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ベートーヴェン「兵士の別れ(Des Kriegers Abschied, WoO 143)」

Des Kriegers Abschied, WoO 143
 兵士の別れ

1:
Ich zieh' in's Feld, von Lieb' entbrannt,
Doch scheid' ich ohne Tränen;
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen;
Denn zärtlich muß der wahre Held
Stets für ein Liebchen brennen,
Und doch für's Vaterland im Feld
Entschlossen sterben können.
 俺は戦地に赴く、愛に燃えて、
 だが涙を流さず別れよう。
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの。
 なぜなら真の英雄は愛をこめて
 常に恋人のために燃えるべきだから、
 だが祖国のためには戦地で
 決然と死ぬことが出来るのだ。

2:
Ich kämpfte nie, ein Ordensband
Zum Preise zu erlangen,
O Liebe, nur von deiner Hand
Wünscht' ich ihn zu empfangen;
Laß' eines deutschen Mädchens Hand
Mein Siegerleben krönen,
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen!
 俺は、勲章をさげる大綬(だいじゅ)を
 得るために戦うのではない、
 おお愛する人、おまえの手からのみ
 勲章を受け取りたい。
 ドイツ娘の手で
 俺の勝者の生きざまに冠を授けておくれ、
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの!

3:
Denk' ich im Kampfe liebewarm
Daheim an meine Holde,
Dann möcht ich seh'n, wer diesem Arm
Sich widersetzen wollte;
Denn welch ein Lohn! wird Liebchens Hand
Mein Siegerleben krönen,
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen!
 戦のさなかに愛をこめて
 故郷のいとしい人を思うと
 この腕に
 抗おうとした人を見たいと思う。
 というのも、なんというご褒美!恋人の手で
 俺の勝者の生きざまに冠を授けてくれるのだから。
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの!

4:
Leb' wohl, mein Liebchen, Ehr und Pflicht
Ruft jetzt die deutschen Krieger,
Leb' wohl, leb' wohl und weine nicht,
Ich kehre heim als Sieger;
Und fall' ich durch des Gegners Hand,
Dann soll mein Ruf noch tönen:
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen!
 さらば、恋人よ、栄誉と義務が
 今ドイツの兵士たちを呼んでいる。
 さらば、さらば、泣かないでくれ、
 俺は勝者として帰還する。
 そして敵の手にかかり死ぬときには
 叫び声を響かせよう、
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの!

詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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クリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒ(Christian Ludwig Reissig: 1784-1847)の詩による「兵士の別れ(Des Kriegers Abschied, WoO 143)」は1814年終わりに作曲されました。

戦争の歌は気分を高揚させるような勇ましい作品が多く、ベートーヴェンのこの「兵士の別れ」もまたしかりですが、ただ勇ましいだけでなく、別れの辛さとそれを吹っ切るような強がりも詩には表現されているように思われます。そこを演奏者がどのように歌い、演奏するかも聞き所の一つかと思います。

ピアノは各節5行目~6行目が左右交互のリズム打ちになる以外は右手高音が歌のメロディーをなぞります。軍歌でよく見られる手法ですが、起承転結の転にあたる5行目~6行目で突然歌のメロディーから離れるのは、詩の展開を意識した結果であるのと同時に聞き手に趣の変化を感じさせる効果もあるように思います。

C(4/4拍子)
変ホ長調(Es-dur)
Entschlossen(決然と)

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

1,2,3,4節。厚みのあるプライの声で威勢よく歌われていて、別れの感傷を振り払おうとしているかのようです。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

1,3節。シュライアーは速めのテンポでめりはりのきいた歌い方をいていますが、そこはかとない淋しさも滲ませているように感じました。

●ハンス・ホッター(BSBR), ミヒャエル・ラウハイゼン(P)
Hans Hotter(BSBR), Michael Raucheisen(P)

1,4節。ホッターの包容力のある声による歌唱は、恋人に安心させようと歌っているように感じました。

●ヴァンサン・リエーヴル=ピカール(T), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Vincent Lièvre-Picard(T), Jean-Pierre Armengaud(P)

1,2,3,4節。リエーヴル=ピカールの丁寧な歌いぶりは誠実な兵士像が感じられました。

●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Kristin Okerlund(P)

1,2,3,4節。ヴァルダードルフはここでも朴訥とした味が出ていました。オーカーランドのピアノが威勢よく盛り上げていてとても良かったです。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「兵士の別れ」 ——出征する兵士の熱い思いを歌いあげる(平野昭)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

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コメント

フランツさん、こんにちは。

これまでベートーベンを聞いてきて、晩年のプライさんのベートーベン歌曲は味わいがあるなあと、思うようになりました。
若いころには聞こえなかったものが聞けるようになったのかもしれませんね。
ここから、さらに深くリートの世界を楽しめるように思うこの頃です。

1980年、1981年にデンオンに録音されたサヴァリッシュさんとのベートーベン歌曲集があります。
以前に何度かこの盤を高く評価し、推薦する記事を読んだことがあります。
「ゲレルトの詩による6つの歌曲」が入っていることから、キリスト教関係者からも曲の内面的な表現が評価されていました。
私はと言えば、声の変化が辛くてあまり聞いていない盤でした。

フランツさんのこのベートーベンシリーズを聞き比べるうち、デンオン盤を出して来て聞きました。
恥ずかしい話ですが、今更ながらこんなに深みのある演奏だったんだ。なんて勿体ないことをしていたのかと思いました。
これまでも、プライさんの演奏から彼のメッセージを聞いているつもりはありましたが、一連のフランツさんのベートーベンシリーズが大切な事を気づかせてくれました。

声楽家にとって声は命。ファンにとっても同じですが、声の向こうにあるものも大切に聞きたいと思います。今更お恥ずかしいお話ですが。

投稿: | 2022年9月15日 (木曜日) 18時33分

真子さん、こんばんは。

とても考えさせられるコメントを有難うございます。

晩年のプライに対して真子さんは辛さを乗り越えられたのですね。素敵なことだと思います。真子さんがかつて晩年の声の変化が辛かったとおっしゃるのはとても自然なご感想だと思います。若い頃の苦も無く朗々と響いた声に強い愛着を抱けば抱くほど、加齢に伴う声の変化にショックを受けるのは自然な反応だと思います。肉体が楽器である以上、多かれ少なかれ声の変化は避けられず、その変化を受け入れられないという反応もまた正直な感想だと思います。おそらく歌手ご本人は一番そのことを分かっていて、それゆえに声の変化に従って、オペラの役柄や歌曲のレパートリーを更新するのでしょう。
そこでファンを辞めてしまうのも一つですが、徐々に後期の声や歌い方に慣れると、自然と受け入れられることがあると思います。
私が好きなクラシックの歌手もみな加齢で声が変わっていますし、80年代から90年代に夢中になって実演を追いかけた人たちも声はすでに若くない方が多かったです。でも、晩年にしか出せない表現や味というのがあるのも事実で、そこに喜びを見出せると楽しいですよね。
私の感覚では、前にも言いましたが、プライの声は比較的加齢が緩やかだった印象があります。少なくとも80年代前半の録音や実演はあまり老いというものを感じずに聴いていました。でも真子さんにとっては80年代の声にも微妙な変化を鋭く察知されてお辛い思いをされたということだと思います。
今回のベートーヴェンシリーズでプライの録音を沢山掲載しましたが、全集盤は87-89年の録音とのことですよね。80年代後半になるとさすがに私の耳でも若い頃との違いは感じますが、でも言葉を語る時の含蓄の深さがすごいとあらためて思いました。言葉の含んでいるいろんな要素が一緒に表現されているような感じがします。これはこの時期ならではのものだと思います。
サヴァリッシュとのDENONの録音は80年12月29日~81年1月3日の年末年始だったんですね。先ほどあらためて聞いて、この録音いいなぁと思いました。このサヴァリッシュ盤は意外なのが「遥かな恋人に寄せて」が入っていないんですよね。その分ゲレルト歌曲集が入っていますが、「死について」のがっちり重みのある歌など凄みすら感じました。

演奏家が変わっていくように聴き手も好みが変わっていきますから、これまであまり気にしていなかった演奏に共感する時が来たら幸せなことだと私は思っています。晩年のプライの歌から真子さんへのメッセージが沢山あることと思います。後期のプライの深みをお互い味わっていきましょうね。

投稿: フランツ | 2022年9月16日 (金曜日) 19時15分

フランツさん、こんにちは。

素敵なコメントをありがとうございました。
私がプライファンになったのは、1990年頃。それも、1971年のカール·エンゲルとのシューベルト「美しい水車小屋の娘」を聞いた者瞬間、彼の声に恋に落ちました。
最も声が美しかった時の、しかもあの名盤ですからね、、。

自伝も読んで、単に歌手としてだけでなく、ヘルマン·プライという人そのものも大好きになり、私の生き方にも影響を与える人になっていましたから、彼が演奏を行う限り、CDも出される限り、彼のメッセージを受けとる!と決めていました。
実際、私の友人の中には、声変わっちゃたかし、もう新しいCDはいいかな、と言う人もいました。
そう思いつつも、全盛期の滴るような甘い美声が耳に染み付いていましたから、葛藤はありました。
今では晩年のCDも、手に入る限り買っておいて良かったと思います。

若さは眩しいです。自分を信じて一途に伸びていく若竹のよう。キラキラとした生命力を感じます。
しかし、病気になったり老いを感じるようになると、老木の味わいもわかってきます。
特に、めまいでしんどかった時期は、評論家に声の調子が悪かった時の録音か、と言われたへPHILIPS盤の「水車小屋」や、晩年の歌に慰めを得たものです。
プライさん自身、かつてのような声が出ない葛藤の中でもメッセージをととけようとしていたからでしょうか。
声楽家は、精神的に成熟した頃には声が衰え出すと言われていますものね。ある意味残酷な職業です。

サヴァリッシュさんとのベートーベン歌曲集、お持ちなんですね。
「遥かなる恋人に寄せて」より「ゲレルトの詩による6つの歌曲」を録音したのは、やはり今の自分に合わせられたのかもしれませんね。
おっしゃるとおり、私も凄みをかんじました。
声の変化を乗り越えたら、もう怖いものはありません。プライさんの深みの歌を味わって行きます!

アメリングは、最晩年の声は聞いたことはないのですが、やはり若い頃の清んだチャーミングさから、深みが増したように思います。

最近は、メゾやアルトもいいなあと思って来ています。

投稿: 真子 | 2022年9月17日 (土曜日) 16時45分

真子さん、こんばんは。

ご返信有難うございます!

真子さんがプライの声の変化を受け入れて、新たな境地のプライの録音を味わうことが出来てとても良かったと思います。
エンゲルとの「美しい水車屋の娘」は、真子さんが「聞いた瞬間、彼の声に恋に落ちました」とおっしゃるのがよく分かるほどとても魅力的な歌声ですよね。まさに「キラキラ」していましたね。
最初の刷り込みの影響は強いと思いますので、プライに声の若さを求めてこられたことは私もよく分かる気がします。
自伝にはプライの歌曲への情熱がいろいろ書かれていましたよね。真子さんが歌と人格どちらにも惹かれて聞き続けられたのは、きっとご縁があったのでしょうね。
人である以上声の老化は避けられないのでおっしゃるように残酷ではありますが、90歳を超えてもリサイタルを開いて歌っていた日本人歌手の方もいらっしゃいましたし、その年ならではのものがきっと聞く人の胸を打つのだと思います。

私の場合もアーメリングの70年代前半のシューベルト歌曲集のLPを初めて聞いて以来、その美しい声と表現に惹かれてLPを収集しだしたのですが、当時新録音と銘打ったルドルフ・ヤンセンとの80年代前半の録音が発売され、喜んで買って聞いたアーメリングの声は以前とは変わっていました。ただ、フィリップスレーベルの録音が残響をほどよく含めているせいか、彼女の声にベールがかかったような憂いの表情を聞くことが出来、あらたな境地に踏み入れたのかなと感じたものでした。やはり若い頃の声と違うことははっきり感じましたが、これはこれで素敵だなと思ったものでした。彼女の実演をはじめて聞いたのは1987年だったのですが、若い頃の録音の前へ前へという豊かな声ではなく、もっと抑制した表現だったように記憶しています。でも初めて聞いた彼女の生の声の透明で美しい響きはまだまだ健在でとても感銘を受けたことを覚えています。
さらに後期の録音では声が出づらくなっている箇所も散見されはしますが、彼女はテクニックでそれをカバーしているように思います。逆に絞り込んだ声の魅力は若かりし彼女にはなかった魅力で、進化し続ける彼女に感銘を受けたものでした。
まぁほぼ例外なくどの歌手も声が変わると思うので、あとは新たな歌い方や解釈、味わいをそこに聞ければ十分楽しめるように思います。

プライとサヴァリッシュのベートーヴェン歌曲集、プライの体にしみ込んだような余裕と厳格さが増していていいですね。

メゾやアルトの深い響きもいいですよね。

投稿: フランツ | 2022年9月17日 (土曜日) 18時22分

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