« ベートーヴェン「諦め(Resignation, WoO. 149)」 | トップページ | アンゲリカ・キルヒシュラーガー2022年草津公演の映像 »

ベートーヴェン「星空の下の夕暮れの歌(Abendlied unterm gestirnten Himmel, WoO 150)」

Abendlied unterm gestirnten Himmel, WoO 150
 星空の下の夕暮れの歌

1.
Wenn die Sonne niedersinket,
Und der Tag zur Ruh sich neigt,
Luna freundlich leise winket,
Und die Nacht herniedersteigt;
Wenn die Sterne prächtig schimmern,
Tausend Sonnenstrassen flimmern:
Fühlt die Seele sich so groß,
Windet sich vom Staube los.
 日が沈み
 一日が休息しようとしているとき、
 月の女神が親しげにかすかな合図をして
 夜の帳が下りる。
 星々が壮麗にちらつき
 千もの太陽の軌道がきらめくとき
 魂は自身が大きくなったことを感じ
 塵から解き放たれようと身をよじる。

2.
Schaut so gern nach jenen Sternen,
Wie zurück ins Vaterland,
Hin nach jenen lichten Fernen,
Und vergißt der Erde Tand;
Will nur ringen, will nur streben,
Ihre Hülle zu entschweben:
Erde ist ihr eng und klein,
Auf den Sternen möcht sie sein.
 あの星々を、
 祖国に帰るように、
 あの明るい遠方を喜んで見つめて、
 地上のつまらなさを忘れる。
 ひたすら奮闘し、努める、
 魂を覆っているものから離れようと。
 地上は魂にとって窮屈で小さい、
 星々にいたいのだ。

3.
Ob der Erde Stürme toben,
Falsches Glück den Bösen lohnt:
Hoffend blicket sie nach oben,
Wo der Sternenrichter thront.
Keine Furcht kann sie mehr quälen,
Keine Macht kann ihr befehlen;
Mit verklärtem Angesicht,
Schwingt sie sich zum Himmelslicht.
 地上の嵐が荒れ狂い
 偽りの幸せが悪人に報いようが、
 希望を持って魂は上方を見つめる、
 星々の審判者が君臨している所を。
 もはや恐怖が魂を苦しめることは出来ず
 権力が魂に命じることも出来ない。
 浄化した顔で
 天の光へと弧を描いて行く。

4.
Eine leise Ahnung schauert
Mich aus jenen Welten an;
Lange nicht mehr dauert
Meine Erdenpilgerbahn,
Bald hab ich das Ziel errungen,
Bald zu euch mich aufgeschwungen,
Ernte bald an Gottes Thron
Meiner Leiden schönen Lohn.
 あの世からのかすかな予感に
 私は震える。
 もはや
 私の地上での巡礼の道は長くないだろう。
 じきに私は目的地に達して
 きみたちのもとへ飛び立っていく、
 間もなく神の玉座で
 私の苦しみは素晴らしい報いを得るだろう。

詩:(Ferdinand August) Otto Heinrich, Graf von Loeben (1786-1825), as Heinrich Goeble
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

------------

「星空の下の夕暮れの歌」の詩の作者はハインリヒ・ゲーブレ(Heinrich Goeble)という人で、これまで生没年も含めて詳細が知られていませんでしたが、Wikipediaの英語版では、ハインリヒ・ゲーブレは、オットー・ハインリヒ・フォン・レーベンの2番目の筆名であり、ベートーヴェンのこの歌曲の詩の作者であると明言しています。その根拠として"Theodore Albrecht, "Otto Heinrich Graf von Loeben (1786-1825) and the Poetic Source of Beethoven's Abendlied unterm gestirnten Himmel, WoO 150," in Bonner Beethoven-Studien, Band 10 (Bonn: Verlag Beethoven-Haus, 2012), pp. 7–32"という文献を挙げていますので、この論文の中で同一人物である旨考察がされているものと思われます。

詩は、窮屈な地上にいる主人公の魂が、やがてまとっている肉体から解き放たれてはるか星のもとに帰り、これまでの苦悩が報われることを予感するという内容です。

ベートーヴェンはこの詩に1820年3月4日に作曲し、同月出版されました。初版の出版譜にメトロノームの速度指示が記載されています。

歌は4節からなる変形有節形式で、基本は同じ音楽ですが、節によって多少の旋律の変化があります。歌声部の最終節の最終行はコーダのように繰り返されますが、その際にベートーヴェンお得意の"ja"を追加し、さらに"bald(間もなく)"を2回繰り返してから最終行を繰り返します。その際"Leiden(苦悩)"の下行する半音進行も印象的です。ピアノパートは各節異なっており、詩に応じた描写をしているように感じられます。特に高音域で締めくくるピアノ後奏の響きの美しさは印象的です。荘厳で透徹した神々しい音楽は、すでに主人公が天空に到達しているかのように感じられます。

各節の歌声部を掲載しておきます。

第1節
Abendlied-unterm-gestirnten-himmel_1

第2節
Abendlied-unterm-gestirnten-himmel_2

第3節
Abendlied-unterm-gestirnten-himmel_3

第4節
Abendlied-unterm-gestirnten-himmel_4

C (4/4拍子)
ホ長調(E-dur)
Ziemlich anhaltend (かなり音を保持して)
♩=76. Mälzels Metronom

●ハンス・ホッター(BSBR), ミヒャエル・ラウハイゼン(P)
Hans Hotter(BSBR), Michael Raucheisen(P)

ホッターのもつ温かみのある声は、魂への限りない共感に満ちていました。

●ジョン・マーク・エインスリー(T), イアン・バーンサイド(P)
John Mark Ainsley(T), Iain Burnside(P)

高音歌手にとって決して歌いやすい音域ではないと思いますが、エインスリーは丁寧に心情を描き出していて感動しました!バーンサイドの音色も美しいです。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

プライは主に各節前半を柔らかく、後半を重厚に力強く歌い、この曲から威厳を引き出していました。ホカンソンも雄弁な演奏でした。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ハルトムート・ヘル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hartmut Höll(P)

いい意味で枯れた雰囲気のある後期のF=ディースカウの声によって、老境の悟りきった趣がよく出ていました。

●ジャン・デガエタニ(MS), ギルバート・カリッシュ(P)
Jan DeGaetani(MS), Gilbert Kalish(P)

慈しむように歌うデガエタニの歌唱に魅了されました。カリッシュのピアノはかなりドラマティックでした。

●ペーター・シュライアー(T), アンドラーシュ・シフ(P)
Peter Schreier(T), András Schiff(P)

シュライアーは必要以上に起伏を強調せず、自然に歌っていました。

-----------

(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「星空の下の夕べの歌」——ベートーヴェンの力作! 来る死を想う歌曲(平野昭)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(「Abendlied unterm gestirnten Himmel」の解説:村田千尋)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

RISM(国際音楽資料目録)

Otto von Loeben (Wikipedia: 独語)

Otto Heinrich von Loeben (Wikipedia: 英語)

| |

« ベートーヴェン「諦め(Resignation, WoO. 149)」 | トップページ | アンゲリカ・キルヒシュラーガー2022年草津公演の映像 »

音楽」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

ベートーヴェン」カテゴリの記事

コメント

フランツさん、こんにちは。

この詩は、キリスト教以前のアニミズム感を感じさせる詩ですね。「玉座」という表現は聖書の中にも出てきますから、キリスト教とアミニズムを融合させた感覚の中でこの詩を書いたのだろうか、という気もします。
それは、現代の歌ではありますが、「千の風になって」に感じるものと共通しているようにも思います。
そのためか、曲も、一神教、父なる神やキリストへ一直線に向う愛や安らぎというより、大自然に抱かれているような印象を受けました。

演奏は、エインスリーがとても心にしみました。静かで澄み切った感じが、前述のように私が感じた詩や曲と馴染んでいたように思いました。
エインスリーは、フランツさんに教えて頂いた歌手ですがいいですね。
澄んだ素直な美声は、ずっと聞いていたくなりますね。
しらべましたら、もう50代後半のようで、ずっと知らずにいたのが悔やまれます。

シュライヤーの、起伏を抑えたうたいぶりも、かえってこの曲がしみじみ訴えてくるように思いました。

ディースカウさんの演奏、枯れた味わいとのこと。私には年代別の声を聞き分けられる耳がないのですが、枯れた味わいと言いますと、今取り組んでいる臨書(古筆〜昔の人が書いた書作品〜をお手本として書くこと)が、伝・小野道風の「継色紙(つぎしきし)」なんです。

この古筆は、「心技一体の手法と、老蒼枯淡の妙味に達している」古筆中名蹟の極致などと呼ばれています。
ディースカウさんの歌を聞きながら、リート歌手として、枯れた味わいの中に、心と技が一つになって妙なる味わいに高めて行った姿を感じました。
一つのものを求道者のように極めて行った人には、哲学者のような、悟りのような静けさがありますね。

プライさんは、晩年は渋みや威厳が加わりましたが、そういった仙人のような悟りよりは、どこまでも人間的で歌に血肉を吹き込むタイプの歌手なのだと改めて思いました。
どちらがいいとかではなく、それは歌手としての特性であり、元々持った人としての特性でもあるのでしょうね。

表現の中に人となりが現れるリートは、奥深い世界ですよね。

投稿: 真子 | 2022年8月28日 (日曜日) 17時28分

真子さん、こんばんは。

コメント有難うございます。

星に帰るという発想は確かにアニミズム的なのかもしれませんね。
「玉座」は"Thron"を訳したものですが、キリスト教的な言葉ということなので、両者を融合した要素が含まれているということなのですね。
地上で肉体をまとった魂が、この肉体から離れて故郷の星へと帰りたいという内容は確かにキリスト教的な詩とは少し色合いが違うような感じがしますね。

エインスリー、いいですよね。私がはじめてこの歌手を知ったのはハイペリオンのシューベルト全集にしばしば登場した頃でした。澄んだ美声が星を歌ったこの詩にぴったりですね。

ディースカウは70年代後半から80年代になって声が明らかに変わり、クラシックを聴き始めた頃の私は若かりし頃のつやがなくなったように感じてちょっと残念に感じていたことを思い出します。でも今こうして聴いてみると、力を抜いた時の枯淡の境地のような響きが味わい深く、若かりし頃にはなかった深みが感じられます。やはりリート歌手は年齢によって良さが変化していくものだとあらためて感じさせられます(歌手もそうですが、聴き手の年齢によっても変わっていきますね)。

臨書という言葉はじめて知りました。ご教示有難うございます。お手本にならって書くという意味では写経も一種の臨書なのかなと思いました(昔奈良に行くたびに写経をしたことを思い出します。またいつか行きたいです)。

「小野道風 継色紙」で画像検索してみました。文字が歌っているようでいいですね。
心技体のバランスがとれている状態が芸術には重要なのでしょうね。

プライについて「どこまでも人間的で歌に血肉を吹き込むタイプの歌手」というのは全く同感です!滲み出る味わいが濃くなった印象はありますが、基本的な歌を全身で表現するという姿勢は変わらなかったと思います。

音楽も書も人となりがあらわれるから、年月を超えて訴えかけてくるのでしょうね。

投稿: フランツ | 2022年8月28日 (日曜日) 19時22分

フランツさん、こんばんは。

ディースカウさんの声が変わった時期に、ファンとして辛い思いをされたのですね。
私もそうです。

1971年のエンゲルとの、シューベルト「美しい水車小屋の娘」に一聴ぼれし、続けてサヴァリッシュとの「冬の旅」、ワルターとの「白鳥の歌」を聞きこんだのち、デンオン盤の「水車小屋の娘」を聞いた時の衝撃!
あの、瑞々しい甘い美声がかなり渋くなっていましたから。

これはどんな名歌手でも、声楽家の宿命ですね。私も、晩年の老木の味わいを受け入れるまでに時間がかかりました。
リートとしては、デンオン盤の「冬の旅」は、それまでのプライさんに見ることのできない深みを、今はかんじます。

継色紙(見て下さったのですね)の線質も、枯れた味わいの中に若枝の生命を感じる筆の妙技があります。
プライさんの渋みが加わった声。
この声だから表現できる、と言う妙があるのでしょうね。
そうは言っても、声楽は、あらゆる芸術のなかで、一番過酷な現実を突きつけられるジャンルですよね。


投稿: | 2022年8月30日 (火曜日) 21時06分

真子さん、こんばんは。

真子さんもプライの声の変化に衝撃を受けておられたのですね!

私はディースカウが過去にEMIに吹き込んだシューベルト歌曲の2枚組LPを最初に聞いていたので、その後に買った80年代のPhilipsへのシューベルト歌曲集録音のかなり重くなった声を聞いてショックを受けたことは覚えています。今聴くと「ヒッポリートの歌」とか「秋」とか「竪琴弾きの歌」とか老境ならではのいい歌なんですけどね。

どんな名歌手でも肉体が楽器である以上、声が変わっていくのは仕方ないことですよね。全盛期を過ぎた声を受け入れた後に、その深みを味わうことが出来るようになってくるとまた楽しいですね。

私はディースカウに比べてプライは比較的声の変化が緩やかだったように感じていました。DENONのビアンコニとの三大歌曲集の録音を聴いて、歌い方や解釈が渋くなったというのは感じましたが、声の変化はそれほど分からなかったです。ドイチュとのシューベルトのゲーテ歌曲集など、さらに声の厚みが増して充実したように感じていました(テンポが随分変わったのも印象に残っています)。
真子さんはプライをずっと聞き続けてこられたからこそ、その違いを敏感に感じ取られたのではないでしょうか。

オペラだと声の威力も必要とされるので年齢の限界があるかもしれませんが、歌曲は年齢を重ねてこその味わいがあるので、生涯現役のリート歌手が多くいるのも偶然ではないように思っています。

投稿: フランツ | 2022年8月31日 (水曜日) 19時20分

フランツさん、こんばんは。

やはり、お互い、耳の細胞に染み込むほど聞き込んだ歌手の声の変化は、敏感にわかるものなんですね。
私もかなりのショックを受けました。
元々美声好きで、声に聞き入ってしまうタイプでしたので。

インターコードにいれた、ドイチュとのシューベルトは名盤ですよね!
渋みと重みが加わった声で歌われると、とても説得力がありました。恐らく、今の声にあった選曲をしたのではないかと思います。
「旅人の夜の歌」の静謐さは、年齢を重ねたからこそ出せるものだと思います。
しかし、一方で、私の大好きな「トゥーレの王」では、甘味も十分あります。
プライさんは、声が渋みを増しても、甘さは、完全には最後まで失われなかったと思います。

テンポについては、若い頃はゆっくり目。40代でのフィリップス盤では、相対的に速くなっています。
そして、50代では再びゆっくりしたテンポになっている曲が多いです。
インターコード盤は特にゆっくりしていますね。威風堂々としています。

フランツさんがお書きになっているように、聞く側の年齢や状況も影響しますね。
たくさん残してくれた録音の数々、これからも大切に聞いていきたいです。

投稿: 真子 | 2022年8月31日 (水曜日) 20時30分

真子さん、こんばんは。

プライのテンポの変遷は遅→速→遅なのですね。
Philipsの全集録音はおっしゃるように概して快適な前進するようなテンポがとられているように感じています。

Intercord盤は、選曲から当時のプライが歌いたい曲で構成されているのでしょうね。私はこの録音を聴くより前にFMで放送されたザルツブルクライヴでのほぼ同じプログラムによるリサイタルを先に聴いたような気がします。そしてこのプログラムを五反田のホールでも生で聴いて、感銘を受けたのでした。

Intercordには同時期にブラームスやレーヴェも録音していましたよね。
プライの歌うブラームスってあまり話題になりませんが良いですよね!
この時期だからこそ録音したい曲が選ばれているのでしょうね。

投稿: フランツ | 2022年9月 1日 (木曜日) 19時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ベートーヴェン「諦め(Resignation, WoO. 149)」 | トップページ | アンゲリカ・キルヒシュラーガー2022年草津公演の映像 »