエル・ゼイン同様第1節を繰り返して歌っています。Andanteは「歩くような速さで」を指すので、ヘルツェルは随分ゆっくり歩くのかもしれませんね。辛さがじわじわと伝わってくるような歌唱でした。

●【参考】詩人のルソー自身が作曲した歌曲
Jean-Jaques Rousseau: Que le jour me dure, 1753
ギュンター・ヒューブナー(BR), ピアニスト名不詳
Günter Hübner(BR), unidentified pianist

ルソー自身の作品です。原調はト長調なのですが、この曲の歌声部はドレミ(G,A,H)の3音しか使っていないのです。楽譜はベートーヴェンの上述の楽譜が掲載されていた「Neue Zeitschrift für Musik (新音楽時報)」の1ページ前に掲載されていました(下記のリンク先から閲覧可能です)。

●【参考】ロッスィーニ:古風なアリエッタ(『老いの過ち』第3巻)
Rossini: Ariette à l'ancienne ("Péchés de vieillesse",Vol III)
チェチーリア・バルトリ(MS), ジェルジ・フィッシャー(P)
Cecilia Bartoli(MS), György Fischer(P)

ロッスィーニの『老いの過ち』より、ルソーの詩の1,2連のみを使った通作歌曲。限られたテキストを何度も繰り返すのが特徴的です。失礼ながら出だしが「黄金虫」に聞こえてしまいました。でもロッスィーニらしいいい歌ですね。バルトリの歌う映像が見れます!

●【参考】ロッスィーニ:古風なアリエッタ(『老いの過ち』第11巻)
Rossini: Ariette villageoise ("Péchés de vieillesse",Vol XI)
メロディー・ルルジャン(S), ジュリオ・ザッパ(P)
Melody Louledjian(S), Giulio Zappa(P)

前曲同様ここでもルソーの詩の1,2連のみを使っています。舟歌のリズムで心地よく揺れていて、詩の深刻さよりもメロディの美しさが優先されているように感じました。ルルジャン、いい声ですね。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

《時は長く》——ルソーと切なく歌う「時はなんと長いのか、遠く君から離れていると」(平野昭)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(「Que le temps me dure」の解説:村田千尋)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

Neue Zeitschrift für Musik 1935 Heft 11: p.1201-1202(第1稿、第2稿の楽譜)(第2稿はこれが初版)
PDF (p.1313-1314)

ジャン=ジャック・ルソー (Wikipedia:日本語)

Jean-Jacques Rousseau (Wikipedia:仏語)

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