ベートーヴェン「それではこれらの歌を受け取っておくれ(Nimm sie hin denn, diese Lieder, Op. 98, No. 6)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第6曲)
Nimm sie hin denn, diese Lieder, Op. 98, No. 6 (aus "An die ferne Geliebte")
それではこれらの歌を受け取っておくれ(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第6曲)
1.
Nimm sie hin denn, diese Lieder,
Die ich dir, Geliebte, sang,
Singe sie dann abends wieder
Zu der Laute süßem Klang.
それではこれらの歌を受け取っておくれ、
僕が、きみに、愛する人に歌った歌を、
晩になるたびにまた歌っておくれ、
リュートの甘い響きに合わせて。
2.
Wenn das Dämmrungsrot dann ziehet
Nach dem stillen blauen See,
Und sein letzter Strahl verglühet
Hinter jener Bergeshöh;
黄昏時の赤みが
静かな青い湖へと移り、
最後の光が
あの山の高みのうしろに消えていくとき、
3.
Und du singst, was ich gesungen,
Was mir aus der vollen Brust
Ohne Kunstgepräng erklungen,
Nur der Sehnsucht sich bewußt:
そして、僕が歌った歌を、
僕が大声を張り上げ
芸術的な華麗さもなく
ただ憧れの気持ちを意識して響かせた歌を、きみが歌ってくれるときには、
4.
Dann vor diesen Liedern weichet
Was geschieden uns so weit,
Und ein liebend Herz erreichet
Was ein liebend Herz geweiht.
これらの歌の前で
僕らをこれほど遠く隔てていたものが消え失せ、
一つの愛する心が
愛する心を捧げたものに到達するのだ。
詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)
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前曲の最後の寂しい終わり方を受けて、第6曲「それではこれらの歌を受け取っておくれ」のピアノ前奏は表情豊かな美しい歌を奏でます。前奏で奏でているのは、歌声部の冒頭部分を基にして装飾を加えたもので、主人公が遥かな恋人に歌ってきかせた歌なのでしょう。
前曲からの橋渡し
第1曲から第5曲まで基本的に有節形式だったのに対して、最終曲であるこの第6曲はA-B-A'-Cという形式をとります。そして最終連のCの部分は第1曲の歌声部と同じ形をもってきて、さらにその形を展開させて大団円のうちに曲を締めくくります。つまりこの歌曲集全体の最初と最後に同じ音楽を置き、その間に有節形式の曲を複数はさみこむ形をとっていることが分かります。
実はテキストを見ると、第1曲の最終連と第6曲の最終連は、最後の2行が全く同一であるだけでなく、前半の詩行も含めて対応しています。
第1曲の最終連(第5連)
Denn vor Liedesklang entweichet
Jeder Raum und jede Zeit,
Und ein liebend Herz erreichet,
Was ein liebend Herz geweiht!
なぜなら歌が響くと
空間や時の隔たりが消え、
一つの愛する心が
愛する心を捧げたものに到達するのだから!
第6曲の最終連(第4連)
Dann vor diesen Liedern weichet
Was geschieden uns so weit,
Und ein liebend Herz erreichet
Was ein liebend Herz geweiht.
これらの歌の前で
僕らをこれほど遠く隔てていたものが消え失せ、
一つの愛する心が
愛する心を捧げたものに到達するのだ。
テキストのこの部分はベートーヴェンによって追加されたのかもしれないという説もあるようですが、ヤイテレスのオリジナルの詩の形が残されていない為、真相は闇の中です。ただ、最終連がないとそれまでの2連、3連の「~のとき」に対応する文言がないままになってしまう為、おそらくヤイテレスのオリジナルに含まれているのではないかと個人的には思います。
いずれにせよ、我々は最初の曲でこの主人公が丘の上に腰を下ろしている情景を目に浮かべ、その後の曲で遠い恋人への思いをあれこれ巡らせるのを見てきました。最終曲にいたって最初の曲の音楽が登場すると主人公が丘に腰を下ろした情景を再び思い浮かべることになります。主人公は最後に歌のもつ力を高らかに歌い上げて締めくくります。物理的な距離はなにひとつ変わらず離れたままですが、二人が歌を歌うことで心の距離は消滅するのでしょう。立ちはだかる障壁を克服するベートーヴェンらしいテーマの作品だと思いました。
2/4拍子
Andante con moto, cantabile
変ホ長調(Es-dur)
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ところで、この歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の最終曲の冒頭フレーズを、ベートーヴェンを崇拝していたシューマンが自作に引用していることがしばしば話題になります。1835年リストらを発起人としてボンにベートーヴェン記念碑の建立が計画され、その寄付の為にピアノ独奏の為の「幻想曲Op.17」が作曲されたそうです。どのように引用されているかをここで見ておきたいと思います。
下図は、"Nimm sie hin denn, diese Lieder"の冒頭の歌声部と、そのフレーズの構成を表にしたものです(クリックすると拡大表示されます)。
「ラーラシドーソーソーーファファーミー」:主音に向かって順次進行で上行し、その後4度下行した後にさらに順次進行で下行していきます。つまり上がってから下がるアーチ型のフレーズになっています。
それでは、シューマンの「幻想曲」を見ていきます。
シューマン:幻想曲, Op. 17 (Schumann: Fantasie, Op. 17)
3つの部分から成る傑作「幻想曲」の第1部に、"Nimm sie hin denn, diese Lieder"のフレーズがリズムの変化や拡縮を施しつつ、あちこちに引用されています。
最も分かりやすいのが、第1部最後近くの下記部分です。ここにいたるまであちこちに散りばめていたフレーズの種明かしを最後にしたというところでしょうか。
295小節から
4が1つ増やされていますが、他はベートーヴェンのフレーズの進行をそのまま使っています。
実は「幻想曲」の冒頭で右手が最初に奏でるフレーズも"Nimm sie hin denn, diese Lieder"のフレーズが基になっていることが分かります。
ただ、2と4の間をつなぐ3が省かれているうえに、4は内声で目立たず、繰り返される同じ音程の音(6、8)は省略され、リズムも異なる為、音を聴いただけで認識するのは困難ではないかと思います。私も音だけでは全く気付かず、楽譜を見て初めて気付きました。伏線のようにこっそり紛れ込ませたのかもしれません。
他にも下記のような箇所にこのフレーズがあらわれます。
もう1つ別の例を見てみましょう。「夜曲, Op.23」の第4曲です。
シューマン:夜曲, Op.23, No. 4 (Schumann: Nachtstück, Op.23, No. 4: Einfach)
25小節の途中まで変イ長調で進み、25小節の4拍目から臨時記号を付けてg→gesにすることで一時的に変ニ長調にして” Nimm sie hin denn, diese Lieder”のフレーズを取り入れています。2-3-4-4-5-7-9の流れで、6と8がありませんが、音程は5=6(ソ)、7=8(ファ)なので、それぞれ連続する同じ音程の音を省いただけで骨組みは同じです。「幻想曲」の第1部最後の箇所同様、4を繰り返しているのが印象的です。
この他にもいくつかの作品での引用があるようで、こちらのリンク先でTimothy Judd氏が解説されています。『女の愛と生涯』の第6曲"Süßer Freund, du blickest mich verwundert an"のピアノ間奏にも使われているのは気付きませんでした!リンク先の動画の目盛りを2:45にして聞いてみて下さい。
●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)
ヴンダーリヒの甘い美声はちょっと切なさも感じさせて、青春の歌という感じでした。前奏を訥々と弾くシュミットも味わいがありました。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)
20代のF=ディースカウの声の柔らかさがこの曲にとても合っていました。ムーアが雄弁な表現力でこの作品を締めくくります。
●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)
プライは3連までは抑え気味に歌い、最終連で喜びを爆発させていました。配分をとても考えて歌っていることが伝わってきます。「<この歌を受け取ってほしい/愛するひと、きみのためにうたった歌を>-リート歌手としての私の願望を端的に要約したような詩行である」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。
●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)
陰影に富んだゲルネの歌唱にぐっと引き付けられました。低い音域が多い曲の為かゲルネの声に包まれる感じでとても良かったです。ゲルネの重厚さに、リシエツキのピアノが若々しい疾走感を加えていて、いいコンビでした。
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
シュライアーの演出力、説得力、安定感はさすがですね。締めにふさわしい歌唱でした。そしてオルベルツのタッチも終始美しかったです。
●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)
楷書風の格調高いヒュッシュの歌はどの言葉も、どの音もおろそかにしないという姿勢が感じられ背筋が伸びる思いです。20世紀前半の自由な歌唱の潮流の中、かっちりしたスタイルを重視したヒュッシュの歌が現れて、その後のリート歌手に大きな影響を与えたと思います。無二の共演者ミュラーも隙がなく見事に歌をつくりあげていました。
●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)
夢見る青年そのものの「憧れ」を感じさせるベーアの歌唱でした。パーソンズはどこをとってもうまいですね。
●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)
ホルツマイアはレガートが素晴らしいですね。3連の"bewußt"、最終連の"weit"の弱声が引き込まれました。そしてクーパーのピアノの美しいタッチも耳を奪われます。
●エルンスト・ヘフリガー(T), エリク・ヴェルバ(P)
Ernst Haefliger(T), Erik Werba(P)
ヘフリガーの誠実で真っすぐな歌唱は、この歌曲集を歌うのに最もふさわしい一人だと感じます。ここではなかなか骨太な感じも出ていたと思います。ヴェルバは速めのテンポで一見飛ばしているようにも聞こえますが、ニュアンスをしっかり付けているのが感じられます。
●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)
トリッチュラーは最後の曲でも平常心で爽やかに歌い切りました。マーティノーは歌手が歌いやすいように導いている印象を強く受けました。
●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)
恋人への一途で真っすぐな感情が感じられるブルンスの歌唱でした。3連の"bewußt"のデクレッシェンドも美しかったです。タイルも立体的な演奏で素晴らしかったです。
●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)
最終曲ではボストリッジの繊細さがよく表れていたと思います。パッパーノは他の歌手からも共演を依頼されるのが分かるほど見事な演奏でした。何故かこの曲だけプロモーション用の映像が公開されていないようです(撮影されなかった?)。
●ロデリック・ウィリアムズ(BR), イアン・バーンサイド(P)
Roderick Williams(BR), Ann Murray(MS), Iain Burnside(P)
歌、ピアノともずっと抑えていて最後の最後で解放されて大団円という設計が巧みでした。英国人ウィリアムズはディクションがとても明晰で良いですね。
●バーバラ・ヘンドリックス(S), ルーヴェ・デルヴィンゲル(P)
Barbara Hendricks(S), Love Derwinger(P)
年輪を重ねたヘンドリックスならではの味わい深い歌唱でした。第3連最終行の繰り返しの時に装飾を加えていたのが興味深かったです。デルヴィンゲルも雄弁で良かったです。
●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Nimm sie hin denn, diese Lieder Op. 98 No. 6 (L. v. Beethoven) - Accompaniment
チャンネル名:insklyuh
●【第6曲の歌声部冒頭が引用された例(1)】
シューマン:幻想曲ハ長調Op. 17
Schumann: Fantasie, Op. 17
レイフ・オヴェ・アンスネス(P)
Leif Ove Andsnes(P)
0:02-:2小節右手
0:21-:14小節右手
2:07-:69小節右手
10:47-:295小節右手(これが最も分かりやすいです)
●【第6曲の歌声部冒頭が引用された例(2)】
シューマン:夜曲, Op.23, No. 4
Schumann: Nachtstück, Op.23, No. 4: Einfach
エミール・ギレリス(P)
Emil Gilels(P)
17:34-:25小節右手
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(参考)
「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)
吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)
『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)
『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)
『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)
Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)
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コメント
フランツさん、こんにちは。
この美しい歌曲集とも、この六曲目でお別れですね。
シューマンの「女の愛と生涯」も、この曲集に影響を受けたのでしょうね。
様々な作曲家の尊敬を集めていたベートーヴェン。偉大な音楽家ですね。
ヴンダーリヒの輝かしい美声は六曲目においてますます輝きを増しますね。
二連、四連の最終部分など圧巻です。
ディースカウさんの甘さを保ちながらの巧みな曲作りには驚くばかりです。非常に魅力的な演奏をありがとうございます。
ご紹介下さっているブライさんの自伝の言葉。初めて読んだとき歓喜しました!
この歌を受け取ってほしい/愛するひと、きみのためにうたった歌を>-リート歌手としての私の願望を端的に要約したような詩行である」
「愛するひと、きみのためにうたった歌を」!
若き日のプライさんは、喉や声の強靭さを生かして、ドラマチックな歌い方をします。抑制した部分と力のみなぎった強声から青春の輝きときずつきやすさがあふれ出ます。
ゲルネの広々とした声には心が包まれますね。一転、終曲に向かってテンポが速くなっていく構成にも引き込まれました。
シュライヤーの誠実な歌は、時々恋の歌でありながら、神への祈りに聞こえるときがあります。
ヒッシュの歌唱は、まさに楷書ですね。楷書というとおもしろみがないと思われがちですが、美しい楷書を書くのは実は一番技術が問われます。ごまかしがきかないんです。
正確に丁寧に構築していく必要があります。それが格調を生むのですね。
ベーアは本当に夢見る青年ですね。
シャイなこの青年が、恋が成就しますようにと祈りたくなります。
ホルツマイアは、ソフトさが魅力ですね。クーパーとはシャーベルト歌曲集でも共演していますね。息が合うのでしょうか。
ヘフリガーの歌からは、シュライヤー同様祈りを感じる事が多いですが、当該演奏は、若さと青春の喜びが満ちていました。
トリッチュラーの青春の明るさを歌い上げた演奏、あまり巧まない中に彼の美声が光っていたように思いました。
ボストリッジ。彼にしか歌えない歌ですよね。日本の歌謡曲に「ガラスの少年時代は、、」と言うのがありますが、ボストリッジをきくとこのフレーズを思い出します。
ウァリアムズは、大人の恋ですね。前半は思いを告げてはいけない人に思いを寄せているかのようにも聞こえました。
でも、やはりやはり抑えきれない気持ちが溢れ出てしまった。そこには、若者だとか、大人だとかはない。
深読みでしょうか?
映画の一シーンのようでした。
女声で聞くと、世界観が変わるんですよね。好きな人への思いに男女の違いはない(ですよね?)。けれど、伝え方は違うのでしょうか。
装飾がついていたのは、私も初めて聞きました。ヘンドリックスのオリジナルでしょうか?
名曲だけに、名演奏揃いで聞きごたえがありました。
ありがとうございました(^o^)
この曲は
投稿: 真子 | 2022年7月 9日 (土曜日) 18時50分
真子さん、こんにちは。
いよいよこの歌曲集、最終曲にたどり着きました。
ここまでお付き合いいただき、有難うございました!
同じ音楽を後の曲で再び登場させるという点でシューマンの「詩人の恋」や「女の愛と生涯」に影響を与えたと言えるでしょうね。
シューマンはこの第6曲の冒頭のフレーズをいろんな自作の中に引用しています。音楽学者の藤本一子氏は「「音楽による献呈」を象徴する旋律として引用された」と述べておられます。
ヴンダーリヒの情熱をこめた歌唱はもう理屈を抜きにして感動的でした。本当に輝かしい美声ですね。
「ディースカウさんの甘さを保ちながらの巧みな曲作りには驚くばかりです」というご感想、とても嬉しく拝読しました。ディースカウのこの演奏で私が思っていたことをぴたっと表現されておられました。
プライのこの曲についての自伝の記述は感動的ですよね。「この歌を受け取ってほしい」という言葉はプライの歌を聞く人すべてに向けられているということですからね。
「青春の輝きときずつきやすさ」-本当その通りですね。若かりしプライのストレートな思いが伝わってきて、この歌曲集に詩人や作曲家が込めたであろうものが何の混じりけもなく表現されているように思いました。
シュライアーはどこか恋人への心情を歌っていても神への賛歌と重なるところがありそうですね。
ヒュッシュはこれ以上ないほど見事な楷書という印象ですね。ごまかしがきかないという楷書を貫くヒュッシュ、彼が現在のリート歌唱の方向性を定めたように思います。
ゲルネ、ベーア、ホルツマイア、ヘフリガー、トリッチュラー、ボストリッジ、ウィリアムズとそれぞれの個性が多彩な解釈を生み出してくれていますね。
「ガラスの少年時代は、、」ってKinki Kidsですか?真子さんからKinki Kidsの話題を出していただけるとは思っていませんでした。確か90年代の彼らのデビュー曲でちょっと懐かしめの甘酸っぱい曲調でしたよね。ボストリッジの繊細さは「ガラス」のもろさとも紙一重なのかもしれませんね。
ウィリアムズのご感想、真子さんならではの表現で映画の一場面が目に浮かびました。有難うございます。
私の場合、女声で聴くとこの曲の主人公が声変わり前の少年に聴こえます。装飾はおそらく当時のベートーヴェン時代の演奏習慣に従ってヘンドリックスが即興で加えたのではないかと推測します。当時は結構自由だったみたいですからね。
6曲とも丁寧に聴きこんで素敵なコメントを寄せていただき、とても楽しかったです。有難うございました。
来週金曜日はこの歌曲集の総括をアップ予定です。
投稿: フランツ | 2022年7月10日 (日曜日) 18時18分