« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »

ベートーヴェン「愛 "ぼくは腕の中できみを揺り動かす"(Liebe "Ich wiege dich in meinem Arm", Hess 137)」(数年前にスケッチが発見され2013年に初演された歌曲)

Liebe "Ich wiege dich in meinem Arm", Hess 137
 愛 "ぼくは腕の中できみを揺り動かす"

1:
Ich wiege dich in meinem Arm.
Wovon ist dir dein Händchen warm?
Ach! ist so warm von Liebe!
 ぼくは腕の中できみを揺り動かす。
 きみのお手々はどうして温かいのかい?
 ああ!愛ゆえにこんなに温かいのです!

2:
Wovon, mein liebes Mädchen, o!
Wovon brennt dir die Wange so?
Ach! brennt dir so von Liebe!
 どうして、いとしい娘よ、おお!
 どうしてきみの頬はこんなにほてっているのかい?
 ああ!あなたへの愛ゆえにほてっているのです!

3:
Wovon, mein liebes Mädchen, o!
Wovon schlägt dir dein Herzchen so?
Ach! schlägt dir so von Liebe!
 どうして、いとしい娘よ、おお!
 どうしてきみの心臓はこんなにどきどきしているんだい?
 ああ!あなたへの愛ゆえにどきどきしているのです!

4:
Wovon, o Mädchen, schmeichelt so
Dein blaues Auge mild und froh?
Ach! schmeichelt so von Liebe!
 どうして、おお娘よ、
 穏やかで明るいきみの青い瞳は甘えた視線を向けるんだい?
 ああ!愛ゆえに甘えているのです!

5:
Wovon, ach! ist dein Kuss so süss,
Wie Pisang war im Paradies?
Ach! ist so süss von Liebe!
 どうして、ああ!きみのキスはこんなに甘いんだい、
 バナナが天国で甘かったように?
 ああ!愛ゆえにこんなに甘いのです!

6:
Und deiner Engelstimme Ton,
O! flötet ja so süss! wovon?
Ach! flötet so von Liebe!
 それからきみの天使の声のような響き、
 おお!笛のようにこんなに甘美な声!どうしてなんだい?
 ああ!愛ゆえにこんな甘い声になるのです!

7:
Ich wieg' in meinem Arme dich;
Sieh her! mit Thränen freu' ich mich,
O Mädchen, deiner Liebe!
 ぼくは腕の中できみを揺り動かす。
 こっちを見て!ぼくは涙を流して喜んでいるんだ、
 おお娘よ、きみが愛してくれるので!

詩:Friedrich Wilhelm August Schmidt (1764-1838)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

------------

The Unheard Beethovenというサイトは未録音および未発表のベートーベン作品の音源をネット上で公開しています。

同サイトのMark S. Zimmer氏とWillem Holsbergen氏による「愛 "ぼくは腕の中できみを揺り動かす"(Liebe "Ich wiege dich in meinem Arm", Hess 137)」という歌曲の捜索と発見の経緯をこちらで語っています。

もともとベートーヴェンが出版社のペータース社に曲の提供をもちかけて、ペータースに断られたことは判明していたのですが、そのスケッチが数年前まで見つかっていなかったそうです。
1822年のベートーヴェンの価格リストに書かれていた表記がおそらく悪筆だった為か、研究者たちは"Ich schwinge dich in meinem Dom(大聖堂できみを揺り動かす)"という誤った詩行で長年に渡り楽譜を捜索してきましたが見つからず、後にAlan Tyson氏が"Ich wiege dich in meinem Arm"と転記した記事を発表して誤りが正されたそうです。

最終的にWillem Holsbergen氏が曲中の"Pisang war im Paradies"という詩行(第5連)を以前に見たことを思い出し、大英図書館のカフカ雑録(Kafka Miscellany)の中で見つけたとのことです。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・シュミット(Friedrich Wilhelm August Schmidt)の詩の原題は「愛(Liebe)」で、「ヘンリエッテB.に(An Henriette B.)」という副題が付いています。この副題はシュミットの妻ヘンリエッテ・ブレンデル(Henriette Brendel)のことで、この詩が初めて出版された1790年に詩人と結婚しましたが、1809年に39歳の若さで亡くなっています。

このスケッチが書かれたのは、筆跡と紙の年代から1797年 (あるいは1796年後半)と推定されるそうです。
歌声部はほぼ完成していて、ピアノパートは断片的とのことです。

初演は2013年9月8日(土)Chicago Beethoven Festivalにおいてテノールのドミニク・アームストロング(Dominic Armstrong)とピアニストのジョージ・ルポー(George Lepauw)によって行われました。その音源はThe Unheard Beethovenのサイトからmp3の形で公開されています。

全7連のテキストに通作形式で作曲されていますが、最終連で第1連の音楽が回帰しています。

●アルベルト・ヴィレム・ホルスベルヘン復元版
Reconstr. Albert Willem Holsbergen
エリーザベト・ブロイアー(S), ベルナデッテ・バルトス(P)
Elisabeth Breuer(S), Bernadette Bartos(P)

録音:2018年9月28日, 4tune Audio Productions, Wien。初演から5年後にNAXOSレーベルでスタジオ録音が実現したのですね。7連もあり、詩行の繰り返しもあるので、意外と規模の大きい作品ですが、歌声部はほぼ完成していて前述のように出版も視野に入れていたようで、なかなかの力作ではないかと思います(ホルスベルヘンによって復元された形で演奏されています)。ブロイアーの美声が心地よいです。

-----------

(参考)

The Unheard Beethoven

The Unheard Beethoven: "A Lost Beethoven Song is Found"

Il Centro Ricerche Musicali (C.R.M.)

Wisconsin Foundation and Alumni Association

Broadway World Classical Music

JSTOR

Friedrich Schmidt von Werneuchen (Wikipedia: 独語)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

| | | コメント (0)

ベートーヴェン「気高き人は援助を惜しまず善良であれ(Der edle Mensch sei hülfreich und gut, WoO. 151)」

Der edle Mensch sei hülfreich und gut, WoO. 151
 気高き人は援助を惜しまず善良であれ

(※ベートーヴェンはゲーテの詩「神性(Das Göttliche)」の第10連の最初の2行のみに作曲しました。)
Der edle Mensch
Sei hülfreich und gut!
 気高き人は
 援助を惜しまず善良であれ!

詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), "Das Göttliche"
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827), "Der edle Mensch sei hülfreich und gut", WoO. 151 (1823), last stanza

------------

ゲーテの原詩は「Das Göttliche(神性)」というタイトルのもと10連からなり、ベートーヴェンはその最後の第10連の冒頭2行のみに作曲しました。「神性」の詩全体の日本語訳はネットでも読むことが出来ました。「ゲーテ 神性」で検索すると出てくると思います。

村田千尋氏の解説によると、「1823年1月20日、ベートーヴェンがウィーンの著名な銀行家エスケレス男爵の妻チェチーリエのために友情の記念帖に書き込んだものであり、歌曲の作曲としては最後のものと考えられる」(『ベートーヴェン全集 第6巻』講談社)そうです。
この特殊な事情ゆえか生前には出版されず、1843年にヴィーンの"Allgemeine Wiener Musik-Zeitung"に自筆譜のファクシミリが掲載されました。

ベートーヴェンの曲は11小節の短い作品の為、繰り返して演奏されることもあります。

アラ・ブレーヴェ(2/2拍子)
ト長調(G-dur)
Etwas langsam (いくぶんゆっくりと)

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

プライは詩の格言的な意味合いを生かしたかのような威厳のある歌を聞かせています。

●フローリアン・プライ(BR), ノルベルト・グロー(P)
Florian Prey(BR), Norbert Groh(P)

父親の威厳に対して息子フローリアンは軽やかな爽やかさで聴かせてくれます。

●ハイディ・ペルゾン(S), ハンス・ヒルスドルフ(P)
Heidi Person(S), Hans Hilsdorf(P)

繰り返して演奏されています。ペルゾンの温かみのある声が心地よいですね。

●ナタリー・ペレス(MS), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Natalie Pérez(MS), Jean-Pierre Armengaud(P)

繰り返して演奏されています。ペレスの歌は力強さを感じさせます。

-----------

(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(「Der edle Mensch sei hülfreich und gut」の解説:村田千尋)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

RISM(国際音楽資料目録)

| | | コメント (0)

ベートーヴェン「キス(Der Kuß, Op. 128)」

Der Kuß (Ariette), Op. 128
 キス (アリエッタ) (※初版ではOp. 121として出版され、後にOp. 128に変更された)

1.
Ich war bei Chloen ganz allein,
Und küssen wollt' ich sie.
Jedoch sie sprach, sie würde schrein,
Es sei vergebne Müh!
 僕はクローエと二人きりだった、
 そして彼女にキスしようとした。
 だが彼女は言い放った、そんなことしたら叫ぶからね、
 しようとしても無駄よ!

2.
Ich wagt' es doch und küßte sie,
Trotz ihrer Gegenwehr.
Und schrie sie nicht? Jawohl, sie schrie --
Doch lange hinterher.
 でも僕は思い切って彼女にキスした、
 彼女が抵抗するのをものともせず。
 それで彼女は叫ばなかったのかって?そのとおり、彼女は叫んださ、
 でもずっと後になってからだけどね。

詩:Christian Felix Weisse (1726-1804), "Der Kuss", written 1758, appears in Scherzhafte Lieder, Leipzig
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

------------

クリスティアン・フェリクス・ヴァイセの詩による「キス(Der Kuß, Op. 128)」は1798年終わりに着手、旋律の草稿は完成。1822年秋にスケッチが書かれ、1822年11月か12月までに作曲されました(Beethoven-Haus Bonn)。

詩は説明するまでもなく、女性と二人きりの男性が無理やりキスした顛末が歌われています。キスしたら声出すわよと言った彼女が実際に声を出したのはずっと後だったというちょっと官能的な情景がさらりとユーモラスに描かれています。

私の個人的なイメージですが、田園的な情景が浮かんできました(例えば、こちらの絵画:東京富士美術館Webサイトより)。

ピアノ前奏は歌いだしの2行の歌声部を先取りしていますが、歌が始まるとピアノはほぼ和音に終始します。しかし、歌を展開させる為に重要な立場を与えられているのは言うまでもありません。

ベートーヴェンは例によってこの曲でも詩句の繰り返しを多用しています。
繰り返し詩句を[ ]に入れて全体を記してみます(日本語訳も繰り返しに合わせてみました)。

1.
Ich war bei Chloen ganz allein,
Und küssen wollt' ich sie,
 [Und küssen, küssen, küssen wollt' ich sie:]
Jedoch sie sprach, sie würde schrein,
 [sie würde schrein, sie würde schrein, sie würde schrein,]
Es sei vergebne Müh,
 [vergebne Müh, Es sei vergebne, vergebne Müh.]
 僕はクローエと二人きりだった、
 そして彼女にキスしようとした、
 [キスを、キスを、キスをしようとした。]
 だが彼女は言い放った、そんなことしたら叫ぶからね、
 [叫ぶからね、叫ぶからね、叫ぶからね。]
 しようとしても無駄よ、
 [無駄よ、しようとしても無駄、無駄よ。]

2.
Ich wagt' es doch, und küßte sie,
 [und küßte sie,]
Trotz ihrer Gegenwehr,
 [Trotz ihrer Gegenwehr.]
Und schrie sie nicht? Jawohl, sie schrie,
 [sie schrie;...]
Doch [, doch, doch] lange hinterher,
 [doch, ja doch! doch lange hinterher,]
 [sie schrie, doch lange, lange, lange, lange, lange, lange, lange, lange, lange hinterher,]
 [hinterher, ja lange, lange hinterher.]
 でも僕は思い切って、彼女にキスした、
 [彼女にキスした、]
 彼女が抵抗するのをものともせず、
 [彼女が抵抗するのをものともせず。]
 それで彼女は叫ばなかったのかって?そのとおり、彼女は叫んださ、
 [彼女は叫んださ、]
 でも[でも、でも、]ずっと後になってからだけどね、
 [でも、そう でも!でもずっと後になってからね、]
 [彼女は叫んださ、でもずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと後になってからね、]
 [後になってから、そう ずっと、ずっと後になってからね。]

詩の最終行"lange(ずっと)"を何度も何度も繰り返しています。これによってキスから随分時間が経ってからようやく彼女が声を出したということをベートーヴェンが表現しているのは明らかですね。どうしてずっと後になって声を出したのかを解説するのは野暮というものですね。ネイティブの聴衆を前にしたライヴではここの箇所で笑いが起きることがあります。

蛇足ですが、この最終行の繰り返しの中にもベートーヴェンはお得意の"ja"を2回追加しています。この2箇所の"ja"は歌のメロディーに1音節の音をどうしても置きたかったので穴埋めに使用したように思えます。ただ無くても成立するとは思うので、もしかしたらベートーヴェンの口癖なのかもしれませんね。

若いカップルの「僕たちこんなふうにいちゃついています」という告白にベートーヴェンのお茶目な遊び心が存分に発揮されたユーモラスな名作で人気の高い作品です。最初に着手したのが28歳頃でメロディーはこの時に出来ていたそうですが、最終的な形に完成したのが52歳頃とは随分寝かせていたものですね。どういう経緯で若い頃のスケッチを完成させようと思ったのでしょう。ベートーヴェンのお堅いイメージを覆すにはうってつけの作品ですね。

3/4拍子
イ長調(A-dur)
Mit Lebhaftigkeit jedoch nicht in zu geschwindem Zeitmassee, und scherzend vorgetragen (活気をもって、しかし速すぎないテンポで諧謔的に演奏する)

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

こういうユーモラスなタイプの曲を歌うプライの素晴らしさについて言葉で形容してもしきれない気がします。間合いといい、声の表情といい、聞けば分かる最高の歌唱です。湧き出るような声の充実感もいいですね。曲を締めくくるムーアのコミカルな表現もさすがです!

●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)

ベーアは今ではあまり目立たなくなってしまいましたが、この録音を聞くと、ディクションの美しさ、声に喜怒哀楽をのせる上手さなど際立った才能の持ち主であることが分かります。

●アン・ソフィー・フォン・オッター(MS), メルヴィン・タン(Fortepiano)
Anne Sofie von Otter(MS), Melvyn Tan(Fortepiano)

オッターのあまりのうまさに舌を巻きます!生き生きとした思春期の少年のように聞こえます。彼女がズボン役を得意としていたこともプラスに働いているのでしょう。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

シュライアーは誠実な青年像が浮かんできますね。相変わらずディクションが素晴らしいです。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ヘルタ・クルスト(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hertha Klust(P)

若かりしF=ディースカウの甘い声で巧みに歌っています。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), フーベルト・ギーゼン(P)
Fritz Wunderlich(T), Hubert Giesen(P)

ヴンダーリヒは輝かしい美声に魅了されてしまいます。あえて表情をつけすぎずにメロディーラインを美しく響かせていました。

●ダニエル・ベーレ(T), ヤン・シュルツ(Fortepiano)
Daniel Behle(T), Jan Schultsz(Fortepiano)

2020年8月14日,Church of Saanenでのライヴ映像。こうして映像で見ると臨場感があってより身近に感じられますよね。リートにも力を入れているベーレの見事な歌唱と、シュルツの美しいフォルテピアノの響きが堪能できます。

●ピアノパートのみ
Der Kuss(L.v. Beethoven) 성악반주 Piano accompaniment

チャンネル名:My Pianist
楽譜が映るので、ピアノに合わせて歌えますね。ピアノパートがどうなっているのかを知るうえでも興味深かったです。そして演奏もとても良かったです。

-----------

(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

アリエッテ「くちづけ」——少年の楽しい自慢話(平野昭)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(「Der Kuß」の解説:村田千尋)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

RISM(国際音楽資料目録)

| | | コメント (13)

ベートーヴェン「兵士の別れ(Des Kriegers Abschied, WoO 143)」

Des Kriegers Abschied, WoO 143
 兵士の別れ

1:
Ich zieh' in's Feld, von Lieb' entbrannt,
Doch scheid' ich ohne Tränen;
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen;
Denn zärtlich muß der wahre Held
Stets für ein Liebchen brennen,
Und doch für's Vaterland im Feld
Entschlossen sterben können.
 俺は戦地に赴く、愛に燃えて、
 だが涙を流さず別れよう。
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの。
 なぜなら真の英雄は愛をこめて
 常に恋人のために燃えるべきだから、
 だが祖国のためには戦地で
 決然と死ぬことが出来るのだ。

2:
Ich kämpfte nie, ein Ordensband
Zum Preise zu erlangen,
O Liebe, nur von deiner Hand
Wünscht' ich ihn zu empfangen;
Laß' eines deutschen Mädchens Hand
Mein Siegerleben krönen,
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen!
 俺は、勲章をさげる大綬(だいじゅ)を
 得るために戦うのではない、
 おお愛する人、おまえの手からのみ
 勲章を受け取りたい。
 ドイツ娘の手で
 俺の勝者の生きざまに冠を授けておくれ、
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの!

3:
Denk' ich im Kampfe liebewarm
Daheim an meine Holde,
Dann möcht ich seh'n, wer diesem Arm
Sich widersetzen wollte;
Denn welch ein Lohn! wird Liebchens Hand
Mein Siegerleben krönen,
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen!
 戦のさなかに愛をこめて
 故郷のいとしい人を思うと
 この腕に
 抗おうとした人を見たいと思う。
 というのも、なんというご褒美!恋人の手で
 俺の勝者の生きざまに冠を授けてくれるのだから。
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの!

4:
Leb' wohl, mein Liebchen, Ehr und Pflicht
Ruft jetzt die deutschen Krieger,
Leb' wohl, leb' wohl und weine nicht,
Ich kehre heim als Sieger;
Und fall' ich durch des Gegners Hand,
Dann soll mein Ruf noch tönen:
Mein Arm gehört dem Vaterland,
Mein Herz der holden Schönen!
 さらば、恋人よ、栄誉と義務が
 今ドイツの兵士たちを呼んでいる。
 さらば、さらば、泣かないでくれ、
 俺は勝者として帰還する。
 そして敵の手にかかり死ぬときには
 叫び声を響かせよう、
 俺の腕は祖国のもの、
 俺の心はいとしい美女のもの!

詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

------------

クリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒ(Christian Ludwig Reissig: 1784-1847)の詩による「兵士の別れ(Des Kriegers Abschied, WoO 143)」は1814年終わりに作曲されました。

戦争の歌は気分を高揚させるような勇ましい作品が多く、ベートーヴェンのこの「兵士の別れ」もまたしかりですが、ただ勇ましいだけでなく、別れの辛さとそれを吹っ切るような強がりも詩には表現されているように思われます。そこを演奏者がどのように歌い、演奏するかも聞き所の一つかと思います。

ピアノは各節5行目~6行目が左右交互のリズム打ちになる以外は右手高音が歌のメロディーをなぞります。軍歌でよく見られる手法ですが、起承転結の転にあたる5行目~6行目で突然歌のメロディーから離れるのは、詩の展開を意識した結果であるのと同時に聞き手に趣の変化を感じさせる効果もあるように思います。

C(4/4拍子)
変ホ長調(Es-dur)
Entschlossen(決然と)

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

1,2,3,4節。厚みのあるプライの声で威勢よく歌われていて、別れの感傷を振り払おうとしているかのようです。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

1,3節。シュライアーは速めのテンポでめりはりのきいた歌い方をいていますが、そこはかとない淋しさも滲ませているように感じました。

●ハンス・ホッター(BSBR), ミヒャエル・ラウハイゼン(P)
Hans Hotter(BSBR), Michael Raucheisen(P)

1,4節。ホッターの包容力のある声による歌唱は、恋人に安心させようと歌っているように感じました。

●ヴァンサン・リエーヴル=ピカール(T), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Vincent Lièvre-Picard(T), Jean-Pierre Armengaud(P)

1,2,3,4節。リエーヴル=ピカールの丁寧な歌いぶりは誠実な兵士像が感じられました。

●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Kristin Okerlund(P)

1,2,3,4節。ヴァルダードルフはここでも朴訥とした味が出ていました。オーカーランドのピアノが威勢よく盛り上げていてとても良かったです。

-----------

(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「兵士の別れ」 ——出征する兵士の熱い思いを歌いあげる(平野昭)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

| | | コメント (4)

ベートーヴェン「私のことを覚えていて!(Gedenke mein!, WoO. 130)」

Gedenke mein!, WoO. 130
 私のことを覚えていて!

Gedenke mein! Ich denke dein!
Ach, der Trennung Schmerzen
Versüsst mir die Hoffnung.
 私のことを覚えていてね!私もきみを忘れないよ!
 ああ、別れる辛さを
 希望が和らげてくれるでしょう。

詩:Anonymous
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

------------

作者不詳の詩による「私のことを覚えていて!(Gedenke mein!, WoO. 130)」にベートーヴェンは1804-5年頃に着手し、約15年後の1820年3月に改訂しました。平野昭氏によると、この詩の作者は「ほぼ確実にベートーヴェン自身と思われる」とのことです。

前半は"Gedenke mein! Ich denke dein!"と静かに始まり、マイナーな響きで少し高揚した後に落ち着きを取り戻します。ここまでで最初のリピート記号が付いています。後半は"Ach, der Trennung Schmerzen / Versüsst mir die Hoffnung."と歌われ、徐々に高揚して"Trennung(別れ)"という単語でクライマックスを迎え、徐々に落ち着きを取り戻します。この後半箇所も最後にリピート記号が付いていて、忠実に再現するか否かは演奏者の解釈次第でしょう。そして最後に"Ach(ああ)"とため息を2回繰り返し、主音にならないため息(変ホ長調のミ)で静かに終わります。

コラールのような書法を用いて、おそらく世俗的な別れを表現しているベートーヴェンの音楽からは、作曲家の実生活における何らかの感情が吐露されているように想像させられます。短い曲ですが、胸が締め付けられるような名作だと思います。

Gedenke-mein

3/4拍子
変ホ長調(Es-dur)
Andante con moto

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

リピート記号をすべて忠実に再現した演奏です。シュライアーの歌唱は平然と希望への期待を響かせながらも、そこはかとない辛さもにじませていたように感じました。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

リピート記号は前半は繰り返し、後半は繰り返しませんでした。プライの含蓄のある声の響きは、決然としつつも本心は別れるのが辛いという心情がにじみ出ているようで、この時期ならではの感動的な歌唱だったと思います。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ハルトムート・ヘル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hartmut Höll(P)

リピート記号は前半後半ともに繰り返しを省略しています。晩年のF=ディースカウの声でこの寂しげな内容を巧まずに自然に表現していたと思います。ちなみにデームスとの全集ではこの曲は録音していませんでした。

●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Gustav Mahler Chor Wien, Kristin Okerlund(P)

ヴァルダードルフの完全全集なので、リピート記号はもちろんすべて忠実に再現しています。ヴァルダードルフの抑制した歌が耳をそばだたせてくれます。

-----------

(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「僕のことを想っていて」——作詞もベートーヴェン? 切ない気持ちが伝わる歌曲(平野昭)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(「Gedenke mein!」の解説:村田千尋)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

| | | コメント (5)

« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »