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ベートーヴェン「約束を守る男(Der Mann von Wort, Op. 99)」

Der Mann von Wort, Op. 99
 約束を守る男

1.
Du sagtest, Freund, an diesen Ort
komm ich zurück, das war dein Wort.
Du kamest nicht; ist das ein Mann,
auf dessen Wort man trauen kann?
 きみは言ったよな、友よ、この場所に
 俺は帰ってくると、これはきみが言ったのだ。
 きみは来なかった、
 これでも、言ったことを信頼できる男だというのか?

2.
Fast größer bild' ich mir nichts ein,
als seines Wortes Mann zu sein;
wer Worte, gleich den Weibern, bricht,
verdient des Mannes Namen nicht.
 俺は約束を守る男ほど偉大なものは
 ほとんどないと思っている。
 女のように約束を破る者は
 男の名に値しない。

3.
Ein Wort, ein Mann, war deutscher Klang,
der von dem Mund zum Herzen drang,
und das der Schlag von deutscher Hand,
gleich heil'gen Eiden, fest verband.
 男は約束を守る、これはドイツの言い回しであり、
 口で語り、心へとしみ入ったものだった。
 その約束にはドイツ人の手による一撃が
 聖なる誓いのように、固く結びついていた。

4.
Und dieses Wort, das er dir gab,
brach nicht die Furcht am nahen Grab,
nicht Weibergunst, noch Menschenzwang,
nicht Gold, nicht Gut, noch Fürstenrang.
 そして彼がきみにしたこの約束を
 破ったのは、近くの墓での恐怖心からでも、
 女性の好意でも、人の強要でも
 金でも、財産でも、侯爵の身分でもなかった。

5.
Wenn so dein deutscher Ahne sprach,
dann folg', als Sohn, dem Vater nach,
der seinen Eid: Ein Wort, ein Mann,
als Mann von Wort verbürgen kann.
 そのようにきみのドイツの先祖が語ったら
 息子として父親に従うがいい、
 男は約束を守ると誓ったならば
 約束を守る男として保証できる。

6.
Nun sind wir auch der Deutschen wert,
des Volkes, das die Welt verehrt.
Hier meine Hand; wir schlagen ein,
und wollen deutsche Männer sein.
 今や俺たちもドイツ人にふさわしい、
 世界が敬う民族であるドイツ人に。
 この俺の手をとって。握手しよう、
 ドイツの男でありたいものだ。

詩:Friedrich August Kleinschmidt (1749-1838)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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フリードリヒ・アウグスト・クラインシュミットの詩による「約束を守る男」Op.99は1816年初夏に作曲されました。自筆譜は詩の1節のみが記されていましたが、初版以降の出版楽譜では6つの詩節すべてがリピート記号を使わずに記されています。

"ein Mann, ein Wort"(男子の一言)というのは、「男は約束を守る」という決まった言い方らしいです。詩は、約束を守る真のドイツの男になりたいという内容です。

ベートーヴェンの曲はどことなく酒宴歌や軍歌の趣が感じられます。仲間うちで語る内容の時はこのようながっしりした音楽を付けることが多いようですね。曲の冒頭に"Gemäss dem verschiedenen Ausdruck in den Versen piano und forte (詩行の強弱の様々な表情に従って)"という指示が記されているのは、有節形式であっても節ごとに表情を変えて演奏してほしいというベートーヴェンの希望なのでしょう。

3/4拍子
ト長調(G-dur)
Gemäss dem verschiedenen Ausdruck in den Versen piano und forte (詩行の強弱の様々な表情に従って)

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

1,2,3,4,5,6節。プライは全節を歌っています。プライの円熟期の含蓄のある響きがこの曲のテキストによくマッチしていました。

●フローリアン・プライ(BR), ノルベルト・グロー(P)
Florian Prey(BR), Norbert Groh(P)

1,2,3,4,5,6節。父親と同じくすべての節を歌っています。速めのテンポで威勢よく歌っています。

●ロデリック・ウィリアムズ(BR), イアン・バーンサイド(P)
Roderick Williams(BR), Iain Burnside(P)

1,3,6節。丁寧なウィリアムズの歌はこの歌曲を親しみやすいものにしていました。

●ヴァンサン・リエーヴル=ピカール(T), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Vincent Lièvre-Picard(T), Jean-Pierre Armengaud(P)

1,3,5節。リエーヴル=ピカールは優しい響きですね。

●ギュンター・ライプ(BR), ヴァルター・オルベルツ(P)
Günther Leib(BR), Walter Olbertz(P)

1節。1節だけでなくもっと聞いていたい歌唱ですね。オルベルツのがっちりしたピアノも充実していました。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

歌曲《約束を守る男》——楽譜上で歌唱指導?(平野昭)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

RISM(国際音楽資料目録)

Friedrich August Kleinschmidt (Österreichisches Biographisches Lexikon)

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エディタ・グルベロヴァ・歌曲リサイタル映像2種(エリク・ヴェルバ、フリードリヒ・ハイダー)(1977年&1991年)

エディタ・グルベロヴァ(Edita Gruberová)のリサイタル映像はいろいろあがっていますが、中でも歌曲中心の2つをご紹介したいと思います。
1977年の方は歌曲演奏の巨匠エリク・ヴェルバとの共演です。
故ヴェルバの演奏映像もなかなかレアだと思います。
若かりしロングヘアのグルベロヴァはすでに歌曲の王道レパートリーを歌っていたのですね。
1991年の方は当時プライベートでもパートナーだったフリードリヒ・ハイダーとの共演で、こちらもドヴォジャーク、シュトラウスが演奏されています。この2人の作曲家は特にグルベロヴァのお気に入りだったのかもしれませんね。

●Upscaled video EDITA GRUBEROVA recital - Werba - Klosterneuburg 1977

1977年, クロスターノイブルク修道院

エディタ・グルベロヴァ(S)
エリク・ヴェルバ(P)

モーツァルト
[0:38] ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時
[2:44] すみれ

シューベルト
[5:25] ミニョンの歌「ただ憧れを知る者だけが」
[8:48] クレールヒェンの歌

マーラー
[10:26] 私はほのかな香りを吸い
[12:50] 自分の感情

エーベルト・トリオによる演奏(※ここはグルベロヴァは登場しません)
[14:44] Das Ebert Trio spielt Alfred Uhl: "Kleines Konzert"

リヒャルト・シュトラウス
[31:15] 私は花束を編みたかった
[34:10] アーモル

ドヴォジャーク
『ジプシーのメロディ』より
[37:00] 老いた母が私に歌を教えてくれた時
[39:22] 鷹の翼はタトラの峰をざわめかせるが

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Stift Klosterneuburg, 1977

Edita Gruberová, soprano
Erik Werba, piano

Wolfgang Amadeus Mozart
[0:38] Als Luise die Briefe ihres ungetreuen Liebhabers verbrannte, KV 520
[2:44] Das Veilchen, KV 476

Franz Schubert
[5:25] Lied der Mignon "Nur wer die Sehnsucht kennt", D 877-4
[8:48] Klärchens Lied, D 210

Gustav Mahler
[10:26] Ich atmet einen linden Duft
[12:50] Selbstgefühl

[14:44] Das Ebert Trio spielt Alfred Uhl: "Kleines Konzert"

Richard Strauss
[31:15] Ich wollt ein Sträußlein binden, Op.68-2
[34:10] Amor, Op. 68-5

Antonín Dvorák
Zigeunermelodien Op.55
[37:00] Kdyz mne stará (Als die alte Mutter mich noch singen lehrte)
[39:22] Dejte klec jestrábu (Darf des Falken Schwinge Tatrahöh'n umrauschen)

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●Edita Gruberova Recital Prague Opera 1991

録画:1991年9月17日、プラハ国立歌劇場

エディタ・グルベロヴァ(S)
フリードリヒ・ハイダー(P)

拍手 2:10-

メンデルスゾーン:
最初のスミレ, Op. 19/2 2:35-
新しい恋, Op. 19/4 5:34-
歌の翼に乗って, Op. 34/2 7:48-
春の歌, Op. 47/3 12:05- (14:30頃大きめの雑音あり)

ドヴォジャーク:
歌曲集『愛の歌, Op. 83』 16:06-

リヒャルト・シュトラウス:
献呈, Op. 10/1 35:13-
夜, Op. 10/3
黄金色あふれる中を, Op. 49/2
森の至福, Op. 49/1
ツェツィーリエ, Op. 27/2

アンコール:

R.シュトラウス: 響け, Op. 48/3 49:59-
R.シュトラウス: アーモル, Op. 68/5 52:04-
シャルパンティエ: 歌劇『ルイーズ』からアリア 56:11-
トマ: 歌劇『ハムレット』からオフィーリアの狂乱の場 1:02:04-

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17 September 1991, Národní divadlo v Praze (Prague Opera)

Edita Gruberová, soprano
Friedrich Haider, piano

Beifall 2:10-

Mendelssohn:
Das erste Veilchen, Op. 19/2 2:35-
Neue Liebe, Op. 19/4 5:34-
Auf Flügeln des Gesanges, Op. 34/2 7:48-
Frühlingslied, Op. 47/3 12:05- (about 14:30, large noise)

Dvorák:
"Pisne Milostne", Op. 83 16:06-
1. Ó naší lásce nekvete (Oh, for us love does not bloom)
2. V tak mnohém srdci mrtvo jest (So many hearts are as though dead)
3. Kol domu se ted’ potácím (Around the house I stagger now)
4. Já vím, že v sladké naději (I know that in my sweet hope)
5. Nad krajem vévodi lehký spánek (Over the countryside reigns a light sleep)
6. Zde v lese u potoka (In forest here by a brook)
7. V té sladké moci ocí tvých (In that sweet power of your eyes)
8. Ó duše drahá jedinká (Oh dear soul, the only one)

R. Strauss:
Zueignung, Op. 10/1 35:13-
Die Nacht, Op. 10/3
In goldener Fülle, Op. 49/2
Waldseligkeit, Op. 49/1
Cäcilie, Op. 27/2

Encores:

R. Strauss: Kling, Op. 48/3 49:59-
R. Strauss: Amor, Op. 68/5 52:04-
Charpentier: Aria from "Louise" 56:11-
Thomas: Ophelia's mad scene from "Hamlet" 1:02:04-

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ベートーヴェン/歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte", Op. 98)』総括

1816年4月に作曲され、同年10月にヴィーンのTobias Haslinger社から出版された6曲からなるベートーヴェンの連作歌曲集『遥かな恋人に寄せて(An die ferne Geliebte, Op. 98)』は、当時ヴィーンの医学生だったアロイス・イズィドア・ヤイテレス(Alois Isidor Jeitteles: 20 June 1794 - 16 April 1858)のテキストによるものでしたが、ヤイテレスの詩がどうやってベートーヴェンの目にとまったのか諸説あるようで、確実には分かっていないようです。恋多きベートーヴェンが1812年に「わが不滅の恋人(Meine Unsterbliche Geliebte)」にあてて書き、引き出しにしまったままにしていた手紙とこの歌曲集のテーマとの関連が指摘されることもあり、それももちろん無縁ではなかったでしょうが、生涯恋をし続けて成就しなかったベートーヴェンの少年のように純粋で真っすぐな心情がこの歌曲集に集約されて、そのあまりにもピュアな響きに後世の我々は深く感銘を受けるのだと思います。

歌詞対訳を一つにまとめてPDF化したものをシェアします。翻訳の精度については保証できかねますので、ご自身の判断でお使いいただければと思います。

PDFダウンロード (Beethoven - An die ferne Geliebte対訳)

第1曲
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第2曲
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第3曲
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第4曲
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第5曲
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第6曲
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●加耒 徹(BR), 松岡あさひ(P)
Toru Kaku(BR), Asahi Matsuoka(P)
[@CIMF2020 Archives] Toru Kaku Online Baritone Recital

調布国際音楽祭2020の一環として公式から配信された演奏のアーカイブです。『遙かなる恋人に寄す』は冒頭に歌われています。明瞭なディクションとむらのない声の響きで聴きごたえあります。もし余裕があれば続けて『詩人の恋』も聞かれることをお勧めします。加耒さんは今最も脂ののっているバリトン歌手で、オペラ、バッハなどの宗教曲、コンサートに引っ張りだこですが、歌曲もしっかり歌ってくれているのが嬉しいです。そして松岡さんのピアノも自然な音楽の運び方が素晴らしいです。最近出たアルバムではシューベルト、マーラー、フィンズィ、日本歌曲など多彩さを一望できる充実した内容になっていました。
0:25- ベートーヴェン:遙かなる恋人に寄す Op. 98
13:45- シューマン:詩人の恋 Op. 48
44:24- シューマン:献呈 Op. 25-1

●タイラー・ダンカン(BR), エリカ・スウィッツァー(P)
Tyler Duncan(BR), Erika Switzer(P)

概要欄(音が出ます)
2020年8月10日録画。カナダ出身のバリトン、ダンカンは最初聴いた時、テノールかと思ったほど声が若々しく感じられました。また名前からドイツ語圏の出身ではないことは想像できたのですが、ディクションの美しさに驚かされました。まだまだ知らない才能は沢山いるのだなぁと思い知りました。スウィッツァーは実に生き生きと心象風景を描いていました。

●サーシャ・クック(MS), マイラ・ホアン(P)
Sasha Cooke(MS), Myra Huang(P)

この歌曲集を映像化した作品で、心温まります。著名なアメリカ人歌手クックが公園にいたりボートを漕いだり、最後は部屋でいとしい俳優に向けて手紙を書いたり茶目っ気のあるクックの表情に魅了されます。水の音なども入っているので、リモートのピアノに合わせてその場で録音しているように思います。クックの温かみのあるメゾの声は聴く者を癒してくれますね。

●フランツ・リスト編曲:『遥かな恋人に寄せて』(福間洸太朗(P))
Beethoven - Liszt : An die ferne Geliebte / Kotaro Fukuma

リストの歌曲編曲は超絶技巧を盛り込むことが多いのですが、この曲に関しては全く技巧の見せ場を入れず、一貫して原曲に忠実です。ベートーヴェンへの敬意ゆえでしょうか。ここ数年レアなピアノ曲を様々なピアニストに演奏してもらうシリーズを企画する等意欲的に活動されている福間さんがこの曲をレパートリーに選んだきっかけが気になります。原曲を彷彿とさせるいい演奏だったと思います。

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(参考)

国立音楽大学『音楽研究所年報』第15集(2001年度)
青木やよひ「ベートーヴェン《不滅の恋人》研究の現在」(こちらのサイトからPDFがダウンロード出来ます)

ベートーヴェンと不滅の恋人 前編:初恋~28歳 (平野昭)

ベートーヴェンと不滅の恋人 後編:30歳から晩年まで (平野昭)

Kunitachi College of Music Library: A Catalogue of Early Printed Editions of the Works of L.v.Beethoven
(国立音楽大学附属図書館所蔵 ベートーヴェン初期印刷楽譜目録)

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ヘルマン・プライの歌う歌曲映像(1971年&1963年他)

1971年(42歳)のヘルマン・プライの映像がアップされていました(アップロードしてくれた方に感謝!)。R.シュトラウス「きみ、わが心の冠よ(Du meines Herzens Krönelein, Op. 21-2)」です。
若々しいプライが穏やかな笑顔で優しく歌っています。
「あなたは森のばらのよう」と歌われる甘い恋人賛歌です!

ピアニストは誰なのか分かりませんでした(ヴァイセンボルンでしょうか?)。

Hermann Prey: Du meines Herzens Krönelein (R. Strauss)

From the BR archive from 1971

それからこちらのリンク先ではプライ&ギュンター・ヴァイセンボルン(Günther Weissenborn)によるベートーヴェン「優しい愛(きみを愛す)(Beethoven: Zärtliche Liebe "Ich liebe dich", WoO 123)」の1963年の映像が見れます!当時プライは34歳で顔がほっそりしています。歌は言うまでもないですね。ゆったりとしたテンポで甘く優しく、最後は情熱的に歌われます。ぜひ堪能してください!

こちらのリンク先では、さすらいに因んだ歌曲2曲をプライ&ヴァイセンボルンが演奏しています。収録年の記載はありませんが、別の機会に収録したものをつなぎ合わせたように思います(→(訂正)アングルの違いで別の機会のように思い込んでいましたが、よく見ると部屋のセットが同じようなので同じ時の録画かもしれません。)。

シューマン:さすらい, op. 35, Nr. 7
Robert Schumann: Wanderung, op. 35, Nr. 7 "Wohlauf und frisch gewandert ins unbekannte Land!"

シューベルト:さすらい人が月に寄せて, D 870
Franz Schubert: Der Wanderer an den Mond, D 870

Hermann Prey, baritone
Günther Weißenborn, piano

以前プライと共演した岡原慎也さんの「ボダイジュ」の楽譜にプライの書き込みが!こちらのリンク先で見ることが出来ます。stentato(重たげに)、rauschen(葉がざわめく)などのプライの書き込みが見られます。岡原さん、貴重な楽譜のシェア有難うございます!

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ベートーヴェン「それではこれらの歌を受け取っておくれ(Nimm sie hin denn, diese Lieder, Op. 98, No. 6)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第6曲)

Nimm sie hin denn, diese Lieder, Op. 98, No. 6 (aus "An die ferne Geliebte")
 それではこれらの歌を受け取っておくれ(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第6曲)

1.
Nimm sie hin denn, diese Lieder,
Die ich dir, Geliebte, sang,
Singe sie dann abends wieder
Zu der Laute süßem Klang.
 それではこれらの歌を受け取っておくれ、
 僕が、きみに、愛する人に歌った歌を、
 晩になるたびにまた歌っておくれ、
 リュートの甘い響きに合わせて。

2.
Wenn das Dämmrungsrot dann ziehet
Nach dem stillen blauen See,
Und sein letzter Strahl verglühet
Hinter jener Bergeshöh;
 黄昏時の赤みが
 静かな青い湖へと移り、
 最後の光が
 あの山の高みのうしろに消えていくとき、

3.
Und du singst, was ich gesungen,
Was mir aus der vollen Brust
Ohne Kunstgepräng erklungen,
Nur der Sehnsucht sich bewußt:
 そして、僕が歌った歌を、
 僕が大声を張り上げ
 芸術的な華麗さもなく
 ただ憧れの気持ちを意識して響かせた歌を、きみが歌ってくれるときには、

4.
Dann vor diesen Liedern weichet
Was geschieden uns so weit,
Und ein liebend Herz erreichet
Was ein liebend Herz geweiht.
 これらの歌の前で
 僕らをこれほど遠く隔てていたものが消え失せ、
 一つの愛する心が
 愛する心を捧げたものに到達するのだ。

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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前曲の最後の寂しい終わり方を受けて、第6曲「それではこれらの歌を受け取っておくれ」のピアノ前奏は表情豊かな美しい歌を奏でます。前奏で奏でているのは、歌声部の冒頭部分を基にして装飾を加えたもので、主人公が遥かな恋人に歌ってきかせた歌なのでしょう。

前曲からの橋渡し

6

第1曲から第5曲まで基本的に有節形式だったのに対して、最終曲であるこの第6曲はA-B-A'-Cという形式をとります。そして最終連のCの部分は第1曲の歌声部と同じ形をもってきて、さらにその形を展開させて大団円のうちに曲を締めくくります。つまりこの歌曲集全体の最初と最後に同じ音楽を置き、その間に有節形式の曲を複数はさみこむ形をとっていることが分かります。

1連
61

2連
62

3連
63

4連
641
642

実はテキストを見ると、第1曲の最終連と第6曲の最終連は、最後の2行が全く同一であるだけでなく、前半の詩行も含めて対応しています。

第1曲の最終連(第5連)

Denn vor Liedesklang entweichet
Jeder Raum und jede Zeit,
Und ein liebend Herz erreichet,
Was ein liebend Herz geweiht!
 なぜなら歌が響くと
 空間や時の隔たりが消え、
 一つの愛する心が
 愛する心を捧げたものに到達するのだから!

第6曲の最終連(第4連)

Dann vor diesen Liedern weichet
Was geschieden uns so weit,
Und ein liebend Herz erreichet
Was ein liebend Herz geweiht.
 これらの歌の前で
 僕らをこれほど遠く隔てていたものが消え失せ、
 一つの愛する心が
 愛する心を捧げたものに到達するのだ。

テキストのこの部分はベートーヴェンによって追加されたのかもしれないという説もあるようですが、ヤイテレスのオリジナルの詩の形が残されていない為、真相は闇の中です。ただ、最終連がないとそれまでの2連、3連の「~のとき」に対応する文言がないままになってしまう為、おそらくヤイテレスのオリジナルに含まれているのではないかと個人的には思います。

いずれにせよ、我々は最初の曲でこの主人公が丘の上に腰を下ろしている情景を目に浮かべ、その後の曲で遠い恋人への思いをあれこれ巡らせるのを見てきました。最終曲にいたって最初の曲の音楽が登場すると主人公が丘に腰を下ろした情景を再び思い浮かべることになります。主人公は最後に歌のもつ力を高らかに歌い上げて締めくくります。物理的な距離はなにひとつ変わらず離れたままですが、二人が歌を歌うことで心の距離は消滅するのでしょう。立ちはだかる障壁を克服するベートーヴェンらしいテーマの作品だと思いました。

2/4拍子
Andante con moto, cantabile
変ホ長調(Es-dur)

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ところで、この歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の最終曲の冒頭フレーズを、ベートーヴェンを崇拝していたシューマンが自作に引用していることがしばしば話題になります。1835年リストらを発起人としてボンにベートーヴェン記念碑の建立が計画され、その寄付の為にピアノ独奏の為の「幻想曲Op.17」が作曲されたそうです。どのように引用されているかをここで見ておきたいと思います。

下図は、"Nimm sie hin denn, diese Lieder"の冒頭の歌声部と、そのフレーズの構成を表にしたものです(クリックすると拡大表示されます)。
Nimm-sie-hin-denn-diese-lieder

「ラーラシドーソーソーーファファーミー」:主音に向かって順次進行で上行し、その後4度下行した後にさらに順次進行で下行していきます。つまり上がってから下がるアーチ型のフレーズになっています。

それでは、シューマンの「幻想曲」を見ていきます。

シューマン:幻想曲, Op. 17 (Schumann: Fantasie, Op. 17)

3つの部分から成る傑作「幻想曲」の第1部に、"Nimm sie hin denn, diese Lieder"のフレーズがリズムの変化や拡縮を施しつつ、あちこちに引用されています。
最も分かりやすいのが、第1部最後近くの下記部分です。ここにいたるまであちこちに散りばめていたフレーズの種明かしを最後にしたというところでしょうか。

295小節から
Schumann-fantasie-op-17-1-295
4が1つ増やされていますが、他はベートーヴェンのフレーズの進行をそのまま使っています。

実は「幻想曲」の冒頭で右手が最初に奏でるフレーズも"Nimm sie hin denn, diese Lieder"のフレーズが基になっていることが分かります。
ただ、2と4の間をつなぐ3が省かれているうえに、4は内声で目立たず、繰り返される同じ音程の音(6、8)は省略され、リズムも異なる為、音を聴いただけで認識するのは困難ではないかと思います。私も音だけでは全く気付かず、楽譜を見て初めて気付きました。伏線のようにこっそり紛れ込ませたのかもしれません。

2小節から
Schumann-fantasie-op-17-1-2

他にも下記のような箇所にこのフレーズがあらわれます。

14小節から
Schumann-fantasie-op-17-1-14

69小節から
Schumann-fantasie-op-17-1-69

もう1つ別の例を見てみましょう。「夜曲, Op.23」の第4曲です。

シューマン:夜曲, Op.23, No. 4 (Schumann: Nachtstück, Op.23, No. 4: Einfach)

25小節から
Schumann-nachtstuck-op-234-25

25小節の途中まで変イ長調で進み、25小節の4拍目から臨時記号を付けてg→gesにすることで一時的に変ニ長調にして” Nimm sie hin denn, diese Lieder”のフレーズを取り入れています。2-3-4-4-5-7-9の流れで、6と8がありませんが、音程は5=6(ソ)、7=8(ファ)なので、それぞれ連続する同じ音程の音を省いただけで骨組みは同じです。「幻想曲」の第1部最後の箇所同様、4を繰り返しているのが印象的です。

この他にもいくつかの作品での引用があるようで、こちらのリンク先でTimothy Judd氏が解説されています。『女の愛と生涯』の第6曲"Süßer Freund, du blickest mich verwundert an"のピアノ間奏にも使われているのは気付きませんでした!リンク先の動画の目盛りを2:45にして聞いてみて下さい。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

ヴンダーリヒの甘い美声はちょっと切なさも感じさせて、青春の歌という感じでした。前奏を訥々と弾くシュミットも味わいがありました。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

20代のF=ディースカウの声の柔らかさがこの曲にとても合っていました。ムーアが雄弁な表現力でこの作品を締めくくります。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

プライは3連までは抑え気味に歌い、最終連で喜びを爆発させていました。配分をとても考えて歌っていることが伝わってきます。「<この歌を受け取ってほしい/愛するひと、きみのためにうたった歌を>-リート歌手としての私の願望を端的に要約したような詩行である」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。

●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

陰影に富んだゲルネの歌唱にぐっと引き付けられました。低い音域が多い曲の為かゲルネの声に包まれる感じでとても良かったです。ゲルネの重厚さに、リシエツキのピアノが若々しい疾走感を加えていて、いいコンビでした。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

シュライアーの演出力、説得力、安定感はさすがですね。締めにふさわしい歌唱でした。そしてオルベルツのタッチも終始美しかったです。

●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)

楷書風の格調高いヒュッシュの歌はどの言葉も、どの音もおろそかにしないという姿勢が感じられ背筋が伸びる思いです。20世紀前半の自由な歌唱の潮流の中、かっちりしたスタイルを重視したヒュッシュの歌が現れて、その後のリート歌手に大きな影響を与えたと思います。無二の共演者ミュラーも隙がなく見事に歌をつくりあげていました。

●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)

夢見る青年そのものの「憧れ」を感じさせるベーアの歌唱でした。パーソンズはどこをとってもうまいですね。

●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)

ホルツマイアはレガートが素晴らしいですね。3連の"bewußt"、最終連の"weit"の弱声が引き込まれました。そしてクーパーのピアノの美しいタッチも耳を奪われます。

●エルンスト・ヘフリガー(T), エリク・ヴェルバ(P)
Ernst Haefliger(T), Erik Werba(P)

ヘフリガーの誠実で真っすぐな歌唱は、この歌曲集を歌うのに最もふさわしい一人だと感じます。ここではなかなか骨太な感じも出ていたと思います。ヴェルバは速めのテンポで一見飛ばしているようにも聞こえますが、ニュアンスをしっかり付けているのが感じられます。

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

トリッチュラーは最後の曲でも平常心で爽やかに歌い切りました。マーティノーは歌手が歌いやすいように導いている印象を強く受けました。

●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)

恋人への一途で真っすぐな感情が感じられるブルンスの歌唱でした。3連の"bewußt"のデクレッシェンドも美しかったです。タイルも立体的な演奏で素晴らしかったです。

●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

最終曲ではボストリッジの繊細さがよく表れていたと思います。パッパーノは他の歌手からも共演を依頼されるのが分かるほど見事な演奏でした。何故かこの曲だけプロモーション用の映像が公開されていないようです(撮影されなかった?)。

●ロデリック・ウィリアムズ(BR), イアン・バーンサイド(P)
Roderick Williams(BR), Ann Murray(MS), Iain Burnside(P)

歌、ピアノともずっと抑えていて最後の最後で解放されて大団円という設計が巧みでした。英国人ウィリアムズはディクションがとても明晰で良いですね。

●バーバラ・ヘンドリックス(S), ルーヴェ・デルヴィンゲル(P)
Barbara Hendricks(S), Love Derwinger(P)

年輪を重ねたヘンドリックスならではの味わい深い歌唱でした。第3連最終行の繰り返しの時に装飾を加えていたのが興味深かったです。デルヴィンゲルも雄弁で良かったです。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Nimm sie hin denn, diese Lieder Op. 98 No. 6 (L. v. Beethoven) - Accompaniment

チャンネル名:insklyuh

●【第6曲の歌声部冒頭が引用された例(1)】
シューマン:幻想曲ハ長調Op. 17
Schumann: Fantasie, Op. 17
レイフ・オヴェ・アンスネス(P)
Leif Ove Andsnes(P)

0:02-:2小節右手
0:21-:14小節右手
2:07-:69小節右手
10:47-:295小節右手(これが最も分かりやすいです)

●【第6曲の歌声部冒頭が引用された例(2)】
シューマン:夜曲, Op.23, No. 4
Schumann: Nachtstück, Op.23, No. 4: Einfach
エミール・ギレリス(P)
Emil Gilels(P)

17:34-:25小節右手

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

“To the Distant Beloved”: Schumann’s Obsession with a Beethoven Song: February 27, 2019 by Timothy Judd (The Listener's Club)

幻想曲 (シューマン) (Wikipedia)

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ベートーヴェン「五月が戻り来て、野原は花開く(Es kehret der Maien, es blühet die Au, Op. 98, No. 5)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第5曲)

Es kehret der Maien, es blühet die Au, Op. 98, No. 5 (aus "An die ferne Geliebte")
 五月が戻り来て、野原は花開く(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第5曲)

1.
Es kehret der Maien, es blühet die Au,
Die Lüfte, sie wehen so milde, so lau,
Geschwätzig die Bäche nun rinnen.
Die Schwalbe, die kehret zum wirtlichen Dach,
Sie baut sich so emsig ihr bräutlich Gemach,
Die Liebe soll wohnen da drinnen.
 五月が戻り来て、野原は花開く。
 そよ風はかくも穏やかにあたたかく吹き渡り、
 冗舌に小川が今流れている。
 ツバメは快適な屋根に帰り
 婚礼部屋を熱心につくる。
 愛がそこに宿るはずだ。

2.
Sie bringt sich geschäftig von kreuz und von quer
Manch weicheres Stück zu dem Brautbett [hierher]1,
Manch wärmendes Stück für die Kleinen.
Nun wohnen die Gatten beisammen so treu,
Was Winter geschieden, verband nun der Mai,
Was liebet, das weiß er zu einen.
 ツバメはせっせとあちこちからいくつも運び込む、
 寝床には柔らかいものを、
 子供たちのためには温かいものを。
 今夫婦が一緒にかくも貞節に住んでいる、
 冬が隔てたものを五月が今結びつけた。
 愛するものが一つになることを五月は知っているのだ。

3.
Es kehret der Maien, es blühet die Au.
Die Lüfte, sie wehen so milde, so lau.
Nur ich kann nicht ziehen von hinnen.
Wenn alles, was liebet, der Frühling vereint,
Nur unserer Liebe kein Frühling erscheint,
Und Tränen sind all ihr Gewinnen.
 五月が戻り来て、野原は花開く。
 そよ風はかくも穏やかにあたたかく吹き渡る。
 僕だけがここから離れることが出来ない。
 愛するもの同士をすべて春が一つにしても
 ただ僕らの愛にだけは春が来てくれず、
 手に入れたのは涙がすべてだ。

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

1 some editions have "hieher"; the spelling can be found as well in Tonkünstler-Versammlung zu Weimar, zugleich als Vorfeier zu Ludwig van Beethoven's 100jährigen Geburtsfeste, 1870, page 24.

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雲や西風や小川に気持ちを訴えた前曲を受けて、第5曲では次のようなことが語られます。

五月になると、野原は花盛りになり、風が穏やかに吹きわたり、小川がおしゃべりしながら流れる。
ツバメは奥さんや子供たちの為の寝床や食べ物を運んでくる。
冬に分かれたものは五月になるとみな一緒になる。
だが、僕だけはここから離れられない。僕らの愛には春は来ず、得たのは涙のみだ。

3連からなる詩(このヤイテレスの詩は出版されなかったので、実際に3連だったかどうかは確認するすべがありませんが、構造的に推測すると3連の可能性が高いと思います)の第1連と第3連の最初の2行が全く同一で、それゆえに五月の到来の喜びと主人公の悲しみが対比されて伝わってきます。

かなり長めの前奏はナイチンゲールやかっこうの鳴き声のようにも聞こえますが、あるいは歌詞に登場するツバメ(第3曲の"Segler"ではなく、"Schwalbe")の鳴き声を模しているのでしょうか。

前曲からの橋渡し

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歌声部はほぼ完全な有節形式で、基本的に♩♪♪のリズムで進みます(数年前に作曲された交響曲第7番の第2楽章が頭をよぎります)。調も拍子もリズムも各連同一ですが、3連の"Nur unserer Liebe kein Frühling erscheint(ただ僕らの愛にだけは春が来てくれず)"の"kein"のみ2点ヘ音に上行します(続く"Frühling"の"Früh-"と同音)。"kein"という否定語を強調したかったのでしょう。

ちなみに各連最初の音は2点ト音(g)で、しかもアクセントのない音節なので、歌手にとっては歌いだしからなかなか大変ではないかと推測されます。

1連
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2連
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3連
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ピアノパートも1連と2連は珍しくほぼ同一で、ピアノ間奏に若干の変更があるぐらいです。3連になると基本は1,2連を踏襲しつつところどころ変化を付けていきます。ただ、他の曲のように一新するというわけではなく、基本は同じで少しテキストに応じて変化を付けているというぐらいです。例えば"Tränen sind all ihr Gewinnen(手に入れたのは涙がすべてだ)"という箇所は弱拍に四分休符を置き、涙で動きが停滞するような効果を出しているように感じました。

最後にベートーヴェンお得意の"ja"という言葉をはさんで最後の"all ihr Gewinnen"を同主調のハ短調で寂しく繰り返し、次の最終曲へとつなげます。

C (4/4拍子)
Vivace
ハ長調(C-dur)

●詩の朗読(Sprecher: Johannes-c-held.com)

チャンネル名:Lied Lyrics

●ツバメの鳴き声
Rauchschwalbe Gesang

チャンネル名:Jennifer Timrott

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

トリッチュラーの声の魅力が発揮されていますね。最終連の我に返って悲嘆にくれるところも巧まない自然な表現が心地よいです。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

第3連の切々とした表現が沁みます。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

若きF=ディースカウの声、とても柔らかくていいなぁと思いました。ムーアの表現の豊かさも素晴らしいです。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

「ベートーヴェンの指示は<ヴィヴァーチェ>つまり生き生きと、快活に、である。ここでは私は作曲家の指示を言葉通りに受けとめる。とりわけアダージョにまで速度が落ちるリートの終わりを考慮にいれるとなおさらだ」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。プライは各連の最終行にクライマックスがくるように歌っていました。最終連最後の一フレーズの抑えた歌いぶりもいいですね。

●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)

歌とピアノの完璧なアンサンブルですね!

●ゲルハルト・ヒュッシュ(BR), ハンス・ウード・ミュラー(P)
Gerhard Hüsch(BR), Hanns Udo Müller(P)

ヒュッシュの歌は格調の高さや気品が感じられ、言葉をとても大切に扱っているのが伝わってきます。

●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)

ブルンスは第3連の己の境遇を嘆く箇所でも特に深刻にならず、心配しなくてもいずれ遠くの彼女に会えると信じているような歌を聞かせていました。

●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

ボストリッジは低い方もわりと厚みのある声を出せるのが強みですね。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Es kehret der Maien, es blühet die Au Op. 98 No. 5 (L. v. Beethoven) - Accompaniment

チャンネル名:insklyuh

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

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