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ベートーヴェン「五月が戻り来て、野原は花開く(Es kehret der Maien, es blühet die Au, Op. 98, No. 5)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第5曲)

Es kehret der Maien, es blühet die Au, Op. 98, No. 5 (aus "An die ferne Geliebte")
 五月が戻り来て、野原は花開く(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第5曲)

1.
Es kehret der Maien, es blühet die Au,
Die Lüfte, sie wehen so milde, so lau,
Geschwätzig die Bäche nun rinnen.
Die Schwalbe, die kehret zum wirtlichen Dach,
Sie baut sich so emsig ihr bräutlich Gemach,
Die Liebe soll wohnen da drinnen.
 五月が戻り来て、野原は花開く。
 そよ風はかくも穏やかにあたたかく吹き渡り、
 冗舌に小川が今流れている。
 ツバメは快適な屋根に帰り
 婚礼部屋を熱心につくる。
 愛がそこに宿るはずだ。

2.
Sie bringt sich geschäftig von kreuz und von quer
Manch weicheres Stück zu dem Brautbett [hierher]1,
Manch wärmendes Stück für die Kleinen.
Nun wohnen die Gatten beisammen so treu,
Was Winter geschieden, verband nun der Mai,
Was liebet, das weiß er zu einen.
 ツバメはせっせとあちこちからいくつも運び込む、
 寝床には柔らかいものを、
 子供たちのためには温かいものを。
 今夫婦が一緒にかくも貞節に住んでいる、
 冬が隔てたものを五月が今結びつけた。
 愛するものが一つになることを五月は知っているのだ。

3.
Es kehret der Maien, es blühet die Au.
Die Lüfte, sie wehen so milde, so lau.
Nur ich kann nicht ziehen von hinnen.
Wenn alles, was liebet, der Frühling vereint,
Nur unserer Liebe kein Frühling erscheint,
Und Tränen sind all ihr Gewinnen.
 五月が戻り来て、野原は花開く。
 そよ風はかくも穏やかにあたたかく吹き渡る。
 僕だけがここから離れることが出来ない。
 愛するもの同士をすべて春が一つにしても
 ただ僕らの愛にだけは春が来てくれず、
 手に入れたのは涙がすべてだ。

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

1 some editions have "hieher"; the spelling can be found as well in Tonkünstler-Versammlung zu Weimar, zugleich als Vorfeier zu Ludwig van Beethoven's 100jährigen Geburtsfeste, 1870, page 24.

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雲や西風や小川に気持ちを訴えた前曲を受けて、第5曲では次のようなことが語られます。

五月になると、野原は花盛りになり、風が穏やかに吹きわたり、小川がおしゃべりしながら流れる。
ツバメは奥さんや子供たちの為の寝床や食べ物を運んでくる。
冬に分かれたものは五月になるとみな一緒になる。
だが、僕だけはここから離れられない。僕らの愛には春は来ず、得たのは涙のみだ。

3連からなる詩(このヤイテレスの詩は出版されなかったので、実際に3連だったかどうかは確認するすべがありませんが、構造的に推測すると3連の可能性が高いと思います)の第1連と第3連の最初の2行が全く同一で、それゆえに五月の到来の喜びと主人公の悲しみが対比されて伝わってきます。

かなり長めの前奏はナイチンゲールやかっこうの鳴き声のようにも聞こえますが、あるいは歌詞に登場するツバメ(第3曲の"Segler"ではなく、"Schwalbe")の鳴き声を模しているのでしょうか。

前曲からの橋渡し

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歌声部はほぼ完全な有節形式で、基本的に♩♪♪のリズムで進みます(数年前に作曲された交響曲第7番の第2楽章が頭をよぎります)。調も拍子もリズムも各連同一ですが、3連の"Nur unserer Liebe kein Frühling erscheint(ただ僕らの愛にだけは春が来てくれず)"の"kein"のみ2点ヘ音に上行します(続く"Frühling"の"Früh-"と同音)。"kein"という否定語を強調したかったのでしょう。

ちなみに各連最初の音は2点ト音(g)で、しかもアクセントのない音節なので、歌手にとっては歌いだしからなかなか大変ではないかと推測されます。

1連
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2連
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3連
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ピアノパートも1連と2連は珍しくほぼ同一で、ピアノ間奏に若干の変更があるぐらいです。3連になると基本は1,2連を踏襲しつつところどころ変化を付けていきます。ただ、他の曲のように一新するというわけではなく、基本は同じで少しテキストに応じて変化を付けているというぐらいです。例えば"Tränen sind all ihr Gewinnen(手に入れたのは涙がすべてだ)"という箇所は弱拍に四分休符を置き、涙で動きが停滞するような効果を出しているように感じました。

最後にベートーヴェンお得意の"ja"という言葉をはさんで最後の"all ihr Gewinnen"を同主調のハ短調で寂しく繰り返し、次の最終曲へとつなげます。

C (4/4拍子)
Vivace
ハ長調(C-dur)

●詩の朗読(Sprecher: Johannes-c-held.com)

チャンネル名:Lied Lyrics

●ツバメの鳴き声
Rauchschwalbe Gesang

チャンネル名:Jennifer Timrott

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

トリッチュラーの声の魅力が発揮されていますね。最終連の我に返って悲嘆にくれるところも巧まない自然な表現が心地よいです。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

第3連の切々とした表現が沁みます。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

若きF=ディースカウの声、とても柔らかくていいなぁと思いました。ムーアの表現の豊かさも素晴らしいです。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

「ベートーヴェンの指示は<ヴィヴァーチェ>つまり生き生きと、快活に、である。ここでは私は作曲家の指示を言葉通りに受けとめる。とりわけアダージョにまで速度が落ちるリートの終わりを考慮にいれるとなおさらだ」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。プライは各連の最終行にクライマックスがくるように歌っていました。最終連最後の一フレーズの抑えた歌いぶりもいいですね。

●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)

歌とピアノの完璧なアンサンブルですね!

●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)

ヒュッシュの歌は格調の高さや気品が感じられ、言葉をとても大切に扱っているのが伝わってきます。

●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)

ブルンスは第3連の己の境遇を嘆く箇所でも特に深刻にならず、心配しなくてもいずれ遠くの彼女に会えると信じているような歌を聞かせていました。

●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

ボストリッジは低い方もわりと厚みのある声を出せるのが強みですね。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Es kehret der Maien, es blühet die Au Op. 98 No. 5 (L. v. Beethoven) - Accompaniment

チャンネル名:insklyuh

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

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コメント

フランツさん、こんにちは。

第5曲は、最後のフレーズが切ないほどに甘いメロディを持っていますね。

ヴンダーリヒのハニーヴォイスでの愛の歌には引き込まれます。

トリッチュラーもいいですね。
おっしゃるように魅力的な声ですよね。最後の収め方も自然ですね。

この歌曲集におけるディースカウさんの甘い声歌いぶりは魅力的ですね。ヴンダーリヒの後に聞いても甘さに!引けを取らなかったです。

前曲のプライさんの自伝からの言葉。「私にとってこのことははじめての高い変ホ音を、つまり、とりわけ、ひとつだけかなり高い第五のリートへの準備を促す、高音域での発声を意味している」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。
この言葉を念頭に、第5曲の冒頭を聞くとなるほどなと思います。
間奏があるとは言え、歌手にとってはかなり意識して当てていく音だと思います。プライさんの歌いぶりからかなり慎重に音を当てている感じがします。
また、彼は情熱的な面が取り上げられがちですが、実は抑制的な歌い方も美しいんです。
Tränen の歌い方が好きです。

ホルツマイアの柔らかい優しい歌いぶりには癒やされますね。恋人を慈しむ青年像が浮かびます。

ディースカウさんは、ヒッシュの後継者などと言われてもいましたね。言葉の粒が立って、聞いていて爽快ですね。

ブルンスは、様々な演奏の中でも始終明るく伸びやかに歌っていますね。

ボストリッジ節も魅力的ですね。音色の変化が巧みですね。

いよいよ次は終曲ですね。

投稿: | 2022年7月 9日 (土曜日) 17時27分

真子さん、こんにちは。

第5曲はおっしゃるように最後に重点を置いていますよね。
五月が来ればみな一つに結ばれるのに、僕らだけ離れ離れのままという嘆きを歌う最後の音楽の切なさはベートーヴェンの見事さであり、それをうまく伝えるための演奏者たちの技術も求められますね。

ヴンダーリヒは甘美だからこその最後の切なさが締め付けられるように感じられます。

トリッチュラーは苦渋の跡のないなめらかな発声が素晴らしいと思います。安心して聴ける感じですね。

F=ディースカウ、甘い美声ですよね。彼にもこういう時期があったということはファンとしては嬉しいです。

プライの自伝はいろいろ気付かせてくれますよね。この第5曲の冒頭の高音(原調ではト音)はいくらプライほどの大歌手であっても慎重にならざるをえないのですね。聞いていると、この音がそんな高音ということを意識しないほど自然に歌われているのはさすがですね。

ホルツマイアの優しい歌、ヒュッシュの格調高い歌、ブルンスの伸びやかな歌、ボストリッジの繊細な歌、それぞれの異なる味わいが堪能できるのが聴き比べの楽しみだと思います。

今回も丁寧にコメントくださり有難うございます!
次でいよいよ終曲です。

投稿: フランツ | 2022年7月10日 (日曜日) 16時55分

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