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ベートーヴェン「空高く軽快に飛ぶアマツバメよ(Leichte Segler in den Höhen, Op. 98, No. 3)」(歌曲集『遥かな恋人に寄せて("An die ferne Geliebte")』より第3曲)

Leichte Segler in den Höhen, Op. 98, No. 3 (aus "An die ferne Geliebte")
 空高く軽快に飛ぶアマツバメよ(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』より第3曲)

1.
Leichte Segler in den Höhen,
Und du, Bächlein klein und schmal,
Könnt mein Liebchen ihr erspähen,
Grüßt sie mir viel tausendmal.
 空高く軽快に飛ぶアマツバメよ、
 そして君、小さく細く流れる小川よ、
 僕の恋人を探し出して
 僕からのいく千もの挨拶を伝えておくれ。

2.
Seht ihr, Wolken, sie dann gehen
Sinnend in dem stillen Tal,
Laßt mein Bild vor ihr entstehen
In dem luft'gen Himmelssaal.
 雲よ、君たちがそれから
 静かな谷を思いにふけりながら歩く彼女を見かけたら、
 僕の姿を彼女の前に現わしておくれ、
 風の吹く空の空間に。

3.
Wird sie an den Büschen stehen,
Die nun herbstlich falb und kahl.
Klagt ihr, wie mir ist geschehen,
Klagt ihr, Vöglein, meine Qual.
 彼女は立つだろう、
 もう秋めいて淡黄色になり葉の落ちた茂みのそばに。
 僕がどうなってしまったのか彼女に嘆いておくれ、
 小鳥よ、僕の苦しみを彼女に嘆いておくれ。

4.
Stille Weste, bringt im Wehen
Hin zu meiner Herzenswahl
Meine Seufzer, die vergehen
Wie der Sonne letzter Strahl.
 静かな西風よ、
 僕の心が選んだ方角に吹いていき
 僕の溜息を運んでほしい、
 太陽が沈む前の輝きのように消え去ろうとする溜息を。

5.
Flüstr' ihr zu mein Liebesflehen,
Laß sie, Bächlein klein und schmal,
Treu in deinen Wogen sehen
Meine Tränen ohne Zahl!
 僕からの愛のお願いを彼女に囁いて、
 小さく細く流れる小川よ、
 義理堅くも君の波間に映して彼女に見せてあげてほしい、
 無数に流れる僕の涙を!

詩:Alois (Isidor) Jeitteles (1794-1858)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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この第3曲の冒頭行に"Segler"という単語が出てきます。
小学館『独和大辞典 コンパクト版』(1985年初版)を見ると、1番目に「帆船、ヨット、グライダー、氷上ヨット」、2番目には「(segelnする人.例えば:)帆走者、ヨット乗り、グライダー乗り」と記されています。そして3番目に「(Turmschwalbe)ヨーロッパアマツバメ」という訳が記されています。
この歌曲の訳語をいろいろ見てみると、雲を「帆船」に見立てたという解釈が多く、「空たかく軽やかに帆をあげてゆく雲よ」(西野茂雄氏)、「空高く帆をかけてゆく雲よ」(喜多尾道冬氏)、「天空を行く軽い帆船よ」(渡辺護氏)などと訳されています。インターネットで英訳を見るとほとんど"clouds(雲)"となっていました。私は独和大辞典の3番目の「ヨーロッパアマツバメ」が最も意味が通りやすいのではないかと思うのですが、誰もこの訳を使わないところを見ると、詩人のヤイテレスの時代にはSeglerに「ヨーロッパアマツバメ」という意味がなかったのでしょうか。ただ、こちらのWikipediaでこの曲のあらすじを英語で記しているのですが、「swift(アマツバメ)」という言葉を使っているので、この執筆者は「雲」ではなく「アマツバメ」であるという考えのようです("With this thought he bids the swifts and the brook to greet her, ...")。
インターネットのDUDENというドイツ語の辞書で調べてみると、2bの項目に"segelnder Vogel(滑空する鳥)"とあり、3の項目では"sehr schnell fliegender, der Schwalbe ähnlicher Vogel von graubrauner bis schwärzlicher Färbung mit sichelförmigen, schmalen Flügeln und kurzem Schwanz(非常に速く飛ぶツバメのような鳥で、黒褐色から黒っぽい色をしていて、鎌形の細い翼と短い尾を持っている)"という説明がありました。
「帆船」と訳すのが無難なのかもしれませんが、この詩の2連にも"Wolken(雲)"という言葉が出てくるので、私はあえて「アマツバメ」を選びました。ちなみにヨーロッパアマツバメの画像はこちらのリンク先にあります。

各連のあらすじはざっと次のような感じです。

1:ツバメよ、小川よ、僕の恋人を探し出して僕からよろしくと伝えておくれ。
2:雲よ、思いにふけった僕の恋人が谷を歩いていたら、彼女の前に僕の姿を映し出しておくれ。
3:彼女は秋めいて黄色くなった茂みのそばに立つだろう。小鳥よ、僕がいかに苦しんでいるか彼女に伝えておくれ。
4:西風よ、僕の溜息を僕が選んだ方向に運んでおくれ。
5:小川よ、僕のお願いを彼女にささやいて、波間に僕の涙を映して彼女に見せておくれ。

彼女のもとに飛んでいけない主人公は、自然のもろもろの存在に彼女への言伝を頼みます。しかもメッセージだけでなく、溜息や涙も届けてほしいと伝えます。気持ちを何かに託すというのは歌曲の詩のテーマとしては頻繁に出てくると思いますが、音楽家の心を揺さぶるものがあるのかもしれませんね。

前の曲からの橋渡し部分
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これまでの2曲では歌のメロディーラインが上行して下行するアーチのような形だったと言えると思います。この第3曲では各連の冒頭が一音下がってまた一音上がってという動きになっていて、ふわふわと空中を飛んでいくような趣が感じられます。しかしすぐに上行と下行のメロディーラインが現れ、ここでも前2曲のフレーズが踏襲されていることになるのでしょう。

ただ、この第3曲では一つの単語の音節の間に休符を入れる手法がかなり多用されているところが目をひきます。これはベートーヴェンの歌曲にしばしば見られる手法で、例えば、冒頭の"Leich-te(軽やかな)"という一つの単語の音節の分かれ目に八分休符を入れています。歌手は休符を生かしながらも一つの単語であることを聴衆に伝えなければなりません。後世の作曲家たちもこの手法を使ってはいますが、ここぞという時に使うことが多いのに対して、ベートーヴェンは比較的頻繁に使っているように思います。もちろん詩の語感や意味を反映していることが多いのでしょうが、必ずしもそうでないこともあるように思います。そのへんは音楽的な面白さを優先させているのかもしれませんし、もしかしたらベートーヴェン自身が朗読する際にはねるように発音する箇所に休符を入れているのかもしれませんね。

1連
31

2連
32

3連
33

4連
34

5連
35

この曲も変形有節形式で、歌の旋律はほとんど同じなのですが、1,2連が変イ長調なのに対して、3,4,5連が同主調の変イ短調になります(ベートーヴェンは調号は変えずに、臨時記号をその都度付けているので、雰囲気をがらっと変えることは望んでいないように思います)。
3連の「嘆く(klagen)」、4連の「溜息(Seufzer)」、5連の「涙(Tränen)」など少し湿っぽい内容になっているのをベートーヴェンは反映させたのでしょう。

ピアノパートはこの曲でもベートーヴェンらしい工夫がされていると思います。例えば第2連で、これまで軽快に三連符で流れていたリズム(下の譜例のA)が、彼女が思いにふける"sinnend"と歌った途端に付点の引きずるようなリズム(B)に変わり、足取りが重くなったかのようです。
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C (4/4拍子)
Allegro assai
変イ長調(As-dur)

●詩の朗読(Sprecher: Johannes-c-held.com)

チャンネル名:Lied Lyrics

●ロビン・トリッチュラー(T), マルコム・マーティノー(P)
Robin Tritschler(T), Malcolm Martineau(P)

トリッチュラーは休符をうまく取り入れることによって、憧れるあまり喘ぐような効果が出ているように感じました。

●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)

「第三節の冒頭で曲ははじめて短調に移行する。しかしそのために声を暗くするのは間違いであろう」(『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』より)。とろけるような甘い美声と"Grüßt"の時のような威勢の良さとを合わせもったプライの歌は、若かりし頃の感傷が直に伝わってくるようです。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

20代半ばのみずみずしいF=ディースカウの美声が熟していない時代ならではの良さを感じさせてくれます。

●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ハインリヒ・シュミット(P)
Fritz Wunderlich(T), Heinrich Schmidt(P)

ヴンダーリヒは短調になってからの声色の変化がはっきり伝わってくるのがさすがですね。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

僕からの挨拶を伝えておくれという呼びかけが非常に伝わってきて、その語り口のうまさを改めて感じました。

●ヴォルフガング・ホルツマイア(BR), イモジェン・クーパー(P)
Wolfgang Holzmair(BR), Imogen Cooper(P)

ホルツマイアの柔らかい声が心地よく感じられます。イモジェン・クーパーの多彩な表現には舌を巻きます。

●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

重厚なゲルネがこれほど軽やかに推進力をもって歌い進めているのは凄いです。リシエツキの若さの感じられるピアノも新鮮でした。

●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

ボストリッジの声質はこの歌曲集によく合っていると思います。パッパーノは熟練した歌曲ピアニストのような味わいと余裕があります。

●ベンヤミン・ブルンス(T), カローラ・タイル(P)
Benjamin Bruns(T), Karola Theill(P)

ブルンスは優しさと勇ましさが同居している声ですね。

●キンドラ・シャリク(MS), ジェフリー・ラドゥア(P)
Kindra Scharich(MS), Jeffrey LaDeur(P)

2019年2月18-20日St. Stephen's Episcopal Church, Belvedere, Tiburon, California録音。メゾの声は声変わり前の少年の声のようにも聞こえます。新鮮な趣があると思います。

●ピアノパートのみ(Hye-Kyung Chung)
Leichte Segler in den Höhen Op. 98 No. 3 (L. v. Beethoven) - Accompaniment

チャンネル名:insklyuh

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「遥かな恋人に寄せて(連作歌曲)」——愛と自然を歌った声楽史上初の連作歌曲(平野昭)

吉村哲『ベートーヴェンの歌曲研究-連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》の演奏解釈をめぐって-』(盛岡大学短期大学部紀要24巻: 2014)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(歌曲集『遥かな恋人に寄せて』の解説:前田昭雄)

『喝采の時 ヘルマン プライ自伝』(原田茂生・林捷:共訳)(1993年第一刷 メタモル出版)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Alois Jeitteles (Wikipedia)

Alois Isidor Jeitteles (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Alois Isidor Jeittelesの肖像画

Wikipedia: An die ferne Geliebte (英語版)

DUDEN: Segler

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コメント

フランツさん、こんばんは。

この曲は休符の扱い方が、歌手によってハッキリ別れますね。
そこにも解釈がそれぞれにありそうですね。

プライさんは、滑らかなフレージングで休符を包んでいる感じです。直情的で自然な上手い歌い口はさすがです。
次の曲へと向かう音の広がりがまた魅力的です。

同じように、歌にそこはかとなく色香を漂わせるヴンダーリヒ。この二人が二重唱をしたら息が合うのも分かります。

ブルンストの声、やはり好きです。休符を効かせたところと滑らかなフレージングの対比が美しいですね。

キンドラ・シャリクの涼やかなメゾに引き付けられました。
男声で聞くのと全く違う世界観が広がりますね。彼女の声、素敵ですね。

第4曲の序章にも聞こえる第3曲。固めて色々聞くと、改めて聞こえて来るものがありました。

投稿: 真子 | 2022年6月28日 (火曜日) 19時09分

真子さん、こんばんは。
毎日暑いですね。
6月でこれですから暑がりの私は先が思いやられます。

コメント有難うございます。
この曲の休符の扱い、演奏者による違いが面白いですよね。

プライはおっしゃる通り休符の箇所がレガートにならないように、しかし単語が分離しないようにうまく歌っていてさすがですね。歌い方に悩む人はこのプライの歌い方がお手本になりそうです。

ヴンダーリヒは声の甘さと色気がありますね。休符がないように普通に歌っていたのがちょっと意外でした。

真子さんはブルンスの声、気に入られたのですね。

女声で聴くとまた雰囲気が違って新鮮でいいですね。

>第4曲の序章にも聞こえる第3曲。固めて色々聞くと、改めて聞こえて来るものがありました。

そう言われてみれば第4曲の導入的にも聞こえますね。
西野茂雄さんがF=ディースカウ&ヘルの国内盤の解説書にロマン・ロランの「復活の歌」について触れていて、その中に引用されたハンス・ベトヒャーの分析によるとこの歌曲集は第1曲と第6曲、第2曲と第5曲、第3曲と第4曲がそれぞれ対応しているということが書かれていました。第3曲と第4曲は調も形式も同じなので、マラソンで言うと往路から復路になるタイミングでしょうか。

次の曲へつながっていく箇所の歌声がまた魅力的ですね。

投稿: フランツ | 2022年6月29日 (水曜日) 19時11分

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